言葉の綾取りが楽しみ。軽妙なリズム感がファンを増やしたが遊びの底は浅い

6 尻取り系 しりとりけい

 

前の句の尻の一~三音を次の句の(かしら)に用い次から次へと言葉を連ね結んでいく遊びを〈尻取り〉という。普通二人以上の複数で順繰りに演じる。

語尾に「ん」の付くもの、先に出たもの名を再び使うことは禁じられている。言葉は名刺を原則とし、出なくなったら負け。途中一人、二人と抜けていき、最後に残った者を勝とする。連想による語句の連らなりが強いほど技巧的、手持ち語彙の豊かさが勝敗を左右する。ことに日本語の場合、「る」で始まる単語はきわめて数が少ないので、この単語をいくつも覚えておくと尻取り合戦で有利になる。ほかにも仲間内でいくつかルールを決めておき、安易な言葉が継げないようにするなど、工夫が必要である。

尻取りは〈早口言葉〉などとともに、古くから人気のある言葉遊びである。本文の〈大祓(おおはらえ)(ことば)〉に見るように、もともと祝詞を荘厳な詞章に演出するための修辞技法であった。これが平安末期になると、長歌の各句を文字の連鎖で繋げていく〈文字鎖〉となり、いっそう言語遊戯性が加味される。さらに室町時代に入り官女らの間で、相手の和歌詠の末尾を受け、その文字で始まる別の有名歌をもって結ぶ口承遊びが流行った。

近世では、〈口合〉〈地口〉をもとに〈口合段々〉や〈地口尻取り〉がもてはやされるようになる。そのかたわら〈都路〉のような尻取り文芸ともいえる作品が生み出され、言葉遊びとしての尻取りの隆盛に拍車がかかる。明治時代に入ると、「牡丹に唐獅子…」のように有名な口拍子尻取りが大流行。即興で創作する尻取りから、定形文句を覚えて口承を愉しむ尻取りへと変容したことも、注目すべき時代変化の傾向である。

 

6 尻取り系の目録(五十音順)

 

跡付     

大祓の詞

終りのない歌

口合段々

源氏文字鎖

地口尻取り

尻取り狂句

尻取り鎖

尻取り文句

節会文字草

付廻し

果てなし話

ひの字

火廻し

都路

文字鎖

連珠吟

連想によるエンドレスイメージ尻取り

 

跡付 あとづけ 

有名詩歌などの語句の尻の字または部分を次の文句の頭に置いて連綿と連ねていくものを〈跡付〉あるいは〈尻取り付廻(つけまわ)し〉という。古典にも次の説明がみえる。

江戸にては尻取り付廻しと云、京摂にては跡付と云有、句の下の詞を次の句の上に置事なり &『皇都午睡』初編上

 要するに尻取りであることに変わりなく、連作が自分一人のものに限らない、あるいは土地による呼称の相違、というだけのことである。

【例】

東山跡付

ふとん着て寝たる姿や丸山のほとりの春景色、しきりに左阿弥の三味の音、音にきこえし端の寮、料理のあつらえ正あみか、かつちりあたる也阿弥でも、もちつとげん阿弥見えませぬ、ませぬ舞子のそのなかに、中にとりわけ弁才天、てんごう御言いなこちや惚れん、れん阿弥大抵じや値ができん、できたら大谷のかのうたり、二人で遊ぶ長楽寺、地の神さんが連れだちて、たつてお寄りと二軒茶屋、やたらに詣る祇園さん、山門ながら知恩院、陰気なお客はくわん阿弥の、乗せる舟から長喜庵か、 (中略)じやらじやら流るる滝本の、元の孔雀は入り替り、代りの女が北佐野か、駈けて来たのは佐野屋の源左衛門か、可愛いかわいと高台寺、大事の口に風ひかす、ひかす三味線御迷惑、曰く因縁もうしまい、稲荷の狐でくわいくわいくわいと、とかく都は面白や &『言語遊戯考』

 

大祓の詞 おおはらえのことば 

古代は六月と十二月の晦日(みそか)に、京都朱雀(すざく)門前の広場において、やんごとなき人々を中心に百官(つど)い、万民の罪穢を(はら)い清める慣行(ならわし)があった。この神事(かみこと)を大祓と(とな)え、そのさい世襲神官の卜部(うらべ)氏が()り読む祝詞(のりと)を〈大祓の詞〉といった。その全文を部分抜粋の形に圧縮して次に掲げる。

   六月(みなづき)晦大祓(訓文)

(うごな)はり(はべ)親王(みこたち)諸王(おほきみたち)諸臣(おみたち)百官(もものつかさ)人等(ひとども)諸聞(もろき)(たま)へと(のたま)ふ。

天皇(すめら)朝廷(みかど)(つか)(まつ)る、比礼掛(ひれか)くる伴男(とものを)手襁(たすき)掛くる伴男、(中略)(あやま)(をか)しけむ雑雑(くさぐさ)(つみ)を、今年(ことし)六月(みなづき)(つごもり)大祓(おおはらへ)に、(はら)(たま)(きよ)め給ふ事を、諸聞(もろもろき)き食へと宣ふ。/高天原(たかまのはら)(かむ)(づま)()す、(すめら)(むつ)(かみ)漏岐(ろぎ)(かむ)()(みの)(みこと)()ちて、八百万(やほよろづ)(かみ)(たち)神集(かむつど)へ集ひ(たま)ひ、(中略)安国(やすくに)(たひ)らけく(しろ)()せと(こと)()さし奉りき。/如此(かく)()さし奉りし(くぬ)()に、(あら)()(かみ)(ども)をば、神問はしに問はし賜ひ、(中略)(あま)八重(やへ)(ぐも)()()千別(ちわ)きに千別きて、天降(あまくだ)し、依さし奉りき。/如此依さし奉りし四方(よも)国中(くになか)と、大倭(おほやまと)()高見(たかみ)の国を安国と定め奉りて、(中略)高津(たかつ)(かみ)(わざわひ)高津(たかつ)(とり)の災、畜仆(けものたふ)(まじ)(もの)()(つみ)許許太久(ここだく)の罪()でむ。/如此出でば、天津(あまつ)宮事(みやこと)以ちて、大中(おおなか)(とみ)天津金木(かなぎ)本打切(もとうちき)り、(中略)八針(やはり)取辟(とりさ)きて、天津祝詞(のりと)(ふと)祝詞(のりと)事を()れ。/如此乃良(のら)ば、天津神は天の(いは)()押披(おうひら)きて、(中略)高山(たかやま)()()()短山(ひきやま)の伊穂理を()()けて(きこ)()さむ。/如此聞し食してば、(すめ)御孫(みま)(みこと)の朝廷を(はじ)めて、天の(した)四方の国には、(つみ)と云ふ罪は()らじと、(中略)佐久(さく)那太理(なだり)()多支(たぎつ)川、速川(はやかは)()()瀬織津比咩(せおりつひめ)と云ふ神、大海原(おほうなばら)()ち出でなむ。/如此持ち出で()なば、荒塩(あらしほ)(しほ)八百道(やしほぢ)の、八塩道の塩の八百会(やほあひ)()す、速開都比咩(はやあきつひめ)と云ふ神、()可可呑(かかの)みてむ。如此可可呑みてば、気吹戸(いぶきど)に坐す気吹戸(ぬし)と云ふ神、(ねの)国底(こくそこ)(こく)気吹(いぶき)(はな)ちてむ。如此気吹き放ちてば、根国底の国に坐す(はや)佐須良比(さすらひ)()と云ふ神、持ち佐須良比(うしな)ひてむ。/如此失ひてば、天皇が朝廷に仕え奉る官官(つかさづかさ)(ひと)(ども)を始めて、天の下四方には、(中略)今年の六月の晦の日の夕日(ゆうひ)(くだち)の大祓に、祓へ給ひ清め給ふ事を、(もろもろ)聞き食へと(のたま)ふ。

四国(よくに)卜部(うらべ)(ども)大川道(おほかはぢ)に持ち退(まか)り出でて、祓へ()れと宣ふ。(太字は筆者) &『延喜式』第八巻、訓文は『延喜式祝詞講』金子武雄

──右は全文ではないものの、各段の冒頭に配された「如此(かく)」という繋辞(けいじ)(関係代名詞)を介して徹頭徹尾、尻取り文体(文中の太字)になっている。古来、尻取りは気のきいた文学的文彩法として重用されていた。

大祓の詞をはじめ祝詞全般にいえることだが、文の区切りごとに何度も同様の文句を畳み込んで押韻し、荘厳な表現効果を演出している。もちろん祝詞そのものは言語遊戯でない。しかし後世に尻取りという言葉遊びの一中心分野を形成するのに寄与したところは大きい。

 《参考》

まづとりすべていふ事ども                       本居宣長すべて何事をいふにも、その詞の文によりて、人も神もこよなく(カマ)け給ふことなれば、祝詞宣命のたぐひは、殊に言詞の文を主とすべきわざ也、神代記の天ノ石屋戸ノ段に、天ノ小屋ノ命云々而広厚(ヒロクアツク)称辞祈(タタヘゴトシテ)啓焉(ノミマオス)于時(トキニ)、日ノ神聞之(キコシタマヒテ)、曰(コノ)(ゴロ)人雖(ヒトドモ)多請(サハニマセ)未有若(アラザリキコト)此言之(カクコトノ)麗美者(ウルハシキハ)也、乃チ細開(ホソメニアケテ)磐戸(イハヤトヲ)窺之(ミソナハス)とあるをもて、神も殊に言詞のうるほしきを(メデ)給うことをしるべし、近き世のものしり人共のごとく、たゞ空理をのみ説て、言詞をなほざりに思ひすつるは、例の漢意にして、古の意にあらず &『続 紀歴朝詔詞解』巻一

 

終りのない歌 おわりのないうた 

ひとたび歌い出したら際限なく続く、循環尻取り形態の歌を〈終りのない歌〉または〈きりなし歌〉ともいう。お座敷芸者らが芸達者なところを披露する。

【例】

どこまでも節                                               添田啞蝉坊作詞

♪お前とならば どこまでも/箱根山 白糸滝の 中までも/コチャ

イトヤセヌ カマヤセヌ

白糸滝は まだおろか/日光の 華厳の滝の 中までも/コチャ イトヤセヌ カマヤセヌ

華厳の滝は まだおろか/浅間山 燃え立つ煙の 中までも/コチャ イトヤセヌ カマヤセヌ

燃え立つ煙は まだおろか/太平洋 さかまく怒涛(どとう)の 中までも/コチャ イトヤセヌ カマヤセヌ

さかまく怒涛は まだおろか/アメリカの ナイヤガラ瀑布(ばくふ)の 中までも/コチャ イトヤセヌ カマヤセヌ

ナイヤガラ瀑布(ばくふ)は まだおろか/花のパリの 中までも   ……

*大正三(1914)年の流行。「どこまでも節」の名のとおり、傍線部(筆者加筆)を尻取って歌い継ぐことにより理論上は果てしなく歌えることになる。

お座敷騒ぎ唄(詞例)

 *歌い出し詞の尻取りを芸者衆や参加者が順に歌い継いでいく。何曲か続けてから芸者や太鼓持が後を引き取り、最初に戻るよう操って仕舞とする。

♪桃から生まれた(もも)太郎(たろう)(または)/お月様えらいな/なんて間がいいんでしょ/正直爺さんポチ借りて/手品やるアルみな来るヨロシ/忍び泣きしてからだも痩せて/天に二つの日は照らず/好きだった好きだった/誰が吹くのかこの寒空に/日本男児と生まれ来て/敵は幾万ありとても/桃から生まれた桃太郎。

 お座敷騒ぎ歌の元祖は室町時代の狂言小唄とされている

 

口合段々 くちあいだんだん 

一般の段々(上方での尻取り)と異なり、語尾の一語を音で次句頭へ受けず、意味の違う類似音の語で受けるものを〈口合段々〉という。つまり口合形態の段々である。

口合段々は宝暦17511764)の頃、上方で月例の口合吟遊を楽しむ吟社において発生した。江戸より一歩先んじていたことになり、まもなく江戸へも移入されるが、初期のものは〈地口尻取り〉とはいわず口合段々の称をそのまま用いていた。時すでに口合が〈秀句〉から独立しつつあり、言語遊戯としての体裁を整えながら、口合を父に、段々を母にもつ口合段々が誕生したのである。

例示のうち一つは、上方における口合や段々の権威ある古典『穿(せん)(とう)珍話』宝暦七年版に収載(新規挿入)の作品である。

【例】

京の町のやしよめ

やしよめ〳〵きょうのまちのやしよめ。やしよめ久松さいもんで。さいもんではらの地蔵ぼさつ。ぼさつとめましやこなたへと。たへとのふろふきせうがみそ。みそのつとめは嶋原で。ばらでこざかしうしうらぬ。うらぬぼせつの雪よりも。よりもちつくりあやかりたひ。かりたいのいほのとまをあらみ。あらみつめつてひとのいたさ。いたさはなせのおことばを。とばを〳〵どの子がほしいぞ。ほしいぞつもりてふちとなる。となるのもちつくきねのおと。おとの河瀬の水車。くるま町ぢうはやりうた。歌の夜明けに門に立つ。にたつからおちるやうなゆめをみた。おみたはなみだしやくりあげ。… &穿(せん)(とう)珍話』

 近江に石山                  

近江に石山秋の月、月に村雨花のかぜ、風の便りに田舎から、唐をかくせし淡路島、縞の財布に五十両、十郎五郎は曽我の事、まことに目出度う候ひし、らひしは嵐の三五郎、ゴロゴロ鳴るのは雷か、稲荷の鳥居に猿の尻、のしり熨斗目の上下で、下の関まで押うせ〳〵、おせきの弟の長吉は、チョチチョチアバツムリテン〳〵、テン〳〵天満の裸巫女、行こか戻ろか住吉まゐり、参り下向の足休め、主馬の判官盛久は、久松其処にかつめたかろ、逆櫓が船頭松右衛門、衣紋つくろひ正座する、駿河に千年不二の山、山合に拾ふ合ひ心、心は石竹気は紅葉、紅葉は通天稲荷山、となりにもちつく杵の音、淀の川瀬の水車、何をたよりにくる〳〵と〳〵 &『皇都午睡』初編上

 

源氏文字鎖 げんじもじぐさり

〈源氏文字鎖〉は江戸中期の霊元院歌壇の重鎮、武者小路(むしやのこうじ)実隆(さねたか)(16611738)の作で、『源氏物語』五十四条の全巻名を文字鎖により順送りに読み込んだ詞章である。韻律が整っていて口承しやすいのが特徴で、巻名覚えにも役立つ。 

 源氏文字鎖      武者小路実隆 源氏のすぐれてやさしきは、はかなくきえし桐壺よ、よそにも見えし帚木は、われからねになく空蝉や、やすらふみちの夕かほは、わかむらさきのいろごとに、にほふ末摘花の香に、錦と見えし紅葉の賀、かぜをいとひし花の宴、むすびかけたるあふひ草、榊のえだにをくしもは、花散る里のほとゝぎす、須磨のうらみにしつみにし、しのびてかよふあかしがた、たのめしあとの澪漂、しけき蓬生つゆふかみ、みすに関屋のかげうつし、しらぬ絵合おもしろや、宿に絶せぬまつかぜも、ものうき空の薄雲よ、世は槿のはなのつゆ、ゆかりもとめし乙女子が、かけつゝたのむ玉かつら、らうたきはるの初音のひ、ひらくる花にまふ胡蝶、ふかき蛍のおもひこそ、そのなつかしき常夏や、やりみづすゞし篝火の、野分けの風にふきまよひ、日かけくもらぬ御幸には、はなもやつるゝふぢはかま、まきの柱はわすれしを、折梅が枝のにほふやと、とけにし藤のうら葉かな、なにとてつみし若菜かも、もりの柏木ならの葉よ、横笛のねのおもしろや、やどの鈴虫声もろく、くらき夕霧秋ふかみ、御法をとりし磯のあま、幻の世のほどもなく、雲隠れにし夜半の月、きく名も匂ふ兵部卿、うつらふ紅梅色ふかし、忍ぶはしなる竹川や、やそ宇治川の橋姫の、のがれはてにし椎が本、ともにむすびの総角は、はるをわすれぬ早蕨も、もとのいろなる寄木や、やどりとめこし東屋の、のりのなもうき船のうち、契りのはては蜻蛉を、おのがすまひの手ならひは、はかなかりける夢の浮橋 &『雅遊漫録』

 

地口尻取り じぐちしりとり 

上方生まれの〈口合段々〉は、調子のよい語調のため、江戸においても抵抗なく受け継がれた。移入当初は上方色が生のままであったが、やがて江戸文化持ち前の旺盛な吸収力で、江戸仕立ての〈地口尻取り〉へと化粧替えされていく。

例示の『地口()天宝(てんぽう)』安永二年版は、〈口合段々〉の例示の一つ『穿当珍話』の向こうを張って出されたものかと思う。内容が一段と充実していて秀逸。こうした作品に刺激され、短くも洒落のよく効いた即興的地口尻取りが流行るに至った。  

 尻取りの始め句に使えます〔地口を生かした明石公園(愛知県碧南市)での立札〕

【例】

はじめましよ

はじめましよ、召し世を見れば成りそな目もと、めもとおうみの国ざかい、ざかいちがいのお手まくら、まくらの花はあすかやま、かやま町には薬師さま、しさまのかち路はりまがた、まかたの名方ふたたびぐわん、びぐわん柑子たちばな、ばなかさんさき幡随院、ずいん佐々木が乗つかつた、かつた峠のとびだんご、だんごの節句はかしわもち、わもち無沙汰に塵ひねる、ひねるの城にはおさかべどの、べとのさん大権現、んげんの伊久に助六じや、六じやの口をのがれたる、たるは道づれ世はなさけ、(中略)立たぬの四郎は(いの)ししに、ししに正しき家筋じや、すじじや身をくう世のならい、ならいちがいの御手まくら、まくら千人めあき千人、千人問答ひらがなか、かなかのややはもう十月、とつきもしらぬ山中に、なかにだいばは付きものだ、ものだの森の狐をうかそ、うかそ中山せいがんじ、がんじ元来殺生せきか、せきか泰平国土安穏

&『当世風流 地口須天宝』

歌舞伎台詞より                                        笠縫米富作

きた ほんに油断がならぬわいがな。平内 油断ならぬ大仏か。九太 こいつは出来た。大仏か〳〵。伴内 ぶつが三日に夜を明かし。と三味線の合い方になる。平内 明かしが浜の仇浪は。きた なみは袋に太刀は鞘。さと さやや三勝忍び路の。わか のびじの錦神の(ぬさ)うた ぬさの顔見りやおはもじい。九太 はもじの黒焼五八(そう)皆々 五八霜〳〵。伴内 五八霜の宗門切支丹。… &仮名書(かながき)吾嬬面視(あづまかがみ)』四幕目、撞木町桔梗屋の場

 

尻取り狂句 しりとりきょうく 

今でこそ「川柳」の呼び名一辺倒だが、明治頃まで、まだ「狂句」の呼称は生きていた。例示のような狂句による尻取り遊びも、各地の結社や狂句会で盛んであった。川柳の場合は〈連珠吟〉と呼び名が変わる。

【例】

尻取り狂句(明治) 

一間では()(くび)くらべや五月   魯升

五月雨庭の垣根の破れ時  花影

破れ時二八の娘親苦労    魯

親苦労三十余歳の老書生   花

老書生立派に立つは(ひげ)ばかり   魯

髯ばかり生やして巡査餓に泣き  花

餓に泣き育てかねたる子の不幸  魯

子の不幸苦海に落す親もあり  花

&『日本文学遊戯大全』

 

尻取り鎖 しりとりぐさり 

一連の〈尻取り文句〉のうち、最終句の尻が還って再び冒頭へと戻る形式のものを〈尻取り鎖〉という。当然、文句全体は短くなり、同じ口承をなんども繰り返す。古くは「尾頭循環式尻取り」といった。これには〈早口言葉〉の要素も含まれていて、歌謡詞に多い。

 家紋の一つ「結三柏」は尻取り鎖のイメージ

 【例】

 狸の睾丸(きんたま)(信濃の伝承歌)

 タ、タ、狸の睾丸八畳敷き/キ、キ、狐のさいはいどびんとしょ/ショ、ショ、しょうたればばさ粟餅ょ食って屁たれた/タ、タ、狸の睾丸…

梅に鶯(東京)

♪梅に鶯ホーホケキョ、京都の名物京人形、行儀のよい子は利巧の子、子供の好きな布袋さん、算術読方みな上手、ずんずん積もる屋根の雪、行きも返りも汽車の旅、足袋にキヌテンコールテン 、天神様には牛と梅、梅に鶯ホーホケキョ… 

&『言語遊戯考』

 

尻取り文句 しりとりもんく 

江戸での尻取りの隆盛は、上方から入ってきた〈口合段々〉に負うところが大きく、江戸好事家の創作意欲をくすぐった。その結果、上方における流行以上に質と量をしのぐ〈尻取り文句〉を生み出すことになる。

巷間で口承され広まった尻取り文句は口合、地口といった制約を離れた場において、のびのびと創作された。これがまた自由奔放な作品を生み出す土壌となり、その流行は幕末期に頂点を迎える。激動期の緊迫し世情もものかわ、近代文芸の中核の一つとして、命脈を保ち続けたのである。

【例】

 「御蔭参り」道中文句

御蔭の始め寅の春、春過夏来秋までも、でも仰山なる伊勢参り、参る手毎に笠と杓、癪も疝気も(いと)いなく、泣く子を背に結い付けて、手を引く兄の鼻垂れ子、こけてだだふむ屎をふむ、ふむ土やみたらしの施行団子、これ食つてなくなも御蔭にて、手ん手に貰う嬉し顔、顔()き女にたんとやる、やる施しは浮気にて、手柄面する堂島は、(まま)(とと)つる下心、ろくな施行と思はれず、酢につけ名と利をむさぼるは、分かりにけりな道しるべ、下手な文に現れて、でも馬なるか鹿なるか、蛙の口の浅ましく、くれる施行にふる杓の、のらも沢山有れば有り、&『御蔭耳目』

当時流行だんぶくろ

当時流行だんぶくろ、ふくろく神は頭が長い、長井庄助居合抜き、抜き差しするのはきせる筒、つつっぽ仕立がはやります、ますますふえるは唐物屋、やがて諸式もやすくなる、鳴海しぼりの派手姿、姿よいのは柳腰、腰のまがるは飾りえび、えびで鯛を釣り上げた、あげた饅頭たんとある、歩く渡世は町飛脚、(*中略)花の盛りは向島、島田金谷は川の(あい)(あい)紺屋(こうや)の紋どころ、ろくろはから傘まんなかだ、固い約束石山で、山で色すりや木の根が枕、くらまの山の僧正坊、坊さん夜這いは闇がよい、宵にちらりと三日月さまよ、迷うは誰しも色の道、塵も積もれば山となり、となりのおばさんちよいとおいで、てんてん太鼓に笙の笛 

&弘化頃の江戸瓦版

牡丹に唐獅子

牡丹に唐獅子竹に虎、とらを踏まいて和藤内(わとうない)、内藤様は(さが)り藤、富士見西行は(うしろ)向き、むきみ蛤ばかはしら、柱に二階の縁の下、下谷上野の山かつら、桂文治は落語家(はなしか)で、でん〳〵太鼓に(しよう)の笛、閻魔(えんま)は盆とお正月、勝頼(かつより)さんは武田(びし)、ひし餅三月雛祭り、まつり万灯(まんどう)山車(だし)屋台、鯛に鰹に章魚(たこ)まぐろ、ろんどんいかだの大港、とたんするのはお富士さん、三べん廻りて煙草にしよ、正直正太夫伊勢のこと、琴や三味線笛太鼓、太閤さまは関白じや、白蛇(はくじや)の出るのは柳島、しまの財布に五十両、五郎十郎曽我兄弟、鏡台針箱煙草盆、坊やはいゝ子だ寝んねしな、品川女郎衆は十匁、十匁エの鉄砲玉、玉屋は花火の(おお)元祖、宗匠の住むのは芭蕉庵、餡かけ豆腐に夜たか蕎麦、そうばの鐘がどんちやん〴〵、(ちやん)のおッかあ四文おくれ、お暮がすぎたらお正月、お正月には宝船、宝船には七福神、神功皇后竹内(たけのうち)、内田は剣菱(けんびし)七ツ梅、梅松桜は菅原で、藁で束ねた投島田、しまだ金谷の大井川、可愛(かわ)いけりやこそ神田から通ふ、通ふ深草百夜(ももよ)のなさけ、酒に魚で六百出しやア気まゝ、まゝよ三度笠横ツちよにかぶる、(かぶり)をたてに振る相模の女、女やもめに花が咲く、咲いた桜になぜ駒繋ぐ、つなぐ(かもじ)大象(おおぞう)もとまる 

&『あづま流行 時代子供うた』

 牡丹に唐獅子をあしらった名古屋帯〔灯屋ホームページより〕

開化の御代こそ

開化の御代こそありがたきお政事こらいひ、人々は商法(あない)官吏に心入れ、煉瓦に石庫(いしぐら)大はやり、はやるは洋服舶来物、物持ち追々身代限り、立派なお方が車ひく、工夫も異国の岡蒸気、浮名お立ちで新聞や、屋敷はのこらず新開町、町々往来みすじにはかる、□□りも便利の針金だより、たよりをちよいと郵便葉書、書付け証文印紙を貼り、尾張のさち鉾博物館、官許のあきない税が出る、出るは引つ張り極楽ひき手、天保銭は金八厘、りんご梨柿桃すいか、いかにも届いた橋普請、新造の芸者はお気のどく、徳利さかずき茶ぶの台、意気な権妻白歯に眉毛、拳やおどりの大一座、ざんざめかして騎兵隊、台湾いくさは大勝利 &『開化しりとりうた世上ばなし』

尻取りを文案にした歯磨広告〔昭和初期〕 

 

節会文字草 せちえもじぐさ「節会文字草」は、室町時代の歌人で故実典礼に通じた公卿、中御門(なかみかど)(のぶ)(たね)(14421525)が創作した〈文字鎖〉で、いろは順になっているため〈いろは文字鎖〉ともいわれている。

 ただし、大田南畝著『一話一言』巻八では一条(兼良)禅閤の作としている。節会文字草は文字鎖の古典的存在で、単に言葉遊びの具にとどまらず、当時の有職故実や処世術の背景を知るうえで貴重な資料でもある。

 お同類作品に三条実隆作「節会もじぐさり」があり、こちらは万葉仮名「伊呂波…」で連鎖してある。

節会文字草                                            伝 中御門宣胤

  い 異位重行の立処

ろ 六位の外記の進む庭

は 白馬の奏をとる時に

に 二人の大将参る顔

ほ ほのかに立る屏風の前

へ (ヘン)は尋常宣命と

と 取々に置く庭の内

ち 内豎(チヒサハラ)大舎人(オホトネリ)

    り 臨期の召に従へぬ

ぬ 縫殿録の櫃立る

る 瑠璃の錺剣(カザタチ)さす(ヒラ)()

    を 押は笏紙(ハケ)るは(クワ)

  (中略)

ゆ ゆきを(メグ)らす天少女

め (メグ)れば楽前相進み

み 御酒給へと召す敕使

し 式の箱をも置机

ゑ 衣文(エモム)()高き御粧(ミヨソホ)

ひ 蹕称するは還御かも

も 目録見参早く出せ

せ 節会は今より末絶ず

す 天皇(スベラギ)の御代は千代絶せず

 

付廻し つけまわし

 長ったらしく続いていく尻取り形式を江戸言葉で〈付廻し〉といった。

 今にいうエンドレス尻取りだが、たいていは途中で「…」を付け、まだまだ続くことを示して打ち切りとする。現代ではほとんど廃れている。

【例】

数詞入り尻取り付廻し

六じやの口をのがれたる、たるは道づれ世はなさけ、なさけの四郎高綱で、つなでかく縄十文字、十文字の情にわしやほれた、ほれた百までわしや九十九まで、九までなしたる中じやもの、じやもの葵の二葉山、… &『三養雑記』巻一

 

果てなし話 はてなしばなし 

同じ内容の話を繰り返さざるを得ないような構成に仕立てた遊戯話を〈果てなし話〉という。「反復譚」「きりなし話」「眠たい話」などの別称もある。

果てなし話は、結末部分が擬音を交えた反復表現になっているのが特徴である。聞いていて眠くなるような語り口になり、〈早口言葉〉とは対をなす。また果てなし話は、子供から昔話をせがまれたとき、その籠絡策として考え出された民話であるという。毎度のことで、話の種は尽きてしまう。そこで、同じ話を何度も繰り返すうち、話にうんざりした子供から「もういい、やめて」といわせるか、眠りに誘うかの効用がある。

【例】

蛇をチョキンと切ると

(とち)の実が風に吹かれて、川へ落ちて流れていった。蛇が出てきたので、爺がプツリと切った。蛇が梨の木に今日もノロノロ。炉から蚯蚓(みみず)がぺロッと出たので、チョキンと切った。蛇をチョキンと切ると、ヘロッと出る。またチョキンと切ると、へロット出る。またチョキンと、 (岩手の伝承民話、要約)

おにのふんどし

♪なげえ なげえ むがしこ知らへがな

 鬼あ 天井がら褌さげでよごしたど

 ふぱっても ふぱっても 長ェずおん

ふぱっても ふぱっても 長ェずおん

ふぱっても ふぱっても  (青森の民話中歌詞)

 

ひの字 ひのじ 

後出〈火廻し〉の個人作品を仮に〈ひの字作品〉とし、団体作品と区別しておく。狂歌や雑俳に見られる。

 こじつけの度が過ぎ鑑賞の味わいはない。

【例】

ひの字題狂歌    ひんていし撰(田中卜平)

▽人の中の人こそひとはぶしなれやひとへも八ゑもはなはさくら木

                 士

▽ひやくしやうをひっぷげろうといやしめどひなのうちにもひとはありけり

            農

▽ひとはなをまがりくねりし木なりともひとつのむねのたくみなりけり

              工

▽引きしもげてかうりをとらぬあきないもひやうしよければひとになるなり

            商

▽ひじんひぎひいれにひちにひしんとひとはいつゝのひにはしすべし

             儒者

▽ひやくひやうはかぜよりおこる物ぞきかしひのたかぶるはじんきよなりけり 

             医者

▽ひんしやほどよにうらやましきものはなしひとゝひごとによるもねられず     

            福者

▽ひんかにはいつもはれマゾなかりけりひのあめはふるつきはもりつゝ         

            貧者 (後略) 

&『猿の人真似』       

 一筆達磨〔二代喜多川歌麿画、個人蔵〕禅宗開祖の達磨大師の坐禅像を一筆で描いた。賛は有名な「深山生大沢竜蛇」の捩り言葉

 

火廻し ひまわし 

文字鎖を何人かで寄り合って作るのに、紙燭(しそく)(宮中などで用いた儀式用灯明具)を使って、その点火時間内に競詠を行う遊戯を〈火廻し〉あるいは〈線香回し〉〈火文字ぐさ〉などと呼んだ。具体的な内容については、格好の一文があるので代弁してもらうことにする。

                                                            山本西武(さいむ )

 そこらここらゆりてしりぬる歌よみにするなぐさみはひもじくさなり、自注に、歌

  読にとあるからかく付くるなり、ひもじぐさは紙そくに火を付けて歌の五の句の

 下の文字にすがつて、さきへわたして消ゆる所をまけということあれば付けるなり

 といえり、これ全く文字鎖と同じ、文字鎖の歌は上の句の終の文字をうけて、次の

 句の上にその文字を置きて云ひつらぬるなり、それより女童の遊びに古歌をよみ

 て、さの如く次第にいいつらぬるを文字鎖の遊びという、この遊び火廻しよりでた

 るにこそ &『西武百韻』

 火廻しは、実際は品のよい、しかし規則に縛り付けられた退屈な古歌の尻取り遊びでしかなかった。そのため江戸時代になると、火廻しに洒落て、各句頭などに「ひ」の音をもつ語を羅列したものに改造されてしまう。その様子について、

                                                           新井君実

 童子曰、我友達に火廻しの名人あり、火廻しというは冬の夜埋火の本などに寄合い、さみしき慰みに紙燭に火をつけ頭に火という唱の物の名などいいて紙燭を添えて次にまわせば、次もまた送り送りて云い詰まり紙燭の火のきえたるを負けとす &『ふくろの記』

のように、手っ取り早い勝ち負けになり、尻取りの片鱗すらうかがえないものとなってしまった。さらに、その火廻しのの字付けの模様を、

                                                           近松門左衛門

 小夜も小六も浮き浮きと、引裂紙の捻り元結で火廻しを。火熨斗、日野絹、房様なんど。わしは独寝、ああいまいまし。非無垢、冷酒、引舟、火桶、雲雀、ひよどり… &『重井筒』中巻

と描写。この辺の状況を江戸の川柳子も、

 火廻しに禿引け四つたんといひ

 火廻しに日あたりといふ紺屋の子

のように、火の字一辺倒を茶化している。ところがやがて、火廻しは「線香廻し」へと呼び名が変わり、内容も元の尻取りに戻っていく。理由は、の字(いじ)りという児戯にも等しい単調さが飽きられたためである。

 

都路 みやこじ 

「都路」は作者未詳(一説では由井正雪作)の作品で、「東海道往来」の別称がある。

 東海道五十三次の各宿駅名を文字鎖に仕立てたもので、往時の習字本にもなった。

都路                                                     作者未詳

 都路は五十路余り三ツ宿、時得てさくや江戸の花、波しづかなる品川や、頓てこへ来る川崎の、軒端並ぶる神奈川は、はや程ヶ谷のほどもなく、昏て戸塚に宿るらむ、紫にほふ藤沢の、野もせにつゞく平塚も、元の哀れは大磯か、蛙なくなる小田原は、箱根を越えて伊豆の海、三島の里の神垣や、やどは沼津の菰ぐさ、さらでも原のつゆはらふ、富士の根ちかき吉原と、ともに語らん蒲原や、休らふ由比の宿なるを、おもひ興津に焼しほの、後は江尻の朝ぼらけ、今日は駿河の国府をゆき、暮に数ある鞠子とは、わたる岡部の蔦のみち、千とせの松のふぢ枝と、よしや島田の大井川、渡る思ひは金谷とて、照すひかりは日坂に、賑はう里の掛川と、かけて袋井ふく風の、のぼる見付の八幡とは、浜まつがへの年久し、しぐれしころも舞坂を、遠近すぐる荒井の磯、袖に波こす白須賀も、本より名のみ二河や、浦ふくかぜの吉田こそ、思ひしられし御油の里、とけにし花も赤坂の、野田にやまさる藤川を、岡崎のやどいかならむ、むすぶ池鯉鮒のかりの夢、さむるなみ間の鳴海がた、たゞ爰も戸に熱田の宮、八十氏わたす桑名の海、みちの行方は四日市、誓ひもかたき石薬師、庄野の宿り是ぞよと、齢ひ久しき亀山と、留る人なき関ならじ、賎が家ならぶ坂の下、誰土山に座せしめむ、群たる露も水口に、にごらぬ末の石部かな、野辺はひとりの草津つゆ実にまもりの大津とは、花のにしきの九重、こゝろ浮たつ都ぞと君のことぶきいはゐたりけり、かしこ &『習字手本』弘化版

 

文字鎖 もじぐさり 

〈文字鎖〉は、和歌などを対象に、各句尾の文字と同じ文字を次の句頭に置き、あたかも鎖のように連ねていくものをいう。厳密には二つの用法がある。

   前の人が口承した短歌の下句末尾と同じ音をもつ別の有名短歌の冠文字を思い出し、その一首をつなげて口承する。次の人も同様に末尾と冠とを繋げていく。平安時代すでに宮中官女の遊戯に採り入れられていた。

   長歌などで、各句尾の文字と次の句首の文字とを繋げていく。こちらは一人でも創作でき、別掲〈源氏文字鎖〉はその代表的な例である。

文字鎖は〈文字送り〉の別称もあり、〈尻取り文句〉の古語とみることができる。文字鎖に使う文字は、原則として仮名遣い・清濁音の相違は許容される。

【例】

*右①の具体的な記録は文献に見当たらないため、筆者が架空に仕立てたこういう体裁になるという見本を掲げることにする。

古歌の文字鎖

柿本人麻呂

▽秋山の黄葉(もみぢ)を茂み(まど)ひぬる(いも)を求めむ山路知らずも(万葉二)

大伴家持

▽もののふの八十(やそ)ををとめらが汲みまがふ寺井の上のかたかごの花(万葉十九)

清原深養父

▽夏の夜はまだ(よひ)ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ(古今・夏)

                                                   紀 貫之

▽むすぶ手のしづくに濁る山の井のあかでも人に別れぬるかな(古今・離別)

藤原実定

▽那古の海の(かすみ)()よりながむれば入る日を洗ふ沖つ白波(新古今・春上)

壬生忠岑

▽み吉野の山の白雪踏み分けて入りにし人のおとづれもせぬ(古今・冬)

山部赤人

▽ぬばたまの()()けゆけば久木生(ひさきお)ふる清き河原に千鳥しば鳴く(万葉六) …

《参考》

文字鎖                                                    山岡浚明

文字鎖の歌とは、上句の終りの文字をうけて、次の句の上に、その同文字をおきて云いつらぬるをいふ、それより婦女児の遊びにも、古歌のよみて次第に云ひつらぬるに、歌の末の終りの字に、同文字の上句に有る歌を思ひ出て云ひつらぬるを、文字鎖のあそびといふ、たとへば、めつらしきかなと云ふ歌の次ならば、その終りのな文字をうけて、名にしおはゞといふ歌をとなふるの類なり、そのさま金鎖のつゞれるさまに似たればいふなり &『類聚名物考』人事七

 

連珠吟 れんじゅぎん 

川柳の連作において、第一句の下五を第二句の上五に置き、第二句の下五を第三句の上五とする…というように、続けて尻取りとしたものを〈連珠吟〉といっている。〈句尾首川柳〉という別称も付けられている。これは明治時代にはやった〈尻取り狂句〉の踏襲である。

なお連珠吟に興味を持たれた方は「24 雑排遊戯」を併せてご覧いただきたい。関連する遊戯がいくつか発見できるはずである。

【例】

戯作・しりとり                                                 尾藤三柳

たましいのないふるさとの駅に佇つ

駅に佇つボクから影が歩き出す

歩き出す靴が無視する足の意志

足の意志こんな陳腐な罠に堕ち

罠に堕ち五尺八寸五分の闇

&『柳友』昭和四十九年145号