言葉遊びの貴公子。王朝文学の粋を今に伝え三十一文字の奥行きは深い。

1 折句系 おりくけい

 

和歌、狂歌、俳句等の各(かんむり)((かしら))(くつ)など特定の箇所に配置された文字頭音をつづると、それだけで意味のある語句となるものを〈折句〉という。西欧でいう〈アクロスティック〉に相当、これの多くが〈冠折句〉または〈毎句冠折句〉の形態をとっている。

和歌の場合、二十一代集のうち折句作品を収めてあるのは八集、総歌数も二十七首と意外に少ない。折句で歌体を整えるには高度の技巧を要するからであろう。もっとも『古今和歌集』では折句といわずに「(もの)(のな)」という呼び方で巻十に何首か収めている。

折句にふれる場合、必ずといっていいほど引き合いに出されるのが、在原業平(なりひら)(825880)が三河の(やつ)(はし)で詠んだ()(りよ)歌である。

 「かきつばたといふ五文字を句の首に据ゑて旅の心を詠まむとて詠める」との詞書(ことばがき)のもと、

ら衣つつ馴れにしましあればるばる来ぬるびをしぞ思ふ(傍点筆者) &『古今和歌集』巻九  

の毎句冠折句詠がそれである。八橋で鑑賞した「かきつばた」の一語が、入念に構成された歌体の各句頭に無理なく折り込まれている

 折句の典型的な例をもう一首、同じく古今集から引いてみよう。「朱雀院の女郎花合の時に、をみなへしといふ五文字を句の首に置きて詠める」とした紀貫之(きのつらゆき)(868

?~945)の作で、

  倉山たちならしく鹿のにけむ秋をる人ぞなき (傍点筆者) 

では、各句頭を平仮名でつづると「をみなへし」となる。右の「かきつばた」「をみなへし」のように、折句中に折り込む語句を歌学用語で「隠句(いんく)」といっている。

折句は平安初期、すでに殿上歌壇に定着し、おりにふれ詠歌に遊び心を託す歌人にもてはやされていた。しかも折句は、言語遊戯を象徴する美的感性をうかがいしのぶことができるため、古来「言葉遊びは折句に始まり折句に終わる」と膾炙(かいしや)されるほど奥の深さをそなえている。

元初、折句の折込み所は句頭と慣習的にほぼ一定していた。それが時とともに、隠しを(くつ)(句尾)に置いたり、あるいは冠と沓の両方にまたげるなど、より複雑な技巧をもつものへと進展していく。

なお、言語遊戯研究家の和田信二郎は、著『巧智文学』において折句を冠折句、沓冠折句、毎句折句、毎句沓冠折句の四種に別している。本コンテンツでは、毎句折句について新たに〈毎句冠折句〉と〈毎句沓折句〉の二種に立て直し、併せて五種に分けてある。

《参考1》

   仮名序               紀貫之筆

やまとうたは、人の心をたねとして、よろずのことの葉とぞなれりける、世中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふ事を、見るものきく物につけて、いひいだせるなり、花になくうぐひす、水にすむかはづの声をきけば、いきとしいけるもの、いづれか歌をよまざりける、ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めにみえぬおに神をも、あはれとおもはせをとこ女のなかをもやはらげ、たけきものゝふの心をもなぐさむるは歌なり、この歌あめつちのひらけはじまりけるときよりいできにけり &『古今和歌集』仮名序文

《参考2》

  再び歌よみにあたふる書  正岡子規

貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候。其貫之や古今集を崇拝するは誠に気の知らぬことなどゝ申すものゝ、実は斯く申す生も数年前迄は古今集崇拝の一人にて候ひしかば今日世人が古今集を崇拝する気味合は能存申候。崇拝して居る間は誠に歌といふものは優美にて古今集は殊に其粋を抜きたる者とのみ存候ひしも、三年の恋一朝(いつてう)にさめて見ればあんな意気地の無い女に今迄ばかされて居つた事かとくやしくも腹立たしく相成候。&『日本新聞』明治三十一年二月十四日

正岡(まさおか)子規(しき)(1867~1902)は俳人・歌人。子規は日本新聞に十回連載の「歌よみに与ふる書」シリーズで、まず近代歌壇の不振を嘆き、次いで古今集と宮廷歌人を徹底的に攻撃した。さらに古今の流れを継ぐ桂園派批判にホコ先を向け、その頂点にあった香川景樹(かげき)を「古今貫之崇拝にて見識の低きことは今更申迄も無之候。俗な歌の多き事は無論に候」と酷評を加えている。浅学の徒が見てもかなり的外れな攻撃だ。歌道における古今集の存在感はいまなお圧巻で、歌人にとって父祖の集であることを多くの歌学者が認めている。景樹にしても、平易に努めた歌風は高く評価され、「海内、翁の門人のあらざる国一つとしてなし」と弟子に言わしめたほど人気があった。子規は万葉集によって歌道に開眼し、写実短歌で独自の作風を築いた。秀歌も多いと思う。が、子規は極論を弄し、自分にそぐわない詠風は敵に廻して独善を誇示している。ホトトギスは何も竹の里だけで啼くわけでないことに気づくべきであった。

 

1 折句系の目録(五十音順)

いろは折句〔狂歌〕    

いろは折句〔鎖連歌〕

いろは折句〔七音句詠〕

いろは折句〔七五連歌〕

いろは折句〔短歌〕

いろは折句〔道歌〕

いろは折句〔都々逸〕

いろは折句〔二十六字歌〕

いろは折句〔俳諧〕

いろは冠飾り

いろは歌留多

いろは借辞

折句

折句〔冠連ね〕

折句判詞

折句文

折込

数取り狂歌

数取り短歌

歌仙貝尽し

郷土かるた

沓冠折句

碁盤歌

借辞

借辞〔狂歌〕

借辞〔俳諧〕

借辞〔和歌〕

借名遊び

双六盤歌

人名歌

風流折句

本歌取り狂歌

本歌取連ね

本歌取連ね 沓冠

毎句冠折句

毎句沓折句

毎句沓冠折句

物名歌

物名狂歌

文句取り

八重襷

木綿襷

 

 

いろは折句〔狂歌〕 いろはおりく/きょうか 

いろは歌の頭一文字を順に用いて狂歌に仕立てた遊び。五七五七七の各句に折り込んで五字とするもの、あるいは一首中に所定の数の文字を折り込むもの、いずれかが一般的である。遊戯性が勝ってしまうため、狂歌として歌体の面白味は薄れてしまう。

栗柯亭(りつかてい)木端(ぼくたん)(17101773)といえば、上方の技巧派狂歌師として一派をなした人物である。元文五(1740)4月、木端は家集の一つ『狂歌ますかがみ』を出した。その集に「伊呂波の文字十つゝ読いれて四十七首」を収め、多芸ぶりを披露している。その一部を紹介してみよう。

【例】                                          栗柯亭木端

いの字十

いさましくはい〳〵〳〵と大ぜいがいふていそ〳〵いさむくにいり

ろの字十

峯のいろはぼろゝ〳〵と山おろしのそろ〳〵吹おろす初冬のころほひ

はの字十

はゝきゞははるかに離れて見ればあれどそばでは其とは形はあらね

にの字十

とにかくにこう和に諸人ににくまれぬ身にはなにはにあしからぬかな

 (中略)

ひの字十

こひ〳〵てひゞに忍びしあひ惚れのおもひかなひてこよひそひふし

もの字十

物もいはぬ桃や李や花の本えもや〳〵来る人道もさりあへぬ

せの字十

かぜまぜにせつ〳〵〳〵とせは〳〵しうひるねをせゝりおこすせみかな

すの字十

秋津州の八隅すみも末〳〵もます〳〵やすく住くらす御代

 

いろは折句〔鎖連歌〕 いろはおりく/くさりれんが 

一座に多人数が列し、五七五および七七の句を連ね詠みしていく文芸形式を「鎖連歌」といっている。五十韻・百韻と続く長連歌で、鎌倉時代には大変な流行をみて、和歌を圧倒するほどであった。

平安末期のこと、この鎖連歌の各(かんむり)にいろは四十七(四十八)文字を定置する「いろは連歌」が現れた。この斬新な趣向に魅せられた人たちは、永万元(1165)年に初めて「いろは連歌会」と名付けた催しを実現した。その後もいくつか座興程度に受け継がれたが、大きな流行をみるには至らない。ただでさえ複雑な仕様で縛られた鎖連歌に、さらにいろは定置という制約が加わり、肝心の中身が薄らいだためである。

【例】

「宝徳三(一四五一)年以呂波百韻」の詠み出し

いを寝ぬや水のもなかの月の秋     御

 ろを押す船の初雁の声           方

はるかなる霧間の山は島に似て     砌

 にはこそ松のかげも深けれ       賢盛

ほりうへし萩一もとや繁るらん     専永

 へだてぬ袖にかぜぞすずしき     日晟

とるほどは夏の扇を手になれて     証

 ちらすは幣かいづる旅人          寛正

りむじにも神まつる日のそのつかひ  経清

 ぬるる榊の霜ぞ八重をく          常喜

るり色の天の香具山みねはれて    親忠

 をる主しらぬ雲の羽衣           寿阿

 (後略)

《参考》

橘 成季

同御時(永万元年)の事にや、いろはの連歌ありけるに、たれとかやが句に、

 うれしかるらん千秋万歳

としたりけるに、此次句にゐもじにてつくべきにて侍る、ゆゝしき難句にて、人々あんじわづらひたりけるに、小侍従つけゝる、

  ゐはこよひあすは子日とかぞへつゝ

家隆卿の家にて、この連歌侍りけるに、

  ぬれにけり塩くむあまのふぢ衣

大進将監貞慶といふさぶらひつけ侍れける、

  るきゆく風にほしてけるかな

人々とよみて、るき行風をわらひければ、さも候はずとよ、ぬもじのつぎはるもじにて候へば、かくつかうまつり候、なにの難か候べきとちんじたりけるに、いよいよわらひけり、小侍従がもどきの句といひつべし 

&『古今著聞集』巻五

 

いろは折句〔七音句詠〕いろはおりく/しちおんくえい 

いろは歌を一文字ずつ各歌の(かんむり)に折り込んだ詠は比較的多いが、なかには変則的折句とした作品もある。例示の「い呂波うた」はその珍例の一つで、いろは歌を七音節ごとに分解し、それらを課題句扱いにして各歌の冠に据えた異色の作である。

【例】

い呂波うた               保科正之(ほしなまさゆき )

 いろはにほへとてもさかりの花のやとしる人まちて春をかたらん

ちりぬるをわかみはかりと思ふかや花のあらしは人ものかれし

よたれそつねなきつねを知らさらんうつる月日に替るおもかけ

らむういのおくの心をわすれすはおさむるみちのおこたりはなし

やまけふこえてつから蕨おるとてもにこれる御代の栗はくらはし

あさきゆめみしはおろかのわさなれはふかき心をまなひしれかし

ゑひもせす京を催すさかもりはこころ有ける人とかはしる

壱弐参肆伍陸漆のころよりも咧玖拾まてまなふいろは字

&家集『土師神公御詠歌集』 

*保科正之(161172)は会津藩主松平家の祖、徳川二代将軍秀忠の庶子。学問を好み、名君の誉れ高かった。

 保科正之像

《参考》      

  筆者未詳京、この一字を置事、ふかき意あり、此表に於て、此字を界畔の字法とす、其意は先字訓について曰、京は師也、聚也といひて、もろ〳〵といふ義、あつまるの意あり、悉曇家には界畔の字法といふ事あり、梵文の法に五十字の声あり、アイウエヲ、カキクケコの類是也、此末にランとキシヤとの字を添たり、畢竟此五十字の声の字を、二字三字とり合せかさねあげて、一字とするやうをしめしたる也、梵家に是を合成と名づく、されば京の字も、此例を以て、キとヤとウとの字を重ねあげて、三字合成の理をあらはしゝは、余のあらゆる事も推尋求めば、およそあらゆる森羅万象も、こと〴〵くこの四十八字の中を出ずして、声を求むべしとの意ばへなり &『いろは伝授』

 

いろは折句〔七五連歌〕  いろはおりく/七五れんが 

いろは四十七文字を冠折句とし七五成句で連詠した体裁のものを〈いろは折句七五連歌〉と称する。道歌や落首を中心に幅広く採用されてきた。

【例】

いろは短歌「浜松の風」(落首)

かに越前よつくきけ

くなはからいせぬゆえに

んかの江戸が行づまり

ん〳〵困窮いか計

ど能事のあらざれば

んぴへん土ニ至る迄

ほふにくるゝ計りなり(後略) 

&『藤岡屋日記』第拾五(天保十四年)

 

いろは折句〔短歌〕 いろはおりく/たんか 

歌俳の(かんむり)((かしら))いろは四十七文字を置いた冠折句を〈いろは折句〉と総称している。この種の作品は「京」字も含めると四十八通りの定数歌と冗長になりがちで、さすがに短歌では数が少ない。これまた定家の詠が傑出している。

なお、いろは折句での代表作品は〈いろは歌留多〉ということになる。ほかに狂歌や川柳などをも含めるとかなりの数の作品が見られ、古くから庶民文芸の人気定番筋であったことがわかる。

【例】

定家のいろは折句四十七首         藤原定家

春十首

くかへりやまも霞みてとしふらん春たつけさのみよしのの原

くやをんてらす朝日に雪消えて春の光もまづや道びく

つねなけいまは鶯谷の戸をとぢたる雪のふるすなりとも

ごり江におふるまこもをあさるとてかげにもこまのはなれぬるかな

しの影のにしにめぐるもをしまれて明けなんとする春のよの空

りもいともたえたるみすのひまもみな花にうづめる古郷の春

りのねも花のかおりも春ながらながめはれせぬよもぎふの宿

ぎらねど人のまたるる夕かな猶花のこるけふのたのみに

ちのうたにことのねあへる夕まぐれかたいとなびく庭の青柳

ま水のあたりもにほふかきつばたけふのみ春とみてや帰らん

 (夏十首、秋十首、冬十首、る~め中略)

恋七首

ちのくのしのぶもぢずりみだれつつ色にを恋ひんおもひそめてき

たにのみ恋ひてはさらにやましろのみづののまこもかりねなりとも

るくしのさしてもなれぬ名ごりゆゑとよのあかりのかげぞこひしき

きすゑてわがてなれこしあづさ弓かへりて人をこひむとや見し

りぬべし涙せきあへぬ床のうえにたえず物思ふ人のなげきは

をはやみ岩きる浪のよとともに玉ちるばかりくだけてぞふる

ぎてゆく月日もつらし人しれずたのめしままの中の契は

&家集『拾遺愚草員外』

 

いろは折句〔道歌〕いろはおりく/どうか 

昔、心学者といわれた人たちは形式好みの人が多かったようで、この〈いろは折句道歌〉や〈道歌七度返し〉のような規範的作品を数多手がけている。庶民趣向にのせた垂訓が目立つが、作品自体は未熟さが拭いきれない。弄辞技や言葉遊びの面白さという点では、狂歌や落首のほうが格段に勝っている。

【例】

心学いろは歌              作者未詳

 いつまでも貯えおけよいろは歌読む度ごとに身のほどを知る

櫓も櫂も舟に浮世の世渡りを渡りかねたる身とぞ願わん

働いて金を儲けて蔵を立て人もうらやむ身とぞ願わん

憎からぬ我が子叱るは長命の薬与える親の慈悲かな

誉められて我かしこしと思うなよ誠に誉める人は少なし

平生の身持ち放埓なる人は親の家督をついに失う

とにかくに親は生きたる神仏不孝にすれば罰は目の前

散る花を景色よしとて楽しむや我が身の散るを知らぬはかなさ

立身をするとも身をば高ぶるな落ちたるときに人ぞ笑わん

盗みする人は難儀が重なれど取らるる人の家は繁昌

*後略、現代表記に改変。以上は伝承のもので、とくに出典はない。この手のものは、近代から昭和にかけカレンダーや節用集・日記帳などに収載された。

世直シいろは歌           佐田介石

い、古の錦着る身が今は早、牛売る店の鍋の火をたく

ろ、論よりも証拠は国の衰へよ、どの町見ても続く売家

は、流行とはいへど余り情なし、舶来物にこふ迷ふとは

に、人情も義理も構はぬ世になッた、兄弟中に嘘の出合

ほ、骨折りて会社商店を結ぶのは、多くの人を倒す近道

へ、ぺろ〳〵と夷国語で経済を論じて、我が身立てかねる人

と、土地気候替る国柄弁へず、舶来植木栽ゑ枯す人(後略)

&『栽培経済問答新誌』明治十五年五月・附号 

*佐田介石は徹底した外国排他主義者で知られ、開化に伴う西欧文物の移入を攻撃し続けたことで有名である。

 『栽培経済問答新誌』見開き

 

いろは折句〔都々逸〕 いろはおりく/どどいつ 

近世・近代の粋な先人達は、都々逸一節にも遊び心を巧みに託している。〈いろは都々逸〉もそのうちの一つ。

四十八文字の連作となるが、終盤での筆疲れが目立ち、観賞価値のある作という点ではいかがなものか。

【例】

近代都々逸より

 云へばぢれるし言わねば募るどこが異見の仕どこやら

廊下伝いに人目を忍び違ひにこゝろを奥座敷

羽織着たままツイ転び寝のしはが悋気の種となる

憎い中には気休めいふてだます気丈が実らしい

&以上『日本近代歌謡史』下 

 

いろは折句〔二十六字歌〕 いろはおりく/二十六じうた 

七七七五詠の変則的歌体の歌集がある。高名な心学者、手島(てじま)()(あん)(1718~86)は、この二十六音字異体歌のいろは冠折句による庶民啓蒙用冊子を出している。

ちなみに後世現れる都々逸も二十六音字だが、本作はそれ以前のもので、風と内容はまったく別ものである。

【例】                                           手島堵庵

 意地が悪うは生れはつかぬ直が元来生まれつき

碌な心を思案で曲げるまげねば曲がらぬわが心

恥を知れかし恥をば知らにや恥のかきあきするものじや

憎む筈なは不忠と不孝ほかは憎もうようがない

欲しや惜しやの思案は鬼よ楽な心を苦しめる

へちた事には善事ないぞ知れた通が皆よいぞ

兎にも角にも親孝行と主へ忠義を忘れやんな

近い親子にむごいを見ればあかの他人はおそろしや

利口ぶるのは大方阿呆しれた通でよいことを 

ぬかるまいぞや思案の鬼がといと地獄へ連れてゆく

留守といわれぬおのれが心よいも悪いも覚えあり

男女の行儀が大事あく性者めは人の肩 (後略、現代表記に変更) &『いろは教訓歌』

 

いろは折句〔俳諧〕いろはおりく/はいかい 

俳諧のいろは折句は和歌に比べずっと数が少なく、希少価値がある。いろは折句の連歌で失敗を喫した先人の(てつ)を踏まないためであろう。それかあらぬか句体のほうも、正規をちょっとズラしてはみ出し気味のものとなりがちである。

趣向の変わったところでは例示の作品がある。俳人の各務(かがみ)支考(しこう)(16651731)が古武士を材に吟じた歌留多形式の滑稽句集である。

 「支考肖像真蹟」渡辺崋山画〔早稲田大学図書館蔵〕

【例】

伊呂波武者                    支考

い 異見には清盛しぼむ牡丹哉

ろ 六弥太が目にしむ梅の匂哉 

は 橋桁や一来法師飛燕 

に 似たものか弁慶ならば烏瓜 

ほ 北条は人を酔はすや初鰹 

へ 屁こき虫啼くや夜寒の大藤内

と 時宗が(かみ)()(うち)や鳴千鳥

ち 散り際の花は汚し平家武者

り 理屈いふ青砥が瀬戸の穂蓼哉

ぬ 塗笠や巴山吹藤の花

る 瑠璃頬赤啼くやこれらは常盤腹

を 恩賞の青田珍し佐々木殿 (後略)

&自家句集『蓮二吟集』

 

いろは冠飾り  いろはかむりかざり 

韻文の各詞章の(かむり)((かしら))にいろは四十七音字を仮名読みで一字ずつ置き、全体を意味の通じる作品に仕立てる文芸がある。とくに決まった呼称はないが、仮に〈いろは冠飾り〉と名付けておく。たいていの作品は漫文調の時局批判ものに落ち着く。

なお、この手法の応用で「五十音冠飾り」も成り立つ。

【例】

下戸から上戸へ          北尾政美画文

いかに江戸衆聞きたまへ 論は無益のことながら 早くも合点いたされよ 苦々しきは酒の癖 本性までもとりちがへ、平生よろしき人柄も とほうを忘れて酔ひ狂ひ 知恵分別もかき曇り 利発な人も疎くなり 抜き身騒ぎの危なさよ 類を集めて日を暮らし おさへつさいつ夜をあ明かし (中略)あさましからしていたらく 酒さへ見ればよねんなく きたなむさやと人々に (ゆび)差し(そし)り憎まれて 身は内損し病つき 死ぬ時後悔したとても 益は少しもなかりけり 貧乏するもこれゆへと もはやこれより禁酒して 誓文立てて盃を すきと手にもとるまいと 向後つつしみ思ふべし &『上戸下戸いろは短歌』

京風いろは短歌稿         大田南畝

今ぞしる花の都の人心 ろくなるものはさらになし はらは茶粥の豆のかて にても似つかぬうらおもて ほしがるものはぜにとかね へつらひいふて世をわたり となり近所もうとましく ちかしき中をへだてつゝ りつはをかざるわる見へに ぬつたりはげたりしら〴〵し るいに集るばかものゝ をしいほしいの他はなし (中略) あさからわりこかつぎ出し さじきの上のにぎりめし きらをかざれる其妻の ゆもじは半分さらし也 めに見るものは何事も みみにきいたと大ちがい しらぬ京ものかたりをば ゑどにくらべてうつくしく ひとにかたろとおもへども もつての他にけちくさし せちくるしさがけたい也 住めば都と申せども 京にはあきはて申候

    右、はへぬきの花の江戸ッ子五七、

    小べんくさき京都の旅館に戯述。 

&『半日閑話』巻一

 太田南畝像

 

いろは歌留多 いろはかるた 

〈いろは歌留多〉は流布伝承作が中心で、江戸初期に発表されたものは、教訓用具として全国的に普及した。遊具であると同時に、文字の手習い用に重宝な存在であった。「江戸」と「上方」とでは、それぞれ文言が異なり、またおびただしい数の亜流作も生み出されている。

〔江戸〕           

 犬も歩けば棒に当たる   

 論より証拠                  

 花より団子                  

 憎まれっ子世にはばかる  

 骨折り損のくたびれもうけ

  (後略) 

〔上方〕

 一寸先は闇

 論語読みの論語知らず

 針穴から天井覗く

 二階から目薬

 仏の顔も三度 

(後略)

歌留多はいろは四十八文字を頭字にした文言(もんごん)(ふだ)と、各対応内容を描いた()(とき)(ふだ)の九六枚セット(坊主札を入れたものもある)で売り出された。

言葉遊びの分野でも、この全国版〈いろは歌留多〉にならい、個人などの創作になる私家版歌留多作りが盛んになった。実際に自己流で歌留多作りをしてみると、これが存外に愉しく創作意欲を刺激してくれる。ただし、週刊誌などに見る現代作品は、とかく時局物にたよりがちで視野が狭く評価が下がる。

【例】

江戸初期の創作歌留多        近藤清春画文

いかな日も人におくれて朝寝して ろくな心は持ちもせで 腹立さうな顔をして につこと笑ひしこともなく 頬は高くて鼻低く へらりへらりと口をきき とほうはなくて物忘れ 智恵は浅くて 利口ぶり 縫ひ針わざは知りもせで 留守にもなれば昼寝して 男、若い衆相手とし(後略、全漢字振り仮名付きも省略 &『いろはたんか』加賀文庫蔵本

改定いろは歌留多

ぬも歩けば草疲(くたび)れる。んより喧嘩。なと団子。くまれつ児よくもてる。ね折り損のうらまれ通し。をひつて失恋。しよりのはなみづ。ちりも積つてごみとなる。すびとの昼稼ぎ。りもはりもなんにも無し。いては子にたかる。…… &『新青年』昭和十年一月号コラム「阿呆宮」

いろは「祭り」歌留多       荻生作

さみはだにタトー

んより御神酒(おみき)

 はなもゆかたの夏祭り

くまれっ子もお化粧

れた担いだ酔った

っぴり腰でワッショイ

おくにひびくピイヒャラ

りもやがて花吹雪

くつは通しゃせぬ

ぎっぷりの女丈夫

りもはりも山車(だし)飾り

とこ一匹むらがる女

*出来たての創作いろは歌留多である。この例のように、あらかじめテーマを決めそれに沿った内容のものに仕立てるとまとまりがよくなる。自家用として孫子の代まで末長く使ってもらうには、なるべく一過性の時事主題はさけて、超時代的な視点で作るべきである。

 かるたとり〔東京風俗志〕

 

いろは借辞 いろはしゃくじ 

〈いろは歌〉の一部を切り取って自作の文章に挿入するテクニックをいう。狂言や歌謡詞に多く見られる。言葉自体に伝達性はなく、単に文脈または韻律を整えるため形式的に用いる文彩上の言辞調節でしかない。ただ、〈秀句〉や〈洒落〉を生み出す母体となった点は見逃せない効用である。

【例】

浄瑠璃より            近松門左衛門

旦那にさら〳〵恨みはなし。十一歳の弥生の花、いろはとも、ちりぬるとも。知らぬ者の、これほどまで。算勘、商ひ、読み書きの。硯の海より、山よりも。まさつたる御高恩、(こぶし)一つ当らぬ身が。いかがなる月日か、今日の今日、主従の縁切るゝ。

&『五十年忌歌念仏』

*浄瑠璃文にはこうした無駄言葉による修飾が際立って目に付く。

はるのかな         吉村検校詞

♪はなのまぎれにかりそめの「いろはにほへどちりぬるを、うきなもらすなゆふがすみ、わがよたれぞつねならん、こゝろのしりをつゆふかき「うゐのおくやまけふこえて、まよふならいのおもひねに、あさきゆめみしゑひもせず「けふこゝのへにとへもゝへ、ちよもまんよもつきせじ。&『新大成糸のしらべ』(享和元年)

*いろは七五句と創作七五句を交互に織り込んでの構成。ひらがな書きでこそ味の出る詞態で、これを漢字混じりに改変した文献もあるが、それでは味気なさすぎる。

 

折句 おりく 

折句そのものの解説については巻頭の「折句系」を参照されたい。

 

折句〔冠連ね〕 おりく/かむりつらね 

折り込むべきある句(隠句)を一文字ずつ、各歌俳の(かんむり)((かしら))に配置した体のものを〈折句 冠連ね〉という。単に〈冠折句〉とも。

和歌の場合、隠句の仮名文字数が三文字なら三首、五文字なら五首を連ねるのが普通である。つまり冠折句と称する以上、必ず連ね詠の形をとる。

通常の折句という場合は、後の〈毎句冠折句〉となり形態が大きく異なるので、呼び方に注意が必要。冠連ねは折句中最も簡明かつ普遍性があるため作品数も目立って多い。

逸話を一つ。藤原定家(11621241)はあるとき冠折句に遊び、いくつもの隠句をもって春・夏・秋・冬から恋・雑にわたる部立をなし、計百首を一日足らずで詠んだ。これを耳にした慈円(11551225)はその翌日、例示の「あさかすみ」以下の百首を詠じ定家に対した。しかもこちらは所要わずかに三時間余りとか。ご覧のように、抄出歌は拙速にあらず。古人の詠歌力の程をまざまざと見せつけている。

 僧 慈円

【例】

賦百字百首うち「あさかすみ」  慈 円

さ緑春の霞は()ふ坂の関()よりこそたちはじめけれ

もこそは春になりぬと()(がほ)(かすみ)の衣()ぬ山ぞなき

すみしく(はる)()原の(あけぼの)にあはれは秋の夕べのみかは

()河みやこの(かた)(なが)むれば鳥もいづくは(かすみ)のみして

(わた)せば汐路を越ゆる霞かな浪と松との(おと)ばかりして

 &家集『拾玉集』

百首連歌うち「南無不動明王」 多々良政弘

*作者は伝未詳も、明応四(1495)年九月に病没、そのさい南無不動明王・釈迦牟尼仏・文殊師利菩薩など十三仏の名を冠した百句連歌を吟じ辞世とた。

が月もかひなき秋の別かな

しの音かれて寒き夕暮

く風に尾花も袖やしぼるらむ

ころ定めぬ野辺のかりふし

き物と云ひしぞまこと旅の道

やこに住まばあはれ知らめや

ま水にひとりのをしの声聞きて

すき氷の結ぶ岩が根

づかなる舟さし下す河風に

き雲まよひあめかゝる空

歌会始における冠折句「明治四十二年」

*文部省官吏だった和田信二郎は、明治四十二(1909)年にちなみ、古歌から賀歌のみを選んで左記の撰を発表し

 た。この年は酉年で勅題は「雪中松」、これを承り鳥・雪・松いずれかが詠題である歌を撰の対象としてい

 る。

藤原保季

ぬれと浪は許さす清見潟関路は鳥の音まてと思ふに

源 氏経

まれる時をそ告くる我か君の代に逢ふ坂の関の鳥の音

讃 岐

方の海は浪静かにて住吉の松吹く風の音のみそする

宗良親王

かへりの千歳ややとに積るらむ松も花咲く庭の白雪

一条院

葉より松の齢を思ふには今日そ千歳の始めとは見る

藤原道家

さむき松の心もあらはれて花咲く色を見する雪かな

&『巧智文学』

 

折句判詞 おりくはんし 

承久の乱で隠岐へ配流され彼地で崩じた悲劇の上皇後鳥羽院(11801239)は、歌道に(ひい)、『新古今和歌集』を勅命したことでも知られている。同上皇が今上時代、折句の(たえ)に深い関心を寄せていたことは、和歌史上空前の規模の「千五百番歌合」からもうかがえる。この歌合では三十人の詠者が百首ずつ、合わせて三千首を千五百に(つが)えて勝敗を競った。当然、判者も二人や三人では手が回らず、天皇を長に十人が判定に列している。

 判者となった天皇は、受け持った百五十番について結果の根拠を示す判詞を並みの言葉ではなく、すべて折句に詠み込むという離れ業をやってのけた。そのうち何首か判詞歌を挙げてみよう。傍線は筆者が付した。

せばやなみを待つ世のべの露にくれまく惜しくる小萩かな(みきのかち=右の勝、六〇一番)

の常にゝも慣れにしぜの音もにしむ暮のりぎりすかな(よきかみき=良きが右、六一〇番)

ぜ下す治の里人ね止めてみに澄む月ばしかも見む(せうふなし=勝負なし、六四五番)

度うつ路の里のよ衣びねの夢にすぼぼれつつ(ちとさたむ=持と定む、引き分け、六七二番)

かの辺やらの落葉にぐれ降りのぼの出づるほ山の月(をなしほと=同じ程、六九四番)

 

折句文 おりくぶん 

折句の対象が歌俳でなく、文章に向けたものを〈折句文〉と称して区別している(現代文の場合はアクロスティック系となる)

古典には適した作例が少ないので、一例だけ掲げ注釈を加えておく。

【例】

瓦版の人かつぎ記事

 度新吉原江戸町一丁目

 尾張屋彦三郎かかへ遊女

 の井と申す者三つ子をうみ

 を町奉行所へ訴へ出候得

 珍しき事に思召し候早々

 届させ身もと御ただしの上

 を一郎二郎三郎と御付被下

 ぶ着一重づつ被下置以後

 まつこれなき様大切にそ

 て可申様に御被仰渡候 

*『娯楽の江戸』うち「嘘月爺二郎のモデル」

掲出の一文は嘉永二(1849)年五月に出た江戸瓦版の記事。吉原の遊女が三つ子を出産したと、もっともらしく書いてある。ただでさえ遊女が子を産むなど珍しいのに、三つ児出産とあってはニュースバリューが高まり、江戸っ子の話題をさらうのは当然のこと。ところが記事のわきに小さな文字で、「頭字ばかり読むべし」と注意書きが添えてある。なるほど、「いまのはなしはみなうそだ」か。読者はここで、〈折句文〉 をうっかり見逃しひっかけられたことに気づく。こんな他愛のないいたずらも、熊八連は「してやられた、ハハハ」と愉しんだようである。

 

折込 おりこみ 

固有名詞または一般名詞を歌俳中にそのままの形で折り込んで、意味の通る体にする技法を〈折込〉という。

和歌の場合、『万葉集』巻十六に原初的な折込が何首か収められている。いずれも無秩序な折込であり、明らかに奇を(てら)ったものといわざるを得ない。しかし、こうした折込が肥料となって、平安時代に入ると技巧的な〈物名歌〉が芽生えていく。

 萬葉集(金澤本)

また厳密にいえば、「枕詞(まくらことば)」や「名所(などころ)」も折込の一形態であるが、汎用化しすぎて言葉遊びとしての魅力に欠ける。

折込は言語遊戯中でも最も単純な形態に属するだけに、普通は〈縁語〉関係にある複数の語句を折り込むとか、〈畳語〉仕立にするなど、技巧を高度化して用いる。用法で冒険のできる狂歌や落首に目立つ。

【例】

万葉集より三首

                 以下長忌(ながのいみ)()()()麿(まろ)

一二(いちに)の目のみにはあらず五六三四(ごろくさむし)さへありけり双六の(さへ)

▽香塗れる塔になよりそ(かは)(くま)(くそ)(ふな)()めるいたき()(やつこ )

 *川隈=川に差し架けた厠。

(ひし)(おす)蒜搗(ひるつ)()てて鯛願ふ我にな見えそ

 水葱(なぎ)(あつもの)

 &以上『万葉集』巻十六

狂歌より三首

    弁慶石        盤斎法師

▽やせ法師弁慶石にせいひくしみこし入道

 らべさせばや &『万載狂歌集』巻十四 

*傍線は荻生、折込詞の縁語。

  隅田川                  古せかつを

▽すみだ川こきゆく舟の名をとはゞ梅若

丸といふべかりけり &『万載狂歌集』巻十四

    淡雪豆腐        足曳山町

▽俤はなら茶にのこるあは雪の豆腐も口に消やすくして 

&以上『狂言鴬蛙集』巻十六 

*この程度の詞崩しは許容範囲内である。

畳語仕立折込

   「腹」の談合                        荻生作 

▽腹黒い腹積りして腹合わせ腹鼓打つ腹の曲

数の縁語入り

   一円玉                         荻生作 

▽十キロも一円玉を貯めこんで通帳見たらたった一万

 *一円玉一枚は約一グラム。

 

数取り狂歌 かずとりきょうか 

一群の狂歌の各(かんむり)((かしら))に数詞を置いて順に詠じるものを〈数え狂歌〉と称する。

数え狂歌は少なくない。近代、例えば節用集などにもしきりに載せられた。和歌ほど品格云々を問題にしなくてすみ、むしろ修辞上の〈漸増法〉などの効果が上がるため、好んで用いられる傾向にある。

【例】

下戸が詠んだ狂歌                   沸 斎

 一と飲むむだ人だにあるを杯の作法も知らぬ下戸のつたなさ

二間(にんげん)に酒の飲まれぬいはれなし神酒を嫌へる神のなければ

三三の九度の固めの始りは神代も今も酒にこそあれ

四海波目出度しなどと歌ヘども不吉に見ゆる下戸の顔付

五節句は尚あつさりと飲むうちに青くしぼめる下戸のはかなさ 

*後略。作者は未詳。これらの歌は昔の酒屋の贈答用日暦(ひめくり)などに載せられていたことから、上戸が下戸に仮託して詠じたものであろう。

 

数取り短歌 かずとりたんか 

何首か連詠短歌の各(かんむり)((かしら))に、一・二・三…にかかわる数詞を置いたものを〈数え和歌〉と称しておく。ただし、この用語はまだ慣用に至っていない。これを「数え歌」とすると歌謡詞のそれと混同するおそれがあるので、表記上は使い分けたい。

数え和歌では、例示の藤原良経(11691206)の作が比較的知られている。なお、道歌や狂歌ではこうした定数歌類の作品が目立つ。

【例】

一二三句のかみにすゑて…         藤原良経

 一むらのむかしの(すすき)思ひいでてしげき野分くる秋の夕暮

二もとの杉のこずえは初しぐれふる河のべに色もかはらず

三日月の有明の空にかはるまで槙の戸ささぬ秋の夜なよな

四方(よも)の海風静かなる波の上にくもりなき夜の月を見るかな

五月山ともしにもれしさを鹿の秋は思ひに身をしをるらむ

六月の空に厭ひしうつせみのいまは秋なる()をや鳴くらむ

七夕の秋の七日に知られにき忍びかぬべき空のけしきは

八重しげるる(むぐら)(かど)に夕霧のかさねてとづる秋の山里

九重や長き夜すがらもる水の音さへ寒き庭の初霜

十かへりの花咲く松も朽ちにけり槿(あさがほ)のみやはかなかるべき

&家集『秋篠月清集』

 

酒徳の歌                          細川幽斎

 一切のその味ひをわけぬれは酒をは不死の薬とそいふ

二くさをもわすれて人に近づくは酒にましたる(なかだち)はなし

三宝の慈悲よりおこる酒なれは猶も貴く思ひのむへし

四らすして上戸を笑ふ下戸はたゝ酒酔よりもおかしかりけり

五戒とて酒をきらふもいはれあり酔狂するによりてなりけり

六根の罪をもとかもわするゝは酒にましたる極楽はなし

七なとをおきて飲むこそ無用なれ人のくれたる酒ないとひそ

八相の慈悲よりおこる酒なれは酒にましたる徳方はなし

九れすして上戸をわらふ下戸はたゝ酒を惜しむかひけう成けり

十善の王位も我ももろともにおもふも酒の威徳なりけり

百まてもなからふ我身いつもたゝ酒のみてこそ楽をする人

千秋や万歳なとゝ祝へとも酒なき時はさひしかりけり

&(しゆう)妙集(みようしゆう)』寛文十一年跋 

*『続江戸砂子』にも「玄旨法印酒の徳をよまれし歌」と題し所収。

 道命の懸想歌

和泉式部(いずみしきぶ)(平安中期の女流文学者)といえば三十六歌仙の一人、じつは母子相姦という運命にもてあそばれた人、との伝説がある。道明、じつは式部が若くして産んだ息子は、十八歳の時、宮中の女房である母親に実母とは知らず一目惚れしてしまう。思いは募り、とうとう都へ上り柑子(こうじ)売りに身をやつして近づく。くだんの人の部屋から出てきた婢に、柑子代二十文の銭数えにのせ、恋慕の心を二十首に託して贈った。御伽草子の話だから半分に聞いておこう。

(ひとつ)とや、ひとりまろ寝の草枕たもと絞らぬ暁もなし

(ふたつ)とや、ふたへ屏風のうちに寝て恋しき人をいつか見るべき

(みつ)とかや、見ても心の(なぐさ)までなどうき人の恋しかるらん

(よつ)とかや、夜深に君を思ふらん枕かたしく袖ぞ露けき

(いつつ)とや、今や〳〵と待つ程に身をかげろふになすぞ悲しき

(むつ)とかや、むかひの野辺にすむ鹿もつま故にこそなき明しけれ

(ななつ)とや、なき名の立つもつらからじ君故流すわが名なりけり

 (中略)

十八や、はづかしながらいふことを心強くもあはぬ君かな

十九とや、くるし夜毎に待ちかねて袖いたづらにくちやはてまし

二十とや、にくしと人の思ふらんわれならぬ身を人の恋ふれば

&『御伽草子』うち「和泉式部」

 

歌仙貝尽し かせんかいづくし 

寛延二(1749)年、大枝(りゆう)(ほう)は『貝尽浦の錦』上下巻を編じた。流芳といえば大枝流香道の祖として知られ、この風流人は貝合せにも造詣が深く、それに必要な貝の知識を集成した本を書いた。二巻とも図鑑入り、さしずめ貝の博物誌といったところ。

その下巻には「歌仙貝三十六種歌」が前・後両集に収められ、〈歌仙貝尽し〉の別称で呼ばれている。上下各貝の名を詠み込んだ古歌が二首ずつ、(つが)えて十八番まで三十六歌仙にまとめられている。前後の集を比べると、後集のほうがよくまとまっているので、そのう

ち六番まで十二首を紹介する。

なお両選集とも撰者は流芳自身でなく別人らしいが、誰の撰かは定かでない。

            すだれ貝     左一

浪かゝる吹上のはまのすだれ貝風をぞおろすいそぎ拾はん(西行、山家集)

わすれ貝     右一

三つのはま磯こす波の忘れ貝わすれず見する松がねの夢(順徳院、夫木集)

梅の花貝     左二

春風に波やおりけんみちのくのまがきが島の梅のはな貝(俊頼、新後拾)

花 貝      右二

枝ながらうづまく波のおらねばやちり〳〵よする千代の花貝(夫木)

桜 貝      左三

伊勢の海浪の玉よる桜貝かひある浦のはるのいろかな(定家建保百首)

ますほ貝     右三

しほそむるますふの小貝ひろふとて色の浜とはいふにやあらん(夫木)

錦 貝      左四

   こきまぜに色をつくしてよる貝はにしきの浦とみゆるなりけり(三条院御製)

色 貝      右四

  いろ〳〵の貝ありてこそ拾われめちくさの浜のあまのまにまに(名所記)

ほらの貝     左五

山ふしのほら吹みねの夕暮にそこともしらぬ春の上風(寂蓮)

都 貝      右五

ともすれば恋しきかたの名におへるみやこ貝をぞ先拾ひぬる(夫木)

うら打貝     左六

田鶴さはぐ芦のもと葉をかきわけて浦うつ貝をひろひつるかな

さたへ貝     右六

さたへすむ瀬戸の岩つぼもとめ出ていそしきあまのけしきなる哉

&『貝尽浦の錦』下、歌仙貝三十六種歌後集

 後歌仙貝之図〔貝尽し浦の錦〕

 

郷土かるた きようどかるた 

終戦後に各地で作られた地方版の〈いろは歌留多〉。全国でほぼ二十以上の都道府県で作られ、御当地PRに一役買っている。

埼玉県の「さいたま郷土かるた」、石川県の「かがのとかるた」、千葉県の「房総子どもかるた」などが有名であるが、なかでも群馬県の「上毛かるた」はそれらの嚆矢であり、古典歌留多の形式を踏襲した本格的な作として注目されている。

【例】

上毛かるた読み札(群馬県、昭和二十二年「上毛新聞社」県民公募作品)

 上毛かるた表紙

  伊香保温泉 日本の名湯

  老農 船津伝次平

は 花山公園 つゝじの名所

に 日本で最初の 富岡製糸

ほ 誇る文豪 田山花袋

へ 平和の使徒 新島襄

と 利根は 坂東一の川

ち 力あわせる 二百万

り 理想の電化に 電源群馬

ぬ 沼田城下の 塩原太助

る ループで名高い 清水トンネル

わ 和算の大家 関 孝和(後略、全作振り仮名付き)

 

沓冠折句 くつかんむりおりく 

折り込む語句(隠句)を各歌俳の(かんむり)((かしら))および(くつ)()に配置したものを〈沓冠折句〉略して〈沓冠〉とも称する。本来なら順読みで「冠沓」と称すべきところだが、語呂の良さからだろう、倒置語で呼ぶ慣わしになっている。

沓冠には二種別がある。一つは本項の沓冠折句で、隠句を何首かにまたがって沓冠付けする。あと一つは〈毎句沓冠折句〉で、一首を構成する五七五七七の各句ごとに沓冠付けする。沓冠折句は〈冠折句〉に比べると作品数が大幅に少ない。それだけ創作難度が高いためである。

【例】 

あめつちほしそら            (みなもとの) (したごう  

 )らさじとうちかへすらし小山田の苗代水にぬれてつくる

もはるに雪間も青くなりにけり今こそ野辺の若菜摘みて

くば山咲ける桜の匂ひをばいりて折らねどよそながら見

ぐさにもほころぶ花の錦かないづら青柳ぬひし糸す

の〴〵と明日の浜を見渡せば春の波わけ出づる舟の 

づくさへ梅の花笠しるきかな雨にぬれしときてやかくれ

らさむみむすびし氷打とけて今や行くらむ春のたのみ

にも枯れ菊も枯れにし冬の野のもえにけるかな小山田のは

&『順集』春  *太字は筆者。

 桜町上皇崩御に追悼「南無阿弥陀仏」         冷泉為村

げきあまりたゞこのたびのくりことにとなふる御名は南無阿弥陀仏

らさきのくものおましにうつりますしるべたゞしき南無阿弥陀仏

りあけのつきもかゞやくにしの空あまねくてらす南無阿弥陀仏

ゆきしてやすくたのしむくにぞとはきみこそしらめ南無阿弥陀仏

のみこしめぐみおもへば須弥のやまたかくぞあふぐ南無阿弥陀仏

してねがひおきてねがふもわがきみをおもふにはあらで南無阿弥陀仏

&『冷泉為村卿和歌』鷹見保具編

*太字は筆者。右作品は六字声明をそっくり借辞してあり、変則にすぎ厳密には沓冠折句とはいいかねる。冠

 折句+声明入りの折衷歌といったところである。

「らりるれろ」沓冠      よみ人しらず

ちの内にくらぶる駒のかちまけはのれるをのこのふちのうちか

んどふの花をたむくるぎぼうしの経よむ声はたうとかりけ

りの色にさける槿露をきてはかなき程ぞ思ひしらる

いの又空だのめする人ゆへに心つくしてまたれこそす

かいたて湊もしらぬ夕闇に船こぎ出す夜半の月じ

&『悦目抄』

*出典で「よみ人しらず」に仮託し詠じた藤原俊基は、このラ行沓冠折句が余人には容易に作れるものでなく真似される(類詠の意)心配はなかろう、と述べている。

 

碁盤歌 ごばんうた 

図形化歌集〈双六盤歌〉の創作で自信を深めた歌人の源(したごう)は、さらに複雑かつ精緻な〈碁盤歌〉に挑戦、その芸術的ですらある図形詩を発表した。ここで「碁盤」と称してはいるが、あくまでも一見した表現であって、縦横六列ずつ計三六の枡目は、正確には碁盤のそれでないのは明らかである。

まず枡の枠組みに十四首が使われている。その枡目ごと中に一首ずつ、計三十六種が互い違い斜め方向に配置されている。実に緻密な構成であるといえよう。しかしながらこの碁盤歌は近代まで、単に三十六の目のみで構成されている、という単純な見解がとられてきた。

【例】

活字化前の碁盤歌

 活字に変換した源順の碁盤歌

 ところが言語遊戯研究家で歌人の塚本邦雄は著『ことば遊び悦覧記』において、この碁盤歌はそれほど単純な作品ではないと、次の三点を指摘している。

㈠ 縦横七本の線の交差からは、三六の「目」である以前に、九個の「田」の字が隠されている。

㈡ 枡目の中の各歌は、ただ漫然と(はす)いに置かれたわけではなく、じつは「米」の字の図形化である。

㈢ 太枠を形成する四首ならびに井桁の縦五首、横五首の十首を一読すれば、それらが田歌であることが判明する。

 さらに、次の八首を例に引き、自説の裏付けとしている。

 ▽田の水の深からずのみ見ゆるかな人の心の浅くなるさま

()き返し去年(こぞ)の苗代今年見て作りまつらん(いも)が新小田

▽播かせてし種も生ひねば春の田の返す返すもうきがわが身を

▽数ならぬ身を卯の花の咲きみだれものをぞ思ふ夏の夕暮

▽野辺毎に籍ける夏草深くこそ契りおきしか千歳かれじと

▽ふりがたき心の常に恋しきをかりにも人の見ぬはかなしな

▽折々に匂ふたくへの梅なれば悔しめど甲斐なき花の匂ひや

▽宿ながら思ひこそやれしまく田を妹が作るは数はいくいた

 以上について、出典では十分に納得のいく詳しい説明がなされているので、必要に応じ参照していただきたい。

 

借辞 しゃくじ 

詞章中によく知られた文言・字句を取り込んで意味を整える技術を広く〈借辞〉という。普通は地の文にそれとなく挿入し、別に〈文句取り〉ともいっている。

借辞はもともと文彩(修辞)用語であるが、今ではかなり一般化し、系統別用例もおびただしく多い。これの生かし方一つで面白い作品に仕上がる。

「文句取り」が膨らむと「引用」となり、さらにエスカレートすると「盗用」の疑

をかけられる 

【例】

狂歌文句取り「酒楼」     川井景一誹人の句に曰く、鵑声(ほととぎす)を自由自在に聴く家は、酒肆(さかや)へ三里、腐店(とうふや)へ二里。這れは是れ辺陬究郷(やまさとかたいなか)の景状を云ふ。維新以来人民大に開け、原野盛んに墾す。方今は田舎間と雖ども、此の如き甚しき有ること鮮し。&『横浜新誌』 

*有名狂歌を文句取りした上での改変)

広告文にみる借辞

▽格言「百聞は一見にしかず」の英文

 To see is to believeだ。/日本宝くじ協会の団体広告キャッチ &『ブルータス』1992年八月十五日号

方言による証言広告

▽信用でけへん広告は、なくさなあかん。そのためにJAROがあるんやから… 上沼恵美子/日本広告審査機構の団体広告キャッチ &『女性自身』1997年十月二八日号

時事用語「温暖化」の借辞

▽冷蔵庫の名にかけて、温暖化は許しません。/東芝ノンフロン the鮮蔵庫広告キャッチ &『朝日新聞』2003年十二月七日

 長夜墨水観月〔『風俗画報』明治二十七年七月臨時増刊号「江戸歳時記」〕

 

借辞〔狂歌〕 しゃくじ/きょうか 

狂歌も和歌同様に、借辞では本歌取りが軸になる。用例はおびただしく多い。

ただし、鑑賞者が和歌についての素養がないと、借辞(本歌取り)なのかどうか判定しずらいのが難点である。

【例】

漢詩句「春宵一刻値千金」                             一之(いつし) 

春の日のくれかねるこそ道理なれ月しろものゝあたへ千金 &『万載狂歌集』巻二

俗称「真乳山歓喜天」                                   あけら菅江

わに口をならせはまつち山彦にこたへてひゝくくはん〳〵き天 

&『万載狂歌集』巻十六

*歓喜天は江戸浅草観音北の聖天宮をさし、夫婦和合のご本尊となっている。

 

借辞〔俳諧〕 しゃくじ/はいかい 

およそ借辞形式の和歌・狂歌では〈本歌取〉が中心であるが、俳諧の場合はいくつか他の文芸領域から借辞した作品が目立つ。

貞門の雄であった松江重頼(16021680)が編んだ貞門俳諧の宝典『毛吹草』七巻のうち第一巻には、それら初期の分野別借辞句がきちんと整理された形で収められていて参考になる。

【例】

&以下すべて『毛吹草』第一巻より

詩之詞

▽月影の遅きは雨や不老門(ふらうもん)

▽風をおつてひそかにひらく扇かな

▽花をふむ人は少年の心かな

草紙之詞

▽一時をくねるは女気か女郎花

▽春日野のはらから住ん()鹿(じか)

▽木のはしのやうにいはるな梅法師

謡舞狂言之詞

▽あはれならよ白きはそよや翁草

▽余の山や霜にするかのふしの雪

▽参らせん用かましきは(すず)な草

小歌

▽こひよこひ我半天のほとゝきす

▽深山てはそれたかとヘは時鳥

▽ふらひ〳〵ふる妻いとし軒の雪

され句

▽花もしに逢は別れか天津(かり)

▽禅寺の花にこゝろや(ウキ)蔵主(ザフス)

▽契る間は七夕つめのさき程そ

 

借辞〔和歌〕 しゃくじ/わか 

短歌では〈本歌取〉以外の借辞のあるものをさす(広義には本歌取も借辞の一つ)。本歌取が中心で、単なる借辞はどちらかというと添え物の感がある。

【例】

譬え言葉「明日香川の淵瀬」  よみ人しらず

明日香川わが身一つの淵勢ゆへなべての世をも恨みつるかな &『後撰和歌集』巻十七

雅語「後朝の別れ」         参議為氏 

後朝の別れしなくは憂きもの問いはでぞ見まし在明けの月 &『続後撰和歌集』恋

 愛国百人一首〔日本文学報告会編、昭和十七年十一月〕毎日新聞社が公募。

 

借名遊び しゃくめいあそ

 人名・地名など固有名称を詞章などに折り込む手法を〈借名遊び〉という。めったに使われることのない用語だが、これに似た〈借辞〉と区分する必要から設けた呼称である。

【例】

和歌より二首

  ひたちへまかりける時に、ふぢはらのきみと

  しによみてつかはしける、                   (うつく)

▽あさなけに見べききみとししたのまねばおもひたちぬる草枕なり &『古今和歌集』巻八

  天暦(村上天皇)の御狩させ給ひて、河内の国

  にやすませたまふに、まかり帰りなんと申しゝを惜ませたまひて、そせいがあざなを、よしより(良因)とつけさせ給ふ

            素性法師

▽旅に出てせし言の葉にいひしかどよしより思へ心くだりぬ &『素性法師集』

歌謡詞より

♪君見ずや 仏蘭西皇帝ナポレオン/また見よ豊臣秀吉を 砲界(ホーカイ)/皆是艸間(そうかん)野卑の人 忠勇凛々〔「凛々歌・法界武士」第二節、明治二十五年)

♪わたし十六 満州むすめ/春よ三月 雪解けに/迎春花(インチユンホウ)が 咲いたなら/お嫁に行きます となり村/(ワン)さん 待ってて頂だいネ(石松秋二作詞「満州娘」昭和十四年)

♪カチューシャ可愛や 別れのつらさ/せめて淡雪(あわゆき) とけぬ間と/神に願いを ララかけましょか(島村抱月作詞「カチューシャの唄」大正三年)

♪唄はちゃつきり節 男は次郎長/花はたちばな 夏はたちばな 茶のかおり/ちゃっきり ちゃつきり ちゃつきりよ/きゃあるが鳴くんで 雨ずらよ(北原白秋作詞「ちゃつきり節」昭和二年)

欣舞節「都の四季」         鉄石浪士作

♪花は桜木人は武士/散りて馨りし彰義隊/砲烟弾雨の修羅場も/今は上野の公園地/春は香雲爛漫と/花に人呼ぶ声なくも/浮かれ集まる都人/雲を凌げる十二階/失殿高欄壮厳の/間に交はる花の雲/こゝは浅草大悲閣/花のあづまの吾妻橋/渡る向ふは向島/花の中行く隅田堤/竹屋渡りて今戸から/日本堤を打ち過ぎて/こゝは色香も吉原の/婀娜な眺めの夜桜よ(後略)

*明治三十一年頃に流行の壮士節の一つ。

 

双六盤歌 すごろくばんうた 

双六は平安時代から愛用された盤上遊戯である。盤は厚さ四寸、縦八寸、横一尺二寸に規格化され、中間の横に一条の間隙を置き縦に左右十二本の線を引いてある。

〈双六盤歌〉は、三十六歌仙歌人で歌学者でもあった源(したごう)(911983)が創作した。現代風に表現するなら、複数の短歌をクロスワードに仕立て特定箇所の文字同士が複雑に照応しあう一種の図形詩(カリグラム)である。

順は折句の〈隠し詞〉に用いるために、

 双六の一半(いちば)に立てる人妻の逢はでやみなむものにやはらぬ 

&『拾遺和歌集』雑恋

という、ピッタリの一首を選んだ。形態といい詠材といいきわめて象徴的である。いかに優れた作品か活字化した全体像を掲げてみよう。

  双六盤歌では、隠し詞にした先の一首の三十二文字(末句は正しくは「ものにやはらむ」で、は調整上の故意欠落であろう)を盤の罫の形に折り込んで配し、文字同士が交差する十五首を構成している。

 この詠み順を示すと次のようになる。

となる。すなわち、双六盤に隠された本歌は、群れなす他歌に紛れ込み、ヒントでも与えられないかぎり容易に発見されることのない暗号に仕立てられている。

 江戸時代の双六盤の図

 

人名歌 ひとのなうた/じんめいか 

単独または複数の人名を織り込んで読む技法を〈人名歌〉という。

おもに人物批評の手段として古くから用いられ、狂歌に多く〈人名狂歌〉と称し、ことに落首にきわだって多い。

【例】

古典狂歌より

    豊臣「秀頼」                                 よみ人しらず

▽せめて世に命のあらば又も見ん秀頼様の花のかほばせ &『大坂物語』上

    団十郎に                                      つぶり光

▽我等代々団十郎ひいきにて生国は花の江戸のまん中 &『狂歌才蔵集』巻十三 

*歌舞伎役者の五世市川団十郎は狂号を「花道(はなみちの)つらね」と称した狂歌師仲間でもあり、その名にちなんだ一首に詠みあげている。

和泉式部                                         樋口関月

▽無遠慮に男はどうもゆかれまじ和泉式部のお開帳には &『万載狂歌集』巻十五 

*京都市中京区の誠心院は和泉式部の菩提寺で、同寺保存の秘物などを拝観させる恒例があった。「お開帳」は怪しからぬことに通じる洒落である。

辞世詠より                           守屋仙庵

▽われしなば酒やの庭の桶の下 われてしずくのもりやせんもし       

*大師河原の酒戦で樽次軍の副将を務めた通称「醒

 安」なる人。伝は未詳である。まず、根拠にした一文を次に掲げておこう。

醒安(さめやす)いきの(した)より(もうす)やう (なん)(もうす)毛蔵坊(もうぞうぼう) (かの)(たる)あけにさめやすおとるべきにてあらねども 池上(いけがみ)殿(どの)大盞(たいさん)はいなかまでもかくれなし はゞ(ひろ)ふそこふかくものヽ上手(じょうず)()うすにつくつたる大盞(たいさん)にてたゞなかをとほされ なんぼうくるしいとはしらざるや またさめやすにてあればこそ御前(ごぜん)にてかくものは(もう)せと だんだんによはりによはりしが

  (われ)しなば(さか)やの(には)(おけ)(した) われて

              しずくのもりやせんもし

とはよみけれども 前後(ぜんご)もしらぬふぜいなり

『水鳥記』源司直編、池上文庫版より

*これは有名な酒戦記の一節で、地黄坊樽次軍と池大蛇(おろち)(まる)殿先人において、樽次側の醒安が善戦むなしく酔

 死する場面である。醒安は自分の姓名である守屋仙庵を巧みに折りこんで辞世とした傑作である。

落首より 

▽信長はいまみてあらや飯羽間城を明智とつげのくし原 &『甲陽軍鑑』五一

▽田沼れて薬を盛るが馬鹿林たつた三日でさじのかきあげ &『田沼狂書』

▽仕置立せずとも御代は松平ここに伊豆とも死出の供せよ &『落首類纂』

吉原遊女名の折込

▽江戸町一丁目左側玉屋山三郎内   

       廓鸖堂(かくかくどう)(がく)()

    太夫 花紫

▽常盤なる松に契りて咲ふしの花むらさきやよににほふらん

    格子 尾上

▽うつすともえこそおよはめ香に匂ふおのへの梅の花のゑまひは

    格子 たち花

▽空高く匂ひをこめて霞たつ花は桜のよもにかくれぬ

&『吉原評判 交代(はん)栄記(えいき)』 

*右掲は宝暦(一七五一~一七六四)頃の江戸吉原評判(見聞)記で、百三十三名もの遊女が名入り歌文で品定めされている。

美女賛詠二首(平成狂歌)                       荻生作

   小後宮への夢             

▽佳い女美人別嬪シャン名花美形麗人美女びじょの君

   整形の(ひと)                      

▽目は小町鼻はパトラで口は貴妃上がりめでたや福笑いつら

 

風流折句 ふうりゅうおりく 

発句や俳句の五七五に隠句を配したものを〈風流折句〉といっている。

短歌の折句にくらべ創作しやすいため条件を一つ付加し、隠句は句容に合わせるなど工夫したい。

【例】

其角の雨乞句「ゆたか」

立やをみめぐりのならば    其角

&『五元集』

*元禄六年六月、其角三十三歳の年、門人の白雲を伴い向島は牛島に渡る。そこで舟遊びに興じたおり、長期の旱魃で難儀している百姓らに出会う。其角が有名な俳人と知るや、百姓は雨乞い祈願の発句を請うたところ、其角は「ゆたか」を折り込んだ右の一句を即吟。すると一天にわかにかき曇り、慈雨が降ったという。その短冊は百姓らの手で近くの小祠(三囲(みめぐり)神社)に奉納された。

 

本歌取り狂歌 ほんかどりきょうか 

「本歌取り」とは、詠歌のうえで出所とする有名古歌の一部を借り、これを軸に、自詠の趣向を凝らしたり、情緒や想念の強調を図ったりする技法である。これはあくまでも和歌の文彩(修辞)法の一つであり弄辞(ことばあそび)ではないので、詳解は歌学書に譲ることにしたい。

これも本歌取り狂歌ともなると趣きが違ったものになってくる。狂詠の目的は滑稽道化(どうけ)の内容に重きをおくため、本歌と擬歌との歌調の差異はきわめて大きく、場合によっては本歌取りの規範(その多くは藤原定家が定めたもの)すら無視される。ということは、表現がかなり弄辞化されていることを意味する。事実、江戸・上方を問わず本歌取り狂歌がじつに多い。一例を有名作品から引くと、天明狂壇の雄、四方赤良の詠に、

 七へ八へ屁をこき井出の山吹のミのひとつたに出ぬそきよけれ

という、はなはだ尾籠な一首。これは「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき」(兼明親王作『後拾遺和歌集』巻十九)の本歌取りで、極度に卑俗化してある。この作に限らず、本歌取り狂歌の多くは、本歌の残像の一片すらうかがえないほど戯歌へと改変されている。往昔、狂歌が詠み捨ての一過性文芸にすぎなかった事情を思えば、やむをえないことではあるが。 

 本歌取り狂歌で目につくのが「小倉百人一首」の模倣である。伝統の歌留多遊びを通して馴染深い歌揃いですから格好の対象だった。

 なお、本歌取り狂歌を作る要諦は次の三点に絞られる。

一 本歌が多くの人に知られた有名歌あること。

二 本歌取りであることがはっきりわかる歌体に整えること。

三 しかも借辞句はできるだけ短いものにすること。(古典歌学の第一人者藤原清輔『奥義抄(おうぎしよう)』によると、本歌取りは「盗古歌証歌(こかぬすみあかしのうた)」としているくらいで、長すぎる借辞は泥棒歌になる)

【例】

古歌より本歌取り

平秩東作

男なら出て見よ(らい)にいなびかり横にとぶ火の野辺(のべ)の夕立

←春日野の飛火の野守いでて見よいまいくかありて若菜摘みてむ/よみ人しらず 

&『古今集』巻一

                       宿屋飯盛

背も腹も(のみ)にくはれてかゆければよるの衣をかへしてぞ着る

←いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞ着る/小野小町 

&『古今集』恋二

(はく)鯉館(りかん)(ぼう)(うん)

  不自由な旅にしあれば(しひ)の葉にめしもりあげてたのしみぞする

←家にあればけに盛るいひを草枕旅にしあれば椎の葉に盛る/有馬皇子 

&『万葉集』巻二

百人一首より本歌取り

由縁(ゆえん)(さい)(てい)(りゆう )

 天の原ふりさけ見ればいかのぼり雲の浪より出でし凧かも

 ←天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも/阿部仲麻呂

四方赤良

由良の戸を渡る舟人菓子を食べお茶の代りに塩水をのむ

←由良のとを渡る舟人かぢをたえ行衛も知らぬ恋のみちかな/曽根好忠

唐衣橘洲

まづひらく伊勢の大輔(たいふ)がはつ暦けふ九重(ここのへ)も花のお江戸も

←いにしへの奈良の都の八重さくらけふ九重ににほひぬるかな/伊勢

 

本歌取連ね ほんかどりつらね 

有名和歌の一首を詠材とし、全体を仮名一文字ずつに解きほどいたうえで三十一首の各(かんむり)に置いて詠じる冠折句がある。定まった呼称はまだ存在しないが、これを仮に〈本歌取連ね〉と名付けておく。

折句に〈音数遊び〉の要素が加わり二重の制約を受けることになるので、三十一文字を(なら)した詠調で詠み通すにはかなりの労力を要し、創作難度もかなり高い。

本歌取連ねでは、例示の定家の作品がひときわ輝きを放っている。

【例】

定家の本歌取連ね

*建久七(1196)年秋、藤原良経(11691206)は臣下の藤原定家(11621241)に、藤原義孝の作、

   (あき)(はな)(ゆふ)まぐれこそただならね(おぎ)上風(うはかぜ)(はぎ)下露(したつゆ)

 を材に折句本歌取を作るよう命じた。定家は程なく次掲を詠じ献じた。即詠の状況でいずれも秀歌、さすが歌

 聖とうたわれた職業歌人の離れ業であることを実証した。

  建久七年秋ころ…      藤原定家

あけがたになるや秋風たちそめていささかすずし夏の手枕

きりの葉のうら吹く風の夕まぐれそそや身にしむ秋は来にけり

はちす咲く池の夕風夏はあれどよし一花の秋のなでしこ

なには潟入江は月にゆづりおきて芦の穂ずゑにうつる白波

  をる人はいさしらすげのまのの萩わがたち濡るる露の錦か

夢も見ずうつつもかなし雄鹿鳴くみ山べつらき有明の空

ふたり見し空ゆく月のにたるかなとおもへばおなじ秋の衣手

または来じ露はらふ風は篠分けてひとりゐな野の八月長月

くりかへししづの苧環(をだまき)思ふともかへらぬ月ぞこのごろの月

(れん)よする雲居のはしの秋の月心たかくも澄みのぼるかな

こす浪もくだくる玉もこほるめり八十宇治川の岩の月影

そま山の秋のよそなる色もみなあらぬ暮にはかはる空かな

たのままし人いかばかりつらからむあとなき秋のふるさとの露

竹おひて舟さし寄する川むかひ霧のみ秋のあけぼのの色

長月の霜にさえゆく武蔵野のゆかりに遠草のもとかな

蘭省(らんせい)の花の錦の面影にいほりかなしき秋のむら雨

ねぬ夜のみかさなる雲のふるさとに涙とぶらへ秋の雁がね

おちつもる木の葉はらはぬ紅はさびしかるまじき色ぞと思へど

来まさずはよひの秋風しばし待てつれなき人に涙かこたむ

のこりゆく命にそへてかなしきはとはれし月にむかふ秋風

うすく濃き紅葉を宿にこきまぜておのれとまらぬ山おろしの風

はるのねやとぢてし苔は色ふりて秋の枕にうかぶ月影

かへり来む月日かぞふる浅茅生もいまはすゑなるひぐらしの声

せきとめてしばしも見ばや紅葉散る秋をさそひて落つる山水

はげしさはこのころよりも竜田山松の嵐に紅葉乱れて

きしのまましげみさえだの露分けて袖をかたみのそが菊の花

野べのほかよもの草葉はおとろへてみやこの夢をむすぶ初霜

しらばやな暮ゆくはてをながめてもわが世になれん秋のちぎりを

焚きすさむ藻塩のけむりほのぼのとなびきなびかず秋の夕暮

つり舟の浮ぶ浪路に月おいて人と秋とのわかれをぞ思ふ

ゆきかへる果てはわが身の年月を涙も秋もけふはとまらず 

&家集『拾遺愚草員外』

本歌取の変形作品      後桜町天皇

秋の田の梅の匂にあふひ草尾上の鹿のあさくらの声

*後桜町天皇(17401813、第百十七代)は明和六(1769)年八月、右御製を構成する五句それぞれを元歌定位置に折り込んで、次の五首を詠じた。折句と折込との折衷歌である。

秋の田の稲葉いろづくこのごろは賎が仮庵も夜さむなるらし

さかりなる梅の匂にさそはれて知らぬ垣根もたづねてぞ行く

もろびとのかざす二葉のあふひ草その神山にいく代かはらで

ここにいま聞くとは知らじはるかなる尾上の鹿の妻をとふ声

雲の上や庭火の影も小夜ふけてかみさびわたるあさくらの (太字は筆者)

&『後桜町院御製百首』 

 

本歌取連ね 沓冠 ほんかどりつらね/くつかむり 

不遇の実力派歌人として伝説化されてる曽根好忠(930~?)は、秀歌を多く残したことで定評がある。

好忠は三十六歌仙の一人である源(したごう)(911983)とのあいだで百首詠を交換しあっている。その好忠作を「好忠百首」と通称し、うち三十一首は異色の作品として注目されている。というのも、その三十一首の冠と沓を拾ってつづると二首の短歌になるという、芸の細かい趣向が凝らされているからである。このように、有名歌二首を詠材に、全体を仮名一文字ずつに解きほどいたうえで、三十一首ずつ各冠と沓とに置いて詠じるものを仮に〈沓冠本歌取連ね〉と名付けておく。適切な用語はまだ付けられていない。

ただし、別に冠のみに一首を配した〈本歌取連ね〉もあるので、混同しないように注意していただきたい。

【例】 

沓冠本歌取連ね       曾根好忠

〔冠付隠句とした本歌〕

安積(あさか)(やま)(かげ)さへ()ゆる(やま)()(あさ)(ひと)(おも)ふものかは

〔沓付隠句とした本歌〕

  難波(なには)()()くやこの(はな)(ふゆ)ごもり(いま)(はる)べと()くやこの(はな 

 )()じと嘆くものから限りあれば涙にうきて世をもふるか 

かた川淵は瀬にこそなりにけれ水の流れは早くながら

ずならぬ心をちぢに砕きつつ人をしのばぬ時しなけれ

(やつ)橋のくもでに物をおもふかな袖は涙の淵となしつ

の葉の緑の袖は年ふとも色かはるべきわれならなく

 (中略)

ひやる心づかひはいとなきを夢に見えずと聞くがあやし

くず焼く裏にはあまやかれにけん(けぶり)立つとも見えずなりゆ

るさとはありしさまにもあらずかといふ人あらばとひて聞かば

とつめに今はかぎりと見えしよりたれ馴らすらんわが臥しし

飼せし駒のはるよりあさりしに尽きずもあるかな淀の眞菰(まこも)

ひなくて月日をのみぞ過しける空をながめて世をし尽くせ 

磨なる飾磨に染むるあながちに人を恋しと思ふころか (現代表記に改変)

&家集『好忠集』

 

毎句冠折句 まいくかんむりおりく 

折り込む語句(隠句)を歌俳の五七五七七各句(かんむり)((かしら))に配したのが〈毎句冠折句〉である。これは古くから単に「折句」と呼ばれてきたが、折句形態の複雑化に伴う用語整理の必要から、近代に入って新たに提唱された命名である。

【例】

小野小町の折句贈答歌

 *小野小町が琴を借りるため、さる人のもとへ人を使いに出すときに、次の一首を添えた。

との葉もきはなるをとのまなむづは見よかしかては散るや(*傍線は筆者)

  と、「琴賜へ」を申し入れた。これに対し、相手は次の返事をよこした。

との葉はこなつかしみ折るとべての人にらすなよゆめ(*傍線は筆者)

  と、こちらも「琴は無し」の返事を折句にしたためた。贈答しあう者同士の一種の暗号通信である。

短歌より

▽もみぢ葉を                                            紀 貫之

 もる山の峰のもみぢも散りにけりはかなき色のをしくもあるかな 

&『玉葉和歌集』巻十六

南無(なも)阿弥陀(あみだ)                                                 仁上法師

 何となくものぞかなしき秋風の身にしむ夜半の旅の寝ざめは 

&『千載和歌集』巻十八

五月闇(さつきやみ)                                                    源 俊頼

 笹の葉の露はしばしも消えのこるやよやはかなき身をいかにせむ

狂歌より

▽いくよもち                                             藤本(ゆう)()

 いかい事くはるゝ物じやよい風味物もいはずにちぎり〳〵て 

&『万載狂歌集』雑体

▽おめでたい                                             四方赤良

 おとにきゝ目にみいりよき出来秋はたゆみもゆたかに市がさかへた 

&『万載狂歌集』雑体

▽「五行の漢字」入り                                     星屋光(ほしやのみつ)(つぐ)

 金のなる木のおふる土もたぬ身は火に入水に入てかせかん 

&『万載狂歌集』雑体

 

毎句沓折句 まいくくつおりく 

折り込む語句(隠句)を歌俳の五七五七七各(くつ)()に配したものを〈毎句沓折句〉という。句尾という目立たない箇所に置かれるため、〈毎句冠折句〉に比べ詠みにくく、しかし暗号性が高い。

じつは毎句沓折句に相当する作品はきわめて少なく、あえていえば〈いろは歌〉がその典型である。

【例】

かきつばた                                   籬島

   卯つきの頃八橋の古跡にてかきつばたといふ五文字の

    句の下にすゑて狂歌をよめる

尋ねし花のむらさ今はさめその跡見れみな麦のは &『東海道名所図会』八橋杜若古墳

*傍線は荻生。作者が三河国八橋を訪れたとき、業平の古跡「から衣きつつ馴れにしつましあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ」の毎句冠折句を偲んで詠じた狂歌である。

 「庭の石」踏む五種(いつくさ)                               荻生作

言の葉履かすとたまげたかつこつくめはだしわら

*傍点は「にはのいし」の沓折句、傍線はそれを踏む五種の折込み。わらし=童子、草鞋。掛詞(かけことば)と縁語を照応させ、さらに秀句(洒落言葉)で結んだ。このような場合、読みは旧新「にはのいし」「にわのいし」どちらであっても許容範囲にある。

 

毎句沓冠折句 まいくくつかむりおりく

折句では、折り込む語句(隠句)を歌俳の各句頭に置くことを(かんむり)といい、句尾に置くことを(くつ)という。この双方を組み合わせたものが〈毎句沓冠折句〉である。沓冠の折句を三十一文字中の五七五七七各句にわたって配することから、西欧にいう〈ダブルアクロスティック〉を一段と複雑化した手法といえる。

隠句の音数も、短歌で〈毎句冠折句〉なら五音ですむが、毎句沓冠折句だと十音になる。つまり三十一音中十音が定置の制約を受けることになり、それだけ創作難度も増す。反面、冠と沓とに十音が隠せるということは、五音だけの場合に比べ通信内容が倍加するため、文句を暗号化して送りたいとき有利になる。

【例】

村上天皇の御製

 ()ふ坂()()ては行来()()きもゐ()()づねてとひこき(95)なば帰さ()

(算用数字は筆者)

&『栄花物語』うち「月の宴」

*村上天皇(926967、第六十二代)は后妃らにこの一首を下賜したが、なかで(ひろ)(はた)御息女(源計子)ただ一人が「(あわせ)薫物(たきもの)少し」との十音隠句を解読し、天皇に合薫物(沈香・丁字香・麝香など六種の練り香)を献上したという。

兼好・頓阿の沓冠遣り取り

*『徒然草』で知られる兼好法師(12831352)は、窮乏をかこったおり、朋輩の頓阿法師(12891372)に次の一首を送った。

 ()も涼(10)()ざめのかりほた(93)もま(84)袖も

にへ(75)だてなきか() (算用数字は筆者)

と、沓冠仕立で「(よね)賜へ、(ぜに)も欲し」とおねだりの隠句を呈した。この例では、沓の隠句が逆順に折り込んである点に注目。さて、受けた頓阿とて貧しい。これまた沓冠をもって、

 ()るもう(10)()たくわがせこは(93)ては来ずな(84)ほざりにだにし(75)ばしとひま() 

 (算用数字は筆者)

*これも「米はなし、銭少し」と十音を返している。

&頓阿家集『続草庵集』雑体

貞徳・長嘯子(ちようしようし)の沓冠やり取り

*松永貞徳(15711653)は歌人・俳人・連歌師。木下長嘯子(15691649)は小浜城主から歌詠みに転向した異才。二人とも細川幽斎の高弟同士であり、親交も厚かった。某日、貞徳は長嘯子に(ちまき)5把を贈り、案内かたがた次の一首を添えた。

 ()かきや()()がはぬすま()()きなが()()ととひもせ()()るぞすぐせ(10)(*算用数字は筆者)

 と、沓冠で「ちまき()()まいらする」を告げた。贈り物に長嘯子答えて、

 ()よ経と()()たなほあか()()きたき()()れや初音()()つほととぎ(10)(算用数字は筆者)

と、「ちまき五把もてはやす」の返礼をしている。&長嘯子家集『挙白集』巻五

読み下しの沓冠

*これまでの例にみるように、沓冠の読み順は必ずしも一定律にのっとったものではない。次例も変則詠みの一例である。三十六歌仙の一人、源(したごう)は、春日大夫公実や中納言国信ら僚友を花見に誘うべく、次の一首を伝えた。

 ()かなしなを(23)のの小山田つ(45)くりかね手(67)をだにきみは(89)てはふれず(10)(算用数字は筆者)

&『散木奇歌集』巻十

*この歌には「花を訪ねて見ばや」の隠句が置かれているが、第一句の冠→沓、第二句の冠→沓……と、上から下へ順に読み下す構成をとっている。暗号性は薄らぐが、情報伝達の確実性を意識した所為であろう。

隠し名の辞世                                保科正興

 ()たる火をし(62)たへは暗きな(73)つの夜のま(84)つ風おちつさ(95)すらへのお(10)(算用数字は筆者) 

&『三百藩家臣人名事典』

*作者(16491690)は会津藩家老であったが、晩年は蟄居・配流に処せられるなど不遇をかこった。右の辞世には「ほしなまさをきのつか」という自身への悼辞が折り込まれている。

発句の毎句沓冠

▽するがのふし

 隙間見する霞や窓の古障子          長好

▽すもゝのはな

 鈴菜かも持ふりうりの初若菜        同

 &『毛吹草』巻一

▽さくらのはな

 さかりながくらくに花見のはるもがな   祖秀

&『巧智文学』

*発句でこの手の作品は珍しい。十七音のうち六音が定置制約を受け、創作はきわめて困難だ。

 

物名歌 もののなうた/ぶつめいか 

物名歌は和歌詠法の一つであり、動植物名、食品名、地名などで同類の呼称を複数折り込む技法である。物名はたいてい隠し詠みすることから、平安末期には〈(かくし)(だい)〉とも呼ばれていた。

折り込む物(隠句)はあらかじめ指定され、それをいかに巧みに陰詠するかで技量の優劣が判定された。しかも歌体がしっかり整っていなければならないから容易でない。たとえば紀利貞(?~881)の詠、

 山高み常に嵐(あら)の吹く()は匂ひもあへず花ぞ散りける(傍線は筆者) 

&『古今和歌集』巻十

では「しのぶぐさ=忍草」が詠み込まれ、よく注意しないと見過ごしてしまう。歌意とは別に、この草名が隠し詠まれたわけである。物名歌は折句から派生したものである。両者の違いは、折句が各歌または各句の(かんむり)(くつ)に隠句を散し置きするのに対し、物名歌では名称そのものを詠み込む。

以上から、物名歌はどちらかというと言語遊戯性が強く、歌意よりも体裁や技巧が優先されがちである。『古今和歌集』においても巻十がすべて物名に当てられているほどで、当時は脚光を浴びた詠法であった。

物名歌はまた、本来なら詠題にしたい物名が表ざたにできない事情などのため、隠題という形をとって詠まれた。三十六歌仙の一人、伊勢(?~939)は自分の家を売り払ったとき、

 飛鳥川淵にもあらぬ我宿も瀬に変わり行くものにぞありける(傍線は筆者)

と、「(ぜに)」(歌語にない卑語)を隠し詠んでいる。

 安中期になると物名歌は衰退しはじめた。技巧が先走り、やたらに物名をならべ詠みする作品が増えて歌意がなおざりにされたことが、歌人の反省を促した。代わりに初期の連歌に、賦物(ふしもの)といって、物名詠み込みの手法が応用されるようになる。

【例】

古歌より

▽りうたむ(リンドウ)のはな                                   紀 友則

わが宿の花ふみしだく鳥うたむ野はなければやここにしもくる &『古今和歌集』巻十

▽ほとときす                                             藤原敏行

来べきほど時すぎぬれや待ちわびて鳴くなる声の人をとよむる &『古今和歌集』巻十

▽きりきりす                                           侍賢門院堀川

秋は霧霧過ぎぬれば雪ふりて晴るる間もなきみやまべの里 &『千載和歌集』雑

▽錦の(ふすま)                                                     源 有仲

むかし見し外山のさとは荒れにけり浅茅が庭に鴫の伏すまで &『新勅撰和歌集』雑

▽月、鈴虫、紅葉                                          藤原俊成

峯つづき山辺はなれず棲む鹿も道たどるなり秋の夕霧 &『玉葉和歌集』雑

(しやう)、笛、篳篥(しちりき)、琴、琵琶(びは)                            よみ人しらず

憂しや憂し花匂ふ枝に風通ひ散り来て人のこととひはせず 

 『新拾遺和歌集』雑

藤六の物名歌

*藤原輔相(すけみ)(平安中期の人)は物名歌の名手としてよく知られていた。通称を藤六と呼ばれたことから、家集『藤六集』は物名歌で占められている。

▽荒船の御社(みやしろ)

 茎も葉もみな緑なる深芹は洗ふ根のみや白く見ゆらむ 

&『拾遺和歌集』巻七

四十九日(しじふくにち )

 秋風の四方(よも)の山よりおのがじし吹くに散りぬる紅葉かなしな 

&家集『藤六集』

*次の一首は輔相の編とされている六十六カ国名歌の代表作である。

上野(かむつけ)                                                       柿本人麻呂

音に聞く吉野の桜見に行かむ告げよ山守花のさかりを 

 &『人麿集』

才媛のしっぺ返し                              伝 和泉式部

 日の本にはやらせ給ふいわし水まいらぬ人はあらじとぞ思ふ       

 &『年中故事』玉田永教著

和泉式部(いずみしきぶ)(生没年未詳)は平安中期の女流歌人。冷泉天皇の皇后に仕えた。敦道(あつみち)親王との恋愛記録『和泉式部日記』で有名。イワシは大昔から大衆魚であり、この歌の背景である平安時代には、むしろ卑賤の食魚とされていた。イワシは(いや)しに通ずるから、というのが理由であった。下等の魚だが、栄養豊富なことで認められていて、たまにはやんごとなき人たちの食膳にも上がったようだ。すでに才媛として名を高めていた和泉式部もイワシが大好物で、すすんで食べていた。これを見た者が驚き笑ったので、彼女は即座に掲出の(もの)(のな)折込歌を詠んで応酬した。いわし水は石清水八幡宮をさす。双方の音通を秀句(洒落)仕立てで折句としたのである。さて、この出典著者の玉田永教を信用しないわけではないが、この歌が本当に和泉式部詠なのかどうかひっかかった。彼女の詠風に今一なじまない気がしたからだ。そこで念のため、角川書店刊『新編 国歌大観』を調べてみたが、該当歌の収載は見当たらなかった。玉田の創作の可能性もあり真実のほどはイワシに聞いてたもれ、だ。

十種の物名歌

▽魚名十                                              頓 阿

 雨降り手川も水ますあちこちに舟人こひし越さばさはらじ

 ((あめ)(ぶり)(はも)(ます)(あぢ)(こち)(ふな)(こひ)(さば)(さはら))

 &家集『草庵集』

▽木名十                                          細川幽斎

 かならずと契りし君が来まさぬはしひて待つ夜のすぎゆくは憂し

 ((なら)(とち)(きり)(しきみ)(かき)(しい)(まつ)(すぎ)()(くは))

 &家集『幽斎翁和歌』

()(ゆう)の物名歌

*俳人の横井也有(17021783)も物名歌を器用に詠んでいて、なかでも次の二首は傑作と評価されている。

    国の名二十をかくしてよみける二首                                      也 有

▽いついかで逢ふ道あらむつひに身のあはではいかがいきがひもなし

 (伊豆・伊賀・近江・陸奥(みち)・美濃・阿波・出羽・加賀・壱岐・甲斐)

▽秋も最中(もなか)とひ来よあはれ月いく夜野と川近く山遠き里

 (安芸・長門・肥後・安房・紀伊・能登・河内・大和・隠岐・佐渡)

&『鶉衣拾遺』下

数の折込                                                賀茂(すえ)(たか)

▽出でてきし家路は遠し椿市(つばいち)にさむし木枯し心して吹け

▽山しろくこしちは千里(ちさと)雪降ればかへさやいそくさかし船びと

&『雲錦翁家集』

*一から十までの数詞音を右二首に折り込んである。この類も物名歌とみなすことができる。

 

物名狂歌 もののなきょうか/ぶつめいきょうか 

独り和歌にとどまらず、狂歌においても物名は格好の詠材になっている。しょせん和歌の亞流にすぎないが、遊びに徹することのできる強味がある分、〈物名狂歌〉のほうが愉しめる部分は大きい。

【例】

単名の物名狂歌

    棚上牡丹餅                                    (すずめの)酒盛(さかもり)

▽牡丹もちを棚にあげはの蝶もこんかけしきなこは菜の花の色 &『徳和歌後万載集』巻十

    はなをすり                                はし高身寄

▽かきごしに梅が香かほる春風ははなをすりてや吹かよふらん &『徳和歌後万載集』巻十三

複数名の物名狂歌

    木の名六ツによせて恋のこころを                   蒲 箔

▽君待つとよし告げずとも来る身ならはや飛べかしな更けすぎぬ間に &『狂歌若葉集』下 

*松・柘植・胡桃・楢・樫・杉。

魚の名十                                      山手白人

▽こいしさはいかにますかとふくかぜのなさけきゝたいいなのさゝはら 

&『徳和歌後万載集』巻十三 

*鯉・鯖・烏賊・蟹・鱒・河豚・鮭・鯛・鯔・鰆 (安政大地震の落首)

▽ゆりやんでついにはよしときくとてもつたなきとこにしばしねむらん

 *百合・藺・葭・菊・藻・蔦・菜・芝・合歓・蘭

 (江戸瓦版など) 

 

文句取り もんくどり 

〈借辞〉をさす上方言葉。〈文句入り〉とも称し、江戸では用いられなかったようである。

 和漢典籍の衒学を旨とする談義本は〈文句取り〉の宝庫といってよかろう。しかし実際には、文句取りを超えて剽窃の場合が目立つ。

【例】

談義本より㈠                             小幡宗左衛門作

まへの通りではぎゑんがわるいとて、陸地(くがぢ)をさして登りける。「およそ南ははりまぢ、北は秋田地、佐渡がしま、虎ふす野べの奥までも、尋ねめぐらであられうか、あら恋しの梅若や、やよ梅若」と呼び()がれ、数万の人数夜を日についでのぼりける。

&雑豆鼻糞軍談(まじりまめはなくそぐんだん)』巻三

 *ぎゑん=「縁起」の倒語。「およそ南ははりまぢ」以下「 」内は近松門左衛門作『双生隅田川』からの文句取り。

談義本より㈡                                 盧橘庵作

後の世語りにいでやせうたいの(くわ)にほこる。民間の流行を見ばやと。南をはるかにながむれば。さても目出度の秋津(あきつ)()小銀(こがね)目にて(よね)はかる。

&粋宇(くろう)瑠璃(るり)巻一

*「さても」以下は狂言『(うつぼ)(ざる)』からの引きである。

浮世草子より                                江島其蹟作

此の親仁年の寄るにしたがひ、身は干鮭(からざけ)のぬけ目のない男、後生(ごしやう)よりは始末を第一に心がけ、若い時からたゞゐせず、めげたるきせるの皿をたゝいて百銭のたしとなし、捨つる塵塚(ちりづか)までも銭ざしにこしらへ、年来(ねんらい)銭をつなぎ()、今都にて大名貸する、(かみ)から二番目の銀持(かねもち)、世間から三万貫目の身代(しんだい)とさすにちがひはなし

&『浮世親仁形気』巻二

*傍線部は筆者、井原西鶴作『好色二代男』巻八・三から文句取りである。

 

八重襷 やえだすき 

(したごう)創案の〈双六盤歌〉〈碁盤歌〉といった図形詩は、およそ3世紀を経て〈木綿襷〉を生み、さらに4世紀近く下って一段と複雑な〈八重襷〉へと転生をみせた。野々口立圃(ののぐちりゆうほ)(15951665)という一俳人の手によってである。

八重襷は(かんむり)(くつ)とが同じ音字仮名をもつ複数の俳句・雑俳を材に、これらを縦・横・斜めに交差させ図形詩にしたものである。緻密な計算に基づいた作であることがわかる。

交差箇所は句と句に共通する一字のみ。使用する句数、どこで交差させるかは自由だが、ほとんどの例が上五・中七・下五の各句頭と下五の句尾の字とを結んで交わる形をとる。

また、八重襷は沓冠ではあるが、句体そのものを〈廻文〉にすることで、見た目の印象をよりすっきりと仕上げられる。

【例】

立圃作の八重襷

野々宮立圃の八重襷は、高度に視覚化された技巧が光っている。

次例は「花尽し三句」からなる構成で、○内は繋辞となる。

 みならぬ を 飛 梅 のかめか

 かなかにれなる 物 よつのは 

 らひしやつとむめとのわりは

 一作で十通り吟の廻文八重襷

次の二例とも廻文の作で、縦・横・斜めが対称であり、正十通り、逆順をも含め延べ二十通りの句(読み)が出来上がる。

 ともに『昆山集』

 

木綿襷 ゆうだすき 

(したごう)が発表した〈双六盤歌〉や〈碁盤歌〉は、中世歌壇にちょっとした新風現象をもたらしたようで、図形詩が醸す妙味に憑かれた歌人が何人か輩出している。

〈木綿襷〉もまた碁盤歌の系統に位する図形詩である。作例は複数見られ、なかでも京極為兼の「阿弥陀仏歌」と江戸期に入り後水尾天皇の「薬師仏歌」が知られている。

【例】

歌人の京極為兼(12541332)は手の込んだ木綿襷という作品を創作した。「あみたふつ」の隠句が五行にまたがり、その上名号の襷掛けになっている。為兼はほかにも「なもはぐさ」を折り込んだ同様の木綿襷を残すなど、図形詩創作に意欲的であった

只野真葛 (17631825)は才女として頭角を現した江戸の文人である。有名な『むかしばなし』などをものし、一時は滝沢馬琴に師事したこともある。流麗な平安朝文体でつづる作品は輝いており、引例の木綿襷も女性らしいきめ細やかな秀歌によって織られている。