わらべ遊びから物売り声まで口伝えの文化あれこれをひも解く楽しみ

20 口唱伝承系 こうしょうでんしょうけい

 

マスメディアが未発達だった昔は、いわゆる売り言葉を唱えて商いをした。神仏への祈りも口で唱えることで、霊験あらたかになると信じられていた。また娯楽が少なかった昔は、聞くほうも口承を遊びにに取りこんで、物真似を自慢しあったりする。

この口承を介して成立する情報遊戯の分野をひとまとめにし〈口承遊戯〉なる系統を設けた。音声系言葉遊びの主流をなすものである。〈祝詞〉をはじめ俗信の〈呪文〉〈呪歌〉などもこの系に組み入れた。ともあれ他系との区分け調整の結果設けた系統なので、一部に越境気味のものもある。

 イメージ画像 

 

 

20 口唱伝承系の目録(五十音順)

 

悪態つき

ありがとうさん

忌詞

絵描き歌

詭弁

くさし

口舌

紅気炎

仕事掛け声

呪文

捨てぜりふ

立口上

独言遊び

唱え詞

ぼやき

呪い歌

物売り声

 

 

悪態つき あくたいつき 

口喧嘩となり思わず吐く激昂した言葉とちがい、洒落た口唱を意識して相手をののしることを〈悪態つき〉と称している。

日本人は悪態に対する罪悪感が薄い、と心理学や民俗学でも教えている。その証拠に全国各地に「悪口祭り」が存在し悪態の応酬合戦を愉しんでいる。

ののしりの伝承も民俗資料に山とある。なかでも江戸っ子の悪態好きは極め付き、「江戸っ子はさつきの空の吹流し口先ばかりではらわたはなし」の狂歌があるほど、悪態をつき交わすのも粋興の一つと割り切っていた。歌舞伎台本はじめ黄表紙、洒落本の類も悪態の宝庫で、この言葉遊びが庶民生活にいかに深く浸透していたかがわかる。

 【例】 

闇の夜の悪口                                                   井原西鶴

又都の祇園(ぎをん)殿(どの)に、大年(おほどし)の夜けづりかけの神事とて、諸人詣でける。神前のともし火くらうして、たがひに(ひと)(がほ)の見えぬとき、参りの老若(らうにやく)男女(なんによ)左右に立ち分かれ、悪口のさま〴〵云ひがちに、それは〳〵腹かかへる事なり。「おのれはな、三ケ日の内に餅が喉につまつて、鳥部野へ葬礼するわいやい」「おどれは又、人売の(うけ)でな、同罪に粟田口へ馬にのつて行くわいやい」「おのれが女房はな、元日に気がちがうて、子を井戸へはめをるぞ」「おのれはな、火の車でつれにきてな、鬼の香の物になりをるわい」「おのれが(とと)は町の番太をしたやつや」「おのれが(かか)は寺の大黒のはてぢや」「おのれが(おとと)はな、衒云(かたりいひ)の挟箱もちぢや」「おのれが伯母は子おろし屋をしをるわい」「おのれが姉は、(きやふ)せずに味噌買ひに行くとて、道でころびをるわいやい」いづれ口がましう、何やかや取りまぜていふ事つきず。中にも二十七八なる若い男、人にすぐれ(くち)拍子(びやうし)よく、何人出ても云ひすくめられ、後には相手になるものなし。時にひだりの方の松の木の陰より、「そこなをとこよ、正月布子(ぬのこ)したものと、同じやうに口をきくな。見ればこの寒きに、綿入着ずに何を申すぞ」と推量に云ひけるに、自然とこの男が(きも)にこたへ、返す言葉もなくて、大勢の中へかくれて、一度にどつと笑はれける。これを思ふに、人の身の上に、まことほど恥づかしきものはなし。&『世間胸算用』巻四

助六の伝法喧嘩科白                                        津打(つうち)()兵衛

(ここな、ドブ板野郎の、たれ味噌野郎の、出がらし野郎の、そばかす野郎め。引込みやがらねへか。わるくそばへきやがると大どぶへさらい込むぞ。&助六(すけろく)由縁(ゆかりの)江戸(えど)(ざくら)』の歌舞伎台本

(はな)川戸(かわど)(すけ)(ろく)こと曽我五郎(そがのごろう)は、江戸巷間の伝説的人物。実在したともいわれている。

湯屋口論                                                        式亭三馬

なんだ、(この)ごつぽう(にん)め。四文(しもん)一合(いちがう)、湯豆腐一盃(いつぺい)がせきの山で、に、(にごり)(ざけ)(かすつ)(くれへ)め。とんだ奴じやアねへかい。誰だと思つてたはことをつきアがる。二日の初湯ッから(おほ)三十日(みそか)の夜中まで、是許(こればかし)もいざア(いつ)た事のねへ東子(あづまつこ)だ。ナア、()う云ちやあしちもくれんだけれど。&『浮世風呂』

女への極めつけ罵り言葉                                        泉 鏡花

じつとお君を見つめ、またゝきもしないで石のやうに立つて居たが、えッといふと(たふ)れるやうに前へのめつて、お君の(おび)(ぎは)をむづと取つた。怒りにつきあぐる声もしどろに、/「畜生、(がふ)畜生、(うぬ)まだ()げる気でいやあがるな、土女(どめ)(らう)め、!」と引まはして身体(からだ)捩向(ねぢむ)かして、また占めるやうに、頸を抱いた。&『辰巳巷談 はがひじめ』第三十二

 

ありがとうさん

 相手に謝意を告げるメッセージを〈謝辞〉という。くだけて〈ありがとうさん〉と称しておこう。

 感謝の対象が意外性のある場合ほど注目が高まり、遊びの色も濃くなる。

【例】

実検済みです                                              荻生作

十円玉を二個、靴に入れて穿くと水虫防ぎになる。一年ほど穿き続けると、十円玉は二回りくらいに小さく縮こまる。身を犠牲にしてまで足の毒気を抜いてくれて、ご苦労さん。(謝辞法を用いた展開)

 

忌詞 いみことば 

〈忌詞〉は、狭義と広義との用法しだいで内容や範囲が異なる。

まず狭義の忌詞は、災厄や不吉をもたらすという言霊(ことだま)信仰から、忌み嫌って使用を避ける言葉をさす。たとえば「病気」「梨(無し)」「死ぬ」などが当てはまる。そしてこれらが広義の用法となり、婉曲的に言い換えて用いる言葉へと広がる。すなわち「病気」を「歓楽」に、「梨」を「有の実」に、「死ぬ」を「亡くなる」や「逝く」に言い換える。広義では換言した詞をも含む範囲になるわけだ。

忌詞、別に〈(きん)(ことば)〉は職業的な特定集団で発生したものが断然目に付く。山仕事にたずさわる人たちの〈山言葉〉、漁業関係者の〈沖言葉〉、芸妓連の「座敷(ざしき)(ことば)」、あるいは一般にも冠婚葬祭時には忌詞が使われる。昔使用された〈女房詞〉や「武家詞」にも、忌詞がたくさん含まれている。ちなみに軍陣で用いたものは「(まく)(ことば)」といった。

 忌詞に神経を払うという点では、宗教界が最たるものであろう。古くは延暦二十三 (804)年に成った『皇太神宮儀式帳』に見える「斎宮(さいぐう)(いまい)(ごと)」などはその典型的な集である。また延長五(927)年に編まれた律令則文集『延喜式』には、例示のような斎宮忌詞が載っていて、神慮をはばかっての各詞の換言事由に、なんと遊戯的要素が多分に含まれているのである。滑稽本や落語の一部には、こうした忌詞を逆に茶化し、言葉遊びに打ち興じている例も見える。

仏教界には禁忌が多すぎ心ある善男善女はついていけない。

【例】

僧侶の忌詞                                                  荻生まとめ

▽内七言

 仏→中子(なかご) お経→染紙 塔→あららぎ 寺→瓦葺(かわらぶき) 僧→(かみ)(なが) 尼僧→(をみな)(かみ)(なが) (いもい)(僧の食事)(かた)(ぜん)

▽外七言

 死ぬ→治る 病気→休み 泣く→塩垂れ 血→汗 打つ→()づ 獣肉(ししにく)→くさびら 墓→土塊(つちくれ)

▽別忌詞

 仏堂→香燃(こうたき) 優婆塞(うばそく)(在俗の信者)角筈(つのはず)

伝承の忌詞

▽婚礼──去る 分かれる 着る 戻る 買える 終わる 敗れる 離れる 嫌う 飽きる 薄い 冷える 壊れる ヒマ 滅びる 枯れる 山居 重ね重ね(ほか畳語) 

▽病気・不幸──死 四 なくす 滅びる 終える 枯れる 苦しむ 別れる 去る 離れる 落ちる 浅い 薄い (畳語)

▽妊娠・出産──死 四 亡くす 滅びる 終える 流れる 破れる 壊れる 行く 浅井 薄い (畳語)

▽新築──焼ける 燃える 火 煙 灰 傾く 壊れる 倒れる つぶれる 落ちる 失う 流れる 滅びる

▽開店──倒れる 閉じる 失う 枯れる 落ちる つぶれる 終わる 閉める 寂れる 滅びる 

かつぎ上戸                                                  作者未詳

なんだト、芝新門前の新道白子屋四郎兵衛様新春の御慶申入ますと、コリャよん吉よく聞け。おれは不断は御幣はかつがぬ。ナア酒に酔つて帰つたら四の字はかならずいふなと云付て置くに、どうした物だ。別て初春は猶の事だは。われが名を呼ぶさへ、新吉とはいはぬ。よん吉といふではないか。コレ御新造、ではない御よんぞ、チトよからつしやい。&『酩酊気質』

 

絵描き歌 えかきうた 

文字で絵を書く手順を詞につづった遊びとその作品を〈絵描き歌〉という。

昭和期前半に全国的流行をみたが、現在ではまれにしか見られなくなった。子供達の遊び場であった未舗装の路地横丁と、地面の絵描き具であった蝋石(ろうせき)が姿を消すとともに、絵描き歌も衰微していった。

【例】

 &にほんの絵かきうた』

 

詭弁 きべん 

常識外れな意見や論理の筋が通らない議論などを、あたかも正論であるかのように装うまやかしの説を〈詭弁〉という。観点一つで、逆説法(パラドツクス)とは表裏一体の関係を生じる。

さらに常識にかからない奇論を屁理屈で展開するところに諧謔が生じるため、概して遊戯的要素の強い意味をもつ。 

【例】

近代評論より                                                   (宮武)外骨

コンナありさまでは、制裁法の無かつた野蛮の原人時代と同様だから、諸君は各々其本性の悪に立復(たちかへ)つて、思ふ存分悪い事をし給へ、「時節相応」何でも旨くやつて一生を安楽に送り給へ、我輩の様に年柄年中癇癪(かんしやく)を起したり、糞腹を立てたりする独り力みの偏屈は愚の骨頂であるぞ。&『つむじまがり』

近代評論より                                                     坂口安吾

人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによつて人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。&『堕落論』

 

口舌 くぜつ 

いわゆる〈口舌〉の意味合いは広いので、言葉遊びでは、色事のうえでの言葉のやり取り、と範囲を限定しておきたい。

〈紅気炎〉同様に、当事者よりも傍観者(はた)がそれを見聞きして冷やかし半分に愉しむ類の遊びである。

【例】

業平、九十九婆に懸想(けそう)さる

                                       在原業平

百年に一年(ひととせ)足らぬつくも髪われを恋ふらしおもかげに見ゆ &『伊勢物語』六十三・つくも髪

在原(ありわらの)業平(なりひら)(825880)は平安初期の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。業平は秀歌を残した歌人というよりも色好みの美男子というイメージのほうが強い。この伝承は、業平の和歌入り伝記である『伊勢物語』がもたらした影響によるもので、後世の文学文芸の引き合いによく利用されている。掲出歌はその物語集の「つくも髪」からの抄出。前後の筋書は省略するが、要するに、在五(ざいご)中将こと業平がいかに情が細やかで、女を見捨てぬ心の持ち主であったか。たとえ百歳に一歳足りない九十九髪の女心すら惹き寄せる魅力なのだ、という色男のモテモテぶりを描いている。夢のような観念の産物を現実に照応させているわけだ。業平はたしかに女漁りにかけてはマメな男で、彼を思慕した老婆が

   さむしろに衣かたしき今宵もや恋しき人にあはでのみ寝む

の一首を詠じたところ、その心情や捨ておくにしのびないとして当夜に同衾している。歌道もさることながら、色道においても劣らず達人であったようだ。

吉原(ゆう)野郎(やろう)野暮天(やぼてん)口説(くどき)                                                  作者未詳

かういつちやァ、ちつとてへさうだがな 、廓中の女郎の手管(てくだ)魂胆(こんたん)はみんなおれが教えておいたのだ。くげへだの、すげへだのト、料理番がほまち肴をこしらへるやうに、人のくれへあまりをめしあがつた事のねへ客人だ。とはうもねへ化物屋敷で、昼見世を張る時分にのろりぽんとうしやァがつて、馴染の客人が来たもおしが強へ。うぬがやうな女郎の所へも馴染んで来る客があるか。だふりで今年しやア(かも)鹿(しし)の値が上がつたと思つたも大笑ひだ。女郎になつたてやうもんに、ちつと江戸ツ子のお客をも取つて見るがいゝ。水道のきつすゐでお育ちなさつた若旦那は、どろ水の場所へはちつと掃溜に鶴だ。

&出謗題無智哉論(でほうだいむちやかなろん)

 

紅気炎 こうきえん 

人、とくに女らが気の趣くまま常識を無視し、野放図なオダをあげることを〈紅気炎〉といっている。当人は得意になってしゃべっているし、聞くほうも寄席の番外出し物を愉しむ気分で耳にする。いうなれば音声で描く漫画であり、悪口の格好のネタになる。

 【例】

福田女史、ブラ下げを笑う

男は駄目だよ。位階や勲章に目がくらむからね。そこへ行くと女には勲章をぶら下げて喜ぶような馬鹿はいないから頼もしいよ。&『明治快女伝』

福田(ふくだ)英子(ひでこ)(18651927)は社会運動家。社会主義婦人誌『世界婦人』を創刊。よく言ってくれますなァ。男の一人として反論の仕様がない。本当のところだからね。ただし、男のすべてが勲章下げて喜ぶ馬鹿ばかりではない。勲章を呉れるというのに辞退した、作家や落語家だっているんだ。その人たちは「勲章を頂戴するほどお目出度なし」という一家言を持っているのさ。ときに福田英子は生涯を婦人啓蒙運動に捧げた、地味ではあるが反骨の闘士であった。明治十八年に大阪事件で女国事犯として連座投獄されたが、出獄後大阪事件の首魁大井憲太郎と一緒になった。やがて大井は、英子と長男を見捨てて去った。二十五年に福田友作と再婚、八年後に死別。男運にまったく恵まれず、大井のような一見闘士風の中身凡夫を信用しなくなっていた。福田女史ならずと、勲章や位階に名誉欲を満たしたがる同性に辟易(へきえき)している男もいる。俗物根性の強い奴ほど、そんな見かけ倒しのオモチャで身を飾りたがるものなのです。肝に銘じておきましょう。

 

仕事掛け声 しごとかけごえ 

 往来商人とは別に(くるま)屋、地ならし屋、車力(荷車曳き)といった労働者も作業の過程で独特の掛け声を唱和した。作業の調子をとり、能率を上げるための弾み言葉を用いて。

例示の車力は、坂道では曳き手と押し手とが掛け声で調子をとりながら、緩急に応じ力を入れ要領よく荷車を押し上げた。詞がまた一篇の風物詩になっている。女土方の風景は戦後まで随所に見られたもので、いまだ記憶にとどめている人もいよう。

【例】

荷車の掛け声(明治)

江戸で長いのは、(合唱)ヨーイコラ、

九段の坂だよ、(合唱)ヨーイコラ、

細くてきついは、(合唱)ヨーイコラ、

さんべに鼠だ、(合唱)ヨーイコラ。

&鈴木鼓村著『耳の趣味』

エンヤコラ(女土方の作業歌、昭和中期まで)

♪おとちゃんもおっかちゃんもエンヤコラ

 そうりゃ、も一つもちゃげてエンヤコラ…

&『明治風俗百話』

櫓胴突き唄(エンヤコラ) 昭和の初め、東京都江戸川区小松川

牛太郎の敵娼(あいかた)交替催促

へェあつさりとあつさりと。代つて代わつて。

&『江戸府内 絵本風俗往来』下編雑「夜鷹」、菊池貴一郎画文

 菊池(きくち)()一郎(いちろう)(生没年未詳)幕末・明治の絵師。四代広重を名乗る。これの前後の文は、

   また夜鷹と客と(ささや)きつつ、快楽未だ半途ならざるに、夜鷹の付き添うギュウと俚言する男声荒らく、「──」と頻りに促され、腹立ちを堪えて舌打ち鳴らして(こも)(たれ)の外へ出づるや…

とある。俗に言う「廻し」の回転を速めるために、夜鷹を取り仕切る兄さん連がアコギな口を差しはさむ。女は一晩に数十人をこなすセックスマシン、客は気を遣らずのうちに、ドブ臭い女体から離される。そこでは人格の一切を否定した性の商い図が展開された。

 

呪文 じゅもん 

災難疫病などから身を守るため神仏にすがり唱える詞を〈呪文〉という。ほとんどが俗信から生じたもので、神頼みの必要に迫られ伝承されてきた。

〈呪文〉は神秘的であるほど霊験が大きいと信じられているため、ふだん使わない特殊な言葉、呪術文言を用いる。たいていは定形化されていて、僻地ではいまなお昔ながらの伝承が残っている。〈畳語〉の文句が目立つ。それらの詞から、遊び心すら感じ取れる。

【例】

伝承の呪文

▽鶴亀、つるかめ(縁起かつぎ)

▽桑原、くわばら(雷除け)

▽ちちんぷいぷい、ごようのおんたから(傷の痛み止め)

▽糞食らえ、くそくらえ(くしゃみ止め、関東)

▽モシャモシャのモシャモシャ、シヤシャモシャシャ、モシャシャなければ、シャシャもシャもなし(絡んだ糸解き、関西)

▽夢になれ、ゆめになれ(除災全般)

俗信ことわざ

▽頭髪を火にくべると気ちがいになる

▽人の回りを巡り歩くと蛇になる

▽箒先に立つと馬鹿になる

▽夜に口笛を吹くと泥棒が入る

▽茶碗を叩くと餓鬼が出てくる

▽足袋をはいたまま寝ると親の死に目に会えない

▽夜に鶏の鳴き声をまねると火事になる

お守り文字

▽十二月十二日──この六文字を紙に書いて貼ると泥棒除けになる。

▽鎮西八郎御宿──この書き紙を門口に貼ると天然痘にかからない。

▽久松留守──お染風邪にちなみ、風邪除けの護符になる文字。

▽子供留守──しゃもじに書いておくと子供がハシカにかからない。

▽高尾山──短冊に書いてつるしておくと交通事故にあわない。

御来光称える神神の舞唄

♪あはれ あなおもしろ あなたのし あなさやけ をけ &『古語拾遺』齋部(いんべの)弘成撰

*出典は逸文前『古事記』上巻からの抄出。古事記によると、天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟、須佐男命(すさのおのみこと)が父の伊耶那岐(いざなぎの)(みこと)勘当され高天原(たかまがはら)にやって来た。彼はこの聖地でも乱暴をはたらいたため、天照は弟を恐れ天岩戸(あまのいわと)に籠ってしまう。とたんに世は暗闇に閉ざされた。八百万(やおよろず)の神神が鳩首の結果、石屋戸(いわやど)の前で呪術の神事を催す。選ばれたのは天宇受売命(あまのうずめのみこと)で、伏せ桶の上でオッパイ露わに、足踏み鳴らしつつ衣の紐を解いて女陰(ほと)をも剥き出しに。このストリップショーに見物の神神は笑いこけ、はやしたてる。何事か、と天照が石屋戸を細めに開いて外を覗き見たとたん、怪力自慢の手力男命(てぢからをのみこと)が石屋戸をいっきに開いたので、天照はふたたびその姿を現し天地(あめつち)しは輝く陽光を取りもどした。感動した神神は、掲出の詞を唱和して舞い踊った。「ああ、すばらしい。たのしい。こんなにも明るいよ、そら」と、ご来光を心から称えあったのである。平塚らいてう(18861971)女史ではないが、まさに元始女性は太陽であった

みんなで(とな)えりゃ「ええじゃないか」

 〽ヨイジャナイカ

エエジャナイカ

エエジャナイカ

くさいものには紙をはれ

やぶれたらまたはれ

エエじゃないか

*幕末に大流行の俗謡、流行地で詞が異なる。慶応三年から翌年春にかけ、東海地方を中心に広がった民衆の乱舞狂躁行動が生じた。最初は名古屋辺で、天から伊勢神宮の御符が降ってくるという噂が流れた。それを拾うと吉事が起るというので、神符を示しながら踊り狂う。すると周りの者も次つぎとつられて踊に加わり、なかには万余の群集が神がかりにあつたように路上を練り歩いたと。たいていが異様な格好でエエジャナイカの唱え詞を合唱。ときには詞に女陰の方言名が入り、それを女子供まで唱和したという。この状況を現代の歴史書では「不可解な大衆フィーバー」などと書いているが、一種の集団ヒステリーであろう。勤王か佐幕かで殺し合いが日常化している世情のもと、人心の不安が昂じて巨大なストレスを生み、些細なきっかけで全国規模で一挙に爆発したようだ。

ええじゃないかに熱狂の群集 

酒造りの無事祈願(丹波流の祈り(ことば))

カッチリカッチンと切り込みましたるは玉のようなる潔めの切火。真正面なる松尾さま、荒神さま、これなる鎮守さま、産土(うぶすな)の神さま、八百万の神々さまもお目覚めあらせ給うて、お立会のほど願い奉る。ただいま仕込みましたるは第○号の(もろみ)。江戸へ出しては江戸一番、田舎へ出しては田舎一。甘く辛くシリピンの上々酒とならしめたまえ。&職人(しよくにん)ことば事典(じてん)』伏見酒

*酒造りは一種の縁起事との信仰から、酒神などに祈念する行事も杜氏の仕事になっている。蔵で蒸米が終わると、それからの仕込み作業から始まり酒が醸成するまで、酒造りの安全無事を夜明けの切り火とともに、神棚に向かって唱える。詞は杜氏流派によって異なる。

 

捨てぜりふ すてぜりふ 

話の途中相手に腹を立て、去りぎわに吐き出すののしりの言葉を〈捨てぜりふ〉とか〈捨て言葉〉という。

 相手に威圧感を与えるためたいていは毒のある口調となるが、せりふや戯作などでは意識的に遊戯言葉を使って効果を高めることがある。

【例】

喧嘩次郎兵衛                                                  太宰 治

やいお師匠さんの娘。おまへの親爺(おやぢ)にしろおふくろにしろ、またおまへにしろ、おれをならずものの飲んだくれのわるいわるい悪者と思つてゐるにちがひない。ところがどうぢや。おれはああ気の毒なと思つたならかうして傘でもなんでもめんだうしてやるほどの男なのだ。ざまを見ろ。ふたたびのれんをはじいて外へ出てみると、娘はゐなくていつそうさかんな雨脚と、押し合ひへし合いしながら走つて通るひとの流れとだけであつた。よう、よう、よう、ようと居酒屋のなかから嘲弄(てうろう)の声が聞えた。六七人のならずものの声なのである。番傘を右手にささげげ持ちながら次郎兵衛は考へる。あああ。喧嘩の上手になりたいな。人間、こんな莫迦(ばか)げた目にあつたときには理屈もくそもないものだ。人に触れたら、人を斬る。馬に触れたら、馬を斬る。それがよいのだ。その日から三年のあひだ次郎兵衛はこつそり喧嘩の修行をした。/喧嘩は度胸である。次郎兵衛は度胸を酒でこしらへた。次郎兵衛の酒はいよいよ量が増えて、目はだんだんと死魚の眼のやうに冷くかすみ、額には三本の脂ぎつた横皺(よこじわ)が生じ、どうやらふてぶてしい面貌になってしまつた。煙管(きせる)を口元へ持つて行くのにも、腕をうしろから大廻しに廻して持つていつて、やがてすぱりと一服すふのである。度胸のすわつた男に見えた。&『ロマネスク』

聞き捨てならぬ捨てゼリフ

俺の芸はお前たちにはわかるめえ。──三亀松、高座や放送で、口癖のように吐き捨てたセリフ

柳家三亀松(やなぎやみきまつ)(190168)は三味線漫談家。自分の芸を「粋談」と称した。東京下町の棟割長屋。ラジオで三亀松が三味線(ペンペン)を掻き鳴らすと、向こう三軒両隣いっせいに音量を上げる…。それほど三木松の芸は庶民に大モテで、人びとは「ラジオ太鼓持」の異称を奉ったほど。貫禄のある男っぷり、座敷芸にピッタリの渋みのある美声、そして達者な芸で高座の人気をさらい、女衆にもモテモテだった。放蕩の限りを尽くした芸だから磨きがかかっている。惜しむらくは天狗並に鼻を高くしたこと。「日本中どこでも誰でも、わしのことはご存知だろう」と不遜な言葉を吐き、とうとう「ご存知」を手前看板にした逸話の持ち主である。語りの口調も聴衆を小馬鹿にしたような、ぞんざいなベランメエ口調を押し通した。たかが芸人が高慢チキな態度で鼻もちならない、と敬遠する人たちも少なくない。ご当人は、深川木場の材木商若旦那の出が、河原乞食風情に成り下がったわが身にコンプレックスを感じていたのではなかろうか。

 

刈込みトラック狂騒曲

 

「いやだーっ。あたい今日ワラ(吉原病院)を出てきたばかりだよゥ」「何すンのさ。コンチキショウ。行けばいいんだろ」「違うよ。あたいは違うよ」「馬鹿野郎ッ。オマワリの馬鹿野郎、覚えてやがれ」「やい、早いとこお召し自動車(トラック)へ乗せやがれ」

 

「あたい恥かしくて股が開けないのョ。へへ……」「ちょいとポリさん、良い男だね。二コ(二百円)で遊ばないか。アハ……」「あら、もう一発稼いどくんだった。損しちゃったなァ……」&『ウインク』昭和二十三年三月号所収「吉原病院の娘たち」

*「刈込み」という風俗用語はもう死語になっているはずだと思いつつ『広辞苑』第五版を引いたら、ちゃんと載っていた。

  ②警察が浮浪者・街娼などを街頭で一斉に検挙して収容すること。

このことばも、戦後風俗を描くのに欠かせない流行語であった。刈込みはトラックを使って、たむろしたところを急襲する。狩られたパンパンたちの行く先は東京の場合、各警察から吉原病院というルートをたどる。サツで簡単な訊問のあと、検診のため病院へ向かうのだ。そのトラック上での生々しいおしゃべりの断片を集めたものである。戦後の筆舌に尽しがたい混乱の中で、彼女等は生きていくために身を堕とした。パン嬢らは臨検や刈込みを恐れた。そんな目にあうと何日かは商売にならない。性病がひどい場合には強制入院させられる。どこぞで「ああああ、誰か夢なき…」という文句が、みじめで絶望的な身の上を歌っていた。

捨ててすっきり                                            荻生作

▽愛想をつかし実家へ帰る妻から乱酔常習の夫へ

 「酒屋さんがお隣へ引っ越してくるよう、祈ってるわ」

▽リストラで辞表を叩きつけついでに上司に

 「クビは天下の回りもの、ねえ課長!」

▽競馬でオケラにされ帰るとき、

 「こんどやられたら、もう二度と来るもんか!」

平成狂歌を一首

投げつけ言葉                                               荻生作

お清めが済みもせぬうち電話鳴り「墓地はいかが」に「くたばりやがれ!」

*実際に体験したときの即詠である。

 

立口上 たてこうじょう

 読んでいてなかなか句点にたどり着かないよう意識して書いた長文を「接叙法」平たくは「連綿文」という。文脈の論理性が無視され、文法的に接続詞や終助詞などの操作で長い文章に仕立てる。読者はじれったい気分に駆られるが、言葉つなぎの巧みさでいつの間にか相手のペースに引きずり込まれてしまうのだ。

 バナナの叩き売りもこの類〈立口上〉のタンカバイ(口先商い)で成り立っている。立て板に水が流れるような喋りが売りだ。文学では明治の女流作家、樋口一葉の作品群に連綿文のモデルが見られる。

バナナのたたき売り 

【例】

うなぎ蒲焼売りの立口上                                        荻生作

サアお立会い、お兄さん江戸っ子かい江戸っ子といったって今日日は神田生まれなんかめったにいない、着物から田圃の匂いがぷんぷんしてる、そんな皆さんがだよ、のらりくらりと世渡りして、この東京でひしめきながら生きンだ、そうだろ?そこの姐さん、同じ穴の女狐じゃあるめえし、絡み合いも度が過ぎちゃあいけないよ、絡んでいいのはしんねこ同士、そうなリャ味も上々吉だ、そうだよ、絡み合ってうまいものときたらこいつにかぎるね、「おまんのうなぎ」蒲焼が絶品だよ!

*屋台の蒲焼屋を想定して、こんな口上になろうかと

 つづってみた。もちろん大道の蒲焼売りなど現実には存在しない商売である。

 

独言遊び どくげんあそび

人が何気なくフッと洩らした(つぶや)きが、口遊(くちあそ)びとして意外に様になっていることがある。ある状況設定のもと、そんな洒落た言葉を仕立てる遊びを〈独言遊び〉と称しておく。短く、捻りを利かせよう。

【例】

物言う将門の怨霊首

斬られし我五体、何れの処にか有るらん。此に来れ、(かしら)ついで今一戦(ひといくさ)せん。&『将門伝説』

(たいらの)将門(まさかど)(?~940)平安中期の関東武将。一時は北関東を掌握、自ら新皇を称し専横を尽くしたが、平貞盛に討たれた。国に楯つき横暴の限りを尽くした将門は、天慶三年二月、平貞盛・藤原秀郷の連合軍により猿島の北山(茨城県)で討たれた。将門の首は京都に送られ、朝廷はこれを東市で晒し首とした。しかし首は三ヶ月の間腐りもせず、目を見開き歯をむいて、夜な夜な掲出の言葉を吠え続けたという。ある夜、通りすがりの者この声を聞いて、

   将門は米かみよりぞ斬られける俵藤太(秀郷)がはかりごとにて

と詠んで献じたら、首はカラカラと打ち笑い、静かに目を閉じたそうだ。

将門の無念を知るものに出会い、やっと成仏できたのだろう。将門は侠気に富み、波乱の生涯を送っただけに伝説が多い。斬首のあと、首は東国に飛び帰ったとする死後霊験談もいくつか作られた。そのせいか将門の首を祀る社が現在何か所かに残っている。東京では日本橋の兜神社、新宿の筑土八幡宮、大手町の将門首塚などだ。ともあれこの怨霊首伝説、絵になる怪談ではある。

酒鐏(さかだる)

似箱而横挟者名指樽似桶而(ヒクキ)者名(ヒラ)レニ有両手者名柳樽高長有両手者名手樽又曰(ツノ)

酔狂人曰、なんださけによつた、いつおれにさけをのませたへ、ほんのこつたが、いくらのんでも、けちりんほども、まちがつたことのねへおとこだ、きかぬといつちやァ、大山のせきそんさまがかなぼうひいて、どぶいたのうへから、はいかゞんできても、くめの平内をゐざいそくにやつたとおんなじことで、びつくりともするのじやァねへ、ノウかみさん、おめへにやァおらァくびつたけだァ、もつとのむべい、ナニ、酒がない、なかァ五しやうでもいつとでも、とりにやれ、おれがそふいふといつて、かまうこたァねへ、とんじやくは木ぐすりや、こんにやくは、やをやにあらァ、のふかみさん、おらがかゝァめが、雨ざいくのとりをみるやうなつらァしやァがつて、やきもちをやいてならねへ、おらァあいつをたゝきだして、おめへをにようぼにしてへ、イヤ、又ほんのこつたが、おれがにようぼうをおれがたゝきだすに、たれもてんのうちではあるめへ、あるか、あるなら、あるといつてみねへ、そこへいつちやァおとこだ、のふ、かみさん、やどろくはどけへいつた、イヤ、そこにゐるか、こいつはおもしろへ〳〵、ゴウ〳〵〳〵〳〵

 高陽讃

  一しやうを人に飲まれず人をのむくちは耳まで酒の一徳     十返舎一九  

&於都里綺(おつりき)

言雑載                                                         荻生作

▽「隣りの若奥さん、あんなに毎晩死んでるんじゃ、生命保険成金になるぞ」

▽「なに、墓参り代行屋が来たと?婆さんや、そろそろ化けて出るかや」

 

唱え詞 となえことば 

俗信にかかわる神仏祈願の詞。そのほとんどが唱えるという行為を通しての厄払いがねらいである。

歌謡にも〈唱え詞〉にちなんだ面白い詞がいくつかあるので、紹介しておこう。

【例】

谷中うはきぶし

♪谷中の削り廻し教へにまかせてー南無妙法蓮華経うわ〳〵〳〵〳〵う仏に成るともくわんくわつ仏このすき申したさ夜ねぶつ申し飲みたくならめか無間(むげん)のかまさ落つる地獄の釜ぼこ玉子の肴で飲めへせおさへたさはつたおつときたさ(ゆる)せ五左衛門たかへ長左衛門おひかけ中の盃酔うたら大事かやあれ君のつけさし飲めさお待ちや肴をしよ。&『淋敷座之慰』(延宝四年)

どふぞかなへて

♪どふぞかなへてくださんせ(みやう)けん様へ願かけて。まいるみちにはその人に。あいたい見たいおもへども。こつちばかりでさきやしらぬ。エヽヽ「しんきらしいじやないかいな。&『粋の懐』四篇(文久二年)

銀のピラ〳〵

♪銀のピラ〳〵かんざしさまから、貰ふて落さぬやうにと、讃岐の金毘羅さんに、願でもかけましよか、いやさのようさでいやざんざ、よいやさア。&『江戸小唄の話』、幕末期の作

 天つるつんの尊

(はた)売れ田あ売れ(てん)つるつんの尊、(やしき)を払ふて立退きたまへ天びん棒の尊。&『はやり唄変遷史』、明治二十六・七年頃流行

*当時隆昌した天理教にはよからぬ噂があれこれ立ち、そのために無関係の者はこんな替歌(元歌──悪しきを払ふて助け給へ天理(てんり)(おうの)(みこと))を口にしてからかった。

 

ぼやき 

〈ぼやき〉は愚痴を口にすることをいう。当人の反省を含めた述懐で、たいていはいただけたものじゃない。

しかし、ときには聞いているほうがかえって痛み入ったり、なかにはよだれを垂らすようなぼやきもある。そんなものをいくつか集めてみた。

「救いようのないほどぬかるんでるよ」【「今様蛍狩りの図」渓斎英泉画大判錦絵】

【例】

貧窮問答の歌一首 并せて短歌                                                   山上憶良  

()じり 雨降る夜の 雨交じり 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩(かたしほ)を 取りつづしろひ (かす)()(ざけ) うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに (しか)とあらぬ ひげかき撫でて (あれ)()きて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば (あさ)(ぶすま) 引き(かがふ)り (ぬの)肩衣(かたぎぬ) 有りのことごと 着そへども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母(ちちはは)は 飢ゑ()ゆらむ 妻子(めこ)どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ この時は いかにしつつか ()が世は渡る 天地(あめつち)は 広しといへど 我がためは ()くやなりぬる 日月(ひつき)は (あか)しといへど 我がためは 照りや給はぬ(後略) &『万葉集』巻五

責め絵師と蛸女房                                                伊藤晴雨

惚れてもいない女を十年も持っていたのは、女房のが「(たこ)」のせいであった。

&今昔愚談(ぼくのおもいでばなし)

愛人のお葉こと兼代をモデルにした責め絵〔伊藤晴雨画〕

伊藤(いとう)晴雨(せいう)(18821962)は風俗画家・風俗考証家。本書にも画伯描く貴重なスケッチを何点か転載させていただいた。女体の責め絵といえば晴雨を連想するほど近代大和絵では有名な存在で、彼の原画は好事家の垂涎(すいぜん)の的となっている。晴雨は十六歳の時に責め道具で悶え苦しむ女体美に開眼、実地のいたぶりをもって切磋琢磨のすえ、責め絵縛り絵を次々と描き続けた。筆生も複製ものを何点か見たが、マゾヒズムの妖美に息を呑む思いをした覚えがある。晴雨とモデルお葉との仲はよく知られている。おは美しいが淫婦で評判、アブノーマルな画材としてはうってつけで、晴雨は気分が乗ると絵筆を放って彼女を組み敷いた。おは晴雨と別れた後、竹久夢二の想い女になっている。晴雨は次にモデル佐原キセと共寝の間柄となる。伝によるとキセは日本的美人で、晴雨に「惚れてもいない」と強がりを言わせたご当人だ。美人で蛸持ちときてはさすがの晴雨もポイと捨てるわけにもいかず、十年一緒にいて二人の子供までもうけている。仕事と女の二股をかけた、うらやむべき仕放題人生であった。

「たけのこ生活」の賢夫人発言                            小沢石蕗の談話

「たけのこ生活」で電話も売ってしまいました。あの電話は、たいへんおいしゅうございましたよ。&『最後の連合艦隊司令長官 小沢治三郎の生涯』

小沢(おざわ)()()は、小沢治三郎夫人。終戦後の食糧難の時、非農家はタンスにしまっておいた衣料品を持ち出しては、農家でなにがしかの食糧と交換した。食っていくために一枚また一枚と衣服を剥いでいくわけで、これを自嘲して「たけのこ生活」と呼んだ。買出しとたけのこ生活時代は、毎日毎日が農家相手にあれこれ手を尽くしての戦闘であった。新聞も、

農家に(うつた)ふ/飢ゆる都市の声/弱身につけこんで法外な闇値売り/醸す重大な社会問題(『朝日新聞』昭和二十年十月見出し)

と糾弾、農家による非農家いじめを戒めている元連合艦隊司令長官の小沢邸も例外ではなかったようだ。当時自家用電話のある家庭はまれで、その貴重品も米や芋に化けたわけだ。普通なら暗い語りになるところを、夫人はからっと言ってのけた。電話がおいしかった、というユーモラスな洒落がよい。さぞ内助の功も大きかったろう。それかあらぬか小沢は長寿を全うしている。

 

呪い歌 まじないうた 

呪いの内容を三十一(みそひと)文字(もじ)に託しまとめたものを〈呪い歌〉という。ノロイウタと混用しないよう「まじない歌」と表記してもよい。

呪い歌の起りは古く、藤原清輔の歌学書『袋草紙』うち「誦文歌」に十八首を載せてある。古人が呪術的な厄除けにいかに大きな関心を寄せていたかががわかる。

江戸時代では安永十(1781)年に『呪詛(まじない)調法記』(大江匡弼編)といった書冊が現れ、この分野の知識を広めている。のち『咒咀(じゆそ)重宝記』『歌摘録』『秘伝妙薬いろは歌』など類書も出版され、庶民の俗信に弾みをつけた。いらい呪い歌は、現在民俗資料に残っているだけでもおびただしい数に達する。

火事除けのまじない文字 

【例】

呪い歌雑載

▽人かみの犬除け

 われは虎いかになくとも犬はいぬししのはがみをおそれざらめや 

&呪詛(まじない)調法記』

▽暴れ馬をしずめる呪い

 西東北や南にませぬきて中に立ちたる駒ぞとどむる 

&『極奥秘まじない大全集』

▽虫除け

 ちはやふる卯月八日は吉日よかみさけ虫のせいはいそする 

&人間万事虚誕計(にんげんばんじうそばつかり)

▽盗賊除け

 盗人の夜毎にかよう死出の山きてはふたたびかへらざりけり 

&人間万事虚誕計(にんげんばんじうそばつかり)

▽錦まだらヘビ呪い歌

 此の山に鹿子(かのこ)まだらの虫あらば山立姫に告げてとらせむ 

&宮川舎(みやがわのや)漫筆』

▽イタチの道切り除き

 イタチ道血道横道踏み分けてイタチは死する俺は繁昌 

&『日本俗信辞典』動・植物編

療法歌

流行(はやり)(やまい)除け

 えきれいとはやりやまいがきたならばしそうとむぎをせんじのみおけ

▽腰痛止め

 こしいたみ背すじへつるはだいだいの皮にかんぞういれせんじのめ

▽鳥糞の煎じ薬

驚風やら五かんのむしを直すにはにわとりのふんせんじのませよ

&『秘伝妙薬いろは歌』

▽芹食いの戒め

 芹はただ(たましひ)をよくやしなふぞ三八月はしよくすべからず

▽フグ毒消し

 ふぐにもしよひたるときは芦のねのしるをしぼりて多くのむべし

&『歌摘録』

各地の伝承歌

▽痛み除け(岩手県)

 (いにしえ)の奈良の都の八重桜根も葉も断ち切れ枝も枯れかし

*唱えつつ痛むところを指で渦巻状に回し撫でる。

▽虫歯痛み止め(福島県)

 はるばると地蔵三沢に身を仕え虫歯も焼ける風ぞ吹くらむ

*阿保原地蔵詣でのさい、煙草を香炉でいぶしこの歌を唱える。

▽のどの魚骨取り

 天竺の天の河原の川上の鵜のノド通る鯛の骨かな

*声を出さずに一気に三度つぶやき、三度息を吹く。これを繰り返し一息に飲み込む。

▽火傷治し(岐阜県)

 猿沢の池のおろちが手を焼きてはれずただれず引きつりもせず

 三回唱え患部を息で吹くと、火ぶくれなどがとれる。

▽血止め(大阪府)

 春の日の永きに草も刈り捨てんとく刈り尽せ庭の夏草

*紙に書きわらと一緒に焼き捨てる。

▽悪夢の災難除け(熊本県)

 見し夢をバクの餌食となせし夜にあしたも晴れしあけぼのの空

*三遍唱えると悪夢が正夢にならない。

何しに福であらう                   

ある女房のもとにつかはるゝ下種(げす)の名を、福といふありき、大歳のゆふべ、下種にむかひ、「そちは宵から宿へゆきてやすみ、あすはとく起き来たり、門をたゝけ」とひまをやりぬ、夜もふけすぎて、五更に及べども来らず、されども門を叩く音せり、すはやと思ひ、「誰ぞ」といふに返事なし、あまりに堪へかねて、「福か、やれ」といひければ、「いや、与次郎でござる、何しに福であらう、福は宵からよそへいたものを」とつぶやきける

  鬼は内福をばそとへいだすとも歳一つづつよらせずもがな

也足の判(中院道勝の判詞)

「尤も興あり、されども、たとひ年は一つ二つよらせ候とも、福を外へ出さん事、いかゞと申すべくや、一笑一笑 &『醒睡笑』巻一

 

物売り声 ものうりごえ 

近代以前のボテ振りなど往来物売りにとって、口は商いを知らせる重宝な商売道具であつた。

CDなどで色いろな売り声を聞くと、商売ごとに個性的な売り声が使い分けられ、いかにもらしき声調がにじみ出ていて下町の風物詩を感じさせられる。遊びというよりは庶民文化財といったほうがピッタリだ。

【例】

物売の呼び声

▽紙屑買ひ  くずい、くずい。

蕎麦屋  そばうーい。

▽鍋焼饂飩  なーべやき、うどーん。

羅宇屋  らーうや、きせーる。

▽稗  売  稗まーきや稗まーき。

朝顔売  朝がーをやーあさーがを。

鰯売  いわーしこーい。

豆腐屋  とううーい、うあうーい。

&『東洋学芸雑誌』明治二十三年六月二十五日号

江戸の物売り声

▽うぐいす豆にうずら豆。お多福豆にぶどう豆。はりはり沢庵赤生姜(しようが)

 なんでもおいしい煮豆屋でござい~

▽いたずら者はおらんかな。いわみぎんざん、ねずみとり。いわみぎんざん、ねずみとり(石見銀山ねずみとり)

▽くずぅーい、くずぅーい、ボロのたまりはございませんか、くずぅーい、屑やお払い

&『江戸売り声百景』宮田章司著、岩波書店

▽金魚ーエ 金魚オ 出目金に黒金

 値段が高い(らん)(ちゅう)はどうです

とっけえべい

きせるの潰れでも、釣り鐘のこわれでも、鼈甲(べつこう)の折れでも、めっけただけもってきな、とっけえべえにしよ、飴を買ったら凧やろか、凧いやなら本やろな &『江戸と東京 風俗野史』巻四

念仏飴売り

京の女郎に、吉原のはりをもたせて、長崎の衣裳でたちて、大坂の揚屋で遊ぶ夢を見た。あまいだ〳〵。いざ子供衆、合点か〳〵、かはしたまへ。&職人尽(しよくにんづくし)絵詞(えことば)』山東京伝画文

 江戸時代の念仏飴売り

山東(さんとう)京伝(きようでん)(17611816)は江戸後期の戯作者・浮世絵師。読本作者としても活躍。詞の内容が幼児の理解の度を超えていて、飴屋が実際こんな口上で子供たちを集めたとは思えない。京伝の得意とする絵詞戯作の上での創作だろう江戸の風俗文献を渉猟すると、飴売りとその商い口上が多いのに驚かされる。たとえば土手飴・お駒飴売り・唐人飴ホロホロ・飴の曲吹き・ヨカヨカ飴・飴売り取替(とつかえ)(べえ)など百出の賑やかさ。なかでも演出の奇抜さで知られた「お万が飴売り」も詞で色事を教えている。

  可愛けりやこそ神田から通ふ。憎うて神田から通はりよか。お万が飴ぢやに一ツてふが四文じや。(『江戸行商百姿』花咲一男著)

この飴売りは女装で、百文以上買う客がいると右の詞を歌って踊ったという。昔の子供らがマセてしまうのもうなずける。井戸端ではかみさん連が艶話(つやばなし)。門付け・物売りがいかがわしい詞や歌を放吟する。夜は夜で(チヤン)とお(カア)の川の字崩しが始まる。いやでも大人の世界がおっかぶさってきた。

《参考》

窓三貫                                                    鴬亭金升往来へ突き出している窓を「窓三貫」と言つた。今なら三百円と言ふかも知れない。此の窓の有る為めに、兎角小遣ひが要るので、不経済だと言ふ訳。

 下戸が上得意の山川白酒売り

明治中期の頃、丸の内有楽町と銀座裏に住んで居たが、昼間から夜更けまで飲食の商人だけでも多くやつて来て、ツイ呼びたくなる。夏は「甘酒甘い」「心太(ところてん)や寒天やア」「お汁粉ウ」(おしるウと言ふ)、「西瓜、西瓜」「氷、氷」、秋から冬へかけて「お稲荷様ア」「蕎麦うアうい」(うどんと言ふのか何だかわからぬ)、「茹で出しうどん」「大福あつたかい」、いろ〳〵の商人が来る。寒夜に好いのは「鍋やきうどん」で声を聞くと食ひたくなる。上戸には「おでん燗酒」、のちには支那ソバのラッパが巾を利かした。砂糖入り金時や豆腐も来た。&『明治のおもかげ』下町と山の手