マルチコミュニケーションの中核、情報の分野での多彩な遊戯性を幅広く探る

19 情報遊戯系 

 

個人を中心とした情報送受にかかわる言葉遊びの一群を〈情報遊戯〉と総称することにする。これまで言語遊戯用語では公的に存在しなかった呼称だが、今日の情報化時代にむしろ設けてないほうが不自然の感があり、改めて新設することにした。

情報遊戯は、視点の据え方によっては、その適用範囲がかなり広まる。たとえば卑近な例では手紙のやり取りからマスメディアに載った広告メッセージまで、範囲がより広く層も厚い。しかしそのままでは際限がないので、本系では「紙とエンピツで愉しめる」趣旨に沿って、次の二点に属するものは収載対象から外してある。

  個人同士の情報交換から遊離したもの

  パソコンや携帯電話など機械装置を通じて送受されるもの

この情報遊戯の分野は、今後の掘り下げようによっては、新しい遊びをいくつも創造しうる可能性を秘めている。

 

 

19 情報遊戯系の目録(五十音順)

 

暗号メッセージ

映画キャッチの遊び

絵看板

絵暦

エピソード

数尽し

片岡節

家庭歌

瓦版の遊び

奇談

キャッチの遊び

檄文

懸想文の遊び

ご意見有用

公開艶書

広告遊戯

腰巻文

コラム小品

定書

色紙

字号表

自己紹介

辞世遊詠

知ったか遊び

書簡の遊び

新語遊び

スローガンの遊び

宣誓文

センチメンタル・メッセージ 

タイムスリップ

駄賃付

立札文言

たなぼた話

珍説開陳

伝言板メッセージ

トイレット文学

ナンセンスコピー

番付

引札擬き

吹出し

符丁の遊び

ペンキ語

ポスターの遊び

無題ごっこ

メッセージの遊び

モア・スペリング

予言遊び

与太記事

らくがき

落首の遊び

落書の遊び

ラブレター

流行語の遊び

 

 

暗号メッセージ あんごう──

 他人に知られたくない二人だけの秘密の遣り取りを暗号に脚色する遊びを〈暗号メッセージとしておく。いくつかフレーズを用い、それぞれ関係者が事前に取り決めておいた意味に解釈してメッセージを伝える方法である。

 サイト「暗号化ソフトEDの操作法」より

【例】

今日は花園日記を送ります                                        荻生作

今朝、花園のお手入れをしたら

真紅のバラが咲いていました。

花びらがとても痛そうで

一輪挿しは無理です。

くちなしは、いかがかしら。

*掲出例の場合、花園=女性器、真紅のバラ=生理、とげ=勃起男根、一輪挿し=性交、くちなし=フェラチオ(口腔愛撫)。一種の隠語遊びのようなものだが、蜜のような男女にとって甘い気分転換の効果はあろう。

 

映画キャッチの遊び えいが──のあそび 

映画観客誘致のためのキャッチは、文芸ものでもないかぎり、パンチ力を第一義とする。昔の見世物小屋の呼び込みと同じで、観ようかどうしようかと迷っている客を口先ひとつで引っ張り込む。言ってみれば九割のハッタリに一割の真実を混ぜた文句を並べたて、客の興味をくすぐって足を運ばせるのが、シネマライターの腕の見せどころである。たいていの映画の内容がうたい文句ほどでないことは、映画ファンが一番よく知っている。

それゆえキャッチを含めた映画広告は、傑作が多い反面、行き過ぎ創作に毒されていることも否定できない。一般の商品広告でなら、倫理規定に照らし許されるはずがないような誇大にして過剰な表現も、映画広告でなら黙認通用させてしまうケースが少なくない。映画そのものが夢売り産業だからやむをえない面もあるのだが。

「映画は能無しと殺人者によって作られる」とは、1992年公開のアメリカ映画『ザ・プレイヤー』の名キャッチ。さて、紙上公開によって、そんな手際の程をごらんあれ。ただし、平成あたりから映画キャッチはなべてクリンチが目立ちパンチに切れがなく、面白くなくなっているので掲出を控えた。

【例】

〔邦画篇〕

▽このすさまじい青春を生き抜いた火の女、八木原幸枝とはどんな女か?原節子のベストワン ──わが青春に悔いなし(東宝、昭和二十一年)

▽男の罪が許されて ただ一回の女の罪が なぜせめられなければならないのか ──こんな女に誰がした(大映、昭和二十四年)

▽ムンムン草いきれの藪の中、ギラギラ光る獣欲の眼!羅生門に雨宿りした(そま)売りは世にも恐ろしい地獄を見た! ──羅生門(大映、昭和二十五年)

▽七つの声で七倍泣かす大映浪曲映画 ──母千草(大映、昭和二十九年)

▽夜読んでは眠れない……と評判される三島文学の映画化!官能の海にただよう人妻節子…… ──美徳のよろめき(日活、昭和三十二年)

▽肉に飢えた野獣の列を待つ傷だらけの貞操! ──女の防波堤(新東宝、昭和三十三年)

▽着物をぬぐすべも知らない、帯を解くすべも知らない……小指を固く噛みしめて夕子が娼婦となった日。──五番町夕霧楼(東映、昭和三十八年)

 五番町夕霧楼』のDVD

▽ドスで凄んで壺振り上げりゃ 恐いものなし秩父の弥三郎 ──関東破門状(東映、昭和四十年)

▽居並ぶ兄さんお見知りおきを!立った今女を捨てた!凄むいれずみ緋牡丹お竜 ──緋牡丹博徒(東映、昭和四十三年)

▽この少女は妖精だ!奔放で、きらめくような毒がある! ──放課後(東宝、昭和四十八年)

▽金田一さん また大入りですよ ──悪魔の手毬唄(東宝、昭和五十二年)

▽男と女のすきまから しあわせがこぼれてゆく ──居酒屋兆治(東宝、昭和五十八年)

〔洋画篇〕

▽死の静寂を破る二挺拳銃の怒号!血と汗にむせぶ1対4の対決 ──真昼の決闘(松竹・ユナイト映画、1952)

▽遥かなるロッキーの激流に……愛を賭けた女モンロー ──帰らざる河(アメリカ、東宝東和、1954)

▽金と女と仲間の掟が三つ巴に交錯するパリ暗黒街の生態! ──現金(げんなま)に手を出すな(フランス、外映・映配、1955)

▽パリです オードリーです 世界の恋人です 百万ドルをシックに盗みます! ──おしゃれ泥棒(アメリカ、ふぉっくす、1966) 

▽空母が爆発している!太平洋が震えている!劇場=そこが戦場(ミツドウエイ)だ! ──ミッドウエイ(アメリカ、CIC、1976)

▽この映画は、あなたの「愛のイメージ」を完全に破壊します。──上海異人娼館(フランス、東宝東和、1981)

▽いま、しびれるほどに ミステリアス・ロマンス。──夜霧のマンハッタン(アメリカ、UPI、1987)

▽狩猟解禁!獲物は人間! ──プレデータ2(アメリカ、フォックス、1990)

▽人質は〈アメリカ合衆国〉 ──デルタフォース3(アメリカ、ヒューマックス、1991)

▽骨の軋みが聞えるか?友に捧げる復讐のバラード ──帝王伝説(アメリカ、松竹富士、1992)

▽劇場が燃える!裂ける!吠える!3DデジタルCG ──ダンテズ・ピーク(アメリカ、ユニヴァーサル、1997)

グランプリプリ、悶絶コピー

拒むほど濡れてくる──女性自身に「発電所」をもった人妻と性感開発ニンニク男の──生死をさまよう淫電性ファック!その凄さ1974年フランスポルノ映画「淫電性悶絶死」の各紙広告

 

絵看板 えかんばん 

 江戸の商人らは、文字の読めない客にも何の店なのか一目でわかるよう、絵と言葉を組み合わせた看板を工夫した。商う品物をかたどるだけでなく、〈遊び絵詞〉〈判じ物〉〈文字絵〉といった要素を組み合わせて客の気を引いたのである。粋を本領とする江戸の職人たちは、言葉遊びの達人でもあった。

 

絵暦 えごよみ 

文字が読めなくとも理解できるように、絵を使って月日や農作業の季節を描いた一枚摺を〈絵暦〉といい、昔は〈めくら暦〉〈南部暦〉とも称した。

いわゆる文盲の多かった時代に重宝がられ南部(ほぼ岩手県全域)で普及、今では民芸品として売られている。もともと実用に即して作られたものの、謎解き遊具としても人気があった。

 『南部暦』平成六年版の略解

▽月の大小──左右上部、刀の大小で示す。

衝立(ついたて)──朔日。続いて朔日の十二支の絵。

▽皇紀──年号右下。木=紀、剣=元、二せん=二千、銭六百文=六百、五重箱=五十、それに四。 

▽恵方──方角は寅卯の二支で示す。

▽初午──派・旗、のち馬。

(下ノ絵)三猿=庚申、大黒天=甲子、神詣で=社日、彼岸団子=彼岸。

▽八十八夜=鉢・重・鉢・矢。

▽入梅=荷奪い。

▽夏至=けしに濁り。

▽半夏生=禿を生ず。

▽伏=麩が四本。

▽二百十日=銭二百文、砥石・蚊。

(下二段の絵、上段左より)寒の入り=寒念仏、節分=豆まき、田植え期、土用入り、十方暮、八専、稲刈り、冬至

 

エピソード episode

 ある人物について、あまり知られていない興味ある話を〈エピソード〉または〈逸話〉という。たいていは本題とは関係のないテーマとして披露されることが多い。スピーチなどではユーモラスな語り口が受ける。

人物紹介のメッセージ                                          荻生作

羽田さんについて、意外な人となりを

お伝えしておきましょう。

彼はラジコン飛行機ホビー界では

滞空時間の日本記録保持者として

有名人です。実はその人物が

超の字のつく航空機嫌いである

という事実を知る人はわずかです。

ご本人は「搭乗中はいつ落ちるか

心配で生きた心地がしない」とのこと。

徹底した高所恐怖症なんですね。

失礼ながら、人は見かけによらぬもの

時間と費用をかけた船旅同伴を

覚悟しなければなりません。

*エピソードを語るということは、特定人物についてあまり知られていない側面を明るみに出すことである。その人物像を語るとき、聞き手が耳を傾け引き込まれるように演出する格好の材料になる。話を面白くするネタというわけ。エピ ソードを語る場合、堅苦しい人物評であったり、逆に慣れなれしく嫌味を感じさせるような内容であってはならない。中庸を心得た客観表現で、ときにはユーモアを交え紹介するのがポイントだ。また、判定が難しが、プライバシーに立ち入りすぎも避けるべきである。

 

数尽し かずつくし 

詞章全体を数字に関係した言葉で埋め尽くしたものを〈数尽し〉という。

引用の文章は見事な例である。明治初期における川越―東京間川船交通について、江戸学の大家が意識して書いたわけではなかろうが、結果として無理のない文章に仕上がっている。

【例】

川越の夜船                                             三田村鳶魚

船は七十石積と極つてゐたが、八十石乃至百石積もあつた。乗客は六七十人を定員としても、実際は五十人ほどであつた。川越から東京へは早いが、東京から川越へは曳船になる処が多いので遅い。それで人間の乗るのは川越から東京への通ひだけであつた。一般に夜船といつたのは、午後三時に新河岸を出て、翌朝八九時頃に千住、昼頃が花川戸といふ訳で、二十八九時間かゝる、是でも早船といはれてゐた。早船には船子が五六人いる。その(うち)の一人が船頭で、あとを若い衆といふ。飛び切りとなると船子が八九人で、早船よりも十二三時間早く著く。また並といふのになると、船子一人で二日掛り、そんなら川越東京間の里程はといふと、陸地にして十三里、栗より(うま)い川越薯の宣伝にしたのも、九里四里──十三里で産地を利かせたのだが、水路なら二十里ある。乗客は片道だけであるから新河岸川の船は、何としても荷物が主である。それで一往復を五日として一艘一ケ月六往復と定め、荷物積取の暇を程よく取つた、船の名も十六(いちろく)二七(にしち)三八(さんぱち)四九(しく)五十(ごとを)と附けて、月六(つきろく)(さい)の船出を知らせた、それが交替で通ふから、新河岸の出船は毎日あるやうになつてゐた。(原文は総ルビ) &『江戸の実話』

 

片岡節 かたおかぶし 

近代広告の名文安価として鳴らした片岡敏郎が手がけた一連のコピースタイルを人は〈片岡節〉と呼んだ。往時のスモカ歯磨の広告といえば、文案家(当時まだコピーライターなる洋語は通用していない)片岡俊郎(18821945)を抜きには語れない。

片岡は大正二年、広告代理店最大手の日本電報通信社(現・電通)の社員として入社。五年後、森永製菓に移りさらに寿屋に転職しその宣伝部長に。そして昭和七年、スモカ歯磨(社名は寿毛加)へと移る。そのセンスの良さと歯切れの良い文体で近代広告文の開祖といわれた人物である。ちなみに片岡は、自らを含め文案家を「アドライター」と称していた。蛇足だが、筆者も昔、複写屋と間違えられた覚えがあり、コピーライターなどよりもはるかに当を得た呼称だ。

片岡敏郎

 歯磨スモカの広告〔文案は片岡敏郎、昭和六年各紙〕

 

家庭歌 かていか 

〈家庭歌〉という、ふだん耳慣れない短歌が存在する。家事を切り盛りするのに役立つ、生活の知恵を伝承した詠である。

 庶民生活に根ざしたことわざ類はごく多いが、短歌仕立は珍しい。覚えやすく実用的、昔の日暦(ひめくり)などに掲出された。

伝承のもの

▽油垢ついた衣服は熱湯に塩ひと握り入れさましてぞ洗う

▽暑き日に酢を買いたらば塩少し混ぜておかぬと早く腐るぞ

▽一升に梅干二つ三つ入れおけば真夏も(ひつ)の飯が腐らぬ

▽梅干を入れて鰯を煮るならばにおいも抜けて味もよくなる

▽干瓢を洗うて塩でよく揉みて洗うて煮れば味がよくなる

▽酒の染みついた着物はいち早く煙草の煙吹きかけるべし

▽塩からき鮭は一日水に漬けそれから焼くと味がよくなる

▽しろ水(米のとぎ汁)で牛蒡筍豆などをゆでれば早く軟かくなる

▽石油のにおいを早く消さんには番茶いぶして手をばかざせよ

▽大根の太さの割りに軽いのは中にスのある証拠とぞ知れ

▽庖丁を温めてこそカステラを切らばたやすきものにてありけり

太陽暦おぼえ歌

太陽暦

▽サクラ咲ク頃ハ初春アラ玉ノ年ノ始ハ冬ノ中ナリ

大小

▽春ノ中始ノ夏ト左右ノ秋冬ノ末トヲ小トコソ知レ

日数

▽今ヨリハ三十日ヲ小ト改メテ大和ノ歌ハ三十一文字

   閏

▽四年目ニ一日閏ソフ唐歌ノハタチ余リノ八ノキサラギ

&『京都新聞』六十一号、明治六年三月

 

瓦版の遊び かわらばんのあそび 

「瓦版」は、江戸や大阪など大都市を中心に板行された大衆向けの刷り物で、今日の新聞に相当する情報媒体であった。別に〈読売〉とも称し読売屋が売りさばいた。

記事の内容は、政治から天変地異、犯罪、珍話や巷間評判まで多彩である。しかし内容の信頼性という点ではなはだ頼りなく、遊び半分に書かれた与太記事が目立つ。なかには荒唐無稽なデッチ上げでお茶を濁した例もある。それでも噂好きで常に新鮮な話題を求める都市生活者は瓦版を愛読した。

瓦版は売り子の呼び売りで市販されたが、押し売りよろしくあくどい手も使ったようで、悪評もいくつか記録されている。

例示は、平凡社刊の太陽コレクション『瓦版新聞 江戸明治三百事件Ⅱ』から三例を引用した。

【例】

アメリカ船撃破

夫我朝は武国にして又義国なり 異こく毛とうじんなどの及ぶ処にあらず、しかるに嘉永六丑どし八月十二日、肥前の国五嶋のつにあめりか国蒸気船来り夜打をなさんと斗るよし、さつそくちうしんあるニ付御城内におゐて千五百余人御手当これあり、処々浦々御固なされ、かへつて蒸気船さし向ひに相成りし処ハ手うすなるやうにミせかけ毛とう人浦かたに上りなハ、そう〳〵ちうしん可能旨見張を付被置しが、かくともしらず小ぶねを引きおろし、夜にいたるを待ちて浦ちかくこぎよせ、岡にあがると ひとしく町家をらんぼうなし、米酒味噌薪水なんどをうばひ取けるにぞ、右付おかれし見張のもの并に浦かたより おゐ〳〵ちうしんあるによつて御城内より 兼て御用意ある処の千五百余人一手となしておし出し、先第一番に石火矢にて蒸気船を打こハし、船に乗いたりし毛とうじんをはじめ、処々へ上らんとせし毛とうじん迄ことごとく打ころし 都合三千七百余人一時ニぼつ死せり、また人家らんぼうせし五十三人皆いけ取に相成 依之右之内より重たちしもの五人ハ江戸へさし下しに相成るよし、実に五嶋様の武門拡大にしてかんずるにあまりあるべし、

此旨見聞なすもの舌をまきてかんじけるとかや

&早稲田大学演劇博物館蔵

*いうまでもなく右の一件はガセネタ、事実無根である。

安政二年十月二日夜 大地震鯰問答

なまづ

ヤアあめりかのへげたれめ此日本をばかにして二三ねん あとからおしをつよくもきやァがる、うぬらがくるので江戸のまちがそう〴〵しい、やくにもたゝねへかうゑきなんぞとりかへべいハよしてくれ、江戸中あるくあめうりでたくさんだ 用はねへからはやくしりにほをかけてかぢをなをしてさつさと立され〳〵

アメリカ

なにをこしやくななまづぼうず、てまへたちのしるところでねへ、おらが国ハおじひな国でしよく人でもかりうどでも なんでもじひをするものハ、けふまで存山をはらひてもあすハ見だされ王となる それゆへ諸々のくに〴〵かうしたつてくるので がつしゆこくといふ国だアところがこまつた事にハ 人がふへてもくふものがねへから、日本へ米や大こんにハとりをもらひに来てもくれやふがすけねへ、それゆへたび〳〵うるさくやつてくるハへ &柏崎・黒船館蔵

*このあとも「なまづ」と「アメリカ」の押し問答が続き、最後に「左官」が仲をとりなして締める。

 拝金亡者め、鯰の怖さ思い知ったか〔世ハ安政民之賑(鯰絵)、江戸かわら版・安政二年〕 安政二年十月二日夜に江戸一帯を襲った直下型大地震では、おびただしい数の罹災者や死人が出た。その元凶になったという鯰の絵が「鯰絵」であり、さまざまな種類のかわら版や錦絵などが出回った。右の絵では、大鯰が庶民を苦しめてきたお大尽をくびり殺そうとしている図で、こういう勧善懲悪を主題にした絵に人気が集まった。

白亀次第書(上方のかわら版)

安政四年巳ノ閏五月十九日朝五ツ時大阪北浜一丁目金相場浜 座广神功皇后正遷宮に付、宝ふね玉蓮中若中寄合場所へ、白亀はい上り珍しき故町役人衆中様打寄学者に見せ候所、白亀は万年をたもち、むかし神功皇后三かん御せいばつの時、九州にてはじめて上り、其後近郷の水海より上り年号白亀と改ル、此度又々上り、神国御世万歳誠ニ有がたき事、諸国大豊年のしるし也、此白亀の絵を門口へはりおけバ疫びやうさいなんよけといふ 絵図面にて諸人に見せる 甲の長サ 壱尺八寸 横巾 壱尺三寸 目方 一〆百四十目余 玉の大キサ 三寸余 &京都府立総合資料館蔵

 

奇談 きだん 

 常識では考えられないような珍しい話。

通常の〈奇談〉は事実に基づいて構成されているものだが、言葉遊びの世界ではありもしない作り話が大手を振ってまかり通る。

【例】

 飛鳥山花見の安産

頃ハ弥生の花盛り、王子稲荷の開帳かけて飛鳥山の賑ひ、近頃稀なる人群集なし、殊ニ天気もうらゝかニて、おのがさま〴〵花見の男女、(それ)が中ニ一ト際目立たる美しき町家の年増盛り、年は二十三四と共いふべき衣装から髪のもの迄、いかにも仇にとゝのへ、乍去(さりながら)おしき事ニハ此女腹大きくふくれ、さも心おもたげニ歩行ける、同じ連の女も年恰好も器量もまけぬ美しさ、外に亭主とも思われし三十近き男両人、右連ニて飛鳥山の()き処へござ敷せ、腰に附たる吸筒、わりご(など)取ひろげ楽しミ居けるに、腹ふくれし女、(にわか)ニ腹いたミ絶難く、連の者も大きニ当惑致し、連の女は腹抔さすり遣しけるに、(いよ)〳〵病強く苦しミ、近所の茶屋ニてもかり遣わさんと、色〳〵騒ぎけるに、最早一ト足もあるかれず候由ニて苦しミけるに、群衆の人々、スハ珍しき、山に而産有とて大騒ぎ、殊ニ物見高き花見の〴〵つどひけるニ、男ハ更ニうろつくのミ、折能く山の下通りを薬箱為持ける医師通りけるを、見るより早く右之医者を呼び頼ミ、脈体見せけるニ、只今出候よし、薬を頼ミしニ医者も殊之外迷惑の体ニて、実ハ花見ニでたるニて、屋敷門を出候に間も悪く(しかじかの)としとて、薬箱を開き見せけるニ、中ニハ差身、重詰、色〳〵の肴有けれバ、町人申ニハ、せめて御酒でも上ゲ度候得共、御覧之通り吸筒の酒も先刻呑干、致方なくいかゞせんと申に、懐妊の女程なくうなり産み落したるに、(およそ)三升程もあらん樽を股より出したるに、見物の内より三味線持ちし者飛込ミ、調子を合せ候と、ひとりの女も(いと)出だせバ医者は唄を謡出すと、産婦も踊り出し候故、見物の人々肝をつぶし、あきれはて、大勢群衆の見物、皆々かつがれしも、今年の花見趣向の随一との評判、定めておかしからん、予が友達も其日開帳へ参り、帰りニ飛鳥山ニて右始末落なく見しとの物語也。

 こなからを股から産る花の山

      産出してみれバ気強き男山

&藤岡屋由蔵筆『藤岡屋日記』天保十一(1840)年三月、第十二より

*右掲の狂歌中、「こなから」は小半(二合五勺の酒)、物語の三升の酒を小半枡で振舞ったのであろう。「男山」は江戸っ子が贔屓にした酒の銘柄。

 

キャッチの遊び ──のあそび 

キャッチフレーズ(一昔前までキャッチコピーをこう呼んでいた)については、筆者が往時著した『商品広告発想法』(内山幸雄著、ダイヤモンド社・昭和五十一年刊)の前書きから引用してみる。

   「歌は世につれ」とかいいます。/この言葉は、キャッチフレーズにも、そのままぴったり当てはまります。なぜならキャッチフレーズも、時代の移り変わりとともに、その形を変えながらたくましく生き続けているからです。/せいぜい長くても数十文字。その中には商魂や説得がうず巻いています。さらに私たちは、生活情報や欲望の場に身を置き、時にはコメディやメルヘンの世界へと誘われることすらあります。どのキャッチフレーズ一つ取り上げてみても、背景にはそれが生まれるべくして生まれた世相がうかがい知れます。その時々に生きる大衆の心情を敏感にキャッチしていくフレーズ(語句)でもあるのです。

と格好つけて書いてはいるが、要するにキャッチには時代に即応したコピーライターの遊び心が横溢しているのだ。現代広告では言語遊戯的表現が当たり前のようになっている。こうした遊興志向が大衆受けすることを書き手自身が痛感している。

 なお、映画広告にも見て楽しめるキャッチが少なくない。これらのいくつかを〈映画キャッチの遊び〉にまとめてある。

 

【例】

穐長堂の京御菓子(明和頃)

はつ夢の鷹の餌袋けさひらくうちにハ富士の山の(くだ)もの

*この引札の作者は四方歌垣真顔(よものうたがきまがお)こと恋川好町(よしまち)

松桂庵そば処(天明頃)

御出をまつやちと勢の花の客

栄ふおそばを住よしと志て

*戯作者、山東京伝作の引札の一部。

新吉原角町、万字屋茂吉(文政九年)

現金引手なし 遊女大安売

*揚げ代など遊興費も一通り明示してある。

守田宝丹(明治十二年)

大黒の腹にふへたる/ねつみさん/恵比寿かそへる/福の帳合

*広告主(守田治兵衛)の直筆で、「諸商人通符丁一覧」として各商の数符丁(一~十)を表した情報提供の引札。

戦前までのキャッチより

▽出たり衛生界の女王子宮石鹸子は出たり

──子宮しやぼん(明治九年)

▽春宵一刻白鶴一盃/倶に之れ価千金

 ──清酒白鶴(大正十一年)

▽一粒三百メートル

 ──栄養菓子グリコ(大正十二年)

▽死体買取人を求む

 ──廃姓外骨(大正十三年)

 *奇人で有名な宮武外骨の廃姓宣言雑誌広告。

▽吝しみなく排泄せよ

 ──下剤は ラキサトール(昭和十三年)

▽面ノ皮だつて身の内です。

 ──蜂蜜乳液(昭和十六年)

▽人生到ル処ニ禿山在リ

 ──ヨゥモトニック(昭和十八年)

現代のキャッチ

▽ザル法に盗まれた赤線地帯

 ──『週刊東京』昭和三十一年四月六日号

▽ひきつける愛の濃淡……新しいピンクの色調/セクシーピンクXYZ

 ──キスミーファンデ(昭和三十四年)

▽自由化です=大増便です/月月火火火水木木木金金土日

 ──日本航空(昭和三十九年)

▽あす世紀の超特急がはしる/明日世紀の超特売が始まる

 ──大丸百貨店(昭和三十九年)

▽日本列島はジェットサイズで2時間30分

 ──全日空(昭和四十一年)

▽じっとガマンの子であった

 ──大塚食品のボンカレー(昭和四十八年)

▽私はコレで会社をやめました

 ──アルマン・禁煙パイポ(昭和五十九年)

▽ガンバリや、蚊のカッチャン

 ──キンチョーマット(昭和六十一年)

▽汚れなき赤ちゃんが生まれたのは、快楽のおかげである〔タモリ〕

 ──フジテレビ・タモリの新哲学大王(1997)

 

檄文

 大方の常識的な予想に反し一読して真理に反するような印象を読み手に与え、その実は真実を述べているのだと主張する論理命題を「逆説」と称している。レトリックでは〈逆説法〉のほかに〈パラドックス〉〈反義結合法〉という呼称を用いる。逆説の短句でよく知られたものに、「急がば回れ」「負けるが勝ち」「石が流れて木の葉が沈む」などがある。

 逆説はメッセージの爆弾のようなもので、倫理観から見て邪道のような印象を与えることも少なくない。

 例示の〈檄文〉は逆説を生かしたサンプルとして作ってみた。一歩間違えば毒に早変わりする危険性も抱えている。それだけに構想を丹念に練り、逆説であることをいち早く読者に悟らせるテクニックが必要である。

【例】

テロリストをVIP扱いする日本                                     荻生作

テロリスト万歳! ご苦労様、金賢姫女史。

コソ泥よ見習え、我らが大量殺人の英雄を!     

我等が女王様、金姉御は昨夜厳重警護のもと

特別チャーター機で日本へお越し遊ばされた。

無差別大量殺人犯もVIPで歓迎してくれる

超オメデタイこの国へ。

同志諸君、国際法なんてちょろいものです。

日本人なんて民主バカに成り下がっている。

さあ、我等いっそう団結を固め

次なるチャンスを狙おうではないか。

2010年七月二十一日

      金賢姫元死刑囚支持教団 檄文

*記入日付当日、筆生テレビや新聞記事を見ていて、日本国はいつの間にこんなだらしのない国に成り下がったかと情けなくなった。ニュースを記憶の人も少なくないと思う。腹立ち紛れに、自分が金賢姫を支持するテロリストだったらこんなふうに書く、という想定の基に作った架空の檄文である。

 

懸想文の遊び けそうぶみのあそび 

恋文、艶書、懸想文、色文、艶状、通わせ文、紅の筆、そしてラブレター。呼び名は数あれど、古今東西、書き手がこれほど神経を使う文章もあるまい。なかには哲学論文じみたもの、常識クソ食らえといったものもあり、読んでいて飽きがこない。

 京都は須賀神社の懸想文売り〔江戸時代〕

【例】

(つゆ)殿(どの)御文(おんふみ)(文中書簡文)                                                  作者未詳

一筆(ひとふで)申しまゐらせ候、さらでだにこの頃は、ひとしほ世の中何とやらん物わびしくて、そぞろに涙もろき折ふし、思ひのほかに御面影よそながら見まゐらせ、深きおもひとなり、いとど胸いたく、心もそぞろに鳴海(なるみ)(かた)、波のたちゐに小夜(さよ)千鳥(ちどり)、ひとり()なくばかりにて、袖が(しがらみ)せきあへず候、かやうに申しまゐらせ候事いかが、御心(みこころ)のうちはからひがたく候へども、心中につもりゐて、いはぬ思ひのつきせねば、(みやう)(けん)仏陀(ぶつだ)の感応にもれんわが身のすゑもあさましく候へば、よそのおもはくもかへりみず、申し入れまゐらせ候、胸の(あひだ)(ほたる)()きゆる時なく、このまま明かしくらし候はば、つひには夏の虫のたぐひにもなりなんと、うらめしくうたてしく候、あふぎねがはくは、うちそふまでこそはかなからめ、心やすまる御返事にあづかり候はば、いかばかりありがたうかたじけなう候はんやと、神に祈り、仏に誓ひ申すのみにて候、かへす〴〵ご返事、今や〳〵と松浦(まつら)(ぶね)、こがれてはてぬる心の中、おぼしめしやらせ給へ

&『露殿物語』上

透谷のお硬いラブレター                                        北村透谷

Dearest  4/9/1887/拝啓 君も御承知の如く日本人のラブの仕方は、実に都合の能き(御手前主義)訳に出来て居ります、彼らは情欲に由つてラブし、情欲に由つて離るゝ者にしあれば、其手軽るき事御手玉(ヲテダマ)を取るが如し、吾等のラブは情欲以外に立てり、心を愛し望みを愛す、吾等は彼等情欲ラブよりも()ソツと強きラブの力をもてり、吾等は今尚ワンボデイたらざるも、常にもはや一所にあるが如き思ひあり、吾等は世に恐るべき敵なきラブの堅城を築きたり、(中略)君よ請ふ生をラブせよ、生も此身のあらん限りは君をラブす可し、(後略) &『北村透谷全集』石坂ミナ宛書簡集

 北村(きたむら)透谷(とうこく)(186894)は明治時代の詩人・評論家。透谷十九歳、神奈川県議会の速記者時代に出した求婚の手紙。相手は石塚昌孝(三多摩自由党の領袖(りようしゆう))の娘ミナ、二人はやがて結婚に至る。この恋文、時代がかっているのはやむをえないにしても、おそろしく理屈っぽくて無機的だ。引用は書き出し部分で、このあと長ったらしい恋愛(ラブ)論が続く。一読してわかるのは、乾いた抽象語の羅列であり、肝心なウェット感性語がほとんど見当たらないこと。およそ恋文らしくないラブレターである。こんな調子でラブコールしても、今時の恋人の心はとらえられないという好見本である。もっともミナは、透谷と一緒になり一女をもうけている。けれども「恋は盲目」とはいえ、ラブレターに感動してその気になったとは思えない。透谷は亡くなる二年前、恋愛至上宣言の書といえる『厭世詩家と女性』を発表している。彼もし世間の俗風にまみれた恋、濡れたラブを体験していたら、人生が大きく変っていたかもしれない。

平塚らいてうから森田草平宛(抄出)

私は先生が御手を下して下さる日は無論覚悟して居ります。待って居ります。殺して頂きたい、虐殺して頂き度い。私を虐殺して下さる先生を見なければ不安です。殺して下さい。鉈に打たれて私の頭蓋骨が砕ける音を聞いたならば、最後の断末魔の一呼吸に迫ったならば、私のブレーンがつぶれて了ったならば、其時私は何とか一言でも先生に申上げることが出来よう、報いることが出来るでしょう。これより私には考えがありません。どうぞ虐殺して後に占有してください。私を愛してくださるなら、そうして占有していただき度い。お願いいたします。最後のみ手の下る日を待ちます。&『日本語で生きる3・恋文から論文まで』瀬戸内晴美「新しい女の求婚の手紙」

大暑見舞い、片思いの女より                                      荻生作

  月冴えて 独り寝やらぬ 浪まくら

          磯のあわびの 片身燃ゆ夜半

あら、まあ恥ずかしい。

けれども偽りない心の一首です。

御笑覧あそばしませ。

……わたくしは、とても涼めそうに

ありませんわ。

猛暑のみぎり、御身大切に。かしこ

*昔風な女の懸想文仕立で書いてみた。

《参考》

懸想文                                                     伴 蒿蹊除夜に懸想(けさう)(ぶみ)といふものを売るを買ひて、元旦に是をひらき、其の年の運をうらなふこと、元禄の頃ほひまでありしならはしとぞ、けさう文といふは、艶書のことなるを、彼の売りける文は、女文などのさまにかける故にこの名ありや、或はこの文にて、未嫁女の、縁のよしあしを占ひしともいへり、予其の文を見ざれば、さだかなることをしらず、一老人のいふ、板に彫りて売物にする文に、凶事のいま〳〵しきことをやは書くべき、是れをもて吉凶をうらなひしは、愚に直き事なり、今世の□知(さるがし)()なる人々は執り用ひず、廃れしもことわりなりといへり &『閑田耕筆』

 

ご意見有用

 ことば遊びを意識した範囲内で、面白おかしく自己主張を展開し、読者の関心を引き付ける遊戯を仮に〈ご意見有用〉とでも名付けておこう。俗にいう「ご意見無用」の向こうを張って、強引に自己主張の筋を通してしまう摩擦のおかしみがポイントになる。宮武外骨はこの分野の大家である。

 キャンペーン用DVD。戦後の食糧難時代、鯨をたらふく食った日本人としては、「鯨の愛護のため」捕鯨反対などとはお義理にも言えないはずだが…

【例】

日本の捕鯨衰退に同調はしない                                     荻生作

日本の調査捕鯨が海のギャング「シーシェファード」の妨害で中止に追い込まれたそうな。和歌山県太地の鯨取り漁師も動物愛護団体の嫌がらせに泣いている、と。私は動物保護に関係のない者だが、半分はザマアミロっていう思い。捕鯨屋さんらの肩を持つ気にはなれない。考えてもごらんなさい。あなた方、捕鯨は日本の伝統文化だなどと口幅たいこといっているけど、うまい鯨肉をたらふく食って鯨腹になっているそうだね。一方全国の平均的な庶民は鯨を食いたくとも高すぎて手が出ない。よだれ流してあんたらがご馳走食らっているのを眺めているだけじゃないか。(間違っても需要と供給のアンバランスだ、なんて聞いた風な口叩くなよ)自分たちだけ鯨の恩恵を享受して、国民の捕鯨問題への関心を高めようとしたって、そうはいかない。口に入らない鯨のことなんかどうなってもかまわない、というのが本音だね。

*この一文は、一見暴論の印象を与えるかもしれないが、筋の通った正論だと思う。相手の意見に異論を唱えるときは、体制側や受益者側に与しない公正な立場で主張を通す必要がある。主張する異論に対し、相手も異論を唱えてくることを計算に入れて、堂々と論陣を張ることが論述の正道なのである。文中アンダーライン部分が主張するところの本旨で、議論の場合は相手に強烈なインパクトを与えるような表現を用いることも許されよう。

 

公開艶書 こうかいえんしょ

艶書の類は書いた送ったの当人同士の秘密文書で、著名人でもないかぎり公開されることはない。ましてそれが私信でなく、新聞や雑誌に公開された場合、もう純粋なラブレターではなくなる。

昔、女学生間で「投稿ラブレター」の類が流行った事実もある。不特定多数でなく特定個人宛の例は極めて少ないが、皆無というわけではなく、掲出の田村俊子のようなケースもある。〈公開艶書〉を突き付けられ名指しで愛を告げられた相手は、戸惑うにちがいない。

【例】

田村俊子のレズ献詩

紅吉、/おまいのからだは大きいね/Rと二人逢ったとき、/どつちがどつちを抱き締めるの。/Rがおまいを抱きしめるにしては、おまいのからだは、/あんまり、かさばり過ぎている。/(中略)紅吉、/でもおまいは可愛い。/おまいの態のうちに、/うぶな、かわいいところがあるのだよ。/重ねた両手をあめのやうにねぢつて、/大きな顔をうつむけて、/はにかみ笑いをした時さ。

&『青鞜』(号年月失念)編集後記

*田村俊子(18841945)は小説家。奔放な生 き方で話題をまいた。「紅吉」は尾竹紅吉こと富本一枝で、大柄だが文面からみて女役(ネコ)か。Rとは平塚らいてう、婦人解放運動の第一人者であった。田村にとってどちらも愛を分け合った者同士であり、紅吉に(なか)らやっかみの思いを込め、献詩形式のラブレターを発表。田村は『木乃伊(みいら)の口紅』『炮烙の刑』といった作品で、女らしい色気のあるデカダンスを描いてみせた。同性愛のみか男性遍歴も豊富で、なかでも妻子持ちの鈴木悦とのカナダ逃避行が話題をさらう。彼女は作品を通して女性解放運動の片棒を担いだものの、結局は生身の男の味が忘れられず、青鞜仲間から半端者扱いを受け、上海に渡り客死した。こうした性的背後関係を知ることで、女性結社「青鞜」の息づかいもわかる。女の解放を叫ぶかたわら、性欲の吐け口を仲間に求め、修道尼院的文壇が誕生したのである。

交際欄投稿ラブレターの典型

花すゝき様、私はほんとに心からご同情申し上げますよ。ほんとに貴女も薄命でいらっしゃるのネ。どう言って御なぐさめして宜しいやら。九月のあれ、読みかけて、涙をぬぐいました。御勉強遊ばせ、私は思うことが言えません。私の住居は遠く離れた筑紫野の末です。こう言う西のはてにも、熱い涙を流して君に同情する可憐の処女(おとめ)あるを知ろし召せ。君よとこしえにまさきく在せ。肥前にて夕露 (現代表記に改変) &『女学世界』明治四十三年十二月

 

広告遊戯

 遊び心で架空の広告を創作する遊びを〈広告遊戯〉と名付けた。荻生はこれを楽しみながら創り、すでに二百点以上をブログに投稿している。関心のある方は こちら を開いて、左サイド〈テーマ〉欄から 「広告遊戯」をクリックしてください。

 

腰巻文 こしまきぶん 

出版用語で言う「腰巻」は「帯」が正しく、したがって〈腰巻文〉は俗称であり、正式には「帯書き」という。本の表紙カバー腰の部分に巻いてある、その本の宣伝文を記した装紙を指す。

現在「腰巻文学賞」なるものまで設けられているとか。本の売れ行きを大きく左右するとあって、印刷インクの匂いも新しい腰巻文に対する出版社の思い入れはかなり深いものがある。

【例】

現代三書より                     

▽悪辣非道なお武家に対し、盗っ人の意地 お見せ致しましょう。/しかしながら、しょせん盗っ人は盗っ人。おなりになるものではございません。&『江戸群盗伝』半村 良著、文芸春秋・1993年刊

 重版ともなると腰巻も一新されるのが普通

▽紅色とは、姉の裂けめの色彩であり、かたちである。美人姉妹の(いびつ)(はかな)(きずな)を描く衝撃の官能世界 &『紅色の夢』花村万月著、徳間書店・1993年刊

▽〖侍の面目と純粋さ〗傑出した文体、発想の妙!女のあだ討ちの奥の広義の秘事!表題作をはじめ、「最後の赤備え」「袖簾」「雨の大炊殿橋」「はては嵐の」等の名品集。

 &『尼首二十万石』宮本昌孝著、講談社・1997年刊

  

コラム小品 ──しょうひん

 メディアが中心となるニュースとは別に、気軽に読めるよう執筆した小品を指す。カテゴリーは様々だが、たいていは本題に沿った分野に関連した囲み記事でそれとわかるように書かれる。

〈コラム小品〉はあくまでも息抜きのための読物なので、軽いタッチで描く必要がある。

 東京新聞のコラム記事

【例】

某大衆食堂での体験記                        荻生作

先日、食事にある大衆食堂へ入りました。若い女店員さん、コップの水も持って来ずに注文を聞きますので、「まず、水をください」といいますと、「ウオーターとか」と念を押されましたよ。当方はすっかり心を冷やされ「日本語では水というけど」とやり返し、言葉を次いで、「もう結構。代わりに熱燗で一本付けておくれ」

*国際化の時代とはいえ、最近のカタカナ言葉の氾濫は目に余るものがある。英語を使うことが時代の最先端をいくものと、とんでもない勘違い、認識不足をしている。最近、楽天が社内で英語を公用語にすると発表したのをきっかけに、こんな会社にはとても付いていけないと、筆生はただちにブログを閉鎖したほど。日本人なら、日本語をもっと大事にしようよ。

 

定書 さだめがき 

邸宅勝手口などに訪問者への規定などを書いて貼り付けたものを〈定書〉という。公共のものは「触れ」などを指す。たいてい「物売りお断り」「猛犬注意」など無粋なものが多いが、伊藤晴雨の絵(省略)のように「屁理屈一切無用の本文也。野暮と化物共入るべからず」のようにユーモラスな文言のものもある。

 

色紙 しきし 

 方形の厚紙や色紙にに歌俳や画文を書き込んだもの。有名人などが即席に書き相手に記念に渡す。生真面目なものより砕けた内容のものが珍重される。

 この絵に鹿児島市民の怒りも大噴火〔読売新聞・大正三年一月十四日〕この年の一月十二日、鹿児島県の桜島が噴火し、鹿児島市などが甚大な被害を被った。こうした不幸のさなかにおちゃらけた色紙になぞらえた時事漫画を載せるとは怪しからん、との抗議が新聞社に殺到した。タイミングが悪かっただけに、桜島大根の屁ひりユーモアも通用しなかったようだ。

 

字号表 じごうひょう 

 昭和時代、無線通信用に開発された音声符号集。これが一般に広がり、戦時中は下町の

子供たちの間で俗に「トン・ツー」と人気になり、暗号通信遊びに口承されるようになった。

 字号表〔少年倶楽部、昭和十九年五月号〕より。戦時下、いわゆる「トンツー」の俗名で親しまれた。

 

自己紹介

 自分のことを一番よく知っているのは自分自身である。だから気さくなブログ等での〈自己紹介〉文だと、調子に乗って自分のプライバシーにかかわることまで書いてしまいがち。筆勢はほどほどに、私的な部分も影響の少い程度にとどめたい。それに加え、文章はリズム感のある歯切れの良いものに仕上げ、できたらユーモアも交えて書こう。

 ユーモアやギャグは見知らぬ人との距離を縮めるのに有効な材料。自慢話や地位役職等を鼻にかけた表現は人物を小さく見せるので慎しみい。

【例】

本ホームページトップに自己紹介の一文を載せてあります。

 

辞世遊詠 じせいゆうえい 

辞世は人が自分の死を意識したときの感慨を端的に述べた、歌俳あるいは偈頌をさす。別に「臨死の歌」「辞世の頌」あるいは「絶命の詩」などとも呼ばれている。

人は自分の死という決定的瞬間を客観的に見つめることは出来ない。そこで辞世のかたちで、そうありたいという願望をこめて、「大往生の先取り」言い換えるなら「臨死の美学」を詩歌に表すのである。

しかし辞世のなかには、これが辞世? と思えるぐらい、遊んでしまっている作品もある。つまり、ご当人は自分の死すら茶化してしまっているのだ。論より証拠、ここではそうした辞世を〈辞世遊詠〉と銘打って、拙書から六点を選び掲出してみた。

なお辞世には和歌をはじめ俳句、都々逸、詩などのスタイルがあるが、その七割がたは短歌である。

切腹に先だち辞世詠をしたためた明石儀太夫〔月岡芳年画、Wikipediaより〕その詠は、「弓取りの数にいるその身となれば惜しまざりけり夏の夜の月(天正十年六月十四日没) 

【例】

辞世遊詠六首

                                       守屋仙庵 我しなば酒やの庭の桶の下 われてしずくのもりやせんもし

*有名な酒戦記『水鳥記』(池上文庫本)に所収。慶安三年、地黄坊樽次軍と池上大蛇丸との戦陣で樽次側の醒安が善戦むなしく酔死。醒安は自分の本名である守屋仙庵を巧みに折り込んで辞世とした。

                                       芥川貞佐

 死んでゆくところはをかし仏護寺の犬の小便する垣のもと

*詠者は吟遊狂歌師。安永八年(1779)一月二十一日没、享年八十一。

                                   都々逸坊扇歌〔初代〕

都々逸も謡いつくして三味線枕楽にわたしは寝るわいな

*詠者は都々逸の元祖。嘉永五年(1852)十月二十五日没、享年五十七?

 

                                      一色銀之助

 ふにおちぬ七ツ屋札にせめられし守りの銀はいま奪らるなり

*江戸の碁会所主人で筆者の遠祖、狂歌師。安政五年(1858)月二十九日病没、享年五十八。

                                      新門辰五郎

 思ひおく(まぐろ)の刺身(ふぐと)(じる)ふつくりぼぼにどぶろくの味

*侠客で、徳川慶喜の親衛隊長。明治八年(1875)九月九日病没、享年七十六

                                      久保田米仙

 人並の世間相場の五十年どうやら五つ利子も積りぬ

*日本画家。明治三十九年(1906)月十九日病没、享年五十五。

&拙書『辞世千人一首』

風俗雑誌の死亡広告     荻生まとめ

風俗雑誌の死亡広告 〔風俗雑誌『グロテスク』、文芸市場社刊、昭和三年三月十二日〕 エログロ・ナンセンス時代、当局の度重なる発禁処分により廃刊に追い込まれた難破雑誌『グロテスク』の死亡広告もどき。右は同年十一月号の表紙である。同誌の死亡広告は、たちまち社会的にセンセーションを巻き起こした。大方のインテリ層は、発禁は不当であるとの『グロテスク』支持の態度をとり、社主である梅原北明の当局への面当てに喝采を送った。梅原はボッカチョ原作『デカメロン』の翻訳で知られる。大正十三年、この好色ものが出版されると前宣伝も効いてベストセラーに。北明はその儲けを資金に雑誌『文芸市場』を創刊したが、放漫経営が基で行き詰まる。次に『変態資料』『明治性的珍聞史』などセックス本を刊行するが、いずれも発禁に処された。昭和三年秋に『グロテスク』を創刊、これも第三号が発禁処分を受けると、彼は半分ヤケになり、掲出の黒枠広告を発表したのである。権力体制側が出版物を発禁に処する行為そのものは、文化文明の否定につながる。発禁した当局の親玉が退官後に発禁本のストックを密かに持ち出し、アングラ筋へ売り渡し大儲けした、という黒い噂も流れた。

 

知ったか遊び しったかあそび 

自分の知識を言動に表明し相手をへこませることを、俗に「知ったかぶり」といっている。〈知ったか遊び〉はこれの言語遊戯版である。レトリックでは「衒学法」と称している。

【例】

黄表紙序文より                                          作者未詳

質勝文(しつかつてはぶんに)野暮(やぼ)也。(ぶん)(かつては)(しつに)高慢(すましがほ)也。文質(ぶんしち)元結(もとゆひ)人品(じんぴん)として、月額(さかやき)青き君子国。五穀の外に挽ぬきの、おそば去らずの重忠が、智恵の()(ます)(はから)れし、大小名の不知の山、三国一斗一生の恥を晒せし(なな)温泉()の垢、とけて流れて三島にあらぬ大磯の化粧水(けせうみず)に、しらげすませし文武二道、(まん)(ごく)(とをし)と名づけしを、…

&文武(ぶんぶ)二道(にどう)万石通(まんごくとをし)

 *古今通して序文は構えた文体になりがちだが、掲出はその最たるもの。広範な分野からの衒い引きが目立ち、半端な知識ではついていけない。

談義本より                                                 盧立花庵作

 わん者とは舞台子(ぶたいこ)にて。童子は陰子(かけこ)なるべし。是節推東野にて知べしなどゝ。会読で出会た高野(かうや)(ひじり)の案内に。(にやく)(どう)に分入しより。繻半(じゆばん)は江戸どき。牡犢褌(ふどし)一行物(いちげうもの)の染こみ。役者印譜の扇を持。豪傑に似たる放蕩となり。昔の惻隠(そくいん)は今での元気のおとろへなるべしと。(かしこ)そうなわる口いゝならい。さらえ講のはれに加賀紋の羽おり。金沢まで染にやりし気のながい自慢(しまん)。髪結のすけとらへて連歌は出来ぬか。和歌(うた)は詠みやらぬか。とかく敷島にたづさわらぬ人は。ものごとそう〴〵しいと。月代(さかやき)仕舞てもゝ尻になつているものに。国学ばなし。三ケの大事も五ケのひでんも。秘事はまつげじや。草庵集かしてやろふが。ちと歌よみ習ふて見やらぬか。慮外ながら添削して遣ふなどゝ。…&(くろ)()瑠璃(るり)巻三

*言辞と内容が知ったか遊びの一端を象徴的に物語ってくれている。

 

書簡の遊び  しょかんのあそび 

本来が私信である〈書簡〉に面白さや遊びを求めるのは見当違いというものであろう。はた目に興味津津なのは〈ラブレターの艶筆〉ぐらいのもので、ほかはお呼びでない。

野次馬根性で選んだ絵になる昔の手紙を一例だけ披露しておこう。

【例】

田中正造、虱子(しらみ)退治の書簡

至急御届け申上候。一昨夜来所々にて虱子十四、五疋発見いたし、昨夜足利に来り親族の手をかりて虱子の巣屈そふさく候処、彼れハ衣類のヌイメ竪横ニ潜伏せり。終ニ三百六十五頭生捕り候。随分の大騒ニ騒せました。さて先頃二回貴家に参上第一回の頃よりして下腹のへんかゆく候ニ付てハ、多分夜具及衣類ニ今ごろハ多くの悪魔を蕃植いたさせたりと存候間、右大至急御届け申上候間、草々御征伐のほどを奉願候。

&『二一世紀の思想人 田中正造』

田中正造像

田中(たなか)正造(しようぞう)(18411913)は明治の民権家・政党政治家。足尾鉱毒問題を糾弾。この手紙は明治四十一年一月十六日付け、逸見斧吉・菊枝夫妻宛書簡の一部である。田中は甥の原田定助の家で、素っ裸になりシラミ退治に奮戦。その何日か前に泊まった逸見家へこの手紙を出した。田中正造という人物には、憂国の政治家で正義を貫く硬骨漢、というイメージがある。百年も前に足尾銅山が垂れ流す鉱毒に義憤を覚え、公害排除の急先鋒として活動した人物だ。しかし議会では民主的解決がみられず、絶望した彼は、明治三十四年十二月行幸中の天皇に直訴に及ぶ。有言実行、信念を曲げることのない熱血の士であった。そうした正造に、シラミ退治の様子をつぶさに書き送るユーモアのセンスがあるとは思いも寄らなかった。几帳面でもある。この一書により、彼の人間の幅の広さを改めて思い知らされた。「三百六十五頭生捕り候」といった大仰な表現も、受信する者の心をなごませる効果がある。こういう人こそ真の人間政治家というのであろう。

 

新語遊び しんごあそび 

宴席などで座興に新造語を披露しあい、それらいくつかの言葉を使って会話を愉しむ遊びを〈新語遊び〉または〈仇言葉〉という。すでに江戸時代、通人の間で流行っている。今はめったに耳にしないが、恒例の「流行語大賞」などというイベントはその現代版か。

【例】

黄表紙より                                                      竹杖為軽作

通の事をピイといひ、意気な事をプウと言ひ、女郎の事をヘケレケといふ。此頃は夜、女郎買ひに行者なし、去によつて女郎屋も朝見世を張る。右の男「とかく遊びは朝の事だ 「ぬしのヘケレケはプウだよ 誘客二「おらがのより、おめへのは、とんだピイでありがてへ &従夫(それから)以来記』

新語取りキャッチ

ウッソー 切れてる。/日本損害保険協会「自賠責保険」&『キャンキャン』1997年五月号

 

スローガンの遊び ──のあそび 

国家や団体機関などが主張すべき内容を簡潔に表現した文句を「スローガン」または「標語」と称している。キャッチコピーに似かよった点はあるが、スローガンは商業目的でなく、大衆の思想や意識の啓蒙を目的とする点で差異がある。「一句のスローガンは万発の弾丸に勝る」という西欧金言があるように、かつてわが国でも、体制側が大衆を煽動する手段としてスローガンを巧妙に利用した。

いっぽう平和時のスローガンには思わず微苦笑させられるものが少なくない。これらを〈スローガンの遊び〉として扱おう。

【例】

公募作品等より

▽自転車も蛍になろう夜の道(滋賀県・門木隆明)

 ──1996年「交通安全標語」佳作

▽お父さん ゲームやるより 新聞だ(豊川市・神谷将史) 

 ──1998年「新聞週刊」佳作

▽体で覚えて 地震に自信を

 ──「防災の日」に、消防庁・国土庁

▽いまだに結核流行とは 憂き世なり

 ──財団法人 結核予防会

▽自慢するなら 長い足より よいマナー

 ──営団地下鉄

▽「ああおべた」ちょっこのほがみが 事故のもと(ああ驚いた ちょっとのよそ見が事故のもと)

 ──「出雲弁交通安全標語」横綱(西)受賞作品、仁多町交通安全協会

▽小さな親切 大きなお世話

──1997年十月三十一日、朝日新聞「口コミ・耳コミ」

&以上『標語・スローガン事典』

自家製スローガン                                                                            以下荻生作

▽祝 収賄蓄財課新設 大倉省職員御一同賛江 甘露御用商組合

▽禁煙運動けむに巻け 日本たんばこ産業

▽撲滅!清貧失調症候群  日本藪医師会

▽新会是「馬匹独吟(うまいななくよ)非貧(ひひーん)」 JRA 日本中央競馬鹿会

▽頼れぬ司法 密告(チク)悪党(ワル)      一億総節介推進委員会(アウトロー・ウオツチヤーズ)

 

兵士の材料になる生めよ殖やせよ〔東京日日新聞、昭和十六年五月二十日〕

 

宣誓文

 自分にとって重大な意思決定は、〈宣誓文〉という形で表明するのも一つの知恵である。禁煙・断酒はじめ性転換手術まで、人は自分だけではなかなか解決できない悩みを抱えている。こんな場合、宣誓という表明行為を通して、目的遂行のため自分を試練の場にさらしてみるのも手。決意を公にすることで自身の精神的負担が軽くなるし、周囲から励ましやアドバイスを受けることもできるのだ。

【例】

今度こそ禁煙します!                        荻生作

母親を癌で亡くしました。

ヘビースモーカーだった私が

副流煙加害で殺したようなものです。

悔やんでも悔やみきれない気持ちを

せめて断固禁煙に託したいと思います。

皆様、私の禁煙宣誓がくじけないよう

どうぞ厳しい目で御見守りください。

お願いいたします。

*筆者が三十数年前に実際に発信した宣誓文。以来この誓いを守り続けている。

 

センチメンタル・メッセージ sentimental message 

アメリカでは事あるごとに親しい者同士でのカード交換が習慣化している。冠婚葬祭はもちろんのこと、誕生日はじめ新年、バレンタインデー、復活祭、クリスマスなどで必ずといってよいほどカード挨拶が交わされている。あるいは、ちょっとしたチャンスをとらえてはこまめにカードを出す。相手も肉親はじめ友人・恋人・職場の同僚・サークル仲間、はては別居中の夫婦でさえも。

カードは市販のグリーティングカードにメッセージを書き添えるのが一般的だが、手造りデザインのカードも少なくない。贈り物に添えたり、私製はがき(ポストカード)で出したりする。ケータイでの通信ももちろんOK。

〈センチメンタル・メッセージsentimental message〉略して〈センチメント〉あるいは〈カードメッセージ〉は、こんなカード贈答文化が発達させた市民のコミュニケーション文芸である。

アメリカでは国民性を反映してギャグやユーモアを聞かせた句章(メツセージ)づくりに工夫が凝らされている。印刷済みの儀礼用慣用句は味気ないと敬遠され、代わりに独創的でハートフルな文句が歓迎される。

日本でも若い人たちの間でメールはじめカード交換が定着しはじめ、気の利いたメッセージがやり取りされているようである。ぜひともセンチメントを盛り上げて、文章創作の楽しみを再発見してほしいものだ。

さて文例の過半は、1960年代に筆者がコピーライター現役のころ、余興の文案などを書き溜めた「習作ノート」から拾い出したもの。キザな作品が多く汗顔の至り(もっとも、センチメント=情感の創成に多少のキザごころは必要)だが、他に公開作例の乏しい分野ゆえ、意を決して披露することにした。

*一部他項と内容が重複するものがあります。 

若者Aから友人Bへ、賀状メール

 おめでとう。けど、おせち料理って、すぐ飽きるよな。雑煮にウンザリしたら、オレん()へ来いよ。今年の抱負など語らいながら、メザシ肴に、冷や酒酌み交わそう。

バレンタインデーに、別居中の夫へ妻より

 頑固な背の君へ、チョコレートをどっさり贈ります。少しはトロケてね。

別れた昔の恋人へ、思い入れて

 あなたとマニラ湾の夕陽を見たとき、じつは決心したのです。このバラ色の感動をセピア色に変えてはならない、…と。でも、運命の女神もいたずらね。

クリスマスカード、出張先から愛娘へ

 ○○ちゃんを思って、お父さんは赤鼻(あかはな)のトナカイになりました。たのしいクリスマスをいのります。きみと、お母さんに、チュッ!

友人へ貸した本の催促

 くだんの本、血のにじむ思いで手に入れたんだぜ。「帰らざる本」なんての、いやだよ、きみ。

 *世紀の妖艶女優マリリン・モンロー主演の米映画「帰らざる河」にひっかけて。

故郷の母親へ、息子より

 昨日、好きな彼女がほかの男と結婚しちまった。披露宴の料理、味がわからなかったです。すぐにでも飛んで帰りたい。そのときは、おふくろの味でいやしてね。

驕れる友へのアドバイス

ゲーテいわく、「高慢チキの胸に友情は芽生えない」と。キサマの鼻、最近天狗のようだ。血を売ってしのいだ苦学時代を忘れたか。

長期出張中の夫へ、新妻から

 手作りしたてのクッキーを送ります。愛を入れすぎたかしら。舌に聞いてみて。

成人式を迎えた姪へ

成人おめでとう。君と初めてあったとき、オムツを濡らして挨拶してくれたのを覚えています。さっそく祝い酒一本下げて行くので、お相伴をよろしく。のんべ伯父より

病めるポン友見舞い(連名)

 気分はどうだ。色男のお前がタンマの分、おれたち調子こいてモテてるぜ。くやしかったら、早く元気になれよ!

 

タイムスリップ Time-slip 

時空次元の超越を舞台にした一連の遊文を〈タイムスリップ〉と呼ぶ。ただしSFとして恣意的に創作されたものを除き、連想による言語遊戯色の濃いものを対象とする。

模範例を一点掲げておこう。異様な風体で東北地方を巡った海尊の門付口上より。

【例】

琵琶                                        秋元松代

ごめんけえ──どなたさまもごめんけえ。今わすの名を呼ばって下されたで、推参ながら(かど)をばくぐり申すた。わすは九郎判官義経公のおん供をばすて、遥る遥る都から、この奥州路へ下ってまいった常陸坊海尊が成れの果てでござりす。さてもこのたびの合戦は、進め一億火の玉となり申すたにもかかわらず、あえなぐ敗け戦とは是非もなす。主君義経公を初めとすて、みんなみの島々支那満州さうち渡りたる軍勢も、武勇つたなぐ討死総崩れ。さるほどにこの海尊は、義経公を裏切り奉り、寄る辺なき(おなご)だちわらしだちを見限りて、戦場をば逃げ出し申すた卑怯者でござります。&『台詞の風景』常陸坊海尊

常陸坊海尊像

大正百年に寄せて                          荻生作                        

米俵積んだ馬力。汚穢桶揺らす牛車。

乾ききった馬糞、牛糞が舞い上がる。

道端の物乞い親子、寒空に布子1枚だ。

厚化粧の女給が往く。金歯が光る。

交番で道を尋ねる田舎の老夫婦。

突っけんどんに追い返すお巡り。

大正と御代が変わったというのに

殺風景な町だ、この新宿は。

*百年前の新宿、史実に基づいた情景点描である。当時の甲州街道・青梅街道沿いのこの町は、まだ宿場町の面影が色濃く残る未開発地だった。現今の繁華を誇る新宿のイメージとは極端に異なる。この一文のタイムスリップの落差により読者は場違いな世界へと引きずり込まれたはずである。現実の姿と作者が描く世界との間ギャップを設け、そこに生じた摩擦のため読者が違和感を抱くよう仕立てる技法をレトリックで〈作為法〉という。事例はその一端を示したもので、パターンは無限にあるはず。たとえば上例とは逆に、外面は俗だが、内面は優雅。そんな描写があってもよろしい。ただし引例での情景描写は作為というわけではなく、実態に近い新宿辺の姿を映したものだ。作為 法では、主題の表裏につかず離れずの関係を保ち、一見して場違いなユーモラスのうちに真実を悟らせる。文彩でも高等技法なのである。

 

駄賃付 だちんづけ 

本来の〈駄賃付〉は、文字通り馬運の運賃を書いた張出しをいう。馬荷の単位を一駄、二駄といったことに始まった語である。

これを覚えやすいよう五七調遊戯に取り込んで風狂詠の体裁とした。馬子にも風流心に富んだ者がいた証拠である。

諸塚村には古くから伝わる民謡「諸塚駄賃つけ唄」が受け継がれている〔宮崎県諸塚村/中央公民館提供〕

【例】

三谷馬駄賃付 所々より吉原迄駄賃付の事

   日本橋より大門(おおもん)まで並み駄賃付の事

馬奴(まご)二人こむろぶしうたふかざり白馬駄賃三百四十八文

飯田町より大門までなみだちん弐百文

▽まご二人こむろぶしうたふ(かざり)白馬駄賃三百四十八文

浅草見附より大門迄なみだちん百三十二文

▽馬子二人こむろぶしうたふかざり白馬駄賃二百四十八文

&『近世奇跡考』十一

*小室節は『守貞謾稿』巻二十三によると、「文政中、山王祭礼に日本橋通り町より葛籠馬(つづらうま)を出せしことあり、その時、馬士(まご)に扮する者、島織の手巾をかむり、長き袖なし羽折着し、これを唄ふと云へり」とある。その代表的な歌詞は、

♪箱根なア、八里は、やれ〳〵い馬でも越すがよう、越すに越されぬ、やれ〳〵い、大井川よう。

♪阪は照る〳〵鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る。

 

立札文言  たてふだもんごん 

昔は往還や橋詰などの高札とは別に、路地裏や横丁に立札・貼紙の類が掲げられていた。町々の情報伝達、ミニコミ手段であったわけだ。

面白い例では、稽古事の女師匠が「この家につつもたせあり」と書いて、助平野郎どもを敬遠させる工夫をとるなどした。文盲者が多かったせいで、絵柄を使ったりして読ませ見せる工夫がなされた。勢い遊びの要素が多分に入り込む。たとえば、酔っぱらいが立ち小便しようと塀に立ち向かう。すると目の前に赤く塗った鳥居の絵馬が釘付けにされている。ちと遠慮してよそで済ます、ということになる。

おかしき札、その一                          大田南畝

小便無用、車無用等の札は見なれたれど、ひとゝせ牛の御前の堂の上に、おかしき札をたておけり、堂の上にて昼寝無用とあり、かのさびしさこれにておしはかるべし、/また牛込改代町の路地に、がらくおくべからずもおかし、がらくとは骨董(ふるだうぐ)也/寛政二年八月朔日より、築土明神八百五拾年忌、平親王将門御玉首也、といふ札もをかし、

&『俗耳鼓吹』

おかしき札、その二                          大田南畝

同じ年やよひいつかの日、祝阿弥文笠五凌(狂歌師仲間)など須崎のほとりを逍遥し侍りしに、秋葉のみやゐの内に、猿をつなぎおきたり、めぐりに垣ゆひまはして札をたてり、よみてみれば、「猿の近所へ寄るべからずとあり、わらはなどのたちよりて、いろひなどして怪我あやまちもありし時、親のむづかりいひけんにこりて、かゝる札をや書きて置けん、いとをかしかりき、&『俗耳鼓吹』

 

たなぼた話 たなぼたばなし

 降って湧いたように、予想もしないようなうまい話が持ちかけられることを〈たなぼた話〉という。これを材料に小品に仕上げる遊びもまんざら悪くない。

【例】

屋形船で花火見物、銚子付でいかが                  荻生作

七月×日の隅田川花火、屋形船仕立で 

  暑気払い。生ビールにきれいどころ付き…。

  ま、降って湧いたような話って

  現実にあるんだよな。

  じつはうちの社長が

  接待用に申し込んでおいた船なんだが

  社長が急遽海外出張で 

  三名分の空きが出た。俺が自由に

  仕切ってよろしい、ということに。

  その条件というのがふるっていてね。

  社内人選のトラブルを避けるため

  社とは関係のない人を選べ、というわけ。

  君以外にYに声をかけたらOKだと。

  もちろん祝儀等の心配は一切ご無用。

  花火見物につきラフな格好で来て欲しい。

  日時が迫っている、至急返事してくれ。 

*経験からいって、こうしたおいしい話を告げる場合、まずドタキャンの心配はあるまい。万が一にそなえて、もう一人候補を考えておけば十分であろう。宛先人は多くの人と初対面の遊覧になるはず、誘って恥をかかさないよう、細かい留意事項を書き添えることを忘れずに。

 

珍説開陳 ちんせつかいちん

なにをもって「珍説」とするのか線引きは難しい。常識外れな決め付けではあるが、人それぞれで見解が異なろうから、そのところは例示などから判断するしかない。

【例】

(うし)(なべ)食わねば開化(ひらけ)ぬやつ         仮名垣魯文天地ハ万物の父母。人ハ万物の霊。故ゆゑに五穀草木鳥獣魚肉。是がの食となるハ自然の理にしてこれを食ふこそ人の性なり。昔々の里諺に。盲丈爺のたぬき汁。因果応報穢を浄むる。かち〳〵山の切火打。あら玉うさぎも吸物で。味を志め々の喰初に。そろ〳〵開花し西洋料理その効能も深見草。(中略) (うし)(なべ)喰はねば開化(ひらけ)ぬやつ。&牛店(うしみせ)雑談 安愚楽鍋(あぐらなべ)

仮名垣魯(がなかきろ)(ぶん)(182994)近代最後の職業戯作者。出典で一躍人気作家に。江戸時代以前に四つ足の肉を食うことは、社会通念上の禁忌であり、犯してはならない生活則であった。獣肉を食うと死後、(けだもの)に転生するという仏教思想のためだ。明治新政府は開国を急ぐあまり、西洋文明の移入をやみくもに推進した。それに伴い多くの既成概念が打破され、やまと文化のいくつもが衰退へと向かった。世を挙げてのカルチャーショックの到来である。和食一辺倒の食生活も一新されつつあった。その急先鋒として登場したのが、ネギ入りで美味、体の滋養となる牛鍋である。魯文は牛鍋文化を巧みにカリカチュア化し、一編の佳篇に仕上げた。「(うし)(なべ)喰はねば開化(ひらけ)ぬやつ。」とは、まさに時代のバスに乗り遅れるな、の忠告である。魯文は式亭三馬の影響を強く受け、また浄瑠璃詞独特の○止め体を表記に踏襲。いっぽう、当世代人にも読みやすく理解しやすい近代文で表現する努力も試みている。彼をもって、古典戯作の時代は幕を閉じたのである。

珍説「ランプ亡国論」

一に毎夜金貨大減の害 二に国産の品を廃物となすの害 三に金貨の融通を妨るの害 四に農や工の職業を妨るの害 五に材木の値上下さするの害(中略) 

十に全国終に火災を免れざるの害 十一に()(もと)を殖し増すの害 十二に市街村落終に荒土となすの害 十三に五盗倍増(ますますま)し殖すの害 十四に罪人を倍増さすの害 十五に眼力を損し傷むるの害 十六に家宅品物及び人の鼻目まで熏ぶるの害(以上、各論の見出し) &『明治初年の愛国僧 佐田介石』浅野研真著

佐田(さだ)介石(かいせき)(181882)は浄土真宗の僧侶・仏教学者。

近代小説より                                      芥川竜之介

 

屍骸を磔柱(はりつけばしら)から下した時、非人は皆それが美妙な(かおり)を放つてゐるのに驚いた。見ると、吉助の口の中からは一本の白い百合の花が、不思議にも水々しく咲き出てゐた。/これが長崎著聞(ちよもん)集、公教(こうきよう)遺事、瓊浦(けいぼ)把燭談(はしよくだん)等に散見する、じゆりあの・吉助の一生である。&『じゆりあの吉助』三

 善悪蛙珍聞 〔明治文化全集・第二十五巻見返し、明治二十二年八月〕蛙どもがケロケロと賑やかに珍聞のネタを提供している。こころ浮きうきするような明治草紙の面影、現代ではまずお目にかかれない傑作であろう。

 

伝言板メッセージ でんごんばん── 

以前は駅頭などに伝言板が置かれていたが、最近見かけなくなった。どういうわけか知らないが、撤廃の方向へ向かっているのだろう。

伝言板には人と人との出会いと別れの縮図がうかがえる。待ち合わせの暇つぶしに目を通す人も多かったと思うが、なかなか秀逸作があり、他人の世界の覗き見趣向を楽しませてくれたものである。なかにはいたずらで気の利いた文句を書き込み、一人悦にいっているマニアもいると耳にしたことがある。

さてJRの旧称が国鉄、さらにその前称を「省線」と呼んでいた時代があった。その省線時代の昭和十年、各駅伝言板の文句寄せ集め出版物が出ている。昭和史を飾る貴重な史料である。

【例】

駅頭伝言板、昭和一ケタ年風俗

▽雨、のち晴れ、傘いらぬ 志川様へ 岡本(有楽町駅)

 *どこかミステリー小説の暗号符丁を思わせる文面である。

▽Y坊モナミで待つ、オゴレよ 山野(新橋駅)

▽お千代ねえさん、お先へ 小紋(渋谷駅)

▽玉川でボートこいでる 三中、山田(渋谷駅)

▽待つ身に鳴くな 時鳥バカ! 吉田(池袋駅)

 *どうやらマニアの作らしい。

▽神林君、時間が来たから汽車に乗る、これでもう会へぬかもしれね、残念 宇野(上野駅)

 &流線型(らんでぶうのあんない)アベック』丸の内出版・昭和十年刊

 

トイレット文学 ──ぶんがく 〈トイレット文学〉とは、かの密室の壁面に書かれた文句をさす。この類は九割がた下半身ズバリの表現である。それ以外のマジメな?作品は、どこか場違いな感じがするからおかしなものである。

ところが最近、街なかや駅構内のトイレが化粧タイル張りやスチール張りとなり、清潔になってしまった。加虐的らくがきの楽しみが一つ減ったわけで、つれてトイレット文学も尻すぼみになっている。

【例】

雪隠詠で応酬

    

みんなみにきたか花見に東西     其白

皆見来

*田村其白のこの戯句をまねて、誰ぞが雪隠にらくがきを添えた。

▽いそぐとも西や東へたれかくなみなみる人がきたながるなり &『巧智文学』

広島旧制高校便所のらくがき

▽雪隠や五月雨の音聞きながら

▽朝ぼらけ静けさ破る糞の音

▽糞は出ず鐘は鳴るなり秋の暮れ

&『らくがき昭和史』

臭キカナ「学問ノススメ」

天は人の上に人を乗せて人を作る。/昭和三十年頃、早稲田大学の男子トイレにあった落書き &『日本人の笑い』暉峻康隆著

*「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」で始まる福沢諭吉『学問ノススメ』のパロディである。慶応義塾創設者の言辞を対抗(ライ)学府(バル)の早稲田の学生が(おとし)めたという点でも、なかなかの皮肉である。よく知られた歌句詞章は思想や文章のお手本であると同時に、捩りを生み出す母体でもある。パロディには借辞の傑作も少なくない。掲出のらくがきも言いえて妙だ。人づくりの発想を百八十度転換させ、下半身行為に擬した点はいささか安易にすぎたが、大人なら捩りの内容がピンときてニヤリとすること請け合い。トイレは尻をまくってさらけ出す密室という点で、その方面のミニコミ的ウンチクを傾けたケツ作にお目にかかることが多い。筆生もいくつか実地見聞(淫声も含めて)があるが、なかでもグランプリ物は、昭和三十五年頃だったろうか、日本橋詰公衆便所男子用の壁面にあった次の一文句である。

   貞女、モノの大小を知れ!

 

ナンセンスコピー 

大衆受けする広告文、引札文には遊び心が横溢しているものである。もっともなかには、書き手が悪乗りしすぎ、首を傾げたくなるような作品がないでもない。遊興気分が勝ちすぎ失敗の類の広告文を業界では〈ナンセンスコピー〉といっている(広告の本場アメリカで通用する言葉かどうかは不明)

ただしナンセンスとはいえ、必ずしも役立たずという意味ではない。それどころか、大橋巨泉に口上させたパイロット万年筆「はっぱふみふみ」のように、ナンセンスを逆手に使い大成功させた傑作の例もある。もちろん、たいていのナンセンスコピーは線香花火の寿命で終わっているが。

【例】

毛生え薬の能書

この毛生え薬は、御つけなされ候ときは、紙縒(こより)にて御つけなさるべく候、もし指にて御つけなされ候へば、指のさきへ、毛生え申候 &『江戸前噺鰻』

*十返舎一九による実在の引き札文の文中引用だが、明治時代の擬似広告文にもこの手のものが見える。家の自家稿になる死亡広告は話題をさらった。

近代の毛生え薬広告

 北多摩薬剤師会・おくすり博物館蔵

ハレー彗星悪ノリ広告文

そらッ/彗星と地球がブッかる/世界の全滅?/人間はどうなる?/サア大変々々/一分一秒猶予はできぬ/霊薬ゼムの用意はよい?/早く飲め早く/タッタ一粒ゼムを/懐中良薬口中香錠ゼム &『東京朝日新聞』明治四十三年五月二十日

*おりしもハレー彗星の地球大接近が人心を不安に陥れていたが、それの便乗広告。

腹の虫が治まらぬ広告

回虫ブギー

回虫ワクワクお(なか)ズキズキ

銀玉のんで笑つて暮らそよ

&昭和二十一年、虫下し「銀玉」各紙広告

*パロディ歌詞の広告。原詞は「東京ブギ」、歌い出しは、

♪東京ブギウギ リズムうきうき/心ずきずき

 わくわく/海をわたりひびくは 東京ブギウギ…

詞は鈴木勝、曲は服部良一、歌は「ブギの女王」といわれた笠置シズ子だ。回虫とシラミの二大虫害は、敗戦国日本のみじめさに追い討ちをかける副産物であった。都市生活者が空き地に開墾した家庭菜園が元凶。人体が排泄した黄金肥料と、生育する野菜と、それに付着する回虫卵と、成虫が棲む人間の腹との相互連鎖である。回虫がわくと、ただでさえ不足がちな栄養がどんどん吸い取られ、体がだるく元気も失せる。悩みは深刻で、国家レベルで駆除に乗り出している。紙上にも各社各様の虫下しの広告が賑わう。修辞上の捻りをきかせた珍作も目に止まる。

   東風吹かば回虫(ムシ)を下せよ銀玉で痛まざるとて腹を忘るな(銀玉)

パイロット万年筆CM

 みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ

 

番付 ばんづけ 

 世事関心度の高い相撲取や歌舞伎役者などの優劣を格付けした一覧表を一般に〈番付〉といっている。これの遊戯化である。

 番付にはさまざまな種類があり、なかには人気取りのため上位に番付てもらうべく、付け主に袖の下を使うなど裏取引がなされた。

【例】

 女流酒豪番付〔雑誌『酒』付録、昭和五十二年〕

 おめぇっちより、おいらが上だぜ〔びんばう人の番附、江戸かわら版・幕末〕 江戸時代の役者番付に似せて皮肉たっぷりに貧乏人のランク付けをしている。横丁の八熊連は、自分が番付のどの辺に相当するか、暇つぶしに楽しんだようだ。冒頭四条を活字に直すと「勧進元 かこわれ者の里親」「差添人 ごけばゞのせんたくや」「東大関 正月に掛餅買うて仕まふの」「西大関 また火で寒中をしのぐの」

 

引札擬き ひきふだもどき 

〈引札〉は江戸・明治時代の数少ない宣伝媒体であった。引札は化政期に頂点を極め、平賀源内・山東京伝・式亭三馬・滝沢馬琴といった器用な戯作者らが古典的文案家として活躍した。たいていが商業用誘客を目的とした文章ではあるものの、多分に機知と遊び心が発揮され、傑作も目立つ。なかには絵図入りで部屋飾りに利用されるものもあった。

【例】

新作ナントシヨ節/恵比寿ビール

主と忍んでビールを飲めば 嬉しナントシヨ 浮名が立たずに泡が立つ 料理屋の奥二階 さりとは旨い てな事お仰いましたネ

下戸の笑顔に洋盃(コツプ)を出して (こぼ)るゝナントシヨ 共についだりつがしたり 新橋のビヤホール さりとは惜しいてな事お仰いましたネ

徳利ばかりでお酌は未だか 待たるゝナントシヨ お酌後から直に来る 待合の奥座敷 さりとは遅い てな事お仰いましたネ &団団(まるまる)珍聞(ちんぶん)』明治三十三年十二月一日

*当時大流行の「東雲(しののめ)節」の曲で歌う、今でいうCMソングである。

 女郎屋の引札〔維新期〕 世情不安定な幕末から維新にかけこの手の引き札が賑わった。

 明治時代の「ひきふた新聞」〔ひきふた新聞、明治十一年十二月六日〕各種新聞の創刊が相次いだ明治開化期に、この『ひきふた新聞』も発行された。文字どおり引札中心、ときおり雑報をも交えた専門紙で、今風にいうなら広告専門紙であった。

《参考》

近頃は何商売にも招牌(ひきふだ)を配ることが流行(はやり)ますが、中にも珍しきは、先だつてあちこちの妓楼から、上等が何程、中等下等が幾らと、直段付の入たる招札を出したことがありましたが、此頃又或処の寺へ、砂村の火葬場の引札を配つて来たと申します、これも別火屋が金一円にて、上等五十銭、中等下等が幾らづゝ、右は精〴〵念入焼立差上候間何卒相替らず沢山御用向仰付られ下され度、尤も回向料としてお寺方へは相当の付届仕るべく候と、記しありたる由、これも近頃珍しきやうに思ひますが、しかし女郎屋も焼場も何れ皆しに行く人を当にして日々の煙を立る所だから、似たやうな思ひ付で、引札を出したものと見へます。&『東京日日新聞』明治八年十一月二十九日

 

吹出し ふきだし 

     漫画等で話し言葉を囲んだものを〈吹出し〉と呼んでいる。一目で会話体であることがわかり、江戸時代の〈絵詞〉に相当する。最近では広告分野にも応用されいる。

【例】

ラジオ放送開始で大反響

 ラジオ聞く人々〔東京放送局いよいよ仮放送を開始、『時事新報』大正十四年三月二十九日〕

吹出しを生かしたチラシ

 一円タクシー(円タク)のちらし〔昭和二年頃〕吹出しのキャッチを中央に据え広告効果を挙げている。駄作揃いの往時の広告群にあって、光り輝いている見事な作である。

 

符丁の遊び ふちょうのあそび 

 一般に「符丁」と「隠語」とは言葉の概念が似かよっている。

別項〈隠語〉で、一般の隠語と言語遊戯でいう隠語とは異なるものである、と述べた。その普通いうところの隠語も、造語力に弾みがついて、言語遊戯化したものが少なからず存在する。

ただし本項では、言語遊戯上の隠語と使い分ける必要から、一般の隠語の別称である「符丁」を用いることにした。話がややこしくなるが、この符丁もまた、言葉遊びの性格が強くにじみ出ている。

*一部内容は遊戯詞系〈符丁〉と重複する。

【例】

僧侶の符丁より

牛肉→わらじ 馬肉→金沓(かなくつ) 酒→般若湯 泥酔→べいろしゃ どじょう→踊り子 蛸→千手観音 刺身→嘆仏(たんぶつ) 娼妓→菩薩 妻→大黒 妾→檀徒 男色→高野山 男根→撞木(しゆもく) 自慰→大悦

警察符丁より

警視庁→桜田商事 刑事→デカ 容疑者→ホシ 逮捕状→おふだ 事件→ヤマ 殺人被害者→ほとけ 家宅捜査→がさ(入れ) ピストル→はじき 強盗→たたき 強姦→つっこみ

芸者同士の手指符丁より

い→(ひとさし)指と拇指でいの字の形をする

ろ→船の()をこぐ手付をなす

は→歯を指す

に→荷を(かつ)ぐ真似

ほ→頬へ(ゆび)さす

へ→食指でへの字を作る

と→手で戸障子を開ける形

&『日本文学遊戯大全』

香具師言葉より                              和田信義

▽バイはマブテン、サンタヨロクした(商売は上首尾で沢山に儲かつた)

▽ヨロクはナミトガンでしまつた(儲けはみんな使つてしまった)

▽ヒンはヤリモカマラん(銭は一文もない)

▽ナゴはオカルバでカンタンしてる(女は二階で寝てゐる)

▽ナゴがラツてねえ(女が惚れてねえ)

▽メンクヤだからねえ(顔が醜いからねえ)

▽スイがバレないうちにハヤバにゴイせう(雨が降つて来ないうちに早く帰ろう)

▽ヤをグラスとシケだ(刃物を見せていけない)

&『香具師奥義書』

珍妙!スリ専科短歌集    

▽スリスリとスリ寄る馬鹿にスラレ阿呆 ボタハタキかお軽買ひか

▽金時計金時計よと騒ぐステツキ ひげもメツキかそつと唾吐く

▽ぬすつとのならひはかなしスリだこを 水洩る米のなきぞ悲しき

&『掏摸スリ和歌集』明治二十四年刊

*題名は『狂歌才和歌集』の捩り。内容から見て狂歌集の偽書仕立て。歌体をなしてない駄作ばかりだが、三首を抜書きしてみた。第一歌、ボタハタキ=懐中物のスリ取りで、スリの基本。お軽買い=女の櫛やかんざしの抜き取り。ともに初心わざである。第二歌掏り取った金時計がメッキなのに、被害者のステッキ紳士は金だ金だと大げさにわめいている、と皮肉りの寸景。第三歌は、太田道灌の作歌(じつは古歌の類歌)のもじりである。作品の質はさておいて、稀覯(きこう)本に属する集だ。作者達がいま少し狂歌作法を身につけていたら、と惜しまれる着想が少なくない。詠材が一般の者にはこなしえない独自の世界のものだけに、もっと神経を行き届け仕上げてほしかった。なかに一首だけ、合格点をあげてよい詠が目に付いた。

   たはむれに女房(すけ)の懐さぐりなば 軽きに泣きてナゲシ解き噛む

符丁でつづる戦後の浅草風俗

(のぼ)りさん相手のチャリンコやカツアゲですね。(中略)L座のSショウは真裸になって踊るやつですから、ドウカツの活躍舞台ですな──興奮して舞台をみている内、パーが切られているのは一日に何十軒かありますよ。カツアゲの方はお上りさん相手にやるんです。(中略)珍しいのは乞食とパン助が殆んどいない。乞食は田舎廻りのオモライ専門で、旧正月の二月十日前後には全然姿をみせない。パン助は、上野で客を喰えこんで田島町、吾妻橋辺りのドヤにシケコム手が流行っている。&『性文化』昭和二十二年四月号所収「ストリート=銀座・新宿」浅草署警官の談話記事

*まず符丁・隠語の略解から。チャリンコ=少年かっぱらい、オドシもやった。カツアゲ=恐喝。L座=「ロック座」の略。Sショウ=「ストリップショー」の略。ドウカツ=映画館内を稼ぎ場にするスリ。パー=ポケット。パン助=「パンパンガール」の略。オモライ=農家前で施しを強要する乞食。ドヤ=簡易旅館。シケコム=泊まる。戦後文化はカストリ焼酎と符丁・隠語とセックスの三原色で構成されていると思う。なかんずく符丁・隠語とセックスは「カストリ雑誌」の看板とするところであった。衣食住のほかに文化生活にも飢えていた大衆は、カストリ雑誌から符丁・隠語と性文化を狩り出し、自身の夢に置き換えていた。掲出談話も主題はセックスを匂わせた風俗描写で、わずか二五〇字ほどの文章に一〇種類もの符丁・隠語が用いられている。こんな肩を揺さぶりながら吐くような言葉も自己主張の一手段であった。六〇年を過ぎた今、ほとんどは死語になっている。

 

ペンキ語 ──ご 

すでに知られている言葉を洋風に言い換えてペンキ塗り立てのごときに見せかけるハッタリ語を〈ペンキ語〉という。読売新聞あたりの造語かと思うが、まだ市民権を得た言葉ではないようだ。明らかにはげやすい格好付けのペテン語だが、公用語や官公庁文書はそれらの宝庫である。

 【例】

 最近のもの

▽ホワイトリカー←甲類焼酎

▽リニューアル←内部改装

▽サプリメント←健康食品

▽ロッタリービューロー←宝くじ売場

▽クレジットローン←サラリーマン金融

▽ショッピングモール←商店街

▽ウエルエイジング←高齢者への社会保障

『近代日本食文化年表』、明治四十三年〔1910〕の条から引用すると、

 

ポスターの遊び ──のあそび 

ポスターは街頭広告の主役である。商品販売よりも興行のようなサービス関係の宣伝に向いている。

なかにはとてつもなく付加価値の高い作品が現れている。たとえば1976年に営団地下鉄が貼り出したマリリン・モンローの「帰らざる傘」PR用ポスターは、即日持ち去られるものが少なくなかった。このポスター、ネットオークションでも高値がついているという。

ポスター「帰らざる傘」

 注目度抜群の映画ポスター

 いろは仮名 四谷怪談〔映画ポスター、昭和二年、早稲田大学図書館蔵〕

 

無題ごっこ むだいごっこ

 あなたにも経験があるろう、書いたはいいが、どんな題名を付けたらいいのか迷ってしまうような文章。あれもダメ、これも不適当と考えた挙句、ああ面倒くさい、「無題」にしてしまえ、ってことになる。

 こんな成り行きは知恵不足のせいにしたくはない。それだけ思い入れが深いから思考錯誤するのだと、〈無題ごっこ〉としたことをポジティブに考えることにしよう。

【例】

無題。いや…やはり無題

  カラオケバーで歌い終わったオバンが

  この店は客の拍手が少ない、と

  管を巻いていた。カウンターで

  これを耳にした客の1人

  おもむろに口を開くと

  「マスター、鍋の縁を1回叩いてやれ。

  ついでに手鏡を貸してやりな」

   ……

  ああ、春宵一刻値千金!

  オバンよ カウンター氏よ

  よき宵に酔いたい雰囲気を

  ゆめ、壊さないでおくれ。

 

メッセージの遊び ──のあそび  情報過剰時代の現代にあって、個人や企業が発信するさまざまなメッセージのなかには、首を傾げたくなるような類のものも少なくない。それら面妖なメッセージを一括して〈メッセージの遊び〉と称する。

【例】

 

グリコ脅迫犯のメッセージ〔昭和五十九年五月十日、毎日新聞大阪本社に届いたワープロ打ちの脅迫状〕昭和五十九年四月十日、グリコ本社内の試作室が何者かに放火され、ついで同社の江崎社長が連れ出され行方不明になる(のち自力で脱出)という事件が発生した。犯人は現金十億円と金塊十キロの身代金を要求、大阪府警と兵庫県警の合同捜査のかいもなく、犯人検挙ならず迷宮(おみや)入りとなった。大阪の新聞四社には、期を同じくして犯人からの脅迫状が何通か届いた。掲出はうち一通である。文面から察しがつくように、犯人は警察とマスコミを手玉にとって、いいようにオカラカイだ。「かい人21面相」の自称といい、「うそはドロボーの…」といい、社会全体までなめきった、いうところの愉快犯である。半端な生き方をしてきた性格破綻者であろう。真相はつかめず終いだが、グリコにとって思わぬオマケが付いた。事件の報道に伴う数百億円分の宣伝効果だ。結果、経済的被害はほとんどなく、絵に描いたバンザイ、だったのである。

 

モア・スペリング  

英語呼称のスペルをひねくり、できるだけ数多く列挙する遊びを〈モア・スペリング〉と仮称しておく。

例示「シェクスピヤー」四千通りはユーモアの弾み過ぎとしても、出典でも三〇通りの変化名を連ねている。

【例】

「シエクスピヤー」より

Shakespeare  Shakspare  Sehakespere  Sehakspeare  Shakespear  Chacsper  Shaxpere 

&『新青年』昭和八年十月号コラム「阿呆宮

 『新青年』第二巻第1号表紙

日本語だって                                             荻生作

シェクスピア、シックスピヤ、シェイクスビーア、ショックスピア、シャイレスピア、エックスピア、セックスピア、…

 

予言遊び よげんあそび 

〈予言遊び〉は想像力を働かせ、未来にこうなるであろうという予測を立てる知的な遊びである。近代、少年雑誌や喧騒小説で格好のテーマになっていた。しかしこの遊び、考えて見るとスパンが長く、予言の当否や真価は後世にゆだねなければならないのが短所である。

【例】

二十一世紀予言の驚異珍測

人と獣との会話自在、重吾の研究進歩して、小学校に獣語科あり、人と犬、猫、猿とは自由に対話することを得るに至り、従つて下女・下男の地位は多く犬によりて占められ、犬が人のツカイに歩く世となるべし。&『報知新聞』明治三十四年一月三日

*「二十世紀の予言」として報知に一月二・三日に二三項目にわたる未来予測が掲載されたのは1901年、つまり20世紀幕開けの年であった。もちろん正しくは「二一世紀の予言」とすべき。デスクの勘違いであろう。中身に目を通して感心した。二三項目の予言は、大半が的中か準的中しているのだ。たとえば「無線電信及び電話」「遠距離の写真」「七日間世界一周」「暑寒知らず」「写真電話」「電気の世界」「鉄道の速力」「自動車の世」「市街鉄道」「電気の輸送」などの事項はぴたり的中。ただし、掲出項をはじめ「買物便法」「暴風を防ぐ」「人の身幹」など、いささか勇み足がすぎ笑止な予想も見受けられる。さて現実に、二一世紀を迎えたわれわれが、二二世紀の未来社会を予測した場合の成績はどうであろうか。科学技術の進歩は幾何級数ペースである。コンピュータを駆使したところで、二〇世紀組の予測に兜を脱ぐのではなかろうか。

マヤ文明の預言者 

「明治百年東京繁昌記」うち

空中飛行機の東京見物  坪谷水哉

*明治百年=昭和四十三年が百年にあたる。

東京見物の(あか)毛布(げつと)といふ者は今明治百年になつても、矢張り昔と異らず、見物人は、始めて東京へ出てきて、何を見ても驚いて居るが、案内者の方は、ズツと進歩して、人力車で市中をゾロ〳〵と連つて回る様な悠長で無く、定員百人乗の空中飛行機で、スル〳〵と空中へ舞ひ揚り、客には銘々に双眼鏡一個づゝ持たせ、案内者は口に喇叭の様な拡声器(ケラフオン)を当て、音楽の如き大声で説明する。(さな)がらパノラマの説明者と同じ。/案内者「東京市現在の人口は六百万、六十年前に比べて三倍余になりました。其の都会の中心は、アレ彼方に見えます皇城で御座います。只今御門の内へ自動車が如くに這入りますのは、二重橋から何所かの国の王様が、我が帝室を御訪問遊ばすのでありませう。(中略)また市街々々の間には、東京市有の電車が、蜘蛛の巣の様に軌道を引ツ張て、走て居ますが、まだ彼の外に、地の底にも沢山の電車線があります。/見物人戯言(じようだん)じや無いぜ、此んな海に近い、川も沢山ある地の底を、何で電車なんか通られるもんか、土鼠(もぐらもち)じやあるめいし、田舎漢(いなかもの)だと思つて馬鹿にしなさんな。/此んな事を言ふて腹を立つ者があると、中には「シツシツ」「謹聴々々」などゝ其れを制止する者もある。案内者は笑ひながら更に語を継いで、/案内者「戯言じやアありません、事実(まつたく)真正(ほんとう)です。地下の電車も会社が二つで、其の一つは、地の底十間も下に、大きな鉄管を伏せて、其中へ鉄軌(レール)を敷設したもので、線路は矢張彼の中央停車場を中心として、南は品川、北は千住、西は新宿、東は亀井戸まで、十文字に通て居ます。地下の電車では、風雨も知らず、往来の人を轢く心配もなく、年中電灯の輝く所を走つて、夜と昼との区別が無く、好い気持です。今日にも直ぐに乗て御覧なさい&『冒険世界』明治四十三年四月二十日号

空想を際限なく膨らませる未来予測図

 

与太記事 よたきじ

新聞雑誌の記事で、興味本位にいい加減な内容にでっちあげた類のものを〈与太記事〉と俗称している。報道倫理が確立されていなかった昔によく目に付いた。

例示「馬鹿囃云々」の場合、真実を知らせるというジャーナリストの使命感などいささかも見られず、ただ記者の筆のいたずら心が先走っている。

【例】

馬鹿囃/お手の物で結婚式

府下南足立郡本木村の農加藤与七(五十八年)は近郷に有名なる馬鹿囃子の師匠にて、東京市中祭礼の節など雇入れる囃子方は皆此者の弟子にて、近郷に凡そ五十余名の弟子を持つ者なるが、旧臘二十八日に其長男三次郎(二十三年)といふ彦男(ひよつとこ)に、同郡鹿浜村の小野光右衛門の二女お友(十八)といふお多福を嫁に貰ひし祝ひに、新年宴会を兼ねて元日の朝より酒宴を開き、村内は勿論近の弟子共余多を招きしかば、何れも之を祝さんとて酩酊のうえ得意の馬鹿囃子を始め、三四十名にてチキリンチヤン、スツテン〳〵、ドロツクテン〳〵、ヲツピーヒヤラリと終日終夜囃子立てしは騒々しくも亦賑やかにて、近郷の新年が一家に輻輳せし如くにて、新郎の彦男と新婦のお多福の浮れ出せしは、宛然たる神楽堂を見るの想を為せしとは目出度きことにてありし。

&『郵便報知新聞』明治七年一月四日

奥付まで与太記事

 興味本位の見本〔『団団(まるまる)珍聞』明治十年四月二十一日第五号の奥付〕大衆が喜んで買ってくれる記事を知り尽くした俗まみれ商法で、たちまち新聞界に頭角を現した。

 

らくがき 

〈らくがき〉は、本来物を書くべきではない場所、たとえば門・塀・壁などにいたずら書きすることをいう。「落書」「楽書」とも表記するが、言葉遊びでは落書(らくしよ)と誤読混用の恐れが生じるため仮名書きにしておく。

 しも〈らくがき〉の一つや二つは経験があろう。人は一息入れたり、欲求不満の吐け口を求めるとき、緊張(ストレス)の発散手段にらくがきを書く。しかも「書き人知らず」の「書き捨て」なので、かなり大胆な表現になる。

【例】

誘惑する寄生虫──目黒寄生虫館   田中聡

 *東京・目黒の目黒寄生虫館は世界で唯一、寄生虫専門の博物館。ここには見学者が感想を記入できるノートが備えられている。出典からそのうちいくつかを転載させていただいた。

念願の寄生虫館へやって来て寄生虫のトーとバッグを買って帰る私達/犬の散歩に持って行こうと思っています。注目度NO1/もし私達のお腹からこんなのが出てきたらもってきます。/byエルのママ

▽先生のおみやげにもって帰りたいぐらいすごいのばっか。並のお化け屋敷よりこわかった。/S女子高校みほ

▽初めての来館。これ以降、さしみや無農薬野菜がこわくて食べられなくなる気がする。玉金があんなにはれておどろいた。

&『ニッポン秘境館の謎』

 

落首の遊び らくしゅのあそび 

〈落首〉は風刺や批判を込めた匿名の戯笑歌で、狂歌とは姉妹関係にある。その時代の出来事を反映させた庶民による時事狂歌ともいえるが、その実落首の多くは、特定の有名人物を攻撃する道具に乱用されている。「人物評落首」の作者には、よみ人しらずの立場をよいことに、相手人物に対し無責任に過激な嘲笑を浴びせるものが少なくない。なかには目

を覆いたくなるほど悪意をむき出しにしたものがある。たとえば、

九条殿お目が醒めたか井伊きみだちんち ん掃部(かもん)の首がないぞよ

は、桜田門外の変直後の落首。九条は関白九条尚定(ひささだ)で公武合体の推進派。井伊、掃部は掃部頭井伊(いい)(なお)(すけ)。安政七年三月三日雪の朝、江戸城桜田門外において、大老井伊直弼がその弾圧策に抗した水戸・薩摩の浪士らに暗殺された。井伊は孝明天皇の朝命を拒み、安政の大獄で反対派の一掃を計るなど専断ぶりを発揮したため、身から出たサビとの評もたった。それにしても後味の悪い、蒙昧(もうまい)()れ歌である。事件の背景事情を読み取ろうともせず、人の噂をタネに井伊らを極悪人と決めつけ、底意地の悪い野次馬根性で死者をからかっている。救いようのない愚民の一面を見せつけた一首だ。

 同様の例は他にも沢山ある。たとえば幕末の思想家横井小楠(しようなん)の場合。彼は国事に奔走し開国の必要性を熱心に説いたが、これが国体をないがしろにする暴論とみなされ、明治二年に旧攘夷派によって暗殺された。そのおり小楠を(そし)る悪質な落首が張り出された。

  よこい(横井)ばるやつこそ天はのがさんよ(参与)さても見ぐるしい(四位)今日の死にやう

狂歌や言語遊戯にだって倫理は存在する。右二首の例は、もう「遊び」の領域を逸脱している。狂歌作者は心すべきことで、落首などに入れ込むくらいならバレ歌でも詠んだほうがまだ可愛気があるというものだ。

落首では時事が背景になるから、その縁辺知識がないと鑑賞の余地がないし、一過性の詠にすぎず、時代が過ぎれば内容が色あせてしまう。狂歌とは一線を画して扱うべき性質のものである。

なお本コンテンツでは、散文系の「落書」と短歌系の「落首」とを、古来の慣例に従い別のものと区別してある。

 上方の落語家、桂南天は吉本興業を退いたのを機に「落首記念」と洒落て配った挨拶状

【例】

落首種々(くさぐさ)

▽米の音も五月(さつき)にや下る京童ないそなないそ遅て六月 &『諸国落首咄』元禄九年

▽金はいやこいねがわくば米安く運上なしに酒が飲みたや &『鸚鵡籠中記』元禄一六年

▽富士山が三里の内を焼きはらひ上の気下る下のうるをい

▽大空にいかなる客のあるやらん今日も振舞いあすもふるまい

&『近世風俗見聞集』巻一・元禄宝永珍話、宝永四年

日本を茶にして来たか蒸気船たつた四はいで夜も寝させん &『当世流行どう化狂歌』嘉永六年

 *蒸気船=上等煎茶の銘柄「正喜撰」との語呂合わせ。

▽米高く貧苦にせまる細民を三井など等は何も岩崎

▽大倉に米は沢山ありながら人に遣るのはとんと渋沢

&『東京朝日新聞』明治三一月二

*東京市浅草区役所に貼り出された二首。

宝永六年巳丑落書

▽鶴はとび亀は子を産む世の中に甲府万年たみはよろこぶ

  甲府ハ文昭院殿常憲公の世嗣となれり

▽美濃紙は次第に狭く薄くなる越前かみの幅のひろさよ

  美濃紙ハ松平美濃守吉保 越前ハ間部越前守詮房 

▽萩原をかして其まゝおくならば花のお江戸は元の武蔵野

  萩原ハ萩原長門守重安

▽公方引胴は上野へもかされてからつなかつぐあほう僧正

  阿呆僧正ハ増上寺

▽追腹をきらう〳〵と松たひらみのいたむをは能も知りてき &以上『宝永落書』

改元にちなんで

▽元禄を十七までにひまやりて娘ころして宝永とこそ &『元禄宝永珍話』

 *犬公方で悪名高かった徳川綱吉の娘、鶴姫が一七歳で夭折したのをからかっている。

▽年号は安く永しと替れども諸色高くていまに明和九 &『半日閑話』

あんせいを下から読めばいせん(異船)にて残る一つはメリカの国  &江戸瓦版

▽慶応と年号かへて御発進下から読めばおけということ &市中貼り出し

上からは明治だなどと言ふけれど治まる(めい)と下からは読む &市中貼り出し

荻生作

▽平らには成らんぞ亡者はびこりて世も紀も末よ弊政の国

 

落書の遊び らくしょのあそび 

〈落書〉は時局を痛烈に批判した匿名の文芸といえる。昔、立札の脇や橋の欄干など人目につきやすい場所に貼り出された。落書は下級武士や庶民の鬱憤の晴らしどころであり、常に笑いが伴う。なかになかなかの教養や見識をもつ者が書いたと思える傑作も目に付く。

なお〈落首〉は落書中に含まれるという説があるが、本書では散文系を「落書」、短歌系のものを「落首」と用語を使い分けている。

【例】

御いこう(文化十年)

御めんなさいひん町人 なみだ堂こんきう/願くはこの口毒を以、諸人難渋一切運上、茂十をめつし多留与往生、万民気楽 ナキヤメダブツ ナキヤメダブツ

*「御めんなさい珍重寺 阿弥陀堂建立」と唱えて喜捨を乞う放浪僧の文句を捩ったもの。

天下むちやくちやをちやくり文句(幕末落書)

慶応三年十月二十一日迄の書付見ねへな、抑々天下は権現様より照徳様迄、連めんつたはりきたりし天下を、今の悪玉なま物知恵めが、あつちこすり、こつちこすり、とふ〳〵天下になりはなつたが、京都は勿論、大名迄も言ふ事聞ない、老中を始役人めら迄、ほへつらかゝへて、恐れいつたの、なみだが出るのと、そんな書付見たくもねへに、どふだ一殿には遠大しんりよがあるのなんのと、野州の軍を手本にならい、詰りしまいは外国頼んで、天子へ手向ひ、悪玉大将ちつとはいたいが、ちんぼをきられよ、まごまごめされるとはらをやぶつて、ぞふふを出して、とふしんさして、おあかりあげて、下々よつて、諸神をまつるぞ、末社につながるおべつかづかいの、手前勝手な馬鹿様そだちの、喰ふ事知らない高取役人、今に見ろ〳〵おこもになるぞよ、其ときや下々喰ふ事かせぎも知つたる御家人、末々迄もおなかをたゝいて、おもしろだぬきのぽんぽこ〳〵

絵入りでからかい倍加

♪七ツ星(筆注=田沼家の家紋)切付けたら長者になろな、田沼はいくつ、三十七ツ、まだ年は若いな、此の子を切つて()野子(のこ)をおさへて、対馬にだかしよ、御目付はどこへ、あぶながって茶を(のみ)に、中の間の縁で、すべつてころんで油あせたらした、(その)(あと)どうした、田沼もいぬと、頼母(たのも)もいぬと、みんなにげてしまつた

 田沼あざ笑い落書 

 &三田村(みたむら)鳶魚(えんぎよ)全集』第十八巻・有職鎌倉山

田沼意知(たぬまおきとも)(174984)は江戸中期の若年寄。父の意次(おきつぐ)と共に幕閣に列した。悪名高い田沼意知の頓死を揶揄した替え歌で、原歌は「お月さんいくつ、十三七ツ…」という例の手鞠唄である。田沼意知は意次の嫡男で、彼また父親同様に収賄政治をほしいままにし、贅沢な生活を送っていた。

意知は江戸城から帰邸のとき、新番士佐野善右衛門政言(まさこと)二十八歳に斬りつけられた。佐野は猟官運動で多額の金品を贈ったにもかかわらず重用されずじまいで、怨みの刃傷に及んだのだ。大目付の松平対馬守(ただ)(さと)が政言を押さえたが、意知は悲鳴をあげ逃げまどう醜態をさらした。意知は結局、出血過多のため天明四年四月二日、事件後十日目に死亡、佐野は切腹させられた。田沼父子二代にわたる腐敗政治に江戸市民らはうんざりしていた。善右衛門が「世直し大明神」と崇められるいっぽう、意知は権高のくせに武士の風上にも置けぬ狼狽者よ、と落首などでも嘲笑されている。

   金とりて田沼るゝ身のにくさゆゑ命捨てゝもさのみおしまん

 

ラブレター

 浮ついて穏やかでないラブレターだが、男なら生涯一度くらいはこんなリスキーな恋文を書く立場になってみたいもの。文中、何箇所か〈言葉の綾〉、つまり文脈上の摩擦を表現する技術を用いてある「惚れてはいけない人」とか「ご主人が憎い、決闘云々で決着」「小股の切れ上がった女性に弱い」といった部分がそれ。文彩上の言い回しに過ぎないが、こういうもって回った表現が意外に感性訴求の効果を発揮するのである。

【例】

惚れてはいけない人に                        荻生作

あの晩のパーティのとき

思いきって打ち明ければよかった。

でも、できませんでした。数日たった今

冷静な気持ちでお便りすべきですが

それも叶いません。麗さんが好きです。

けれどあなたは、惚れてはいけない人だ。

人妻なんですからね。

愛を告白するにはハードルが高すぎる。

麗さん、あなたはいけない人だ。

あまりにも魅力的な姿を私に見せつけた。

色白で小股の切れ上がった女性には弱いんです。

もう心が騒いで、休まる暇もありません。

あなたを夜ごと抱けるご主人が憎い。

決闘が許されるなら、あなたを得るために

決着をつけたいほどです。

万が一の、ご返事を心待ちにしています。

 

流行語の遊び りゅうこうごのあそび 

流行語はその時代時代に打ち上げられる言葉の花火である。パッと開き、消えるのも速い。大輪の花が咲き誇る一瞬だけ、生み出した世相を照らし出す。

流行語はマスコミの発達程度に応じて量産される傾向が強い。マスコミ媒体の乏しかった昔にさかのぼるほど流行語の数は少なく、それだけに比較的長期にわたり寿命を保った。

現代では、マスメディアはもちろんインターネット情報に至るまで、流行語の運び役にこと欠かない。毎年、付き合いきれないほど多くの流行語が生産されるが、寿命のほうもいちじるしく短縮している。社会全体がせわしなく、こらえ性のなくなっている証拠であろう。現代の流行語は、要するに使い捨て文化の象徴といってよい。それでも、時代文化の刹那的花形であることに変わりない。

そうした流行語の中から、言葉遊びを(てら)い弄した傾向の強いものをまとめてみた(流行年代等は出典によって違いがある)。 

2014年の「流行語大賞」ノミネート

【例】

江戸後期「妄書(むだがき)かなづかひ」                        式亭三馬

▽「ちやあふう」やめにしたことをいふ。

▽「くはんかん」大きなつらを云。

▽「こんべらばあ」あくたいなり。

▽「しやんしやん」てをうつことなり。

▽「どんちやん」いそがしくてならねぇ。

▽「ふうたきい」きいたふうのとぐり。

▽「もうもう」厭だいやだ、また、牛の鳴き

&以上『小野愚虚字尽(おののばかむらうそばつかり)名頭字尽(ながしらじづくし)

幕末に流行

釜やせぬ(天保初) 烈女二夫に(まみ)えず(天保後) おつこち(天保末) 可愛けりやこそ(天保末) い組の伊兵衛(弘化元) 「火事はどこだ」「丸山だ」(弘化三) 入船おこし(嘉永二) なんとせうざん(嘉永四) オロシヤオソロ氏や(嘉永六) 安政ぐらぐら(安政二) コロリコロリ(安政五) らしやめん(万延元) ないない尽し(文久二) 天狗党とう(元治元) どんどん焼け(元治元) 御発進ごつこ(慶応元) 大政奉還/王制復古(慶応三) ええじやないか(慶応三)

明治時代に流行

朝敵() 針金渡り(テレガラフ)() 文明開化() 午砲(ドン)() ドンタク() ハイカラ () なまづ髭(十二) ヘナチヨコ(十三) ダイナマイトどん(十六) コツクリさん(十九) コレ書生(二十三) …でがんす(二十五) ドウスル連(三十三) 汽笛一声(三十三) いわく不可解(三十六) 魔風恋風花電車(三十六) 兵隊勘定(三十八) アンポンタン(三十八) 出歯亀(四十一) 女愚連隊(四十二) ロンドン長屋(四十三) なんて間がいいんでしよ(四十四)

大正時代に流行

若い燕() 今日は帝劇、明日は三越() ノンキ、ノンキ() ほつといて() いとやせぬ、かまやせぬ() ペラゴロ() ナツチヨラン() ワンサガール() 落行く先() 枯れ(すすき)(十二) 籠の鳥(十三) アツパツパア(十五)

昭和時代に流行

モガ・モボ() 昭和維新() 大学は出たけれど() エログロ・ナンセンス() ちんどん屋() いやじやありませんか() 問答無用() 桃色争議() 日の丸弁当(十一) 忘れちやいやよ(十一) マル公(十四) あのねーおつさん(十五) 見よ東条のハゲ頭(十八) 雑炊食堂(十九) ピカドン(二十) いかれポンチ(二十一) カストリ雑誌(二十二) 額縁ショー(二十三) 肉体の門(二十三) フジヤマの飛魚(二十四) とんでもハップン「二十五」  さかさくらげ(二十六) バカヤロー解散(二十八) ロマンスグレー(二十九) 不良文化財(三十) 一億総白痴化(三十一) ケ・セラ・セラ(三十二) マダムキラー(三十四) だっこちゃん(三十五) トサカにくる(三十六) ハイそれまでよ(三十七) カワイコちゃん(三十八) 俺について来い(三十九) エロダクション(四十) フーテン族(四十二) 昭和元禄(四十三) エロチックアニマル(四十四) 生活かかってる(四十五) 三角大福(四十七) あんたも好きねぇ(四十八) オカルト・ブス(五十) 灰色高官(五十一) シルバー族(五十二) 口裂け女(五十三) オジンとオバン(五十四) カラスの勝手でしょ(五十五) 粗大ゴミ(五十六) 角栄新幹線(五十七) ダサイタマ(五十八) アニマル人間(六十) イッキ、イッキ(六十) 地上げ屋(六十一) ジャパンバッシング(六十二) オバタリアン(六十三)

《参考1》

流行言葉                               紅葉山人流行といふ事(よろづ)につけてあるものながら別けておかしく覚ゆるは言葉の流行なり。しかとは覚えねど今より八九年前小学校の女生徒がしたしき間の対話に一種異様なる言葉づかひせり。/(梅はまだ咲かなくツテヨ)(アラもう咲いたノヨ)(アラもう咲いテヨ)(桜の花はまだ咲かないンダワ)/大概かゝる言尾(ことばじり)を用ひ惣体のはなし(ざま)更に普通と異なる処なし前に一種異様の言葉と申したれど言葉は異様ならず言尾の異様なるがゆえか全体の対話いつこも可笑く聞ゆ。五六年此かた高等なる女学校の生徒もみなこの句法を伝習し流行貴婦人の社界まで及びぬ初めのほどはいつこありしやしらず今は人も耳なれてこれを怪しと尤事(とがむこと)はなくあどけなくて嬉しとのたまふ紳士もありやに聞く。&貴女(きじよ)の友』明治二十一年六月五日号

《参考2》

あのネーおっさん、わしゃかーなわんよ。 

*昭和十五年以降に大流行。高瀬実乗(たかせみのる)(18901947)は喜劇俳優。映画では道化役で出演。高瀬は新派のドサ回りを転々としてから大正四年に映画界入りした。珍無類の扮装とドジョウ髭に加え、どことなくスットボケた表情・口ぶりで、幅広い年齢層のファンを獲得した庶民派俳優であった。この「わしゃかーなわんよ」のセリフは、太平洋戦争前年に彼がとばしたもの。子供たちも親や先生から小言を食らうと、すかさず「あのねー…」とやって赤い舌を出したりした。今日の線香花火的流行語とちがって、三~四年も命脈を保ったロングラン流行語であった。当時、高瀬と並んでエノケンやロッパも庶民の人気者で、このお笑いトリオは銀幕でもよく競演した。しかし戦争がたけなわになるにつれ、オフザケは時局に反するというお達しが出て、喜劇は影が薄れていく。高瀬のトレードギャグも原則的使用禁止となり、街には代わって殺伐とした号令が飛び交うようになる。

タバコのみの歯磨スモカ〔昭和二年連作新聞広告の一〕 モガ(モダンガール)ならびにモボ(モダンボーイ)は当時出来たての流行語。