本来の物事なぞって連想を展開する「まがい」の面白さ楽しさがいっぱい

10 譬え系 たとえけい

 

物事に(よそ)えて表すことを「譬え」といい、その譬えに用いる言葉を〈譬え言〉という。

譬えそのものは修辞上の総称で、物事の比喩の表現である。比喩を大別すると直喩(例=りんごのような赤い頬)と暗喩または隠喩(例=弘法も筆の誤り)になるが、譬えはもちろん暗喩。暗喩のほうが直喩よりも譬えて優れたものが多く、表現上のパンチも効く。暗喩自体にも言語遊戯としての一面が備わっている。

そのほか〈譬え系〉は全体を九つの細かい種別に分類できる。それぞれの特徴を理解しやすいよう、「猫」になぞらえて説明してある。これを本体系の冒頭に置いて「比喩」の道筋を示すことにした。

成句やことわざには譬えを用いたものがじつに多く、そのほとんどが長い時代を経て伝承されてきた。たとえば天明期(1781~89)、すでに『譬喩尽(たとえづくし)』(編著者未詳)という大冊が成っていることからも、譬えは重厚な来歴を成している。

 新版双六教訓いろはたとえ・広告付き〔明治時代、大阪立賣堀北通二町目 カンキ堂製〕

 

10 譬え系の目録(原則五十音順)

「比喩」の文彩技法     

猫を材にした用例①直の喩え

猫を材にした用例②暗示の喩え 

猫を材にした用例③結び付けの喩え 

猫を材にした用例④類推の喩え 

猫を材にした用例⑤仮託の喩え

猫を材にした用例⑥活写の喩え 

猫を材にした用例⑦大げさな喩え 

猫を材にした用例⑧乱れの喩え 

猫を材にした用例⑨シンボル 

暗示引用 

影絵 

擬人化

擬物化

譬え〔歌謡〕

譬え〔狂句〕

譬え〔俳諧〕 

譬え歌 

譬え比べ 

譬え言

似て非尽し 

見立

見立違い

見立番付

『迷処邪正按内拾穂抄』

擬き

物離れ比べ

よそえ言 

 

立てば芍薬座れば牡丹居眠る姿は… 

 

「比喩」の文彩技法 ひゆのぶんさいぎほう

「比喩」または「譬え」とは、表現の幅を広げたり、単調な表現に流れるのを防ぐために、キーワードを類似する他の言葉に置き換えて喩える言語操作のことである。

この言葉の狙いは、抽象的で理解しにくい事柄を解き明かす場合に、メッセージの受け手が周知している物事を借りてきて、それを連想になぞらえ表現することにある。

 この文彩遊戯の特徴は、目的に応じたパターンが多彩なことで、ときには高度な間接的表現技術が要求される。テクニック間の比較差異という点でも難解であるため、それぞれの内容を理解しやすいように、この比喩のテクニックでは「猫を材にした用例」シリーズに仕立ててみた。 

ネーミングお見事「銀座の恋の招きネコ」〔銀座四丁目三愛ビル内ドゥトール〕

  

猫を材にした用例①直の喩え

【例】

猫のからだはゴム鞠だ                                       荻生作

 高い塀から跳び降りる。

 すいと着地。ひと跳ねして

 転がるように去っていく。

 何事もなかったような顔で

 猫のからだはゴム鞠だ

 猫の柔軟性に富んだ動きをゴム鞠になぞらえた断章である。

 喩えるものと喩えられるものとを直接結び付けて明示する技法を、文彩遊戯で〈直の喩え〉レトリックで〈直喩法〉という。一般に「…に似て」「…のように」「まるで…のごとくに」等の修飾語(副詞句)を伴って用いる。

 例文中、傍線を施した三行それぞれが直の喩え。「転がるように」は猫の動作の喩え、「何事もなかったかのような顔で」は猫の様子の印象、「猫のからだは(まるで)ゴム鞠(のよう)だ」は猫をゴム鞠に喩えた表現で、二箇所( )内の語が省略された形になっている。

 直の喩えは比喩の技法の基本であり、メッセージを安直に比喩できるためいたるところで使われる。

 ただし、使いすぎると装飾過剰で文意がだらけ、言いたいことの核心がぼやけてしまうので注意したい。そこで構文や文末の変化を工夫し、主題から逸脱しないよう、言葉が独り歩きしないよう、表現に気をつけてよう。

 

猫を材にした用例②暗示の喩え

【例】

猫は小判に目がくらまない                                       荻生作

 猫というやつは

 のらりくらりしているようで

 芯はシッカリ者。

 あんな飼い主と違って

 猫は小判に目がくらまない。

 俗に「猫に小判」といって、取り合わせがチグハグなことを喩えている。この俗諺を転化させ、猫は小判ごときに目もくれない、という真理の暗示に擦り替えてみた。さらに、この暗示を「あんな飼い主と違って」のフレーズで飼い主が金銭欲に目がくらんだ人物であることをほのめかしている。暗に猫にも劣るとからかった、一種の人物戯評だ。

 喩えるもの()および喩えられるもの()との関係で、双方類似している概念に比較を託する技法を〈暗示の喩え〉と称している。Xという物事を表すのに、それとは一見して関連の薄いYという物事を代用させる比喩。たとえば「この寒さでアルコールに元気付けられた」といった場合、気力回復とアルコールとは直接結びつかないが、人々の頭の中に潜むアルコール=酒、という想念の結びつきを借りて、暗示の喩えとして成り立つ。

 ここで暗示の喩えは、比喩すべき明確な対象を示していないため、それを比喩として機能させるためには、読み手がXとYとの関連性(類似性の共通した見立て)をしっかり認識できることが前提になる。ということは、書き手の暗示の喩えに対する表現技術の適性が求められるわけだ。

 この文彩遊戯、相手に通用しないことを「馬の耳に念仏」といったり、うますぎる話を「棚から牡丹餅」に喩えるなど、金言や寸鉄、詩歌などでもてはやされている。

 猫に小判 

 

猫を材にした用例③結び付けの喩え

【例】

猫の首に鈴を付けに行く鼠                                       荻生作

 社長のワンマン体制を批判したSさんは

 案の定、解雇を申し渡されました。

 いきりたったSさんは

 「こうなったら直談判しかない」と

 部屋を出ました。その後姿は

 猫の首に鈴を付けに行く鼠でした。

 複数の物事同士に共通する性質や現象などに関連付けて互いに結びつき喩えあう技法を、文彩遊戯で〈結び付けの喩え〉レトリックで〈提喩法〉という。いわばXという物事を言い表すのに、それとは意味の上で重なり合う部分をもつYという物事を代用する比喩だ。ここでいう重なり合う部分とは、類をもって種を、あるいは種をもって類を表す対象範囲内での関係を指す。

この文彩遊戯では、例文の「猫の首に鈴を付けにいく鼠」が該当する。猫と鼠は食うもの・食われるものという関係にあり、弱肉の鼠が強食の猫に立ち向かっていくという、失敗が目に見えている頼りない状況を説明しているわけだ。

似たような例を挙げると、黒めがねに黒いスーツ、鋭い目つきのお兄さんなら「ヤクザ者」、傍目も円満な夫婦なら「おしどりの仲」など、次のように、ことわざや慣用句にたくさん見つけることができる。

→以下は動物を扱い比喩を構成する抽象的な事柄の例。

 蛙の子は蛙→持って生まれた性質

 トンビがタカを生む→常識破りな事柄

 腐っても鯛→身に付いた品格

 サルも木から落ちる→意外な現象

 鳥なき里のコウモリ→もてはやされる

 

猫を材にした用例④類推の喩え

【例】

猫の眼から見たヒトは…                                        荻生作

猫があざ笑っていますよ

人間どもは吾輩らに

偉そうなことを言ってるけど

ヒトは四季がサカリの季節だ、と。

伝えたい本意()は隠しておき喩え()だけ挙げておいて、その喩えを通じて受け手に本意を悟らせる技法を、文彩遊戯で〈類推の喩え〉レトリックで〈転喩法〉という。互いに遊離しているXとYとを結びつける拠り所となるのは連想の働きである。

右例の場合、主役である猫()は春だけが恋の季節。なのに猫から見た人間ども()は四季を通してサカリが付いている、と笑っているわけ。そして読み手を「ヒトは四季が恋の季節」という発想逆転の立場に立たせることで、ユーモラスな擬人化であることを悟ってもらうことになる。

ウインク招き猫でーす 

 もう一例を通して、理解を深めておこう。

【例】

  古い日記より                        荻生作

 某月某日 土手ッ淵をあそこ此処とさ迷い歩き、糸をたらしてみたが当たりはほとんどなく、坊主で帰る始末。一昨日の大雨にしてやられた。そのうえ出がけに山の神に逆らったのがいけなかった。

では、釣りに出かけたが釣果はゼロ(坊主)で戻ったこと、出がけに夫婦喧嘩をやらかしたことを書いた。文中、「釣り」と「夫婦喧嘩」とは一言も書いてありませんが、文脈に仕掛けた類推の喩えから、読み手は何のことかを理解できるのである。

 

猫を材にした用例⑤仮託の喩え

【例】

巴里では猫までおしゃれだ                     荻生作

猫好きな画家、藤田嗣治はいう

「巴里では猫までおしゃれだ」

 一文中に気の利いた比喩をそれとなく挿入し、そこから喩えられているものを推測させる技法を、文彩遊戯で〈仮託の喩え〉レトリックで〈諷喩法〉という。高等テクニックの部類に入る。

一般に道徳的なこと、宗教や思想の観念、感情の発露などは抽象的で、表現するのに扱いにくいものの右翼であろう。例文中の「おしゃれ」も言い表しにくい言葉だ。これらの内容を読み手に理解してもらうには、より具体的で卑近な喩えを提供するに限る。この文彩テクニックが仮託の喩えである。

形態としては、文字通りの意味ならびに比喩上の意味という二面性をそなえている。たとえば上掲「 」内の短文(出典失念も、藤田画伯の随筆からの引用)に接した読者は、「巴里」の二文字を拾っただけで、本来のフランス首都であるパリのほかに、もう一つ、パリは世界的なファッションとおしゃれで代表される街、というイメージを描く。そしてこれを背景に、ペットに過ぎない猫までこの街では「おしゃれ」に染まっている、と仮託された想念を心に描くことになるのである。

 パリの街角での猫の落書き

 

猫を材にした用例⑥活写の喩え

【例】

吾輩は猫である

  吾輩は猫である。名前はまだ無い。」と

 われら猫族に「猫格」を与えてくれた

 漱石先生に感謝しなくては。

 人格、知性、感情などを持たない生物や物体などをあたかもそれらを持ち合わせているかのように見立てて喩える技法を、文彩遊戯で〈活写の喩え〉レトリックで〈活喩法〉という。野獣や家畜、ペット、無生物等を人間同様の高等生物に見立てた場合も、このカテゴリーに入る。

 慣用句になっている「草木も眠る丑三つ時」「怒り狂う波浪」などもこれに該当。別に述べた〈擬人化〉の類似テクニックとみなせる。

 例に挙げた断章中での「 」は夏目漱石『吾輩は猫である』からの引きで、猫に人並みに物を言わせた名篇。実は人が描いた猫世界への思い入れを活写した作品だが、猫に託しワンクッション置いての作者の思想や主張が描かれている点で、〈仮託の喩え〉ともみなすことがでる。

 猫格を頂戴し、御礼のご挨拶申し上げまする。九谷焼〔おじぎ福助猫〕 

〈活写の譬え〉は作詞や童謡の歌詞にもたくさん見える手法である。その代表的な例を1篇掲げると、

【例】

     大漁                         金子みすゞ

  朝焼小焼だ/大漁(たいりよう)

  大羽(おおば)(いわし)の/大漁だ

  浜は祭りの/やうだけど

  海のなかでは/何万の

   鰮のとむらひ/するだらう。

 

猫を材にした用例⑦大げさな喩え

【例】

怪猫は…真っ赤な口を開き                      荻生作

 怪猫は耳まで裂けた真っ赤な口を開き

 呪いの妖気を吐き出した。

 「犬公方め、末代まで祟りやるぞえ」

(傍線部分は、講談調の表現を借りた大げさな喩え)

文彩にいう〈大げさな喩え〉レトリックの〈張喩法〉は、喩えを例示して物事を大仰に表現する技法である。ただしこの文彩遊戯で、誇張とするか常態とするかの見極めは面倒で、書き手の主観的な判断にゆだねるしかなかろう。右記の傍線部表現についても、慣用上の常套句に過ぎない、という意見もあろう。

結論として、大げさな喩えの目的は、現実の些細さと表現上の誇張との落差をもってインパクトを強めることにある。どっちみち張ったりと見抜かれるのがオチで、軽薄感は払いきれない。

さて、講談じみた誇張はお呼びでない、現代的メッセージ例を、という方に左党から一例を呈します。

【例】             

二日酔いをボヤく友への嫌味                     荻生作

なんだ、二日酔くらいでまいってるの?

俺なんか、浴びるほど飲み明かし、

三日は持たせるよ。

 

猫を材にした用例⑧乱れの喩え

【例】

猫を紙袋に押し込んで…

 ♪…猫を紙袋(かんぶくろ)に押し込んで

  ポンと蹴りや ニャンと鳴く

  それって、動物虐待じゃないですか。(猫好きより)

 引用部分は童謡「山寺」の一節。作詞者(桂新吾)は、おそらく猫いじめなどという意識はなく、ただ単に節回しの面白さを演出するために創作したのだと思う。それをある猫好きが例に引いて動物虐待だと抗議する、という断章に仕立ててみた。いわば、どうでもいいような独断的なことを物言いの槍玉に挙げているわけである。

 このように、感覚適性を欠いたり論理上の矛盾を抱えた喩えを用いて目立たせる技法を文彩遊戯で〈乱れの喩え〉レトリックで〈濫喩法〉という。

 比喩を用いての飛躍した表現の多くは乱れの喩えに属する。ただ用例の位置取りや文章の長短など、引例そのものの適切さを欠くと、かえって何を言っているのか読者はわからなくなろう。やさしいようでなかなか難しい技法なのである。ついでながら、例示の歌詞は江戸時代の俗謡「ポンニャン節」のうち次の一節が元歌なっている。

♪山寺の和尚さんは

 鞠は蹴りたし鞠はなし

 猫を(ちやん)(ぶくろ)にどし込んで

 ポンと蹴りやニ

 ヤンと鳴く

 ニヤンニヤンと鳴きや山寺の…

 これは江戸時代の俗謡「ポンニャン節」をもとに明治初期、京都の落語家桂新吾が歌詞を改作したもので、新京極の寄席で広めた。ま、落語のネタになる程度の、歌詞自体にあまり意味のないナンセンス歌謡なのである。

 

猫を材にした用例⑨シンボル

【例】

「猫イラズ」とは付けもつけたり

 殺鼠剤を「猫イラズ」と名付けたため

 昔の猫たちは怒ったものだ。

 今の猫どもはニャンとも言わない。

 過保護とペットフードのせいで

 狩りの本能をなくしてしまったからだ。

 昔の猫は怒ったかどうか知らないが、「猫イラズ」という商品名はまさに殺鼠剤にぴったりのネーミングである。

 ある物事を代表するような別の物事を主役に扱う比喩の技法を〈シンボル、symbol〉和訳して〈象徴〉といっている。いわば暗示作用を仲介とした別の見立て言葉。たとえば「天皇は日本国の象徴である」での天皇⇔日本国、「鳩は平和のシンボル」での鳩⇔平和、という関係を指す。

例文の場合、「猫イラズ」が殺鼠剤のシンボル。シンボルであることが広く認識されるには、誰もが知っているという要件が必須で、応時の猫イラズはあまねく普及していた。薬局へ行ってもたいていの人は「猫イラズください」と注文し、殺鼠剤なんて言葉は口にしなかったのである。

主役が猫から狐へと代わるが、内田百閒という随筆の名手は『百鬼園日記』の中で、狐の大好物である油揚をそれとなくシンボル化して描いている。

【例】

    大正七年八月十二日午後 婆やんが、かうして油揚を置いて、後を向いて見ると、そのまにもう御狐様が食べて御ざいしやると云つた。

 観光土産にもなっている「石見銀山猫イラズ」

 

暗示引用 あんじいんよう

【例】

広告遊戯「ふらう はんぶるぐ」                      荻生作

聖女ですら娼婦に見えると評判の

エロスに媚びた街。

昼間の顔を洗い落とし

暗くなったらいらっしゃい。

──アダルト・テーマパーク                               ふらう はんぶるぐ

       高級娼婦「ココット」〔フックス『風俗の歴史』より〕

それらしき曖昧かつ抽象的な語句を並べ、その奥に隠された裏の意味を暗示で悟らせる技法を〈暗示引用〉という。例示のフィクションコピー、文中ひとことも書いてはないが、一読して売春館であるとわかる。ちなみにそのネーミングの意味は、ふらう=Missにあたるドイツ語。はんぶるぐ=ドイツの都市で往時の売春館のメッカHamburg。「昼間の顔を洗い落とし…」は、昼間の紳士面をかなぐり捨てて遊びに来なさい、との誘い。これも暗示引用のための補助句である。 

 暗示引用のテクニックは文彩でも高等技法であり、さらりと流すのがポイント。技法の来歴は古く、上方浄瑠璃作者の近松門左衛門はこれの天才的な巧者である。

暗示引用は寸鉄のような短文で威力を発揮する。近代警世家の長谷川如是閑(18751967、評論家)はこんな名言を残している。

外交官と幽霊は微笑をもつて敵を威嚇す。(雑誌『寸鉄』所収)

幽霊と抱き合わせで外交官の微笑外交を鋭く批判し、「外交官は厚顔で本心が知れない」ことを暗示している。

 

影絵 かげえ 

 人体の一部や物品を道具に用い障子等にその全影を輪郭に投影、面白絵として映す遊興である。

 近代、真夏の夕涼みがてらに「影絵会」などが催された。酒席の宴でも人気の定番。所によっては大家が勧進元となり店子らに出演させ賞品などを与えた。映像による風雅なコミュニケーションであったが、やがて幻灯、はては映画が普及するにつれ廃れていった。

影絵「梅に鶯」〔歌川広重画「即興かげぼし尽し」〕

 

擬人化 ぎじんか 

人以外の事物をあたかも人事であるかのように仮託し、表現上の摩擦を膨らます技法を〈擬人化〉という。

これは〈見立〉の一種で、人格付与に伴う非現実性がおかしみを誘う。

【例】

滑稽本より                                  十返舎一九

北八「ハヽヽヽこいつは、でかした〳〵 田舎「コレ〳〵最前から、だまつておれば、なんぜ、此あしで、わしが耳をなぶりものにさつせへた 北八「ハイこれは御めんなせへ 田舎「インニヤ扨御免では承知(じやうち)ならまいわい、それもこなさんが、むちうにならつせへて、はなしさつせる、手そゝぶりにやアあらまい事でもないが、こつちであたまをよけよふとすると、又あしでさぐりまはいては、なぶりものにさつせる、なんぜ人のあたまア、土足(どそく)につつかけさつせへた、すまない〳〵 弥次「ソリヤおきのどくなことだ、御めんなせへ、此よふにおあいやどするも、他生の縁とやら、どふぞ料簡(りやうけん)してやつて下さりませ 田舎「こんたがそふいはつせりやア、きかまいものでもないが、あんまり人を、ばかにさつせるから 北八「イヤもふ生酔(なまゑひ)だから、かんにんしてくんなせへ 田舎「イヤまんだこなさんは、わしどもをばかにさつせる、最前から見ておるに、酒ものまないで、生酔とは、猶じやうちならまいわい 北八「はてわつちは酒をのみやせぬが、此足がなま酔だから 田舎「ナニ足が酒をのむもんか、ばかアつくさつせるな 北八「おめへでへぶあつくなるの、あしが酔たといふは、さつき焼酎をふきかけたから、それに此足目が酔くさつて、ソレ御らふじろ、ひよろり〳〵、アレまだおめへのあたまに、からかをふとするコリヤ〳〵〳〵 田舎「ほんにこなさんの足は、わるい酒じや 北八「さやうさ、あしは下戸の足がよふござりやす、わつちはまことにこまりはてる 田舎「そんならよふござる、もふねまらまいか、女中〳〵、ねどころをたのみます(ト書はすべて略) &『東海道中膝栗毛』五編上

古典狂歌より                          ()寿()(ねの)兼満(かねみつ)

▽ただのりを短冊(たんざく)なりに焼かれしはむかしながらの山ざくら炭 &『徳和歌後万載集』巻十一 

*平忠度の詠「さざなみや志賀の都はあれにしを昔ながらの山桜かな」の本歌取り、同時に浅草海苔を詠者に擬人化している。

                                              (へその)(あな)(ぬし)

 ▽商売もおのが業とてうれしげに朝からかさをはる雨のころ &『万載狂歌集』巻二

新狂歌より                                   荻生作

    年貢の納め時

▽婆さんやわしの名前は何だっけお棺に聞こえ「そろそろ()りゃれ」

    東京之仙人述懐

▽土地の値が上ろと下がろと知ン兵衛ズボンずり落ちよほど気になる

広告キャッチより

▽お願いです。森さんと林さんを助けてください。/全林野労働組合 &『クレア』1990年七月号

 *この例、「森さん・林さん」を姓名から離し林野の擬人に見立てて始めておかしみが生じる。

宵待草                                       竹久夢二詞

♪待てどくらせど来ぬひとを/宵待草のやるせなさ/今宵は月も出ぬそうな ──大正八年楽譜

*囲われ者の女が心変りした情人の訪れを待ちわびる心情を「宵待草」という植物に仮託して詞につづった詞。

 この場合は、次項で述べる〈擬物法〉という正反対のの技法になる。

虱の旅                             添田啞蝉坊詞

♪ゾロリゾロリと ()い行く先は

右は(わき)の下 左は肩よ

ボロボロ着物や よごれたシャツの

縫目ハギ目を宿屋ときめて

♪昨日は背中 今日は乳の下

虱の旅は いつまでつづく

果てなき腹の 臍の上なる

縫目でもよし 安住の地ほし

♪おいら数多(あまた)の 兄弟共は

邪険な指に ひねりつぶされ

爪の責め苦や また火あぶりに

されて無残な 最後を遂げる

♪のがれのがれて (かかあ)と俺は

鳥も通わぬ 質屋の倉に 

ひもじさ(こら)えて 十日も暮らし

ようよう出たとき 世は花盛り

♪花が見たさに つい襟先(えりさき)

出たが最後で 嬶も捕われ

花見虱は しゃれてるなどと

(なぶ)り殺しじゃ 卵も共に

♪俺はのがれて 命を拾い

ひとり淋しく 旅から旅を

ビクビクもので 渡っているが 

思い廻せば 昔が恋し

&『替歌・戯歌研究』大正九年頃流行

人間様へ、眠れる犬(ケンネル)より新狂歌一首

▽吾輩をさんざ(あそ)んでペット捨てまとめ処分(ごろし)じゃかニャワンわい        荻生作

 猫を芸者に擬人化〔猫のすずみ、歌川国芳画、天保年刊、東京国立博物館蔵〕単なる猫の夕涼みを画題としただけでなく、団扇絵になっている趣向である。

 

偽物化 ぎぶつか

 人をあたかも物事のように見立て表現上の摩擦を増大させる技法を〈擬物化〉という。対極の関係にある〈擬人化〉と並んで、脱人格に伴う非現実性がおかしみを誘うのである。

日本での女権論の大立者平塚らいてうは、主宰する婦人誌『青鞜』明治四十四年九月創刊号で次のような文章を書いている。

 元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。

 今、女性は月である。他に依つて生き、他の

 光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である。

【例】

擬人化の古典狂歌

    寄稲妻恋                                                  朱楽菅江

▽しばらくも夜床に尻をすえざるはわが妻ならぬいな妻ぞかし &『徳和歌後万載集』巻九

    寄鍋恋                                              (しのぶ)(がおか)(きよ)路里(ろり)

▽よし君がうそをつくまの鍋ならば我とぢ蓋となりてあはなん &『徳和歌後万載集』巻九

*和歌や狂歌の場合、詞書(ことばがき)が「○○恋」「寄○○恋」の類に多く見られる。〈擬人化〉とは対極関係にある。

 平成狂歌                                                        荻生作

    接待漬官僚出陣

▽夕まぎれたかり虫ども羽根のばし霞ヶ関を抜け飛び散れり

【例】

その筋の女に相場がたった

   娼 況

こゝ(もと)米価非常の騰貴に影響を及ぼし各地とも随分に品物は出回るべき娼況なれど彼の三ケ年期に抱へ主非常の弱気を含み従来大(まがき)にて五百円以上踏込んで買出せし程の代物も昨今は三百円どまり位となり随って小格子マバラ連も同様前借金出し惜みの姿にて二百円止り百二三十円内外の駆引なり(もつと)も売物は上物相変らず払底にて中物下物は大坂紀州西京岐阜等に沢山在荷(ありに)は見ゆれど何分前借金の折合纏まらず一寸こゝ許ねまち模様にて手放し()ね双方白眼合(にらみあひ)の娼況なるが追々米価低落の勢ひに連れ此の先いかに変動を現はすやも知れず &『東京朝日新聞』明治二十三年七月二十二日

*「娼況」とはうがった言葉だが、昭和三十二年四月 一日売春防止法が施行になるまで新聞・雑誌に散見できた。今ではもちろん死語になっている。米や小豆などではない。生身の娼妓の抱え相場を商況に仮託して情報提供するという、見事なまでの野次馬根性に恐れ入るばかりである。文面を見ても娼妓の人格はまったく無視され、単なるブツとして扱われている。チト口滑らし程度のことで目くじらたてる現今ウーマンリブ派のご婦人連には、見るも汚らわしい記事であろう。

 東京は墨東、玉ノ井遊郭の女たち(明治末期)

ときに明治二十二年二月の憲法発布の頃から、廃娼への世論が高まった。消極的姿勢の東京府よりも、神奈川県や群馬県などの地方議会で娼妓存廃が熱心に討議された。廃娼とはいえ今日的な人権擁護の観点からでなく、楼主に家畜並みに扱われる娼婦の悲惨さが社会同情を促したのである。しかしその後六十年余り、娼売が潰されることはなかった。

広告キャッチ

「不良品」宇梶剛士著 巨大暴走族の元総長が性格俳優になるまでの熱い生き様/書籍広告 &『朝日新聞』2004年一月八日

人よんで「粗大ごみ」                                        荻生作

縦の物を横にもしないで

毎日ゴロゴロ寝てばかり。

粗大ごみだから仕様がないけど。

いっそネットオークションか

青空市場で売っちゃおうかしら。

いいえ、売れっこないわね。

 

譬え〔歌謡〕 たとえ/かよう 

 歌謡詞中に譬えをふんだんに使って構成したもの。

 この類は歌謡詞の古今を問わず頻繁に目につく。

【例】

ラッパ節                                                        不知山人詞

♪わたしやよつぽどあわて者/(がま)(くち)拾ふて/喜んで/家へ帰つてよく見たら/馬車にひかれたひき蛙/トコトットット(明治三十八年頃に流行)

船頭小唄                                                        野口雨情詞

(おれ)は河原の枯れ(すすき)/同じお前も枯れ芒/どうせ二人はこの世では/花の咲かない枯れ芒 &『新作小唄』(大正十年に発表)

ほんとにそうなら                                               久保田宵二詞

♪たとえ火の雨槍の雨/月が四角に照ったとて/好いて好かれて紅紐の/解けぬ二人は縁結び/ほんとにそうなら うれしいね ──昭和八年新盤

男の純情                                                       佐藤惣之助詞 

♪男いのちの純情は/燃えて輝く金の星/夜の都の大空に/曇る涙を誰が知ろ ──昭和十一年新盤

 

譬え〔狂句〕 たとえ/きょうく 

 落書や投稿などに多く見られる狂句のうち、幕末から近代に発生したものを〈譬え狂句〉といっている。句集などを吟味して調べるとたくさん含まれているのがわかる。

【例】

此節世上に而の譬事に(落書)

塩煮の鯛の味ミや名も高し    吉原

切売のまぐろの差身味のよき   辰巳

葉せうがも一寸相手ニ蒸かれい  南方

玉味噌のちと土臭い(ぼら)の汁      新宿

すつぽんの直段を聞て恐れけり  芳町

白魚は子持ニ成といやニ成    囲者

涼しさは奇麗に味し洗い鯉    芸者

&『藤岡屋日記』第三

 

譬え〔俳諧〕 たとえ/はいかい 

発句、俳諧のうち譬え系に属するもの。俳諧の分野においても譬えの作品の多さが際立つ。

【例】

▽見る人の目も糸に成柳哉

▽ミ山木の桜や公家の田舎住

▽口の中ふるなもかくや郭公

(つかみつかれてかゝみこそすれ)

▽妻は鷹われあさましやきじの鳥

(ちらめきにけり数の夏虫)

▽くり返し書(たま)(づさ)のたとへこと 

&『毛吹草』巻一

 

譬え歌 たとえうた 

他の物事や故事などを引き、それに(なぞら)えて詠む和歌を〈譬え歌〉あるいは〈擬え歌〉〈比喩歌〉という。譬え歌は『古今和歌集』序に言う「和歌(りく)()」の一であり、

()つには、なずらへ歌、君に今朝朝の霜の

おきていなば恋しきごとに消えやわたら 

む といへるなるべし

とあり、当時すでに作歌法の一部に取り入れられていた。続いて、

 ()つには、たとへ歌、わが恋はよむとも尽

 きじ荒磯(ありそ)(うみ)の浜の真砂はよみ尽くすとも

 といへるなるべし

の一首が紹介されている。序文では「なずらえ歌」と「たとへ歌」とを別しているが、その差異は微妙であり、煩雑を避けるためにも「譬え歌」にまとめてよいかと思う。要は、抽象的内容の事柄を、具体的にわかりやすく表現する方便にある。

【例】                                                 (しや)()満誓(まんぜい)

▽世の中を何に譬えん朝びらきこぎ往にし船の跡なきがごとし &『万葉集』巻三

                    よみ人しらず

▽飛鳥川淵は瀬になる世なりとも思ひそめてん人は忘れじ &『古今和歌集』巻十四

藤原清輔

▽天の原雲の波たち月の舟星のはやしにこぎかくされぬ &『和歌初学抄』

喜遊の辞世詠 

 つゆをだにてとふやまとのおみなへし ふるあめりかにそではぬらさじ

 「吾妻絵姿烈女競 遊妓喜遊」月岡芳年画

*喜遊は横浜岩亀楼抱えの遊女。文久二年(1862)に自裁、享年未詳。この歌の背景

 となるようなもっともらしい巷説が流布しているが、じつは吉原松葉屋抱えの遊女

 花園の作、という説もある。

《参考》                             本居宣長

たとへ歌なずらへ歌、そへ歌、みなおなじことなるを、古今集の序に三つにわけたるは、しひてから国の六義といふ事にあてむとてのしひごとなり、すべて六義といふこと歌にあることなし、いみじきひがごとなり、

又たとへ歌のやう

たとへ歌、古今集よりこなたのは、その歌を見れば、たとへたる意のあらはにしらるゝやうによみたるものなり、然るに万葉集なるは、その事にあたりて、そのよみたる人は、たとへたる心をしるべけれど、後にその歌を見たるのみにては、たとへたる意は、こまかにはしれがたきが多し、されば今その歌をとくに、大かたにはおしはからるれども、たしかにはいひがたき歌おほし、其心してとくべきなり、

&『玉勝間』巻十四 

 

譬え比べ たとえくらべ

 二つ以上の物事を比較し、譬えの優劣等を競う遊びを〈譬え比べ〉と称する。比較される譬えの異質さが大きいほど面白味のある結果が得られよう。

【例】

                    宮川道達

本朝ニモ頃間京童ノ言ニ、古酒ヲ祇園会ト云ヒ新酒ヲ御霊祭ト云、如何ニトナレバ、古酒ハ味厚クシテ身体ノ上下、共ニ湿フテ酔フ、祇園ノ大社ノ祭ニ上京下京共ニ賑フガ如シ、新酒ハ味薄シ、頭上バカリ酔テ、下モ(しづか)ナリ、御霊ノ小社ノ祭ニ上京バカリ賑ヒテ、下京ノ寂寥タルガ如シト云モ青州平原ノ故事ニ似タリ &(くん)(もう)要言(ようげん)故事(こじ)』 

現代の喩え比べ                           荻生作

老妻「キャベツ一個よりこのサクランボ一粒のほうがずっと高いのよ」とのたまう。なんたる価格差の目の付けどころ、計算能力の高さ、比較の奇抜さであることよ。

 

譬え言 たとえごと 

他の物事に(よそ)えて表すことを「譬え」、その譬えに用いる言葉を〈譬え言〉という。

成句やことわざには譬えを用いたものがじつに多く、ほとんどが長い時代を経て伝承されてきた。たとえば天明期(178189)、すでに『譬喩尽(たとえづくし)』(編著者未詳)という大冊が成っていることからも、譬え言は相当の数に達していることがわかる。 

 下戸には「花より団子」 

【例】

『譬喩尽』より (→以下は筆者)

▽空き(だな)の恵比寿様

 →自分独りで悦に入っている。

▽石が流れて木の葉が沈む

 →世間の逆行現象、理不尽なこと。

▽後ろ弁天、前般若

 →今日いうところのバックシャン。

▽大風呂敷を広げる

 →誇大に言いふらすこと。

▽蛙の腹に灸据える

 →物事が失敗に終わること。

▽雲をつかんで鼻水(はな)をかむ

 →できない相談をいう。

(こわ)(めし)で作った帝釈天(たいしやくてん)

 →あばた面を遠回しに表現。

 ▽サザエに金平糖(こんぺいとう)

  →つのつきあわす(仲が悪い)者同士。

 ▽しわん坊の柿の種

  →かっかじめ屋の形容。

 ▽葬礼帰りの医者話

  →言っても仕様のない愚痴。

▽大黒柱を蟻がせせる

 →びくともしない状態。

▽月夜に提灯

 →無駄な行為をさす。

▽どぶから大蛇が出たよう

 →事件などで明るみに出た意外な事実。

▽やかんで茹でた蛸のよう

 →手も足も出ない、の洒落。

譬え「東京隠語」

▽一生の背負物 弁慶七つ道具

▽取柄がなきを 焼き場の稲荷

▽投遣りにするを 真田幸村

▽辛子に風 きいたふう

(せい)の高き人を 半鐘盗人

▽触り()がないを 狼のきんたま

()ないで苦労するを 白痴(こけ)の剣術

&『昆石雑録』合載袋

近・現代の譬え言                              荻生まとめ

*五十音語列順であ行のうち、ごく一部分のみ抜書きしただけで次のように少なからず列挙できる。しかも解説不要とみなしたものに限っている。

愛の巣、曖昧屋、青い鳥、青写真、青田刈り、青菜に塩、赤い気炎、赤狩り、赤字、赤提灯、赤電車、秋風が立つ、空巣狙い、あぐら鼻、明けの明星、顎を外す、朝飯前、足が出る、足代、葦原の瑞穂の国…

広告キャッチより

▽東京の平均身長は2・3階です。/三井不動産・共同事業システム「レッツ」 

 &『フォーカス』1981十二月四日号

▽胸から春になる。/小学館の出版案内

 &『サライ』1997年二月二十日号

《参考1》

珍しき肴あり、今一献あるべき…此御肴にては下戸も上戸も押なべて、ただ食べよ…何れも数年苦労を致し、勲功重畳するによりて、斯様の肴を以つて酒宴に及ぶ事、誠に大慶是に過ぎず 

&信長記(しんちようき)』巻七、小瀬甫庵著

織田(おだ)信長(のぶなが)(15341582)は安土桃山時代の武将。東海地方を統一した雄。尾張の覇者信長は、天下統一をめざし勢力を拡大、天正元(1573)年には足利義昭を追放して室町幕府を倒した。邪魔な存在であった浅井・朝倉をも滅ぼした彼は、天正二年の正月を浮いた気分で迎える。すでに前年十二月下旬から参加の大小名が岐阜城に参集。新年を迎えるや、信長に戦勝の祝辞を述べた。つれて振舞い酒、ということになる。大広間での酒宴がたけなわになる頃を見はからって、信長は掲出のような挨拶を述べたあと、三方に載せた黒塗りの箱を中央に据えさせた。一同が何だろうと見守るうち、小坊主が箱の蓋を取って中身を披露した。そこには、なんと髑髏(されこうべ)が三つ。金銀の箔濃(はくだみ)を施され、義景(よしかげ)(朝倉左京大夫)、久政(浅井下野守)、長政(子息の浅井備前守)との札が付けられていた。この髑髏(写本によっては塩漬けの生首)を肴とした酒宴は、信長に手向かうものは皆こういう姿になる、という恫喝にほかならない。いかにも信長らしい意表をついた演出ではある。

 

似て非尽し にてひづくし 

尽し物の一つ。似た者同士を寄せ集め、そ

の吹き溜まりぶりを面白おかしく描く。

【例】

似て非づくし

  第似大区似内町ニ住ス 朱盆月蔵

華族ト乞食似テ非ナリ、本妻ト権妻似テ非ナリ、娼妓ト地獄モ似テ非ナリ、角力ト芝居モ似テ非ナリ、征韓征台似テ非ナリ、牛鍋豚鍋似テ非ナリ、陰暦陽暦似テ非ナリ、巡査ト案山子モ似テ非ナリ、…… 

&『朝野新聞』明治八年一月三十一日

 

見立 みたて 

単独または複数の抽象的内容の事柄を、一般によく知られた共通の特性をもつ事物に譬えてわかりやすく伝える技法を〈見立〉という。これは暗喩表現の一つで、和歌をはじめ俳諧・戯作・舞台詞章など文芸全般にわたって用いられ、それらのほとんどが言語遊戯化されている。

見立番付「(おんな)庭訓(ていきん)」女房の(ぜん)(あく)(くらべ)

 &『社会万般番付大集』近藤蕉雨編

見立というとたいてい〈見立番付〉が登場するほど、付ものの趣向になっている。これについては項を改めて述べる。和歌の見立の場合は、とくに〈譬え歌〉で総括するならわし。また見立には「吹寄せ」「ない交ぜ」「へんちき」などいくつか分類法があるが、言葉遊びの場合はそこまでこだわる必要はない。

【例】

俳諧より

▽散る花は音無の滝といひつべし

▽川岸の洞は蛍の瓦灯かな

▽波たては輪違(わちがひ)なれや水の月

▽ふりましる雪に(あられ)やさねき綿

▽水かねかあらはれたはしる氷面(ひも)

&『毛吹草』巻一

徳の金高見立                                井原西鶴 

朝起き五両 家職二十両 夜詰八両 始末拾両 達者七両/この五十両を細かにして、胸算用・秤目違ひなきやうに、手合念を入、これを朝夕呑込むからは、長者にならざるといふ事なし 

&『日本永代蔵』巻三「長者丸」

妙薬見立                       

十返舎一九その薬といふは、(ぼし)()馬糞(ばふん)(すき)(くは)、これをみな細末になし、百姓の身の(あぶら)をしぼりて練り合せ、丸薬となし一九に飲ませけるに、不思議や妙薬の徳にて、今年の作は途方もなくよく出来ける 

&的中地本(あたりやしたじほん)問屋(といや)

鯛の婿入り (魚名などは博多訛り)

頃は小鮒の末つ方、なまづ元年ドンゴの二月、御魚の大臣鯛の助殿は、今日は吉日カニの日なれば、いざ婿入なさんと、其日のいでたちはなやかに、肌に取りては白浪召され、若芽の袷、カジメの羽織、ヒジキのひも一寸しめて、名古やの三重帯うしろで結び、昆布のはかまにカレイの雪駄、烏賊の白足袋、サンブとけこみ、ハマグリ巾着、モダマの緒〆、マテの印籠一寸腰に下げ、一尺八寸浪の平打二尺三寸太刀の魚、ハモとウナギのより分け手綱、其身カレイにひらめと召され、さて又御供は誰々なるや、サワラの三郎ブリの助、ボラの太郎サバの守、アゴなしとマビキが箱かつぎ、面ぐせ悪いヲコゼとアンコウが草履取り、槍を持つのがギギウにウンキウ、あまたの鰯が提灯とぼし、道案内がチヌの魚、一万余騎の御供で、玄海灘の沖はるか、姑舅館となりければ、鯔の三郎飛び込んで、只今聟君の御入りなりとふれ込めば、イルカ大臣は玄関まで出で迎ゐ、始めて婿にアイの魚、サワラばコチへと、婿は入り花茶は出ばな、お茶持つてこいコノシロー、先は祝言さかづき急がんと、銚子土器あらためて、嫁が飲んでは婿にさし、婿が飲んでは又嫁よ、三三九度や五五七七度び、かゝる処にスズキの七郎、この様な目出度い祝言なれば、何ぞ一つ踊り給へとありければ、エビ・カニ聞いて進み出で、某共も踊り度いは山々なれど、代々岩のあいだに住む者なれば年は寄らねど膝腰まがり、若い時からひげのびて、酒は飲まねど面青赤し、盗みはせねど手も長し、これで舞が舞はれよか、御身何ぞ踊り給へ、スズキはハツと立ち上がり、イカ・サバやコノシロ・フナに帆を上げて、波のアワビの島小鯛、イト目出度しと祝ゑ岩へと舞にける、かゝる処に嫁のお河豚さんは、鯛の側にすりよつて、申上げます自からは、色の黒いは家ソンじや、腹の太いは親ゆづり、必ずあいて下さるなと、しなだれかゝるを鯛はヒレにてピンとはねれば、居ならぶあまたの雑魚共、お河豚さんの姿に見とれて、どしよを骨からカマス骨迄、気も魂もずく〳〵致し、ヨイヤ〱御河豚さんが命取りじやと誉めにける、魚も代々孫繁昌、納まる御代こそ目出度けれ。&座頭くづれ琵琶語り、『日本庶民生活史料集成』第十七巻

*盲僧の口承門付芸で、昭和初期まで北九州を中心に見られた。

如見諸人困究丸

一 第一、困究する事妙也、一 けんやくに用てよし、一 人の油をとるによし、一 義理をかくによし、一 はじをかくによし、

右用様毎日三度づゝさゆにて用ゆ 

*田沼支配時代の江戸落書。

当時流行見立相撲

大関 大名のかち歩き 町人の馬乗り/関脇 腰の軽い侍 尻の重い会社連/小結 かみ結床のアル平棒 牛鍋のフラホ/前頭 神か仏になる・仏か神になる 詩入のどゞ一・手遊子のじんく/銕道の埋立・島原の追立 菓子に似たしやぼん・酒のやうな香水… 

&『明治事物起原』上・第一編、「明治事物番付精華」

 ハイジャック犯の珍声明

われわれは「あしたのジョー」である。

──よど号ハイジャック犯の行動供述書より

*「あしたのジョー」は、高森朝雄原作・ちばてつや画の人気劇画の主人公、矢吹(ジヨー)である。ジョーは腕っ節が強くプロボクサーに成長して、宿敵の力石徹と対決、彼を死に追いやってしまう。その残酷なまでにすさまじい生き様が若者たちをとりこにした。この作品は、昭和四十三年から約五年間にわたり『週刊少年マガジン』に連載された。昭和四十五年三月三十一日朝、羽田空港を出発した日航機「よど号」は、富士山付近を飛行中、日本赤軍派九人のグループに「北朝鮮へ行け」と脅迫され乗っ取られた。翌月、犯行の首謀者らは警視庁公安部に逮捕され調書を取られたが、その供述に掲出の言葉があった。当時人気絶頂にあったヒーロー矢吹丈を、犯人らは自分たちにすり替えての思い入れである。犯行を反省するどころか、英雄的行為と自負した態度がありあり。頭デッカチな極左や極右に走ると、社会全体を敵にまわす結果になるという、よい例である。

春雨                                       柴田花守詞

♪春雨に しつぽり濡るる うぐひすの/羽風に匂う 梅の香や/花にたわむれ しおらしや/小鳥でさへも ひと筋に/ねぐら定めぬ 気はひとつ/わたしやうぐひす ぬしは梅/やがて身まま 気ままになるならば/さあ(おう)宿(しゆく)(ばい)じやないかいな さあなんでもよいわいな

 *維新直後の作のようである。

白い椿の歌                                佐藤惣之助詞

♪雪もかがやけ青春の

 花は涙のおくりもの

 風にさびしく泣きぬれし

 あわれ乙女の白椿 (昭和十年新盤)

 

見立違い みたてちがい

 言葉遊びでの〈見立違い〉は、物事の判断や見当を誤り、不本意な結末に陥ることをさす。落差が増幅されるほど読み手にとっては面白い。

【例】

見立違い勘違い

「見かけによらず太い野郎だ」

「そんなことないわ。ボクは体型スリムだし、オチンだって細くてかわいらしいのよ。いつもニューハーフにあこがれているくらいなんだから」

*ニューハーフ君の「太い野郎」に対する勘違いが結果の違和感の笑いを醸している。

 

見立番付 みたてばんづけ 

誰もがよく知っている同類の複数の事物を対象に、相撲番付に見立てて順位付けを一覧化した一枚刷り物を〈見立番付〉という。江戸期享保頃に現れ、明治時代に隆盛を極めたが、逆にコンクールばやりの現代では廃れている。

過去に見立番付を主題にした刊行物も何冊が出ている。

明治の当代百科全書である『明治事物起原』の著者石井研堂は、同書上巻・第一編人事部「明治事物万付精華」において、次のように述べている。

 番付は、其本質杜撰なり低級なり、其の悉くを信ずべからざるは、猶そら事の多き錦絵に同じ、但、沙を披きて金を得ることなしとも限らず、一概に之を唾棄すべからず、著者之を引用して参拠と為す。

【例】

 &『社会万般番付大集』近藤蕉雨編より

《参考》

                                    巌谷(いわや)小波(さざなみ)

焦雨君の目は八方睨みである。その八方に睨みたる所を、東西二方に見立て分けて、この十数年来に発表する取組番付、その数百を以て算するに至る。今之を一巻にするに当つて、余にも題詞を需む。即ち例の十七字を以て、曰く

  どちらにも花も足せたり菊あはせ

&『社会万般番付大集』近藤焦雨編

 

『迷処邪正按内拾穂抄』 めいしょじゃせいあんないしゅうほしょう 

江戸中期に志道軒(1680?~1765)なる人物がいた。京都出身の講釈師で、軍談を語らせたら右に出る者がいなかったとか、風来山人こと平賀源内が伝記を書いている。

『迷処邪正按内拾穂抄』は、その志道軒が著した案内記だが、内容は人の生涯出来事を旅道中に見立てるという凝ったもの。各名所?にはもっともらしい説明文が付いている。引用では冒頭「夫婦が淵」のみ説明全文を付し、あとは見立の各項目のみにとどめるが、必要に応じ所収の『洒落本大成』第三巻(中央公論社)を参照されたい。

    夫婦(ふうふ)(ふち )

常に相生の松茂り(むつま)しけれ共時として濁る事有(さと)の遊びの初雪には終居(ついい)つゝけの尻を(さか)され(てかけ)(なさけ)白露(しらつゆ)にはいつ移香(うつりか)(とかめ)らるより顔に紅葉の色を散らし破鍋(われなべ)綴蓋(とちふた)の中たへ電木(すりこき)(ほうき)(ちり)に交る皆水中の火気(くはき)より生す(あふひ)(うへ)の能に(くは)し○軒か曰火一名()()と号す内義(ないぎ)のりん木に枝をさかへもみ合きひしき所より火気高ふる此時後光さすにや女房を拝む男もあり

    鴛鴦(おしとり)や波風立てぬ女夫(めおと)

▽以下は見立名所                        荻生まとめ

   取上(とりあげ)馬場 乳母が石 手習山の(むた)書木(かき) 産子(おほこ)か池 正直(すなほ)川 思案(しあん)橋 分別(ふんへつ)坂 念者(ねんじや)森 黄金水 (かん)(りやく)坂 驕里(おごり) 自堕落(しだらく)山 滅坊(めつほう) 不埒池(ふらち) 浮名(うきな)か原 助兵衛(すけべ)谷 好色門 初会(しよくはい)の浜 約束の浦 登嶋(としま) 口説津(くぜつ) (もら)() 物日(ものひ)の灘 見揚里(みあがり) 地廻里(ちまはり) 太夫山(たゆふざん) 禿(かむろ)が辻 踊子(おとりこ)沢 陰間(かけま)小路(こうじ) 比丘尼(ひくに)橋 …

 

擬き もどき 

「擬き」がもつ本来の意味は、模倣して作ったり応じたりする、相手の発言に似せてまぜっかえす、といったところである。古代の擬は多分に神がかり的で、神詞など権力象徴に対し、庶民側の精霊が揶揄(やゆ)を込めて応酬する、といった場合などに用いた。遊戯半分、信仰儀礼半分の手段であったわけだ。

言葉遊びの〈擬〉はこれから自然分岐したもので、中世に発達普及した。これまた元の詞を悪意のない茶化しで真似る、程度の意味である。つまり後世生じた〈捩り〉あるいは今日の〈パロディ〉と、本質的に変わりないのである。現代においても、擬をもって祝言などを滑稽化する伝承行事が一部の地方に残っている。

 これを「ガンもどき」という

【例】

古典笑話より㈠

大坂の稲荷が焼けたによつて、京の稲荷から、ねんごろあいの狐のところへ見舞いに来たつて、「さて〳〵時節がら、難儀であらふ。何なりと心おきなく用を言ひめされ」といひければ、大坂の狐が聞いて、「それはうれしい。ひごろからこん〳〵の中なれば、今度は一入(ひとしお)頼みます」といふたれば、京狐が、「いかにも、ばかしておかつしやれ」といふた。&『軽口花見鳥』

 *右は擬とも、かすりとも、秀句ともつかない混交作品である。

古典笑話より㈡

なまこ                                東西庵南北あのしやミせんはなんだ。「たいこにや手があるあしがある。なまこにやめがない。ずんべらぼう」「おきアがれ、むかしはやつたことを、いなかぜごめが。三味せんのてうしも、あひもしねへで、うぬも目くらのくせに。これ、ぬらりくらりとしてゐるやうでもの、おうしうの、きんくわざんのうミでハの、はいミやうをきんこといふよ。ずいぶんくわいせきへでゝも、おされもしねへのさ。さけのさかなじァ、やぼでねへといわれやす。けさ肴やさんがうめぼしおけへおれをいれて、こゝの内へつれてきたが、まだわさびをかつたはなしはねへす。こいつはおかしひ。ねこめがちよつけいをだすな。へたぁり〳〵めらぁり」

&『物真似草子』

熊沢天皇、無念のお言葉

御先祖様の事を思い、今日未だ至誠の士あり、今夜の(うたげ)に座すことを想うとき、過分である。ご先祖様も定めし、地下で御満足であろうと思う。それにつけても北朝の今日この頃、思えば無念の極みである。

&『世界評論』昭和二十五年、川合貞吉「熊沢天皇擁立秘話」

 熊沢寛道〔Wikipediaより〕

*熊沢天皇こと熊沢(くまざわ)(ひろ)(みち)(18881966)は南朝崇拝者。天皇を自称し政府などに上奏文を送る。時は前後するが終戦の翌年、熊沢は南朝最後の後亀山天皇から一八代目の直系子孫であると名乗りをあげた。GHQへ直訴し、現天皇はニセ者だから自分を皇位に据えるよう命令して欲しい、と。この一件は昭和二十一年一月十八日、米占領軍機関紙『星条旗(スターズアンドストライプス)』に掲載され、日本のマスコミも報道、センセーションを捲き起こした。時さかのぼり昭和十年、一部の右翼シンパは熊沢天皇を擁立する運動を企てた。東京の某邸に熊沢は迎えられ、彼は天顔をほころばせて掲出の挨拶を述べた。五百数十年もたってから「北朝」呼ばわりもないと思うが、狂信者というのは矢張り常識の枠では収まらない。終戦直後は、熊沢にならって「自称天皇」ラッシュが到来した。同じ熊沢一門で、寛道のほか四人が自称して現れた。ほかにも愛知県の外村天皇、岡山県の酒本天皇、鹿児島県の長浜天皇、新潟県では佐渡天皇なんていうのも名乗り出ている。

 

よそえ言 よそえごと 

「よそえ」とは、主題に対し物事を引き寄せ言葉に膠着させることをいう。

和歌・狂歌では「〇〇に寄する恋」のような詞書に託した形式のものが代表である。たとえば、

寄大根恋                        から衣(きつ)(しゆう  )

  うきたひに袖しほり汁からうしてしのふ心をねりま大根

のように題詞「寄大根恋」に沿った内容の歌ヲ を詠じる。

しかし言語遊戯でいう〈よそえ言〉は、類題形式それぞれに寄せた複数の戯歌の詠題をセットにした詠歌をいう。えてして飛躍の度が過ぎて一人よがりになり、ピンとこない作になりがちなので、作る場合は細心の注意を払いたい。

【例】

花によそへて                               源不美乎

戯に東京七大新聞を春花によそへてよめる、

    梅   京浜毎日新聞

 霜雪はおかすとすれどさきがけて匂ふや梅のみさをなるらん

    桜   朝野新聞

 咲花はこゝらにほへど日のもとのはなの花なる花さくら花

    桃   時事新報

 三千歳のみのりしられて若木より色香も深きもゝのはつ花

    牡丹  報知新聞

 春の日のながきもあかぬ眺め哉いまをさかりの色深見草

    山吹  東洋新報

 実のなきぞはかなかりける山吹の花は黄金のいろにさけども

    藤   東京日日新聞

 品たかくさくとはすれど春かぜのまに〳〵なびく藤の花房

    犬桜  明治日報

 手折来て見るかひもなし其名のみ桜に似たるいぬさくらばな

『朝野新聞』明治十五年三月二十六日

幸徳秋水の異端歌

 爆弾の飛ぶよと見てし初夢は千代田の松の雪折れの音〔明治四十三年年賀の戯れ歌、これが遺稿となる〕