唄は世につれ、世は唄につれ。骨董唄共が賑にぎしいこの章は歌謡詞の我楽多市

25 歌謡詞遊戯系 かようしゆうぎけい

 

歌謡文学あるいは歌謡文芸に含まれる幅広い詞章を対象に、さらに言語遊戯性が色濃く表れているものを〈歌謡詞遊戯〉として総括した。これのほとんどが音曲詞で、その範囲も民謡、俗謡、流行歌から(わらべ)(うた)など多岐にわたっている。

歌謡詞には古くから言葉遊びが積極的に取り入れられ、ことに庶民受けする遊戯詞がもてはやされてきた。

口承の上代神楽歌はその象徴的なもので、たとえば、

総角(あげまき)早稲田(わさだ)に遣りて や そを()ふと そを思ふと そを思ふと そを思ふと そを思ふ &上代神楽歌「総角(あげまき)(もと)

のように、さながら溝の磨り減ったレコード盤よろしく、畳語に次ぐ畳語でおかしみを強調している。

 これらからレトロ詞でつづる歌謡遊戯の、魅惑的な別世界へと案内するためのガイド役である。

《参考》

                                       大神基政

おほよそこゝろうべきことは、時のこゑといふ事あり、春は双調、夏は黄鍾調、秋は平調、冬は盤渉調、壱越調は中央なり、土の声といふ、おほやうこれを時のこゑといふべし、また一日一夜にとりても、ときの声あり、すなはち天感応のこゑなり、しかのなき、うぐひすの声、むしのね、ほらのこゑ、わが心にをもしろしと思ふ声に、おのづからあふこと有、これを又ときのこゑといふことあり、古文にいはく、暗夜にはしらをうちて、ねうしの候をしる、白中に声をきゝて、午未のあやまりをたゞす、むかしかしこかりけるくわんげんもの、香の火もみず、かいのこゑもきかず、ほしのくらゐをもたづねず、月のたくるをさたせず、人にたゞいまいくときといふに、もしは子とも丑ともいふを、まくらにあるはしらをもつて、たゞいまは子にこそありけれ、うしにこそありけれと、しりけるにこそはあんめれ、&『竜鳴抄』上

 音楽譜印刷広告〔時事新報、明治二十六年九月三日〕

 

25 歌謡詞遊戯系の目録(五十音順)

 

飴屋唄

江戸長唄

演歌

大津絵節〔江戸時代〕

大津絵節〔明治時代〕

折込唄

替え歌

数え歌〔現代〕

花柳唄

軽口唄 かるくちうた

瓦版唄

記紀歌謡

きわもの

近代流行歌

くずし唄

口説節

小唄

小唄〔発祥縁辺歌〕

小唄〔江戸小唄〕

小唄〔近代小唄〕

滑稽替え

言葉遊び唄

事寄せ唄

さのさ節

戯れ唄

騒ぎ唄

山家鳥虫歌

賛酒唄

時花

東雲節

社会戯評歌

借曲詞

借辞〔歌謡詞〕

借辞〔都々逸〕

畳語歌詞

尻取り歌詞

尻取り歌詞〔俗謡〕

尻取り歌詞〔俚謡〕

尻取り歌詞〔童唄〕

ジンジロゲ

信心唄

新内節

宣伝歌

壮士節

尽し

唐人唄

都々逸

都々逸〔時事吟〕

嘆き節

鳥追唄

謎解き唄

なぞり替え

名寄〔歌謡〕

倣い唄

ハイカラ節

幕末戯れ唄

囃子詞

流行唄〔近代〕

ひやかし唄

風刺唄

吹寄唄

本歌取り唄

見立唄

風流唄

読売唄

 

「地獄絵」をまとい流行り唄を歌う地獄太夫。〔月岡芳年画『新形三十六怪撰』、Wikipediaより〕★地獄太夫=近世伝説で、自ら「地獄太夫」を名乗った訳ありの美しい遊女を指す。

 

飴屋唄 あめやうた 

飴売り行商が流し歩くさい、客寄せにうたった唄を〈飴屋唄〉という。

江戸の風俗文献を渉猟すると、飴売の種類とその商い口上や唄が多いのに驚かされる。たとえば土手飴、お駒飴売り、唐人飴ホロホロ、飴の曲吹き、ヨカヨカ飴、飴売り取替(とつかえ)(べえ)など百出の賑やかさ。なかでも演出の奇抜さで知られた「お万が飴売り」も詞で次のように色事を教えている。

 可愛けりやこそ神田から通ふ。憎うて神田から通はりよか。お万が飴ぢやに一ツてふが四文じや。(『江戸行商百姿』花咲一男著)

 お万が飴売り 

 この飴売りは女装で、百文以上買う客がいると右の詞を歌って踊ったという。こうした飴屋唄には卑俗な唄が目立ち、飴屋が近づくと母親が子供を遠ざける光景も見られたそうである。

なお、明治の才筆家饗庭篁(あえばこう)(そん)の『張込帖』の中に、江戸時代の飴屋唄がいくつか記されている。

【例】

飴売土平

♪土平が頭に蠅が三疋止まつた、只もとまれかし、雪踏はいてとまったとヘ〳〵、土平といふたらなぜ腹たちやる、土平も若い時色男とへ〳〵。&『続 飛鳥川』(明和頃)

*ほかに『明和誌』『半日閑話』十二などにも同様の記事が見えることから、かなり有名な飴屋であったらしい。

タンボサン

♪かわいおとことなつふく風は、とことんとこ、あけていれたい、ヤレコノとこのうち、たんぽさん〳〵、あつたら男に女ぼねがへ、女房があつても、あにきの女ぼうで、しよことがせねへ、たんぽさん〳〵 

&聞之任(ききのまにまに)(文政四年)

飴売の売声

♪チイタラパアタラパアタラチイタラ〳〵、一夜ねるとも振袖の上折かへしの袖枕ダア。

♪十七八とねた時は、五尺のからだが三尺とけて、跡の二尺がちんぬるやうだの、ヲヽちんぬるやうだのコウダ。

♪よもぎ畠真中でせきだやるかうてくりよとておりよだまいた、これも弘法様の御利生だヲヽ利生だへコウダ。

♪さいの河原のけちやばさまおへこにけゝこがいぼこもない。

♪今のはやりのなんばぐしおもよにさゝせて先立ちて跡からすんだら兵衛が長羽織ダ、ヲヽ長羽織だコウダ。&『半日閑話』巻十三

唐のな節

♪唐のナア唐人(とうじん)の寝言には、アンナンコンナン、おんなかたいしか、はへらくりうたい、こまつはかんけのナア、スラスンヘン、スヘランシヨ、妙のうちよに、みせはつじよう、チウシヤカ、ヨカパニ、チンカラモ、チンカラモウソ〳〵、かわよう、そこじやいナア、パア〳〵〳〵〳〵 &『近世商売尽狂歌合』安南こんなん飴(嘉永五年)

*チンプンカンプンを口上にした、いうところの飴屋節である。このような意味不明語の伝承は明治・大正の大道飴屋にも及んでいる。

飴屋よかよか節 

♪アヱーヱーヱーヲヱー、これハせけんのヨ、さかなよせ、アヱー、なんぼわたしが、たこじやとて、ほうぼうへすいつくみではなし、アエー、いはしておけば、ほうずなし、たいやひらめやかながしら、アエー、いかにわらさがをぼこでも、そんなにぼらをいはんすか、アエー、みしまをこぜのわたしでも、ふぐれてはらがたちうをや、アエー、くろだいするめもこゝろから、かずのこできたことなれば、アエー、すだこいしんぼうヨほゝいほんとにしておくれ、アエー

♪こよいあがりてざしきがすんで、アエー、ねどこへはいりてひとやすみ、めさめてみればあんどんばかり、アエー、たばこいなくなる、ひイきへる、きたかとおもへバ、あぶらつぎ、アエー、はらハへツてくるさむくなる、いのちにべつじようないばかり、アエー、みかづきさまではないけれども、よいにちらりとみたばかり、アエー、こよい一やハヨほゝんほんとにまくらばん、ヨカ〳〵

♪一にいろきやくありやいきなきやく、アエー、二には二本ぼでいやなきやく、三にハさけのみぐずのきやく、アエー、四にハしはんぼできざなきやく、五ツいつものごろねきやく、アエー、とるもとらずにどかずとる、六ツはむやミにとこいそぎ、アエー、七つなじミハまぶのきやく、八ツやぼきやくふられきやく、アエー、九ツこまつたいのこりで十でとまりハほゝほんとにためになる、ヨカ〳〵 &『しんぱん あめや よか〳〵ぶし』、明治二十六年頃流行

*飴売元唄を肉付けしただけで市井に出したペラ本。駄洒落つづりの低俗きわまる唄だが、こうしたお粗末なペラ本でも当時はマアマアに売れたらしい。

 

江戸長唄 えどながうた 

長唄は三味線音楽の一つで、おもに歌舞伎舞踊の伴奏を経て普及した。もともと上方の地歌のうち長詞歌を源とし、江戸初期までは京長唄、大坂長唄および江戸長唄の区別があった。

それが享保(171636)あたりから、長唄は江戸音曲の中心として発達し、それにつれて単に「長唄」と云う場合は、江戸長唄をさすようになった。同様に上方では、江戸長唄をさして「江戸唄」と称し、江戸風の賑やかな囃子鳴物がもてはやされ、その稽古にたずさわる者は揶揄をこめて「チリカラ連」と呼ばれた。本来伴奏用の長唄だが、江戸後期には観賞用のお座敷長唄まで現れ、曲詞に技巧が凝らされるようになった。

さて、三味線鳴物に囃子とくれば、あとは推して知るべし、色酒である。それかあらぬか、長唄の詞章から酒席で歌われるような文句を見つけるのはたやすく、また興深いものがある。ここに収載した詞章のすべては、『新編江戸長唄集』(『日本歌謡集成』巻九)からの抜粋、題下(  )は芝居の初演。

 国立音楽大学のチリカラ座サークル 

【例】

七福神(江戸中期も初演未詳)

本調子「それ伊弉諾(いざなぎ)伊弉冊(いざなみ)夫婦寄合ひ、漫漫たるわだつみに天の逆鉾下させ給ひ、引上げ給ふその(したたり)凝固(こりかた)まつて一つの島を、月読(つきよみ)日読(ひよみ)蛭子(ひるこ)素盞鳴(そさのを)儲け給ふ、蛭子と申すは恵比寿の事よ、骨なし皮なしやくたいなし、三(とせ)足立ち給はねば、手()りくるくる船に乗せ奉れば、青海原に流し給へば、海を(ゆずり)に受取り給ふ、西宮の恵比寿三郎、いとも賢き釣針(おろ)し、(よろづ)の魚を釣り釣つた、姿はいよさてしをらしや 二上り「引けや引け〳〵、引く物品品、様はきはずみ琵琶や琴胡弓三味線東雲(しののめ)横雲其処ひけ小車子供達は御座れ宝引(ほうびき)しよ、宝引しよと、帆綱引つ掛け宝船引いて来たいざや若い衆綱引くまいか、おきの鴎がぱつと〳〵立つたは三人(ばり)強弓、よつ()き絞りひようふつと射落せばサ浮きつ沈みつ浪に揺られて沖の方へ引くと、水無月(みなつき)(なかば)祇園どのの祭で、山鉾飾つて(わたり)拍子で引いて来た、拍子揃へ打つや太鼓の音のよさ、鳴るか鳴らぬか山田の鳴子、山田の鳴子、引けばからころからりころり、からりころりころりころ〳〵〳〵や、(くつばみ)揃へて神の神馬(じんめ)を引連れ〳〵、勇み勇むや千代の御神楽、「神は利生を黄楊の櫛引き、〳〵、注連縄の長き(えにし)を。

*市村座の脇狂言として序開きに演奏。

おとぎもみぢ(はや)物語(ものがたり)(明和六年九月、中村座)

団十郎▲さてこれよりもあばれ酒三味線の音色も変つてこれや〳〵〳〵油断は致さぬ〳〵 久蔵▲これや〳〵油断は致さぬ〳〵 ▲さてこれから段々酒に長じ赤い物は白い物は()次第(しだい)に問かけまする出次第に答へまする ▲こいつは面白いわえ参ろ〳〵の格だな ▲さうとも〳〵くれや〳〵 ▲白い物は ▲雪降りの幽霊 ▲赤い物は 紅屋(べにや)の看板 ▲四角な物は 衆道(しゆだう)口説(くぜつ) (こは)い物は ▲強い物は 皆々▲強い物は〳〵〳〵〳〵 ▲三両一分 皆々▲やんやア ▲めでたい〳〵松と竹とに鶴と亀とが舞遊ぶ、千年(ちとせ)を祝ふ土器(かはらけ)に、(つち)盲目(めくら)の我等迄、道狭から四つ門、千秋満(ぜい)万々万、早物語と語つて候、さてこれから御前(ごぜん)ゐようか戻らうか生姜(しやうが)酒にしようか玉子酒にしようかいや〳〵拍子にかゝつて我が住む里へ帰らうよ

花角力里盃(はなずもふさとさかづき)(明和八年十一月、中村座)

()れる綱には曳かるゝ曳船、安芸の宮島よさんや廻れば七里浦はよさんや七浦七(ななうら)恵比寿(ななえびす) 「いつそ初手から勤めが()しぢや、嫌な禿の憂き勤め嫌な酒をも無理呑みに、笑うて呑むも(さと)の癖酒に数多の 「奇特が御座る、霜夜の酒の暖かに、(はつ)の人 「にも馴るゝは酒の威徳なりとかくやとかく憂き世は呑めや唄へや諸共に、しげれ松山ざざんざ〳〵浜松の音はざざんざ浜の真砂は尽くるとも、よき尽きじ〳〵、夫婦妹背の縁は異なものよ

 

演歌 えんか 

今日いう〈演歌〉は明治に流布した〈壮士節〉が源流である。演歌師の元祖は添田啞蝉坊とするのが定説で、他にバイオリン節で鳴らした神長瞭月や「オッペケペー節」で有名な川上音二郎らの功績も見逃せない。

演歌は当初、社会戯評が持ち味でこれが大衆にも支持されていたが、昭和初期のエログロ・ナンセンス時代あたりから軟派崩れし、呼び名のほうも「艶歌」と当てるのが流行ったほどである。現代普及している演歌も愛だの恋だのを主題にしたものが多く、往時のエスプリは失せてしまっている。

 【例】

「オッペケペー節」大流行

                                     若宮万次郎詞/川上音二郎歌曲

♪権利幸福きらいな人に/自由湯をば飲ましたい/オッペケペッポーペッポッポー/かたい上下(かみくも)(かど)とれて/「マンテル」「ズボン」に人力車/粋な束髪ボンネット/貴女に伸士のいでたちで/ 外部(うわべ)を飾はよいけれど/政治の思想が欠乏だ/天地の真理がわからない/心に自由の種を蒔け/オッペケペ オッペケペッポーペッポッポー(明治二十二年)

*「オッペケペー節」というと、演歌師川上音二郎を連想するほど有名だが、初期作品の作詞者が若宮万次郎(伝未詳)なのを知る人は少ない。若宮の詞を川上が手直しし、鋭い社会時評の演歌に仕上げ自ら演じて大衆の喝采を得た。川上は夫人の音奴とともに、プロの芸人として一座を率い成功した人物だが、そのキャリアが只者でない。彼は常づね過激な言辞もって官憲を存分に攻撃したため、処罰や投獄の明け暮れで、検挙じつに百七十回、入獄も二十四回に及んだと記録にある。つまり芸人らしからぬ筋金入りの硬骨漢であった。掲出詞の囃子詞「オッペケペッポー」は、単なるナンセンスワードではない。音韻のニュアンスから判じられるように、相手をおちょくる意味が込められている。すなわち、能もないのに空威張りする役人、同様にオイコラと偉ぶる巡査、西洋文明に盲目的に悪乗りする知識階級などへの、アカンベエであった。

 金色夜叉の歌                                               添田啞蝉坊調詞

♪霞を()ける空ながら 月(うるわ)しく海原は 油鉢(ゆばち)(さま)に凪ぎ渡り 海人(あま)が漕ぐ櫓の声たゆく 波路の末の漁り火は 霞を淡く染め出だし 夢を敷けるが如くなる 熱海の浜の春の宵 霞に(けぶ)る松影を 彼方此方(あなたこなた)と歩みつゝ 語らふ間貫一と 鴫沢宮(しぎさわみや)がおもわには 包むにあまる憂き事の 色に出づれど人目には 墨絵に似たるその蔭の 雛の妹背と見ゆるらむ(中略) のがれぬ罪に責められて 苦しむ宮は貫一の 恨みを聞くに堪へざるか 身をふるわせて泣き伏しぬ 泣き伏す宮の悩ましき 姿を照らす月影を 夢の心地に眺めつゝ しばしは何も打ち忘れ (なぎさ)()近く貫一が 出づれば宮も進み出て もし此の宮がよそ人に 嫁がば如何にしたまふや 語り給へと問ひ寄るを 憎き問よと貫一の 胸に再び血は躍り 木を裂く如く突き放し 弱腰はたと蹴あぐれば 宮子は真砂(まさご)(まろ)びたり 転びし宮は身を起し 立たんとすれど甲斐ぞなき 今は見る眼も(けが)れぞと (おもて)(そむ)けし其のまゝに 帰りて告げよ貫一は 心狂ひて伯父伯母の 厚き恩義も打ち忘れ 行方知れずに成りたりと 言ふ声さへも荒らかに 何処ともなく立去りて 呼べど答は波の音 それかと思ふ影もなく 愁ひを含む一月の 十七日の月()くる

 

大津絵節〔江戸時代〕 おおつえぶし/えどじだい 

 大津絵唄〉とも。元禄あたりから大正頃まで超長期の人気に支えられてきた俗曲名。

大津絵は地元絵師が描いた戯画で、古くから魔除けのまじない絵として人気があった。これにかかわる俗信神事にちなみ、近江大津地方の遊女らがうたいだした「大津おひわけ絵踊り」が始まりである。江戸後期に黒船寄航や安政大地震などのたび材をとった大津絵節も人気が高まり、時勢にそった類歌や替え歌も続出した。あるいは尽し唄など言葉遊びの系統、ときには猥歌も登場するなど、庶民の歌謡として内容は多彩である。

江戸時代の作は『粋の懐』などで紹介されている。参考までに『巷歌集』所収「大津絵節」の編者英一蝶による序文を掲げておく。

大津絵の筆の始めや何仏は(おきな)の吟とはいひながら誰が(ぎん)なるや是非をしらずこの大つゑのひとふしも端歌の中の大立者されば端唄と人もよばず一蝶が朝づま紀文がまつちのしづむ雨よりながれ〳〵て今はそのはうたの雫をくまぬものなくちよつぴり酒のあひづちにも隣のあねえちよつぴり来なといふもやつぱりうたの徳夫力をいれずして近所の娘や中どしまよではひやかすのらくらもの同じ仲間の松延堂がいかに酒大人大つゑを筆記(つくる)きはねえかと望まれてナツトしやうちだめうでんすと安うけ合が紺屋の明後日(あさつて)日記のじもやうの一てううら土手の合傘ならなくに弥生の雨の長き日にエイヤツト筆記(つくり)上ることしかり。/文久戌春/筆耕舎隅画記

 大津絵「鬼の念仏」〔近江郷芸美術館蔵〕

【例】

げほうはしごずり

♪げほうはしごずり、かみなり太鼓でつりをする、おわか衆は鷹をすへ、ぬりがさおやまはふじの花、座頭のふんどしに犬ワン〳〵、つけア(付けばなり)くりし、杖をばふり上ぐる、あらきの鬼もほつきして、(かね)しゆもく、ひやうたんなまずをおさへます、奴コの行れつ、釣がね弁慶矢の根五郎。

&『守貞謾稿』巻二十三

花やかに 

♪花やかに。さきそろう。さくらの宮のはるげしき。うきつれた。()かたぶね。(べに)ずり(てう)ちん赤襦(あかじゆ)ばん。きくもようきなばかばやし。障子ほそ目につめ引は。あだな茶ぶねのさしむかい。(つつみ)(まう)やらおどるやら。端手(はで)くらべ。しやうことなしのしみたれは。風りうめかして矢立に短冊うろ〳〵そこらをひつつきさがします。

&『粋の懐』三篇(文久二年)

大津絵節〔江戸時代の雑載〕

     一

♪夕ぐれに小舟で急がして土手の景色はきゝやうつゆおばなのうはだまのあれ見やしやんせつぢうらやまつばかんざし畳ざん更けて逢ふ夜の気苦労は人目を兼てかうしさき男心はむごらしい口説(くぜつ)してびやうぶが恋の仲立(なかだち)とけさのあめにかへさりやうかお互いにこいちやの仲じやもの。

     二

♪ふたぢやわんおゝからいとうがらし下にはよくついたねへきりぼしざぜんまめきやうだいに青々ときれいだねへさくら草れんじにこまげたつちをおとしなさんなあをむけてうがひ茶碗つかひかけのふさやうじゆかうにぴか〳〵ほたるかご火鉢でぐず〳〵うまいねほたてがい見せひけすぎからのろけばなしまぶのふみをかきやおいらんおたのしみびしやもんさまのおそないをねづみがおとしてことばしらにあたつてしぐれの松風ころりんしやん。

     三

♪花の雲かねの音はたしか上野かあさくさかあげまきの助六がゆかりのはちまき黒小袖ふたへまはりのくものおびとづまへひとつさげまさのげた尺八蛇の目傘こいつはまたなんのこつた江戸の花富士筑波まげの間から見えすくのがあはかづさめうでんすなはなのあなやかたぶねけこまれるなつがもねへ。

     四

♪ひけや初花箱根山いざり勝五郎車にのせてめづなはづなを両手にとつてもみぢのあるに雪のふるさぞおさむうござんしやうわしはさむうはなけれどもそなたはふびんやさむからう初花しんせつかたじけないはなしのうちかたきが四五人一度にうちかゝるけらいの筆助かけつけて主人の大事とたたかへばにげてゆく。

     五

♪うぬが田へ水をひく獅子追(ししおひ)小屋でなるこ引くしばゐではまくをひく猫めがとだなで(さかな)ひくとうふやがまめをひくおさるが水をひくよいざめがかぜをひく女郎衆は落ち屋をひくとやでひくびつこひくきやだひくくるまひくかん田に(さん)わうまつりのだしをばうしがひくひうどんてんてゝてん〳〵 

&『巷歌集』大津絵節(松延堂・文久元年)

♪おゆきさんは。うつくしい。色が白ふてしほらしひ。やさ姿。みるにつけ。(えん)をうち明松がへに。お前の気性もしれました。風になびいて落ちなさる。あたまからなられるとは覚悟なれど。つもり〳〵しそのあとはうちとけて。ながれの身とはしりながら。そのまゝきえてすがたもみせぬとはほんにみづくさい。(二篇)

♪花やかに。さきそろう。さくらの宮のはるげしき。うきつれた。()かたぶね。(べに)ずり(てう)ちん赤襦(あかじゆ)ばん。きくもようきなばかばやし。障子ほそ目につめ(びき)は。あだな茶ぶねのさしむかい。堤は舞やらおどるやら。端手(はで)くらべ。しやうことなしのしみたれは。風りうめかして矢立(やたて)短冊(たんざく)うろ〳〵そこらをひつつきさがします。(三篇)

♪うたゝ寝の。ゆめにさへ。主と転寝(まろね)の床のうち。一人寝の。おもひ寝も。寝耳にそれと起されて。くやし昼寝の寝おきにも。寝みだれがみとむすぼれる。おもひは寝た間もわすられず。二人寝た夜はむつ(ごと)に。朝寝して。寝ごとまぜりの寝がへりに。寝ものがたりもくやしやざこ寝とねとぼける。(四篇)

&『粋の懐』各編(文久二年)

 

大津絵節〔明治時代〕 おおつえぶし/めいじじだい 

〈大津絵節〉の流行は明治になっても好調で、他の音曲に影響を与えながら命脈を保つ。例示のように、新文句を掲げながら在来形式を踏襲しつつ大正時代まで続いた。しかし先は見えていて、演歌をはじめとするモダンスタイルの歌謡の普及におされ、次第に衰退への道をたどることになるのである。

【例】

大津絵ぶし〔近代の雑載〕

♪正月は松竹しめかざり、年始の御祝儀と年玉投込んで、陽気な声をして、御宝道中双六(すごろく)、二日は初夢姫はじめ、万歳が素袍(すはう)着てまじめ顔、才蔵(さいざう)がおほゝらほんのまつちやらこで、恵方(ゑはう)まゐりのはで姿、鳥追がちやらちやらお獅子がとつぴきぴ、白酒(しらさけ)羊羹(やうかん)、やうかんかたに風呂敷払扇箱(あふぎばこ)、十一二日はお蔵を開いてめでたく祝ひましよ

♪此頃のはやりもの、よし原五丁町(ちやうまち)、毎日大繁盛、をかしな声をして、砂糖入金(いりきん)(とき)(だい)神楽(かぐら)中屋(なかや)の坊や、どんつくどんつくどんべに友の見せん仮面(めん)踊り、新造(しんざう)年増(としま)がぢやらぢやら、お茶屋をするのが芸者(しゆ)に、桜六七八(あうりうぢへはま)おやいやでんすよ、いきなお方の野暮づくり、はせもの鳥居のあんどん稲荷様、おらんだ軽焼せんなり糖にかいわり辻うら茶飯にあんかけ豆腐

♪雨の夜に、日本近く寝ぼけて流れ込んだ浦賀(うらが)湾、黒船うち込み八百人、大筒(おほづつ)小筒(こづつ)うち並べ、羅紗(らしや)猩々(しやうじやう)緋の筒ぽう襦袢(じゆばん)、黒んばうが水そこ仕事、大将分が部屋にこもりてまじめ顔、中にも色の黒いじやがたら唐人は、海を眺めて銅鑼(どら)めうはちを(たた)いて、チンワン〳〵きんらい〳〵きんあふらい、あめりかさして、もらひし大根みやげに帰ります

♪蔵前のきいた(ふう)、ちよんまげ、薄月代(さかやき)ほそ眉毛(まゆげ)、めし物は(あい)(じま)で、羽織は小紋に限ります、更紗(さらさ)の煙草入に四つ()(づつ)、ばら緒の雪駄(せつた)でめかします、十けん(あふぎ)を腰にさし、やぼけん長唄浄るり聞きかじり、きいろな声を出して、めえりやす参りやしよ、どうもなんねえエヘン

♪仲の(ちやう)夕げしき、軒をならべし茶屋の数、惣まがき交り()()、そのほか数多の遊女みせ、内証(ないしよう)でがらがら鈴の音、見世すがゝき地廻りそゝり節、芸者がじやらじやら鳴物入れてみみを引く、長唄一(ちう)河東(かとう)ぶし、(りう)(ちへ)(はま)払ってございの、かいわり辻占とういんもみ療治、火の用心さつしゃりましやう、もう引けすぎとお客が眼をさまして時を数へカチカチ

 開化期、吉原仲ノ町の賑わい

♪両国の夕涼み、軒をならべし茶屋の数、楊弓にうちわ()()、そのほか数多のあきうど、川の中のかけ芝居、玉やと鍵やのはで花火、ボウンボウンあがりや、橋の上は数万の人の声、玉やむしうり麦湯に西瓜(すゐくわ)のたちうり、しやらしやつこい氷水からす丸(一とばし)

&『明治流行歌史』ほか

大津絵

お客の本音

♪芸妓呼ぶのもナカ〳〵気苦労な、金を費ふて嬲られて我が物喰ひながら、気兼して、洒落にも悪口言れても怒れば野暮じや箱屋じやと親にや勘当受け、嬶には恨まれて、夫れでも情夫になりたけりや、酒も侑めず無理言はず、折節にや芝居行き合点、揚も承知と肩巻買ふて遣る、其処等でじいわり合乗幌布被け、紙幣を握らしや頷くだらうが、其処迄義務はない。

芸妓の本音

♪芸妓商売はつらいもの、野暮な御客の無理聴いて、三味線弾け唄へとせめられて、急腹(むかばら)立てば場が不興(しら)け、二回の座を待つ情けなさ、(いぬ)にや(いな)れず娑婆地獄、中にも俄分限者は、気障で無粋で花街(いろまち)(わけ)知らず、夫れでも嫌じやと言わりやせぬ、暑い寒いのしん抱して、僅な線香で雑魚寝をしられて、夜通しいぢられた

&『大津絵と伊予ぶし』(明治四十一年頃流行、大阪・彰文館版)

*この頃ともなると大津絵唄の歌詞に演歌調が影響しているのがわかる。この例のように、それまで題名明記のなかったものが主題名を明示するようになったのも特徴である。

 

折込唄 おりこみうた 

同類集め(いわゆる類題)のもと、一連の名称などを歌謡詞の中に折り込んで連想を展開させる技法を〈折込唄〉と称している。

言葉遣いに神経を尖らす上方で発祥した。

【例歌】

色香 いろか                                                  井原西鶴作詞

♪定めなき、色香に浮かれ国あまた、かたい枕も垢づく(きぬ)も、(なり)やつれたる身の行方(ゆくへ)懺悔(ざんげ)に語り申さん、抑々(そもそも)江口神崎は、名のみ残りて風俗なし、野上(のかみ)の里は草枕、朝妻舟は(かぢ)枕、誰こがれけん跡知らず、つかひ上げたる島原を、都の西に入日影、うつる心に焚きつけの、柴屋(しばや)(まち)には火も立てず、化粧(けはひ)かはりしづし(ぎみ)を、はる〴〵こゝに()越路(こしぢ)や、塩津(しほづ)海津(かいづ)に、どれ〴〵それ、あれ〳〵針が浦、釣りする海人(あま)の浮けなれや、心一つを定めかね、敦賀小万の吸ひつけ煙草、きつゝなづめば目も合はぬ、目も合はぬ、目が回る、女郎(じよろ)と契らぬ旅人には、夜着(よぎ)も貸さいで寺どまり、お草臥(くたびれ)なら寝まるべいとて、わさゝの酒を志比(しひ)(ざかい)、四の五の辻を出雲崎、同じ流れの酒田の柄杓(ひしやく)、底真実から、解けてちん〳〵契りの、幾夜も結ばん常陸帯(ひたちおび)、掛けましくもえ、水戸の藤柄(ふじから)枝川つゝじ、明日の別れにやちり〴〵に、おさらばえ、これ近のうち、愛しけりゃこそしとゝ打て、憎か打たりよか、何でもこれは、あ痛〳〵、潮来(いたこ)出島(でじま)のこん小手(こで)招き、招く袂に文や(たま)(づさ)、げに楓橋(ふうけう)の夜の市、泊り〴〵宿々の窓にうたふ群女(くんぢよ)は、(かく)をとゞめて(おつと)とす、別れあれば待づ暮れあり、品こそかはれ戯女(たはれめ)の、袖吹き返す飛鳥風(あすかかぜ)、昨日と過ぎて今日と暮れ、武蔵の国なる新吉原が泊りぢや

──本調子長唄、江戸中期作 &『松の葉』第二巻 

*京から東国の吉原へ、遊里と遊女を主題に折り込んだ道中点描である。

 全盛四季夏 根津花やしき 大松楼〔月岡芳年画〕

花づくし

♪一つ咲いたは何の花一つ咲いたはひともじの花、二つ咲いたはありや何の花二つ咲いたはふくらの花よ、三つ咲いたはありや何の花三つ咲いたは蜜柑の花よ、四つ咲いたはありや何の花四つ咲いたは蓬の花よ、五つ咲いたはありや何の花五つ咲いたは苺の花よ、六つ咲いたはありや何の花六つ咲いたは槿の花よ、七つ咲いたはありや何の花七つ咲いたは茄子の花よ、八つ咲いたはありや何の花八つ咲いたはやしほの花よ、九つ咲いたはありや何の花九つ咲いたはこうの木の花よ、十で咲いたはありや何の花十でとめますとうの木の花よ

──琴唄(和歌山)、近代に収録、&『日本歌謡集成』巻十二 

夕節

♪ゆんべ、くらやみで、(ぐわん)を三人かけたじやないか、聞いてやりましよ新造(しんぞ)年増(としま)、おまけに婆さま。

♪ゆんべ、くらやみで、賽銭三文拾つたじやないか、それを戻しやれ、おひねりにおあし、おまけに百せん。

♪ゆんべ、とまどひして、線香三本ふみおつたじやないか、買ふて戻しやれ、お(そな)ひにお供物(くもつ)、おまけにみとてふ。

♪ゆんべ、あぶらげ三枚ふみつぶしたじやないか、買ふて戻しやれ、がんもどきに豆腐。

──拳唄、明治二年流行、&『明治流行歌史』

*各節に「三」の字を折り込み成句を作っている。

 

替え歌 かえうた 

よく知られ広く愛唱されている歌詞を意味がまるで異なる戯詞にすり替え、同じ曲に載せて歌う遊びを〈替え歌〉といっている。これは捩り歌謡の一種であり、多くの傑作を生んできた。

ことに近代以降は替え歌作りが盛んで、流行歌をはじめ俗謡、童謡、唱歌から戦時歌謡や軍歌まで、きわめて広範囲に及んでいる。優れた替え歌は、例外なく大衆の心情をとらえ、単にユーモラスなだけでなく、ペーソスに満ちた思いを呼び覚ましてくれる。なお、この類の作品はほとんどが作詞者匿名である。

【例】

「江戸手鞠唄」の替え歌

♪向こう横丁のお稲荷さんへ 一銭あげて/サツと拝んでお仙の茶屋へ/腰を掛けたら渋茶を出して/渋茶よくよく横目で見たら/米の団子か土の団子か/お団子団子でこいつア又いけねえ/ウントコサノドツコイサ ヨイトサノドツコイサ セツセトオヤリヨ

   *元詞は有名だが失念、明治十三年頃に流行った替え歌である。

「早大応援歌」の替え歌(大正、元詞は略) 

都の横っちょの早稲田のやぶに/そびゆるトタン屋根は我等が下宿/我等が日頃のまかないを知るや/三銭の煮豆に五厘の豆腐/経済を忘れぬ下宿のおかみ/朝から夜までソロバンはじく/ヤセタ ヤセタ ヤセタ ヤセタ/ ヤセタ ヤセタ 死んだ

&『日本故事物語』所収

歌謡曲「湖畔の宿」の替え歌(昭和、元詞は略)

♪きのう召されたタコ八が/弾に当たって名誉の戦死/タコの遺骨はいつ還る/骨がないので還らない/タコの親たちかわいそう

国民歌謡「愛国行進曲」

♪見よ東条の禿頭/旭日高く輝けば/天地にピカリ反射する/ハエが止まってまた滑る/おお テカテカの禿頭/そびゆる富士も眩しがり/あの禿どけろとくやし泣き/雲に隠れて大むくれ

東条(とうじよう)英機(ひでき)( 18841948)は軍人・総理大臣。太平洋戦争の遂行責任を問われ極東軍事裁で死刑に。詞は太平洋戦争中に歌われた『愛国行進曲』の替え歌。元詞は次のとおり。

 ♪見よ東海の空明けて/旭日(きよくじつ)高く輝けば/天地の正気溌剌と/希望は踊る大八(おおや)(しま)/おお 晴朗の朝雲に/(そび)

  る富士の姿こそ/金甌(きんおう)無欠揺るぎなき/わが日本の誇りなれ

 小学唱歌「牛若丸」の替え歌(戦後、原詞は略)

♪京の五条のオン・ザ・ブリッジ/ビッグマンの弁慶が/ロングなぎなたふりあげて/牛若めがけてカットする

 牛若丸はジャンプして/ゼアとおもえばアンドヒア/カムカムカムとハンドたたき/鬼の弁慶エクスキューズミー 

&『日本民衆詩集』替歌

《参考》

明治の替え歌屋                                        荻生まとめ

近世から近代にかけ様ざまな大道珍商売が現れているが、替え歌屋はその最たるものであろう。戸板上に各種玩具を並べ、陳列品全部を読み込んだ流行(はやり)唄を歌い、立ち止まった客に品物を売りつける。たとえば元唄、

 ♪わたしゃどうでもこうでもあの人ばかりは諦められぬ、

    じゃによって讃岐の金毘羅さんに願でも掛けましょか

この詩を次のように変えてしまう。

 ♪綿(わた)(ちや)、豆腐でも荒物でも、あの餅一つは(あん)付けられぬ、

     茶によって狸の金平(こんぺい)茶碗に椀でも欠けましょか、茶っ茶っ、高野〳〵

と茶碗を叩きながら歌う。板上に並べられた品は、綿布・茶・豆腐・高野豆腐・餅・狸?・金平糖・茶碗・欠け椀などで、いずれもママゴト遊びの玩具である。&『上方演芸辞典』を資料に作成

 

数え歌〔現代〕かぞえうた/げんだい 

 現代、歌謡における〈数え歌〉は、もう人気の定番ではなくなった。ことに羽根つき、お手玉など子供の路上遊戯がすたれ、〈数え歌〉が歌われる光景もめったになくなった。

 

 あるいは昔の親のように、伝承の数え歌詞をいくつも知っていて子に伝えることもあまりない。

 

【例】

 

学生豪気節     作詞者未詳の伝承歌

♪ひとつとせ 人は見かけによらぬもの 軟派はるのは拓大生 そいつァ豪気だね/ふたつとせ 二目と見られぬ女でも 窓から顔出す日大生 そいつァ豪気だね/みっつとせ 見れば見るほどいやになる ザブトン帽子の早大生 そいつァ豪気だね/よっつとせ よせばよいのに徹夜して 神経衰弱東大生 そいつァ豪気だね/いつつとせ 何時もながらのおしゃれさん お白粉つけるが慶大生 そいつァ豪気だね/むっつとせ 向こう鉢巻地下足袋で こえたごかつぐは農大生 そいつァ豪気だね/ななつとせ なんぼなんでもいやになる 算盤はじきの商大生 そいつァ豪気だね/やっつとせ やがては大臣高等官 夢だけ見ている中大生 そいつァ豪気だね/ここのつとせ 口説いたあげくにフラれてる 生臭坊主の駒大生 そいつァ豪気だね/とうとう出ました女子大生 おやじ尻ひく嬶天下 そいつァ豪気だね

──数え歌、昭和戦前期流行

*伝承歌で、昭和の戦後もしばらくはうたわれた。

御飯尽し                                               伝承歌

♪一に芋飯 二に握飯 三にさゝぎ飯 四に汁かけ飯 五にはごもく飯 六ツ麦飯 七ツ菜飯 八ツ焼飯 九ツ強飯祝います 十で殿さがとろゝ飯 ぬらくらするのが好きなれども 人はなんとも鰯飯 しんかあるのかわからねども 飯に抱かれて寝て見たい ──数え歌、昭和戦前期、『言語生活』266号「数え歌の系譜」

*〈数え歌〉形式で、同じ主題の詞章を集め歌謡仕立にしたものを「数え歌 物尽し」といっている。この類は非常に多く、列挙するまでもない。

 

花柳唄 かりゅううた 

花柳街や三業地に発祥し流行した唄。

〈廓唄〉を含めての総称で、情実がらみも華やかさが売りである。ただし昔は、居酒屋などで花柳歌をうたうと、場所をわきまえない野暮な奴、と白い目で見られることもあった。

【例】

獅子

♪獅子はセツホンカイナ、獅子は食はねど獅子くひくひと、雨や霰や寒晒(かんざら)し、ゾロリヤゾロリヤゾンゾロリ、目出度いな目出度いな。橋のセツホンカイナ、橋の欄干(らんか)に腰打ち掛けて、向ふ遥かに見渡せば、弁天、松坂、小松島、キュッキュッと立ったはありゃ何だ。アレカイナアレカイナ、昔々、その昔、ずっと昔の大昔、九郎判官義経さまは、静御前を連れて逃げ、夜も昼も抱いて寝る、よんぼりよんぼりよゝんぼり、烏帽子(えぼし)狩衣立烏帽子、ゾロリヤゾロリヤゾンゾロリ、目出度いな目出度いな。

&『上方芸能辞典』

*幕末・明治に大阪で流行、東京でも「せつほんかいな」の題名ではやった。元唄は阿波民謡「()季候(きぞろ)」である。

たしイか節 

♪向に見ゆるウは、あれは何ぢやいな、朝日の御旗を(ひるが)へし、たしイか東郷さんの艦隊。

♪向に見ゆるウは、あれは何ぢやいな、砂の煙を蹴り立てし、たしイか騎兵の進軍。

&『明治流行歌史』

*明治三十八年頃流行。「たしイか」は芸者言葉で「たしかに」のこと。

さあやれ節 

♪意気なエヽヽ、粋な蛇の目が、柳を(くぐ)る、下を、下を、燕が、サアヤレ、また潜る。

♪上げたエヽヽ、上げた心地も、優しき指に、(もろ)く、脆く、折らるゝ、サアヤレ、(はつ)(わらび)

&『上方演芸辞典』、大正中期流行

 

軽口唄 かるくちうた

さして意味をもたない余計な言葉を添えて調子よく洒落る(くち)(すさび)を「軽口」といい、これを歌謡に仕立てたものを〈軽口唄〉という。

 軽口はまた、軽妙なタッチによる地口や口合をも含めた洒落の一角をなす。江戸では「無駄口」ともいった。

軽口は一説によると「俄狂言」が源流とされているが、定かでない。しかし軽口は、江戸を中心に市井の人たちに愛好され、方言色を加味しながら全国的に流布した。というのも、社交辞令としての効用が大きく、人間関係の潤滑剤として役立ったからである。

【例】

まいご節  まいごぶし

〽鐘や太鼓でちきちやんのとつちきちやんと尋ね逢はるゝ物ならば、どうぞ逢ひたやまいごの〳〵三太郎(たろ)さんに逢はせたや。

──小歌、文政四年頃流行、&『小歌志彙集』

かわいそ節 かわいそぶし

〽かわいけりゃこそ(からかさ)小骨(こぼね)の数ほど通ふた、なぜに届かぬわしの胸、かわいそ、かわいそ

〽早野勘平さんは、簔着て、笠()て、鉄砲かたげて、(しし)うちご商売、二十五が本厄、三十が寿命、女房お軽さんが、ああ、若後家さア、かわいそ、かわいそ

〽何々中尉さんは、軍服着て、シヤツポかぶつて、日本刀ひつさげ、戦争(みいくさ)なさる、牙山(ぐわざん)は大勝利、九連(きうれん)(じやう)がいイとま、女房何子さんがア、ああ、若後家さア、かわいそ、かわいそ

──流行節、明治二十九年流行、&『明治流行歌史』

音頭軽口  おんどかるくち

近江八景

瀬田(せだ)の唐橋西から東へ(かぞ)へてみたらば、百二十四間に間違ひない、その橋を一から十まで細かに申すならば、橋の根杙(ねぐひ)は杉の木で、抜板(ぬきいた)(ひのき)で、敷板くさまき、欄干(らんかん)けやきで、上へふわりとかぶせたが、唐から持つて来た唐かねぎぼしに間違ひない、遥か(むかふ)を眺むれば、姉川(あねがは)(いもと)(がは)、もそつと向を眺むれば、一巻(ひとまき)二巻(ふたまき)三巻(みまき)四巻(よまき)、よまきといふては姉まの幕でもつたいない、七巻半のむかで山、又(むかう)の高いは比叡山(ひえいざん)、ひえい山から見下(みおろ)せば、遥かにめいりこたの浜、堅田(かただ)落雁(らくがん)浮身堂(うきみだう)唐崎(からさき)の松で一つ松、三井寺(みいでら)で名高き釣鐘、そのつくりがねの(いは)く因縁尋ぬるに、もと大津の(みづうみ)にあつた時、誰がなげたと申したならば、弁慶の(ちから)(ざか)りに一夜のうちに、比叡山へえんやらやんと曳きあげて、生木の大枝にひきかけて、刀のこじりでごんと撞いたら、この鐘の鳴る音は、三井寺へ行きたいと鳴りましたら、そのとき弁慶のいちがい者が、怒って、谷をめがけて、蹴落せば、鐘が二つに割れました、さだめて女がねでござりましよ、さて向を眺むれば、(いし)山寺(やまでら)では秋の月、まゐりのないのはせいけんじ、矢走(やばせ)(わたし)一渡(ひとわた)し、三里の近道三十二文で、べらぼうに安い、さてまた向の(かた)へほそぼそ煙のめえるは、あれ草津(くさつ)、草津で名高いうばが茶屋の餅、嫁さが売手もうばが餅、ばばさが売り手もうばが餅、値段がいくらと尋ねたら、一つが三文、二つが六文、三つが九文、四つが三四の十二文、五つが三五の十五文、ただの一文もまけがなし、遥か向を眺むれば、(しろ)て四角なものはあれ何ぢや、しろうて四角なものならば、豆腐屋の看板か、ばばさんよもじの乾したのかといふたら、船頭(せんど)が腹を立て、お前は上方はじめてか、はじめてならば(まを)し聞かそが、本多(ほんだ)ほうきの(かみ)さまは、御知行高は六万石で、丸に立葵の御紋、水に影さす膳所(ぜぜ)の城。

──田舎唄、明治三十五年頃流行、&『明治流行歌史』

 

瓦版唄 かわらばんうた 

江戸時代から明治にかけ流行物の媒体となったものに瓦版がある。なかには時局批判の戯れ歌を詞書(ことばがき)にしたものも少なくない。それらを総称し〈瓦版唄〉といっている。

【例】

瓦版節

♪今度サエ あわれな(はなし)がござる 所申さば青山辺に ちよつと粗相で大火と成て (しか)も其日が大吹きあらし 焼ける火の下家数(やかず)も知れず あわれなるかや其夜の騒ぎ しかも諸人の逃げるを見れば 共に手を取袖引連れて……(後略) &『藤岡屋日記』弘化三年頃流行

三かつ替文句

♪此頃はよし(ひさ)さん、何処にすつこんでござるやら、今更かへらぬ事ながら、はしと会津がないならば、三(ばん)さんの加州にめんじ、米も安なる三升百と、国にて売買(うりかひ)ささんしたら、諸国の人の気持もなほり、此騒動もあるまいに、思へば思へこのあひづ、去年(きよねん)の秋のたたかひに、いつそうたれてしまふたら、かうした(いくさ)はあるまいものを、お気に入らぬといひながら、むざと長州がみたゆゑ、橋と板倉がかなはぬと、お側にゐたいと先場(せんぢやう)して、伏見の寄手(よせて)もお気の毒、今の思ひにくらぶれば、七年前のかうえきを、やめる心がつかなんだ、こらへてたべ長州さん、みな此やうに思ふてゐるに、恨みつらみか(つゆ)ほども、三藩長州およぶ御加勢(おかせい)、なほ心まさる憂き思ひ。

&『三かつかへ文句』、慶応四年流行

*元唄は心中事件を扱った唄。これが瓦版特有の時事歌謡に様変わりしている。おそらく借曲詞仕立なのであろう。

アフツイ節

♪アフツイ 三味線の七不思議 天神あれども梅はなし 竿はあれども物干さず 糸はあれども縫針出来ぬ 撥は有れども当りやせぬ 駒はあれども乗れもせぬ 堂はあれども宮はなし 川と川二タ瀬流れて船つかぬ ここに一つの不思議と云ふは 猫の皮でもちん()となる

♪アフツイ 風の夜に半鐘近く これさ女房やわらじを出しな はんてんに皮羽織 おまいも早く行しやんせ 四十八組 をい〳〵に 御掛り様の下知を受 (このあと「木遣り崩し」が続くが略) &『瓦板のはやり唄』写本、明治十五年頃流行

*出典は個人が書写した瓦板写本である。往時は屑屋(廃品回収業)のゴミの中からこうした貴重史料が少なからず見つかったという。「アフツイ」とは何を意味するのか正確にはわからないが、『日本近代歌謡史』の著者西沢爽によると大津画のことでは、といっている。

 都々逸の詞をあしらったかわら板唄 

 

記紀歌謡 ききかよう 

『古事記』ならびに『日本書紀』にはかなりの数の口承歌謡詞が収められており、なべて〈記紀歌謡〉あるいは〈上代歌謡〉(これには風土記歌や万葉所収歌をも含めることがある)と称している。

これらの歌詞は、天地自然の神々への祈念を中心に恋愛、農作、酒宴、ときには人世模様などを主題に五七調の韻を踏んでいるものが多い。個人の詠のほかに集団で唱和したりする。そのため詞の用語はかなり通俗的で、いかにも遊興歌らしいアクの強さを発揮した作が目立つ。

【例】

神語(かむがたり)

 (しか)くして、()(きさき)(須勢理毘売)大御神坏(おほみさかつき)を取り、立ち()り指し挙げて、歌ひて(いは)く、

八千(やち)(ほこ)の 神の(みこと)や ()大国主(おほくにぬし) ()こそは ()にいませば 打ち()る 島の崎々 掻き()る 磯の崎落ちず 若草の 妻持たせらめ 我はもよ ()にしあれば 汝を()て ()は無し 汝を除て (つま)は無し (あや)(かき)の ふはやが下に (むし)(ぶすま) (にこ)やが下に (たく)(ふすま) (さや)ぐが下に (あわ)(ゆき)の 若やる胸を (たく)(づの)の 白き(ただむき) そ(ただ)き 叩き(まな)がり ()玉手(たまで) 玉手差し()き (もも)長に ()をし()せ (とよ)御酒(みき) (たてまつ)らせし

如斯(かく)歌ひて、即ちうきゆひして、うながけりて、今に至るまで(しず)まり()す。此を神語(かむかたり)()ふ。&『古事記』上巻「大国主命」

(とよのあかり)の歌贈答

十三年の春二月の丁巳(ていし)(つきたち)にして甲子(かふし)武内宿禰(たけうちのすくね)(みことおほ)せて、太子(ひつぎのみこ) に従ひて(つぬ)鹿()()(ひの)大神(おほかみ)を拝みまつらしむ。()(いう)に、太子、角鹿よりかへり至りたまふ。是の日に、皇太后(おほきさき)、太子に大殿(おほとの)(とよのあかり)したまふ。皇太后、(みさかづき)を挙げて太子に寿(さかほかひ)したまひ、因りて(みうたよみ)して(のたまは)く、

 此の御酒(みき)は 吾が御酒ならず 神酒(くし)(かみ) 常世(とこよ)(いま)す いはたたす 少御神(すくなみかみ)の (とよ)寿()き 寿き(もと)ほし (かむ)寿() 寿き狂ほし (まつ)()し 御酒そ あさず()せ ささ 

とのたまふ。武内宿禰、太子の(みため)答歌(かへしうた)して(まをさ)く、

此の御酒を ()みけむ人は その(つづみ) 臼にたてて 歌ひつつ 

みけめかも 此の御酒の あやに うた楽し ささ

とまをす &『日本書紀』巻十四・雄略天皇

 

きわもの 

 その時代に発生した事件や流行に便乗し主題に扱った艶笑文芸や笑絵をいう。歌謡の世界では下種歌やバレ都々逸がその代表である。

〈きわもの〉の多くがどぎつくセンセーショナルな画文で大仰にあおっているのが特徴である。なお、キワモノの呼称の範囲は広く、バッタ商品などにも使われている。

 女体あんこう斬り〔摺物、月岡芳年画の錦絵、慶応二年〕 現実に起きた殺人事件を元に構成。殺人淫楽の男を登場させ、尋常でない血生臭さを描く。責絵でも最右翼の作品である。

 

近代流行歌 きんだいりゅうこうか 

明治・大正時代の流行歌詞には、歌わずとも歌詞だけ読んで楽しめるものが数多ある。たとえば近代演歌の父といわれる添田啞(そえだあ)蝉坊(ぜんぼう)(一八七二~一九四四)の持ち歌歌詞のごときは、時局を照魔させた表現が沸きたっている。

なお近代に氾濫した「○○節」の類は別立て〈流行節(はやりぶし)〉に収載。

【例】

都風流トコトンヤレぶし                                         作詞者未詳

一天(いつてん)万乗(ばんじやう)のみかどにてむかひする奴を トコトンヤレ トンヤレナ

ねらひはづさずどん〴〵うちだす薩長土 トコトンヤレ トンヤレナ

宮さま〳〵お馬の前のびら〴〵するのはなんじやいな トコトンヤレ トンヤレナ

*維新前後の流行。官軍の東征を詞にした行進曲でもあった。

ギッチョンチョン                                                                           作詞者未詳

♪高い山から谷底見れば ギッチョンチョン ギッチョンチョン/瓜や茄子(なすび)の花ざかり オヤマカドツコイ オヤマカドツコイ/ヨーイヤナ ギッチョンチョン ギッチョンチョン/あの()よい娘だぼた餅顔で ギッチョンチョン ギッチョンチョン/黄な粉つけたらなおよかろ オヤマカドツコイ オヤマカドツコイ/ヨーイヤナ ギッチョンチョン ギッチョンチョン

*明治二年に流行、幕末流行唄の復古版である。

しよんがいな                                                  作詞者未詳

♪梅は咲いたか 桜はまだかいな/柳なよなよ風次第 山吹や浮気で/色ばつかり しよんがいな

 姐は洋妾(ラシヤメン) 妹はなんじやいな/おやおやぜげんで金しだい 兄きやぐず/ぐず酒ばつかり しよんがいな(明治五年に流行) 

縁かいな「四季の緑」                                          作詞者未詳

♪春の夕べの手まくらに/しつぽりと降る軒の雨/濡れてほころぶ山ざくら/花が取り持つ縁かいな

 夏の涼みは両国で/出船入船屋形船/あがる流星ほしくだり/玉屋が取り持つ縁かいな

*類歌があまたあり、これは明治七年に流行。

悲歌                                                          作詞者未詳

♪花の盛りと見まがえし 陸海軍の戦捷(せんしよう)は はかなき夢と消え失せて 今如何せんこの現状 身に染み渡る秋風は ポーツマウスの談判場 もろくも破れしやれ障子 誰れ(つくろ)わんこの始末(明治三十八年に流行)

マガイヽソング                                                竹石夢村作詞

♪飛行機睨んで 地団太(じだんだ)踏んで 銃剣片手に 涙ポーロポロ ナンテマガイヽンデシヨ

 わたしや嫌だよ ハイカラさんはいやだ 頭の真ン中に栄螺(さざえ)の壺焼 ナンテマガイヽンデシヨウ 

*明治四十二年に流行。

カチューシャの唄                                                         島村抱月作詞

♪カチューシャ可愛いや 別れのつらさ/せめて淡雪 とけぬ間と/神に願いを ララ かけましょか(大正八年に流行)

緑の地平線                                                   佐藤惣之助作詞

♪なぜか忘れぬ人故に/涙かくして踊る夜は/ぬれし瞳にすすり泣く/リラの花さえなつかしや(昭和十年新盤)

コロッケの唄                                        益田太郎冠者作詞

♪ワイフ貰って 嬉しかったが/いつも出てくるお菜はコロッケ/今日もコロッケ 明日もコロッケ/これじゃ年がら年中コロッケ/ワハハハ ワハハハ こりゃおかし/ラララララ ララララ ランランラン

*発表年代未詳も昭和初期か。当時普及し始めたラジオ放送でも人気だったという。

 

くずし唄 くずしうた 

〈捩り唄〉とも。歌謡の正調の曲・詞を意図的にくずしておかしみを演出する技法を〈くずし〉という。

くずしは既存の歌詞に限らず、曲の一部を改変した場合の呼称でもある。また「くずし」の呼び名は、近代に入って〈替歌〉という用語にとって代わられるまで、その意味を伝える言葉として知られていた。今では民謡の一部にわずかながら使われている程度で、半死語になっている。くずしの作詞者はほとんどが匿名である。

【例】

トコトンヤレ節くずし

♪姉さん姉さん お前の頭に/グルグル巻いたは何じやいな/これは流行束髪 イギリス結びを知らないか/トコトンヤレ トンヤレナ〔明治五(1873)年頃に流行〕

        ↑

♪宮さん宮さん 御馬のまへに/ひらひらするのはなんじやいな/あれは朝敵征伐せよとの/錦の御旗じや しらないか/トコトンヤレ トンヤレナ

*〈くずし〉が替歌の意味に用いられた例である。

 

口説節 くどきぶし 

   説節〉は近世・近代における歌物語の一種で、三味線などの伴奏により、七七調で哀切に歌う俗謡である。

口説の発祥は仏家の声明(しようみよう)による曲調であるが、平曲はじめ謡曲や浄瑠璃などで盛んに用いられるようになった。やがてこれが、門付芸人らの口演を通し、大衆受けする節回しの口説節へと改変された。

当初は心中語りなど情緒豊かな曲趣であったが、時代が過ぎるにしたがい悲哀調は薄らぎ、扇情的な淫靡調へと変化していく。詞の内容そのものも猟奇事件を追うなど低俗化をたどっている。

口説節は形態上、次の二種に分けられる。

⑴踊り口説……踊り唄の曲節に口説の詞を採り入れたもの。遊芸者らがもっぱら屋外で演じ歌った。古い時代のものが目立つ。

(とな)え口説……別名を〈瞽女(ごぜ)唄〉というように、江戸時代に瞽女らが三味線に合わせ、心中や有名事件を材に歌った。

 伊藤晴雨画文

【例】

心中曽根崎の松尽し(踊り口説)

♪恋といふ字に身を捨買の、蜆川とや天満屋内の、遊女(よね)にお初と名も高松の、遊女有馬の松には花の、咲くや盛りの山衆なり、それに心を内本町の、平野屋のうち徳兵衛こそは、初に上りし身は峰の松、いつの頃より相生の松、二世も三世も五葉の松も、岸の姫松幾夜を重ね、替るまいとの起請取り交し、どうぞ此の里根引きの松に、出して二人が老松迄も、添はうものをと楽しみしに、内の親方内儀の姪に、その名小松といふ()(まつ)をば、我と(めあは)せ世帯をさしよと、おしやる言葉を背かれもせず、心わり松分別しても、馴染重ねて二葉の松の、末をかけたるお初が手前、立つも立たれず身はゐざり松、是ぞ思案の一つ松、お江戸三階松駿河へも、今はいつそに駈落(かけおち)ちせんと、思ひよるべのその磯の松、たとへそれから唐松までも、行こも死なうも知れぬ身なれば、せめてお初に書置せんと、思ひそめたる筆捨松の、末でま一度青松葉とは、知れぬ事なりや顔見て来んと、蜆川へとまた雪の松、右の入り訳あらまし語り、暇乞ひぢやと涙で言へば、初は聞より常盤の松の、色も替らで皆わし故に、かゝる憂目になり給ふかや、其方(そなた)さうした身となして、わしは(ながら)へゐる気でないと、言へば徳兵衛は真実(まこと)は俺も、重き主人の仰せを背き、何処(どこ)へ行たとて出世の松も、あるにあられず死ぬる気なれば、共に死なんと夕つきの松、内を抜け出て行く死出の途、松は(けぶり)よ梅田の墓所(はかしよ)、我も知死期を待つ曽根崎の、森の松ヶ枝上着をかけて、棕櫚の木陰に露岡の松、消えた二人は年や若松の、盛りなる身を不便な事と誰も涙のたまり水さ。&『尽し物八種』

 *大坂でゑびす屋某が歌い始め「ゑびす屋節」の名もつけられた。浪花特有のねちっこく悶々とした詞章が売りになっている。

「江州音頭」より(唱え口説)

♪国は京都の西陣町で 兄は二十一その名はモンテン 妹十九でその名はオキヨ 兄のモンテン妹に惚れて これさ兄様御病気はいかが 医者を呼ぼうか介抱しよか そこでモンテン申すには 医者もいらなきゃ介抱もいらぬ わしの病気は一夜でなおる 二つ枕に三つぶとん 一夜寝たなら病気がなおる 一夜頼むぞ妹のオキヨ 言われてオキヨは仰天いたし 何をいやんす これ兄様へ わたしとあなたは兄妹の仲 人に知られりゃ畜生と言われる 実はわたしにゃ男がござる 齢は十九で虚無僧なさる 虚無僧殺してくれたなら 一夜二夜でも三三夜でも 末は女房となりまする 兄のモンテン虚無僧を殺す 深い編笠のその下に あわれなるかな妹のオキヨ 兄のモンテン妹を殺す 思いこんだる妹のオキヨ 妹のオキヨにだまされた ここで死ねば兄妹心中 兄は京都の西陣町で あわれなるかよきょうだい心中 &新東宝映画『地獄』より

 

小唄 こうた 

〈小唄〉は邦楽の一種目名で、演奏時間が比較的短い爪弾き三味線曲をいう。

小唄は江戸時代、とくに文化・文政期(180430)に流行の〈端唄〉から派生した俗謡で、江戸末期に生じた「うた沢」の直系とされている。いつぽう、豊後三流(富本・常磐津・清元)の曲中に端唄が取り入れられるようになり、さらに清元が芝居の舞台詞章としてもてはやされるようになると、艶冶(えんや)な場面には端唄を挟み込むのが慣いとなった。 こうした背景から、端唄は行儀のよい小品曲の風をそなえ、明治になると小唄という小粋な邦楽に生まれ変わっていた。

明治も末期になると、花街客のあいだで小唄がブームになり、軽やかで粋な曲詞へと磨きがかかる。政府高官や成金者らがきそって小唄をうなり、自作品を得意げに披露するといったお座敷光景が珍しくなくなる。お座敷歌の伴奏であるから隣室に気を使い、糸(三味線)も自然爪弾きとなる。この頃作曲家では二世梅若、清元お葉らが、作詞者では平岡吟舟(18561934)らが寵児となった。さらに時代が下がると、小唄も小粋な詞というだけでは物足りなくなり、詞に洒落や穿ちといった遊びの技巧が取り入れられるようになった。

戦後の昭和二十七年の流行語の一つに「三ゴ時代」というのがあり、ゴルフ・碁と並んで小唄も三大道楽の一つに加えられている。またラジオ演芸家の柳家三亀松(みきまつ)が、都々逸や小唄を披露し大衆化させた功績も見逃せない。

 

小唄〔発祥縁辺歌〕 こうた/はっしょうえんぺんか 

小唄の曲詞は、世阿弥(ぜあみ)(1443)伝書などに「小歌節」と見えるように源流は中世にさかのぼる。

ただし詞や曲節が近世小唄に一歩近づき整ったのは、『閑吟集』(1518)や『宗安小唄集』(16世紀初頭成)の頃である。

【例】

室町小唄

*室町後期に発生し、近世小唄の基となった民衆音曲の一群を指す。一節(ひとよ)(ぎり)などの伴奏で歌い、さらりとした詞が特徴である。

♪君を待つ夜は海士(あま)(かがり)() (あか)(がた)やなう明し兼ねたよ今宵を

世中(よのなか)(あられ)よの 笹の葉の()の さらさらさつと降るよの

♪俺は小鼓(こつづみ)殿は調べよ 皮をへだてて()におりやある 音におりやある寝におりやある

隆達(りゆうたつ)小唄(隆達節、隆達とも)

*室町後期、泉州堺の日蓮宗僧で美声の持ち主、隆達が広めた小唄。彼は後に還俗し薬種商高三(たかそう)となり、諸芸能に通じる粋人として知られるようになった。

♪月夜の烏はほれて泣く 我も烏か そなたに惚れて泣く

♪帯をやりたれば しならしの帯とて非難を(おしや)る 帯がしならしならば そなたの肌も寝ならし

♪破れすげ笠 しの緒が切れていのオオエイ 更にきもせず エイサンサ ヤアサンサ 捨てもせず

*この歌詞の登場で隆達節は「すげ笠節」との異称をもらった。

(いつ)(ちよう)の自作隆達節

*江戸中期の画家(はなぶさ)(いつ)(ちよう)(16531724)は隆達節に心酔し、自作品(一蝶小唄)をも何点か生み出している。

待乳(まつち)しづむで梢乗込む今戸橋 土手の相傘身替りの夕時雨(しぐれ) 首尾をおもへばあはぬむかしの細布 どふおもふてけふはござんした さふ云事を聞にさ

♪宵の(つぼみ)のかならずあすは 咲かふ〳〵と結び髪 すいた男は露わすられぬ 心がとんでひと重咲 小さい胸のもとへぐひに ひねり小唄の口拍子 よしやたのまじ人目の垣根 まゝにならぬはくせもの

小六節(ころくぶし)

*慶長頃(15961615)小六という馬追いが広めた小唄。三味線や一節(ひとよ)(ぎり)合奏(あわせ)で歌われた。

♪ころくつひたか竹の杖ころく 元は尺八中は笛 末はじまんじろしゆのそれ まことにさて筆のぞくころく

(ろう)(さい)(ぶし)

 *元和頃(16151624)江戸の遊里で流行した古典的小唄で、弄斎なるうかれ坊主が広めた。三味線組歌であり、江戸中期の潮来節の源をなし、都々逸の根本歌である。

♪文はやりたし我が身は書かず 物を言へかし白紙が

♪よしや今宵は曇らば曇れ とても(なみだ)で見る月を 連れてござれやいづくへなりと たとへむぐらが宿なりと

投げ節

*江戸弄斎節から派生した姉妹歌。節尻を心もち「やん」と撥ね上げる特色から名付けられた。

♪君が代は 千代に八千代を重ねつつ 岩ほどなりて苔のむすまで

♪松の葉越しの 磯辺の月は 千年(ちとせ)ふるともかはるまい

柴垣節

*越後辺の米搗唄を原歌とし、明暦頃(一六五五~一六五八)盛んに歌われた。

♪柴かき〳〵しば垣ごしに 雪の振袖ちらと見たふり 雪の振袖ちらと見た

加賀節

*もともと加賀俚謡で室町小唄の系だが、寛文頃(166173)江戸吉原を中心に俗謡化して広まった。

♪よしや わざくれの身は朝顔の 日影待つ間の花の色 恨みられしも恨みし人も 共に消えゆく野辺の露

♪揚屋〳〵に琴の音冴え 二階〳〵に二弦かまびすし 加賀節の隣は伊勢踊 松阪こえて治る御世ぢやへ

さんから節

*加賀節から派生、しかも弄斎節の特色をも兼ねる。延宝(167381)期の一過性流行唄。

♪あらい風にもようやよやよ あてまいさまをやろか信濃の雪国へサアさ さんがら川ぢや サンザラ柳のよいやさしろねが〳〵 よい手は〳〵こまのひざぶしんからか〳〵 信濃へやろか やろか信濃の雪国へサアサ サンサンガラカ

土手節

*江戸吉原通いの誘客が途上の日本堤にさしかかったさい歌った遊里小唄。

♪かかる山谷の草深けれど 君がすみかと思へば吉屋(よしや) 玉の(うてな)も愚かでござる 余所(はた)の見る目もいとはぬわれじや お笑ひやるな名の立つに 

名古屋節

*尾張で愛唱された小唄で、詞は短く卑俗なものが多い。江戸ではこれを「三下りどゞ一」と称した。

♪みやを立いで笠寺こゑて 鳴海縄手で袖しぼる

「松の葉」小唄

*『松の葉』は室町末期から江戸初期に流行した三味線歌謡の詞集で、俚謡や遊里唄なども収めてある。詞は音曲に合わせて作られたものが大半で、小唄仕立の作も少なくない。

♪深山おろしの小笹(をざさ)の (あられ)のさらりさら〳〵としたる心こそよけれ (けは)しき山の九折(つづらおり)のかなたへまはり 此方(こなた)へまはり くるりくるとしたる心は面白や

♪とても立つ名に寝てござれ ねずみとも明日は寝たとさんだんしよ 花の踊をのう 花の踊を一踊

♪この程は恋ひとつ恋ひられつ 今宵は(しのび)の初でござり申よの さあいよいよへ 打解けて ゆら〳〵とお()れのうさ まだ夜は夜中よ しげれとんと君ざま さあいよへ〳〵

 

小唄〔江戸小唄〕 えどこうた 

〈江戸小唄〉は江戸時代に江戸で流行った小唄の総称。近代以降、「小唄」は江戸小唄の代名詞として用いられるようになった。

【例】

江戸小唄雑載

♪春風がそよそよと 福は内へとこの宿の 鬼は外へと 梅が香そゆる 雨か雪か 今日も明日の晩も居つづけしよ しようが酒

 粋な江戸小唄で一世を風靡した市丸姐さん

♪本町二丁目のナア 本朝二丁目の糸屋の娘 姉は二十一妹は二十 妹ほしさになアヨイ 伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕さまへは コラ月参り

♪源氏車は後へはいかぬ 意地と我慢の江戸気質(かたぎ) わかつてそして お前は程よい

♪神田のなア 鳶の若衆が勇みに勇んで 鳶口揃えて ヤレ壊せソレ壊せ 向う奴はぶん(なぐ)れ 逃げる奴は構ふなよ いやサ 伊達男だのヤレコラサ 達引ぢやのと 云ふちや妾を困らせる

♪大江戸の空に紅蓮(ぐれん)の狂い咲き 辻の太鼓に追はれつつ ようようここに吉祥寺 吉三さま あれあれあれ あの(のろい)()を身一つに とがは覚悟の火喰鳥 (たふ)(かつ)地獄にやかれても 焼き尽されぬ一念や お七緋鹿の子仇染の 燃えて色ます 恋の花びら 

♪蓮の葉にたまりし水は 釈迦の涙かありがたや ところへ蛙ひよことでて それはわたしの尿(しい)(そろ)

♪露は尾花と寝たといふ 尾花は露と寝ぬといふ あれねたといふ ねぬといふ お花は穂に出てあらはれた

♪主と二人で裏店借りて 世帯を持たば鍋釜へつつい 銅壺薬缶まで買い揃え それで足らずば 擂鉢(すりばち)擂粉木(すりこぎ)(せつ)(かい)味噌(こし)俎板庖丁灰ならし そしていつきなますえ

♪いつも吉原五丁町 花魁(おいらん)道中 地廻りそそりの潮来(いたこ)ぶし 店清掻(たなすががき)を弾くので 禿(かむろ)が格子の内から もしへと呼ぶわいな 

♪今日は両国で仕掛の花火が 船の中から オツヒユラヒユツと上つたとさ 芸者褄もつて踊もつて()んだとさ アア見物ア橋の上で玉屋とさ よいやさ

 

小唄〔近代小唄〕 こうた/きんだいこうた 

明治・大正に主として東京で歌われた小唄の集。

小唄の世界は粋の伝統を重んじるため、さすが文明開化の波も入り込む隙がなかったようだ。

【例】

近代小唄雑載

♪今年や何だか面白い しかも二日の初夢に 宝入船客七人 手を打ちや音がする こいつアまた妙だ妙だ妙だんす 上には鶴が舞い遊ぶ 下には亀が波の上 こがねの花が咲いたかえ 咲きやした ええ美事じやえ

♪オンヤリヨー 山王のお祭に (さる)(とり)とが先達で 山車(だし)や屋台の大陽気 笛に与助の打ち込みは ちえんちえ ちきちつき すとどん ちえんちえちきちつき すとどんどん

♪いつしかに 縁は深川なれそめて せけば逢いたし逢えば又 浮名立つかややるせなや それが苦界じやないかいな とかく浮世は色と酒 浮名立つともままのかわ 浮いた世界じやないかいな

♪初出見よとて出をかけて まず頭取の伊達姿 よい纏持 意気なポンプ組 ええ ずんと立てたるはしご乗り はらがめじや吹流し さかさ大の字 ぶらぶら谷のぞき(田村成義作詞)

♪とめてもかえる なだめても かえるかえるの()ひよこひよこ とんだ不首尾の裏田圃 ふられたついでに ええ夜の雨(尾崎紅葉作詞)

♪主を帰したその後は 枕二つに身一つ 君はいま駒形あたり時鳥(ほととぎす) 血を吐くよりもなお辛い(品川弥二郎作詞)

♪歳の一度の市みやげ 笹の葉にお(かめ)か 破魔弓(はまゆみ)羽子板 海老に(だいだい)ほん俵 (さわら)()(ばち)本枡(ほんます)か ええ御酒の口 それぴつかりぴつかり 光る縁起の物 買わしやんせ

♪春霞 たつや名に負う江戸桜 伊達な姿の鉢巻を すぎし頃より待ちわびし そのかいありておちこちの 噂もよしや吉原で 思い染めたる仲の町 箱提灯も色めきて 主に笑顔をみます嬉しさ(平岡吟舟作詞)

♪五月雨や 空に一声ほととぎす 晴れて漕ぎ出す木母寺の 関屋離れて綾瀬口 牛田の森を横に見て 越ゆる間もなく堀切の 咲くや五尺のあやめ草

小唄くずし「四季の歌」                                          不知山人詞

♪春はうれしや 二人揃うて花見の酒/庭の桜に(おぼろ)月 それを邪魔する雨風が/ちよいと散してまた咲かす(明治二十八年楽譜)

 

滑稽替え こっけいがえ 

替歌で、元唄と替歌との落差が大きく滑稽化したものを、ここでは〈滑稽替え〉と称する。概して替歌はコミカルに作り変えられる性質を持っているが、その変身振りが大きいほど笑いを誘発するわけである。

替歌のほとんどは世間体をはばかり匿名作品である。

滑稽な唄と踊りを演じる民謡「おてもやん」

【例】

新因州いなば 

♪城州伏見のたたかひは、正月三日の夕暮に、義士と朝敵出会ひして、先なる謀叛(むほん)はあらはれて、なかなか(かな)はぬ天の網、(つい)にはその身も滅びます

♪先なる御勢(おんぜ)は薩長土、筒先揃へてうちいだす、臆病(おくびやう)武士はうろたへ騒いで、ぢりりやヂりりやと逃げ(いだ)

♪中にも朝敵の言ふことにや、まことのお方にやかなはじと、皆々引連(ひきつ)れ尻に帆かけ、跡をも見ずして落ちて行く

♪あとなる御勢は神々(かみがみ)さま、錦の御旗を押したてて、かちどきくらふて勢揃ひ、めでたくおさまる御世(みよ)泰平(たいへい)、めでたやめでたや

*一連の詞は大坂落ちした徳川慶喜が、急遽軍船を仕立て東帰した体たらくをあざ笑ったもの。

&『粋の懐』初篇(文久二年)

因州因幡節

城州(ぢやうしう)都の東寺さんの。しかも羅生門のまんなかで。鬼めが三疋出逢して。先なる鬼めが青鬼で、中なる鬼めが赤鬼で。後なる鬼めがまんだらで。先なる鬼めが言ふ事にや。始めて節分に出た時にや。とらがどんの(はやし)にそやされて。目つこ鼻つこが(いたう)ござる。中なる鬼めが言ふことにや。始めて(かみなり)に落ちた時にや。腰のほねひどく折つて難波(なんば)行き。此頃ちく〳〵ようござる。後なる鬼めが言ふことにや。始めて地獄へ行た時にや。ふうづ河原のおばゝどんに。虎のかわ忘れてしかられた。&『日本俗曲集』(江戸中期)

あだなゑがほ替え

(あじ)な事から つい惚れ過ぎて 底の神(さま)(さん) 叶わぬ恋も仮名書の (ふみ)言伝(ことづて)に任せる便り 逢われぬ辛さに 又呑む酒は (あたた)めもせであおりつけ その儘其処(そこ)へ焦れ伏して ふと眼が覚めりゃ 「火の用心さツしゃりましょう」&『端唄大全』

*承前、替歌。この歌詞のように、それまで平板に流れていた叙述を、最後で急転直下させる文彩技法を「頓降法」といっている。

こちやえ節替え

♪お前はやかの地蔵さん 塩風にそれそれえ お前が真黒ろけ こちやお顔が真つ黒け それそれえ かまやせぬ

 

言葉遊び唄 ことばあそびうた 

〈言語遊戯歌〉とも。歌謡文学あるいは歌謡文芸に含まれる幅広い詞章を対象に、さらに言語遊戯性が色濃く表れているものを〈言葉遊び唄〉として総括した。これのほとんどが音曲詞で、その範囲も民謡、俗謡、流行歌から(わらべ)(うた)など、多岐にわたっている。

 歌謡詞には古くから言葉遊びが積極的に取り入れられ、ことに庶民受けする遊戯詞がもてはやされてきた。口承の上代神楽歌はその象徴的なもので、たとえば、

総角(あげまき)早稲田(わさだ)に遣りて や そを()ふと そを思ふと そを思ふと そを思ふと そを思ふと ──上代神楽歌「総角(あげまき)(もと)

のように、さながら溝の磨り減った古レコード盤よろしく、冗語に次ぐ冗語でおかしみを強調している

古代、家々の門口に立ち音曲を奏し芸能を演て金品を貰い歩いた乞食人(ほかひひと)花巻空港壁画〕

【例】

大つゑぶし〔雑載〕

♪おさかづき。いたゞきまう。ありがたくちようだい。ちよつとおあい。おつゞけおかさね。ちります〳〵る。ありますさいづちおさへませう。今入三ばゐおつぎめお仕合(しあはせ)。御手もと拝見これは御見事。どうじや(はい)(いち)やりんかちよんべけづりんか。むかずにぐつと引なされ。モフ〳〵いけん。すき腹こたへるした地があるのんじや。いちやこちやいはずとすなをにわつさり(しろ)猪口(ちよく)まわしてこれでおとり。&『粋の懐』初篇(文久二年)

うたた寝の

♪うたゝ寝の。ゆめにさへ。主と転寝(まろね)の床のうち。一人寝の。おもひ寝も。寝耳にそれと起されて。くやし昼寝の寝おきにも。寝みだれがみとむすぼれる。おもひは寝た間もわすられず。二人寝た夜はむつ言に。朝寝して。寝ごとまぜりの寝がへりに。寝ものがたりもくやしやざこ寝とねとぼける。&『粋の懐』四篇(文久二年)

*「寝」にかかわる接辞詞をあれこれと集めた〈事寄せ唄〉。大津絵唄には、各種の言葉遊び技法が手を変え品を変えして載せてある。

紅葉尽し 

♪一本目には色紅葉、二本目には庭紅葉、三本目には桜紅葉、四本目には四紅葉、五本目には恋紅葉、六つ昔は竜田(たつた)川、御室(みむろ)の紅葉花紅葉、七本目には(した)紅葉、八つめには八もみじ、九つ小春の染紅葉、十で遠山薄紅葉、此紅葉やしほの色にて、登りも小倉の山紅葉、手折(たを)れば袖に散り紅葉、またいついつと気をもみぢ、ひもみぢきもみぢ(ながれ)の紅葉に契りをこめて高尾紅葉めでたいな&『明治流行歌史』、明治二年頃流行

*「紅葉尽し」である上さらに「数え歌」形式を踏んでいる。

まちがへば節

♪まちがへばまちがふものだよ、雨も降らぬに足駄さして、傘はいて、今こゝへ坊さんをかついだ風呂敷包が来なかったか

♪まちがへばまちがふものだよ、石は流れて木の葉は沈む、今朝も畑に狐が三人小児にだまされた

♪まちがへばまちがふものだよ、あの人のお(とつ)さんのあたまを()くわんかと思つて、今朝も古金買ひが三百三十三文目(もんめ)に値を入れた

&『明治年間流行唄』、明治二十・二十一年頃流行

 

事寄せ唄 ことよせうた 

同類の物事・事象を寄せ集めて構成した歌謡詞の総称である。

〈事寄せ唄〉と〈尽し唄〉とは姉妹関係にある。

【例】

夏ころも                                               荒木某詞

♪したひ来て、したひよるべのほたるさへ、いもせかはらであふ夜半を、かさねあふぎの風かをる、にほひをつたふ葛かづらながき、ちぎりや九十九(つくも)(がみ)「つひ手枕のうつゝにも、わすれぬ人を今さらにさらぬ、わかれのしやらどけを、やがてむすはん岩田おび。&『新大成糸のしらべ』(享和元年)

*夏の景物に事寄せて恋慕の情をうたっている。

当時流行大津恵ぶし

♪とうじりうかうの じやうるりは あまたしよりうのなかに いきなきよもと しよさは長うたはでやかに だんものは義太夫にきしざわ しんない ときわずしんみりと しぶいのは一ツちうそのはち かとうぶし うかれどどいつ 大つえ ぢんく きやりくづし。&『明治流行歌史』、明治二十八年

 

さのさ節 さのさぶし 

 単に〈さのさ〉とも。〈さのさ節〉は、〈法界節〉消滅のあとを継ぎ明治三二年頃から昭和初期まで、長期にわたり愛唱された流行歌である。月琴を伴奏に使う明・清楽系の歌謡で、一節の終りに軽く「サノサ」という囃子が入る小粋さが受けた。

〈さのさ節〉は月琴を抱え流して歩いた貧乏学生がうたいはじめたという。法界節に比べより和風の哀調を帯びた曲詞。市井の人情を反映させた内容のものが多く、流行ぶりも一〇年ほどは他の追随を許さず第一位の座を占め続けた。

月琴を弾く音曲師

【例】

さのさ節

♪花づくし、山茶花桜か水仙か、寒に咲くのは梅の花、牡丹芍薬ネー百合の花、おもとの事なら南天菊の花、サノサ。

♪主さんに、とても添はれぬ縁ならば、思ひ切りましよ忘れましよ、とは言ふものゝネー心では、添ひ遂げたいのが身の願ひ、サノサ。

♪今しばし、文もよこすな便りもするな、(わし)の勉強の邪魔になる、軈て卒業のネー暁は、天下はれての妻ぢやもの、サノサ。

♪あなたそりや無理よ、二三日なら辛抱もしようが、一年二年の其の間、便りもせずにネー居られませうか、まして男心と秋の空、サノサ。

♪一年や、二年三年待つたとて、添遂げられすりや何のその、あゝら曾我の兄弟十八年目で、本望遂げたぢやないかいな、サノサ

♪人は武士、気概は高山彦九郎、京の三条の橋の上、遥に皇居をネー伏拝み、落つる涙は加茂の水、サノサ。

♪山吹の、花を一枝折りたさや、折らせませんぢやなけれども、いまだ莟のネー恥かしさ、咲いたら折らんせ幾枝も、サノサ。

&『明治年間流行唄』、明治三十年頃第一次流行

*明治四十年前後に再流行もここでは省略。次の再々流行へ。

さのさ節〔再々〕                                                 糸照散士詞

♪今朝も又、チヨイト脱ぎし……羽織のほころびを……縫ふて置けとは胴欲な……嫌なわたしに縫はそより……アリヤ好いたお方縫はさんせ……さのさ。

♪おぼこ気の……思ひ染めては……中々に……イトサツサ……思案に……暮れてる胸の内、自烈(じれ)て襦袢を喰ひさいて……まゝにならぬとネ……恨みごと……さのさ。

♪ひやかしが……チヨイト流す唄さへ凍るなり……青木も枯れる霜枯に……(じつ)()が店で泣き顔隠す厚化粧……アリヤ泣き顔隠す厚化粧……さのさ。

♪小夜更けて……チヨイト枕よふ聞け莨ぼん……独り寝るなら内で寝る、三日月さんときやあるまいし……アリヤ宵にチラリと見た計り……さのさ。

♪朝おきて、手水遣ふて鬢かきあげて……イトサツサ……東方に向ひ手を合はせ、主に災難なけりやよい……倶にわたしも無事なよに……さのさ。

♪唄ひ女の……細き家業を笑ふてか……客に情けも売らぬ身の……イトサツサ……酒に紛らすつとめの身……自烈すお人は恋しらず……さのさ。

&『さのさ節』、大正九年頃第三次流行

 

戯れ唄 ざれうた 

滑稽な内容の唄。和歌・狂歌にもザレウタがあり「戯れ歌」と書くので、それと区別するため歌謡の場合はの字を用いたい。

【例】

そらいびき                                                    二斗庵下物詞

♪はださむみ、そぼふるあきの月かげに、たかにうだうやこぼうずに、ばけられもせず、あゝしんき「はなにあらしやたぬきに月よ、さわりある身はまゝならぬ「出るにでられぬまけをしみ、あかしかねたる夜もちり〴〵に、やなぎばかりとなりにけり。&『新大成糸のしらべ』(享和元年)

 *片思いの恋心を狸に仮託し照れ隠しに茶化した内容に。さて、狸が出た後は狐の登場だろう。

浮世はやりいそべとのぶし

♪きつねくわい〳〵、こん〳〵殺して、人をまわすたはこぐきふうを(よく)して、ぬめてころんで、せういかてはこをめしませうか、いや〳〵、やかよかろか、見よか見まいか、(すけ)()が芝居見とふて、いつとうてそつ〳〵〳〵するならば、いりやの一ふくしてから入りませう、つるてん〳〵〳〵拍子のりたる太夫(たいふ)がふりまさつめでたいさわりじや。

&『淋敷座之慰』(延宝四年)

おつくたいとうと節

♪男日傘で女の羽織、止めばお米が安くなる、ヂヤガガノヂヤンノオツクタイトウト、(とんび)合羽(かつぱ)筒袖(つつぽ)の着物、止めば此世が円く成る

&『明治年間流行唄』、明治元年頃流行

*維新と文明開化に伴う世情の急変、それに対する庶民の違和感は、こうした戯れ唄で癒されることが少なくなかった。

 

騒ぎ唄 さわぎうた 

元禄年中遊里を中心に、酒席で三味線や名のものに載せて歌う〈騒ぎ唄〉が爆発的に流行した。いらい今日まで、お座敷のどんちゃん騒ぎで口ずさむ戯れ歌をも含め、数知れぬほどこの種の歌が歌われてきた。酒宴の雰囲気からいっても当然、お色気満艦飾の詞がもてて、高吟三昧の無礼講を普及させている。

酒席を賑わす歌謡の大半は俗謡か民謡だ。雰囲気にピッタリの音曲であるし、詞のほうもいささか与太り気味で、高吟放歌向き。飲むほどに歌うほどに、座は渾然と同化し、対人関係の垣根が取り払われていく。

近代まで、お座敷唄と云うと、小唄・都都逸あるいは破礼(バレ)唄に人気が集中していた。ときには芸妓の三味線爪弾きに乗ったり乗せられたりで、一見渋いノドを披露する旦那芸がはやった。今なら、スナックバーで一杯やりながら、マイク片手にカラオケといったところだろう。

スクラム組んで吟放歌(ストーム)する旧制一高生

【例】

鼠のさわぎ

♪嬉し〳〵、側いこ〳〵、しんぞ〳〵〳〵、けんぼ〳〵〳〵、さすは盃君様へ、恋け恋慕きやしやふる花、よい〳〵、側にそつと、寝よか〳〵、替らぬ思はゞいざまゐろかの、うきにうきたつ、ひよんきり瓢箪、恋風がぱつとふいて来て、あなたへはからころり、こなたへはからころり、からころ〳〵からころり、つときそいのうかれ姿のおもしろや。年の始に春駒を祝ふた。お厄落しに厄払、節分豆蒔年男、やんさこんさ、てんかおてんか、屏風の桟敷大分込んだと南無奇妙長久、治めて置て頼朝のお前でひよつと望出いた、法楽々々の舞じや程に、いざ舞ふよ。拍子を揃へて、獅子乱曲を舞うよ。おどるまいと思へどきよひよん、おどるまいと思へどきよひよん、伊達な姿を三河の沢のお沢の騒ぎに、三界をはしり〳〵〳〵〳〵の八橋に、八つ拍子を揃へて、きよひよん、もすそ小づま揃へて、まつぴら〳〵〳〵ひらり〳〵ひらりしやらりと、うきようかれめ。&『後は昔物語』(手柄岡持、享和三年)

開帳拳 

♪さてもこんどのお開帳、利益(りえき)も深川成田さん、づどんと鉄砲で大当たり、しぶいお顔も、にこにこと、仁王(にわう)さん、こつちもお賽銭、しこたま沢山、芝山の、花の佐くらの宗吾どん、名主がお役でお世話やき、三体揃ってまふけこみ、めでたく、いはふて、おさかもり、ここらで(しめ)ましよ、チヨチヨンがヨイヤサ。

♪ところ賑はう浅草で、大黒さんのお開帳、ちよつと参詣いたしやしやう、これから波之利(はしり)だし、ほどなく来かかる両国で、まるくおさまる大師さま、(むかう)をはるかに見わたせば、成田のさんけいぐんじゆなし、利益(りやく)は深川、こいつあまたありがてい、チヨチヨンがヨイヤサ。

&『明治流行歌史』、明治八・九年頃流行

*この曲詞は拳唄というよりは騒ぎ唄であろう。

 

山家鳥虫歌 さんかちょうちゅうか 

 和訓でヤマガノトリムシウタともいう。

〈山家鳥虫歌〉は後水尾院の後援のもと、諸国の盆踊古謡を収録したものである。

興味津々の詞が目立ち、後世借辞詞の原歌となっているものが少なくない。昔の天皇にはさばけた粋人もましましたようだ。

有名三ふし

♪わしは小池の鯉鮒なれど、なまづ男は(いや)でそろ。(山城国風)

♪恋に焦がれて鳴く(せみ)よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす。(山城国風)

♪山な白雪朝日に溶ける、溶けて流れて 三嶋(みしま)へ落ちて、三嶋女郎衆の化粧水(けせうみづ)。(安房)

鄙の四ふし

♪博打唄しやる大酒飲みやる、わしが布機無駄にして。(伯耆)

♪様の(いとま)の吸ひつけ烟草、恋が増すやら火がつかぬ。(大和)

♪おまん股ぐらに釣鐘堂が出来て、けふも暮れぬかと六つの鐘サイヨナア。(肥前)

早乙女(さをとめ)の股ぐらを 鳩がにらんだとな にらんだも道理かや 股に豆を 挟んだとなよな(伯耆)

&『山家鳥虫歌』

 

賛酒唄 さんしゅうた 

〈上戸唄〉とも。飲酒または酒そのものをたたえた唄。

【例】

曲水

♪さかづきを、かずかく水に、ながしては、思ひ〳〵の、うたのさま、心のうちは、いはぬ恋、ゆかしき人は、山吹の、かきのおくなる、あげじとみ、花のかんばせ、すきびたひ、ねむれるすがた、かいだうの、ゆめかうつゝか、わすられぬ、こきむらさきの、ふぢのはな、さむるといふは、色ならで、さけの手枕、よひながら、おぼろ月夜の、かげうすく、ほしもみつよつ、ひかるきみ、すまにみの日の、はらひして、心もころも、はるゝ春雨。&『吾嬬筝譜考証』

曲水の宴〔京都観光ナビより〕

                                                   島田両三詞

♪酒は(はかり)なしと(のたま)ひし、聖人は上戸にましましけん、三十六の(しつ)ありと諌め給ひし、仏は下戸におはすらん、何はともあれ八雲立つ、出雲の神は八塩折(やしお)りの、酒に大蛇(をろち)を平げ給ふ、これみな酒の徳なれや「おゝいし酒つる、(かしこ)みも(みかど)の酔ひのすゝみなり、姫の(みこと)のまち酒を、さゝよささとの言の葉に、伝へ〳〵て今は世の人も、きこし()せ笹、きこし召せ笹「劉伯倫(りうはくりん)()太白(たいはく)、酒を飲まねば只の人、よい〳〵よいのよいやさ&『上方演芸辞典』

*本調子手事物で、「笹の露」すなわち酒の異名を表す副題を持つ。

つやまた節

♪仲人すりやこそ酒買つて飲ませれ、あかの他人にたが酒買つて飲ましよ、よこほがつや〳〵。&『小唄の衢』、天保二年頃流行

 

時花 じか 

江戸時代の主に関西において陽気な流行唄の通称を〈時花〉といった。トキハナとも読む。

【例】

後朝(きぬぎぬ)                                                             杉山勘左衛門詞 

♪後朝に 明けの睦言(むつごと)いまさらに 憂きは別れの袖の海 馴染まぬ昔ましぢやもの

 幾夜交はせし情の末は 恨み焦がるる身は恋衣 せめて一夜は来て見よかしな   たとへ逢はずと文さへ見れば 文は妹背の 文は妹背の橋ぢやもの &『大ぬ 

  さ』

 *在郷太郎左衛門の野崎参り唄(端唄)

三国一の富士山 

♪三国一の サツサ富士山 玉さハきの八千代までもと契りしに &『守貞漫稿』巻二十三

 

東雲節 しののめぶし 

別名を〈ストライキ節〉とも。

明治も三十年代に入ると、日清戦争で勝利は得たものの膨大な戦費が国民生活を圧迫、労働者の多くは生活苦にあえいでいた。各地の工場では「同盟罷工」つまりストライキが続発し、重大な社会問題になった。こんな世情から生まれたのが〈東雲節〉である。

それにしてもこの歌の詞は、どこか投げやりでスキャンダラスな感じがする。娼妓のストライキという前代未聞の事件また奇なりで、歌は全国的に愛唱され、小学生まで口ずさんだという。

 東雲節の音盤〔ビクターレコード〕

 東雲節の起源は二説ある。一つ、名古屋某楼の源氏名を東雲と称した女郎に、教会の外人宣教師がバックアップして廃娼運動を展開、裁判で勝訴した、という説。二つ、熊本は二本木遊廓にある東雲楼で、娼妓らが待遇改善を要求、実際にストを起こした、とする説。いずれにせよ、いったん廃娼し故郷に帰っても、手に職のない娼婦たちはたちまち生活に行き詰まり、またぞろ売笑の身に戻ってしまうケースが多かったという。

【例】

東雲節 

♪何をくよ〳〵川端柳、コガルヽナントシヨ、水の流れを見てクラス、東雲のストライキ、さりとはつらいねつてなことおつしやいましたね。

♪蒸気は出てゆく煙は残る、コガルヽ何トシヨ、残る煙が癪の種、東雲のストライキ、さりとはつらいねつてなことおつしやいましたね。

♪色にそまるももとはと云へば、コガルヽ何トシヨ、浅い心の絵具皿、東雲のストライキ、さりとはつらいねつてなことおつしやいましたね。

♪口で云はれぬ人目もあれば、ワカレハ何トシヨ、あごで知らせて目で返事、東雲の明鴉、さりとはつらいねつてなことおつしやいましたね。

♪鐘が辛いか帰るが厭か、コガルヽ何トシヨ、帰る〳〵の声がいや、東雲のストライキ、さりとは辛いねつてなことおつしやいましたね。(以下、やや年代下がり)

♪主にや苦労を舌切雀、コガルヽ何トシヨ、糊をなめても添ふつもり、東雲のストライキ、さりとはつらいねつてなことおつしやいましたね。

♪羽織着せかけ袂を控へ、別れが何トシヨ、憎や夜明の鐘がなる、東雲の明鴉、さりとは辛いねつてなことおつしやいましたね。

♪未練のこして見送る主を、コガルヽ何トシヨ、憎や隠した曲り角、東雲のストライキ、さりとは辛いねつてなこと仰有いましたね

♪お前一人と定めておいて、コガルヽ何トシヨ、浮気や其の日の出来心、東雲のストライキ、さりとは辛いねつてなことおつしやいましたね。

&『明治年間流行唄』、明治三十三・四年頃流

よかたん節 (模倣唄)

♪何をくよ〳〵川端柳、よかたん、水の流れを見てくらす、ありやよかたん、いはでも知つちよる。

♪時世時節とあきらめしやんせ、よかたん、牡丹もこも着て冬ごもり、ありやよかたん、云はでも知つちよる

 

社会戯評歌 しゃかいぎひょうか 

世の中の矛盾や不条理を社会戯評的にとらえ批判した歌謡。

形こそちがえ、いつの世にも不満をぶつける対象として旺盛に作られている。書生節や演歌はこれの宝庫といえよう。

【例】

あきらめ節                                            添田唖蝉坊詞

♪地主金持ちはわがままで、役人なんぞは威張るもの、こんな浮世へ生れて来たが、我身の不運とあきらめる。

♪お前この世へ何しに来たか、税や利息を払ふため、こんな浮世へ生まれて来たが、我身の不運とあきらめる。

♪苦しからうが又つらかろが、義務をはたさにやならぬもの、権利なんぞを欲しがることは、出来ぬものだとあきらめる。

&『明治流行歌史』明治三十八発表

*来る大正期における厭世思想を予見するような、なんとも捨て鉢な詞である。

近代社会戯評歌の弾き語りで満都を沸かせた添田唖蝉坊

すつぱぬき                                           大阪青年倶楽部詞

♪分つたりしてすましても、矢張分らぬ事斗り、人はどうして生れ来て、どうして死ぬのが分るまい

♪鳥と玉子をならべたら、どつちが先だか分るまい、玉子の中から鳥は出た、玉子は鳥から生れ出た

♪其鳥や卵の中からで、玉子は鶏の生んだ物、その鳥や玉子で其玉子、鳥から出たのじやないかいな

♪博士の頭を並べても学者の脳味噌絞つても、どつちが先だか分るまい、それでも学者で通るかい

♪嗚呼驚いた〳〵、ガマ口拾ふて喜んで、駆け出す後からかけ出して、おいこら一寸待て一寸見せろ

♪其又後から駆出して、こら〳〵一寸待て一寸よこせ、又々後から駆出して、そいつは俺のだこつちよこせ

♪たつた一つのがま口に、そんなにぞろ〴〵尾て来て、俺だ〳〵と奪ひ合い、といつた本当が分るまい

&『社会百面 素破抜(すつぱぬき)』、大正三年流行

新にこにこ節

♪主の遊びはお附合、ネーあなた、悋気せまいと堪えても、どつこい、角が出る、愚痴が出る

♪お前とならば何処までも、ネーあなた、西比利亜越えて、どつこい、仏蘭西へ、二人連れ

♪雪も厭はず赤穂義士、ネーあなた、大石良雄がさし図して、どつこい、勇ましやアラ勇ましや

♪国の為めなら往かしやんせ、ネーあなた、妾しや泣きはせぬ、止めはせぬ、どつこい、祈ります、お手柄を

♪米が高くも我慢する、ネーあなた、我慢できない(わし)が帯、どつこい、四月(よつき)だよ、流れ月

♪主をまち〳〵蚊屋の外、一寸とお聞き、十時の時計の鳴るまでも、どつこい、蚊に喰はれ蚊に刺され

♪別れ惜しさに階子段、一寸と下りて、コヽは角海老鶴尾さん、どつこい、彼の顔で舌を出す

♪一度は気休め二度は嘘、ネーあなた、三度のよもやに欺されて、どつこい、此苦労、阿呆らしや

(たぶさ)取る手に縋りつき、ネーあなた、打たずに理由(わけ)をば言はしやんせ、どつこい、思ひ出す客の時

♪物価騰貴と云ひながら、驚いた、七分三分の外米に、どつこい、腹が減る、腹が立つ

&『最新流行 新ニコ〳〵節』、大正七年頃流

 

借曲詞 しゃくきょくし 

〈替え歌〉のなかには元詞から大きくかけ離れ、捩りとはいえなくなってしまった作をときどき見かける。このように、原曲だけ借りて歌詞が独走しているものを、替え歌とは別に〈借曲詞〉と名付けておく。

当然パロディとはいいえないし、言葉遊びとしての存在価値も希薄である。

【例】

思ひ草                                                       添田啞蝉坊作詞

♪涙かくして表面(うわべ)で笑ひ/心にもない ざれ唄小唄/ういたういたの三味線太鼓/なんの因果で 廓のつとめ/故郷(くに)にや恋しい父母(ふたおや)さまや/可愛い妹や弟もあるに/恋といふ字は村にもあるに/飛ぶにとばれぬ わしや籠の鳥

*作詞者は次の「菊」の曲で歌うようにと指定。

                         ↑

唱歌「菊」                                             旗野十一郎(たりひこ)作詞

♪七草千草の多かるなかに/ひときは目立ちてにほふ菊よ/紅葉ちりすぎ霜さへおくに/園生の垣根をまもるは菊よ/菊よります花なしとやいはむ/かしこきみかどのみはたのしるし

●すたれもの              

♪わたしは此の世のすたれもの/君ゆゑわたしはすたれもの/君なきやすたれはせぬものを/今じや流浪の旅の空

*大正十二年に大流行した船頭小唄「おれは河原の枯れ(すすき)…」の借曲詞。原詞とのあいだになんら音通がみられず、「(もどき)」にも相当しない。

 

借辞〔歌謡詞〕 しゃくじ/かようし 

歌謡詞においても各分野からの〈借辞〉つまり〈文句取り〉が非常に多い。

【例】

自由の歌                                               小室屈山(こむろくつざん)

♪天には自由の鬼となり 地には自由の人たらん/自由よ自由 やよ自由 汝と我がその仲は/天地自然の約束ぞ 千代も八千代も末かけて/この世のあらん限りまで 二人が仲の約束を/いかにぞ仇に破るべき/さは去り乍ら世の中は/月に村雲 花に風 ままにならぬは人の身ぞ(明治十三年頃に流行)

愉快節「人心の腐敗」(漢語取り) 作詞者未詳

♪人心の腐敗は国家の一大不祥 文明開化は軽薄と 如何なる関係ありつらん 人智開くに従つて 人心次第に腐敗せり 五常五倫の大道も 今日は何処に宿りけん(中略)多情多血の青年は これら汚れし風俗や 無血無腸の動物を 一時に征伐退治して 西の海へと打ち流し 我国特有専売の 大和魂鼓舞しつつ 国の元気を強めなば 実に愉快じやないかいな 愉快じや 愉快じや ──明治二十五年頃に流行

マックロ節                                                                 添田啞蝉坊詞

♪箱根山 昔や背で越す籠で越す /今じや夢の間汽車で越す/けむりでトンネルは マックロケノケ(大正初期に発表)

 

借辞〔都々逸〕 しゃくじ/どどいつ 

まず、都々逸で言葉遊び形式になっているものは、「歌謡」と切り離し別扱いで立項する。この借辞型都々逸は俗に〈あんこ入り都々逸〉といって、明治期の作品に目立つ。

借辞を用いた都々逸はたいてい題目に断り書きがしてあるのでわかりやすい。演じる場合は詩吟・謡曲・小唄など、挿入文句に節付けて抱き合せで歌う(これを吟社言葉で「あんこ入り」といっている)ことになる。よく知られ伝承ものが多い。

【例】

謡曲入り

♪川といふ字の願いが届き

  鶴亀「池の水際の鶴亀は蓬莱山もよそならず」

 今はうれしい高まくら

狂歌入り

♪無理な理屈を並べておいて

  「是やこれ借りを返すも返さぬも遣るもやらぬもおれが胸算」

 徳利倒して高いびき

漢詩句入り

♪まに逢ふ夜の巫山の夢を 

  「春眠不覚暁、処々聞啼鳥」

 結ぶ間もなく明鴉

 

畳語歌詞 じょうごかし 

修辞〈畳語法〉を歌謡詞に採り入れたもので、きわめて多く存在する。

【例】

古歌謡より

♪恋ひとよ 君恋ひしとよ ゆかしとよ 

♪逢はばや 見ばや 見ばや 見えばや &『梁塵秘抄』神歌

しよんがいな(伝承)

♪えゝしよんがいな しよんがいな しよんが奴は 下馬先揃へて 殿はお馬で 台笠立笠大鳥毛 振つて振り出すナア あれわいさのさ ハイハイ 先のけ先のけろ そんれはえ

名古屋節                                            二代目・嵐三右衛門詞

♪逢ふて立つ名が 立つ名のうちか 逢はで焦れて立つ名こそ まこと立つ名のうちなれや 思ふ中にも隔ての襖 あるに甲斐なき捨小舟

新ドンドン節(明治俗謡)

♪年子に年子にまたまた年子 またまた年子にまた年子 またまた年子にまた年子 九年の間に年子を産んで あとの一年は二人子なれば 十がかしらに十一人よ ドンドン

あゝ金の世                                                     添田啞蝉坊詞

♪あゝ金の世や金の世や 地獄の沙汰も金次第/笑ふも金よ泣くも金 一も二も金三も金/親子の中を割くも金 夫婦の縁を切るも金/強欲非道と(そし)らうが 我利々々亡者と(ののし)ろが/痛くも痒くもあるものか 金になりさへすればよい/人のなんぎや迷惑に 遠慮してゐちや身が立たぬ

開化都々逸より

♪面の憎さよあのきりぎりす思い切れきれきれと鳴く

♪生まぬ計画うまくはいかぬ生れた三つ子が午の年

♪二人寝の一人帰して二人がひとりひとりさみしく二人寝る

 

尻取り歌詞 しりとりかし 

歌謡の詞章を〈尻取り〉の形態でまとめたものを〈尻取り歌詞〉といっている。

詞には韻によるリズムがあるため覚えやすく、内容も愉快なものが多い。言葉遊びの持ち味を遺憾なく発揮し、歌謡詞中でも人気筋を保っている。

また尻取り歌自体、古くから庶民に愛唱されてきているため、全国各地に無尽蔵といってよいほどたくさんの歌詞が存在する。

以下、一連のシリーズとしてざっと紹介していく。

尻を取られたライオン=イメージ画像 

 

尻取り歌詞〔俗謡〕 しりとりかし/ぞくよう 

【例】

大尽舞地口                     

♪いつ竹たつ竹太右衛門どんの乙姫は、ひめはにがほがさきやにほたて、ほたての内に横木瓜、もつこの駄六が長袴、袴が原に紙とまる、とまるの婆さん茶をあがれ、あがれなるかや石堂丸、どまる大師の座禅とり、とりてころんでなつくやつさ、やつさもつさは目の下に、目の下開山源氏山、げんじ天皇秋の田の、狸の金玉腹鼓、つづみの千声鶴の一声、一声惣太がかどわかし、わかしがようなおたふくに、ふくにふかれぬ男づく、つくも夕暮憎い奴、やつの胸からはらはらと、はらと日本の国ざかえ、さかえ雅楽頭姫路とりやる、ひめじ上総の一味の郡、郡でかぼちやが唐茄子じや &『浮れ草』下

利やくは浅草かんぜおん

♪利やくは浅草かんぜおん 女の薬うり大日円 円遊のステテコ大入だ 談志の金釜テケレツパア ばあさんあぶない馬車のまね ねんねこしやんと大かゆい かいきのこうもりゴムの靴 つけげ鍋町大島田 だんなのきげんを二等親 身代限りの新富座 みざまのわるいはスツトコめん めん銘仙は大下落 華族の集まる紅葉館 かんしんやまがら鳥のげい げいしやのかたかけぶかつこう 公正証書は皆なくし くしは米市利久形 かたで風きるへぼ官員 いんじゆん書生は身のつまり 利子をふやして楽隠居(明治中期に流行) &『日本近代歌謡史』下

いろは尻取り明治都々逸

♪いつかほころぶつぼみの花の顔にほんのりさくらいろ

 論はないぞへ察しなさんせ主ゆへ今日びのこの白歯

 端唄文句の口舌じやないが帰りしやんすかこの雪に

 二世と契りし写真を眺めおもひ出しては片えくぼ

 ほんに思へば苦を忘れるゝも苦労するのもお前ゆへ

 返事するさへ人目があれば眼顔で知らせる格子ぞと

 

尻取り歌詞〔俚謡〕 しりとりかし/りよう 

【例】

千鳥や千鳥(名護屋の古謡)

♪柳の下のおひゝり様は、なぜ色黒い、お色か黒くばお日傘お召せ、お日傘京へ誂へたれば、京ではやる紅葉傘、紅葉傘に千鳥をかけて、あちらむけ千鳥、こちらむけ千鳥、千鳥や〳〵浜千鳥 &『ぼんならさん』

地蔵舞歌(明治、青森県上閉伊郡)

♪なにかかにか出さうだ、なにかかにか出さうだ。何舞とかに舞と、地蔵舞とはやさうな。地蔵舞を見さえな、地蔵舞を見さえな、地蔵よ地蔵よ地蔵は尊だから、何して鼠にかぢられべ。鼠こそ地蔵よ。鼠こそ地蔵なら、何して猫に喰はれべ。猫こそ地蔵よ。猫こそ地蔵なら、何して犬に負けべ。(中略(トバシ))狼こそ地蔵よ。大神こそ地蔵なら、何して野火に焼かれべ。野火こそ地蔵よ。野火こそ地蔵なら、何して水に消されべ。水こそ地蔵よ。水こそ地蔵なら、何して人に飲まれべ。人こそ地蔵よ。人こそ地蔵なら、何して地蔵を拝むべ。地蔵こそ地蔵よ。地蔵舞を見さえな、地蔵舞を見さえな。&『俚謡集』文部省編

ノーエ節(静岡県の民謡)

♪富士の白雪 ノーエ/富士の白雪 ノーエ/富士のサイサイ 白雪朝日で解ける

 とけて流れてノーエ/とけて流れてノーエ/とけてサイサイ 流れて三島にそそぐ

 三島娘はノーエ/三島娘はノーエ/三島サイサイ 娘は化粧が長い

 御化粧長けりゃノーエ/御化粧長けりゃノーエ/御化粧サイサイ 長けりゃ若衆がこまる

 若衆がこまればノーエ/若衆がこまればノーエ/若衆サイサイ こまれば石の地蔵さん

 石の地蔵さんはノーエ/石の地蔵さんはノーエ/石のサイサイ 地蔵さんは頭が丸い

 頭丸けりゃノーエ/頭丸けりゃノーエ/頭サイサイ 丸けりゃ鴉がとまる

 鴉止まればノーエ/鴉止まればノーエ/鴉サイサイ とまれば娘島田

 娘島田はノーエ/娘島田はノーエ/娘サイサイ 島田は情でとける

 

尻取り歌詞〔童唄〕 しりとりかし/わらべうた 

  尻取り形式で詞を構成した歌謡詞をいう。

【例】

雀々何しに止まった(秋田県横手市)

♪雀々何しに止まった、はらへて止まった、はらへったら田作れ、田作ればよごれる、よごれたら洗え、洗えば流れる、流れたらよしの葉さたぐづけ、たぐづけァ手ァ切れる、手ァ切れたらつなげ、繋げば蝿たがる、蝿たがたら(あお)げ、仰げば(さび)、さびたらあたれ、あたればあっつ、(あつ)がら引込(ひこ)め、ひこめば(さび)、めんどくせあ、飛べ。

いろはにこんぺと(南埼玉)

♪いろはにこんぺと、こんぺとは白い、白いは兎、兎は跳ねる、跳ねるは蚤、蚤は赤い、赤いはほおずき、ほおずきは鳴るよ、鳴るのはおなら、おならは臭い、臭いはうんこ、うんこは黄色い、黄色いはバナナ、バナナは高い、高いは二階、二階はこわい、こわいは幽霊、幽霊は消える、消えるは電気、電気は光る、光るはお爺の禿頭。&『日本歌謡集成』巻十二

新新しょう(愛媛)

♪新新しょう、白雪しょう、しらゆきしもたら、手叩きしましょの、手叩きしもたら、お湯を使うの、お湯を使ったら、お化粧をしましょの、お化粧をしもたら、お紅をつけましょの、お紅つけたら、お髪をときましょの、お髪といたら、お鉄漿(かね)をさしましょの、お鉄漿(かね)さしたら、 お着替えをしましょの、お着替えしもたら、お襦袢着ましょの、お襦袢着ましたら、お着物着ましょの、お着物着ましたら、下じき結ぼうの、下じき結んだら、上じきしましょの、上じきしもたら、お足袋をはきましょの、お足袋をはいたら、お草履をはきましょの、お草履はいたら、さあ行きましょの、さあ一貫じゃ。 &『日本歌謡集成』巻十三

 

ジンジロゲ 

 明治時代にバンカラ学生らが高吟放歌して広めた戯れ唄。意味がチンプンカンプンの国籍不明語だが、一説によると、元歌はインドの発祥だという。戦後の昭和になって歌詞が焼き直され、森山加代子が歌い知られるようになった。

 【例】

ジンジロゲ

♪ちんちくりんのつんつるてん
 まっかっかのおさんどん
 お宮に願かけた 内緒にしとこう
 ジンジロゲーヤ ジンジロゲ
 ドーレドンガラガッタ
 ホーレツラッパノツーレツ
 マージョリン
 マージンガラチョイチョイ
 ヒッカリコマタキ ワーイワイ
 ヒラミヤパミヤア チョイナダディーヤ
 ヒラミヤパミヤア チョイナダディーヤ
 チョイナダディーヤ 
 チョイナダディーヤ

 

信心唄 しんじんうた 

広義の〈宗教歌〉に属する。

俗信や新興宗教、あるいは占術等をも含めた信仰全般にかかわる歌謡をさす。ときには信心を主題にした俗謡などを探してみるのも、無信心派には岡目八目の食指が動く。☟金毘羅船々

【例歌】

谷中うはきぶし

♪谷中の削り廻し教へにまかせてー南無妙法蓮華経うわ〳〵〳〵〳〵う仏に成るともくわんくわつ仏このすき申したさ夜ねぶつ申し飲みたくならめか無間(むげん)のかまさ落つる地獄の釜ぼこ玉子の肴で飲めへせおさへたさはつたおつときたさ(ゆる)せ五左衛門たかへ長左衛門おひかけ中の盃酔うたら大事かやあれ君のつけさし飲めさお待ちや肴をしよ。──座敷唄、&『淋敷座之慰』(延宝四年)

どふぞかなへて

♪どふぞかなへてくださんせ(みやう)けん様へ願かけて。まいるみちにはその人に。あいたい見たいおもへども。こつちばかりでさきやしらぬ。エヽヽ「しんきらしいじやないかいな。──二上り上方唄、&『粋の懐』四篇(文久二年)

銀のピラ〳〵

♪銀のピラ〳〵かんざしさまから、貰ふて落さぬやうにと、讃岐の金毘羅さんに、願でもかけましよか、いやさのようさでいやざんざ、よいやさア。──三下り端歌、幕末期作、&『江戸小唄の話』

天つるつんの尊

(はた)売れ田あ売れ(てん)つるつんの尊、(やしき)を払ふて立退きたまへ天びん棒の尊。──俗謡、明治二十六・七年頃流行、&『はやり唄変遷史』

*当時隆昌した天理教にはよからぬ噂があれこれ立ち、ために無関係の者はこんな替歌(元歌──悪しきを払ふて助け給へ天理(てんり)(おうの)(みこと))を口にしてからかった。

 

新内節 しんないぶし 

〈新内節〉は浄瑠璃系義太夫の一流派名であり、初世 鶴賀新内・鶴賀若狭掾(わかさのじよう)の両名を祖とする。安永頃に最盛した江戸物心中道行きの語りで人気を集めた。

 いわゆるクドキが嫋婉(じょうえん)と続くことから「泣節」との俗称もあり、近代でも「新内流し」のかもす哀切な情緒が人気を呼んで、下町の三業地では今なお贔屓筋の支持を得ている。

【例】

あけがらす〔下〕                                      初世 鶴賀若狭掾詞

♪内には亭主浦里を。庭の古木にくゝりつけ。折ふしふりくる雪ふゞき。箒木(ほうき)おつとり(うつ)音に。禿(かむろ)みどりが取付いて。旦那さんモウ御かんにんなされませと。なげくかむろを共にしばり。浦里なみだの顔ふり上。(わたし)が身は是非もなし。みどりに何のとがあつて。アノ子はゆるして下さんせと。いへば亭主も不便(ふびん)さと。思へどわざとこゑあらく。ヤイうらざと。客をせく事客のため。女郎大切しんだいも大事。アノ客も未だ若き人。余りしげ〳〵(かよは)れては。親がゝりなら勘当うけ主持ならば親かたの。手まへ。仕ぞこなふはしれた事。このほど年切(ねんきり)かへしも。あの客衆じやとある。此えへは。心中か。かけ落か。行末までが不便さ故。たとへ敵のすへにてもせよ。我(かかへ)となりし女郎。ことに禿のうちより。器量は人に勝れたれば。外の子供と違ひ。心を付て育てし物。なんのにくひ事があろ。こゝをよう聞きわけて。おもひなをして奉公せよ。度々いけんを加へても。それをそれとも聞入ぬ。そのくるしみも心から。おのれがつみおのれをせめる。みどりめも。おのれがつかふかむろなれば。外の者への見せしめ。おもひきる心なら。今でもなはをゆるしてくれん。コリヤ男ども。きを付けいといゝ捨て。奥の一間に入にける。「うらざしあとをうちながめ。涙にくれていたりしが。エヽなさけあるおことばなれど。これ斗りは。どふも忘られぬ。おゆるしなされて下さんせ。まだ此うへにどのやうな。かなしい苦しいせめくでも。わしやいとやせぬ。どふなつても。おもひきられぬ。いつそ添れぬ物なれば。一所にしにたい時次郎さん。ころして下んせ死にたいわいのふ。「きのふのはなはけふの夢。今はわがみにつまされて。義理といふ字はぜひもなや。つとめする身のまゝならず。わかれとならば今さらに。いなせともなき放れぎは。エヽ「このくるしみに引かへて。アノ二階の三味線は。いつぞや主の居つゞけに。寝まきのまゝに引よせて。たがゐに語る楽しみの。今宵(こよい)は引かへ今頃は。どこにどふしていさんすやら。とにかく(そは)れぬ二人が身の上。ハヽアあぢきなき浮世じやナア。「すいた男にわしや命でも。なんのおしかろ露の身の。きへば(うらみ)もなきものを。下略。&『粋の懐』九篇(文久二年)

*江戸の新内節では最も有名な曲で、本題名「明烏夢(あけがらすゆめの)泡雪(あわゆき)」。吉原の退廃的な舞台を背景に、浦里(三芳野)と時次郎(伊之助)の心中情話を描く。あまりにも評判が高くなり、ほかに清元、常磐津、富本、江戸端唄などの音曲でももてはやされた。

新内節「明烏夢(あけがらすゆめの)泡雪(あわゆき)の浦里と時次郎〔錦絵の部分〕

らんてう

♪四つ谷ではじめてあふたとき。すいたらしいとおもふたが。いんぐわなゑんの糸ぐるま。めぐるもん日びやつねの日も。しんぞ禿にねだられて。よんだ(きやく)(しゆ)の目をしのび。手くだのとがめくりがへも。二所(ふたところ)三所(みところ)ながれゆく。つとめする身もしろうとも。なじみかさねたおんなぎは。じつにかはりはないわいな。すいもぶすいも恋ぢには。苦労をするがならいぞと。いふが中にもわたしほど。世にあじきなきものはなし。親にそひ寝のゆめにさへ。見もしりもせぬ人中へ。うられくるはのうきつとめ。かむろのうちのきぐろうは。ねむり火かげをおいおこされて。文のつかいや返事さへ。ながいろうかのゆきかよい。間夫(まぶ)の手引や合図の手れん。きをもみうらの色にでて。やり手につめられたゝかれる。それくをぬけてやう〳〵と。店へいづもの神さんも。かたびいきなるゑんむすび。すかん客しゅにいびられて。ないて明かさぬ夜はとてもなし。それが中にもたのしみは。たま〳〵あへばあくる日は。姉女郎やほうばいに。あてこといはれ身じまひも。おそい〳〵とせがまれて。涙をつつむふりそでの。とむればもはやとしまやく。伊達もいきじもまけまいと。きばればむねのしやくつかへ。おもへば〳〵男ほど。我まゝらしいものはない。むりな首尾してよんだ夜も。ちらからおんにきせるより。つまらぬ事をいゝつのり。くぜつはあすのかへされぬ。しかたとしれどこちも又。とかで苦をやむうれしさが。かうじて今のみのつまり。けふかあすかといふ内に。よいきならしいあてことは。きこへぬおかたとすがりつき。うらみなみだぞ道りなり。&『粋の懐』三篇(文久二年)

*「らんてう」は、蘭蝶なる芸名で廓入りした座敷芸人実は幕府密偵が遊女此糸を斬り捨てるまでの道行きを語ったもの。したがって遊里を中心に座敷歌で普及した。さすがに豊後節の系統だけあって、語りはねちっこく扇情的である。

弥次喜多                                                                    富士松加賀太夫詞

♪この弥次さんはなぜ遅い、草履が切れたか川止めかと、庭先(音声不明)…後先見

         やりとび上り、眉毛を濡す後よりも、弥次郎兵衛は喜多八が、予ての臆病知つたる故、脅してやらんと木隠れし、思ひ付いたる狐の面、手拭の端引結び、顔にスッポリコと引被り、差足抜足うしろより「コーン」と一声「アヽヽ御免なさい〳〵、悪い狐と申たんではござんせぬ結構なおこん(さん)、お稲荷様ノお白狐様と申たんで御座い升、御免々々〳〵」、と云ふ声も、歯の根も合はず、膝かた〳〵、〳〵、〳〵弥次郎兵衛俄に作り声 &『写声機平円盤 美音の栞』天賞堂・コロムビアレコード編

*同じ新内でも、前出の「明烏」の憂いかかりとは好対照の「弥次喜多」のサラッとした道化ぶりを対比してみるのも一興であろう。

 

宣伝歌 せんでんか 

詞の内容に何らかの宣伝がうかがえる歌。

いわばCMソングのはしりで、主として近代、商業広告用に発展した。

【例】

新作ナントシヨ節

♪主と忍んでビールを飲めば、嬉しナントシヨ、浮名が立たずに泡が立つ、料理屋の奥二階、さりとは旨いてな事をお仰いましたネ

♪下戸の笑顔に洋盃(コツプ)を出して、(こぼ)るゝナントシヨ、共についだりこくがしたり、新橋のビヤホール、さりとは惜しいてなことお仰いましたネ

♪徳利ばかりでお酌は未だか、待たるゝナントシヨ、お酌後から直に来る、待合の奥座敷、さりとは遅いてなことお仰いましたネ

♪晴れて二人で飲んだる酒は、愉快ナントシヨ、胸の支へも下りる様、評判の恵比寿ビール、サリトハ嬉してなことお仰いましたネ

&明治三十三年発表の恵比寿ビールの広告より

*「ナントショ節」の宣伝用替歌。

「雪の進軍」替え                                         骨皮道人詞

♪日本全国特約組んで/広く売る店その数知れず/旨い儲けは先づ捨置いて/そこはいづれも皆客の為め/まゝよ〳〵で勉強するも/頼む(ところ)信用(しんよ)が資本/世には歯磨数ある中に/獅子の商標つきたる品は/古来(まれ)なる秘法を用ひ/売れる筈だよ効能(ききめ)がちがう/使ふ人々□□ばなし/()いと()ふのはライオンばかり &『時事新報』明治三十三年十月十八日、ライオン歯磨の広告

*掲出歌の崩し前の原詞「雪の進軍」(永井建子(だけし)が日清戦争従軍中に作詞)第一節は、「雪の進軍氷をふんで/どれが河やら道さへ知れず/馬は斃れる捨てゝもおけず/此処は何処(いずく)ぞ皆敵の国/まゝよ大胆一吹(いつぷく)やれば/頼みすくなや煙草が二本。日清戦争の終結が明治二十八年五月、その後数年間この歌が流行した。ライオン歯磨の替え歌は宣伝効果を狙ったもので、現今ならコマーシャルソングといったところ。タイミングも程ほどよかった。ラジオもまだなかった時代で、口コミ五年で元唄がやっと普及した頃であり、幸いメロディも忘れられていない。広告に載ったこのパロディ詞は、曲に合わせて消費者が口ずさみ、製品の売上げ増に寄与した。広告業界ではこの種の手法を「便乗広告」と呼んでいる。今のような著作権や広告倫理規定などといった制約がなかった時代だったから、自由に借用掲出できた。

大寺餅〔大阪府〕

♪大寺餅、〳〵、左官屋の寐言で、コテホシ〳〵、爺のナン餅、(かかあ)の焼餅、ドツコイ倒れて尻餅、うまい大寺餅、黄粉(きなこ)餅、餡餅でシンコ、コテホシ〳〵、立つても喰つてもうまい、座つて喰ても、寐て喰てもうまい。(堺市) &『俚謡集拾遺』

*ご当地名物宣伝唄といったところ。

 

壮士節 そうしぶし 

近代、青年知識層で血気盛んな者は「壮士」とか「書生」といわれていたが、彼らが中心となって作詞し歌った演歌を〈壮士節〉あるいは〈書生節〉〈壮士歌〉〈壮士自由演歌〉などとと称した。

歌の題名も例外なく○○節、△△武士と付けられ、一見して血の気の多い表現が羅列してある。壮士らはおりからの自由民権思想を民衆に押し付けるように、街頭などで手風琴を鳴らしながら派手に歌った。過半は力みすぎが目立ち、卑属に陥っている。しかし中には、鬼石学人・不知山人、あるいは演歌師としても名を売った川上音二郎とか添田啞蝉坊など、高踏的な社会戯評に才を発揮した人物も現れている。

詞のほうは新聞などが盛んに掲載し、それを読売屋などが口ずさみながら売り歩いた。ともあれ、壮士節は近代社会の世相とその照り返しを如実に示す格好の媒体であった。

壮士の群像を描いた長谷川泰画文「開花好男子」

【例】

憂世(うきよ)武士                                                               久田鬼石詞?

♪十人は十色(といろ) なるほど世はさまざまよ たで喰う虫もあるとかや 日本は古来美国とて 世界に稀なる土地なるに 何が不足か知らないが 無暗に西洋〳〵と 自家(うち)のスシをば打棄てて 隣の雑炊(ぞうすい)くいたがる これぞ世にいう愚者(ばかもの)ぞ 西洋人とて同じ人 舶来品とて同じ品 西洋人とて恐るるな 舶来品とて貴ぶな 先を奴隷に使ふとも 此方(こつち)で奴隷になるなかれ たとえ交際(つきあい)するとても 互角にするなら宣いけれど 先が上手(うわて)に出るならば いっそ交際せぬがよい 文明国とは表むき その実ステキな狡猾(こうかつ)ぞ さも親切に見せかけて 鼻毛を抜くのが奥の手ぞ 堅くふんどし引きしめて 取りかかるべしかかるべし/憂世じゃないかいな──明治十八年に流行

欣舞節(初登場)                                                鉄石浪士詞

♪国事に関する罪犯し 入獄ありし大井(憲太郎)氏が 心底如何と問うたれば 新井章吾を先手(さきて)とし 小林(くす)()後手(ごて)となし 都合人数が四十と五人 爆裂弾丸製造なし 品川汽船に乗込みて 漕ぎ行く内に磯山が 変心ゆえに発覚し 長崎監倉につながれて 重罪軽罪処分され 苦役の中にこの度の 憲法発布の式を得て 大赦復権あられしは まことに満足敬賀の至り/欣慕欣慕 愉快愉快

*明治二十二年に発表。「愉快節」と同系のシリーズ歌である。 

浮世節                                                久田鬼石(ひさだきせき)

♪何故か(なまず)(どじよう)の真似する人が やたら無性に出来るとは さても可笑(おか)しき事なりと 知るや知らずや世の中は 髭の流行日に増して 代言人に新聞記者() 医者に学者に議員さん 勅奏判任初めとし 猫や杓子に至るまで 鼻下たくわう八字髭 生やすお髭はよいけれど 鼠の尻尾か猫のひげ あるか無いかもわからない 儀式ばかりの仲間入り 他人(ひと)のお髭の塵ばかり 払うを此上(こよ)なき職務(つとめ)とし 学問事務の芸事を 知らぬ軽薄才子らが 高慢面の有様は 片腹いたき事なるぞ 装飾(かざり)の為かは知らねども 愚者(こけ)(おど)かす(よそお)いや 鉄腸(はらわた)腐らす道具なら 平に御免を願いたし/うき世じゃないかいな

源助ぶし               作詞者未詳

♪儘になるなら水道の水で、腐敗な奴らを流したい、水道の()けたは結構だが、水屋の爺さんあがったり、湯屋が高うなる理髪床、内儀(おかみ)さんソンナにかい出しちゃ水道の税に(たま)らない、行水するなら、雨水を大きな(たらい)へ取って置け、天から税金はかからない、お()りなさい、真実(ほんと)だよ、ヤアット源助、源助。 &『流行新唄あだ文句』

トコトット節                                            添田啞(そえだあ)蝉坊(ぜんぼう)

♪大臣大将の胸先に ピカピカ光るは何ですえ 金鵄勲章かちがいます 可愛(かわい)い兵士のしゃれこうべ トコトットット

*明治三十五年に発表。反逆歌として関係筋から発禁処分を受けた。

ハイカラ節                                                                 神長瞭月詞

黄金(ゴールド)眼鏡のハイカラは 都の西の目白台 女子大学の女学生 片手にバイロンゲーテの詩 口には唱へる自然主義 早稲田の稲穂がサーラサラ 魔風恋風そよそよと(明治四十三年?に発表)

改良一かけぶし                                                         城田渓水詞

♪一かけ二かけ三かけて 四かけた学業を止めにして 吉原大学卒業し 学費は止まるし飯や喰へず 覚いた凄腕やつあたり 女たらしに妙を得て 取った御金でうま〳〵と かぼちゃ見た様な其顔へ 白粉塗って眼鏡かけ 山高帽氏を一寸かぶり … &『最新改良 一かけぶし』

*大正三年に発表。明治二十一年頃出た原歌の焼き直し版である。

 

尽し つくし 

同類の物事をたくさん並べあげて構成した詞章を〈尽し〉といっている。和歌や狂歌で使われた手法の歌謡詞への応用である。

「新版芝居道具づくし」歌川国綱画

魚尽し

♪一本目にはいさきます、二本目にはにしんの子、三本目にはさんまのはしり、四本目にはしばえびで、五本目には五たうするめ、六つむつの子たかべうを、うるめのいわしにさうだがつを、七本目にはひしこまぐろ、八本目にははつがつを、九つ小ひらめうれてゆく、十でとゝうをいせのえび、このしろに、ふぐのうをにて、なまこあかえにまながつを、こもちの鮎に、あいなめのうを、(たこ)いかいかのやはらかに、()(だら)に飛魚車えび、あんこの魚をつるしに切りてめてでたいな。&『明治流行歌史』、明治二年流行

手紙の急進

土瓶に鉄びん兀頭に附けびん、荷物は天びん寒餅はかびん、ビールは大びん、小便は尿びんト数て見ればびんの中にもいろいろある、中にも郵便ぐらゐ便利なるものは恐らく有めへと、誉たが無理かへしよんがいナ処の洒落ぢやアねへ、忙しい〳〵 &団団(まるまる)珍聞』明治十六年五月十四日

マツクロ節                                         添田啞蝉坊・後藤紫雲詞

♪箱根山 昔ゃ背で越す駕籠で越す

今じゃ夢の間 汽車で越す

煙でトンネルは マックロケノケ

♪桜島 薩摩の国の桜島

煙吐いて火を噴いて 破裂(おこりだ)

十里四方が マックロケノケ

♪米で鳴る 陸奥に生れて食えぬとは

嘘のようだが 来て見やれ

いり藁松葉餅 マックロケノケ

♪雨が漏る 雨が漏る〳〵美術館 

汚点(しみ)が画になる その汚点が

職工の涙よ マックロケノケ

♪金ほしや お金ほしやの空想の

果てを足尾の 銅山に

カネを掘る掘る マックロケノケ

&『新版 日本流行歌史』上、大正二・三年

 

唐人唄 とうじんうた 

〔九連環〉〈かんかんのう節〉とも。月琴の伴奏のもとうたわれる清楽一曲名の通称。

移入後の日本で近世・近代に流行し、明治に入ってから〈ホーカイ節〉を生み出す母体となった。☟外来唄、伝承異調

かんかんのう

♪かんかんのきうのれす、きゆはきゆれす、さんしよならへ、さいほうれんかんさん 一ぺんたい〳〵やあんろう、一九は九はくできいかんさん、さしよならへ〳〵

──外来唄、文政三年頃流行、&『小歌志彙集』

日本語ではなく中国語らしくもない。朝鮮の言葉でもないようだ…。得体の知れないこの詞は誰もがそう思うはずだ。この国籍不明語、じつは唐人唄で、その音を真似て日本ではやった歌詞である。最初、長崎に唐人屋敷が設けられた江戸中期、清国から伝わってきた「九連環」という歌詞を日本人が模写してやがて広まった。発音が原音に比べ大幅に改変されているため、この詞の通り読み上げても中国人にも意味が通じない。伝承異調の多さも目立つ。元唄の意味は、

  あなたにもらった九連環(九つの輪から出来ている知恵の輪)を両手で抱え持ってはきたが、解くにも解けず、切ろうにも切れない。男女の縁は容易に切れない。(『うたでつづる明治の世相』上、大久保慈泉編著)

 

都々逸 どどいつ 

〈都々逸〉(「都々一」「ドド一節」「どどいつ」などとも表記)は江戸後期に体裁を整えていらい、現代においてなお命脈を保ち続けている俗謡である。〈都々逸〉の形式は二十六音、音数で七七七五を標準とする。この二十六音というのは和歌短歌の三十一音、俳句の十七音とは、また一味違った韻律上のまろやかさをそなえている。つまり①うたいやすく、②覚えやすく、③韻律が細やかで、④適度の間が取れて、⑤作りやすい、という歌謡詞作上の必要条件をすべて満たしている。〈都々逸〉の人気を支えているのは、男女の情愛表現であり、(すい)な心の披露目(ひろめ)であり、時には鋭い時局批判の精神である。大人向け万人の唄、という位置づけでは歌謡曲を凌ぐものがあろうう。その人気は現代なお衰えず、派手さはないが各地に結社・吟詠会が設けられ、ときには酒席での座興を賑わしている。

〈都々逸〉ははじめ、常陸生まれの民謡「潮来(いたこ)(ぶし)」を母体に、その形質を受け継ぎつつ西下した。途中、名古屋で地元の「名古屋節」と(わり)ない仲になり、名古屋節の囃子(はやし)(ことば)「ドドイツドイドイ」から名付けられた、というのがもっぱらの説である。関西でしばし息ついた〈都々逸〉は、彼地で「好此(よしこの)」と呼ばれるようになったが、形態・内容ともすでに〈都々逸〉らしさをそなえていた。

ここで都々逸坊扇歌(180452)という都々逸節の開祖、寄席での音曲師を登場させよう。坊扇歌は若くして諸国を放浪し、浮世の辛酸を味わいつつ〈都々逸〉を広め国民芸能に引き上げた。たとえば放浪中の写生吟に託した名作、

白鷺が小首傾げて二の足踏んでやつれ姿の水鏡

を残し、開祖としての名をより高めている。ときに、〈都々逸〉のうち古典に属するものは過半が作者未詳である。いたずらに売名を目的としない、庶民演歌の心意気が底に流れているからであろう。

 坊扇歌については本項末尾《参考》をもご覧いただきたい。

 都々逸坊扇歌の碑〔常陸太田市磯部町〕

【例】

江戸の都々逸(揺籃期)

♪夢にみてさへそさまのことをはらと泣いては消へ〴〵と

♪神にむかへば親より先へたのまにやならない主のこと

♪うつつまくらにあのつめびきはこゝろまよはす三下り

指でいぢつてその手をなめてほんにできたか酒のかん

♪傾城に実がないとは昔のたとへお客に実がありもせず

江戸の都々逸(最盛期)

♪丁と張らんせもし半出たらわしを売らんせ吉原へ

♪こぼれ松葉をあれ見やしやんせ枯れて落ちても二人連れ

♪恋の綾瀬を辛苦にするな今に仲よくすみだ川

気障(きざ)なお客と井に湧く水は金気なくなりや茶にされる

♪富士とつくばのながめをそへて土手の桜を都鳥

都々逸坊扇歌の作品

♪親がやぶならわたしもやぶよやぶにも鶯啼くわいな

 *坊扇歌二十歳の作。父親は水戸の医師であった。

♪菊は栄えて葵は枯れる西に(くつわ)の音がす

 *維新あることを予見した時局批判吟として評価されている。

♪都々一も謡いつくして三味線枕楽にわたしは寝るわいな

 *辞世の一節。この流祖の晩年は、天保の改革に伴う音曲追放などで不遇なものであったという。

幕末有名人の作

♪何をくよくよあのお武家様人の稼ぎを見て暮らす(伝 頼山陽)

艶舌(せじ)と手管についごまかされあつくなるほどひや〳〵と(井上(かおる))

♪竜田川無理に渡れば紅葉が散るし渡らにや聞えぬ鹿の声(高杉晋作)

♪花は桜木人は武士というお方の顔見たや(品川弥二郎)

♪末は袂を絞ると知らで濡れてみたさの春の雨(陸奥宗光(むねみつ))

開化都々逸

自由民権こはだのすしよ圧せば圧すほど味が出る

♪陸に蒸気の出来たるせいか主はわたしをステーシヨン

♪鴉さ打たれる時計は狂ふ主と共寝を正午(どん)までも

♪髷は丸髷芸者をやめて権裁気どりの細ま ゆ毛

♪主と並んだ紙とり写真末の末まで消えぬやう

♪人力(ぐるま)と権妻さんは乗せてそろ〳〵ねだります

開港地投稿都々逸

♪女房さらせず唐へも行かずここにいづまて下田沖(八残楼主人)

♪男おもへば見はすり鉢の浦賀の港の底までも(林応斎田舎)

♪雨はしよぼ〳〵格子の影よアメリカ人の傘ささぬ(万亭主人)

♪気には入らねど金ゆへほれる今さら返らぬ恋の欲(銀座寿矩)

♪ふみと起請の交易場所は枕並べて床の上(彫平)

《参考》

                                       都々逸坊扇花(初世)

都々逸節の元祖、本名都川扇歌と云ふ水戸の人なり、もと医を業とす酒色の為に産を傾け江戸に出でて船遊亭扇橋の門に入り柳派落語家となる糸竹に長じ美音にして才気あり天保九年八月より牛込藁店の席亭に出てトツチリトンの曲を創始し流行のよしこの節を一変して初めて都々逸節を唱ふ流行都下に普く天下を風靡すまた客より題を求め謎を問ひ掛けしめ即座に大津絵節、トツチリトン、都々逸に作りて吟唱し客人をして其の頓才に絶倒せしむ扇歌また扇橋に就いて川柳を善くせり嘉永六年十月十六日(一節五年十月二十五日)五十七歳にして没す、門人醵金して棺を買ひ葬送を了る二世は初め扇三郎また雛太郎と云ふ慶応三年六月没す &『大日本人名辞書』

 

都々逸〔時事吟〕 どどいつ/じじぎん

時の物事をテーマとした都々逸の総称。

全体が情感に欠け、時局事情を知らない者にとっては艶がない。明治に発生し、その骨子はやがて〈街歌〉に引き継がれ今日に至っている。

【例】

日韓併合

(あい)の対馬はありや島台よ、揃ふ花婿花嫁御                       深沢銀扇子

♪鶏の啼く音もいと朗かに、明けりやひら〳〵日の御旗        川名葉村

♪それ見たことかと最後うどんは、閻魔相手にお酒盛         太田文子

♪嬉しかろぞへ当世の夢が、覚めて朝日に謡ふ鶏           豊谷撫子

♪昇る朝日に長夜の夢も、覚めて勇まし鶏の声            藤岡幽花

&『萬朝報』明治四十三年八月二十九日

 

嘆き節 なげきぶし 

詠嘆の真情が曲詞に表れている歌謡。すなわち世にいうところの〈嘆き節〉で、悲嘆の情をつづった唄をいう。歌謡曲中心に数多見られるが、内容が当を得た詠嘆かどうか判断するのは厄介である。

もののあわれを感じさせる落花絨毯

【例】

わかれのことさら

♪わかれのことさらかなしきは

親のわかれと子のなげき

ふをふのおもひ今兄弟

いづれを思ふべき

袖にあまれるしのび音を

返してとゞむる関もがな

&『曾我物語』巻七(南北朝期成の今様)

我妻

♪人の妻みて、わが妻みれば、見れば、深山(みやま)の奥の、こけ猿めが、雨にしょぼぬれて、ついつくぼうたに、さも似た。

&『はやり唄変遷史』、江戸中期流行

橋の霜

♪大こくの、板とめでにし身もちりよけの、くいても今はかへらぬみちにつねなきかぜのさわぐもつらや「かんごゑを、せめてはのこせかたみの霜に、おくらんいなば、いなばおくらんちかひのふねも「すゐのかへなのながれによせて、みつのかわせのわたりぞめ。&『新大成糸のしらべ』

*世の中の無情を嘆き、死を決意して彼岸への旅路を思い入れている。

あゝ金の世や

添田唖蝉坊詞

♪あゝ金の世や金の世や、地獄の沙汰も金次第、笑うも金よ泣くも金、一も二も金三も金、夫婦の(えにし)を切るも金、強欲非道と(そし)らうが、我利我利亡者と罵ろが、痛くも痒くもあるものか、金になりさへすればよい、人の難儀や迷惑に、遠慮してゐちや身がたたぬ &『明治流行歌史』、明治四十年頃流行

*拝金の世情に目を向け、詠嘆を売りにしている

ブラブラ節                                              添田啞蝉坊詞

♪今年こそほんとにうんと働くぞ

「そして」「ああして」「こうもする」

うその行きどまりの大晦日

なったなったなった 大晦日がお正月に

なってまたおめでたく ブーラブラ

♪物価がさがったかと町へ出てみれば

くらしが苦しくてやり切れぬ

「困る」「困る」のグチばかり

なったなったなった 失業者が多数になって

 どうしてまたどうなるもんか ブーラブラ

♪寒い寒いよ今年は寒い

外国米や豆粕なんか食ったために

こんなに寒さが身にしみるのか

なったなったなった 人間が栄養不良に

なってまた薄着で ブールブル

♪ベランメ日本人だ貧乏していても

なんて飢死(うえじに)なんかするもんかと

腹はへってもへらず口

なったなったなった 骨と皮ばかりに

なってもまだ生きている ヒョーロヒョ

♪東京へんなとこへんな奴ばかり

三百万人ただうようよと

米も作らずにくらしている

なったなったなった田吾作が江戸っ子に

なってまた一緒に ブーラブラ

&『日本民衆詩集』、大正七年流行

 

鳥追唄

江戸時代、新年に女太夫と称した物乞い門付けが三味線片手に浄瑠璃などをうたい広めた (発祥は桃山時代か)

鳥追は〈鳥追唄〉をうたうとき、あたかも鳥を追うような手付きで手を叩いたのが名付けの由来とか。

鳥追いを美化した艶姿

【例】

あさひかゞやく 

あさひかゞやくひやくつぼのおざしき、かうらいべりのたゝみと、にしきべりのたゝみと、しきやならべさふのよふ、ごいちもんにごきやうだい、くるまざにゐなひて、すゑひろのをしきに、うらじろをしかせて、まいかゞみといはふた、

──鳥追唄、江戸中期成、&『青陽唱詁』(鳥追唄の解説書)

[メモ] 出典は鳥追唄の解説書。「ひやくつぼ」とは百壷のことで、屋敷の鉢植の多い賑わいをいう。要するに、詞では「にしきべり」「すゑひろのをしき」など、祝い言葉を並べたて相手の気を引いている。

鳥追〔長野県〕 とりおい

〽いツち悪い鳥、宵鳥四十(がら)、ほがら(かしら)せいで塩付けず、塩俵に打ち込んで、鬼ケ島へ渡して、宵鳥、ほ、ほい〳〵〳〵。(松本市)

今日は誰の鳥追ひぞ、でいろどんの鳥追ひだ、おれもちと追つてやろ、ぼんがらほい〳〵〳〵。

今日は籾つゝく鳥追ひぞ、雀まくりの鳥追ひぞ、おれもちつと追つてやろ、ぼんがらほい〳〵〳〵。

──里謡、近代に採録、&『日本歌謡集成』巻十二

 

謎解き唄 なぞときうた 

仕掛けられた謎なぞの答を文句にして解き明かす唄。

〈謎解き唄〉は江戸時代の寄席や見世物の名物となり、都々逸坊扇歌はこれの名人として知られた。

 ちなみに文化時代に名を売った三笑亭可楽(春雪)は文句作りの謎解き坊主で、歌謡ではなかった。

【例】

なぞ唄

♪火桶火鉢はななな、火桶火鉢は、かわい男ととくわいな、これかゝへてさするで、さうらばへ。

♪淀の車はななな、淀の車は、目くらのおせんととくわいな、これ水にまわるで、さうらばへ。

&『はやり唄変遷史』、天保二年流行

*いわゆる三段謎で掛け、解き、こころの各部で構成されている。

坊扇歌の謎解き唄⑴                      都々逸坊扇歌詞

♪楽なやうでも南部の鶴は、胸にくえうが絶えやせぬ。&『明治流行歌史』、江戸後期作

*扇歌が木場の鹿島の座敷に呼ばれたとき、南部家の家臣某から「南部の殿のご紋は?」と謎歌を求められた。彼は即座に右の唄で返した。「くえう」は苦労と九曜の音通洒落。ちなみに南部家の定紋は中輪の内に向い鶴、鶴の中に九曜の星である。

坊扇歌の謎解き唄⑵                      都々逸坊扇歌詞

♪壇の浦の平家とかけて、何と解きましよか、あゝ、四文銭を天ぷらにして三文で売ると解くわいな、解きました其心、波をあげて(上げ─揚げ)一もん(一門─一文)を損するではないかいな。&『はやり唄変遷史』

*天保四文銭は形をあしらった模様である。坊扇歌の謎解き唄⑶       都々逸坊扇歌詞

♪なぞ〳〵かけましよときなされ、知つたる謎なら解きましよが、知らない謎ならあげてきかう、玉子とかけて何と解く、乱れ(いくさ)と解くわいな、ようとかしやんした(その)(こころ)、白()が破れて君(黄味)が出るではないかいな。&『出雲さんこ』

 

なぞり替え なぞりかえ 

替歌系統に属するが、とくに元唄を忠実になぞった体裁の詞を〈なぞり替歌〉と称して一線を画することにする。この類も極めて多く存在する。

【例】

梅は咲いたか替え

♪むねはすいたが おさけはまだかいな さかなはそろそろはこびます きやらぶきやかたそで いろばつかりしよんがいな

♪ふねはできたが お客はまだかいな げいしや じやら〳〵 はなしだい せんどうはうはてへ こぎあげる しよんがいな

♪うめが かほれば うぐひすなくよ わらひかかりしふくじゆそう こころものんきなことばつかり しよんがいな

&『日本近代歌謡史』上、江戸後期作

ぽんやん節

山寺(やまでら)の和尚さんが、猫をかぶくろに包んで、ぽんと蹴りやにやんと泣き、ぽんと蹴りやにやんと泣く、ぽゝんぽんと蹴りや、にや〳〵んにやんと泣く、ぽんやん〳〵。&『はやり唄変遷史』(安政三・四年頃流行)

      ↓

山寺〔ぽんやん節替え〕

♪山寺の和尚さんは、鞠は蹴りたし鞠はなし、猫を(ちやん)(ぶくろ)にどし込んで、ポンと蹴りやニヤンと鳴く、ニヤンニヤンと鳴きや山寺の。&『はやり唄変遷史』、明治前期流行

*今もよく知られる「山寺の和尚さん」の元唄。京都の落語家桂新吾が新京極の寄席で広めた。

よいじやないか〔トコトンヤレ節替え〕

♪文久あをせんお江戸じやよけれど いなかへでかけちやとほらない トコトンヤレトンヤレナ/それにつけても道らくむすこの 小せんのゆくへがしれませぬ トコトンヤレトンヤレナ

♪うへのゝいくさのはなしをきけば てつぽふぽん〳〵ひろ小路 トコトンヤレトンヤレナ/びつくり下谷でみなてうにんが あさくささしてぞにげて行く トコトンヤレトンヤレナ

♪人にすかれた文久せんも 今じやせけんできらはれる トコトンヤレトンヤレナ/いびつなようでも百もんせんは てうどあるので人がすく トコトンヤレトンヤレナ

&『はやりうたとんやれぶし』、維新直前作

隠亡小唄                            添田啞蝉坊詞

♪俺は焼場の オンボヤキ

同じお前も オンボヤキ

どうせ二人は 世の中の

人の好かない オンボヤキ

♪オンボヤキでも ねえお前

人の価値(ねうち)に 何変わろ

 俺もお前も ともどもに

 焼場のオンボで 暮らそうよ

♪黒い煙りに むせている

焼場の上の お月さん

俺も焼かれる 番が来る

それまでオンボで 暮らすのよ

&『替歌・戯歌研究』、大正十一年流行

東京行進曲替え

♪昔恋しい 銀座の通い(預金帳)

 無駄な貯金と誰が知ろ

 シャツで稼いで 月給をためて

 明けりゃ 箪笥が 殻になる

&『替歌・戯歌研究』(昭和四年頃の作)

愛国行進曲替え

♪見よ東条のはげ頭

旭日高く輝けば

天地にぴかりと反射する

ハエがとまればつるとすべる

おお清潔にあきらかに

そびゆるはげの光こそ

戦争進めるゆるぎなき

わが日本のご同慶

 

名寄〔歌謡〕 なよせ/かよう 

〈物事尽し〉の手法を歌謡詞に導入したものを〈名寄歌謡〉と呼ぶ。

 地口の応用年の韻律とがうまくかみ合うせいだろう、この類の作品が目立って多い。なかには言葉遊びの見本帳のような秀作もある。

【例】

「名取川」の川尽し(狂言歌謡)

*狂言中で出家(シテ)が名取川で溺れ、後にその名の記憶を取り戻そうとして歌う。

♪川は(さま)〴〵多けれど 伊勢の国にては 天照(てんせう)太神の住み給ふ みもすそ川もありやな 熊野なる(おと)(なし)川の瀬々には 権現(ごんげん)み影を移し給へり 光源氏の古しへ 八十瀬の川と眺め行 鈴鹿川を打渡り 近江(あふみ)地にかゝれば 幾瀬渡るも野洲の川 墨俣(すのまた)あぢかくんぜ川 そはは淵なる片瀬(かたせ)川 思ふ人によそへて 阿武(あぶ)(くま)川も恋しや つらきにつけて悔しきは 藍染(あいそめ)川なりけり 墨染(すみぞめ)の衣川 衣の袖をひたして 岸影の柳の真菰(まこも)の下を 押し回し〳〵て すくひ上げ見れば雑魚(ざこ)斗 我名はさらに なかりけり〳〵

海道下り名所(などころ)尽し

♪おもしろの海道下りや 何と語るとつきせじ 鴨川白川打渡り 思ふ人に粟田口とよ 四の宮河原に十禅寺 関山三里を打過て 人松本に着くとの 見渡せば 勢田の長橋(ながはし) 野路篠原や霞む覧 雨は降らねど守山を打ち過て 小野の宿とよ 磨針たうげの細道 今宵は爰に草枕 仮寝の夢をやがて醒が井 番場(ばんば)と吹けば袖寒 伊吹(おろし)の激しきに 不破の関守戸ざさぬ御世ぞめめでたき &『閑吟集』

太鼓持歌「太夫名尽し」(寛文頃)

♪せめて名をきこ、あれは誰そ、高尾に、薄雲に、柴崎、つしま、八っ橋、唐崎に、高尾よし野見てきては、こちの女房見れば、あのや鈴木町の化物よ &『異本洞房語園』六五

京の地名尽し(近代、伝承)

♪ぼんさん頭は丸田町 つるつとすべつて竹屋町 水の流れは夷川 二条で買うた粉薬を ただでやるのは押小路 御池でおうた姉さんに 六銭もろうて蛸買うて 錦でおとしてしかられて あやまつたけれど仏々と 高がしれたるまどしたろ

小唄の花尽し(近代、伝承)

♪馴染めし檜扇は、きりしまや桔梗の事じや無い、葵葉どふして紅梅と、思案し誰の糸桜、兎角は水仙しながらも、眉に椿の面憎さ、ももの怨みは山吹の、今さら何と夕顔も、けしの花と蓮葉な悋気、千日紅も縁を桐、菜の花にしられりや世間で萩をかきつばた

あゝわからない                            添田啞蝉坊詞

♪あゝわからないわからない/乞食に捨子に発狂者/スリにマンビキ カツパライ/強盗窃盗詐欺取財/私通姦通無理心中/同盟罷工や失業者/自殺や餓死凍え死/女房殺しや親殺し/夫殺しや主殺し/目もあてられぬ事故ばかり/むやみやたらにできるのが/なぜに開化か文明か… ──明治四十年頃に流行

 

倣い唄 ならいうた 

滑稽で破天荒な歌い出しに続いて、連想句を次から次へと引き継いで展開していく遊び歌を〈倣い唄〉と呼んでいる。

詞の一小節の分量は同じ程度、締めの句も同句揃え(脚韻)にすると面白さが出る。あくまでも座興向き、あぐらをかいた風な詞がふさわしい。

【例】

アメリカ道成寺

♪かねニうらミはかず〳〵ござる、知らせの鐘をつく時は、世上めつぽふとひヾくなり、所々のかねをつく時は、世上むしやうと逃るなり、鉄砲のひヾきには、しやうめつめつひ、大筒はじやくめついぞくとひびくなり、聞ておどろく人ばかり、扨も此頃空はれて、深夜の月を詠めあかさん &『藤岡屋日記』第四十三〔嘉永六(1853)年〕

*『平家物語』の歌い出しを擬した折衷詞でもある。

ざんぎり頭        

(ざん)(きり)頭を叩いてみたら文明開化の音がする

 半髪頭を叩いてみたら因循(いんじゆん)姑息(こそく)の音がする

 総髪頭を叩いてみたら王政復古の音がする

──近代より伝承の俗謡

ザンギリ頭の高杉晋作

鉄面皮                              不知山人詞

♪〔フロツクコートに高帽子。鼻下に八字の髯長く。マニラの煙草燻らしつ。〔紳士ブルのはよけれども。素性洗へば其むかし。ヅヽト昔の大昔。あれは月給いたゞきて。途方に暮れて一思案。思ひついたる高利貸。〔義理も人情も打ち捨てゝ。世人は鬼よと罵るも。我利々々亡者と嘲るも。空吹く風と聞き流し。〔無暗に欲張る熊手主義。其日暮しの貧民が。米のソツプもまゝならぬ。不運に泣くも顧みず。〔生血吸ひ取り尚飽き足らず。ます〳〵募る邪欲心。辛き浮世の細道を。ノサリ〳〵と渡るより。〔太く短かく一足飛びに。やつてのけるが当世と。暗夜コツソリ権門を。叩いて媚ぶる女郎主義。施す魔術の効能(ききめ)にて。〔マンマと手に入る暴利(まうけ)の仕事。濡手で粟の味を占め。花に戯れ月に酔ひ。誇り喜ぶ不義の富。〔無道極まる人。かゝる輩は日に栄へ。正直一途に働らける。人が神にも見離され。落魄はてゝ苦しむは。〔不思議千万倒さの時節。 緊舞々々々々奇怪々々 &『緊舞武詞』あづま童、明治三十四年頃流行

学生豪気節                         作詞者未詳の伝承歌

♪ひとつとせ 人は見かけによらぬもの 軟派はるのは拓大生 そいつァ豪気だね/ふたつとせ 二目と見られぬ女でも 窓から顔出す日大生 そいつァ豪気だね/みっつとせ 見れば見るほどいやになる ザブトン帽子の早大生 そいつァ豪気だね/よっつとせ よせばよいのに徹夜して 神経衰弱東大生 そいつァ豪気だね/いつつとせ 何時もながらのおしゃれさん お白粉つけるが慶大生 そいつァ豪気だね/むっつとせ 向こう鉢巻地下足袋で こえたごかつぐは農大生 そいつァ豪気だね/ななつとせ なんぼなんでもいやになる 算盤はじきの商大生 そいつァ豪気だね/やっつとせ やがては大臣高等官 夢だけ見ている中大生 そいつァ豪気だね/ここのつとせ 口説いたあげくにフラれてる 生臭坊主の駒大生 そいつァ豪気だね/とうとう出ました女子大生 おやじ尻ひく嬶天下 そいつァ豪気だね

──数え歌、昭和戦前期流行

*伝承歌で、昭和の戦後もしばらくはうたわれた。

 

ハイカラ節 はいからぶし

明治後期から大正にかけ出現した一連の「ハイカラ」主題になる俗謡・演歌の総称。なかでも明治四十年の〈ハイカラ節〉は大当たりを取った。

「ハイカラ」とは、歌謡史において、西洋かぶれの突っ走り連中をさす蔑称としてロングランを続けた近代流行語である。この語を用いた歌で侮蔑的でないものを探すのに難儀するほどである。

【例】

ハイカラ節

♪ちりりん〳〵と出て来るは、自転車乗りの時間借り、曲乗上手と生意気に、両手放した洒落男、あつちへ行つちやあぶないよ、こつちへ行つちやあぶないよ、あゝあぶないと言つてゐる間にそれ落つこちた。(元唄、以下は雑載)

♪潮風寒き桟橋に、一人浪子は悄然と、男波女波を漕ぎ分けて、急ぐ短艇(ボート)(うち)(まも)り、(かぢ)になりたや()の舟の、そして思ひを語りたや、血を吐く思ひの不如帰。

♪ゴールド目鏡のハイカラは、都の西の目白台、ガールユニヴアーシテイーのスクールガール、片手にバイロン、ゲーテの詩、口には唱へる自然主義、早稲田の稲穂がさらさら、魔風恋風そよ〳〵と。

♪しな〳〵〴〵と出て来るは、都に名高き御茶の水、高等女学校のスチユーデント、腰にはバンドの輝きて、右手に持つはテキストブック、左手(ゆんで)にシルクアンブレラー、髪にはバツターフライスホワイトリボン。

♪リリー()高きドーターは、花の本郷竜岡町、日本女学校のスチューデント、髪のなでしこ色添ひて、ほゝゑむかんばせの愛らしさ、春の女神の人の世に、下りて来しかや花衣。

♪菫とまがふ御姿は、其名も猛き虎の門、高等女学校のスチューデント、髪にも春の風情して、霞なびける外濠(そとぼり)の、松のみどりに譬ふなる、清き操のしたはしや。

♪天女の如くさゝやくは、青葉がくれの上野山、音楽学校の女学生、片手に提げたるバイオリン、必ず曲は春の夢、離れ小島が須磨の曲、五尺男の子の袖しぼる。

&『明治年間流行唄』、明治四十一年前後流

 

幕末戯れ唄 ばくまつざれうた 

幕末、風雲急を告げる時局を庶民の立場でからかった唄を〈幕末戯れ唄〉としておく。

たいていは瓦版や一枚摺り錦絵などで大方の人気を博した。

【例】

菊はさくさ

♪菊さくさく 葵は枯れる 西で(くつわ)の音がする

 *天保二年流行、「菊」と「葵」紋所をもって王政復古を暗示している。

おまへは浜田の

♪おまへは浜田の殿さんかへ 浜松に焼かれて御殿が真つ黒だ 焼けたとて御国が変るじやあるまいし こちやかまやせん かまやせん

ワキヤアネエ節

♪萩さん島津は欲でした 出来なくつて 島原一揆の真似じやもの ナントシヨ ワキヤアネエ

*文久三年に流行る。当時流行の「姉さん島田は能出来た…」の替え歌。

小給仕官の

♪調練するがいやではなけれども 腹が減るのをなんと西洋 世に連れて人の心もにごり酒 すましかねたる酒の借銭(慶応二年に流行)

 

囃子詞 はやしことば 

歌謡のなかに詞調を整えるために挿入する意味のない言葉、または繰り返し短句を「囃子」といっている。囃子そのものは民謡や踊り唄などにつきものだが、囃子中心の歌というのはめったにお目にかかれない。

宴席歌に多い「チョイナチョイナ」「アリャコラセ」「ソレソレ」などなじみ深いものもあるが、俗謡や民謡の中には本詞よりも囃子詞の量のほうが多いものもまれではない。

 「阿波踊り」踊り手と囃子言葉の手ぬぐい〔徳島空港土産物店

【例】

獅子踊

♪ヤヽリヽヤエヤリヽ。リリヒ上ヽリリヒ上ヽヒ上ヽリ。ヤヽリヽヤユヤリヽ。リヽヒ上ヽリヽヒ上ヒ上上リ。ヤヽリヽヤエヤリリ。ヒ上ヒリヤリヽヤエウホ。ウホウホエヤリヽヤリヽヤエヤリヽヤリヽヤエヤリヽヤエウホウホウホフホウヤリヽヤエウ。ヤヽリヽヤエヤリヽ。ヒ上ヒリヤリヽヤエウオ。ウホウホエヤリヽヤリヽヤエヤリヽヤリヽヤエウホウホウホフホフホウヤリヽヤエウ。&紙鳶(いかのぼり)』、貞享四年成

*「りんぜつ」という題の姉妹唄の内容も同様に似通った囃子の羅列である。

チョンキナ踊り

♪チョンキナチョンキナ チョンチョンキナキナ チョンがよいやさで チョンチョンがよいやさ &『日本近代歌謡史』上、明治二十四年頃流行

津軽盆踊歌

♪松前の殿様笹舟にのせて (かろ)けりや沈む 重けりや浮きる ヤチヤクチヤノ モチヤクチヤ ヤチヤクチヤノモチヤダヘ ヤリゴダイデヤア ヲヲタマヤツサ ヲヲタマエコハトヲホダヤツサ シキリキ シヤコタン &『続 日本歌謡集成』巻三

 

流行唄〔近代〕 はやりうた 

明治・大正時代の流行歌詞には、歌わずとも歌詞だけ読んで楽しめるものが少なからず存在する。

 とえば近代演歌の父といわれる添田啞(そえだあ)蝉坊(ぜんぼう)(一八七二~一九四四)の持ち歌歌詞のごときは、時局を照魔させた表現が沸きたっている。

【例】

都風流トコトンヤレぶし                     作詞者未詳

一天(いつてん)万乗(ばんじやう)のみかどにてむかひする奴を トコトンヤレ トンヤレナ

♪ねらひはづさずどん〴〵うちだす薩長土 トコトンヤレ トンヤレナ

♪宮さま〳〵お馬の前のびら〴〵するのはなんじやいな トコトンヤレ トンヤレナ

*維新前後の流行。官軍の東征を詞にした行進曲でもあった。

春雨                                       柴田花守詞

♪春雨に しつぽり濡るる うぐいすの/羽風に匂ふ 梅の香や/花にたはむれ しおらしや 小鳥でさへも ひと筋に/ねぐら定めぬ気はひとつ わたしやうぐひす ぬしは梅/やがて身まま 気ままになるならば/さあ鴬宿梅じやないかいな さあなんでもよいわいな

*維新前後の流行、今様小唄といったところ。 

ギッチョンチョン                              作詞者未詳

♪高い山から谷底見れば ギッチョンチョン ギッチョンチョン/瓜や茄子(なすび)の花ざかり オヤマカドツコイ オヤマカドツコイ/ヨーイヤナ ギッチョンチョン ギッチョンチョン/あの()よい娘だぼた餅顔で ギッチョンチョン ギッチョンチョン/黄な粉つけたらなおよかろ オヤマカドツコイ オヤマカドツコイ/ヨーイヤナ ギッチョンチョン ギッチョンチョン

*明治二年に流行、幕末流行唄の復古版である。

しよんがいな                               作詞者未詳

♪梅は咲いたか 桜はまだかいな/柳なよなよ風次第 山吹や浮気で/色ばつかり しよんがいな

♪姐は洋妾(ラシヤメン) 妹はなんじやいな/おやおやぜげんで金しだい 兄きやぐず/ぐず酒ばつかり しよんがいな ──明治五年に流行

縁かいな「四季の緑」                       作詞者未詳

♪春の夕べの手まくらに/しつぽりと降る軒の雨/濡れてほころぶ山ざくら/花が取り持つ縁かいな

♪夏の涼みは両国で/出船入船屋形船/あがる流星ほしくだり/玉屋が取り持つ縁かいな ──明治七年に流行

悲歌                                       作詞者未詳

♪花の盛りと見まがえし 陸海軍の戦捷(せんしよう)は はかなき夢と消え失せて 今如何せんこの現状 身に染み渡る秋風は ポーツマウスの談判場 もろくも破れしやれ障子 誰れ(つくろ)わんこの始 ──明治三十八年に流行

マガイヽソング                             竹石夢村詞

♪飛行機睨んで 地団太(じだんだ)踏んで 銃剣片手に 涙ポーロポロ ナンテマガイヽンデシヨウ 

 わたしや嫌だよ ハイカラさんはいやだ 頭の真ン中に栄螺(さざえ)の壺焼 ナンテマガイヽンデシヨウ ──十二年頃に流行

コロッケの唄                        益田太郎冠者詞

♪ワイフ貰って 嬉しかったが/いつも出てくるお菜はコロッケ/今日もコロッケ 明日もコロッケ/これじゃ年がら年中コロッケ/ワハハハ ワハハハ こりゃおかし/ラララララ ララララ ランランラン

コロッケの唄チラシ類〔早稲田大学演劇博物館蔵〕

 

ひやかし唄 ひやかしうた 〈からかい唄〉とも。他人をおどけひやかした内容の唄。

【例】

おゝさやつちよろさんだい節

♪酔うて枕す美人の膝に、さめて握るぞヨイ〳〵天下の権を、オヽサヤツチヨロサンダイ。

♪酒もノムベし博打もなされ、しまる時にはヨイ〳〵しまらんせ、オヽサヤツチヨロサンダイ。

&『明治年間流行唄』、明治十四、五年頃流行

*好色宰相といわれた伊藤博文を正面切ってからかった唄。囃子詞のオチョクリ振りが効いている。

初対面節

♪妾がナアー、越後出るときや、七ツ八ツからみはなされ、だんべかいナアー、色の吉原へ売られちや、にしきの夜着をきる、じやうや、しよたいめんかいナアー

♪ぬしとなわし、たまに逢うふ夜は痴話や口説で夜を明かす、だんべかいナアー明けの鐘つきや互に別れが惜しまるゝ、嬢や初対面かいナアー

♪屋敷ならアー、門は六ツ切路次は四ツ切しまります、だんべかいナアーなぜにお前は三十四十でしまらない、嬢や初対面かいナアー

♪更けてなアー、待てどくらせど主の来ぬ夜の癇癪にだんべかいナアーほんに思へば男心はむごらしい、嬢や初対面かいなあー

&『嬢哉初対面節』、明治三十年頃流行

 

風刺唄 ふうしうた 

社会の矛盾や人物の欠点などを遠回しに諧謔批判した唄。

【例】

坊主唄

♪年はゆかぬが坊主になるも、おまへ一人がある故に。

♪色ぢやなれどおまへのみぶり、見るにつけけても思ひ出す。

♪今度評判まるいがはやる、わたしとおまへはまるもうけ。

&『明治流行歌史』、明治六年頃流行

*俗にいう「断髪都々逸」である。

近代的だわね節

♪女優妾にポケツト論語デカダン 自働車飛ばして慈善会 近代的だわね

♪教授訪のも卒業間ぎわ デカダン あとは野となれ山となれ 近代的だわね 

&『近代的だわね節』、明治四十四年流行

 

風流唄 ふうりゅううた 

風雅で粋な物事を主題にした唄。

風流とは何ぞや? 風流を定義すること自体が野暮の骨頂であり、息筋からそっぽを向かれてしまう。当然のことながら、酒がらみ、色事がらみが詞に目立つ。

【例】

酒中花                               麗白詞

♪絵におどる山吹の主やたれ、花ならぬ身の花ならば、いつも散りなん盃に、ひらきそめてふ鳥ならで、笑ひともなる白はぎにちらと何やらはづかしや、仙人様が見さんしたら、つう失なはんしよ、せうし、さいつおさへつ曲水のリウチエイハマクワイとり〴〵めぐる春の興。&『宮薗新曲集』

しのぶうり

♪いつしかに。君をまづちのやま〳〵こえて通ふ五十崎(いほざき)こまがたや「ちどりかもめにこゝろがあらば。しらひげ。さんへ。しんじつしんから願かけて。 「ちよつとお顔をみめぐりならば。うれしの森であろぞひな「それ〳〵それもそうかいな。&『粋の懐』二篇(文久二年)

よいぢやないか節

♪よいぢやないかへ(あの)隅田川、花にも月にも雪見にも。

♪よいぢやないかへ腹立てず、共にはなせば、互にわかる胸。

&『小唄の衢』

 まぶい虫を捕らえようとまぶい女が二人落咄(おとしばなし)(さる)の人真似、石田玉山画文・寛政十二年〕この咄本(はなしぼん)の絵詞が面白いので紹介しておく。蛍の熱/「おつねさん、お(まへ)(つと)に蛍がとまつて()るぞヘ、それ〳〵首筋(くびすぢ)這入(はい)るわナ、「オヽ、わたしやいや」と首筋(くびすぢ)()をやれば、(ほたる)指先(つまさき)にひいやりと()われば、「オヽあつ」──この落し咄、気の利いた詞の洒落それも増して風流を描ききっ

 

吹寄唄 ふきよせうた 

〈まぜこぜ節〉〈五目〉あるいは〈埃叩き〉とも。いくつもの音曲を抜粋し、それらを一曲にまとめた俗謡。江戸後期に発祥した。

【例】

三十石夜舟

♪伏見浜から舟漕ぎ(いだ)す、何とした、最早やお()ちか、お名残惜しい、何とした(船頭唄) 

♪伏見中書(ちゆうじよう)(じま)ナー、泥島なれどヨー、なぜに撞木(しゆもく)(まち)やナー、藪の中ヨー、ヤレサ、ヨイヨイヨーイ(船頭唄)

♪泣いてくれるなヨーそれ出る、今出る舟はヨー、綱も(いかり)もナー、手にや付かぬ、ヤレサ、ヨイヨイヨーイ(船頭唄)

♪ならの大仏さんをナー、横抱きに抱いてヨー、お乳飲ました、お乳母(んば)はんや、お(かあ)はんは、どんな大きなお母はんじや、一度対面がしてみたいナー、それもほんまか、ヨイヨイヨーイ(船頭唄)

♪お(まい)紺屋か、紺屋の手間かヨー、お手がナー、染まればあいとなる(糸繰唄)

♪しがらのナー、はゝばいの、お月さんで、とばられたんヨー(麦打唄)

♪最早明け方ヤレノー、もう来はすまい、背戸で狐がコンと鳴くナヨー(牛追い唄)

♪仇な祇園参りの二人連れ(地歌)

&『上方演芸辞典』

ほこりたたき                      三代目 桂文枝口演

♪春景色、浮いて鴎の一(清元梅の春)「かぞふる指の寝つ起きつ(端唄秋の夜) 「わしが在所は、京の田舎の片(ほと)り、八瀬や大原や芹生(せりふ)の里 (常磐津双面(ふたおもて)法界坊) 「たとへこの舟渡せばとて、そなたに難儀は掛けまいもの、思ふ男を人に寝取られ、私は逢はねば焦がれ(じに) (新内日高川) 「心は矢竹藪垣の、見越しの竹を引っ()ぎ槍、小田の (義太夫(たい)(じゆう))「河原に(つど)ふ夕涼み (端唄京の四季) 「玉屋が取り持つ縁かいな (小唄縁かいな) 「探れば障る小柴垣、こゝはお庭の枝折門、扉を叩くにも叩かれず、不孝の報いこの垣一重が(くろがね)の (義太夫安達原三段目袖萩) 「紋はたしかに(みつ)(がしは)、呼んで違へば何とせう(文枝の当て込み唄) 「どしょいぞいなアさあさ捨てとけ()っとけ (端唄捨小判) (後略) &『上方演芸辞典』、大正頃公演

 

本歌取り唄 ほんかどりうた 

和歌をそのまま引用し歌詞に仕立てたものを〈本歌取り唄〉と称する。

この類はめったに見かけることがないので希少価値が生じる。

【例】

大和琴                              御堂上方詞

♪初秋風の草枕、ゆふしの山の下の()(もと)に、落つる一葉の夕露も、身にしむ頃の宿()ひて、まどろむ夢に誰としも、知らで身えくるたをやめの、思へばありし(いにしへ)に、聞きつる桐の大和琴、猶も思ひは朽ちずして、現れけるか「いかにあらぬ日の時にかも声知らむ、人の膝の()我が枕せんと、一首の心をのべたりし、やがて返しの言葉にも、言問はぬ木にはありとも美はしき、君が手慣(たな)れの琴にしあるらし、「それは幾年(いくとせ)古ることを、めづらしや定家卿の、恋の心に寄せ給ひて、昔聞く君が手慣れの琴ならば、夢に知られて()にもたてまし「これだに今は遠き世を、猶語らんと言ふがうちに、秋の夜長き仮寝の床「桐にしたゝる軒の雨、琴の音にやと聞きなせば夢は昔に覚めにけり。(傍点・傍線は本歌で、荻生付け) &『琴線和歌の糸』(延宝四年)

大伴旅人の二首と藤原定家の一首が詠み込まれている。 

 

見立唄 みたてうた 

単独または複数の抽象的内容の事柄または普段なじみの薄い事柄を、一般によく知られた共通の特性をもつ事物に譬えてわかりやすく伝える技法を「見立」という。これは暗喩表現の一つであり、和歌をはじめ俳諧、戯作、舞台詞章など文芸全般にわたって用いられ、それらのほとんどが多彩に言語遊戯化されている。

この見立を歌謡詞に取り入れたものを〈見立唄〉といっている。端唄・小唄の類に非常に多くの例が見られる。

【例歌】

とまりぶね

♪とまのすきまにもる日かげ、たよりなきみの頼りになれば「ひとのことばの、ちからぐさ「むすぶひたちのひもとけて、ぐちなせりふは恋のはな、さかりもけふかあすのよに、なさけあづける心のにくさ、いうてうらみなきあかす、ちどりのこゑもわがそでも、なみをまくらにとまりぶね。──二上り端唄、江戸中期作、&『新大成糸のしらべ』

*浦辺につながれた頼りない泊り舟に恋するわが身を見立てている。

姉妹

花鳥(はなどり)の、名にくらぶれば梅は先づ、花の姉君桜は色の、春を深むる山ほととぎすいま(ひと)声と待つ(ねや)の戸も、たたく水鶏(くひな)に明けゆく空の、野辺になまめく女郎花(をみなへし)、菊の下露汲む川水に、鴛鴦(をし)の思ひ()妻とふ千鳥、千代の契りはなよ竹の、姫松今はろうてう(篭鳥)、名に立つまでも、立ち交じるこそ都なりけり。──三下り・二上り端唄、江戸後期作、&『日本歌謡類聚』

*詞では梅と桜を姉妹に見立て、さらに他の肉親を草木に見立てて配している。

 

読売唄 よみうりうた 

江戸時代および明治初期、瓦版読売で伝播された流行唄。

橋の袂や四辻で読売屋が二人連れ立ち、面白おかしく事件の口上を述べながら立ち売りした。ニュースの速報はむしろ副業で、利幅の大きな唄本売りが本業のような商売をしていた。

【例】

太平めでた千代保くれ節 

♪ヤレヤレみぶろう、ききてもおるかや、そもそも今度の、伏見の騒動は、元来(がんらい)御職(おしよく)を、かへしてたばかる、おのがたくみを会津の奴が、守護(しゆごう)職とて、守護どころか、下々非道(ひだう)、その又あげくに、みなみな馴れ合ひ、難波(なには)に下れど、八百八橋が、あるとはいへども、一つ橋では、住家(すみか)はできない、かうなるからには、都があひづと、桑名を先陣、(いくさ)をはじめて、民家を焼きたて、所を騒がし、天機を損じて、萩と(くつわ)に追ひたてられて、みじんに砕けて、みなみな討死、おのれはお城に、火の手をあげたる、たわけ者だよ、朝敵退治と、諸藩の忠臣、都に集り、治世(ぢせい)をおはなし、万民よろこぶ、都の(にぎは)ひ、それで諸色が、おいおい安くなる、ヤレヤレヤレヤレ &『太平めでた千代保くれ節』、明治元年流行

*時局批判を交えた、いわゆる落書(らくしよ)唄でもある。

姐さん本所かへ

♪姐さん本所かへ、島田(しまだ)金谷(かなや)は川の(あい)旅籠(はたご)はお(びた)出お定まり、お泊りならば泊らんせ、お風呂もどんどん沸いてゐる、障子も此頃張り変えて、畳も此頃替へてある、お寝間(ねま)のお伽もまけにして、草鞋(わらぢ)の紐の(あだ)()けの、結んだ縁の一夜妻(ひしよづま)、あんまり憎うもあるまいが、テモ、さうだろ、さうだろ、さうだろ &『明治流行歌史』、明治三年流行

*天保二年に江戸中村座初演の芝居踊りで、清元「喜撰」として発表以来人気が高まり、明治に入ると宴席用に端唄化して流行、さらにビラ本摺りの読売唄として広まった。なお「本所」は隅田川をはさみ、浅草の対岸一帯の地名(旧名、本所区)をさす。

スチヤラカポクポク

♪目付で知らせて悟れと云へば、悟って居ながら知らぬ顔、スチヤラカポク〳〵

♪他人のお前が入らざるお世話、末の考へしちやおらぬ、スチヤラカポク〳〵

&『日本近代歌謡史』上、明治三年流行

痛快節

♪伊達にや飾らぬ十二の師団、三十万噸(でか)い船、腰の団子の用意が出来た、行けば行けます鬼ケ島。

♪五万人が一割だけで、五千人とはなさけない、甘い茶請(ちやうけ)餡転(あんころ)(もち)よ、実に辛いは乾姜(かんしやうが)

♪偉い決心東雲(しののめ)ならぬ、法官社会のストライキ、骨のないのは海鼠(なまこ)海月(くらげ)、狸幇間(ほうかん)たいこもち。

 豚を追ふのは許さにやならぬ、酒も過すな管巻くな、(それ)に構はぬ独逸(ドイツ)露西亜(ロシア)、豚を捕るとてさわぎをる。

芸妓(げいしや)学校ある世の中よ、俳優学校も出来る筈、娼妓学校が若し出来たなら、鼻毛読むのは高等科。&『明治流行歌史』、明治三十三年流行