「いろは歌」を代表とする、同じ文字無き歌のレトロ風展開が妙味を呼ぶ
4 無同字歌系 むどうじかけい
歌俳や詞章などで同じ字音を二回使わずにつづったものを〈無同字歌〉という。これの代表的な作品が〈いろは歌〉で、日本語の字音すべてを包括、二度使いしない究極の作品に仕上がっている。
無同字歌の発祥は古く、平安時代に成ったいろは歌よりも以前の時代に、いくつか創作されたものがある。また現代においても、言語遊戯の頂点をなす対象として、新作に挑戦する人があとを絶たない。
これを作る場合は「ゐ」「ゑ」を含めた旧仮名とし、「ん」または「京」入りで四十八字が限度となる。
なお無同字歌は広義には〈アナグラム〉系に属するが、わが国の言語遊戯体系下ではアナグラム系とは一線を画し、独立体系として扱うべきである。さらに無同字歌は、定数の〈音数遊び〉にも属する。
4 無同字歌系の目録(五十音順)
あめつち
あめつち歌
いろは歌
いろは歌 〔現代作品〕
いろは新字
同じ文字なき短歌
国音の歌
千字文
大為尓伊天
日文の歌
無同字歌種々
無同字歌集『つの文字』
無同字川柳

商品名にも見つかる準無同字の例=ほっかいどうさんゆめぴりか
あめつち
通常〈あめつち(の詞)〉と呼ばれている平安初期の誦文で、作者はわからない。無同字すなわち仮名四十八文字が重複しないように作られただけで、全体としてまとまった意味をなしていない。
あめ つち ほし そら やま かは みね たに くも きり むろ こけ ひと いぬ うへ すゑ ゆわ さる おふせよ えのえをなれゐて
天地星空山川峰谷雲霧室苔人犬上末硫黄猿生育せよ榎の枝を馴れゐて
右に「ん」は含まれず、傍点えは二度使いだが、当時の発音慣行に準じたもので重複ではない。
あめつちはリズムに乏しく、名詞の羅列が続き、詞章として破綻を示している。言い換えると、まもなく作られる〈いろは歌〉がいかに優れた無同字歌であるか、引き立てる役回りとなった。
しかし三十六歌仙の一人である源順は、「あめつちの歌四十八首」を沓冠折句に詠み、あめつちの詞の存在を世に知らしめた。いっぽう歌人の源為憲(?~1011)は、著『口遊』において、あめつちを「里女の訛説なり」とそしり、それにとって代わるものとして別の無同字歌〈太為尓伊天〉(後出)を強く推している。
ちなみに〈いろは歌〉の仏教押し付けという内容に抵抗を感じる人たちもいて、彼らはこの「あめつち」のほうを信奉する傾向がある。
《参考》
安米都知誦文考 伴友信
ある遠き国人の、現順朝臣家集にあめつちの歌といふがあるは、もとあめつちほしそら云々と、音のかぎりをつくしとゝのへたる古文のありしことしるく、其はめでたきことばなりときこゆる由を、くはしく考出たる説あり、そこにはいかにか見つるといひおこせたるに(中略)今まず件の端詞の意を按ふるに、そのかみ四十七音を物事の言にとゝのへて、あめつち云々と唱ふる文のありて、其発端の言をとりて、あめつちと称ふがありけるを、もとその文によりて、藤原有忠朝臣と藤六(藤原輔相)と二人して、歌によまれたりけるに、順朝臣其返しに此歌をよみ給へるよしなり(中略)かくてもとの歌には、あめつちの文を一もじづゝ、次第のまゝに歌毎の起句の上にすゑてよみたりけるを、順ぬしそれに競ひて、さらに其もじを起句の上と結句の下とにすゑて、四季と思恋の六題に分かちてよみ給へるなり
あめつち歌
「あめつちの歌」は、前掲〈あめつち〉の書き出しを据えて、谷川士清が独自に創作した無同字歌である。
あめつちわき かみさぶる ひのもとなりて みやしろを おほむべゆには うらまけね これぞたえせぬ すゑいくよ
天地分き 神さぶる 日本成りて 礼 代を 大御嘗斎場 占設けね これぞ絶えせぬ 末幾代

谷川士清作、花影書になる、「あめつち歌」 谷川士清は三重の人、幕末の医師で国学者。垂加神道や和歌にも精通した人だけに〈あめつち歌〉を成しても不思議はない。ただこの歌は多分に神がかり的な内容であるためか、研究者間での評価は高くない。
いろは歌 いろはうた
〈いろは歌〉は、〈無同字歌〉系統では後にも先にもこれを超える作品は輩出しなかろう、といわれている傑作中の傑作である。この歌が現れてから近代まで、五十音に代わる手習い歌の主役として重用され続けてきたことからも、存在価値の高さがわかる。
いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす
色は匂へど 散りぬるを わが世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 けふ越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず
いろは四十七文字(通例「ん」は除く)を二度にわたって使わず、七五調の長歌に整えた形態は、まずリズム感にみなぎっている。しかも現世の無常をひしと感じさせる、格調高い詠だ。歌体の構成にも無理がなく、口ずさんで覚えやすい。〈いろは歌〉の素晴らしさは、〈隠句〉を用いた見事な〈折句〉になっている点にもうかがえる。これを棒書きにせず、七音六行と五音一行、計七行にわたり仮名で分かち書きすると、次のようになる。
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす
各句の沓字を順に拾いつづると、太字で示したように「とかなくてしす=咎無くて死す」という隠し文句が現れる。この〈字謎〉めいた一語から、作者の怨念が込められている、などと小説等で取りざたされている。じつはそうではなくて、偈語の遊びなのである。このような明快な隠し文句になるということは、単なる偶然ではなく作為によること明らか。すなわち、〈いろは歌〉は空前絶後の〈無同字歌〉であると同時に、〈折句〉を巧妙に弄した言葉遊びの傑作でもあるのだ。さらにまた、〈いろは歌〉は「涅槃経」の偈を今様に読み替えた作品でもある。全体を七五調四句に整えると次のようになる。
色は匂へど散りぬるを→諸行無常
我が世たれぞ常ならむ→是生滅法
有為の奥山今日越えて→消滅滅已
浅き夢見し酔ひもせず→寂滅為楽
この偈から、また仏教の教義布教という立場から〈いろは歌〉の作者は僧侶であろう、とされている。長いあいだ弘法大師の作といわれてきたが、最近は異説もあって定かでない。
そして現代、いろはの区切りは七音綴りと思い込んでいる子どもたちがほとんどである。

ともあれ秩序ある韻律美は平安中期あたりから乱れだす。犯人は意外なことに寺子屋であった。〈いろは歌〉は、すべてが異なる文字配列という利点が買われて、手習いの格好の教材になった。習字では幼童にも覚えやすいように七音唱えで統一、その結果、各句意味曖昧のいろは分かち書きになったのである。

寺小屋の授業風景〔「幕末日本図絵」より
この影響は大きく各分野に及んだ。たとえば、能狂言の詞章にも現れ、山伏狂言の演目「梟」(大蔵虎寛本)では、
いかに悪心深き□□なりとも、いろはの文にて今一祈り祈るならば、などか奇特のなかるべき。ボロオン〳〵。いろはにほへと。ボロオン
〳〵。ちりぬるをわか。ボロオン〳〵。いかに悪心深き□□なりとも、烏の印を結んで書け、いろはにほへとんと祈るならば、などかちりぬるをわかなれ。ボロオン〳〵。
《参考》
伊呂波 新井君美
弘法大師、漢字ヲ仮テ和字トナサレシヨシ、後ノ成恩寺殿ノ御説ニ見ヘタリ(一条禅閤兼良公ノ神代巻纂疏ニ)又今ノ仮名ハ、弘法大師始テ作ラレシ所ナリトモ、(源氏河海抄ニ)又四十七字ハ、モト倭歌ノ詞ナリ、護命法師読初シヲ、弘法大師ツギテ読終ラレシトモイフナリ、(簾中抄ニ見ユ、イロハニホヘトチリヌルヲト云十一字、護命ノヨミシニ、是ヨリ下ハ大師ノツギシ所ナリト云)此等ノ説ニヨルトキハ、此字体古ニアラザリシヲ、空海初テ漢字ヲ仮テ作ラレシカバ、仮字トハイヒシナルベシ、卜部兼方宿祢音ノ説ヲ按ズルニ、伊呂波ハ弘法大師コレヲ作ルノヨシ申シ伝ル、コレハ昔ヨリ伝来レル所ノ和字ヲ、伊呂波ニ作成ルヽノ起リ也ト見ヘタリ、(釈日本紀)此説ニヨル時ハ、伊呂波トイフモノハ、空海ノ作レリトイフ事徴トスベキコトハナシ、タヾ俗間ニイヒツタフルノミナリ、又其字体モ空海ノ始テ作レルニハアラズ、タヾ古ニ吾国に行ハレシ字体ヲ用ヒテ、四十七字ノ字母トナセシコトハ、空海ニ起レルナルベシ、其字体ヲ見ルニ多クハ異朝ニイハユル草法ヲ用ヒシ所也、其中又片仮名ノ字体ヲ、草法ヲ以テ写シ、(へりつノ類ナリ)方訓ヲ以テ音韻トセシ所モアリ、(とにめノ類ナリ)其例ヒトシカラズ、委シキコトハ釈文ニミユ 『同文通考』巻三
いろは歌 〔現代作品〕 いろはうた/げんだいさくひん
現代においてもいろは歌すなわち無同字歌に挑戦する人が絶えない。この難解な課題をそつなく後世に残せる人は(時事詠だと価値が半減してしまう)そう数が多くないと断言してよい。
滑稽文学の本場、大阪在住の乙田東洋司氏はその稀有な一人である。鬼笑会本院の主で「冗皇」を号す。乙田氏はご好意で筆者あてに左掲の「夢のいろは歌」を寄せられた。この作品は汎時代的に通用する視野で作られ、これから無同字歌に挑戦される読者の手本になるにちがいない。
【例】
夢のいろは歌 乙田東洋司(特別寄稿)
いろは四十八文字をすべて用いて厄除け・開運を祈願する
夢も笑ましき 曙に
波越え来るや 宝船
通す節理へ 幸よばむ
運を拾いて 我ぞ居ぬ
いろは新字 いろはしんじ
戯作だけでなく言葉遊びにも器用な才能を示した式亭三馬(1776~1822)は、四字成句を核とした無同字歌作りにも挑戦、これを〈いろは新字〉と名付けている。

いろは新字 式亭三馬作
諸方無性 いろとさけにわみなまよいやす
色 酒 皆 迷 安
身性滅法 ちりうごくゆめ、かねのほしきは
散 動 夢 金 欲
惣別無粋 たれもふえるぞ、つらゐ
誰 充 満 辛 気
不食貧楽 おへぬをあゑてせむ
寂 滅 敢 而 為
&『小野愚嘘字尽』
同じ文字なき短歌 おなじもじなきたんか
平安時代に発生した和歌遊戯の一つに〈同じ文字なき短歌〉がある。同じ文字は二度と使わないことから「無同字短歌」ともいう。
無同字歌の頂点に立つのは四十七文字〈いろは歌〉だが、これは長歌である。創作難易度からみて長歌が極めて数少ないのに比し、三十一文字の短歌のほうはかなり多くの作品が残された。同じ文字なき短歌は、いろは歌の成立よりも2世紀ほど前に成った『古今和歌集』に二首収める。
【例】
同じ文字なき短歌
おなじもじなきうた 物部吉名
▽世のうきめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人 こそほだしなりけれ &『古今和歌集』
巻十八
清原深養父
▽沖つ波うち寄する藻にいほりしてゆくへさだめぬわかれからぞこは &『古今和歌六帖』第三
二条皇太后大弐
▽あふことよ今はかぎりの旅なれやゆくすゑしらで胸ぞ燃えける &『新勅撰
和歌集』巻二十
契 沖
▽佐保姫の霞をたちし衣には降りせぬ雪や真袖なるらむ &『漫吟集』
国音の歌 こくいんのうた
近代に入っても新しい〈無同字歌〉への挑戦は衰えを見せなかった。
明治三十六(1903)年、『万朝報』は〈国音の歌〉の名称で無同字歌の新作を公募したところ、一万を越す応募があったという。同年七月、審査を経てベスト二十首が紙上発表なったが、うち上位三首を転載してみよう。
撰1位 埼玉 坂本百次郎
鳥啼く声す 夢覚ませ 見よ明け渡る 東を 空色栄えて 沖つ辺に 帆船群れゐぬ 靄の中
撰2位 東京 堀 幸
堰塞稲植え 刈り収む 負ふ穂も揃ひ 土肥えぬ 希に見る夢 安らけく あな楽し世と 我は経てん
撰3位 東京 常盤千代
細山川の 末を見よ 千船群れゐる 広瀬あり 夢怠らで 業遂げん いつにし消えぬ 名も得べく
多数作から選ばれただけあって、さすがに秀作揃いである。なかでも1位入賞歌は、〈いろは歌〉には及ばぬものの、自然で整った歌体が見事。内容も絵になる春景を描く。発表を契機に、この歌は〈とりな歌〉の流行語すら生んでいる。

「とりな歌」をデザインした仕出し弁当の包装紙
現代でも週刊誌などがこの種作品を公募しているが、発表作どれもが「とりな歌」に比べ見劣る。なぜだろう?時代を経ても詠歌レベルにそれほど差があるとは思えない。
差は作者の視野にあると思う。古今の時代を通じて愛唱されるには、超時代の視野で無同字をしっかりと詠み込まなくてはならない。いろは歌は百万人が作れる時事川柳などとは訳が違うのだ。
言うは易く行うは難し。挑戦者よ、「いろは歌」や「とりな歌」を今一度、じっくり吟味してみよう。
千字文 せんじもん
古代中国は梁の周興嗣(470?~521)が文字を習う手本に千字の異なった漢字を二五〇の四字成句にまとめた韻文を〈千字文〉といっている。
千字文は無同字詩の漢字版といったところだが、ここでは冒頭の二〇句八〇字を抄出して掲げる。
天地玄黄 宇宙洪荒
日月盈昃 新宿列張
寒来暑往 秋収冬蔵
閏余成歳 律呂調陽
雲騰致雨 露結為霜
金生麗水 玉出崑岡
剣号巨厥 珠称夜光
果珍李柰 菜重芥薑
海鹹河淡 鱗潜羽翔
竜師火帝 鳥官人皇
&『四字熟語博覧辞典』進藤健志郎編より

趙子昂行書千字文の部分写
大為尓伊天 たいにいで
〈大為尓伊天〉は〈あめつち〉と同様に無同字歌系統に属し、成立時代も両者ほぼ同じ。別に〈大為尓の歌〉とも称し、作者は不明である。
田居に出で 菜摘む我をぞ 君召すと 求食り(追)ひ行く山城の うち酔へる児ら 藻干せよ 得船繋けぬ
大為尓伊天 奈徒武和礼遠曾 支美女須土 安佐利(於)比由久 世末之呂乃 宇知恵倍留古良 毛波保世与 衣不祢加計奴
日文の歌 ひふみのうた
日文の歌〉は後世人による呼び名で、〈無同字歌〉系では最古の作とされている。元歌は万葉仮名を用いた数詞表記であることから、奈良時代の成立とみてよかろう。次がその原表記と平仮名表記である。
人含道善命報名親児倫元因心題錬忍君る豊位私盗勿男田畑耕女蚕積織家饒栄理宣照法守進悪攻絶欲我刪
ひふみよいむなやこともちろわねしきるゆゐわぬそをたはくめかうおえにさりへてのますあせゑほれけ
無同字歌種々 むどうじかくさぐさ
〈いろは歌〉の後に作られた〈無同字歌〉をいくつか集めてみた。
わずかな作品群にあっても、出来不出来の格差が大きいことに気づかれよう。それだけ奥行きの深い遊戯であるとわかる。
【例】
天地ひらけ(伝承) よみ人しらず
天地ひらけ 神なり坐して とこ世やすく 尊える御物 われ食む経ぬぬる 夷狄滅せ亡ふ 豊栄を稲
雪中奇懐 横井也有今雪より明け初むる 誰れ植ゑぬ花総て咲く 得匂はねど弥珍らし 炉の火を囲み切思
&『鶉衣』
*後述、堀田六林「つの文字」への返歌。
きみまくら 細井広沢
君臣 親子夫婦に 兄弟群れぬ 井ほり田植えて 末繁る 天地栄え 世を侘びそ 舟の櫓縄 &『広沢翁和歌』
あめふれば 本居宣長
雨降れば 堰埭を越ゆる 水分けて 諸人康く 下り立ち植えし その群苗 稲よ 真穂に栄えぬ &『鈴の屋集』
けふつのもじを 大田蜀山人
今日つの文字を 得て学び 智優に名能ゐ 戯れ言業故 赤ら目せず 覚えぬるぞや 六林君
*後述、堀田六林「つの文字」への賛。
すみのえなる 田中道麿
住の江なる 田居に早乙女 早稲植えぬ 稲刈りてよ 落穂拾へ子等 其従しも麦蒔け 粟生作れや &『田中道麿全集』
《参考1》
神勅四十七言之事 源 兼勝
ひふみよ忌むなやこともちろらねしきるゆゐつわぬそおたは組めかうをゑにさりへてのますあせえほれけ
○天照大神コノ四十七声ヲ天兼智命ニ命ジ給フ、兼智命この四十七声ニヨツテ、今ニイタリテ人ノイフ無量ノコトバヲ造リ給フ
&『惶根草』巻五
無同字歌集『つの文字』 むどうじかしゅう/つのもじ
現代風に表現するならアナグラムマニアといえよう、江戸時代の漢詩人で俳人の堀田恒山(六林未足斎、1710~91)はそうした異才の人であった。
彼が著したいろは四十七文字の遊戯歌集『つの文字』は、〈無同字歌〉の家集である。それも漢詩の仮名表記による無同字歌はまだしも、序文・跋文まで収めた二十三作品すべてが無同字という徹底したもので、彼の傾倒ぶりがうかがい知れる。そのうち三作を引いてみる。
序文(すべて仮名表記)
いろはのも塩草に戯文を真似あいせるを世人すべて打ち笑みぬめり、これはつたなき故からぞや
琴 歌(藤尾勾当に)
はるごろうえし あいおゐの ねまつゆくゑにほふなり よわひをすへや かさぬらむ きみもちとせぞ めでたけれ
題 寒梅(擬五言律詩体)
ゑならぬかほり ねやおとずれ
ゐけはおし にわのむめ
いろそふあさ こゆきちるよへ
またうくひす みえもせて
&『ことば遊びコレクション』
六林子に対しては、詩歌吟詠にかけては当代一流とされた横井也有や大田南畝ですら、即詠の見事な出来栄えに舌を巻いている。彼は「京」と「ん」と畳字用の「白」を含めいろは五〇枚の字牌を常に携え、相手から求められるとその場で詩歌はじめ連歌・文章・謡曲詞章から小唄までただちに応じたという。その当意即妙ぶりはまさに天才的で、也有や南畝は感じ入って、ともに無同字の賛歌を献じている。次の一首は六林子の即詠の一端を伝えている。
井上蟻筆『東海道紀行浜荻』に餞けた和歌一首と詞書十六文字
大名や未会ぬ詠好けれ感ぜり 色添えぬ千里越へ見る旅枕 夢をも写す筆の錦は
&『つの文字』

堀田恒山の墓所〔名古屋市千種区〕
無同字川柳 むどうじせんりゅう
同じ文字を二度と使わないで作る川柳を〈無同字川柳〉という。三十一音短歌や二十六音都々逸などと比べ十七音ですむ川柳はかなり作りやすい。
なお芭蕉作の俳諧名句「ふるいけやかわずとびこむみづのおと」は惜しくもとが二度使いの準無同字句になっいる。
【例】
題 「い」の字結び
▽銭刀持つて昭和の色男
▽湯上りのむすめにはつとした色気
▽雷を待つてくどいた今日の首尾
&『雑俳諧作法』