即興仕立の面白味は諸遊戯の中でも抜きん出る。今、一段と多様化し人気が集中

12 捩りとパロディ系 もじりと──けい

 

ことわざや詞章などの一部または全部を寓意的に同音異義語で差し替え滑稽を表現する技法を〈捩り〉という。語義は「捩る=捻じ曲げる」という動詞が名詞化したものである。捩りは英語のパロディに相当する。

捩りは〈地口〉に似かよっていて、いうなれば一卵性双生児のような関係にある。しかし、双生児兄弟といえども肉体的特徴や個性に相違が見られるように、地口と捩りにも微妙な差異がある。双方とも音通にもとづく洒落にはちがいないが、地口が類音異義で可とするのに対し、捩りのほうは同音異義もしくは酷似類音が原則である。すなわち元の詞章から音通性がかけ離れている場合、地口として通用する場合でも、捩りとはいいがたいケースもあるということである。

兄弟が出たところで、例で示そう。

「兄弟は他人の始まり」の元句に対して、

 縁台は将棋の始まり

 なら地口では通用しても、捩りとしては音の似通いにもう一工夫欲しいところで、

 「頂戴」は他人の始まり

として、初めて捩りとしての効果が出てくる。以上のことから捩りは地口と同じもの、と決め付けることはできない。

一般に捩り作品は、たいていが原作とくらべ軽妙に諧謔させて作る。つまり原作の内容を貶めることで、その摩擦(落差)のおかしみを誘い出すのがポイントになる。

あと一つ留意したいことがある。〈パロディ〉の語の乱用である。捩りとパロディの語義は同じとみなしてよいが、用法にけじめがついてない。斯界の学識者と称する人たちが、自身の著作などで和歌や俳諧の捩りを引用するさいに「パロディ」の語をを無神経に連発している。

およそ用語にはTPOに応じた使い分けがあるわけで、この一事をもってしてもご当人が本当に「洒落」の意味や言葉の正しい用法がわかっているのか疑わしい。パロディの語の使用は、国文の場合近・現代作品にとどめるべきである。

なお、言語遊技上の捩りについては別儀がある。それは雑俳の場合で、出題一句に他の二句を捩り加えて完成させる〈本捩り〉〈字捩り〉の二種で、本項でいう本来の捩りとは系統的に別物である。また原作の全体を模倣したものについては、捩りとはいえないので、別に〈偽作〉として扱っている。

 

 

12 捩りとパロディ系の目録

(五十音)

一字違いで大違い

 鸚鵡返し

 仮名違い言葉

 擬音洒落

 聞き違え

 偽経文

 偽作

 吃音遊

 広告擬き

 澄むと濁る

 てにをは抜き

 鳥鳴擬き

 パロディ

 百人一首捩り

 名景擬き

 捩り〔謡取り〕

 捩り〔狂歌〕

 捩り〔ことわざ〕

    捩り〔都々逸〕

捩り 〔百人一首〕

 捩り〔ポップ〕

 

 

一字違いで大違い いちじちがいでおおちがい

語句を一字だけ換えて、あるいは一字付け足して、全体の意味をがらりと変えてしまう遊びを〈一字違いで大違い〉と称する。

形態上は〈澄むと濁る〉に似たもので、捩りの系統に属する。アナグラム系にも似たような遊びがいくつかあるが、それは文字の組換えという点で異なる。

【例】

古典笑話より

物書くには、句の切りやうが大事じや、京に柄杓(ひしやく)さしの上手あり、元来は大津の者にてありけるが、都に家を持ち、即ち表の暖簾(のれん)に、「天下一大つひしやくや」と書付くる。これを京(わらんべ)、「大つび(つび=玉門)借家(しやくや)」と読ふだ、「さて〳〵手柄な(へへ)(女陰)を持ちた事じや、天下一の大(つび)が借家して居るほどに、いざ〳〵見物に行かん」とて、かの家の門前に貴賎群集をなす、もとは「天下一大つひしやくや」、今は「天下一大つのひしやくや」、かくの如く、「の」の字を入れて書く、「尤もじや、初めよりその念はありたい事じや」と、人毎に言ふ&『きのふはけふの物語』上

古典狂歌より                           手柄岡持

▽桜花散りかひくもれおいらの来むといふなる道まがふかに(出典失念)

 ←桜花散りか引くもれおいらの来むといふなる道まがふかに/伝承の古歌 (ともに傍線は筆者)

戦時標語に一字加え

▽ぜいたくは敵だ。(昭和十六年以降の戦時標語)

    ↓

  ぜいたくは敵だ(戦後生まれの捩り)

 太平洋戦中は街の至る所にこの看板やポスターが目についた。

現代の成文

▽えんぴつに芯あり、えんとつに芯なし

▽大砲は人を殺し、介抱は人を助ける

▽まんざいは口をあけ、ばんざいは手をあげ

間違い浮世節

♪しんぼうができんで びんぼうして よだんとさんだんくいちがい ぼたもちとしりもちとつきちがい アハテタ人ダナ カンニンシテクレ ヤセルカラ ウキヨダナイカイナ

♪ぼうさんこのごろ うかれだし どきやうとおきやうのよみちがい をてらとどてらのききちがい アハテタ人ダナ カンニンシテクレ ヤセルカラ ウキヨダナイカイナ

♪いつでもせきこむ あわてもの とくりとしやくりのだしちがい をしやくとこしやくのききちがい アハテタ人ダナ カンニンシテクレ ヤセルカラ ウキヨダナイカイナ

♪なんぼこころが せけばとて をきゃくとひきゃくのよびちがい せなかとおなかのだきちがい アハテタ人ダナ カンニンシテクレ ヤセルカラ ウキヨダナイカイナ

♪ひさしぶりだと めになみだ はしらとかしらのうちちがい あいたへとくいたいの大ちがい アハテタ人ダナ カンニンシテクレ ヤセルカラ ウキヨダナイカイナ

&『間違笑袋浮世ぶし』、明治三十二年頃流行

*明治中期、程ほどにはやった唄。まだ識字率が低かったため仮名書である。

 

鸚鵡返し おうむがえし 

他人から詠みかけられた歌俳の一字か二字を変え、全体の意味を一転させて返す技法を〈鸚鵡返し〉という。言語遊戯上は高等技術に入り、古来、才知を示威する手法の一つとして注目されてきた。例を故事から引いてみる。

容色の衰えた晩年の小野小町が関寺で落魄(らくはく)の日日を過していた時、(みかど)から次の御製が届けられた。

 雲の上はありし昔に変らねど見し玉垂れの内ゆかしき

と、往年の宮中での生活を回想された慰め歌である。小町はただちに一字だけ直してお返しした。

 雲の上はありし昔に変らねど見し玉垂れの内ゆかしき(ともに傍線筆者)

仰せどおり、私は昔日の宮中生活を懐かしく思っております、と「ぞ」に変えることで一人称の助詞に化し、歌意を一転させている。

じつはこの逸話、『十訓抄(じゆつきんしよう)』に載った他の話(本項《参考》) を小町事にすり替えている。たしかに小町仕立にしたほうが演出効果が大きい。この点を察知した後世人の遊び心が生んだ作為であろう。

 小野小町像

 和歌や俳句だと何例か作品を紹介できるが、狂歌ではめったに出くわさない。狂歌らしきものの例でお茶を濁すとしよう。

昭和初期のこと、某酒屋の貼り紙に

貸しますと返しませんので困ります現金ならば安く売ります

とあった。ところが翌日、文面の一部が書き換えられていた。いたずらいわく、

  借りますと貰つたやうに思ひます現金ならば余所で買ひます

 この例、一字か二字どころかかなりの文字を改変してあるから、純粋な鸚鵡返しとはいえない。が、捩り返しの応酬の面白さは買ってやるべきだ。

【例】

返事体事                                         藤原為顕

…四に鸚鵡返しとて口まねをするやうに読む也、(中略)

  思へども思はずとのみいふなればいなや思はじ思ふかひなし

とあるかへし、

思へども思はず中はいふなればいなやよしなしいふひもなし

&『竹園抄』

酒井忠次の鸚鵡返し

*武田と徳川の戦で、甲州勢は浜松城を包囲するに至った。松平(徳川)陣など何するものぞと調子づいた武田側は、正月を間近に控えていたおりから、

▽松枯れて竹たぐひなき(あした)(かな)

の一句をしたためた矢文を城中に放つ。これを読んだ徳川四天王の一人、酒井忠次は、早速機転をめぐらし、次の返句を送った。

▽松枯れで武田首無き旦哉

&『鹿の巻筆』巻四より荻生が要約

《参照》

藤原成範のおうむ返し

(しげ)(のり)卿、ことありて、召し返されて、内裏(だいり)に参ぜられたりけるに、昔は女房の(いり)(たち)なりし人の、今ははさもあらざりければ、女房の中より、昔を思ひ出でて、

  雲の上はありし昔にかはらねど見し(たま)()れのうちや恋しき

とよみ(いだ)しけるを、返事せむとて、(とう)(ろう)のきはに寄りけるほどに、小松(こまつの)大臣(おとど)の参り給ひければ、急ぎ立ちのくとて、灯籠の火の、かき上げの木の端にて、「や」文字を()ちて、そばに「ぞ」文字を書きて、御簾(みす)の内へさし入れて、出でられにけり、女房、取りて見るに、「ぞ」文字一つにて返しをせられたりける、ありがたかりけり &『十訓抄』上・一ノ二十六

 

仮名違い言葉 かなちがいことば 

短句同士を捩り合わせて作った対句をもって〈仮名違い言葉〉という。〈一字違いで大違い〉の亜流で、こちらは奥の深さに欠ける。

【例】

仮名違い言葉(伝承)

▽弁けいに弁とう

▽せんどうにせんとう

▽おいらんにどうらん

▽すずめにするめ

▽おかぐらにまたぐら

▽シャッポにてっぽう

▽ポンプにランプ

▽ひものにきもの

▽たわらにかわら

 

擬音洒落 ぎおんしゃれ 

〈祇園洒落〉は筆者の創作語、男のユートピアならぬ、オノマトピアの遊びである。擬音(オノマトピア)(擬態・犠声を含む総称)は修辞の主要技法の一つだが、これも度を超えると遊びになってしまう。賛辞が度を超すと嫌味になるように。

【例】 

放屁男の曲屁              風来山人(はやし)に合せ(まづ)最初が目出度三番叟屁。トツハヒヨロ〳〵ヒツ〳〵〳〵と拍子よく、次が(にはとり)東天紅(とうてんこう)をブヽブウーブウと撒分(ひりわけ)、其跡が水車、ブウ〳〵〳〵と(ひり)ながら己が体を車返り、左ながら車の水勢に迫り、汲ではうつす風情(ふぜい)あり 

&『放屁論』

 岩見重太郎の猅猅(ひひ)退治

(怪物)「キヤーツ」と怪しき叫び声をだして恐縮(ひる)む奴ツを重太郎、パツと咬み付かれた左の腕をふり放ち、右手をのばして彼の怪物の首筋を引摑み、力に任せて社の中をズル〳〵ズル〳〵引擦りまわした、スルと不思議や(たちま)ちゴーツ〳〵ツと家鳴り振動して、グワラ〳〵〳〵ツとこの社も(くつが)へらんと思ふばかりの凄まじき物音、外面(そと)は一陣の怪風につれてバラ〳〵ツと木の葉の散る音、なにしろ其暴れ方といふのは一通りではない、そのうちに怪物の脇腹よりは鮮血ダラ〳〵と迸りいで(中略)いましも妖怪が打つ倒れたのを見てパツと其上にまたがり、咽元のぞんでグイツと突きとほし、えぐり廻したそのときには、怪物が鳴き叫ぶその声の凄まじさ… 

&『岩見重太郎』立川文庫版

岩見(いわみ)重太郎(じゅうたろう)(?~1615)江戸初期の剣豪で猅猅退治武勇伝の主。岩見重太郎については講釈や草双紙などで伝説化された部分が多い。立川文庫もその類で、宣伝に一役買っている。猅猅退治は数ある武功談の一つ。信州松本は吉田村において、「身には銀線を植へたるがごとく真白で、背の高さは五尺八九寸もあらうといふ大猅々」をやっつけた話である。物語の進行につれ、随所に擬音表現が配されているのも立川文庫の特徴。この一篇でも手を変え品を変えして擬音が使われている。いくつか列挙すると──ザーツ、ザワザワ(怪風)、バリ〳〵ツ(格子を引き掻く音)、クワツ(と口を開く)、ノツソリ(内裡へ入る)、ブツリツ(と引きちぎる)、パツ〳〵ツ(と飛びつく)など、賑やかに演出効果を高めている。その立川文庫は、明治末から大正初めにかけ立川文明堂(大阪)が出版した少年向き文庫シリーズである。血湧き胸躍らせる面白さで、少年たちの読書欲を刺激するのに貢献した。

古典狂歌にみる擬音

                   唐衣橘洲

▽百薬の長どうけたる(くすり)(ざけ)のんでゆら〳〵ゆらぐ玉の() &『万歳狂歌集』巻十四

                                            (どう)(ともの)(しろ)(ぬし)

▽しらなみのたつもよろ〳〵生酔の顔はあかしのうら千鳥足 &『徳和歌後万載集』

                                                 多田人成(ただのひとなり)

▽いひよればぴんとはねたるかけ茶碗つぎめのあはぬ身こそつらけ &『吾妻曲狂歌文庫』

ちんちん小袴                           小泉八雲

ちん・ちん こばかま

夜も更け候う

お静まれ、姫君!

や とん とん!

児童文学より                                 宮沢賢治

変な子供はやはりきょろきょろこっちを見るだけきちんと腰掛けています。/そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱や栗の木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもは何だかにやっとわらってすこしうごいたようでした。&『風の又三郎』

擬態語吟句                                  種田山頭火

ほろほろ、ふらふら、

ぐでぐで、ごろごろ

ぼろぼろ、最後がどろどろ

&『どうしやうもない私・山頭火伝』岩川隆著

広告キャッチより

▽ズドンと愛、ずーっと愛。/日本生命相互「レディースリーグ」&『アンアン』1995年五月号

▽この季節、水もピッカピカにしてください。/クリンスイのアンダーシンクタイプ清水器 &『朝日新聞』2003年十二月九日

学校唱歌「川中島」                        旗野十一郎(たりひこ)

♪西条山は霧深し 筑摩の河は浪あらし/遥かにきこゆる物音は 逆捲く水かつわものか/昇る朝日に旗の手の きらめくひまにくる〳〵〳〵 &『新編教育唱歌集』三(明治二十九年発表)

 

聞き違え ききちがえ 

 語句や詞章が酷似した発音のため聞き違えた、という形式の言葉遊び。本来のものから意味などが大きくかけ離れた展開になっているほど傑作とされる。〈空耳〉とも言っている。

なんまいだァ、お布施は何万だア

【例】

誤聴です                              荻生作

千代(ちよ)万代(よろずよ)の御世→ちょっと飲もうよ

▽多摩ニュータウン→たまに歌うんです

▽和田アキ子の野望→やだ、飽きた、この野

▽ボーイング747→ボインなんだよな

 

偽経文 ぎきょうもん 

経文の模写文体を仮に〈偽経文〉としておく。一見してそれとわかるように、文章の流に韻律を含ませるなど工夫が必要である。

【例】

実娯(じつご)(きよう)                                         作者未詳

*弘法大師作と伝えられる「実経」五行対句形式教化訓の巧妙な捩り。きわめて好色化した内容が恣意的で秀逸。

雁高(がんこう)故不(こーふー)貴以気(きしき)(けん)()() 玉経(ぎよくきよう)太故(たいこ)不貴以(ふーきーいー)能気(のき)(まい)()() 陰屠一生(おんといつせい)(ざい)(しん)(しよう)(きつ)(きよう)() (いん)(きよう)()(まん)(だい)宝命(ほうめい)(しゆう)(きつ)(きよう)(らく) (まー)()()() ()(こう)()()()人色(じんしき)不仕無(ふしむ)(らく) ()(らく)()(まー)鹿() (にん)(しん)(ない)()()(ぎよ)()()(むー)() (すい)(けん)(せん)(りよう)(きん)()(によ)(いち)()() (けい)(てい)()()(せい)(けつ)()(けい)(てい)(ぶん) (いち)(ぶつ)(しや)(ちよう)(けん)()(けん)(いー)(らく) ()()(にち)(にち)(りゆう)() (おん)(もん)(しん)()()(ほつ)(じやく)()不仕也(ふしや)(後略)

        ↑

山高故不貴。以有樹為貴。人肥故不貴。以有智為貴。富是一生財。身滅即共滅。智是万代財。命終即随行。玉不磨無光。人不学無智。無智為愚人。倉内財有朽。身内財無朽。雖積千両金。不如一日学。兄弟常不合。慈悲為兄弟。財物永不存。才智為財物。四大日々衰。心神夜夜暗。幼時不勤学。(後略、新漢字) 

&『続 群書類従』九四六・実語教

阿呆艱艱(あほうかんかん)(きよう)「天保十三年寅の春」

天保年中 諸色高直 米穀下落 武家困窮 地獄手引 女髪結厳法度 為寄浄瑠理 是亦禁制 庄内国替 世間評判 家中当惑 金銀瑠璃 色々賄賂 権門流行 諸家献金 ……

&『藤岡屋日記』第拾四(天保十三年)

 天保の大飢饉〔絵師未詳〕

 

偽作 ぎさく 

よく知られた文学作品にスタイルを似せて創作するものを、広い意味で〈偽作〉といっている。言葉遊びでの偽作はあくまでも〈(もどき)〉の作品であり、一読して文体がそれとわかることが要件になる。言い換えると、偽作は文体の模写であり、原作とのあいだに必ず「似て非なる表現内容」の関係が成立していることが要件で、これを無視すると盗作とみなされることになりかねない。

偽作はまた、〈文体捩り〉とも異なる。偽作では表現が模写であればかまわないが、文体捩りの場合は原作に沿ったなぞりがなくてはならない。しかも内容が原作と異なること、という条件がつくので、偽作よりも文体捩りのほうが創作上の高等技術を要する。

なお、偽作の全篇を一冊にまとめたものを〈偽書〉といっている。

【例】

古今放屁集(書き出し)                       井本蛙楽斎

*以下は『古今和歌集』仮名序の偽作である。

夫れ人間の屁は、芋の煮たるを種として万の曲屁とぞなれりける、世の中に屁放る人、曲多きものなれば、望むことを見る人聞く人につけて、放り出さるゝなり、天井にすむいたち、ごもくに住む(へつ)(ぴり)(むし)を見るに、生きとし生けるもの、いづれか屁を放らざりける、力をも入れずして天地をも動かし、眼に見えぬ鬼神をも臭がらせ、男女の中をも心あしく、猛き武士の鼻をも摘まするは屁なり 

&『薫響集』

               

古今和歌集仮名序

やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける、世の中に在る人、事、業、繁きものなれば、心に思ふ事を見るもの、聞くものに付けて、言ひ出だせるなり、花に鳴くうぐいす、水にすむかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか、歌を詠まざりける、力も入れずして、あめつちを動かし、目に見えぬおに神をも哀れと思はせ、男女の仲をもやはらげ、たけきもののふの心をも慰むるは、歌なり

不如帰                                                     名知かせん編

*明治三十二年刊、徳富蘆花原作『不如帰』の焼き直し偽作(大正九年刊)

野も山も、春一様に立罩(たちこ)めて、緑溢るゝ伊香保の里、折り折りの不如帰の一声に誘れて、遥々東京より来る人は多けれど、斯く美しく睦しい御夫婦は珍らしいと、温泉宿の女中どもに評判さるゝのは、二三日前より或る事も無く楽し気に、老女のお幾を打連れて、笑ひ興じて其日を過して居る川島武夫に若奥様の浪子であります。

&『少女小説 不如帰』

 

吃音遊び きつおんあそび 

吃音、畳音のおかしみを利用して詞章に滑稽感を出すものを〈吃音遊び〉という。〈吃音歌〉の縁辺にある。近代まで散見できたものの、内容に乏しく今では消滅している。

 う、うるさいな、ド、ドモらっしゃい 

【例】

古歌謡より

♪月夜には、なり候まじ

闇にさへ、しの、しの、忍ばれぬものを

まして月の夜には

忍ばれ候まじ

「早口戯作集」より

其後しつたりかんたりかくたりひたくるくんし左衛門殿つら〳〵考え給ふに、さいつ頃両人の者共が詠みたる歌ことのほか面白し。然し乍ら今少しどふも短きやうなれば、何とぞしてもちつと長く詠みやうはあるまじきかと仰せ出されけるに、末座に控へたるどどどどどものまゝまゝまた兵衛といふ大吃りの先生まかり出て、然らば其歌をわたくし今一度詠み直して御耳に入れませうとて、御前に於いて高らかに読み上げける。

「むゝむゝむゝむめはとゝ飛び、ヱゝソゝゝゝゝそれからなゝゝゝ何んとかいつた、まゝまゝ松は枯れないひいゝいゝいゝ池のなゝ中の、かゝか亀の背中にたゝたゝた竹がによによ〳〵によ〳〵によつききりはゝ生へければ、そゝそ空飛ぶつゝつゝ鶴のしゝしゝしゝたッぱらこそ、アゝしよ〳〵しようべんが支度なつた、まゝまあいゝ行つてひよひよひよぐつて来やう、あゝあゝあぶなけりけるしゝしゝ次第なりけり、サゝサアわゝわゝ忘れた、いゝ今思ひ出す、まゝ待つてな、ヲゝそれ、やゝ山桜哉だ。

&『ことばの民俗学』

《参考》

春雨のしつほりとして物さびしきに、誹友打寄、昼の桜を夜咄の生花に見て、はや吉野ハ散て仕舞、奈良の八重桜も四五日の中を盛と、南都の友よりしらせける、次でに、南都諸白と書つけたる一樽はる〴〵おくられけるハ、誹諧(すけ)る人にハ気がはたらかず、我等酒を好ぬ事ハ日比よく知ながら、名物なれハとて南都諸白うれしからず、今宵の客衆(かくしゆ)の仕合と、主不興ながら封を切れば、酒樽に(もちゐ)をつめて越けるにぞ、上戸どもハおどろきちからをおとしぬ、主ハきげんにて、我らが下戸を知て、此気の付所、あつハれはたらきたる作意と、ひとり感じ、過し夏、此樽主飛火野にて、蛍を見ておどけ句に、

  ほゝほたるとゝとぶひのゝどもりかな

&曽呂里(そろり)狂歌咄(きようかばなし)』巻一

 

広告擬き こうこくもどき 

広告宣伝文に体裁を似せて作者が遊んでしまう類の作品を〈広告擬き〉あるいは〈広告遊戯〉とする。〈フィクション・アド〉とも。一種の擬似文体の創作であり、コピーライターになったつもりで書いてみよう。商品等を通し社会戯評の姿勢で書いてみると、なかなか楽しくてはまってしまう。

なお江戸時代の作品については、「広告」という言葉がまだない時代なので、らしき言葉を用いて厳密には「引札擬き」というべきである。

【例】

不平酒

   ママナラヌ国  アバレデール氏製

   不平酒  一名ヤケザケ  二本一円

右は元葡萄(=無道)の圧製にて油汁を絞り取りたる物故 性気極めて過激(はげし)胃張(ゐば)るのみに付 御維新後 其製(そのせい)を廃し禄石十分の一を以て(かも)し 不平酒と改め 其(あじは)ひ軽く 芳甘(はうかん)(=家禄奉還)にして暫時愉快を覚ゆると雖も 酔がまはるに随ひ拘旧(こきう)束縛(=呼吸逼迫)去るるが如くになり 月益(=月液)を補はず 不服よりブウブウを出し 肥前(=自然)と暴動の心を生じ肥後く(=至極)穏かなるも 萩の花散るが如き思ひありて胸(ふさが)るなり 西郷(=西郷)に望み放屁一発して全く酔の醒めさうにして 却て士暴(=途方)も無き熱をふき出すかも知れぬ盟衆(=名酒)なり

狡智県四派郡老若町請売所 (きやう) 護兵衛

&団団珍聞(まるまるちんぶん)』明治十年・第九号

【例】

宮武外骨の滑稽広告

 滑稽にして愛嬌あり、の広告〔宮武外骨作、『滑稽新聞明治三十四年二月』〕鬼才編集長外骨自らが作った。この作品は当時きわめて反響が大きく、今なお数多の引用が見られる。同誌にはこうしたオチョクリ広告の類型がおびただしく載せてある。

広告遊戯より

荻生作

 

弁天市場〈無疵良品〉 花酒爺の広告遊戯009

 

ch弁天市場がイチオシ

 

 

無疵良品

 

 御存じ「無印良品」のパロディ。広告擬きにさらにパロディを仕掛け仕上げてみた。

 

ことわざ逆説パロディ集

【例】

前説省略で御免(五十音順)     

                              前の句は荻生作

仰ぐ身天に恥ずかし←仰いで天にはじず

秋なすび後家に見せるな←秋なすび嫁に食わすな

飽きの仕草は夜に出る←秋の鹿は笛に寄る

秋の皺面(しわつら)に落ち込む←秋の日は釣瓶落とし

悪銭もつかむが勝ち←悪銭身に付かず

悪党の深読み←悪女の深情け

浅い乳房も深く探れ←浅い川も深く渡れ

朝迎え酒に夕べ宴会←朝題目に夕べ念仏

荒稼ぎに追いつく信義なし←稼ぐに追いつく貧乏なし

衣食足りて貞操乱る←衣食足りて礼節を知る

買うは通いの始め←会うは別れの始め

 *花酒爺の一言 凡夫の娼婦買いは病みつきになりがちだ。客をたぶらかす娼売用の仕草と素人女では味わえない性技のとりこにされてしまうからだ。

こぼれた酒は指をもしゃぶる←溺れるものは藁をもつかむ

色欲短くば命も短し←色欲は命を削る斧なり

助平の下っ可愛がり←恋に上下の隔てなし

作り笑いに誠なし←作り花に匂いなし

泣きっ面にパンチ←泣きっ面に蜂       

馬鹿正直は愚民の始まり←嘘つきは泥棒の始まり

裸なりゃこそ恥捨てる←裸で物を落とすためしなし

人を見て帯を解け←人を見て法を説け

仏づら見せ人化かす←鬼の中にも仏がいる

見せた聞かせた言わしめた←見ざる聞かざる言わざる *情報開示時代

わが身しごいて独り身のむなしさ知る←わが

 身つねって人の痛さを知れ悪商いは牛の一突き←商いは牛のよだれ

 

澄むと濁る すむとにごる 

日本語では仮名に濁点や半濁点を付けて音の濁音化を表す独特の表記法がある。つれて濁点(まれに半濁点)を付けたり外したりして、語句の意味を別のものへと変化させる遊びを〈澄むと濁る〉といっている。

江戸時代までの表記はこれといった規範が定められておらず、先人の慣行に従い書き表すにすぎなかった。ことに和歌では清音表記が徹底して励行された。が、無濁点表記だと音表の正確さが損なわれるのはもとより意味の取り違いもしばしば起る。狂歌師はこの点に着眼、面白おかしく揶揄した。たとえば、

世の中は澄むと濁るの違いにて刷毛に毛が有り禿に毛が無し(伝承歌、単音適用例)

世の中は澄むと濁るの違いにて有り河豚無し(伝承歌、二重適用例)

 

世の中は澄むと濁るの違いにてを飲みをのむ(伝承歌、交差反転適用例)

このような清濁から生じる意味の取り違い遊びは、元の語句との意義対立にするのが決まりになっていて、これにより面白味が引き立てられる。

 なお、澄むと濁るの技法は捩りの一種とみなすことができる。

 ふぐれっつらだ

【例】

単語の澄むと濁る

▽ちち()→ぢぢ(爺、旧表記)

▽はは()→ばば()

▽しょせい(書生)→女性(女性)

▽公開→公害

▽神聖→人生

▽総理、ご満足→草履、五万足

短歌のすむと濁る

三条右大臣

名にし負はば逢坂山のさねかずら人に知られくるよしもがな

       ↓

                                       よみ人しらず

名にし負はば逢坂山のさねかずら人に知られくるよしもがな

*傍線は筆者。知られ=「知られずに」で主部を打ち消す。知られ=「知られてしまった」という事実を述べ、歌意を一変させている。

古典笑話より

松右衛門といふ者、年の始めの夢想に、『長閑(のどか)なる囃子(はやし)にかゝる松右衛門』かやうに見られければ「めでたき心ばへなり」と喜び、友だちの許へ「これ、見給へ」とて、平仮名に書いてやられければ、かの人見て手を打ち「これはさて、人は知れぬものかな」といはれければ、女房「何事でござる」と問へば「さればこそ昨日まで息災にあつたが、これ見やれ、『(のど)が鳴る早や死にかゝる松右衛門』といふてきた」といはれた 

&『けらけらわらひ』

現代の傑作

▽きょうも元気だ、たばこがうまい/日本専売公社のキャッチ

▽きょうも元気だ、たばこ買うまい/巷間流布

《参考1》

頭を濁る語                                 本居宣長

言のはじめを濁るも、まれ〳〵にはあるは、蒲、石榴、楚、斑、紅粉などのごとし、これらふるき物にも見えたる詞なり、後世にこそ濁りていへ、古へはみな清みていへしなり、此の外にも猶有るべし、皆同じことなり、蒲は蒲生などいふ時は、今まも清めリ、ざくろは石榴の字の音なるべし、されど六帖の題にもあり、芭蕉なども、古今集の物名に、はせをばとあるは、上のはもじ、古へは清みてぞいひけむ、(ズワエ)は末枝なり、末をすわといふは、声をこわづくりなどいふに同じ、斑は神代記にも、斑駒(フチゴマ)と見えたり、是れをむちごまとも訓めるは、古へはふを清めることをしらずして、むちをも俗にぶちといふにならひて、これをもむちなるべしと心得たる、おしあてなり、紅子は、和名抄に□粉(ヘニ)と見えたり、上の件のほかに、げにといふ言は、言の字の音にて、後のことなり 

&『玉勝間』巻十

《参考2》

猪苗代兼載

仮名の清濁まがふことおほし、(中略)

 春すみ 朝すみ 花り 色り 下えて 夕まひ あさ山 夕山 関 山桜… 

&『兼載雑談』

*傍線(荻生付す)は濁音読みも通用するという例。

 

てにをは抜き てにをはぬき 

詞章などで「てにをは」つまり助詞をわざと抜いて文章に緊張を張らせる技法を、仮に〈てにをは抜き〉と称しておく。結果的に単なる類名寄せのような形になり、遊びとしての味はない。

現代ではレトリック分野でわずかに扱われるだけで、言葉遊びとしてはほとんど廃れている。

【例】

江戸俗謡より(寛保頃)

♪傾城湯女(ゆな)白人(はくじん)踊子(おどりこ)呼出山猫比丘尼飯盛綿摘(わたつみ)夜発(やぼち)蹴転(けごろ)舟饅頭 &『江戸時代の猥談』

鳥鳴擬き とりなきもどき 

たとえばホトトギスの鳴声は「テッペンカケタカ」と耳に聞えるというように、昔から慣用成句ができている。もちろん擬声の展開である。

このように、鳥の鳴き声を慣用句に仕立てたものを、まだ定まった用語がないため、ここでは〈鳥鳴擬〉と称しておく。

【例】

伝承のもの

▽お菊二十四、四六二十四←鵤(イカル)

行々子(ぎようぎようし)、行々子←大葦切(オオヨシキリ)

▽五郎助奉行、ボロ着て奉行←梟(フクロウ)

▽焼酎一杯グィー←仙台虫食(センダイムシクイ)

▽錠ピン掛けたか←蝦夷潜入(エゾセンニュウ)

▽ちょっと来い、ちょっと来い←小綬鶏(コジュケイ)

▽土食って虫食ってしぶ―い←燕(ツバメ)

▽月日星ホイホイホイ←三光鳥(サンコウチョウ)

 わが家のオウムめはわしを見ると「てっぺんはげたか」とさえずりおるわい。

 

パロディ parody

今日的なことわざや詞章、歌謡詞、文学作品の文体などを模擬したうえで内容の異なるものに変えて滑稽味を出す技法を〈パロディ〉という。

パロディはわが国古来の〈捩り〉ときには〈地口〉に相当するが、適用範囲はより多極化していて〈替え歌〉なども含まれ、今では文芸の一分野を形作るまでになっている。

なお日本の古典などを対象に解説する場合、「パロディ」の使用は避けるべきである。理由は洋語が時代に相応しない言葉だからで、代わりに「捩り」もしくは「もどき」を用いるべきである。

【例】

食糧メーデーのプラカード

詔書 国体はゴジされたぞ 朕はたらふく食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ ──日本共産党田中精機細胞

 *昭和二十一年五月十九日、餓死対策国民大会でのプラカード。八千万総飢餓に直面した終戦の翌年、別名を「飯米獲得人民大会」「食糧メーデー」「米よこせ集会」あるいは「飢えた胃袋のデモ」などと称された二五万人集会が日比谷公園から皇居前に連なった。このデモ中、掲出の文言を書いたプラカードの工員連(共産党オルグ)の責任者が、召喚され不敬罪に問われている。この事件は、事後も不敬罪の存立成否まで発展、検察側と弁護側で論争を戦わせる騒動に到った。浮浪者や戦災孤児は市街地のあちこちにたむろし、食い物を奪い合う。都内では野犬が姿を消した。絞め殺して肉を食う人間が増えたからだ。殺伐とした世相を反映して、食い物が怨みの殺人事件なども少なからず起きている。

投稿作品など(元句は省略)

▽開いた口は臭がらない/服部高志作

▽四十にしてマドモアゼル/盗作ぎみ

▽溺れるものは笑って沈む/Nyoro

▽小モンローなる彼女の太り/びっくり

▽君よ汁やみな実の雲丹/よみ人しらず

広告キャッチより

▽笑うカードに福が来る。/DCカード

  &『キネマ旬報』昭和六十三年三月

▽タイ ラブ ユー/タイ國際航空 

 &『月刊トラベルダイジェスト』1997年二月号

▽食べすぎ、読み過ぎに注意しましょう/ちびハナコGOLD 

 &『Hanako』1997年六月号

▽書けましておめでとう/ゼブラ手書きリン

 ク 

 &『朝日新聞』2003年十二月九日号

▽「和」が口ほどにモノを言う/「FRaU」十二月二十三日号 

 &『朝日新聞』2003年十二月九日

 上図文言を読み下して転写すると…

性教育直語

珍宝おもうにコーソコーソあい曳すること公園に、まらをたつること雄大なり。我が陰門よくはいりよくしまり、巾着まきざねどてだか、へそ腹心を一にして、夜々そのつとめをなせるは、これわが肉体の本能にして、愛情のえんげん又ボボに存す。

汝金玉吹かず、洗わず、紙も使わず珍宝に相和し精液を貯え強健、もめどもつぶれず、博愛女に及ぼしエロを修め四十八手を習い以て「よくじよう」を挑発し、握手キツスは求めて行い、進んで処女膜を破り結婚を解消し、常に貞操を軽んじ、ヒニン薬を携へ、一旦関係あれば義理人情をわきまへ以て男女道徳の褌を固くすべし。かくのごときはひとり珍宝が自由解放の恋愛たるのみならず、又以て花よめ芸術、枕草紙を勉強するに足らん、この道は実にわが人生無上の快楽にして、チヤタレー夫人と共に遵守すべき所之を未婚の淑女に公開して憚らず、二号三号と共にケンケンふくようして皆そのたのしみを一にせんことをこいねがう。

芳紀二十三歳 十月出産の日/助平大臣 床長隊長 副書㊞/汚名汚字 &『四畳半襖の下張』

 

百人一首捩り ひゃくにんいっしゅもじり

和歌の捩り狂詠で目につくのは、いわゆる〈百人一首捩り〉である。全体に冗長になる嫌いはあるが、そこそこに見栄えのする集を期待して、古今、挑戦者が絶えない。歌体はもはや和歌とはいえず、明らかに狂歌のものとなる。

【例】

「犬百人一首」より                        

*寛文九(1669)年夏、左心子賀(さしこが)(きん)という伝未詳の人物が『犬百人一首』を著している。小倉百人一首の捩り版で、もちろん狂歌仕立。捩り百人一首は他にもかなりの書冊が出ているが、この書は比較的よくまとまっていると思う。冒頭五首を抜書きしてみよう。

鈍智てんほう

▽あきれたのかれこれ囲碁の友をあつめ我だまし手は終にしれつゝ

←秋の田のかりほの(いほ)(とま)をあらみわが衣手は露にぬれつつ/天智天皇

女郎てんじん

▽はり過ぎてなくれにけらし白ふくに衣着るてふ尼のなりさま

←春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山/持統天皇

柿売人ぬき

▽あしき木のもきとりの此すたり物ながながら柿ひとつつかはなむ

←あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む/柿本人麻呂

山辺商人

(たきぎ)うりに打出てみればしらうとの買へる高値に欲ははりつゝ

田子(たご)の浦にうちいでて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ/山部赤人

若太夫

▽奥様に拍子(ひやうし)ふみ分け一曲の声きける時ぞ(ぜに)やかねじき

 

←奥山にもみぢふみわけなく鹿の声聞く時ぞ秋はかなしき/猿丸太夫

「捩りのめし百人一首」うち八首                       以下青字は荻生作

 *本歌はいずれも『小倉百人一首』からの引き。

客引きは山出しの()の下腹の()が泣かせ夜をひそか売りなん

     ↑

あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む(柿本人麻呂、歌番三)

(かか)の腹耳当て聴けばかすかなる身動くやや児出でし月かも

     ↑

天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも(安倍仲麻呂、歌番七)

樽が腹抜きて流るる酒の滝乙味(おつみ)とくとく嬉しかるらん

     ↑

みかの腹わきて流るるいづみ川いつみきとてか恋しかるらむ(藤原兼輔、歌番二十七)

朝ぼらけあかつきの顔見るまでは吉原遊廓(さと)に舞える白雪

     ↑

朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪(坂上是則、歌番三十一)

逸物(それ)見ての(のち)の心にくらぶれば昔は男思わざりけり

     ↑

逢ひ見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり(藤原敦忠、歌番四十四)

いも食いて尾鳴良(おなら)(がく)の八重(かなで)今日九つめ匂いぬるかな

     ↑

いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな(伊勢大輔、歌番六十一)

商いの上手の革の財布より洩れ見る札のかずのさわがし

     ↑

秋風にたなびく雲の絶え間よりもれ出づる月のかげのさやけさ(藤原顕輔、歌番七十九)

夢さそう競いの馬場の花ならで散りゆくものはわが身なりけり

     ↑

花さそふ嵐の庭の雪ならで降りゆくものはわが身なりけり(藤原公経、歌番九十六) 

 

名景擬き めいけいもどき 

美景を天下に誇る名所(などころ)は、昔から「日本三景」「近江八景」などと呼ばれ成語として伝承されている。向うから渡来した手法なので、普通は漢語の短句でつづる。

〈名景擬〉はそんな成句に便乗しらしきものに仕立てる裏方創作である。擬という以上捩りが本筋であり、擬似の体をかりて作品におかしみを添える必要がある。例に掲げた近江八景擬「極楽八景」は見本に筆者が一例だけ作ってみた作である。

【例】                     

東京八景の碑

池の端守田治兵衛外数名の発企にて、浅草公園内第六区へ東京八景の碑を建設する由、其の碑の箋額は高崎正風君、和歌は下谷上車坂町の橘正美氏にて、其和歌は左の通りなり。

上野満花

 池水にうつれる影も長閑にて花の上野はあくよしもなし

根岸馴鶯

松枝にいとしも馴れてかきならす琴の根岸のさとの鶯

浅草残雪

 ゆきかひはいとしけれ共春もまだ浅ぢが原の雪のむら消

小梅春雨

 室だきの香もいちじるく立添えておるや小梅の里の春雨

墨田春曙

 八重霞ふりさけ見ればひと筋の水も墨田の春の曙

佃洲夕賑

 朝ひらき千舟出れば夕東風に千舟佃の春の賑ひ

芝浦春月

 終夜(ヨモスガラ)月は霞て竹芝の浦より(イデ)て浦にこそ入れ

千代田春松

 君が代は千代田の岡に立ならび松も霞みて音せざりけり

&『東京日日新聞』明治十八年九月十二日

 「新東京八景」と傍書した東京都板橋区赤塚は松月院の石碑

近江八景擬「極楽八景」                                       下段は荻生作

白肌暮雪 はくきぼせつ    ←比良暮雪

 酒池帰帆 しゅちきはん    ←矢橋帰帆

 弁天夕照 べんてんゆうしょう ←瀬田夕照

 紅閨晩鐘 こうけいばんしょう ←三井晩鐘

 三千落雁 さんぜんらくがん  ←堅田落雁

 桃源秋月 とうげんしゅうげつ ←石山秋月

 合歓晴嵐 がっかんせいらん  ←粟津晴嵐

 柳腰夜雨 りゅうようやう   ←唐崎夜雨

*矢印の下が旧来の四字成語。これの文字ならびに音をなぞらえて新しいものに変えるのがこの遊びの常道である。しかも、短句の一部はよく知られた既成のものを用いなければならない。試行錯誤の結果出来上がるからか、八景すべてが揃ったときは達成感すら覚えることになろう。

 これまた「名景」なり〔平清盛怪異を見る図(浮世絵)、歌川広重画・1845年〕平清盛が福原の館で保元・平治の乱で敗れた亡者と遭遇する怪異図。しんしんと降り積もった雪景色のそこここに髑髏変化(へんげ)怨霊の相がのぞ。静かな光景だけに、鬼気迫る名景ではないか。

 

捩り〔謡取り〕 うたいどり 

謡曲から詞章の一部を借りて作った詞を仮に〈謡取り〉としておく。広い意味での〈捩り〉に属する。演能に関する素養がないと、謡取りであることの見極めがつけにくい。

【例】

猩々                                      竹島幸左衛門詞

♪酒をいざや汲まうよ 客人(まれびと)も御覧ずらん 月星は(イくま)もなき 所は(じん)(やう)の江のうちの酒盛 猩々舞を舞はうよ 芦の葉の笛を吹き 波の(イつづみ)でどうど打ち 声澄み渡る浦風に 秋の調べや残るらん… ──地歌、三下がり芝居唄) &『琴線和歌の糸』

*全詞はかなり長く、随所に謡曲「猩々」からの謡取り。出典ではこの謡取りの作詞が目につく。

 

捩り〔狂歌〕 もじり/きょうか 

〈捩り狂歌〉は、有名和歌の音をなぞりつつ、内容のまったく異なる狂歌に仕立てる遊びをいう。

 普通は元歌に比べ軽妙に諧謔させて作る。つまり元歌の内容を意識的に(おとし)めることで、その落差のおかしみを誘発するのがポイントになる。

 捩り狂歌は〈本歌取り〉に似ているため混同されやすいが、まったく別のもの。本歌取りが一句ないし二句を本歌からそっくり借辞するのに対し、捩りのほうは音をなぞるだけで借辞はない。

【例】

捩り古典狂歌

                                            四方赤良

▽みほとけに産湯(うぶゆ)かけたかほとゝきす天井天下たつたひと声 &『狂歌才蔵集』巻三 

釈迦が生誕時に口にしたとの言葉「天上天下唯我独尊」の捩り。借辞歌とみなすこともできる。

                   朱楽菅江

▽目の前で手づからさくやこのはなに匂ふうなぎの梅がかばやき &『万載狂歌集』巻一 

*「難波津に咲くや()の花冬ごもり今は春べと咲くや木の花」(『古今集』仮名序)の捩り。

                                                         小川町住(おがわのまちずみ)

▽おもかげのかはりて年もつもる身は名のみやりてのはなをとる婆 &『徳和歌後万載集』巻十 

*「おもかげのかわらで年のつもれかしたとへ命は限りあるとも」(伝小野小町作)の捩り。

いろは歌捩り

よみ人しらず

▽いろはにほへとの字の(あひ)でしくぢつて私やこの家をちりぬるをわ &『下女の屁』

よみ人しらず

▽かなでかくいろはにほへと聞えたかそれではすまねば我ゑひもせす &『百露草』巻十

「君が代」捩り

朱楽菅江

▽君が代は天つ乙女が撫でへらす巌もさざれ石となるまで &『我衣』巻八

捩り新狂歌                                 ともに荻生作

     山の彼方の店遠く

▽建売屋「環境絶佳」という土地は酒屋へ二キロ豆腐屋五キロ

 *元歌=ホトトギス自由自在にきく里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里(つむり光、『万載狂歌集』巻二) 漢籍有名句捩り挿入

()(ノタマワ)女人(ニヨニン)閨居(ケイキヨ)不善(フゼン)()ス あハ張形(バイブレ)ぞよがりいそがし

 *原文=子曰、小人閑居為不善(朱熹編『大学』より)

  

捩り〔ことわざ〕 もじり/ことわざ

ことわざは周知ごとのほかに比較的短文であるから、捩りの対象にぴったりである。

例に見るように、ことわざの一部のものはいくつか異なった視点でとらえられた捩りであることが多い。また、もじりなのか地口なのか区別のつかない作品も目立つ。

 武者小路実篤の捩り讃

【例】

元句「鬼も十八、番茶も出花」

▽鬼も十八、蛇も二十(一般)

▽鬼も十八、山茶も出花(花柳界)

元句「桃栗三年、柿八年」

▽桃栗三年、後家一年(一般)

()(かい)三月に竿三年(船頭)

▽殺し三年、火事八年(新聞記者)

伝承のもの

▽意地の上でも残念←石の上にも三年

▽背なより抱っこ←花より団子

(あんず)より梅が安し←案ずるより産むが易し

▽下戸にお饅←猫に小判

▽嫁取るも数のうち←夜目遠目笠のうち

現代作品より

▽論より昇給←論より証拠/味の素広告「現代ことわざ考」シリーズ &『週刊読売』                               荻生作

▽泣きっ面にパンチ←泣きっ面に蜂㈠        

▽人を見て帯を解け←人を見て法を説け㈡

▽こぼれた酒は指をもしゃぶる←溺れるものは藁をもつかむ㈢

*右、㈠から捩りの膠着度合いが離れていく例。 

 

捩り〔詞章〕 もじり/ししょう 

〈捩り 詞章〉は、既知作品の文章体裁をできるだけ忠実になぞらえて書く遊びである。その意味で、原作と(なら)った作との相違が大きな〈偽作〉とは似て非なるものである。

捩り詞章では、文体が原作に似ているほど、しかも内容が大きく変わっているほど、秀でた作ということになる。

なお、文体捩りの多くは作者不明である。二番煎じ作という模倣者の遠慮が匿名にさせるのであろう、和歌における「よみ人しらず」と一脈通じるところがある。

【例】

仁勢(にせ)物語                                          伝 烏丸光広作

*原作は平安時代の歌物語『伊勢物語』で、全篇が見事ななぞりになってる。

おかし男ありけり、京にありわびてあづまにいきけるに、伊勢尾張に、あはび(はまぐり)の海づらにあるを、人のいとおほく売りけるを見て

  いとゞしくすきぬる貝のこひしきに浦山しくも買へる人かな

                      ↑

むかし男ありけり、京にありわびてあづまにいきけるに、伊勢尾張のあはひの海づらを行くに、浪のい白く立つを見て

  いとゞしくすきゆく方の恋しきにうら山しくもかへる浪かな

となむよめりける

寛闊(かんかつ)平家物語                                     作者未詳

*有名な『平家物語』の捩りで、書き出し部分。

祇園林の鐘の音、諸客無興の響あり、沙羅双林寺の春の花上戸必酔の色をあらはす、踊るもの久しからず、ただ盆中の夢を見るに同じ

                       

祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響あり、沙羅双樹の花の色、生者必衰のことわりをあらはす、奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し

我輩は妻である                               春目トキ

*漱石『吾輩は猫である』の捩り版で、次にその書き出し部分を掲げる。原作は省略する。

我輩は妻である。名はある。が名を呼ばれたことはない。親戚に薦められて見合ひをし、その席で我輩は始めて夫となる男を見た。教師だといふから信用したが、教師といふ種族は人間の中で一番嘘つきであるさうだ。

&『我輩は妻である』明治四十一年、猫被里本舗刊

 

捩り〔成句〕 もじり/せいく 

【例】

伝承のもの

▽この盂蘭盆(うらぼん)に経あげて←この浦舟に帆をあげて

▽鼻でフン忠臣蔵←仮名手本忠臣蔵

▽掛で売る値は利がよくござる←竹に雀は品 よく止まる

▽大かぶ小かぶ、畑から小僧が抜いてきた←大寒小寒、山から小僧が泣いてきた

▽現金会所に帳と筆←でんでん太鼓に笙と笛

耳鳴の患者、右にならふて         鈴木昆石

▽鳴るならば塞いでしまへ耳のあな  信長

▽鳴るならばなほしてミせう耳の穴  秀吉

▽鳴るならばやむまで待たう耳の穴  家康

&『昆石雑録』こゝろの俤・七一

 

捩り〔都々逸〕 もじり/どどいつ 

【例】

近代の三作

▽三十六歌仙捩り

♪二つ枕をならべたままで一夜あかしのうらみ言

▽千代女句の捩り

♪寝ても起きても坐ってみても蚊帳の広さと気の狭さ

滑稽(おどけ)仕立て

♪いやな奴だと横目でにらみ惚れたなんぞと思やがる

 

捩り〔ポップ〕 もじり/ポップ 

比較的長い外来語やカタカナ語を捩り、その語句にマッチした愉快な形容詞をつけて修飾する。

言葉遊び用語としての〈捩りポップ〉は新語に属するが、ポップワード広告ではかなり以前から取り入れられている技法である。おふざけの濃いほど大衆受けするのがこの類の特徴である。

【例】

ポップワード広告キャッチより

▽裸一貫、マックロネシア人(全日空、昭和五十二年)

▽女は、ナヤンデルタール(AGF、昭和五十九年)

捩り出し卑俗ポップワード群               

                                以下荻生作

▽お化け屋敷は夏でもブルブルコース、胆試しならユーレイ・ホステル

余暇(ひまくちや)老人の集いシワンダー・フォーゲットー

▽金玉直撃でバッタリーボックス

▽湯の中で屁をひっタブー・イン・バスタブ

▽お尻デカ子でパンティキャップ

▽前戯を不精してイージーゴー淫具

 日本のミニ独立国集まれ〔近鉄アベノ店、パンフレット、昭和六十一年一月〕 見事なネーミング借用広告である。