時代を、人を元気にする

26 艶笑遊び系

 

この系統は天下御免、「まえがき」を述べるまでもないので、省略

 2次エロ画像専門館サイトより 

 

26 艶笑遊び系の目録(五十音順)

 

朝帰りの唄

あな面白

意味深の唄

紅灯風俗艶冶筆

唄本唄

エロ落ち

エログロ

艶笑狂歌

艶笑譚

艶笑民話

お座敷唄

漁色の文

くじ取り

口説き文句

熊野比丘尼

組絵 

久米の仙人

雲隠し

廓唄

廓詞

閨房訓

下種唄

広開女院

交合日記

好色

極楽浄土

酒魔羅湯ぼぼ

三九郎

地獄

四十八手

女陰異名雑載

娼況

女郎文

深情妙語

性教育

性典

閑話休題

太鼓持唄

太鼓持詞

男根異名雑載

男根の品定め

男郎屋

ちょぼくれ

出歯亀

女護島

濡れ唄

「はこやのひめごと」

発禁本

花電車

バレ唄

バレ句

バレ句〔自家版〕

バレどど

ひやかし唄

風流唄

深川節

ヨサホイ節

吉原小唄

吉原風俗唄

恋慕の唄

猥歌

猥笑譚

童唄の淫詞

 

 

朝帰りの唄 あさがえりのう

遊里など泊りがけで遊興し、翌朝家に帰る行状を「朝帰り」という。これを唄に仕立てたものを〈朝帰りの唄〉と称する。

テレ隠しであろう、だらしのない自分や他人の姿を描いた滑稽歌が多く、狂歌や川柳でも人気筋の主題になっている。☟後朝の唄

 木戸くぐっての朝帰り〔『江戸名所之内』より「新吉原春曙之図」、歌川広重画、神奈川県立歴史博物館蔵〕 角町から桜並木を横目に朝帰り客の姿がチラホラ。後ろめたい体裁を繕い、たいていの遊客は被り物を着けている。

【例】

三谷がへり

世にこくに哀れらしきは、さんちやがへりのふと吉三、宵の酒宴に思はれて、あなたの方へさらばえ、此方(こなた)の方へ能登(のと)(さば)、はんや馬にも舟にも得乗らいで、手編笠をさしかざし、土手の窪みでけつまづいて、膝がしらをすりむいた、何とした、あたたのた、アヒノテ(ちんば)びこひき金竜山の米饅頭はおりないか、ぜによないない〳〵のない兎角恋には身がふとる。

&『松の葉』小うた(元禄十六年)

*三谷=山谷、江戸吉原の大火で火宅新設された新

 吉原の在来地名。

朝帰り

今朝の別れの鳥の音つらや、ほんにつらや、つらや乱るゝ、乱るゝ、さりとは乱るゝ、ねん〳〵寝乱れ、乱れ乱るゝ黒髪の、ゆふかひなしや、心誓文(いく)千度(ちたび)

&『若緑』巻三(宝永三年)

落胆節

嬉しく逢ふ夜は短ふ空けて、長い思ひの種となる、長い思ひの種となる、是じや帰すじやなかつたに、落胆々々眼パチパチ、

蒸気や出て行く煙が残る、残る煙が癪の種、アヽアヽつらいつらい、これじや帰すじやなかったに、落胆々々眼パチパチ、

加賀の千代女がフト目を覚し、彼方向いても蚊帳の中、此方向いても蚊帳のうち、是なら仕様もあつたもの、落胆々々眼パチパチ、

手に手を取つて欠落したが、彼方向ひても旅の空、此方向いても旅の空、是なら走るじやなかつたに、落胆々々眼パチパチ、

♪真の夜中にタ目を覚し、彼方(あちら)向いても夜着の袖此方(こちら)向いても夜着の袖、是なら(いな)すぢや無かつたに、落胆〳〵眼パチ〳〵、

&『明治年間流行唄』ほか流行節、明治二十八年頃流行

*この唄、必ずしも全節通しで朝帰りの感傷をうたっているわけではない。こうした傾向は雑載物の宿命である。

 

あな面白 あなおもしろ

神話にもとづく上代歌謡の一節。

『古語拾遺』には記紀歌謡正本の番外歌として紹介されている。

【例】

あなおもしろ

あはれ あなおもしろ あなたのし あなさやけ をけ(元唄は真名表記) 

&『古語拾遺』(齋部弘成撰、大同二年)

*古事記によると、天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟、須佐男命(すさのおのみこと)父の伊耶那岐(いざなぎの)(みこと)に勘当され高天原(たかまがはら)にやって来た。彼はこの聖地でも乱暴をはたらいたため、天照は弟を恐れ天岩戸(あまのいわと)に籠ってしまう。とたんに世は暗闇に閉ざされた。八百万(やおよろず)の神神が鳩首の結果、石屋戸(いわやど)の前で呪術の神事を催す選ばれたのは天宇受売命(あまのうずめのみこと)で、伏せ桶の上でオッパイ露わに、足踏み鳴らしつつ衣の紐を解いて女陰(ほと)をも剥き出しに。このストリップショーに見物の神神は笑いこけ、はやしたてる。何事か、と天照が石屋戸を細めに開いて外を覗き見たとたん、怪力自慢の手力男命(てぢからをのみこと)が石屋戸をいっきに開いたので、天照はふたたびその姿を現した。天地(あめつち)は輝く陽光を取りもどした。感動した神神は、掲出の詞を唱和して舞い踊った。「ああ、すばらしい。たのしい。こんなにも明るいよ、そら」と、ご来光を心から称えあったのである。上代和歌を除くと、この歌が日本歌謡の初出と見てよかろう。

 

意味深の唄 いみしんのうた

あえて遠回しな表現を弄し、言いたい本音を相手にそれとわからせる文彩技法を「婉曲法」といっている。

〈意味深の唄〉はその歌謡の一つである。

【例】

あだなゑがほ

♪あだな笑顔につい惚れこんで。つまこう雉子(きじ)のほろゝにも「千尋(ちひろ)の海の(かり)がねに。ことづてかへすつばめのたより「うそならほんにかほどり見ても。羽がへのはだにいだきしめ。そのまゝそこへとまり山。うれしい中ぢや。エヽ〳〵ないかいな。

&『粋の懐』初篇(文久二年)

*思う願いがかなった女の心情を遠回しに歌っている。「雉子のほろゝ」は、雉の雌が雄を誘うときに羽を震わせる仕草を示したもの。

あふた夜は

♪あふた夜は「(つい)ておくれなあけのかね「たまのごげんじやにナアしんきらし。

&『粋の懐』二篇(文久二年)

*どこが意味深なのか、知る人ぞ知る。

おたがいに 

おたがいに知れぬが花よ世間の人に、知れりやたがいの身のつまり、あくまでお前に情たてて惚れたが無理かえしよんがいな、迷ふたが無理かえ、藤八五文でこりや奇妙

&『江戸小唄の話』

*「おたがいに」共通する秘密が、言外に隠されている。つまり、世間に憚る女房持ち・亭主持ちのしんねこ関係だ。詞の「藤八五文」とは一粒五文で売られた万病薬をいう。全体に「縁は異なもの」の人間関係を卒なく描いている。

 

紅灯風俗艶冶筆 いろまちはふでもたつなり 

かつて遊里という所は、男たるもの一度は探訪したいと願うか、あるいは探訪ずみの桃源郷であった。なにしろ、「此町に来てハ。なんぼうむゐき(無粋)なるおのこもかたほにえみをふくミ」(『朱雀遠眼鏡』序文)という魅惑に満ちている。ために財を蕩尽した者、家族に見放された者、はては死に追い込まれた男どもが絶えなかった。

 新吉原細見

 当然、この巷で媚を売る主役、遊女や陰間の評価や楼の評判が口の端にのぼり広がる。それらをまとめた見聞記もまた、細見売りという読売屋によって広められ、格好の案内記としてもてはやされた。

【例】

男色細見序                                         水虎山人こと平賀源内筆

海参(なまこ)蟹に向て曰、(ゆく)(かへる)か帰が行か、蟹答て曰、尻が(かしら)か頭が尻か、女郎好き若衆をいやがり、若衆好き女郎をそしる、その論むかしより今に至りて、勝もなく負もなく、両道ならび行ハれて、吉原にべら坊あれば、堺町にたハけを尽す、遊の品ハかはれども、つまる所ハ粋も野夫(やほ)も、知者も愚者も、彼有頂天上(うてうてんぜう)の仏果を得てハ、にうががにう、むちやら、くちやら、心ここにあらざれば、行か帰か帰が行か、尻が頭か、頭が尻か、たハひのなきこそ遊ハよけれ、されども、(いまた)此道の(あちは)ひを知らさる愚痴(ぐち)の衆生を導かんと江戸男色細見に京と浪花をくわえ、三乃朝と題して、年立帰る春の日と共に、鼻毛のながき、世情のたハけどもを(よろこば)しむる、といふもまたたはけ也、明和五年の子の日の元日、水虎山人謹んで恵方(ゑほう)にむかひ、知恵をふるふて書す &『男色細見 三の朝』

松之部                                           金太夫 作者未詳

ながるゝ〳〵まくらながるゝぬれのわけ。くびだけしつむうたかたの。あはれ恋ぢの思ひだね。宛転(えんでん)たる御容色(やうそく)諸体(しよてい)の見事さ。女郎花(おみなへし)の露をふくミたるがごとく。清らかなるありさまは。桜のさきミだれしにたとへてもまだ不足なり。面体(めんてい)いづくに難なし。につとゑめるもと世界の伽羅なり。さてふり出らるゝ道中のかゝり、座敷つき残る所なし。御床入よし。されば月にハ村雲めがでくさる。花にハにくき風あり。をがくずも。いへばいハるゝとかや(古諺)。何やつが此人を難じたるといの。お茶(玉門)のあたりハふくらかに。饅頭(陰阜)をあざむくごとくなるこそよけれ。肝心の所に(しし)なくこけたるやうなり。是はこゝでの事。それハ〳〵。ぎやうさんしわきお入なり。また此君に似合ぬ物ハ。鹿子のおびに中入のおゝく入たること。びろうどの帯なり。柳をあざむく御腰に、心なき藤こぶのまとへるがごとし。

  花の顔や底でなげうつ金太夫

&『嶋原評判 朱雀遠目鏡』上「傾国評判」

生野                                           一文字屋内 好色軒筆

まよひ初しやあだごゝろ、命にかえて大江山、いくのゝ道ぞくるしき。面体美しく、心(ばへ)すなほにして、物にさはらず。悉皆(しつかい)聖人(せいじん)なり。年(ばい)、当町の二老也。大橋殿(一文字屋の看板女郎)の次の座は此人也。御茶(玉門)上物、床入におゐて分のたつ事、人様の性力(せいりき)次第。若(それ)が枕にあせづかせず、御鼻頭(はなさき)に露をそゝがせずして、組だ四手をはなす人は、あたら宝山に入りて、手をひろげて帰るがごとし。(はだ)のこまやかに、こゝちよい事を、いたらぬくちで(たとへ)て申さば、大仏餅のつきたてを繻子のひとへでつゝんだもかくやあらんか。酒ぶり、座敷、残る処なし、但、風体少よハふミゆれど、空人(やぼ)の知る所にあらず。 

&朱雀信夫摺(しゆじやくしのぶずり)下「梅之部」

 

唄本唄 うたぼんうた

「唄本」は近代、はやり歌詞と譜面をいくつか抱き合わせで載せた本。多くはザラ紙の薄っぺらな本ではあるが、価格が安く、演歌や俗謡の流行の仲立をした。

これら歌本に収載される唄も程度が低く、ほとんどが「うたい捨て」の運命をたどった。

 「ちょぼくれちょんがれ」唄本〔幕末〕

【例】

とてとん節 とてとんぶし

芝で生まれて神田で育ち、今ぢや火消の、あの纏持ち。(元唄)

京で生まれて大阪で育ち、今ぢや、南で、あの左褄、とてとん〳〵。

石の地蔵さんの頭は丸い、鴉とまれば、あの投島田。

いつも床しき舞子の浜で、松の葉々々に、あの舟の帆々(ほほ)

嫌なお方に好かれる程に、好きなお方に、あの好かれたい。

二世や三世はそりや差し置いて、当座添ふさへ、あのむづかしい。

遠く離れて逢ひたい時は、月が鏡と、あのなればよい。

金の中にもいらない金は、かね〳〵気兼ねに、あの(あけ)の鐘。

野暮なお客が、妾にや薬、粋な主ゆゑ、あの苦労する。

明治四十一年頃流行、&『明治年間流行唄』

大正七年ぶし

遠くはなれて逢いたいときは、

月がかがみになればよい、

兎角浮世は気散じに、大正七年渡らんせ。

可愛男は通れど寄らぬ、

憎い男は日に幾度、

兎角浮世はきさんじに、大正七年渡らんせ。

程も義経静の方に、

私や九郎が仕て見たい、

兎角浮世はきさんじに、大正七年渡らんせ。

宵にや欺され、夜中にや待たされ、

朝の鐘には突き出され、

兎角浮世はきさんじに、大正七年渡らんせ。

片手剃刀、片手に砥石、

切れても合はせて下さんせ、

兎角浮世はきさんじに、大正七年渡らんせ。

厭で幸ひ好かれちや困る、

外に好いのがあるわたし、

兎角浮世はきさんじに、大正七年渡らんせ。

心性根は直せばなほる、

顔の痘痕はなほりやせぬ、

兎角浮世はきさんじに、大正七年渡らんせ。

大正七年流行、&『現代流行歌全集』

 

エロ落ち えろおち

 断章等比較的短文を〈エログロ〉で落し笑いをさそう作品を〈エロ落ち〉という。

 エログロを先出しするか後に出すか等の仕組で効果に差が出るので、一考の必要がある。

【例】

エロ落ち先出し広告遊戯                                         荻生作

♪マラゲーニヤ サネロッサ…

 肉食系♀オンリーが豪華出演ライブ

 草食系♂のみなさんは観客席へ、どうぞ。

   まらほし声がホールを震わす

                                               珍 宝 塚 劇 場

エロ落ち後出し                                             荻生作

季語に入り偉くなりたや土みみず    待也 

今年の「啓蟄」は、みみず千匹のうごめきを頭に描き……やや、どうしたことか、今朝は垂れたままぞ!

 

エログロ 

昭和初期にはやり始めた流行語で、エロチックかつグロテスクなこと。

時は大戦後の不況のどん底にあり、人々の心はすさんでいた。その結果、日本中が色情狂と化すほど、刹那的な享楽を追い求めた一連の風俗が波立った。この時代相をさしてエログロ・ナンセンス時代とも称している。

この頃エロ・カフエーをはじめステッキガール、地下鉄サービス、密着ダンス、ズロース贈りなどの頽廃した風俗が密集氾濫した。

たとえば、当時の風俗を代表する「カジノ・フォーリー」では、毎週金曜日夜、舞台の踊り子がわざとズロースを落とすショーがあるというので評判になった。こうした行き過ぎを取り締まるため、警視庁保安課は「股下三寸未満、あるいは肉色ズロースを使用すべからず」などの業者泣かせの通達を出している。

【例】

ピカーフォリーズ公演

エログロの群生/ピカ〳〵と集る…/笑って損をしたのは/今昔 今来 金泊屋の…/浮世気晴し所の/京本山へ/御参詣下さい(渋谷百軒店・聚楽座のマッチラベル)

二人で感激しませうよ                                          西尾信治筆

『いつそ小田急で逃げませうか…」「アカンベー、そんなおあしがあったらシネマを見るよ…」「そうね…ぢやシネマを見てお互ひに感激しませうよ…」「ザツツ・オー・ケー」/新宿の宵には、ラブシーンの中毒のエロ花が数知れず「二人で感激しませうよ…」と云つたおもゝちでステツプも軽く財布も軽い。&『東京エロオンパレード』

 

艶笑狂歌 えんしょうきょうか 

卑猥な内容の狂歌。狂歌にはこの類が目立ち、引例のように羽目を外した作品が目を楽しませてくれる。

【例】

発句風狂歌二首

                                         暁月坊

▽女院のお前の広くなることは暁月坊が私地の入るゆゑ &『新撰狂歌集』

 *暁月坊とは鎌倉時代の公家で歌人、冷泉為守1265~1328)の号。「私地」=指似=男根の転嫁であることがわかれば、歌意は自ずと知れるわけ。

▽  春                                             よみ人知らず

霞の衣すそはぬれけり佐保姫の春立ながら尿(しと)をして &『新撰 (いぬ)筑波(つくば)集』山崎宗鑑編

山崎(やまざき)宗鑑(そうかん)(14661553)は室町末期の俳諧連歌師で、談林俳諧の祖。宗鑑が編んだ『犬筑波集』は、天文頃までに詠まれた俳諧連歌(俳諧発句の付句)集である。その第一歌は、「霞の衣の裾がぬれてるよ、佐保姫(春をつかさどる女神)が立小便をなさったので」の意味だ。「霞の衣」「佐保姫」「春立つ」はすべて縁語関係にある歌語。滑稽味のうちに意味深長な付句の妙を漂わせている。俳諧連歌は、和歌から分岐した室町期今様の滑稽俳諧を趣きとした短文芸である。『新撰筑波集』撰者で連歌の正統派を任ずる飯尾宗祇らが、連歌を芸術域まで高めようとする機運のあるなかで、宗鑑や荒木田守武らは卑俗語を惜しみなく使いこなし、連俳としての独立をめざした。五七五の俳句は、まさにこの両名が基礎作りをしたといってよい。掲出歌を一読してわかるように、平易な表現で卑語や通俗語を巧みに用い、一見して野卑な印象すら与えている。しかしながら、お上品に構えた和歌には見られない新鮮な息吹きが感じられるではないか。

 

艶笑譚 えんしょうだん 

下ネタを扱った小咄の集

性に関する内容は、直裁では憚りあるため、曖昧表現や物のたとえを使って、包み込むように婉曲に仕立て上げる。そこに笑いの生じる余地が生まれる。

ただこの類、古今東西にわたりうんざりするほど存在する。この類本を〈ラチ外本〉とも称するが、需要の人気筋である証拠である。

【例】

赤貝

赤貝を買ひ、水を入れ置きたれば、さも心地よげに貝を開きたるを見て、亭主なんと思ひけるにや、中指をぬつと入れたれば、赤貝腹立ち、指をしつかりはさみて、いかにすれども一向はなさず、見るうちに指はすさまじくはれ、痛さたへがたく、外科医者を呼びよせ見せければ、医者しかつべらしく「まだ指でお仕合せ」&『寿々葉羅井』

 艶笑ネタ〔『房事選』より、絵師未詳、宝暦年間〕 庶民は狆のような高級犬は飼えないので、後家らはマタタビやクサヤなどを陰部に挟んだりして、もっぱら猫を愛玩用に手なずけた。こんなことをネタに尾ひれを付けてエロ話が創られていく。

 

艶笑民話 えんしょうみんわ

昔話や民話には(しも)ネタ話が少なくない。それも雪国に集中していて、たとえば佐々木徳夫編『東北艶笑浮世ばなし』のように、東北地方だけでじつに二〇二話も収集した労作が存在する。

思うに、冬籠りの暇つぶしに、あることないことを土地の人が伝承したのであろう。ともあれ、土臭いエロチシズムに方言が絡まり一種独特の味わいをかもし出す、それが〈艶笑民話〉なのである。

【例】

嫁さえすれば          

語り手 宮城・大和                       加藤好尾

ある村の若人(わげし)(たづ)が今日はさなぶり(田植え後の休み)だどいうんで、仲間の()さ集ばって四方山(よもやま)話してだつたんだ。そしたら一人の若者(わげもの)が、「字どいうものは、読めるだげみんな書げたら大したもんだな」て言ったら、「ほんとだな。おらぁ学校で習った字なんか、みんなお返ししてしまった」て言ったど。そしたら、(ひざ)さ初孫抱いであやしてだその家の親父(おやん)つぁんが、「『書かずとも、よめさえすれば学者なり』て歌もあんだ。仕方ながんべ」て、すまして言ったど。この親父つぁん、息子が兵隊さ行ってだ時、嫁を時々せしめでだという専らの(うわさ)で、膝の上の孫もわれ子なそうだ。&『東北艶笑浮世ばなし』

年寄りの性⑴          九州地方・昔話

むかしな、爺さんと婆さんのおらしたげな。あるとき、爺さんのほうで、婆さんにいうことには、「どうや。今晩どまァ、いっちょうやろかい」「あい、珍しゅう。よかたい」と、婆さんもその気になったてったい。さて、夜の床で初めてみたが、爺さんのあれはぐにゃぐにゃで、思うこつ行くとこへ行かんばい。ちょうどそのとき、盗人どんがみちりみちり寄って来て、「今夜はいっちょ、ここに押し入って一仕事や」と、あまどの節穴から中ばのぞいた。とたんに爺さんの声。「まアだはいらんかい」中へはいろうとした盗人どん、どきりと棒立ち。耳を澄ますと、また爺さんの声ぢゃ。「まアだはいらんかい」「はい」と、婆さんの返事。「爺さん、外からよう穴をのぞいてな」節穴からのぞこうとした盗人どん、「あいた、こらあかん、知れたとばい」あわててすぐそばのみぞに身を伏せた。「婆さんや、まアだはいらんかい」耳の遠い婆さんは、ここぞと大声を上げらした。「はい、いま、みぞのところをはうとる」盗人どんなぶったまげて、「ここの婆さんは千里眼じゃア」いうて、ドサンドサンと退散したげな。&『日本の民話』11「民衆の笑い話」

 

お座敷唄 おざしきうた

酒宴など座敷でうたわれる唄。

当然、艶っぽい歌謡が中心になり、往時は〈さのさ節〉や〈都々逸〉が王座を占めた。昭和に入ると歌謡のレパートリーも増え、流行歌の替歌など現代風なものがもてはやされるなど様変わりしている。

【例】

じやんじやかとてつるけん

酒はけん酒いろ(ひな)は、(かへる)ひとひよこ三ひよこひよこ、蛇ぬらぬら、なめくじでまゐりましよ、じやんじやかじやかじやかじやんけんな、()(さま)和藤内(わとうない)がしかられた、虎がはうはう、とてつるてん 狐でさアきなせえ、スチヤラカチヤン

酒は剣菱(けんびし)いろよしで、かはり一猪口(ちよこ)三猪口ちよこ、お(しやく)はぶらぶらなまけでまゐります、じやんるとてつるてん、三丁目でサアきなせえ、まいりましよ、チヨンチヨンがヨンヤサ

独楽(こま)源水(げんすい)奥山へ、芝居一幕三幕、茶屋を軒々(のきのき)のろけてまゐりましよ、スチヤラカチヤン、じやんじやかじやかじやかでんがくや、としま若衆(わかしゆ)がうかされて、(くめ)(へい)(ない)とりもちで、返事でサアきなせ、まゐりましよ、スチヤラカチヤン(後略)

 文政十二年頃流行、&『じやんじやかとてつるけん』

♪あーこりゃこりゃ、奴さんだよ えーえ、

 奴さんどちらー行くー あーこりゃこりゃ

 旦那迎えにー、さあーてもー、寒いのにー

 供ぞろえ 雪のー降る夜もー、さてお供は

 つらいね いつーも奴さん、高ばしょりー

 ありゃね、こりゃね、それもそうだいなー

    幕末に流行

ノツペラボウぶし

♪亭主取られて、泣く奴野暮だ、ノツペラボ意気地なし、其所で以つて亭主取り徳ソレ取られ損といナア

♪女郎に()られて怒るやつ野暮だ、ノツペラボウの意気地なし、其所で以つて女郎は()り徳ソレ()られ損といナア

♪ト一とられて、泣く奴野暮だ、ノツペラボ意気地なし、其所で以つてト一取りどくソレ取られ損といナア

♪芸者遊びを、する奴野暮だ、ノツペラボウの性根なし、其所で以つて芸者呼び損ソレあそび損といナア

♪芸者遊びを、せぬ奴野暮だ、ノツペラボウの意気地なし、其所で以つて芸者呼び得ソレ遊び得といナア

明治二十年頃流行、&『ノツペラボウぶし』

 

漁色の文 ぎょしょくのぶん

いったい、性的描写文はズバリ何というのであろうか。「エロ文」ではどぎつい感じ。「艶冶文」だと古臭い。「猥文」、俗っぽすぎる。かといって「好色文」では味がないし、「淫蕩文」では落としすぎ。外国語「ポルノグラフィ」だと見当違いだ。

これの適語はまだないのである。歌俳では「春歌」や「バレ句」がすでに慣用定着しているのに、こと文章に限り名前がまだない。そこで本書では、とりあえず〈漁色の文〉と称しておく。

漁色の文また、江戸時代に傑作が集中している。現代では、残念なことに感心させられるような漁色の文にはお目にかかれないでいる。先人に比べ、われわれ現代人は助平根性に欠けているせいではなかろうか。後学のため集めた資料から、サワリの部分をできるだけ沢山引いてみよう。

【例】

 

玉門琴啼                                   丹波康頼

令女俯俛 尻仰首伏 男跪其 乃内玉茎 刺其中極 務令探幽 進退相薄 行五八之数 其度自得 女陰開張 精液外溢畢而休息 百病不発 男益盛 … &()心方(しんぽう)

(おう)(しん)                                              作者未詳

股を(すこ)しく解く。廷尉(ていい)力索(りきさく)し、初めて桃源境を得たり。心に温柔(おんじゆう)を感じ、中指頭(ちゆうしとう)(しずか)に点じ、(ゆる)く玉門を(あが)くこと数々(しばしば)(つひ)に伝へて玉心をめぐらす。玉心軟かくして(ぎよう)()の如し、太后身を縮め、(おもて)を廷尉の胸に当て、耳朶(みみたぶ)を染むること赤うして、鶏冠に似たり、&『壇ノ浦夜合戦記』

*出典は門外不出、偽作秘本の集である。

海士小舟(あまおぶね)                                        柳亭種彦?

入り口のあたりだけをそろそろとあつかわれるのがもどかしく、もつと奥へ奥へといはぬばかりに、腰が畳に落ちつかず、風に漂ふ海士小舟、浮きつ沈みつするほどに、枕はまるで櫓の音のきしむやう &『春情妓談水揚帳』

薄毛の上から                                     猿猴坊(えんこうぼう)(つき)(なり)

雷はます〳〵鳴渡り、妻四方を照したて、近辺(ここらわたり)へ落たるにや、一鳴(ひとなり)高くひゞくになん、十郎も堪かねて、(そば)なる蚊帳へくぐり入る、(中略)是までなりと力を入れ、薄毛の上からそろ〳〵と、中指の腹もて(さか)に撫さすり、開高(とぐち)へ少し差入れて、(いろえ)々て内股を、ゆるめて顔を差寄(さしよす)るに、口を(ねむれ)ば舌先を少し(いだ)して(ねむ)らする、男の舌をさし入れば、しごきて吸ひて()を呑込み、腰をゆすりて(いつ)しかに、潤ふみずのぬら〳〵と、(いづ)れば二本の指を入れ、深く差入れ(ぬき)いだし、逆に上づら(こす)りつゝ、(そら)()れの上つかた、(とどま)る処でそろ〳〵と、いろへてはまた奥の方、子壺の辺りをくる〳〵と、廻しては口元と、秘術を尽す指先に、伝は鼻にて息をなし、&『大和妖狐伝』

好色講釈                                        桂文治?

頃は(にん)王四十四たい、てれつく大王の御宇、長命元年気のへいく、巳年の事也しが、あづまがたには居茶臼山に陣の構へ、御大将に薄毛の少々実長(さねなが)、左右に控えたる()(あか)(ぐさ)之介打成(うちなり)を初めとして、持上げ山の上(べき)には(くち)(しめ)蛸の入道君良(きみよし)、縮緬・木綿の幕を張つて、此の所に陣張りける。(中略)(へき)方には「心得たり」と頬赤臭之介が一子、今年(こんねん)十四歳なる若武者、新開巻(あらばちまき)をして、「われこそはあづま方の身内において、めゝこの三郎いたづら也」と、淫乱の如く成つてこすり出したり。… &『大会好色合戦』

*右の掲出は一部に過ぎないが、長い全編が淫詞猥語の捩り構成とした珍文である。

 疵物にされる日も間近か (古川柳)〔『風俗おどけ百句』葛飾北斎画、寛政頃?〕 出典は小冊子に柳句を百句選び、一句ずつに北斎が戯画を寄せている珍本。北斎の浮世絵に見せる構えをかなぐり捨てた味のある戯画だ。

  不承知な下女は額に二本あて

この頭書の一句にぴったりの素描である。言い寄った主人に下女が二本指で角を立てて見せ、イヤイヤをする。思わず吹き出してしまう情景だ。この下女の慣れ慣れしい仕草から、主人によって女にされる日も近かろうと愚考するしだい。

 

くじ取り くじとり

廓における大尽遊びの一つで、何人もの遊女を侍らせた男が床入りの順番をくじ引きとし、それを魔羅に結わえ付けた紐の長短で決めること。廓風俗を得意とする浮世絵師が好んで描いた画題である。

 くじ取りの図〔欠題艶本、絵師未詳、天明六年頃〕 なかにはくじ運のない女もいて、「わたくしはまだ一度もあたりません」とぼやいている。金に飽かしやがって、この松茸野郎、いい気なものだ。

 

口説き文句 くどきもんく

 ここでは、惚れた相手に首を縦に振らせるための説得を〈口説き文句〉とする。色の道をひらくための第一関門である。

【例】

大人のアバンチュールを

先日は酔ってしまい、失礼しました。

二人で踊ったとき牝の匂いを濃く感じたので

思い切ってベットインに誘っみたのです。

厚意を寄せたあなた断わられるのが怖くて

したたか飲んで勢いづきたかった。

でも「酔っ払いは嫌い」の一言は効きました。

並みのバーのマダムとは違うな、と実感。

今晩あたり、お店に顔を出します。

こんどは他店で飲まずストレートに行きます。

また踊ってくださいますね。

*相手はしたたかな水商売のママである。一本調子のヤワな口説きは通用しない。相手の女心をくすぐるような、セクシーな言葉をぶつけると効果的。それに風俗関係の女性だからとナメてかからないこと。人格を尊重し、折り目正しくきちんとした 対応ができれば、成果が得られる確率が高まろう。

 

熊野比丘尼 くまのびくに

近世初期、熊野神社の牛王法印(護符)を売り歩きながら春をひさいだ比丘尼。

そのおり歌念仏や浄土和讃を唱えながら地獄極楽の絵解きをするなど、かなり宗教文化的な仕事を広めた。「売色は人助け」という独自の観念があったのではなかろうか。

【例】

♪おさん茂兵衛

恋といふ字は迷ひの淵よ、こゝと積りて大経師おさん、ありし昔のその有様を、さらば暦の言葉で申そ、自体おさんは都の町で、器量自慢で(なさけ)も深く、如何な奥方大明(だいみやう)日の、御前様にも恥づかしやないが、如何な縁かや()(しゆん)(かた)へ、()宿(しゆく)(にち)なり嫁取よしと、親に委せて来ごとは来たが、(つま)の以春は心に染まず、兎角男の間日(まび)をば盗み、手代茂兵衛とちん〳〵血忌み、恋の歯固め蔵開きよし、閨の(うち)こそ黒日(くろび)となして、待つぞ必ず着衣(きそ)(はじめ)よし、やがて彼岸の入にもならば、お寺参りにやまた逢ひませう、何と茂兵衛殿どう思はしやる、若しも此の事(じつ)(ぽう)(ぐれ)と、知れて浮名の辰の日ならば、遂に以春も聞こ(わう)亡日(ぼうにち)、兎角こちから暇とる思案、八十八夜も過ぎたる後は、梅雨(つゆ)の入かや土用の(わざ)か、月の障りか、月食(げつそく)などと、作り病で唯ぶら〳〵と、二百十日も寝て居るならば、如何な男もはや秋風で、兎角(ふく)(にち)去られて後に、二人(とし)(どく)恵方棚吊りて、()(たて)竈塗味噌漬けもよし、世帯しましよと約束したが、男騙したその(こん)(じん)が、鬼門崇りか甲斐現れて、浮名天一天井までも、ひかれ出づれば都の町で、知るも知らぬも皆節分に、(むま)乗初めぢやと名の立つにさ。

&『大阪流行音頭』(江戸前期流行)

*熊野比丘尼唄の発祥についてはいくつもの説があるが、狭義には西国順礼歌を熊野振りに摸擬してできた唄をいう。本題目を「大阪音頭熊野ぶし」といい、「色里はやりうたくまのぶし」 の副題付き。鬼気迫るような猟奇事件を材に、熊野比丘尼が歌い広めた比丘尼唄の一つである。

 

組絵 くみえ

〈取組の絵〉〈角力(すもう)絵〉とも。秘画の一系、男女交合の絵図。

たとえば「女狐」「髑髏」「皮つるみ」など面妖な主題の何枚かが組みになった見比べ構成をとる。

【例】

組絵の由来

▽いもせをくみあはすからに組絵ともなづけあへるなり、くみ絵といふより思ひよりて、すまい絵などとも云う 

&『精くらべ玉の汗』

 

久米の仙人 くめのせんにん

 略して〈久米仙〉〈粂仙〉という。伝説上の人物。大和国で仙術を修業、空中飛行のさい女の脛の白さに見とれて神通力を失い、地上に墜落。結局その女を妻にした。

当地大和高市郡には仙人にちなんで久米寺という古刹があり由来の神札が立ててある。

【例】

久米仙落つ

▽色めきたる女、賀茂川へ行きて洗だくしける。折ふし風激しく裾翻り、脛の白きを我と見て、かの女房、心に思ふやう「昔久米の仙人、このやうな脛を見て通を失ひ、下界に下り給ふと聞く。今の世にも仙人ありて落ち給ふものでない」と思ふ一念天に通じけん、雲間に仙人まみへ給ふが、間近く下ると思へば「脛にたをされた、べかかう」といひて上りける。&『軽口御前男』巻一

 *たおされた=目くらまされた、べかかう=あかんべえ

 粂仙〔歌川国芳画「当世見立人形之内」より〕  

 

雲隠し くもかくし 

〈雲隠し〉とは雑俳用語の一つで、あからさまな〈バレ句〉を(てい)よく婉曲化したものをいう。

吟社句会などで下ネタを扱う場合、「生バレ不可」と条件の出ることがある。下半身を品よく表現しなさい、という矛盾した発想にもとづく注文である。

しかし臍下三寸はあくまでも下半身に有るのであって、いくらがんばっても上半身にすげ替えることは出来ない。雲隠しで作れ、というのは銭湯へ入るのにパンツを穿け、と騒ぎ立てるのに似ている。相手が思春期の娘ならいざ知らず、大の大人をつかまえて体裁ぶることはない。バレは破礼で有りの儘、自然体で吟詠すべきだと思うのだが…。

これまた他人様の作を拾い出せず、自家版でお茶を濁しておく。

【例】

雲隠し見本の三句                                荻生作

▽羽根布団十日でとうとう鳥が飛び

▽八百屋後家湯気たつバナナも店先に

▽舞妓はん巾着(きんちやく)べべもお持ちおす

 

廓唄 くるわうた

〈遊里唄〉とも。廓内でうたわれた唄の総称。

遊女の情歌がかなり多いので、例歌には別の小唄傾向の作を拾ってみた。

【例】

廓唄の雑載

君にうたゝね()()(おこ)されて、あやめあかぬに(じつ)短夜(みじかよ)は、名残惜くもかへる月。(四季)

松と竹との(よわひ)(かど)に、かざる、いよ宝船。(十二月行事)

祇園祭に(すずみ)をかねて、つもる思ひを夕顔の花。(祇園祭)

忍ぶ恋路に粟津(あわづ)と聞けば、わしは一しほ身にしむあらし。(近江八景)

かはるまいとは似せ(むらさき)よ、底の心はいようす桜。(桜づくし)

恋の湊に思ひの(いかり)、君が情けよいよ泊り船。(恋づくし)

&『三廓盛衰記』(江戸前期流行)

♪別世界                       油屋茂作・近松播磨詞

ふうりんのをあしもとつて時のよう、花もうし月もよしなし、たゞひとりのいてちやうじやにならぬがまこと「いたゞいてあきのない、大事の〳〵をとこのなにも「いれぼくろにはさまつけず、うでにしみこむあいあがり、いまおくさまといはれていたら、こへであらうものこれのふやいの、とゝとかゝとでくらすがましよ、勝山ほどきはらげがみながわげやめてぼつとせに、なりは気さんじ気はたかうすゐのとまりの別世界。

&『新大成糸のしらべ』(本調子端歌、享和元年)

*遊興のすえ廓に残した捨唄であろう。

新吉原節

♪晩に二人が互の固めをば、名を入墨がきれずみと、世間の手前切れねばならぬとは、苦労は初手からズイトコリヤ承知でも。

♪わづか三巾(みはば)の布団の其中で、死ぬる生くるの痴話喧嘩、(はた)で見てゐる仲居はたまりやせぬ、色は思案のズイトコリヤ(ほか)ぢやもの。

&『明治流行歌史』(明治三十九年頃流行)

 

廓詞 くるわことば

 遊里(さと)(ことば)遊里(さと)(なまり)、ありんす言葉、浮世詞

などの別称がある。江戸時代に遊里・遊廓において遊女らが使った隠語。

【例】

三娼(深川・品川・吉原) の詞違い

                    山東京伝作お仲 つる吉といった新内の芸者は、どこに今はおりやすへ お品 やつぱり村田屋のむかふに居やす。モシそして旦那やかみさんの居る所を、お部屋と申しやす およし ヲヤ吉原じやア内証(ないしやう)といひすよ お品  ほかに客のあるのをまわしといひやす およし それも吉原じやア名代(みやうだい)客人(きやくじ)ンといひすよ お仲 深川なんぞじやア、そんな手重(ておも)い事はねへが、(よい)(どま)りを付た客のくる間に、ぬすみと言ふを売りやす お品 むヽはてね。品川の法で、なじみの客がほかへかくれて行くのをしると、その()キの女郎の(とこ)へ、台の物をおくりやす およし 吉原じや、そふいふときは、つけとゞけの(ふみ)(いふ)をやりいすよ &『古契三娼』

 

閨房訓 けいぼうくん 

近代まで、男女の閨房(ねや)での心得を述べた訓戒書が散見できるが、この類を〈閨房訓〉と名付けておく。

心得を垂れるといっても対象は婦女子に限られ、女は男()につき従うという儒教精神に根ざしている。この分野は偽書の類が目立ち、表現もきわどく、作者が明らかに遊び半分に書いている。文学的鑑賞の価値はほとんどない。

【例】

「女大学」の宝暦版偽書より   (かい)(まら)(へき)(けん)…その夜、夫()したる(ねや)にいりて、わが帯をときて、(じき)の肌をひつたりとつけ、夫ののどへ、(かしら)をうつむけ、あたえる体にてよりそふべし、にベなき男はこれをいつたんいきどおり突きたてることあり、いくたびも、いくたびもとりつき、ものを言はず寄りそへば、いかなる心荒き夫にても、ついにはきげんなおり、そのまゝにさしをくものなり、このとき、そろそろ夫の男根(へのこ)をさはり、かくすれば、つい指先に仲人たちて、なかなおりの一(きよく)となるべし &(おんな)大楽(だいがく)(たから)(ばこ)

*貝原益軒著『女大学』を捩ってある。この類、見方によっては「押し付けがましさ」が売りになっている。

花嫁初夜の心得                               作者未詳

婿は今宵を一生の楽しみ、下帯(したおび)を解きかけ、今宵は千代のはじめとたわむれ寄れば、嫁ごは恥かしげに、寝巻の袖を顔にあてて、身をふるはしておはします、そのふところ子のこはがるこそ珍重なれ、ふのり紙を引きさき、つばにねやして、そろそろと、こそばがるゝ内股をひろげ、まんぢうのごとき玉門ゑ塗りくり、しばらく陰核(さね)がしらなどいらいて、よくよくつばつけてねやし、とろりとつけて、ひろげかねらるゝ股をひらき、(かり)ぎはまでそつとすすめ参らすれば、痛むと見へて、のり出し給ふを、そろ〳〵とあしらひ、やうやうに、だうやら、かうやら半分、こみ入りしが、その夜はとかくせつながり給へば、半ばにてまつりを渡しぬ &『初花千歳鑑』

 

下種唄 げすうた

品性を欠き低劣とされた歌謡。ほとんどが下半身事を扱い、興味本位の詞がむき出しになっている。

【例】

♪わたしや蛸の性で

わたしや蛸の性で吸ひつくけれど、お前海老(えび)の性で()ねなんす、ノンノコサイ〳〵

&『摂陽奇観』巻三十九(天明八年大坂で流行)

♪諸国行脚の西行

諸国行脚の西行法師が、岩に腰掛け海眺め、蟹にちんぼこはさまれて、あいたゝつ、はなしやがれ。&『はやり唄変遷史』(文政末年に流行)

♪恋々節 

・いろのへ こい〳〵 五丁町へハ 四ツ手かごしてこい〳〵

・あがれば 女ら衆はあだとしま それ げいしやも こい〳〵 やりても こい〳〵

・いやなお客を とらねば おへ屋で しかられる それこい〳〵

・ためになるのハ ぢん助よ ソレやまねこ やんちやん おつこちや こい〳〵

&『はやり唄 春げしき 手くだでこい〳〵ぶし上(明治三十五年頃流行)

 

広開女院 こうかいにょういん

伝説上、巨陰の持主として有名な孝謙女帝の異名。あれやこれやの異説が広く流布されてはいるが、ほとんどが根拠のなく信頼性はない。

「広開」はコウケンの訛音であり、「女院」は退位して上皇となったための呼称で、これまた女陰に音通する。☟広つび

 孝謙女帝像

【例】

孝謙帝の御開門                          中山忠親

彼女体ノ御門ハ天平宝字二年春ノ比。涅槃(ねはん)経文(きようもん)ノ御罰ヲ蒙リ給ヒテ。彼御開門ハ(もろもろ)ノ法師ノ物ヲ入テ。御意ヲ行シ御座(おわし)ケルヲリフシノ事ニテアリケルニ。コノ道鏡。御門ノ近キ辺ノ御持仏堂ニアリケレバ。又例ノ如クニ彼法師ガ頭ヲ。御開門ニ入給タリケルニ。其内ハ都卒ノ内院ノ四十九院ノ浄土ニテ見ヘケル事コソ。末代マデノ世話(がたり)ニテ。不思議ノ中ノ不思議ナリケレ。 &『水鏡』著(前田家本)

 弓削道鏡(ゆげのどうきよう)(?~772)は奈良時代の僧。称徳女帝(重祚前は孝謙天皇)に寵愛され太政大臣禅師、のち法王に。道鏡の雄物(ゆうぶつ)と孝謙帝の広開(ひろぼぼ)伝説は、大部分が後世の捏造であり、虚飾に満ちた作り話である。ただし二人とも、色情狂に近い好色家であったことは事実のようだ。掲出はレッキとした史書からの引用。道鏡の頭ごと広大な御開門に収めてしまう情景など、エロチシズムを通りこして勇壮でさえある。末番句集『誹風末摘花』にも

   道鏡が出るまで牛蒡洗ふやう

との句があり、二人を冷やかしているし、源顕兼著の『古事談』の一部に「称徳天皇、道鏡之陰、なほ不足に思し召して菟薯(とろろ)を以て陰形と()す」と述べている。こうなるともう観念の産物、どちらがデカかったか、など問題ではあるまい。下賎の男が高貴な女性を存分に犯すこの種の話が、『チャタレー夫人の恋人』よりも千二百年も昔の事であると知るにつけ、日本の性文化また早熟であったと思う。いずれにせよ、道鏡といい、帝政ロシアの怪僧グレゴリ・ラスプーチン(一八七一?~一九一六)といい、坊主には助平で食わせ者が多いことを裏付けている。

交合日記 こうごうにっき

日記は本来が私的な記録であって、たいてい公開されることはない。しかし文豪や有名人ともなると話は別で、刊行後に衆目にさらされることを意識してか、日記文学の一端として書かれることが少なくない。日記随筆の名手と評価の高い内田百閒の日記などはその最たるものであろう。

なかには夫婦の秘め事すら日記に仕立て、堂々と出版してしまった豪傑がいる。『蘆花日記』を手がけた徳富蘆花(18681927)がその人である。

 【例】

六月二十一日                          徳富蘆花記

(大正五年)六月二十一日 奥に退き、浴衣で来たMadamを背から抱き、着物をまくり、肉肉相接、──到頭白蚊帳の外に押倒して温柔的交際。快美にたへずして細君声を出す。(中略)細君の十七以前に一番槍をつけた男の奴が憎い。無論羨ましいの意味である。/九月三日 Madamの陰毛を撫でゝ居ると、到頭欲を発し、後から犯す。精液がどろ〳〵。快甚(かいはなはだし)。/十月十四日 十時過ぎ寝てから交合をはじめる。下腹の衝撞からはじまり、馬乗りになり、「下から持つ上げりや何の事はない」になり、「座つてしませう」の提議のもとにBedに座はり、最後に両足をもたげ、膝折臀開きの姿勢で充分に射精する。 &『蘆花日記』大正五年

 徳富(とくとみ)蘆花(ろか)(18681927)は小説家。人間からヒト科動物になった文豪ご夫妻の生々しい記録である。おかげで先生に後背位(おいぬどり)好みのあること、夫人が結婚時に非処女であったことまでわかってしまった。日記という性格から露悪趣味とはいえまいが、ご本人は案外面白がっており、エロ話をするぐらいの気持ちで書いた節がある。蘆花の筆まめなこと定評があり、膨大な量の『蘆花日記』にそれがうかがえる。夫人愛子をMadamと呼び、文中にもこの代名詞がうんざりするほど出てくる。もちろん日常の生活記録が主体だが、おりに触れて、Madamとのアケスケな性交渉も散見できる。例を挙げると「早暁交合」「その太腿を枕にして寝る」「ボボがしたいナ」「交合して精に潤ふ夢を見た」といった生臭い表現が随所に見られる。かの俳人一茶も一晩に三交したの四交したのと日記に書いている。歴史上の有名人も、夜の素顔は隣家の親仁並み、親しみを感じるではないか。

 

好色 こうしょく

 好色家、色好み、裾っ張り、裾貧乏、悪性などの同義語がある。色事をこよなく好むこと。また、その人。好色の尺度は判然としないが、人並み以上に、という形容が当てはまろうか。人は色欲に走りすぎると、他の人倫遵守がおろそかになりがちなため、自身に対し戒色という規範で律しているといえる。

また〈助平〉という好色で下品な男への俗称も見逃せない。これは「好き」の訛語である助にありふれた男子名接辞のを付けた擬人化言葉である。

 雑柳句集『江戸八百韻』に、

ばいの実の殻に成りてもすけべいじやと、バイガイの外見が女握りの形になっている様を笑っている。

 人呼んで「好色宰相」〔明治風俗画、ビゴー画、明治二十年代〕 絵の掛軸の元となる漢詩で、伊藤博文は次の一篇を作っている(読み下し)

     飲某楼                

豪気堂々大空に横たはる

日東誰か帝威をして(さかん)ならしむ

高楼傾け尽くす三杯の酒

天下の英雄眼中に在り

酔ふては枕す窈窕(ようちよう)たる美人の膝

  醒めては握る堂々たる天下の権

 

極楽浄土 ごくらくじょうど

〈極楽浄土〉は仏教にいう至高の安楽地。これを女陰による快楽に見立てそう呼んだ。

すなわち生きている男にとって、女のヘソ下三寸は何にも勝る極楽浄土なのである。その証に江戸っ子は吉原を極楽という極め付きの別称で呼んだ。

 四幕目「雲の絶間姫」における鳴神上人〔雷神不動北山桜〕

【例】

雷神不動北山桜                        市川団十郎作

▽鳴神「ドレ〴〵、じ脈をとつてみやう。ハテ、むく〳〵としたものじや。コレが乳で、その下がきゆう尾、かの病の凝ってゐるところじや。オヽさつきよりよつぽどくつろいだわいのう。こレこのきゆうびの下のコレこゝを、ずい分といふぞや。それから下がしんけつ、ほぞとも臍ともいふところじや。このほぞの左右が天すう、ナントよい気持ちか、ほぞからちよつと間をおいて気海、気海から丹田、その下がいんぱく、そのいんぱくの下が、極楽浄土じや。

絶間「あれ、お師匠さま。お師匠様、もうお許しくださりませ。

&雷神不動北山桜(なるかみふどうきたやまざくら)』歌舞伎台詞

 市川(いちかわ)団十郎(だんじゆうろう)〔初代〕(16601704)は歌舞伎役者で、市川家の宗家。荒事師の開祖でもある。演目は能楽「一角仙人」から材を取って初代市川団十郎が脚本化した台詞で、歌舞伎十八番の一つ。鳴神上人は天上に戒壇を設けるよう帝に求めたが応じてもらえない。上人は怒り、滝壺にすべての竜神を封じ込めたため雨が降らず、民百姓が難儀する。朝廷では美女の雲の絶間姫を差し向け、色気で上人の法力を失わせ、隙に乗じて竜神を逃がし雨を降らす。掲出は姫が上人を誘惑する場面で、感じた上人が漏らした台詞だ。女の色香に迷い堕落していく破戒僧が暗示的に描かれている。ことに手を抜かない女体まさぐりの描写がおかしみをさそう。久米仙人や志賀寺上人とはまた一味違った写実的趣きがよい。

 

酒魔羅湯ぼぼ さけまらゆぼぼ

程よく酒を飲んだときの怒張した魔羅と、湯上り女の柔らかく香しいぼぼと。

共に床入りで房事が享楽できる最高の状態を表している。酒は男女を問わず催淫効果があり、古来、手軽で効果のある(ねや)(ざけ)がたしなまれている。

  浮世絵生みの親である菱川師宣画のワ印組物『恋のむつごと四十八手』のなかに『湯酒(ゆざけの)(こころみ)』と題する一枚がある。その絵柄がなんとも噴飯物。男女が五右衛門風呂につかりながら女は立位片足懸けの姿勢のまま交わっている。その右手には提子(ひさげ)を持ち男に酌をしているではないか。酒魔羅湯ぼぼを実地励行した愉快きわまる愛欲図絵である。

 

三九郎 さんくろう

地方の道祖神祭りで歌う卑猥な習俗。

引例の信州松本平で行われる三九郎焼が有名である。

 三九郎(どんと焼き)〔有明山の麓から「歳時記」ブログより〕

【例】

三九郎

▽三九郎 三九郎

かかさのベッチョなんちょうだ

まありまありに毛が生えて

なかちょっと ちょぼくんだ

(長野県東筑摩郡辺の伝承歌)

*卑猥無比の恐るべき童唄である。もし幼児にあれこれ聞かれたら、親は何と答えたらいいのか。童唄にも淫歌じみた詞がいくつか存在するが、女性器をこれほど生なましく表現したものはあるまい。性神を祀る俗信は全国各地に散見でき、長野県も比較的多いほうである。詞の「三九郎」にはいわれがある。信州で小正月の火祭りを祝う左義長(さぎちよう)という道祖神祭の地方名なのである。地元では三九郎と呼ぶ(たきぎ)を持ち寄って燃やしながら、この唄を唱和し、焼団子を食う。ベッチョの意味がまだわからない幼童も加わって歌うのだから、異様な雰囲気であろう。

 

地獄 じごく

 暗女(あんじよ)暗物女(くらものおんな)、地獄亡者、白湯文字とも。

江戸時代から明治初期に、暗屋とか地獄宿と呼ばれた私娼窟で春を売った下等娼婦の異名。

井原西鶴は『好色一代女』のなかで「世間をしのぶ暗物女、江戸にて地獄といひたるも、くらき義なり」と述べている。一度足を踏み入れたが最後、この苦界から二度と這い上がることは出来ない、という意味も含めての名付けである。

「地獄宿」のどん底から抜け出す機会を得ても、生活のためこんどはさらにひどい辻君や船饅頭に堕ち、客を拾わなければならない。あげくの果て、病に冒され野垂れ死の運命が待っている。この地獄をあえて買うのが地獄買い、男の(ごう)であるといわれている。

【例】

地獄                                                喜田川守貞

▽坊間の淫売女にて陽は売女に非ず密に売色する者を云昔より禁止なれども天保以来特に厳禁也然ども往々有之容子也 地獄京坂にて白湯文字と云尾張名古屋にて百花と云もかと訓ず彦根にて麁物と云皆密売女也 

&『近世風俗志』二十編

▽先月二十七日猟取られたる密売の地獄亡者の中、左の人員東京裁判所へ、昨五日呼出しに相成たるよし。

  第一大区越前堀一丁目一番地 高橋鉄五郎雇女らく、十六歳 外百二十九人。(以下第六大区まで続くが略) &『横浜毎日新聞』明治八年四月六日

 

四十八手 しじゅうはって

〈四十八型〉〈交合百態〉などの異名も。性交態位が何種類もあることの日本における比喩的表現である。

実用的な態位はせいぜい十数種類であるが、なかには数合わせで四十八手としたという説もある。どの態位を四十八手とするかも、出典によって千差万別である。また、四十八手の裏表を取って九十六手とした書もある。

 笹間良彦編『好色艶語辞典』四十八手の条

に掲げてあるものは普遍性が高いと思えるの

で、次に引用させていただく。

  四つ交がい、(かつ)ぎ上げ、きぬかつぎ、足抱え、座り(ちや)(うす)、茶臼(がら)み、(ほん)茶臼、茶臼押し、後ろ茶臼、横茶臼、登り(がけ)蜻蛉(とんぼ)(つり)、四手絡み、小股挟み、磯の浪枕、肩(すか)し、向い突き、吊橋、(はら)(やぐら)、片手()筈掛(はずがけ)、本手櫓、矢筈掛、敷小股、手車、突き廻し、抱え上げ、後ろ櫓、後ろ並び、窓の月、鴨の羽返し、二本結び、根腰、掛崩れ、逆取ったり、鴨の入首(いれくび)、逆手四ツ、逆手絡み、逆の浮橋、淀の水車、上り(ぜみ)、大渡し、鯉の滝上り、千鳥の曲、片男浪、巴取り、逆巴、二丁(だこ)

 

温泉土産? 一枚刷り「四十八手」

 

女陰異名雑載 じょいんいみょうざつさい

以下はできるだけ広く各分野の文献から渉猟した女陰に関する異名や別称等の雑載である。(五十音順)

・女陰名(異名等も含む)の傾向内容はその国の性愛文化を反映している。

・《和名系》記載以外にも派生した末端呼称が沢山あり、また《外国系》に記載のものもほんの一部にすぎない。

・名付け特徴を一言でいうと、連想に基づく見立てや譬えの呼称が断然多い。

《和名系》

あけび(山姫)、芦原、穴、穴熊、穴蔵、穴鉢、穴蜂、池、入れ物、陰戸、埋舌(うづみ)、器、生まれ在所、瓜、うろこ形、()め、おかめ、おご、おちゃっぴい、落とし穴、(おにの)一口(ひとくち)、お化け、お箱、おべっちょ、おべんこう、おまんこ、おまんじ、お饅頭、表門、開閇(かいひん)門口(かどぐち)、蟹、蝦蟇(がま)、蝦蟇口、観音、疵物(きずもの)、玉戸、金池(きんち)、暗闇、()(ざや)、毛風呂、鯉口(こいぐち)故郷(こきよう)、御秘蔵、細工場(さいくば)、逆さ富士、逆さ舟、裂け、裂け穴、裂け目、三寸、下口、下谷、下の関、朱唇、出身門、出世処、朱門、酒林肉池、女竅(じよきよう)如露(じよろ)、鈴、(すり)(ばち)、前陰、前門、想門、足袋、たれ、チャンコ、茶袋、通鼻(つび)、柄袋、露穴、洞穴、ときん、常闇(とこやみ)、とさか、内奥(ないおう)、内陣、薙刀(なぎなた)、薙刀(きず)、情の所、情の門、(なた)(まめ)、鍋、肉池、肉饅頭、女根(によこん)、如来、のり壺、化け物、鉢、秘奥(ひおう)、菱餅、火之戸(ひなと)、火之門、袋、富士山、富士額、淵、船玉様、船、古里(ふるさと)、風呂、へき、臍、べっちょ、へへ、べんこ、木瓜(ぼけ)、前穴、前尻、幕の内、松皮菱、豆蔵、蜜壺、みほと、()、命門、めこ、()の始め、牝々(めめ)、めめっこ、めめっちょ、門、門戸、薬研(やげん)、薬研(なり)、山伏、腰間の紅貝、よね、(よね)饅頭(まんじゆう)、夜蛤、瑠璃光(るりこう)如来(によらい)瑠璃(るり)殿(でん)(わに)(ぐち)草鞋(わらじ)、割れ物

《外国語/外来語》

カット、カニー、カント、キャベツ、クイム、クラック、クラッシュ、コン、シャー、シリンダー、スリット、ナンシー、ハニー・ポット、ファニー、フィコ、フラワー・ゲート、プッス、ベーコンサンドイッチ、ポーク、ホール、ボックス、ミート、ミネット、ミミー、モンキー、ヨニ、レディほか多数

フランス語では、abricotbaquetcentrechatchounecraquettedidinefentemoniche(ほかに数百の類称あり)

 

娼況 しょうきょう

〈玉相場〉とも。娼妓の相場を指す近代語。

それにしても娼況とは面妖な言葉だが、昭和三十三年四月一日売春防止法が施行になるまで新聞・雑誌に散見できた。今ではもちろん死語になっている。

【例】

娼況

▽こゝ(もと)米価非常の騰貴に影響を及ぼし各地とも随分に品物は出回るべき娼況なれど彼の三ケ年期に抱へ主非常の弱気を含み従来大(まがき)にて五百円以上踏込んで買出せし程の代物も昨今は三百円どまり位となり随って小格子マバラ連も同様前借金出し惜みの姿にて二百円止り百二三十円内外の駆引なり(もつと)も売物は上物相変らず払底にて中物下物は大坂紀州西京岐阜等に沢山在荷(ありに)は見ゆれど何分前借金の折合纏まらず一寸こゝ許ねまち模様にて手放し()ね双方白眼合(にらみあひ)の娼況なるが追々米価低落の勢ひに連れ此の先いかに変動を現はすやも知れず

&『東京朝日新聞』明治二十三年七月二十二日

*米や小豆などではない。生身の娼妓の抱え相場を商況に仮託して情報提供するという、見事なまでの野次馬根性に恐れ入るばかりである。文面からわかるように、娼妓の人格はまったく無視され、単なるブツとして扱われている。チト口滑らし程度のことで目くじらたてる現今ウーマンリブ派のご婦人連には、見るも汚らわしい記事であろう。ときに明治二十二年二月の憲法発布の頃から、廃娼への世論が高まった。消極的姿勢の東京府よりも、神奈川県や群馬県などの地方議会で娼妓存廃が熱心に討議された。廃娼とはいえ今日的な人権擁護の観点からでなく、楼主に家畜並みに扱われる娼婦の悲惨さが社会同情を促したのである。しかしその後六十年余り、娼売が潰されることはなかった。

 

女郎文 じょろうぶみ

女郎や玄人筋の女が客に出す営業用恋文。

要するに、店へ来て私を指名し、お金をどんどん使ってくださいな、という内容をあれこれ脚色したものである。

【例】

女給より一筆

▽拝啓ノブレバ一筆進上申上候。あたい今、小紫さんの部屋で一緒に寝ていますの。あんたは夜明けに帰って、いま頃はもうシマァトなシタイルで町に車を走らせているのでしょ。小紫さんときたらずいぶんあたいを可愛がるの。こら、お前はあのウンテンシとあまり気分だしすぎるぞ、なんてゆうのよ。されば故に、私も小紫さんにいい男の客出来ると多少ヤケまし。とは云い決して二人は肉体テキには何でもないのでし。ただせいすんの問(ママ)でしょ、でも私はあんたをうらむわよ。古今の和歌にもあるように、月は無情とゆうけれどコラ月よりあなたはまだ無情よ。では、これでおしき筆とめませ候。&西沢爽『雑学(おんな)学』

*この珍無類賞ものラブレターは、昭和十一年に交通事故死したタクシー運転手の懐から出てきた数通のうち一通であるという。この運転手、遊廓で馴染になった女郎の懸想文を交通安全の守り札なみに扱ったのだろうが、意は天に通じなかったようだ。世間一般の婦女子が出すラブレターとちがい、女郎文は営業用の殺し文句でつづられる。猫なで声、コケよがりと同様の伝で、馴染客を引き寄せるための販売促進用具に過ぎない。客のほうも心得たもので、また仮想文か、ぐらいの気持ちで屑籠へ放り込むのが普通だ。掲出の艶書は、一読したとたん吹き出してしまう。尋常小学校をやっと出た程度の(ひと)であろうが、本人は懸命に書いたにちがいない。運転手氏も、彼女のドングリ眼だか、紅ボッテリのホッペだか、赤い唇にキラリ光る金歯だかを思い浮かべ、独りニヤついているうちハンドル操作を誤り昇天したのだろう。

 

深情妙語 しんじょうみょうご 

深情妙語は江戸時代、男と女の仲を取り持つ意味深な言葉として通用していた。

大田南畝『俗耳(ぞくじ)鼓吹(こすい)』うち「お長半平」の条に、

同所お長が詞/この世の縁はうすくとも、未来はながくかふべしと、たのしみにした我身をば、むごくと斗半平を、じつと見やりし目の内に、恨と恋の二瀬川、みちくるしほを涙なる/深情妙語多言するに及ばず、妙々

とあり、ずいぶんと気を持たせた言い回しであることがわかる。

深情妙語の字面から一言で和風に表現するならしんねこ言葉であろう。これらは長唄や端唄の詞の中にいくらでも見つけ出せる。

 「破瓜」を暗示の意味深画像 守り札だが絵になる深情妙語の一例である

【例】

「意味深の唄」雜載

♪勇む心の手許(てもと)に花を飾る春駒 「夢に視てさへよい〳〵〳〵風俗も、育ちのしやんとした〳〵しやんと結んだ黒繻子(じゆす)の帯 ()いて〳〵ほどいて春の雪、さつと梢に積らねど、我が思は積れかし 「恋の重荷を乗せて行く此処(ここ)にも嬉し春の駒 &長唄『春遊駅路駒(はるあそびえきろのこま)』(安永元年正月、中村座) 

♪おてもやん あんたこの頃/嫁入りしたでは ないかいな/嫁入りしたこた したばってん/御亭主(ごてい)殿(どん)が ぐじゃぺだるけん/ まぁだ(さかずき)せんじゃった &「おてもやん=熊本甚句」

 *嫁入りしたもの亭主がだらしなく、未だに処女のまま、と告げている。

 

性教育 せいきょういく

性の正確な知識を教え学ばせるための教育指導を指す。

戦後の文部省は、国民に性教育の旧称である純潔教育なる用語を押し付けた。これは儒教思想の踏襲、官製の徳育教育にほかならず、今の時代にそぐわないとして性教育という用語に改められた。現今の性教育は単に学校教育にとどまらず大人を含めたカリキュラム的な性格を備え、内容もより科学的な視点にたった編成に。しかし性をタブー視する思想はいまだに消え去らず、成人教育からスタートする啓蒙が必要である。

 性教育直語(右図の本文)

珍宝おもうにコーソコーソあい曳すること公園に、まらをたつること雄大なり。我が陰門よくはいりよくしまり、巾着まきざねどてだか、へそ腹心を一にして、夜々そのつとめをなせるは、これわが肉体の本能にして、愛情のえんげん又ボボに存す。

汝金玉吹かず、洗わず、紙も使わず珍宝に相和し精液を貯え強健、もめどもつぶれず、博愛女に及ぼしエロを修め四十八手を習い以て「よくじよう」を挑発し、握手キツスは求めて行い、進んで処女膜を破り結婚を解消し、常に貞操を軽んじ、ヒニン薬を携へ、一旦関係あれば義理人情をわきまへ以て男女道徳の褌を固くすべし。かくのごときはひとり珍宝が自由解放の恋愛たるのみならず、又以て花よめ芸術、枕草紙を勉強するに足らん、この道は実にわが人生無上の快楽にして、チヤタレー夫人と共に遵守すべき所之を未婚の淑女に公開して憚らず、二号三号と共にケンケンふくようして皆そのたのしみを一にせんことをこいねがう。

芳紀二十三歳 十月出産の日/助平大臣 床長隊長 副書㊞/汚名汚字 

&『四畳半襖の下張

 

性典 せいてん

 愛技論、房術論、秘術本、閨房書、秘戯書などともいう。 性愛に関する技法を中心に編まれた古典的内容の経典。

房事の手練手管を指南したり論じたりする垂訓集でもある。

 世界的に次の各書が知られている。

『カーマ・スートラ』……該当項を参照。

『アルス・アマトリア』……該当項を参照。『愛技』……十一世紀イスラムの神学

 者イブン・ハズム(965?~1038)

『匂える園』……1888年、アラビア。

『大蔵教』……パーリ語の仏教典籍集、一部に性愛の禁忌について記述。

性的精神病質(サイコパシア・セクシヤリス)』……オーストリア精神病理学者のクラフト・エービングが二十世紀後半に書いた異常変態性欲論。

 中国では、

『素女経』……皇帝と素女ならびに玄女と問答体の性愛書。

『洞玄子』……洞玄仙幽著の性愛指南書。媚薬にくわしい。

『玉房指要』……催淫術の古典。玉門狭窄剤の方術などが異色。

 日本では、

『医心方』房内篇……漢方医師で、日本の丹波宿禰康頼が永観二年(984)に撰進。第二十八巻が房内篇。

『色道大鏡』……藤本箕山著。江戸前期の評判記だが、なかでも遊廓に関しての詳細な記述は圧巻。

『色道禁秘抄』……大極堂有長編。色道の実践指南を述べた艶本。

『秘戯指南』……梅原北明 (18991940)著の秘本。

『あるす・あまとりあ』……古典『アルス・アマトリア』の日本版、高橋鉄著。この書で高橋は名を高めた。

 痒い処へ手のとどく様に書いてある(ヘッドライン)〔『性典』の新聞広告、昭和二年九月〕 庶民一家が一か月三十円で暮らせた時代の定価一円五十銭はいい値段だ。一年もたてば無検印本が夜店の叩き売りで二十銭で買えた。

 

閑話休題 それはさておき

 一座の雰囲気を和らげ、肩の凝りを解きほぐすような他愛のない話題を〈閑話休題(それはさておき)話〉といっている。

 たとえば酒席で商談が一段落した後など、接待側・される側互いにバカ話に打ち興じ、人間関係を深めるのに役立つ。「ハートフル大笑い篇」とでも、「エロ話の隠淫語」でもいえようか。

 昭和の話術師、徳川無声は軟らかい方面の閑話休題話でも名人との評価を得ていたことを付け加えておこう。

【例】

それはさておき話「七インチのジョン」

荻生作

▽…「四寸五寸は人並みで、六寸超えるは鬼の魔羅、尺となんぼは馬のもの」とは

 古いことわざからの引きです。何のことか男の皆さんなら先刻お分かりのはず。

 米陰語では「七インチ(17.7センチ)のジョン」と称し平均サイズとしています。し

 かし張形になると話は違ってきますね。たいていが特大に作られなかには大切な処

 を傷つけないようにストッパー付きのものまでありまして……

 

太鼓持唄 たいこもちうた

〈幇間唄〉とも。吉原などの遊廓で太鼓持が踊り唄ったひょうきんな座敷唄。

常連の遊客が歌舞に加わることも少なくない。

【例】

吉原太鼓持唄

余り淋しさに 五丁町を見たれば 折し(まがき)々にわけや口舌(くぜつ)の高笑ひ 

   あなたの方では 三味線をヒツピイテモ かんなくせんだば 

  いよこの誠に 何より以ておもしろせうかの しましよかの 

  これ〳〵是しましよかの 繻子や純子(どんす)や 幅広のまへ帯

    あれや さて見たる(かは)(つづら) せめて名をきこ 

  あれや()ぞ 高尾に薄雲に 柴崎つし馬 

  八つ橋 唐崎 高尾 よし野見て来て

 こちの女房見れば あのや鈴木町の化物よ

 着せてくはせて遊ばかいておいてから 

  よし野まさりの ぢよろだんべもの 

  さても〳〵 めいよふしぎのおこにであふた キヤ 

  ゑりくり出いた 名とり達のわけよし

    油虫のからさわぎ なま酔の真似をして

 万事に邪魔をいれては テンテレツ テン 

&『異本 洞房語園』(寛文頃作)

 

太鼓持詞 たいこもちことば 

色里で太鼓持が演じたおどけ詞章。

これは公娼制度の消滅とともにすたれ、現代では太鼓持そのものが姿を消している。

【例】

黄表紙より                                                    恋川春町 

太鼓万八「この大雪に御駕籠にも召しませず、加賀(みの)の御いでたちは、ソレヨ、辰巳の里に猪牙(ちよき)はあれど君を思へばかちはだしといふ御趣向、おそろ〳〵 &『金々先生栄花夢』

万橘の「ヘラヘラ踊り」詞章

太鼓が鳴つたら賑やかだんベー、本当にさうなら済まないヨ、こらしやうのどッこいしやう、へら〳〵へら、へらへツたら、へら〳〵へ &『明治奇聞』第二篇

 *この踊りは明治十年過ぎに落語家の三遊亭万橘が演じて大流行、やがて太鼓持などが座敷芸で演じ全国的に普及させた。

 

男根異名雑載 だんこんいみょうざっさい

男根について異名や類称は数多くあるが、女陰のそれとくらべると少ない以下に集めた範囲の呼称を列挙しておこう(五十音順、古今和洋混在)

青大将、天窓(あたま)、生き針、活き物、異根、市松、一物(いちもつ)、一本、芋、因果骨、陰根、(うつぼ)

(うなぎ)、うわばみ、得手(えて)(きち)得手物(えてもの)М大筒(おおづつ)可笑(おかしい)(なり)雄元(おすもと)、オチンチン、(おの)、おはし、おはせ、大蛇(おろち)、亀、(きい)()、杵、木まら、玉茎、玉東西、串、くなど神、黒兵衛、ケケット、源蔵、元陽、五寸、小僧、コック、こね棒、牛蒡(ごぼう)、御用の物、御利生(ごりしよう)、金精様、竿、逆鉾(さかほこ)、作蔵、釈迦、尺八、代物、(しん)(こん)、鈴、(すり)古木(こぎ)、忰、せんぼ、ソーセージ、大根、大砲、竹まら、男陰、(だん)兵衛(べえ)、ちまき、茶柱、(ちゆう)(ぼう)、珍宝、チンポ、(ちん)(ぼこ)(つか)、づくにゅう、筒、(つの)、角のふくれ、づんべら棒、でっち棒、鉄槌(てつつい)、鉄砲、てれつく、天狗、道具、(どくこ)、とせん、土瓶(どびん)、中足、中折帽子、肉具、肉棒、入道、抜き身、のっぺら棒、放れ駒、秘伝棒、一ツ目入道、火吹竹、ファルス、筆、へこ、ペニス、へのこ、蛇、坊主、帆掛舟、坊さん、(ほこ)、帆柱、前足、松茸、魔羅、息子、()無棒(なしぼう)茂右衛門(もえもん)厄介(やつかい)(ぼう)、槍、(よう)()()利生(りしよう)呂留(りよる)、ろてん、(わに)(ぐち) ……ほかにも異名多く、「とっぴん」「耳のない鰻」など変り種もある。

 

男根の品定め だんこんのしなさだめ

  古来の伝による男根の良否や格付けこの手の評価は得てして遊び半分の主るものなので、一笑に付してよかろう。江戸時代、次の男根良否の十段階というのが通説になっている。

 一麩、二雁、三反、四傘、五赤銅、六白七木、八太、九長、十すぼ

 ところが、これは太くてやわらかい麩魔羅を最高位に格付けしたもので、機能は無視。この一事によって、格付者がいかにお粗な眼力の持主かわかろうというものだ。

 

男郎屋 だんろうや

 野郎屋、男娼屋、蔭間廓とも。江戸時代、女客に春を売る陰間を集めた淫売屋。

いうまでもなく「女郎屋」に対し作られた架空の娼売で、滑稽本や洒落本にときおりこの語などが登場する。現実には陰間茶屋をさすと見てよかろう。

 どの男郎が業平に似ているかねえ〔濡手で粟、峨眉丸(がびまろ)画、寛政十一年〕 女どもが格子越しに、女郎ならぬ男郎の品定めをしている。なんとも面妖だが、くすぐったい図ではある。話の筋は、荘右衛門なる色道家が女護ノ島に渡り「男郎屋」を開業したところ、男の味を知った女たちが狂ったように押し寄せ、連日大入り満員の繁盛、という他愛のないもの。現代でいう発想逆転仕立の洒落だが、現実に十分ありうる話である。まして女権とやらが拡張されっぱなしの現代、ホストクラブだなんて似たような存在があるじゃないか。タネ本は墨洲山人鍋二丸なる無名の戯作者が書いた滑稽本で、『三千世界見て来た噺』という先行版の続編である。

 

ちょぼくれ 

江戸後期、願人坊主が二個の木魚を叩きながら早口で歌った幕政・時局批判の俗謡。

「ちょぼくれ」「ちょんがれ」の囃子(ことば)が挿入され、各種のちょぼくれを生み出し、庶民

の共感を得ながら広まった。ことに卑猥詞を売り物にした作が目立つ。

【例】

願人坊主のおどけ詞章                   二世 桜田治助詞

♪ヤレどらが如来 やれ ヨウヤレ〳〵〳〵〳〵 ちよぼくれちよんがれ そも〳〵私ちが すつぺらぽんの のつぺらぽんのすつぺらぼんと ぼうずになつたいわれ因縁 聞いてもくんねえ しかも十四のその春初めて 一軒隣のそのまた隣の いつちくたつちく太右衛門どんの おんばさんとちよぼくれ 色のいの字の味を覚えて 裏のかみさん 向こうのおばさん お松さんにお竹さん 椎茸さんに干瓢さんと 触り次第に おててん枕でやつた揚句が 女と出かけて ヤレ〳〵畜生め そこらでやらかせ &常磐津「うかれ坊主」

 桜田(さくらだ)()(すけ)〔二世〕(17681829)は江戸後期の歌舞伎台本作者。「うかれ坊主」の原曲は文化八年三月、市村座で三代目坂東三津五郎(ばんどうみつごろう)大切所(おおぎりしよ)作事(さごと)「七枚続花の絵姿」の七変化一場面として踊ったもの。後世、昭和四年六月に六代目尾上菊五郎が歌舞伎座公演のため清元に直している。舞台は江戸の賑わう往来。薄物を身にまとっただけの願人坊主が門前の天水桶の陰から現れ、手桶片手に踊りだす。そのとき掲出詞を口ずさむ。(しも)がかった詞を早口でまくしたて、人だかりから銭を恵んでもらう。珍妙なこの詞は、当時流行の「チョボクレ」と「まぜこぜ節」という二つの俗謡を一緒にした滑稽語りである。坊主の瓢軽(ひようきん)な踊りとあいまって、集った見物人を哄笑にさそう。往時の願人坊主や門付け芸人などは、若い時分にさんざん道楽したあげく身を持ち崩したものが少なくなかった。乞食坊主に身を落としても俗ッ気は旺盛。「うかれ坊主」は、そうした下層社会に生活する者の体臭をよく伝えている。

 

出歯亀 でばかめ

女の裸体を覗き見する性癖のある男。

明治四十一年三月、東京西大久保で、出っ歯なことから出歯亀の渾名をもつ池田亀太郎(二五)は、女湯を板塀の節穴から覗いているうち次第に欲情が高まってきた。やがて彼は官吏の妻某を外で待ち受け、湯上りのこの女を物陰へ引きずり込むと、強姦致死の犯行に及んだ。

世にいう出歯亀事件で、いらい出歯亀は窃視症の代名詞として通用するようになった。

 絵詞が邪魔になる絵〔『逢夜雁之声(おうよかりのこえ)』より、歌川豊国画、文政五年〕 後世の出歯亀こと池田亀太郎に同情したくなるような情景だ。出典の題名は、凝りにこってなんと「あふ、善がりの声」の捩りになっている。

 

女護島 にょごがしま

 女人のみが住み暮らすとされた伝説上の島。

古今東西を問わず数多の言い伝えが流布されている。

【例】

問いていわく                          平田篤胤筆 

▽女島はここよりいずれの方にある国にて、その国のありさまはいかにありしぞ/寅吉いわく 女島は日本より海上四百里ばかりの東方にあり。(中略)さて女ばかりの国ゆえに男を欲しがり、もし漂着する男あれば、みなみな内寄りて食うよしなり。懐妊するには、笹葉を束ねたるをおのおの手に持ちて、西の方に向い拝し、女同士互に夫婦の如く抱きあいて(はら)むよしなり。ただし、たいていそのときはきまりありとぞ。この国に十日ばかりも隠れいて様子を見たりしなり。

&仙境(せんきよう)異聞(いぶん)』上・二巻、

 平田(ひらた)(あつ)(たね)(17761843)は江戸後期の国学者。実践的神道思想を体系化した。文政三年秋、天狗小僧寅吉という超能力を持つ十五歳の少年が江戸中の評判になった。寅吉は失せ物探しや富くじの番号を次つぎに当てて注目された。篤胤はじめ山崎美成(よししげ)・佐藤信淵(のぶひろ)といった学識者までが並ならぬ興味を抱いた。篤胤は国学仲間の屋代(やしろ)(りん)()に誘われ美成の住いを訪れ、使いを出して評判の寅吉を呼び出した。そのおりの問答記録集が『仙境異聞』である。内容は俗界を離れた感霊異境の見聞という触れ込み。たとえば女の霊の行方、仙人の年齢の数え方、金毘羅様の実名、夜の国の事などについて質問し、寅吉が丁寧に答えている。この本をざっと拾い読みしてみたが、言っていることは荒唐無稽の域を出ない。ただし、十五歳の少年とは思えない体験知識が少なからず盛り込まれている。その異能(オカルト)ぶりに当代のインテリ連が振り回され、感じ入って記録にとどめている点が今一つ納得いかず、創られた神がかりの感を強めた。

 女護の島の好色偽書版〔女護が島、絵師未詳の彩色木版画、明治初頭〕 

 

濡れ唄 ぬれうた

遊廓やお座敷などでうたわれる、濡れ事を主題とした歌。

この分野では江戸初期になった投節が典型的な体裁をそなえている。

【例】

♪投節〔雑載〕

・思ひ出して。寝られぬこよひ。枕なりと。も伽。となれ。

・恋のふちせに。身はなげぶしの。思ひ沈む。は我れ。独り。

・こひはせまじな。姿はやつれ。人の見る目。も恥づ。 かしや。

・恋で死んだら。焼かずに棄てよ。しんはこがれ。てゆく。ものを。

・いつもなれども。こよひの夜程。君の恋し。き夜さ。もなや。

&『当世なげ節』(三味線歌、元禄期流行)

♪どんどこ節

早く帰せばためにもならふが、どんどこどんといふて、未練で、やんぎりもんぎり、しやんぎりこんぎり、()へされぬ、すつちやんなんじやい、やつちりめんじやい、さんじやい、さんじや、もつともじやじや。

&『はやり唄変遷史』流行節、元治頃流行

♪おばさん

男よいとてねをんなが惚れよかねえおばさん、情知らなきや惚れやせぬよねえおばさん。&『はやり唄変遷史』(流行唄、慶応頃流行)

 

 ねこ

江戸時代から近代にかけて、三都における芸者の異名。

芸者は三味線で稼ぐ、三味線の胴には猫の皮が張ってある、ゆえに芸者は猫と持ちつ持たれつだ、という連想から付いた異名である。京都では祗園社を背に遊里が発達したことから、「山猫」の呼称もある。

【例】

猫じゃ猫じゃ

猫じゃ猫じゃとおつしやいますが

猫が、猫が下駄はいて

絞りのゆかたでくるものか

オッチョコチョイのチョイ (明治二年流行の俗謡)

*維新後の社会では、人事職業を動物に擬して冷やかす風潮があった。このオッチョコチョイ節でも、芸者をして猫と称し、流行唄に乗せている。猫と並んで、女郎の擬称は「キツネ」、いつ何時も人をだますから。高級官吏は判で押したようにナマズ髭をたくわえていたので「ナマズ」と蔑称した。木っ端役人のほうはドジョウ髭が象徴(シンボル)だったので「ドジョウ」。時代は下り漱石『坊つちやん』の主人公は、校長をタヌキと呼んでいる。いずれも庶民階級から離れた世界でノホホンと暮らしている連中への、やっかみを込めた当てこすり。

♪たのむ節

・梅が枝の 手水鉢 たゝいてお金が出るならば もしやお金が出た時は、そのときや身請を そうれたのむ(元唄)

・亜米利加のワシントン 戦い起こして勝つならば もしもや勝つたる其時は、其時や独立 そうれたのむ

・青柳の風の糸 結んで縁になるならば 若しも縁になるならば 其時や 情けを其れ頼む

・成金の紳士共 (ねこ)娼妓(きつね)に騒がれて 尻毛抜かれ鼻毛まで 眉毛に 唾をば其れ頼む

&『日本近代歌謡史』上(明治十一年頃流行)

*この唄の作者は仮名垣魯文との説もある。

 猫=芸者を申し分なく擬人化〔猫のすずみ、歌川国芳画、天保年間、東京国立博物館蔵〕 単なる夕涼みが画題でなく、じつは「団扇絵」になっている凝った趣向である。

 

「はこやのひめごと」

異色の艶笑文学『藐姑秘言(はこやのひめごと)』は、『阿奈遠可志(あなおかし)』『逸著聞集(いつちよもんじゆう)』と並んで江戸時代の三大奇書に選ばれている。

とかく下卑た好色物に流れやすい内容を、嫌味を感じさせることなく要領よくまとめてある。それもそのはず、作者はわざわざ平安言葉を一貫して用いるといった念の入れようなのだ。

本の内容は秀逸な十話からなる短編集で、ここでは短いことを条件に第九話「野良出合」を採った。出典には現代語訳と注解が併載されているが、江戸時代生まれの平安ポルノの文体を鑑賞するため、原文の掲出にとどめた。

はこやのひめごと〔原本〕

第九話  野良(のら)出合(であい)                                   黒澤翁満述作

恋知らぬ人は心もなかべし、とは五条の三位入道も()めりけん、げにもののあはれ知らぬ際の、山賎(やまがつ)の垣ほのうちも、塩焼く海人(あま)のとま屋にしも、岩木(いはき)ならねば、おのがじしの()()きしさるはあるなるべし。/(あし)原田(はらだ)(いな)つき蟹も、嫁を得ずとてや、かひなげに捧げては、またおろすなめり。門田(かどた)(くろ)(うす)()てて、御稲(みしね)つく(をみな)のうたを聞けば、

 わが()なを 褒むるならねど

 眉目(まゆ)ほそく 鼻さへ高く 桜色して

歌さへ、いたうひなびたれど、心なんあはれなりける。あさ(はなだ)に、紅梅(こうばい)(おり)(えだ)()めつけたる衣の、さゐざゐしきを脛長(はぎなが)につぼをりて、(しら)木綿(ゆふ)手拭(てのごひ)もて、頭にまとひたれば、いとど白からぬ(おも)(やう)の、さすがにわららかに愛嬌づきて、さる方に怪しうはあらねば、ゐふにしかふとか、命かけたる好色漢(すきもの)どももこそあめれ。衣かろげにもたげつつ、また、

   咲く花の 絵島の()なが いとならば

   だきて寄せまし わが(ねや)ぬちに

  となん、声いと長う唄ふ。かなたの(あぜ)(づた)ひに、刈りあげたる(いね)(こと)(うし)(おほ)せて、いたく綱引きつゝも、これも、

   かはびらこ あきつ きりぎりす 

   あしびきの 山ベに鳴くは さく鈴の

   鈴虫 松虫 馬追(うまおひ)あはれ 

   と声絞りあげて、唄ひつつ来る男あり。撫子の若葉の色したる。(あつ)()えたる衣の

  袂、せばんなるを着て、(うなじ)に柳色の手拭をなんかけたる。

  見交(みかは)して、かたみに打ち笑みたる眉目(まみ)の容態、ただにしもあらぬあはひなるべし。門の柱に牛つなぎおきて、あぐらに尻もたげたれば、女も近う寄りてなん、憩ひがてら語る。「きのふ岩田の田に笠忘れたれば、この照日にも()(かむ)らで、色もこそ黒め、あやめの郡の大領(たいれやう)どののまな娘にさへ思はれて、をちこちにつまさる()ななれば、見すてられんが(ねた)()たさ」と、男の膝に寄り添ひつつ言へば、(せな)かい撫でて、「すがなき事をもきくものかな。たれかさること(まう)しよこしし。隣の弟嫁もや、申しよこしつらんを、(みみ)にな()けそねや、いもろがおもは、しし田()るごと、我れをしもころばるれと、だまし合へれば、()るべとこそ(たの)め、良き折なるを。いざせ、いざせ」と、手を取りて、()て入るを、少し(すま)ひて、人もこそ()れ、昼は恥かしと、袖もて蔽ふ口さしなめて、へつひのなかより()ひ出る(ねこ)の、馴れて、ねうねうと鳴き寄るをみて、「このけだものだにも、催し顔なるを、いざせ、いざせ」と網代(あじろ)屏風(びやうぶ)にはた隠れて、かより合へるなるべし。「見給ふな。見ては(いな)。さればぞ昼は」とわびしがるを、そらおぼめきして、二布(ふたの)かいやり、女の足に肩をかけて、おのが膝に尻もたげて、およびもて、まさぐりなど、いみじう心をやるなるべし。(をんな)もやうやう()があがりて、「()()う」といふを、なほしばしためらひて、つと差し入れたる、まことに()にも泣きぬべし。うつしこころもなう、(むつ)れあひて、はてはまた、(きさ)(きば)のかんざしを、買ひておくりぬべくや、(ちぎ)るらんかし。

&『江戸の奇書 はこやのひめごと』志 摩芳次郎訳注

 

発禁本 はっきんぼん

警視庁など官憲の権力側により発売禁止処分を受けた文書をいう。

その多くがいわゆる桃色出版物あるいは思想規制対象本で、昭和前期におびただしい数の出版物が摘発を受けている。ちなみに発禁処分を受けたのは昭和元年四件、同二年に六件、同三年に二五件、七年になると六七件へと跳ね上がっている。

 

戦後、ポルノか否か、表現の自由をめぐって取り沙汰され世論を沸騰させたチャタレー裁判はあまりにも有名だ。あるいはまた、「プッシー」とは書けてもおまんことは書けず、執筆者は「お☓☓☓」といったみっともない伏字で尻拭いしなければならなかった。日本人なら誰もが知っていて半ば公然と使っているおまんこの、どこが活字にすると良俗に反することになるのか。かくして一昔前まで、日本国はポルノ鎖国そのものだった。公序良俗の名のもとに、石頭の警察官僚どもが平然と文化破壊を行ったのである。

【例】

僧坊夢(そうぼうむ)』より

▽導者は言う。──第一番には那智本宮の奥の院や。この地において昔華山法皇は御麻羅を弘徽(こき)殿の女御の…。(中略)遍路はまた口走る。──ああ、ええ景色、絶景や。絶景絶景。──景色など見えるはずないわ。お念仏お念仏。あんた念仏忘れたらあかんな。信心ないのかい。──堪忍しとくれやす。つい──、仕様もない人や。次は三番粉河寺。本尊は千手観世音。御陣内には鼠がいるさかいお籠りしていると御内儀の数の子天井(てんじよう)をこないに鼠が噛ります。──そないに噛られては叶わん。ああなむあみだぶ、なむあみだぶ。&僧坊夢(そうぼうむ)

 *昭和初期に出版されたが、このエロというには物足りない内容ですら発禁処分を受けている。

 表紙絵が邪淫だと発禁に〔『淫祠と邪神』表紙、和田徹城著、東京博文館、大正七年に風俗出版禁止〕 本の内容は純然たる民俗学術書である。それを当局は表紙絵が淫猥だと勝手に決めつけ、発禁を命じた。無教養の石頭連中にはヒンズーの邪神信仰を理解する知識のカケラも教養も持ち合わせていなかったがための結果である。

 

花電車 はなでんしゃ

 花電、色芸、隠所芸(かくしどころのげい)、妙陰秘技、開帳芸、股見世物、フラワーカー(和製語)などの類称がある。たいていは巾着ぼぼの持主が局部を露出し、そこを舞台にいくつもの曲芸を披露する座敷芸である。

花電車は本来、慶賀の記念日などに市中を走った装飾電車のこと。すなわち芸は見せても客は乗せない、との洒落から花電車の呼称が生じた。

裏意味の方、東京の向島や玉の井、浅草公園辺に群がる曖昧屋で密室ショーが繰り広げられ、知る人ぞ知る存在になった。そこでの出し物は、ゆで玉子の打ち上げ、名筆の筆書き真似、バナナの輪切り、煙草の煙輪などの妙技が披露された。なお今でも、温泉地やソープ街では葉桜芸者衆に花電車を演じて見せる者がいるようだ。

 奉祝花電車を知らない世代に〔大阪城天守閣落成奉祝花電車、絵はがき、昭和六年〕

 

バレ唄 ばれうた

〈破礼唄〉とも表記し、〈艶笑歌〉とも。

俗謡中でもことさら卑俗なもの、俗にいうエロ唄を包括した呼称である。

【例】

いたことつちりとん

いたこ出島はさていろどころハイヤハ、ほんしやをりはしたか(とう)(らう)、おんばさんの小便なが小便。

幕末流行、&『明治流行歌史』

よいよい節

晩に忍ぶがどつから忍ぶぞ、裏から忍べ、(おもて)くぐり戸はからからびつしやり音がする、ヨイヨイヨイ

音のせぬように大工さんを頼む、押せば開くような開き戸に、ヨイヨイヨイ

山で色すりや嬉しいもんべい、()の根を枕に、落ちる()の葉がさはさはどっさり夜着になる、ヨイヨイヨイ

 *比較的遠回しな表現ではあるが、実は夜這いや野をうたったバレ唄である。

江戸のバレ小唄

♪金玉よ ゆうべのところへ行こうじやないか わたしや 行くのはよけれども 中に入れる身ではなし 裏門たたいて待つつらさ

幕末に江戸で流行の伝承唄

にほんえ節

♪お竹さん〳〵、□□の毛が二ほんえ、長いとも長いね、井戸まで届くね、駒下駄買うて遣ろ。

明治十三年頃流行&『明治年間流行唄』

ちよんこ節

♪人目なければ帯紐解いて、ヨイシヨコラ、窓に入りたい夏の月、チヨンコ。

♪浅い川ぢやと袖褄からげ、深くなるほど帯を解く、チヨンコ。

♪好いたお方に盃さゝれ、飲まぬさきから桜色、チヨンコ。

♪話したうても話は出来ず、硝子障子の内と外、チヨンコ。

♪夢になりとも持ちたいものは、金の生る木とよい女房、チヨンコ。

♪ちよんこ唄えば巡査が叱る、叱る巡査の子が唄う、チヨンコ。

♪たとえしゆうとが鬼でも蛇でも、お前育てた親ちちやもの、チヨンコ。

♪親がちよんこしてわしこしらへて、わしがちよんこすりや意見する、チヨンコ。

明治十七・八年頃流行&『明治年間流行唄』

ちよんこ節替え

♪女郎買うならもも引お買い、えむもほうでんもみな入る、チヨンコ

♪しめておくれよいま行きそうだ、猫が戸棚の魚ねらう、チヨンコ

♪魚が高いと卵を割って、食べさす女房の下ごころ、チヨンコ

♪いやというのに無理から入れて、入れてなかせる籠の鳥、チヨンコ

♪娘十七八卵でござる、ふれりや転がる来りや割れる、チヨンコ 

明治十八年頃流行、&『チヨンコぶし』

 

バレ句 ばれく

 淫句、春句、笑句、猥褻句などの類。「破礼句」とも当てる。人前にさらけ出すのが恥かしくなるような淫猥川柳をさす。

バレ句といえば、すぐ頭に浮かぶのが『誹風(はいふう) 末摘(すえつむ)(はな)』の存在であろう。末摘花そのものは『源氏物語』の巻名にあるし、芭蕉の句「ゆくすゑは()が肌ふれん紅の花」とあるように紅花という植物名でもある。この末摘花が淫名高いバレ句集の題名に化けたのだ。誹風末摘花は古川柳の三番付、つまり高番(だかばん)=高尚な内容の句、中番(なかばん)=一般向け内容の句、それに末番(すえばん)=卑俗な内容の句と別れるうち、末番句のみを集成したものである。くだいて言うと、下半身をネタにした下卑(げび)句の吹き溜まり、ということになろう。

  ときに、たかがエロ句集か、と軽視なさるな。これらの句には江戸庶民の生臭い夜の生活が活写されている。人並みに恋をし、妻をめとって子をなし、かつ浮気の一つ二つ経験のある男性なら、恐らく共感をおぼえる十七文字が少なくないはずだ。たしかに顔の火照るような作もあるが、それとて娯楽の少なかった時代に生きた人々の好き心と理解しうる。また、これら作品の存在価値はけっして文学性云々を物差しに測るべきでなく、あくまでも人間としての情念の重みをもって判定すべきだと思う。

誹風末摘花の編者は確定的ではないが、星運堂花久という在野の一雑俳子と目されている。原本には四編百四十丁余、あわせて二千三百余句が収められている。そのうちから込み入った注釈を要さず、比較的理解しやすい句を例に選んだ。さらに生句のままでは十分に理解しがたい句もあるため、必要に応じ、荻生流の解釈を付記しておいた。

【例】

末摘花バレ句雑載

( )内は篇数・丁数を示す。

▽蛤は初手(しよて)で赤貝は夜中なり(初2)

 *貝類は女陰の象徴。婚礼の夜、マツタケ入り蛤の吸物で祝い、さて、夜中の床入りでは赤貝生造りのご馳走だ。

▽屋根ふきの出したでさわぐ長つぼね(初3)

 *女護が島のお(つぼね)たち、高いとこで仕事中の屋根葺き職人が、(ふんどし)からチョイトのぞかせたのどうのと、かしましいことよ。

▽中条の為すを見るのハまんがまれ(初7)

 *子おろしを裏口営業する中条(ちゆうじよう)(婦人科医)が処置する様を実見できる男よ、なんとついているやつだ。まん=女陰の俗称と万一まれ、とのひっかけ。

▽ひごずいき七ナ巻まいてつらを出し(初8)

 *女悦閨具の肥後芋茎(ずいき)、魔羅へ七巻きした先っぽに亀頭がのぞき出ている格好、いやはや、やってくれるわい。

▽間男の不首尾はこぼしこぼし逃げ(初9)

▽うしろからしなとはよほど月ッ(ぱく)し(13)

 *月迫=年末の多忙期。かみさんにとって猫の手も借りたいほどで、亭主の誘いに応ずるにも手間ヒマかけられない。

▽いなかいしや蛇を出したで名が高し(15)

 *田舎の女が野雪隠に及ぶとよく好色(じや)の被害にあった。たまたまその応急処置がよくて「藪医者」が有名になったとさ。「藪をつついて蛇を出す」の意外性の譬えを引いて皮肉っている。

▽なりひらは高位高官下女小あま(29)

 *色事の達人で後世に名を売った在原業平は、高官の女御(にようご)から下賎の小女(こあま)までなで斬りにしたとか。おれもあやかりたいものだ。

▽鼻の高イが大山のるすへ来る(35)

 *見ろや、亭主が大山参りで留守をいいことに、鼻が高くて一物自慢の例の野郎が、また間男しに来やがったぜ。

▽女房のはげた歯でねるさせぬ晩(二6)

 *はげた歯=鉄漿(おはぐろ)のはげた様子。古女房の口で、となれば句意は言わずもがな。

▽湯上りのあぢは古語にもほめて有(二8)

 *「湯上りは玄宗以来賞美する」(柳籠裏三)のような類句もあり、いわゆる「()(ぼぼ)酒魔(さかま)()」を推奨した句。

▽つけぶみはへのこなりにむすぶ也(11)

 *「へのこ結び」といって折り上りが開傘形になる折り紙がある。これを折る小娘の心情を思いやると句味が生きる。

▽せんずりをかけと内儀は湯屋で鳴り(15)

 *往時は(いり)(ごみ)、男女混浴であったから、サカリのついた若い衆にとって、堪えるのは鼻血ものだった。

▽大ぜいじやござらぬと後家くどかれる(30)

 *素浪人が「拙者一人だけじゃによって」と殺し文句を並べたて、近所の後家さんをたらしこんでるよ。

▽なき出され夫婦角力がわれに成り(14)

 *われに成り=引き分けになる。

▽かゝあどの姫はじめだと馬鹿をいゝ(22)

 *ふだん「おっかあ」と呼び捨てにしているこの宿六が、正月二日だからと改まった態度でお誘いかい、しゃらくさいねえ。

▽三味線の下手は転ぶが上手なり(28)

 *巷間あまりにも有名な句である。

▽どの客が折レ込マしたとどやのかゝ(31)

 *「一体どの野郎だい、内の商品(じよろう)(はら)ませた奴は」なんてわめく前にさ、私娼屋(しもうたや)内儀(おかみ)さんよ、亭主に聞いてみるこった。

▽女房がくると出てゆく八九寸(四4)

 *二五センチもの雄物の持ち主では、嫁さん皆退散だろう。色事、大は小を兼ねず小また大に及ばず。

原と芳町の間イ蟻わたり(四9)

 *芳町は陰間茶屋の密集した男娼街。蟻渡りは俗にいう「蟻の戸渡り」、会陰をさす。句意は両刀使いをからかったもの。

▽女房の味は可もなく不可もなし(24)

琴瑟(きんしつ)相和(そうわ)ぶりを示した有名句で、道楽者の帰結でもあるか。

 

バレどど 

「破礼都々逸」と表記。吟社言葉で、バレ都々逸のこと。

ふつう都々逸の詞は色気を売りものとした短文芸ではあるが、人が軽く見るほど短小ではない。小粋な作品は、奥行きがあってきりっと締まっているものである。

しかしバレどどは遊び半分に作るせいか、安易に吟じるとだらけた作品になりがちだ。課題に「生バレ不可」などと条件が付けられる由縁である。

湯島天神都々逸全国大会の記念陰影〔東京都文京区湯島天神 都々逸之碑建立五周年記念〕

【例】

♪江戸後期の作より

・宮の伝馬町に新長屋が出来て生きたお亀が袖を引く

・枕草子じや立つせはないと(なま)を見たがる馬鹿な人

♪開化都々逸「検黴」より

・チョイトお待ちよ着物をおくれ屏風の唐子が見るわいな

・高い山から谷底までもずつと見たがる検査

♪明治のバレどど

・板になりたや風呂やの板におそゝ舐めたり眺めたり

・したきやさせます千百晩も魔羅の背骨が折れるまで

♪近・現代の作より

・客と白鷺や立つのが見事飲んで立つのがなお見事(山口県で収録)

・船の新造と女のよいはたれも見たがる乗りたがる(千葉県で収録)

・悪い可愛いもなれないうちよなれりや奥歯で含みたい(東京で収録)

&以上いずれも『日本歌謡集成』巻十二

 

バレ句〔自家版〕ばれく/じかばん 

バレ句は川柳ともいえないような取るに足りない句であるから、ほとんどが作り捨てにされてしまう。たまに酔興で吟じても、人目に触れず死蔵してしまうのが普通だ。

現代の川柳隆盛を見るにつけ、バレ句を手慰みに作っている川柳子もいよう。が、その作品が公開される機会はめったにない。ネット上でのブログ投稿か、 せいぜい吟社仲間内での、ささやかな披露目程度であろう。

こうした事情で、バレ句の現代作品を集めるのはきわめて困難である。そこで筆者のノートから、かつての書きつけを数点拾い出してみた。「なんだバレ句とは、こんな程度のものか」と感じられるに違いない。それでよいのである。

【例】

現代の自家版バレ句                           荻生作

▽ひげづらに切れない仲の抓りあと

▽万引きをまんびきしてるスーパーマン

▽助平居て女は死ぬまで適齢期

▽吉野紙ひとさし舞うてあの娘去り

▽御無念ぞ乳繰(ちく)りあうほど胸はなく

 

ひやかし唄 ひやかしうた

おどけて他人を茶化したり冷やかした内容の唄。

【例】

おゝさやつちよろさんだい節

♪酔うて枕す美人の膝に、さめて握るぞヨイ〳〵天下の権を、オヽサヤツチヨロサンダイ。

酒もノムベし博打もなされ、しまる時にはヨイ〳〵しまらんせ、オヽサヤツチヨロサンダイ。

明治十四、五年頃流行、&『明治年間流行唄』

*好色宰相といわれた伊藤博文を暗にからかった唄。

初対面節 

妾がナアー、越後出るときや、七ツ八ツからみはなされ、だんべかいナアー、色の吉原へ売られちや、にしきの夜着をきる、じやうや、しよたいめんかいナアー

ぬしとなわし、たまに逢うふ夜は痴話や口説で夜を明かす、だんべかいナアー明けの鐘つきや互に別れが惜しまるゝ、嬢や初対面かいナアー

屋敷ならアー、門は六ツ切路次は四ツ切しまります、だんべかいナアーなぜにお前は三十四十でしまらない、嬢や初対面かいナアー

更けてなアー、待てどくらせど主の来ぬ夜の癇癪にだんべかいナアーほんに思へば男心はむごらしい、嬢や初対面かいなあー

──流行唄、明治三十年頃流行、&『嬢哉初対面節』

つばめ節

添田啞蝉坊詞

柳芽を吹く イソイソ春恋しさに

南の国から ハルバルと

今年もお世話になりに来た

こちらの姉さん 美しい

わけて島田が 似合ひます

などとつばめの イソ愛嬌者。

外套きせかけ イソイソホロリと涙

端唄の文句を 其のままに

障子細目に ひき明けて 

あれ見やしやんせ この雪に

たとへ年期が 増さばとて

何で帰されよう イソ去なされよう。

金をためるな イソイソ溜るな金を

金さへ無かつたら 鈴弁も

あの山憲に むざむざと

うち殺されて きざまれて

トランク詰めには 逢やすまい

信濃川まで イソ行きやすまい。

もしや来るかと イソイソ浜へ出て見れば

浜にや松風 音ばかり

宮さん今夜の この月は

来る年毎に 貫一の

恨みの涙で 曇らすと

磯に噛みつく イソ浪がしら。

ほれた欲目か イソイソ何処から見ても

俺の嬶は いい嬶ア

顔の真ん中に チヨンボリと

可愛い鼻が 付いている

そのほか目もある 口もある

頭の横ツちよに イソ禿もある。

女優が牡丹なら イソイソ女工が糸瓜

女詩人は 花すみれ

女教師は 蘭の花

洋妾なんぞは バラの花

後家が野菊で 尼は蓮華

下女は南瓜の イソ花かいな。

子ども三ツ四ツ イソイソ可愛いい盛り

憎まれ盛りは 六ツ七ツ

十七八は 花盛り

二十七八は 色盛り

分別盛りは 四十一二

六十七十は イソ禿盛り。

大正九年発表&『流行歌全集』

 

深川節 ふかがわぶし

江戸は江東の深川に発祥し、江戸市中で大流行した俗謡(端唄)

当初、深川踊り唄であったが木場の粋人らが広め、やがて宴会小唄として定着した。

【例】

深川

坊さんなあよいとな、二人が深川通ひ、揚る段ばしごの、これわいさのさ、いそ〳〵と。(元唄)

江戸後期流行、&『はやり唄変遷史』

 深川の雪 雪を口実に遊里に居続ける遊び人も絶えなかった

深川節

猪牙(ちよき)で、サツサ、行くのは、深川通ひ、上がる桟橋、アレワイサノサ、いそいそと、客の心は(うは)の空、飛んで行きたい、アレワイサノサ、主の傍

駕籠(かご)で行くのは、吉原通ひ、上る衣紋坂、アレワイサノサ、いそいそと、大門口(おおもんぐち)を眺むれば、深い馴染(なじみ)が、アレワイサノサ、お楽しみ

維新期流行、&『明治流行歌史』

深川くずし

丸髷(まるまげ)に結われる身をば持ちながら

意気な島田やアレワイサノサ

ジツ銀杏返(いちようがえ)

とる手も恥かし左褄(ひだりづま) ダガネ

一年や二年はおろか三年先に

きっと添われりゃホントニソウダワネ

ジツ嬉しいが

男心と秋の空 ダガネ

何時(いつ)来ても柳に風の吹き流し

遠くなる気かホントニソウダワネ

チヨイト切れる気か

惚れたのを見込んでじらすのかダガネ

丸橋が(ほり)の深さは幾尺と

計るところへホントニソウダワネ

チヨイト伊豆(いずの)(かみ)

知られちやならんと千鳥足デモネ

大正七年頃流行、&『明治年間流行唄』

 

ヨサホイ節 よさほいぶし

大正末期に大流行した俗謡。

数え歌形式で覚えやすいためか、子供たちですらはばかることなくうたった。バレ替えを含め模倣唄もおびただしく多い。

【例】

ヨサホイ節

伝 秋月四郎詞

一ツ出たハナ ヨサホイノホイ

一人淋しく残るのは ホイ

わたしゃ死ぬよりまだ辛い ホイホイ

二ツ出たハナ ヨサホイノホイ

 二人は遠く隔つとも ホイ

 深く契りし仲じゃもの ホイホイ

三ツ出たハナ ヨサホイノホイ

 みんな前世(ぜんせ)の約束か ホイ

 ほんに浮世はいやですよ ホイホイ

四ツ出たハナ ヨサホイノホイ

 よもや京都に行ったとて ホイ

 ずいぶんおからだ大切に ホイホイ

五ツ出たハナ ヨサホイノホイ

 いつものおことば末長く ホイ

 忘れしゃんすな願います ホイホイ

六ツ出たハナ ヨサホイノホイ

 むりな願いさしらねども ホイ

 あしふみしゃんすな花の町 ホイホイ

七ツ出たハナ ヨサホイノホイ

 ながめしゃんすな迷うても ホイ

 加茂川そだちの京おんな ホイホイ

八ツ出たハナ ヨサホイノホイ

 やはりかわらぬその心 ホイ

 勉強しゃんせよ末のため ホイホイ

九ツ出たハナ ヨサホイノホイ

 こよい別れのこの野辺に ホイ

 私しゃいつでも迷いきて ホイホイ

十と出たハナ ヨサホイノホイ

 遠い京都の空の雲 ホイ

 一人さびしくながめましょ ホイホイ

大正十三年作、&『日本のうた』第一集ほか

*これを元歌に次の替え歌がはやる。

ヨサホイ節替え

一つ出たホイのヨサホイノホイ

ひとり娘とするときは(ホイ)

親の承諾えにゃならぬ ホイホイ

二つ……ふたり娘とするときは……

姉の方から……

三つ……みにくい娘と……

顔にハンカチ……

四つ……よその二階で……

音のせぬよに……

五つ……いつもの娘と……

手練手管で……

六つ……昔なじみと……

心ゆくまで……

七つ……質屋の娘と……

出したり入れたり……

八つ……八百屋の娘と……

かぼちゃ枕に……

九つ……校長の娘と……

退学覚悟で……

十オ……尊いお方と……

羽織(はかま)で……

十一……(さむらい)の娘と……

切腹覚悟で……

十二……十二単と……

かきわけかきわけ……

十三……巡査の娘と……

手錠覚悟で……

十四……年増女と……

口説き覚悟で……

十五……十五夜お月さんと……

ぴょんと跳ね跳ね……

十六……十六夜(いざよい)清心と……

心中覚悟で……

十七……隣りの娘と……

垣根越え越え……

♪十八……十八娘と……

処女か見分けて……

十九……特急列車で……

車掌の来ぬまに……

二十……二重結婚……

戸籍かくして……

昭和に入り流行、&『時代を生きる替歌・考』

ほか

 

吉原小唄 よしわらこうた

〈さかな端唄〉とも。吉原遊女の心情などをうたった小唄。

【例】

さかな端唄づくし

(なさけ)の花は逢ふ時ばかり、別れになれば(しほ)れ萎るゝ。

人買船が恨めしや、(とて)も売らるゝ身じや程に、(しづか)にこぎやれもんたどの。

昔も今も恋する人は、身につまされていとしう御ざるよの。

江戸中期流行、&『吉原小唄総まくり』

よしわらしよくりしよぶし品々

♪とてもかなはぬ浮世としらば とてもえならぬ恋路としらば 軽くおこもの恋の道 しよくりしよ所々(しよしよ)くのしよあいよの。

♪くさの(いほり)のむぐらの宿に 〳〵 いつかおてきと手枕(たまくら)なして 思ふ言の葉語りたや しよくりしよ所々(しよしよ)くのしよあいよの。

♪生薑畑に茗荷を植ゑて ことしや子をとるをのことる しよくりしよ所々(しよしよ)くのしよあいよの。

♪逢うは別れとかねては知れど あふはわかれの初めとしれど 忍ぶ泪は袖しぼる しよくりしよ所々(しよしよ)くのしよあいよの。

延宝頃流行、&『淋敷座之慰』

 

吉原風俗唄 よしわらふうぞくうた

吉原遊廓の諸風俗を主題にした歌

 吉原風俗図巻(部分)〔菱川師宣画、萬野美術館蔵

【例】

吉原雀                              桜田治助作

セリフ「凡そ生けるを放つ事人皇四十四代の(みかど)

 光正(くわうしやう)天皇の御宇かとよ。養老四年の末の秋。宇佐八幡の託宣にて。諸国に始まる。放生会(ほうじやうゑ) 本調子半太夫「浮寝の鳥にあらねども、今も恋しき一人住み、小夜の枕に片思ひ可愛(かは)い心と汲みもせで(なん)ぢややら憎らしい 鼓唄「その手で深みへ浜千鳥、通ひ馴れたる土手八町、口八丁に乗せられて、沖の鷗の。二(ちやう)(だち)。三(ちやう)(だち) 伊勢音頭素見(すけん)ぞめきは椋鳥(むくどり)(むれ)つゝ啄木鳥(きつつき)格子先。叩く水鶏(くひな)の口まめ鳥に「孔雀騒ぎで。目白押し。見世清掻(すががき)のてんてつとん、さつさ押せ〳〵え 大津投節「馴れし廓の。袖の香に、見ぬ様で見る様で、客は扇の垣根より、初心可愛(かはゆ)く前渡り。さあ来た又来た(さはり)ぢやないか、又お障か。お腰の物も合点か。「それ編笠も其処(そこ)に置け、二階座敷は右か左か奥座敷で御座りやす、早や盃持つて来た、とこへ静に、お(いで)なさんしたかえと言ふ声にぞつとした、しんぞ貴様は寝ても覚めても忘られぬ「笑止気の毒又かけさんす。「(なに)な。掛けるもんだえ 三下り「さうした黄菊と白菊の、同じ勤めのその中に、(ほか)の客衆は捨小舟(ながれ)も敢えぬ紅葉(もみぢば)の。「目立つ芙蓉の分け隔て、ただ撫子と神かけて、何時(いつ)か廓を離れて紫苑(しをん)、さうした心の「鬼百合と思へばおもうと気も石竹(せきちく)になるわいな。「末は姥百合男郎花その楽しみも薄紅葉、さりとはつれない胴欲と垣根に(まと)ふ朝顔の、離れ(がた)なき風情なり「東雲(しののめ)かごとが過ぎし口説(くぜつ)の仲直り 鼓唄「一(たき)(くゆ)る仲人のその。接木こそ縁の端。そつちの(しやう)が憎い故隣座敷の三味線に、(あは)する悪洒落まさな事 二上り「女郎の誠と玉子の四角、あれば晦日に月が出る、しよんがいな。一焚はお客かえ。「君の寝姿窓から見れば、牡丹芍薬百合の花、しよんがいな、芍薬よほゝいほいゝいゝよほゝいほい〳〵よほゝいほ、芍薬牡丹牡丹芍薬百合の花しよんがいな「附差は濃茶かえ「腹が立つやら憎いやら、どうせうかうせう憎む鶏鐘。暁の明星が西へちろり東へちろり、ちろり〳〵とするときは「内の首尾は不首尾となつて、親爺は渋面(しぶめん)(かか)は五面「十面五面に睨み付けられ往なうよ「戻らうよと言うて小腰に取付いて。ならぬぞ「往なしやせぬこの頃のしなし(ぶり)(につ)くいおさんがあるわいな 三下り「文の便りになあ「今宵ごんすとその噂、何日(いつ)の紋日も主さんの、野暮な事じやが比翼紋「離れぬ仲じやとしよんがえ「今宵ごんすとその噂何時(いつ)の紋日も主さんの野暮なことぢやが比翼紋はなれぬ仲ぢやとしよんがえ「染まる(えにし)の面白や「実に花ならば初桜、月ならば十三夜、(いづれ)劣らぬ(すゐ)同志の、彼方(かなた)へ言い抜け此方(こなた)伊達(だて)(てづれ)丸かれ候かしく。

明和五年江戸市村座初演

&『教草吉原雀』(『新編江戸長唄集』所収)

仲の町夕けしき

♪中の町夕けしき、軒をならべし茶屋の数、惣まがき交じり見世、そのほか数多の遊女みせ、内証でがらがら鈴の音、見世すがゞき地廻りそゝり節、芸者がじやらじやら鳴物入れてみみを引く、長唄一中河東ぶし、六七八(りうちへはま)払つてございの、かいわり辻占とういんもみ療治、火の用心さつしやりましやう、もう引けすぎとお客が眼をさまして時を数へカチカチ。

江戸後期流行、&『明治流行歌史』

 

恋慕の唄 れんぼのうた

異性を恋し慕う内容の唄。ほとんどが女の男への〈情歌〉でつづられている。

【例】

恋慕流し

きみはさみだれ、おもはせぶりや、いとゞこがるゝ、身はうき舟の、浪にゆられて島磯千鳥、れんれゝれつれ。

&『守貞謾稿』巻二十三

粋な浮世

♪粋な浮世を恋故に 野暮に暮すも心から 梅が香添ゆる春風に 二枚屏風を押し隔て 朧月夜の薄明り 忍び忍びて相惚れの 口説(くぜつ)(とこ)の涙雨 池の(かはず)終夜(よもすがら) しんに啼くではええないかいな。

&『新大成糸のしらべ』(享和元年)

 

猥歌 わいか 

あえて説明までもなかろう。エロ歌の総称である。

 夜桜うたげ バレ唄が流れそうな雰囲気だ

【例】

色道数え歌                                 作詞者未詳

♪一ばんちよんの間 十割とよく□□□□た 百までも変るまい 千ぼりは馬鹿らしい 万じう肌じや うまい〳〵 億を〳〵それそこ〳〵 兆度良い首尾 京せいも良いが地者も良い ()ぶんよりもとぶふん 宗とこゝ来な 穣ぶな□□□か 溝□□□□たのしむが いのち〳〵 潤じんところ見せな 正もん〳〵大せいもん 載さいて来てくんな 極上開とは これじや〳〵 &『てごとの巻』

くどき「へそのあなくどき」                  八丁ぼり茶吉

♪おそれサアエ、(おふく)も。もつたいなくも。(あな)根本(こつぽん)たづねてみれば。天照大神(てんしやうたいじん)こもらせたまへ。富士の人穴大仏まへで。あまのいわ戸のあなよりはじめ。人の五体に数ある穴よ。わけてあはれは。へそのあなくどき。帯の下なる(ふんどし)の蔭で。そこら〳〵となにやらくどく。(ゆふ)も道理や。げにことはりよ。いかな穴にも役目があるに。わしはどふした因果な穴で。役に立ゝぬとおしかたづけて。一生一代無役(むやく)で暮らす。… &『新はん へそのあなくどきやんれぶし』

江戸のバレ小唄(幕末に流行)

♪金玉よ ゆうべのところへ行こうじやないか わたしや 行くのはよけれども 中に入れる身ではなし 裏門たたいて待つつらさ

お座敷バレ唄(近代、京阪で流行)

♪むかしむかしその昔 大阪天満の真ン中ごろで、傘を枕でしてやつた こんなくさい(ぼぼ)したしたこたアない ちり紙三帖ただ捨てた 命がもとだよ 出直せ〳〵

さのさバレ(近代、関東)

♪オソソ 変なもんだ ネ/オソソ変なもんだ 座れば笑う/立てば怒つて 口結ぶ/立膝すればネ くしやみする/というて あぐらかきや 大あくび サノサ

浅草「安来節興行」(近代)

♪植木鉢買つて来ました なに植えましよか 新鉢(あらばち)にや 椿が良いわいな

 

ワ印里謡 わじるしりよう

里謡における猥歌。

里謡にはきつい作業に疲れた気持ち癒す、息抜きの狙いもある。したがって、ハメをはずしたワ印唄(エロ唄)があっても不思議はない。近代までの俚謡のうち、下半身事を主題としたものを〈ワ印里謡〉と呼ぶ。たいていの詞が小唄調で短く、婉曲表現になっている。(ひな)びた風流が堪能できよう。

【例】

さゝめ押し開いて

♪かすがひも戸ざしもあらばこそ その殿戸 われさゝめ 押し開いて来ませ われや人妻 

&(さい)馬楽(ばら)』古歌謡集より

しよぼとぬれたも 

♪春雨にさす傘の柄漏りして 腕枕して空見て日はおぢやるろ しよぼとぬれたもよいものを かまへて乾さいでよい日にも

 &『江戸時代の猥談』

おそその中には おそそのなかには

♪おそその中には 紅屋が御座る

 月に七日の 紅しぼり

早乙女(さをとめ)の股ぐらを 鳩がにらんだとな にらんだも道理かや 股に豆を 挟んだとなよな

 &ともに『山家鳥虫歌』より

沖のかもめが

♪沖のかもめーが大きな蛤をつッ突くそうだ、おらも自家(うち)へ帰ッてかゝのべっちョつっ突くべ、トヽチンボ ヘノクリ マラ〳〵 サト チンボホイ〳〵

 &『昆石雑録』こゝろの俤

 治期各地の俚謡より

♪巡査様でもさせれば馴染 「警察の(まい)淫売(ごけ)ふんじがめてジバラトやつたきや」 警察の署長さん、にくらと笑つた。(どだればち、弘前市)

♪さんさ下り藤ア、ヤーハエ、おされーて開く さんさエー。(さんさ踊りの唄、盛岡市)

♪お前達(めやたつ)聞いてけせ、いふにも恥かし、己家(おらえ)の人はまたソレ〳〵、酒こもばくつも、さつぱり出来ねで、さうして今朝戻つた。(秋田県)

♪をばーこ居たかよと、ながしの小窓からちよと見たら、をバーこ居もせで、隣のぢーさんばーさん、チヨイト、お茶ごとだ。コチャヤレ〳〵(福島県大沼郡)

 *お茶ごと=隠語で「枕交し」の意味ももつ。

♪秋野の尾花が袖引く、萩に花妻浮かれて引かれ、遂ひころび寝にしツぽり濡るゝが女郎花に藤袴。(手鞠唄、高崎市)

♪ヨイ〳〵、ヨンヤマカセー、チヨイトセー、サーエ、それ出したは、出したは。出せといふのに、下手な物出すな。アヽヤツトセ。(神奈川県)

♪踊り来て踊らぬ奴は、子でも孕んだかおやとでも出来たか。(新潟県長岡市)

♪どうでころぶなら普大寺の前で、ころびやすきさんおこし来る。(静岡県)

♪わーしのかゝ様、きつことおしやる。ぼーんの三日にださぬとおしやる。ぢごくの釜の蓋さへあくに、だーいておくれよ、かゝさまや、〳〵。(盆踊唄、愛知県)

♪寝たやねぶたや寝た夜はよかろ、摘んで寝た夜は猶よかろ(京都府山城地方)

♪あそこ来るのはお娼婦(やま)芸子(げこ)か赤い湯巻をちら〳〵と。(京都市)

♪田舎の(ねえ)さん、おねまでしつぽり、お楽しみ、げんこつ、あいたゝ、しんぼせ、あほらしいやおまへんか、出たり消えたり、消えたり出たりの辻占(つぢうら)。(大阪市)

♪十七がつはり病すりや、殿のお膝を枕に、それ程につはり病して、お姫さんだら恥よ。(盆踊り唄、姫路地方)

♪通ひ路や、人目を忍ぶ袖頭巾、夜な〳〵ごとにかはせし枕、思ひのつきせぬねまの中、月夜烏にだまされて、路の駒下駄ふみたがひ。(花にほふ、福岡県鞍手郡)

♪しだれ小柳なびくなよそに、わしが上がりて下るまで。(ザンザ節、佐賀県)

♪むこどのよ、一つこしめせ、そらせき酒のつぼそこ、つぼそこは、いつものみそよ、姫君くされ抱いて寝よ。(盆踊り唄、長崎県西彼杵郡)

♪世がてらの解く世が寺で、ソレハヨーデナサ、まえへ〳〵〳〵、のたけよやよゝえへ〳〵〳〵のよをしやくや。(棒踊歌、熊本県八代郡)

近代に採録、&『日本歌謡集成』巻十二

 

猥笑譚 わいしょうたん 

 前戯省略(いきなり)で参ります。

【例】

謎の解きちがひ                                    探花亭羅山

手前よろしき人の娘、婚礼首尾よくととのひ、五日帰り(里帰り)しければ、うちの腰元、娘にいふやう、「嫁入りの夜とかけたる謎は、なんと解きます」と、なぶりければ、娘いふやう、「それは、逢いそめ川と解く」といへば、兄息子聞きて、「これは妹、でかした。おれはまた、豆板(まめいた)と解くかと思ふた」といふた。&『軽口(うき)瓢箪(びようたん)

*豆板=破瓜(はか)に伴う女陰(まめ)(いた)の音通。

懺悔(ざんげ)                                           蛸壺庵先達

()うお山が荒れては、禅定(ぜんじやう)がならぬ。この中に罪の深い衆があるそうな。皆々、さあ懺悔をしやれ」一人一人が懺悔も済んで、末の一人が、「私は一生に何にても悪い事は致しませぬが、心掛りは唯一度、牝牛(めすうし)を仕たてたことがござります。そればかりで、外に悪いことした覚えはござりませぬ」先達、同行、皆々()を折り、「なんと、其牝牛の味は、どのようなものでござる」「丁度牝犬の味と同じでござる」&『さしまくら』

                                         談洲楼(えん)()作?

これも今は昔、隅田川辺へ摘み草に行きしに、下女の股ぐらへ蛇がはいこみ、大らんを入る(騒動になった)。江戸へ医者を呼びにやろふと言ふ所へ、武蔵屋(川魚割烹)の若い者来かかり、「気(づか)ひなされますナ。蛇は、今、出て行きます」と言ふうち、蛇は、弱つたかたちでぬけて出る。人々、「こいつは奇妙。どうして、今出るといふ事を知つて居る」といへば、若者、「そこには、ちつと見所(みどころ)がござります」と言ふ。「そんなら、それを伝授(でんじゆ)してくれろ」と、旦那が、金二分出して頼めば、「大事のことだが、おしへて上げませう。女中の前へ入つた蛇の(じき)に出ると申したは、アノ女中の顔をご(ろう)じろ」「顔がどうした」「頬が赤い」

&(おとし)(ばなし)無事(ぶじ)()有意(うい)

*「頬赤の臭陰(くさつび)」という俗信に基づいた笑話。

 

童唄の淫詞 わらべうたのいんし 

【例】

大人も顔赤らめる童

♪三九郎 三九郎

かかさのベッチョなんちょうだ

まありまありに毛が生えて

なかちょっと ちょぼくんだ

──長野県東筑摩郡辺の伝承歌

*卑猥無比の恐るべき童唄である。もし幼児にあれこれ聞かれたら、親は何と答えたらいいのか。童唄にも淫歌じみた詞がいくつか存在するが、女性器をこれほど生なましく表現したものはあるまい。詞の「三九郎」にはいわれがある。信州で小正月の火祭りを祝う左義長(さぎちよう)という道祖神祭の地方名なのである。地元では三九郎と呼ぶ(たきぎ)を持ち寄って燃やしながら、この唄を唱和し、焼団子を食う。ベッチョの意味がまだわからない幼童も加わって歌うのだから、異様な雰囲気であろう。

 輪になる遊び

♪淀ノ河瀬ノ大水車、チヨイ〳〵、ユンベフイタ風ハ、大津イ聞ヘテ、大津ハオンマ、槌ノ子ハ、槍持ヨウ、ヤリモツタ 晩ニタイテネテ 味曾スツテ ネブラソ、夫ガイヤナラ、一文デ飴シヨ、二文デ女郎、ジヤウロハ、ダレジヤ、茜屋ノ於仙、オセンニア児ガアロ、子ガアロトママヨ、マヽハヽニカケテ、糸ビイ〳〵ヨ、ヒトカヘリ、カヘリマシヨ &『守貞漫稿』巻二十八

いつちくたつちく(遊戯唄)

♪いつちくたつちく たんゑむ(太郎右衛門)どんのおと姫がー ゆ屋でおされてなくこゑはー ちん〳〵 もんがら〳〵 おひやりこひやりこ &『童謡集』月皎蓮編

月の唄

♪お月さんいくつ、十三七つ、まだ年は若い、七折着せて、こんどきよへ(のぼ)しよ、こんどきよの途で、尾の無い鳥と、尾の有る鳥と、けいつちいやあらきいようゝと鳴いたとさ。(三重県志摩郡) &『諸国童謡大全』

物まね唄

♪ひつつとや 人も通らぬ闇道を 大次郎さんとお嬢さんが通る道/二つとや 二股大根離れても 大次郎さんとお嬢さんは離りゃせぬ/三つとや 見れば見るほどよい女 大次郎さんが惚れるのも無理はない…(広島県) &『諸国童謡大全』