失恋の恨み節から社会戯評歌まで、喜怒哀楽あふれる情感をこめ弾き唄い  

 

Ch.7  演 歌

 

 

Ch.7 演歌 目録 (五十音順) 

 

アイドントノー節 戒め唄 唄本唄 演歌 オツペケペー おやおや節 改良節

活動節 欣舞節 剣舞節 元気節 五銭本唄 字引歌 書生節 スットントン節 

壮士節 増税節 ダイナマイトどん ちやくらい節 土取節 三味線演歌 のんき

節 バイオリン演歌 ハイカラ節 パイノパイノパイ まつくろ節 松の声 豆粕

の唄 漫遊歌 都の四季〔欣舞節〕 やつつけろ節 愉快節 補遺 

 

 

アイドントノー節

YOU TUBE

アイドントノー節 あいどんとのーぶし  渡辺迷波詞

サンクユー、サンクユー、ベリマッチ、

アイラブユー、ユーラブミー、

浮気は当座の出来心、

赤坊が出来ても、アイドントノー

サンクユー、サンクユー、ベリマッチ、

ヲムレツにカツレツを、

ペロリと平げた式部さん、

スワルトパートルも、アイドントノー

サンクユー、サンクユー、ベリマッチ、

ベリナイス、ベリグッド、

燕尾服引つからげて千鳥足、

シルクハット飛ばして、アイドントノー

サンクユー、サンクユー、ベリマッチ、

真夜中頃に屋根の上、

ジゴマ党か五右衛門か、

猫めが痴話つて、アイドントノー

──演歌、『アイドントノー節』(大阪・榎本書店、大正六年)

[メモ] 唖蝉坊と並ぶ演歌師界の長老、神長瞭月作品(著作権保護の対象作品)の焼き直しとされているが、詞は小インテリラシイ才知が光っている。

 

戒め唄 いましめうた

明治という時代は、ある面でとらえた傾向に、お節介蔓延の時代といえた。

ご一新で庶民生活が一変し、その戸惑いの中で、人々は昔では考えられない行動をとる。それが目障り、気障りだといっては目をむくやからが増えた。演歌や流行唄においても、他人おちょくりがめだつ。世の中はお互いさまで、他人の堕落を戒めるお節介な自分自身への貶めに気がついていないのである。そうした、お為ごかしの忠告ぶりを見てみよう。

 喜多川歌麿『山姥と金太郎・あかんべえ』

【例歌】 

アノネソカネ 

人中で、コソコソ話はお止しなさい、変に思ひます、皆さんが皆さんが、今度どなたも居ない時居ない時、アノネソカネ、

生意気に、自転車乗りはお止しなさい、まことに危ない、皆さんが皆さんが、足踏み調子に馴れてから馴れてから、アノネソカネ、

耳に口、内密ばなしはお止しなさい、変に思ひます、皆さんが皆さんが、今度どなたもいない時いない時、アノネソカネ、

相乗りで、コソコソするのはお止しなさい、変に思ひます、車夫が車夫が、梶棒ふられて気が注いて機が注いて、アノネソカネ、

汽車中で、イチヤイチヤ話はお止しなさい、変に思ひます、乗客が、変に思ひます駅員が、今度宿屋へ着てから、アノネソカネ、

──演歌、明治二十八・九年頃流行、『アノネソカネ』(ビラ本)

YOU TUBE

注意節 ちゆういぶし         〆の家連中

女学生徒は海老茶の袴、役者話や鼻歌もんでは、聞きにくいねえ、およしなさい。

(おんな)髪結(かみゆい)(さら)しの着つけ、胸はあぶらで鼠色して、きたないねえ、あらひなさい。

喰ふもの喰はずに慈善もせずと、金をためてころりと死んだら、馬鹿らしいねえ、使ひなさい。

──演歌、明治三十六年頃流行、『明治流行歌史』

 

唄本唄 うたぼんうた

「唄本」は近代、はやり歌詞と譜面をいくつか抱き合わせで載せた本。多くはザラ紙の薄っぺらな本だが、価格が安く、演歌や俗謡の流行の仲立をした。これら歌本に収載される唄は程度が低く、録音されることもなく、ほとんどが「うたい捨て」の運命をたどった。

 古書も人によっては宝の山

【例歌】

とてとん節 とてとんぶし

♪芝で生まれて神田で育ち、今ぢや火消の、あの纏持ち。(元唄)

♪京で生まれて大阪で育ち、今ぢや、南で、あの左褄、とてとん〳〵。

♪石の地蔵さんの頭は丸い、鴉とまれば、あの投島田。

♪いつも床しき舞子の浜で、松の葉々々に、あの舟の帆々(ほほ)

♪嫌なお方に好かれる程に、好きなお方に、あの好かれたい。

♪二世や三世はそりや差し置いて、当座添ふさへ、あのむづかしい。

♪遠く離れて逢ひたい時は、月が鏡と、あのなればよい。

♪偶に逢ふ夜は天道様も、粋を利かして、あの今朝の雪。

♪金の中にもいらない金は、かね〳〵気兼ねに、あの(あけ)の鐘。

♪野暮なお客が、妾にや薬、粋な主ゆゑ、あの苦労する。

──流行節、明治四十一年頃流行、『明治年間流行唄』

大正七年ぶし たいしようしちねんぶし 

遠くはなれて逢いたいときは、

月がかがみになればよい、

兎角浮世は気散じに、大正七年渡らんせ。

可厭じや可厭じやと畑の芋は、

頭振り振り子が出来る

兎角浮世はきさんじに、大正七年渡らんせ。

可愛男は通れど寄らぬ、

憎い男は日に幾度、

兎角浮世はきさんじに、大正七年渡らんせ。

程も義経静の方に、

私や九郎が仕て見たい、

兎角浮世はきさんじに、大正七年渡らんせ。

宵にや欺され、夜中にや待たされ、

朝の鐘には突き出され、

兎角浮世はきさんじに、大正七年渡らんせ。

片手剃刀、片手に砥石、

切れても合はせて下さんせ、

兎角浮世はきさんじに、大正七年渡らんせ。

厭で幸ひ好かれちや困る、

外に好いのがあるわたし、

兎角浮世はきさんじに、大正七年渡らんせ。

心性根は直せばなほる、

顔の痘痕はなほりやせぬ、

兎角浮世はきさんじに、大正七年渡らんせ。

──演歌、大正七年流行『現代流行歌全集』

 

演歌 えんか

まず、ここでいう〈演歌〉は明治・大正時代にはやった街頭歌謡系の総称で、今日いうところの歌謡曲系演歌とは内容の異なるものであることを断っておきたい。

その近代に流布した演歌は、明治十年代に現れた〈壮士節〉が源流である。明治十五年頃、読売壮士が唄本を売るときのサービスに、時局を批判する無骨な歌を素声でうたったのが始まり。明治後期、バイオリンの弾き語りで街頭演歌師が出現すると、演歌はたちまちゆるぎない人気に後押しされて、近代歌謡の王座を奪うほどになった。歌本の類も赤本や五銭本が中心だが、娯楽に飢え常に新奇を求める大衆の支持を得て、巷間に演歌ブームを起こしたのである。やがて演歌は、当初の民権唄としての性格を弱め、しだいに軟派の〈艶歌〉へと変身していくことになる。

演歌師の元祖は「オッペケペー節」で有名な川上音二郎とするのが定説で、他に数多の作品を世に送り出した添田唖蝉坊や神長瞭月・久田鬼石らの功績も見逃せない。

演歌は当初、社会戯評が持ち味でこれが大衆にも支持されていたが、昭和初期のエログロ・ナンセンス時代あたりから軟派崩れし、呼び名のほうも〈艶歌〉と当てるのが流行ったほどである。あるいは、民権関係など硬派のものは〈自由演歌〉と称することもある。

なお本書において、歌謡分類上の演歌に該当する作はおびただしく多いが、本項では無作為に二例を掲げるにとどめる 

 

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街の艶歌師 *岡本敦郎

 昭和初期の本格演歌師

【例歌】

わからない節 わからないぶし  久田鬼石詞

無茶苦茶だわからない。心酔だたまらない。此頃流行の西洋熱。開化々々と怒鳴つけ。靴に洋服高帽子。煉瓦住ひとしやれたとて。何が開化かわからない。電気の光は立派だが。商ひさつぱり不景気だ。南京米ではないけれど。お釜の烟が立もせぬ。細民困窮わからない。メシヨンのパイプで生意気な。贅沢三昧巻煙艸。貴重の金銀烟にして。社会の経済わからない。猫や狐を右左。三味線太鼓で太陽気。札ビラきつて浮れ込む。鯰の心がわからない。上槽(うわべ)は素的に立派だが。内所はからくり火の車。鉄道電気じやあるまいし。針金細工の綱渡り。コレが開化か文明か。ほんとに此世はわからない

──演歌、明治二十五、六年頃流行、『わからない武志』(読売本)

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あゝ金の世や ああかねのよや                  土取利行唄  添田唖蝉坊詞

あゝ金の世や金の世や、地獄の沙汰も金次第、笑うも金よ泣くも金、一も二も金三も金、夫婦の(えにし)を切るも金、強欲非道と(そし)らうが、我利我利亡者と罵ろが、痛くも痒くもあるものか、金になりさへすればよい、人の難儀や迷惑に、遠慮してゐちや身がたたぬ

──演歌、明治四十年頃流行、『明治流行歌史』

[メモ] 拝金の世情に目を向け、詠嘆を売りにしている。先発で流行した〈松の声〉の歌出し「嗚呼、夢の世や夢の世や」を真似たスタイルがはやった。後出〈嗚呼不可解〉や〈ああ無情〉なども一連の類歌である。

 あゝ金の世や」も時の壮士らが好んで唄った演歌であった

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青島節 ちんたおぶし  *「ナッチョラン節」とも   添田啞蝉坊・後藤紫雲詞

♪青島よいとこと()がいうた

うしろ禿山前は海

尾のない狐が住むそうな

僕も二三度だまされた ナッチョラン

♪青島の山から見下ろして

あの海越ゆればわが日本

さぞや凱旋待つであろ

僕は青島の守備となる ナッチョラン

♪命ささげておりながら

弾丸(たま)がドンと来りゃちょっとしゃがむ

卑怯でしゃがむじゃないけれど

青島とらずに死なりょうか ナッチョラン

♪女優が牡丹の花ならば

洋妾(ラシヤメン)なんぞはバラの花

後家は野菊で尼は蓮花(はす)

  下女は南瓜(かぼちや)の花かいな ナッチョラン

♪女事務員が柳なら

女詩人は花すみれ

女教師が蘭の花

女工がへちまの花かいな ナッチョラン

──演歌、大正三年頃流行、『新版 日本流行歌史』上

[メモ] 主題の「青島」は最初だけで、後節になるほど腰砕けになる。この辺が演歌たる所以であろう。

 

オツペケペー 

〈オツペケペー節〉とも。明治二十四年に登場した壮士演歌の嚆矢といえる唄。

元歌は大阪の落語家桂藤兵衛が「オツペケー」という囃子を用い、それを川上音次郎が演歌に仕立て直したもの。また〈オッペケペー〉というと、演歌師の川上を連想するほど有名だが、初期作品の作詞者が若宮万次郎(伝未詳)なのを知る人は少ない。若宮の詞を川上が手直しし、鋭い社会時評の演歌に仕上げ、自ら演じて大衆の喝采を得たのである。オッペケペーの超ヒットに見習い、のちに「やっつけろ節」「キンライ節」「欣舞節」など、いわゆる壮士節・書生節といった大枝が育った功績は見逃せない。その意味で、オッペケペー創始者である川上こそ演歌という大衆娯楽音楽路線の生みの親といってよい。

川上は夫人の音奴とともに、プロの芸人として一座を率い成功した人物だが、そのキャリアが只者でない。彼は常づね過激な言辞もって官憲を存分に攻撃したため、処罰や投獄の明け暮れで、検挙じつに一七〇回、入獄も二四回に及んだと記録にある。芸人らしからぬ筋金入りの硬骨漢であった。

掲出詞の囃子詞「オッペケペッポー」は、単なるナンセンスワードではなく、相手をおちょくる意味が込められている。すなわち、能もないのに空威張りする役人、オイコラと偉ぶる巡査、西洋文明に盲目的に悪乗りする知識階級などへのアカンベエであった。

 ちなみに明治二十二年出版届の名称は「無遠慮素破抜オツペケペー節」となっている。

 オッペケペー 錦絵の部分

【例歌】

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オッペケペー歌 おつぺけぺーか       若宮万次郎作詞 川上音二郎歌曲

権利幸福きらいな人に。自由湯をば飲ましたい。オッペケペッポーペッポッポー/かたい上下(かみくも)(かど)とれて。「マンテル」「ズボン」に人力車。粋な束髪ボンネット/貴女に伸士のいでたちで。/外部(うわべ)を飾はよいけれど。政治の思想が欠乏だ。天地の真理がわからない。心に自由の種を蒔け。オッペケペ オッペケペッポーペッポッポー

──演歌、明治二十四年以降流行、『無遠慮素破抜オツペケペー節

オッペケペー節 おつぺけぺーぶし               川上音次郎作

道理はどうでもこの世をうまく、渡りごまかす才が一、オツペケペツポーペツポツポー、今の時節はわからない、学問ばかりじやいけないよ、なんでもごまかし一番だ、晦日(みそか)の払ひにやりくりの、算段一つ出来もせず、経済学士もあゝ浮世、法律学理は知らずとも、(とん)()ではやる代言人(だいげんにん)、学問少しもないくせに、ごまかす新聞記者の筆、三味線調子はあはずとも、座つきが一つ弾けずとも、転がるのさへ上手なら、はやるはわけない易いこと、若くて眼鏡をかけたれば、学問知識があるらしく、鼻下に八字の(ひげ)あれば、どつかに分別(ふんべつ)ありさうに、見える浮世は不思議だね、口に廃娼はよけれども、忍んでこそこそ女郎買い、そのくせでれりで二本棒、みつともないからおよしなさい、オツペケペツポーペツポーポー

──演歌、明治二十年頃流行、『明治流行歌史』

[メモ] 日本中を揺さぶった大ヒットに、川上が放った第二弾のうちの一曲である。

オツペケペー おつぺけぺー                   川上音次郎作

見つともないから人真似およし、生地(きじ)で私は打通す、オツペケペ、オツペケペツポ、ペツポツポ。亭主の職業は知らないが、お(むす)は当世の束髪で、言葉は開化の漢語にて、晦日(みそか)の断り洋犬(かめ)抱いて、不似合でおよしなさい、何にも知らずに知つた顔、無闇に西洋を鼻にかけ、日本酒なんぞは呑まれない、ビールにブランデー、ベルモツト、腹にも馴れない洋食を、やたらに喰ふのもまけをしみ、ないしよてぜそつと反吐(へど)ついて、真面目な顔してコーヒー飲む、をかしいね、オッペケペツポ、ペツポツポ。

〽米価騰貴の今日に、細民こんきうかへりみず、まぶかにかぶつた高帽子、金の指輪にきん時計、けんもん貴けんにひざをまげ、げいしやたいこに金をまき、うちには米をくらにつみ、同胞兄弟見殺しか、いくらじひなきよくしんも、あまりにひどうな薄情な、ただしめいどのおみやげか、ぢごくえんまに面会し、わいろつかつて極らくへ、ゆけるか、()けないよ、オツペケペ、オツペケペツポペツポーポー。

♪おめかけ権妻(ごんさい)嬢さんに、芝居見せるは不開化だ、勧善懲悪わからない、色気のところに目をとめて、だいじの夫をそでにして、うはきをするのはひつじやうだ、おためにならないおよしなさい、国会ひらけた今日に、役者にのろけちやおられない、日本だいじとまもりなさい、まゆげのないのがおすきなら、□□□□お色にもちなんせ、目玉のむくのがお好きなら、たぬきとそひねをするがよい、オツペケペ、オツペケペツポペツポーポー。

まゝになるなら自由の水で、国の穢れを落したい、オツペケペ、オツペケペツポペツポーポー、むことけ島田に当世(とうせ)(がみ)、ねづみのかたきにや違ひはない、かたまきゾロゾロ引づらし、舶来もやうでりつぱだねえ、買ふときや大層おだしだらう、夏向アあつくていらないよ、其時アおかゝが推量して、お袖に隠してひとはしり、からくり細工にいてくるよ、ヲヤ大きな声ではいはれない、ないしよだよ舞台はげつきやうだごめんなさい、オツペケペツポペツポーポー

洋語を習ふて開化ぶり、パン喰ふばかりが改良でない、自由の権利を拡張し、国威を張るのが急務だよ、智識と智識のくらべあい、きよろきよろいたしちやいられない、窮理と発明の(さきがけ)で、異国に劣らずヤツツケロ、神国名義だ日本(につぽん)ポー。

──演歌、明治二十年頃流行、『明治流行歌史』

オッペケペー替え おつぺけぺーかえ

親が貧すりや、緞子(どんす)の布団、敷いて娘は玉の輿、オツペケペ、オツペケペツポ、ペツポツポ。娘の肩掛立派だが、父さん毛布(けつと)を腰に巻き、何方(どちら)もお客を乗せたがる、娘の転ぶを見習うて、父さん転んぢやいけないよ、帰り車は懸引だ、ほんとに返しちや(たま)らない、おや(あぶな)いよ、オツペケペツポ、ペツポツポ。

──替歌、明治二十五年頃流行、『明治年間流行唄』

 

おやおや節 おやおやぶし

明治末から大正時代通しての当り小唄。替歌などもいくつか見え、大流行は見ないものの、準演歌として息の長い流行を保った。 

【例歌】

おやおや節 おやおやぶし                   添田啞蝉坊詞?

♪粋な座敷の四畳半、好いたお客に手折(たを)られて、お酒を飲んで金貰ろて、ふうつと気がつきや夢かいなあ、おや、おや〳〵〳〵

♪おゝそこへ行くは花ちやんどちら迄、問へども先ぢや知らぬ顔、こんな筈ではなかつたと、よく見りや男と二人づれ、おや、おや〳〵〳〵

(たま)げたよ、電車の中から煙が出る、さては故障か焼打か、見れば片へのひさしがみ、提げた包に湯気が立つ、おや、おや〳〵〳〵

──演歌、明治四十二年頃流行、『明治年間流行唄』

オヤオヤ節                           妻恋散士詞

活動で 隣の席でハイカラの 粋な姿の女学生 扨は嬉しと張り込めば 後ろにお連の角帽子 オヤ、オヤ々〳〵〳〵

口惜しいね ペンにインキを含ませて 日ごろおもひの胸のうち 恨みつらみを細々とかいては涙の一滴 オヤ、オヤ々〳〵〳〵

つや〳〵と 玉の肌日に髪の毛を なでつけながら横串の 粋な姿湯あらひが見 顔はお多福七面鳥 オヤ、オヤ々〳〵〳〵

お楽しみ 散った桜の隅田川 上り下りの 屋形船 粋な音色の爪弾きに 土手の矢締めが怒り出す オヤ、オヤ々〳〵〳〵

見やしやんせ 花は上野か飛鳥山 美事な桜は多けれど 意気な桜は揚屋町 咲て笑ふて物を云ふ オヤ、オヤ々〳〵〳〵

御祝儀ト 紙に包んで渡されて ニコト嬉しい世辞いふて 家へ帰つて中見たら 銅貨二ツが怨めしや オヤ、オヤ々〳〵〳〵

書生さん 湯屋の湯槽に身をもたれ ドラ声絞る親不孝 端唄都々逸浪花ぶし うなる間に風を引く オヤ、オヤ々〳〵〳〵

──演歌、大正五年流行、『大流行オヤ〳〵節』(赤本)

[メモ] 承前の第二次流行もの。こちらのほうが元歌よりもより写実的で、かつ社会性を帯びている。

 

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おやおや節 *大阪 だるま

 

改良節 かいりょうぶし

明治二十年代、時の新語「改良」を冠してはやった演歌・俗謡をいう。

当時、西を向いても東を見ても斬新を誇示する改良だらけであった。その風潮がいかにすさまじかったかここでは割愛するが、『団団(まるまる)珍聞』明治二十一年一月十四日号の投書紹介記事が伝えている。歌謡界とてその例に洩れなかったのである。

ちなみに流行にはお堅い箏曲ですら「改良唱歌」という名目のもとに、何曲も新作されたほど派生唄乱造時代であった。

 正調河内音頭は「改良節の江州音頭」ともいわれている〔大阪府富田林市〕

【例歌】

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改良節 かいりょうぶし                 土取利行(弾き唄い)

♪野蛮の眠りの覚めない人は、自由のラッパで起こしたい、開化の朝日は輝くぞ、さましておくれよ長の夢、ヤツテケモツテケ改良せえ改良せえ。

♪思ふ一念岩をも通す、軒のしずくを見やしやんせ、国民一致の力なら、条約改正何のその、鷲でも獅子でも鯨でも、すこしも恐るゝ事はない、ヤツテケモツテケ改良せえ改良せえ。

──演歌、明治二十年頃流行、『明治流行歌史』

♪鼻唄うたってベランメー、権利もへちまもあるものか、おれッちゃエヘンとすますのは 旧幕時代じゃいざ知らず 日に月進む文明の この世は中々渡れない 理屈と理屈のたたかいで 腕力ばかりじやいけないよ 開化の空気を吸い込んで 野蛮の気風を払わんせ 自由の権利がありながら 自由の権利を知らないは 目玉があつても明きめくら 何にもならない節穴だ 心あっても無き如く 石の地蔵にさも似たり 老人(としより)や仕方がないけれど 若いみそらの人たちは せつせと学校へ通わんせ 読書(よみかき)そろばん覚えても 決して損にはなりゃすまい 日本に生まれた人ならば 勇気を出さんせ起きなんせ/国のためなりおのが為 ヤッテケモッテケ 改良せー

──演歌、明治二十年頃流行、『日本近代歌謡史』上

演歌改良節 えんかかいりょうぶし

♪鳥も鳴きます、世は明けました、起きて下んせ此方(こち)の人、追々世の中進歩して、立憲政治の御代となり、国会既に開かれて、君の為なり国の為、民の為とて評議する、商法や民法の御規則も、世に出る期日はちかづいた、条約改正も目の当たり、ぼんやりしていちやいけないよ、日本に生まれた人ならば、勇気を出さんせ起きなんせ、国の為なりおのが為、ヤツテケモツテケ改良せえ改良せえ。

──演歌、明治二十三・四年頃流行、『明治流行歌史』

うきよ穴さがし改良ぶし うきよあなさがしかいりょうぶし     鬼爵天人詞

♪文明のうきよにややぼがない 明治のきそくにむりがない こくかいせいじにふへいがない ジツホンマニチガヒナイ カイリヨシナケリヤイケナイヨ カイリヨセ〳〵

♪かんいんりこふで ぬけめがない むがくしや かんりがつとまらない なまいきゆうやつおくがない ジツホンマニチガヒナイ ベンキヨシナケリヤイケナイヨ カイリヨセ〳〵

♪日本にきん〴〵すこしもない ぺら〳〵ばかりで きがきかない ジツホンマニチガヒナイ カイリヨシナケリヤイケナイヨ カイリヨセ〳〵

♪あかひげいばつてしかたがない そのくせもふけるじよさいがない いやでもしたでにでにやならない ジツホンマニチガヒナイ ベンキヨシナケリヤイケナイヨ カイリヨセ〳〵

♪てつどうひらけてふべんはない ばしやとじんりきのりてがない と中のしく〴〵よろこばない ジツホンマニチガヒナイ カイリヨシナケリヤイケナイヨ カイリヨセ〳〵(後略)

──流行節、『うきよ穴さがし改良ぶし』(岡田常三郎・明治二十八年)

改良注意節 かいりようちゆういぶし

♪女学生とは海老茶のはかま、役者話や鼻唄もんでは、聞きにくいネー、およしなさい

♪自転車のリ、生意気じかんがり、足をすりむいてお医者通ひは見にくいねー、およしなさい、

♪女かみゆい晒しの着つけ、胸はあぶらで鼠色して、きたないネー、あらひなさい、

♪喰ふもの喰ずに慈善もせずと、金をためてコロリと死んだら、馬鹿らしいネー、つかいなさい、

──流行節、明治三十五年頃流行、『日本近代歌謡史』下

 

 活動節 かつどうぶし

何を根拠に〈活動節〉と称したのか不明である。

詞を見ると活動写真の内容ではない。かといって世間を闊歩して歩く勇ましい活動家をさしているようでもない。ともあれ、赤本演歌ながらレコード化され、亜流が出るほど流行した。大正とは、まったく面白くも不可解な時代であった。

【例歌】

活動節 かつどうぶし                       竹石夢村詞

♪レストランです

テキにフライにメンチボール

ブラン ウヰスキーに ベルモツト

あれにしよ斯れにしよと 気をもんで

何も食はずに 帰るのか

〔合唱〕帰るのかー。

♪酒屋です

桜正宗 沢の鶴 

そいつあうまかろ 斯りやよかろー

二つ三つ四つ舌づつみ

おや〳〵其儘 帰るのか

〔合唱〕帰るのかー。

♪浅草です

芝居活動 花屋敷

赤毛布グル〳〵巻いた 田舎者

面白かんベー綺麗だんべい

夫や好かんべい 

何んだ看板見てるのか

〔合唱〕見てるのかー。

──演歌、大正七年流行、『活動節』

 [メモ] 一部だけ抄出。ほかに「八百屋です」「呉服屋です」「斯れ女房」などという歌い出しの節がある。

 

 欣舞節 きんぶぶし

明治時代に長く流行を保った壮士流行歌。

初登場は明治二十五年。おりから日清戦争前の征清機運にのって、若宮万次郎の詞でいくつか発表された。

以降数年おきに時局に合わせたバンカラ歌詞であれこれ続く。当然ながら類歌やラリ唄も追従し、かえって〈欣舞節〉の人気の根強さを世に示した。 

 嚆矢「欣舞節」の楽符〔若宮万次郎詞、明治二十五年〕

【例歌】

欣舞武志 きんぶぶし                     鉄血倶楽部詞

     国民の覚悟

♪活眼世界を見渡せば。(しし)は眠りて牙を咬み。鷲は(ひそか)に爪を研ぎ。外に平和を(よそほ)へど「胸に包める虎狼の心。昨日の友は今日の仇。今日の見方も頼みなく。一朝利害を(こと)にせば「牙を鳴らしすぞ恐ろしき。

♪照らす日影も(うらら)かに。平和に眠りし東洋の。空も独逸が膠州(こうしう)に。指を染めにし以来(このかた)は「雲霧暗澹かき曇り。過ぎし(こう)()の外征に。日本男児が碧血(へきけつ)を。染めし(れう)(とう)占領を「東洋平和に害ありと。干渉なせしその国が。今は握れる(りよ)(じゆん)(こう)。其他雞林(けいりん)半島も。鷲の羽風の(すさま)じく「(くちびる)()れて歯は寒し。

♪遠く支那海眺むれば。水や空なる蒼凕(そうめい)の。中にたなびく黒烟(こくえん)は「走る諸国の戦艦(いくさぶね)。去来出没絶え間なく。竜虎睥睨一髪の。危機を窺ふ有様は。爆裂弾を埋め火に「近く置けるに異ならず。

♪怒涛狂濫難局に。立てる日本の国民は。外に外交油断なく。「内に元気を養ひて。一朝有事の其時は。祖先遺伝の大和(やまと)(きも)。国の宝の日本刀「鞘を払へば電光石火。死を鴻毛(こうもう)(かろ)んじて。国と君とに身を捧げ。国旗諸共国光を「輝やかすこそ(つとめ)なれ

     痴人の夢

♪天に比翼の鳥となり。地には連理の枝となり。虎伏す山の侘住居「鯨潮吹く浜迚(はまとて)も。主と二人の新世帯。手鍋提げても厭はじと。笑ふ姿は海棠(かいどう)(くわ)「露に(なや)める芙蓉の目元。手練手管と白雪の。肌に心を蕩かして。鴛鴦(おし)(ふすま)私語(ささめごと)(しん)ぞ嬉しく骨身に染みて。忘れかけたる(おもかげ)の。眼には(まぼろし)我袖に。残る移香慕(うつりがしたは)しく。儘よ浮世は五十年。

♪跡は野となれ山々の。借も不義理も厭はじと。夢路を辿る五十(けん)。日本堤も通ひ馴れ。楽しき夢も夢の間に「詰まる習の(さと)の金。共や知己(しるべ)は云ふも更。いつか親にも見離され。あかの他人の傾城は「情売る身の情けなく。金気(かなけ)なければ待遇(もてなし)も。さめてつめたき人心。可愛と言ひし其口に「愛想づかしの数々は。(つとめ)する身の常なれど。迷ふ心に目も眩み。浮世を忘れ身を忘れ。人目忍びて(ふところ)に「深く忍ばす遺恨の(やひば)

♪思ひ知れよと斬付けし。手元狂ひて肩先に。負はす薄傷(うすで)に驚きて。叫ぶ女の声につれ「すはや大事と狼狽(うろた)へ騒ぐ。人のけはひに是非もなく。あはや刃に我腹をる深く刺さんづ一刹那。刃持つ手を抑へられ「かゝる縄紲(なわめ)に無念の涙。昼尚暗き鉄窓に 今は無明の夢覚めて。犯せし罪の恐ろしく。獄衣の袖を血涙に「濡らす(やから)もありと聞く。

♪前途多望の青年は。(かか)る前車の覆轍(ふくてつ)を。踏まぬ心に心して。深く勤を守れかし。()に恐ろし()()の斧「迷ふまじきは色の道

細君

(なべ)(ちやう)一番大形の。丸髷(まるまげ)姿の品もよく。吾妻(あづま)「コート」の裾捌き。優に優しき上流の。婦人奥様始めとし「(ひぢ)を持たせし長火鉢。片膝立てゝパク〳〵と。煙草輪に吹く山の神。金棒(かなぼう)(かかあ)に至るまで。今や細君風俗の「腐敗堕落ぞ嘆くべし。

矢鱈に白粉(おしろい)擦り付。縮緬(ちりめん)(しは)を塗り隠し。亭主の鼻毛を読むことを。日々の(つとめ)と心得て「朝寝居眠り摘み食ひ。上等社会は取わけて。髪の(かざり)や帯衣装。金を惜まぬ贅沢に。困る宿六顧りみず「日髪日風呂の摺り磨き。下女(げじよ)(はした)を叱り付け。髪結ひ女を困らせつ。

(たまたま)机に打向ひ「仮名を頼りに文芸倶楽部。今戸(いまど)心中(しんぢう)潮来節。猥褻(わいせつ)卑陋(ひろう)の小説に。心を浮かせて或時は「下女を相手に俳優(やくしや)の噂。大きなお尻を振回はし。布団と心得宿六(やどろく)を。尻に敷きつゝ傲然と「澄ます下等の誤細(ごさい)(くん)。顎で亭主を追ひ使ひ。水も汲ませつ飯炊かせ。一から十まで差出口。嬶天下の不貞妻(ふていさい)「余所の見る目も見苦しき

殊に驚く後家社会。赤い信女(しんによ)を白く塗り。鹿や緞役(どんやく)食客(いさうらう)「流す浮名は鼻摘み。何之(なにがし)未亡人。などと済ますはよけれども。夫の年忌の済まぬ(うち)。腹はいつしか(あめ)(たぬき)「打てば響けの腹鼓。響く噂を聞くにつけ。日本帝国人民の。妻や母たる其人は。夫を助け子を教へ「清き婦徳を守れかし

──書生節、明治三十年頃流行、『社会灯』

 坪内逍遥著『当世書生堅気』には「細君」の小編もある

欣舞節 きんぶぶし                     中央青年倶楽部詞

新政党

国の為より己が為 私利に趨れる政党を 矯めて憲政有終の 美果を成さんと大呼して 「立ちし滄浪侯爵の 風を望みて忽ちに 雲の如くに集れる 済々多士の一団は 「是れぞ立憲政友会 下院に占むる過半数 天下敵なき優勢は いとも熾んに見ゆれども 若しも内部を窺へば 「千種万類玉石同架 高襟党や実業家 薩派進歩派帝国派 わけて病の膏盲に 入れる自由派其のものを 首脳となせる結合は 張儀が所謂一鬻の 肉を得たらん其時は 〔群犬相群噛む恐れあり 「殷鑑蓋し遠からず 憲政党の興廃を 思へば吾人一片の 杞憂なくして己むべきや されど老後の思出に 歇起一番鬢髪を 染めて立ちたる老雄の 胸に成竹ありぬべし 侯よ揮へよ大手腕 欣舞々々々々 愉快々々

──書生節、明治三十三年頃流行、『日本近代歌謡史』下

緊舞武詞 きんぶぶし                       不知山人詞

鉄面皮

〔フロツクコートに高帽子。鼻下に八字の髯長く。マニラの煙草燻らしつ。〔紳士ブルのはよけれども。素性洗へば其むかし。ヅヽト昔の大昔。あはれ月給いたゞきて。途方に暮れて一思案。思ひついたる高利貸。〔義理も人情も打ち捨てゝ。世人は鬼よと罵るも。我利々々亡者と嘲けるも。空吹く風と聞き流し。〔無闇に欲張る熊手主義。その日暮らしの貧民が。米のソツプもまゝならぬ。不運に泣くも顧みず。〔生血吸ひ取り尚飽き足らず。ます〳〵募る邪欲心。辛き浮世の細道を。ノサリ〳〵と渡るより。〔太く短かく一足飛びに。やつてのけるが当世と。暗夜コツソリ権門を。叩いて媚ぶる女郎主義。施す魔術の効能(ききめ)にて。〔マンマと手に入る暴利(まうけ)の仕事。濡手で粟の味を占め。花に戯れ月に酔ひ。誇り喜ぶ不義の富。〔無道極まる人非人。かゝる輩は日に栄へ。正直一途に働らける。人が神にも見離され。落魄果てゝ苦しむは。〔不思議千万倒さの時節。 緊舞々々々々

後悔

〔人間わづか五十年。それも半分寝て暮らす。差引勘定して見れば。残る正味は二十と五年。汗水流して営々と。働く奴等は馬鹿者よ。とかく浮世は色と酒。〔飲めや唄へや唄へや飲めと。新橋二橋を始めとし。二廓四宿のすみまでも。浮かれて歩いて親の臑。ガリ〳〵囓つた天罰の。今は此身に報ひ来て。(うみ)の親にも見離され。人の二階にボンヤリと。あはれ果敢なき居候。三度の食事も気兼して。三杯目にはそつと出し。〔坐敷の掃除をする時も。丸くはいてはなるまいと。四角四面に掃き飛ばし。小指の気嫌をそこねじと。〔すれど何時でもふくれ面。物価が高いとこぼすやら。矢鱈に小供を叱るのも。つまり此身に当てこすり。〔聞かぬ振りして聞く辛らさ。をまけに水でも無くなれば。手桶の中やらかめの中。ガチヤガチヤひしやくでかきまはし。汲んで来いとも言ひ告げぬ。〔意地の悪いも程がある。それに此頃宿六に。どうやら告発した様子。さらば何時だしぬけに。お払ひ箱にされるやら。〔心細いジヤナイカイナ。 欣舞々々々々

癖いろ〳〵

〔癖もいろ〳〵ある中に。法螺を吹く癖飾る癖。他人をうじ虫同様に。見下げる癖や譏る癖。愚者や盲人を愚弄する。〔癖は見るさへ面憎し。我子を利口だと。親の口から人中で。無闇矢鱈に賞めそやす。〔癖も中々聞苦し。ニユースもろく〳〵読めもせぬ。無学の人に打ち向ひ。チンプン看護でむづかしく。談話をする癖犬猫に。問はず語りにする癖は。〔実に聞くさへ馬鹿らしき。金は山程あるくせに。慈善の心も義気も無く。こまる〳〵とぼろを下げ。〔何時も愚痴をばこぼす癖。三十日にや青息吹く癖に。贅沢三昧江戸ツ子は。憚かりながら宵越の。〔銭は持たぬと威張る癖。大食自慢の癖あれば。大酒自慢の癖もあり。酒を飲みつゝ怒る癖。〔又は泣く癖笑ふ癖。己を利する其外は。何の志想もない癖に。国家徳義と口癖に。〔さへずる輩も多からん。又は手癖の悪い癖。畳のケバをむしる癖。貧乏ゆすりをする癖や。談話をしながら鼻糞の。〔丸薬まるめる癖もあり。自分の癖を棚に揚げ。他人の癖を譏る癖。舌を出す癖饒舌る癖。いつも居眠りする癖や。寝言いふ癖うなる癖。〔数え来れば限りなし。無くて七癖免れぬ。世の人々は注意して。他人の癖をよく視つゝ。〔自己が癖をばなをせかし。  欣舞々々々々

──演歌、明治三十三年頃流行、『あづま童』

欣舞武士 きんぶぶし                       作詞者未詳

英雄の卵〔其一〕

♪日本外史や国史略。文章規範や八家文。素読滔々淀みなく。世にも稀なる神童と。村の八兵衛杢右衛門。讃る詞に自惚の。鼻は愈々高くなり。豊臣太閤何物ぞ。那波翁(ナポレオン)モト何人ぞ。共に一介の素寒貧。我も同じき人なるぞ。いでや苦学の功を積み。名をば天下に轟かし。人の荒胆挫かんと。望は大蛇身は鰻。虚空に画ける楼閣に。起る妄想名誉心。父母を説きつけ遥々と。花の都へ鹿島立。男子学もし成らずんば。ひとへ死すとも還らずと。送る兄弟朋友に。別を跡に停車場(ステーシヨン)。涙呑込汽車の窓。烟を跡に功名の途に上れる心根は。真に感服敬賀の至り。欣舞々々々々、愉快々々

英雄の卵〔其二〕

都に着きし初には。百事万物珍らしく。月日過ぎ行く其内に。国の訛も消へ果てゝ。いつか染込む都会の風に。母が手織の綿服も。屑屋の籠に吹込まれ。琉球飛白(かすり)や紋付の。当世風なる長羽織。麦藁帽子は忽ちに。替る山高紳士帽。朴歯の下駄は忽ちに。替る南部の表付け。華胥(くわしよ)の渦中に捲込まれ。越子(こしこ)小土佐(ことさ)や綾之助。寄席の通学始とし。或は郡代(ぐんだい)神明(しんめい)の。矢場(やば)や射的や銘酒店。化物屋敷を探検し。又は交際研究と。猪口を片手に箸を右。転化の英雄眼中に。ありと気取て空論に。「駄法螺吹出す伊呂波の二階。面白からぬ教科書は。質屋の藏に曲込んで。一代女や梅暦。田舎源氏や伽羅枕。恋情哲学研究や。探る曲線審美術。北里南廓始とし。黄金に靡く柳橋。或は金春(こんぱる)(よし)(ちやう)と。花心柳情実地の調査。倦まず撓まず熱心に。研究なせる心根は。真に按腹敬訝の至り。欣舞々々々々、愉快々々

英雄の卵〔其三〕

スヰントン氏の万国史。碌に読めぬに打捨てて。英語学者と自称なし。法学院の講義録。数冊(けみ)して忽ちに。気取るバチエラー。バリストル。哲学医学理財学。又は仏語や独逸語と。片つ端から喰荒し。済生学舎や攻玉社。慶応義塾や法学院と。彼処に一年此処に又、或は五ヶ月六ヶ月。出たり這入たり愚図愚図と。其日送るはよけれども。吉原須崎の研究に。学資空しく費やして。籠城無したる下宿の二階。病気の電報郵便も。度重ねれば利目なく。衣物も時計も曲尽し、付馬居残り其末は。無銭遊興と恥をば曝らし。今は親類朋友も。愛想尽かせし有様に。自称未来の豪傑も。活路失ひ果敢なくも。露命繋げるニュースの売り子。又はすごすご帰国して。小学校の助教員。町村役場の筆生と。化せる末路を鑑みつ。後車の戒覆轍を。踏まぬ注意は多望なる。学生諸君の大急務。切磋苦学の功成りて。故郷に錦を飾りなば。真に満足慶賀の至り、欣舞々々々々、愉快々々

──演歌、明治三十年頃流行、『欣舞武士』

 

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娘義太夫(欣舞節)  土取利行(弾き唄い)

 

 剣舞節 けんぶぶし

日清戦争に絡んで発生した流行節。

根幹は〈愉快節〉から、一部は〈欣舞節〉から派生したものである。剣舞に合わせるという前提の唄だが詞もやたらに勇ましい。

【例歌】

剣舞節 けんぶぶし                      若宮万次郎詞

♪日清談判破裂して、品川乗り出す吾妻艦、続いて金剛浪花艦、国旗堂々飜へし、西郷死するも彼がため、大久保殺すも彼がため、遺恨重なるチヤンチヤン坊主、日本男児の村田銃、剣の切尖味へと、わが兵各地に進撃す、難なく支那人打倒し、万里の長城乗り取つて、一里半行きや北京城よ、城下の盟を結ぶ、実に満足慶賀の到り、欣慕、欣慕、愉快、愉快、大勝利

──剣舞唄、明治二十六年流行『明治流行歌史』

 例歌に登場の装甲巡洋艦「吾妻」

 

元気節 げんきぶし

日清戦争時からうたわれ、息の長い流行を見せた流行節。

時局歌謡に似せて折々の問題を槍玉に挙げ、硬派唄らしさを演出している。

【例歌】

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元気節 げんきぶし      土取利行(弾き唄い)

東洋の大勢(つらつ)ら見れば、うかとかうしちやホンニマタ居られない、七寸の(わらぢ)踏みしめて、欧亜跋渉して絶大の偉業を立てたらナントマタ愉快なる、これぞマア壮快なチヨイト快男子。

婀娜(あだ)色香(いろか)につい(だま)されて、取るに(とげ)あるホンニマタ薔薇(ばら)の花、惚れた振して懐中の、お金を根こそぎ巻上げて、一昨日(おととひ)御出(おい)でとナントマタ舌を出す、これぞまあ薄情なチヨイト鬼心。

──流行節、明治二十八年頃流行、『明治流行歌史』

元気武志 げんきぶし

狡猾

♪東洋平和に害ありなどゝ。言ひし舌の根乾かぬに。膠州旅順を手に入れて。口を拭ふてチヨツト知らぬ顔 非道(ひどう)いじやナイカイナ

一世一代

♪子分二人りも御供に連れて。又も一花咲かせんと。一世一代老人の。腕を見せるはチヨイト此時ぞ。頼むジヤナイカイナ

放蕩

♪学士もらえど学校へは行かず。よむは小説人情本。須崎吉原品川と。飛んだところへチヨイトご勉強 驚ヒタジヤナイカイナ

結果

♪飲めよ騒げよ(さわ)げよ()めよ。兎角浮世は色と酒。などゝお金を蒔散らし。首も回らぬチヨイト身の詰り。可愛想ジヤナイカイナ

♪顔にや笑へど心に泣ひて。つらい座敷の憂き勤め。かはる夜毎の夢枕。苦労するのもチヨイト親の為 可愛想ジヤナイカイナ

──流行節、明治三十年前後流行、『社会灯』

元気武士 げんきぶし

腐敗

♪昨日味噌こしさげたる娘。今日は嬉しやホンニマタ玉のこし。青い目玉もクロンボも。豚の尻尾も苦にやならぬ。とかく。当時はナントマタ金次第。是ぞマー浅ましいチヨイト悲憤なる

笑止千万

♪髯をひねくり威張るはよいが。ボロの洋服ホンニマタ破れ靴。テク〳〵歩きの腰弁当。首も廻らぬ借金に。いつも。三十日はナントマタ留守ばかり。是でマー○○ブルチヨイト嫌らしさ

──流行節、明治三十四年頃流行、『日本近代歌謡史』下

 卑俗語・エンガチョー言葉、大歓迎!

元気節〔再々〕 げんきぶし

此の頃婦人が海路を渡り 異国行きとはホンニマタおどろいた 学問修業ならよけれども、淫売稼ぎと聞いた日にや 国の名誉はホンニマタどうなさる これぞマー残念な、チヨイト悲憤なる

芸者が娼妓で、娘がぢごく 紳士が幇間とは、ホンニマタ驚いた 社会が無茶苦茶わからない、どうしたらよかろか呆れたね 思案にくれつゝ、ナントマタ目に涙 これぞマー憤慨な、チヨイト悲憤なる

我利我利亡者と言はりよが儘よ、とかく当時はホンニマタ金なりと 義理も人情も打忘れ、無暗に欲張り転んでも 只は起ないナントマタ伊勢や主義、是ぞマー強欲なチヨイト下司心

当世流行のハイカラ頭、立派な衣服にホンニマタ身をやつし 済ましたところは能いけれど、歩いた途端に出るおなら とんだ失礼ナントマタ赤い顔、是ぞマー恥しやチヨイト御免なさい

──流行節、明治四十二年頃流行、『最新流行 元気節』

 

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元気を出して節 *番外演歌(演歌らしからぬ演歌)

 

 五銭本唄 ごせんぼんうた

明治後期から大正初期にかけ、五銭で売られた演歌唄本の収載歌。

多くが二つ折か三つ折のペラ本で、廉価本の代名詞でもあった。ちなみに明治四十四年当時の五銭という値段は、東京市電の往復割引運賃がちょうど五銭であった。

ここに収載したのは、表紙絵と合わせ、およそ例歌の全部が一冊にまとまった程度の分量である。

【例歌】

 平民文庫菊版五銭本『理想郷』の巻頭見開き

チヨイトネー紫節 ちよいとねーむらさきぶし         添田啞蝉坊()

♪振り上げた、其の手に縋つて待たしやんせ、打たれて愛憎をつかす()な、野暮な惚れ様はしやせない、打つた貴郎の気に惚れた、ちよつとね

♪気は心、先の出ようで鬼にも蛇にも、なるが無理か仏に願かけて、もし添はれぬその時は、私や出雲へあばれこむ、チヨイトネ

♪帰るなら、なんのとめやうとめはせぬ、羽織をきせて、羽織の上から抱きしめて、家の首尾をもと目に涙、ばつたり落ちたる黄楊(つげ)の櫛、チヨイトネ

♪しんしんと、更くる屏風の裏田圃、霜降る月夜、月夜鴉が憎らしい、主は今がた寝たばかり、主は今がた寝たばかり、チヨイトネ

♪君は今、駒形あたり降られはせぬか、降るならいつそ、いつそ降るなら夜中から、やらずの雨のざんざ降り、そして止めたい明日の朝、チヨイトネ

三味線の、細い音色は新内か、大びけ過ぎの、(くるわ)は月さへ冴え渡る、あれも恋故恋がたり、銀杏(いてふ)返しの乱れ(びん)、チヨイトネ

眼で詫びて、居るのにさした盃を、受けても呉れず、一座の手前もあるものを、人の実意を(けむ)にして、憎やすました嘘烟草、チヨイトネ

小夜(さよ)更けて、(ともえ)(まん)()と降る雪の中、四十七士が、吉良の屋敷へ乱入し、恨重なる君の仇、打つなら打て打てサツト打て、サツトネ

ねえ貴郎(あなた)、こんなに私を迷はせて、それで二人が、末に添はれぬその時は、痛くない様に殺しておくれ、こわくない様に化けて出る、ヌツトネ

聞かしやんせ、裏の畑に蕎麦植ゑて、も一つ隣りに、も一つ隣りに粟植ゑて、その又隣りにきび植ゑて、そば通つて逢はなきやきびが悪い、チヨイトネ

洋灯(ランプ)さん、私はおまえにホヤホヤ惚れた、心があるのを、心があるのを見て惚れた、かさがあるとは知らなんだ、金に釣られて居るわいな、チヨイトネ

又しても、こめは騰がるし、子は出来る、不景気つつづき、家賃にや追はれる、暇は出る、家には妻子(つまこ)が泣きツ(つら)娑婆(しやば)にゐるのが恐ろしい、チヨイトネ

坊主様様ねえ、八卦(はつけ)坊主や生臭坊主、乞食坊主や、蛸坊主凸坊主、台湾坊主になめられりや、意気なハイカラさんもオビンズル、チヨイトネ

かしみやの、袴さらさら学校通い、女学進歩はよいけれど、腹似太鼓膨張、最早難覆岩田帯、(ざま)の悪ひは(あめ)(たぬき)、お腹なぜなぜ泣く式部、チヨイトネ

月落ちて、烏啼く頃た目を覚まし、主は今頃、駒形あたり時鳥(ほととぎす)、これなら帰すじやないものを、行くに行かれぬ籠の鳥、チヨイトネ

二百三高地、ハイカラ髪でおでこをかくし、こてこてつけた、顔の白粉皺隠し、色つき目鏡はあざかくし、海老茶袴は尻かくし、ソーカネ

月も様々ね、三日月ほうづき小豆(あづき)(なへ)(づき)、お三の、お三の目つきに歩きつき、犬がほえ付、喰ひつき、そこらでまごつきつまづき、チヨイトネ

──流行節、明治四十四年流行、『紫節チヨイトネー』

ふるつた節 ふるつたぶし

♪時を合図に忍んで来れば憎や親爺の影がさす、ホントにソーだね、振ツタネー

♪添へば素顔の共々稼ぎ、白粉つけない言葉まで、ホントにソーだね、振ツタネー

♪右と左は躑躅に椿、握る妾しは百合の花、ホントにソーだね、振ツタネー

♪夜半の口説に汚すも知らで、つけて待つ夜の寝白粉、ホントにソーだね、振ツタネー

♪客にや無心を涙で云ふて、情夫にや笑顔 で(くれ)てやる、ホントにソーだね、振ツタネー

♪さんざ妾をじらして置て、遅くなつたもよく出来た、ホントにソーだね、振ツタネー

──上方替歌、『二六新聞』明治四十一十二記事

待つちよる節 まつちよるぶし

娘は新橋で二本棒(注、人力車)を待つちよるね 親父は立ん坊で荷車を待つちよるね あちらで待つよるね こちらでも待つちよるよ

頭の(ひさし)はおでこを隠す カシミヤ袴はお尻を隠す あちらで待つよるね こちらでも待つちよるよ

主の戦死は日露の役よ 赤児の誕生は大正四年 あちらで待つよるね こちらでも待つちよるよ

家主はこの火事消えそなものぢや 大工はも少し焼けそなものぢや あちらで待つよるね こちらでも待つちよるよ

羽織はヨーカンお顔がラカン 頭がヤカンで懐がスツカラカン あちらで待つよるね こちらでも待つちよるよ

──演歌、大正四年頃流行、『新版 日本流行歌史』上

 

 字引歌 じびきうた

物事のこじつけ定義を歌謡に仕立てたもの。

唄い出しが「○○とは」の定型文句なのですぐにわかる。添田啞蝉坊によるこの種作品に対する命名である。

【例歌】

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当世字引歌 とうせいじびきうた     土取利行(弾き唄い) 添田唖蝉坊詞

空前(くうぜん)絶後(ぜつご)とは度度あることで、すぐこはれるのが保健付、大懸賞とはばかものつりで

まねごとするのが新発明。

♪恋愛とはだましてかねとることで、厭世(えんせい)とはひぢ鉄砲くつたこと、初婚の処女とは出戻り女、容貌普通とはお化面(ばけづら)

本紺(ほんこん)(ぞめ)とはおはぐろぞめで、大安売りとは高いこと、正直者は時世にあわない馬鹿で、

才子は油断の出来ぬ人。

♪賃金労働者は納税動物、紳士は遊んで暮す人、小間使とはないしよの妾、美人とは身投げをした女。

♪安く買って高く売ってもうけるのは商人、

あぶら売るのは怠惰者(なまけもの)、身を売ってお尻を売るのは娼妓、命売るのは労働者。

♪馬匹改良」はとばく、福引はよくばりをだますもの、名誉とはお金をためこむことで坊主はお経の仲介者

──演歌、明治四十年頃流行、『滑稽当世字引歌』

[メモ] いかにも啞蝉坊らしく、時代の不条理を逆説的に皮肉っている。これは事項〈社会戯評歌〉に入れても可笑しくない。

 

書生節 しょせいぶし

明治の前半、街頭で書生や壮士ら若者が大声でうたった歌謡。〈スカラーソング〉とも。

多くは社会の不条理を痛罵する類のもの。

 明治の書生節について神長瞭月の名を抜きには語れない

【例歌】 

♪書生書生と軽蔑するな、末は太政官(だじやうかん)のお役人。

♪書生書生と軽蔑するな、明日は太政官のお役人。

♪書生書生と軽蔑するな、大臣参議はみな書生。

♪書生書生と軽蔑するな、フランスナポレオンも元は書生。

♪岩にからまつ ねいろとすれば 磯の嵐が 揺り起す ヨサコイ ヨサコイ。(くずし、正調ヨサコイ)

──書生節、明治十年前後流行、『明治流行歌史』ほか

 

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残月一声 *神長瞭月

書生節(あきらめ節)  *藤波笑聲

書生ぶし *東京柴又にて実演の現代版

デカンショ節 *土取利行(元唄)

よさこい・書生節 *土取利行

 

スットントン節 すっとんとんぶし

大正末に流行した流行節。

関東大震災後の厭世気分にあおられ現れた。ビラ本に検閲逃れの替歌を刷ってあぶれ演歌師らが読売りしたという。

【例歌】

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スツトントン節 すつとんとんぶし                山村豊子唄

ストトン〳〵と通はせて、今更厭やとは胴欲な、厭なら厭だと最初から、云えばスツトントンで通やせぬ、スツトントン〳〵。

♪今日は会社の勘定日、お金もしこたまもらつたし、芸者買はうか女郎買はうか、嬶に相談してどつかれた、スツトントン〳〵。

──ビラ本唄、大正十三年頃流行、『日本近代歌謡史』下

スットントン節〔派生唄〕

♪歩兵三聯隊の営門で ハンカチ喰て目に涙 どうか歩哨さん逢せてよ (わたし)(すう)ちやん二中隊 スツトン〳〵〳〵

♪金の百万円も一寸捨て 素敵な美人を妻に持ち 新婚旅行は飛行機で 飛だ夢みて小便垂れた スツトン〳〵〳〵

♪金側時計に金剛石(ダイヤモンド) ズラリ列んだ飾り棚 音せぬやうに此硝子 抜る薬があればよい スツトン〳〵〳〵

♪蒲団叩いてこれ申し お前も余り無情(つれな)かろ 宵に来たまゝ三日月で 床の番なら家でする スツトン〳〵〳〵

♪スツトン〳〵〳〵と働いて 親父の日給が八十五銭 物価が高いのに遣切(やりきれ)ぬ おかゝ毎日質屋通ひ スツトン〳〵〳〵

♪たまに女郎買コリヤ(どう)ぢや ふられ振れて床の番 むしやくしや腹で外に出りや ツルリと滑た犬の糞 スツトン〳〵〳〵

♪芸者を連れたひげ紳士 気取つたところはよけれども 吹きくる風にシヤツポンを飛ばしてスツトントンを追ひかける スツトン〳〵

♪寧そ殺し手管さん世、不ヂヤ殺そうと低い声、待った〳〵トトをあけりや、質屋の通牒にガス羽織、スツトン〳〵〳〵

♪九月一日や 記念日だ 工場じや汽笛をならします お寺じや坊さん 鐘鳴らす 家じやかかあが 屁をならす スツトン〳〵〳〵

♪みかん きんかん 酒のかん 親のせつかん 子がきかん 主の言うこと わしやきかん 田舎のオツペシヤンは気がきかん スツトン〳〵〳〵

──流行節、大正十三年流行、『都文庫版スットントン節』ほか

 

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鈴蘭・籠の鳥・スットントン *春陽

 

壮士節 そうしぶし

近代、青年知識層で血気盛んな者は壮士とか書生といわれていたが、彼らが中心となって作詞し歌った演歌を〈壮士節〉あるいは〈書生節〉〈壮士歌〉〈壮士自由演歌〉などとと称した。

歌の題名もほとんどが○○節、△△武士と付けられ、一見して血の気の多い表現が羅列してある。壮士らはおりからの自由民権思想を民衆に押し付けるように、街頭などで手風琴を鳴らしながら(バイオリンでの伴奏は明治末になってから)派手にうたった。過半は力みすぎが目立ち、卑俗に陥っている。しかしなかには、鬼石学人・不知山人、あるいは演歌師としても名を売った川上音二郎とか添田啞蝉坊・神長瞭月など、高踏的な社会戯評に才を発揮した人物も現れている。

詞のほうは赤本などで宣伝され、それを読売屋などが口ずさみながら売り歩いた。ともあれ、壮士節は近代社会の世相とその照り返しを如実に示す格好の媒体であった。

 壮士節の五銭唄本 

【例歌】

腕力節 わんりよくぶし  

♪行政といふ字を知らないか、弱き奴等を足でける、幕府の官史は圧制だ、○○事件の頭はる、それゆへ我々ビン棒何でも腕力当世だ、人が倒りようがころぼうが、我さへ善ければ夫でよい、かたとついて腕力だ〳〵〳〵

──壮士節、明治十六年頃流行、『日本近代歌謡史』上

[メモ] 当初はこのようないかつい詞で鳴らした壮士節も、時とともに演歌を模し軟派化していく。

勇壮節 ゆうそうぶし  

大丈夫(ますらを)の捨つる命はなぞ惜むべき、三百年の其間、鼓腹撃壌(こふくげきぢやう)徳川の、恩義を受けし八万の、騎士の(はらわた)腐りしか、暁暗き鳥羽伏見、続いて落つる淀の城、王師は既東下(とうげ)して、華城(くわじやう)に入りしと聞きし時、血気に(はや)る若武者が、大義名分何のその、只一筋に主家のため、名も勇ましき(しやう)義隊(ぎたい)、宮を擁して東叡山(とうえいざん)、立籠りたる三千騎、騎虎(きこ)(いきほひ)一徹に、(とど)まり難きぞ是非もなし、頃は慶応辰の年、降りみ降らずみ五月雨(さみだれ)の、未だ東雲(しののめ)明けやらぬ、闇に轟く吶喊(とつかん)の、(ひびき)に落つる木葉(こつぱ)武者、残るは僅か三百騎、義を金鉄と(ちか)ひつつ、剽悍(へうかん)決死の勢に、一騎当千千万の、敵を引受け奮い撃つ、黒門口(くろもんぐち)修羅闘(しゆらとう)(ぢやう)硝烟(せうえん)濛々天を捲き、うちだす大砲小銃の、響に連れて斃るるは、敵か見方か(かへり)みる、(いとま)もあらず乱軍の、(かばね)を飛び越え血を渡り、打つも打たるも砕けては、同じ流れと武士(もののふ)が、切り結びたる剣影の、(あひ)を飛び交ふ弾丸は、降り来る雨の(たま)(あられ)湯島(ゆしま)(だい)より打ち下す、霹靂(へきれき)飛んで寛永寺、名に会う大厦(だいか)の壮観も、炎の(うち)に包まれて、防がん(すべ)もなかりける、勝に乗つたる官軍の、諸藩の兵士は勇み立ち、(あたか)(うしほ)の湧く如く、取囲みたる山王台、心は()(たけ)にはやれども、数刻の奮撃突戦に、続く味方のあらざれば、満身創痍を蒙りつ、流石(さすが)(たけ)武士(もののふ)も、今は最後と覚悟して、(たふ)れて止みし彰義隊、桜ヶ丘に今も(なほ)、残りし墳墓を思ひ出に、地下に嬉しく眠るらん、勇壮じや、勇壮じや

──壮士節、明治二十四年頃流行、『明治流行歌史』

[メモ] まさに壮士節にぴったりのいかつい主題を選んである。

壮士欣舞節 そうしきんぶぶし       久田鬼石詞

♪金烏は西に傾むきて、晩霞はとざす城内の、営所に聞ゆる号令の、喇叭の声の粛々と、響き渡りていかめしく、条規正しき軍律の下に集る軍人は、冬は打れて雪に泣き、夏は照され汗に病む、故郷にまします父母は、如何に過させ玉ふらん、飛ぶに羽根なき籠のとり、泳ぐに鰭なき網の魚、拝む写真におぼろ月、待れよ少時待てしばし、今ぞ勤むる国の為め、我が大君の御為に、生命は何ぞかおしむべき、日本刀に村田銃、鍛ひに鍛ひし五尺の男児、連隊旗の前に立ち、降り来る弾丸飛び越へて、赤髭奴を斬り倒し、五大州裡を踏みにじり、金鵄の勲章胸に帯び、意気揚々と歓迎の、拍手の内に帰りなん、故郷の錦ぞ勇ましゝ、欣舞々々々々愉快々々

──壮士節、明治二十五年年頃流行、『日本近代歌謡史』上

 明治演歌作詞家の添田唖蝉坊(左)と久田鬼石(右) 

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無茶苦茶節 むちやくちやぶし 土取利行(唄・演奏)

♪乱暴だ わからない 干渉だ たまらない

見よや二月の総選挙 熊本石川佐賀高知

その他いずれの選挙区も 民吏二党の競争

殺気滔々天を衝き 品川風のもの凄く

無頼の悪徒群りて 伯仲兇器をふり廻し

選挙場裡をふみにじり 人家を(やぶ)り血を流

狼藉きわまる振舞を 知らぬ顔してすましこみ

或は煽動使嗽し 正義の志士を苦しめつ

辜なき良民なやまして 社会の秩序を紊乱し

殺戮野蛮の悪弊を (つく)り出して昭代の

立憲政治の体面を 汚してお前はどうするえ

言論自由の今日に 圧制されてはたまらない

干渉されてはたまらない

コレが生首政治かい ホントにそうならわからない

♪無茶苦茶だ わからない 腐敗した たまらない

 悖徳議員の行為(おこない)は 内股膏薬筒井流 巧みに詭弁を弄び

さも熱心に見せかけて 選挙人民篭絡し 自由伯をば瞞着し

民党無二の御味方と 名乗りあげて切って出で

マンマト当選するや否 たちまち本色現わして

野次馬連中の尻につき 四方八方へ駆け廻り

お吏口仲間を募集とは あきれ蛙の面の水

鉄面皮(あつかま)しいにも程がある

何かいな 選挙区民へのお土産は 汝がよろこぶ生首の

お土産物は封建の 専制時代にゃよかろうが

立憲文化の今日じゃ 何の役にも立たぬぞえ

権謀術策も時による 汝の身の上かえりみよ

無節操にも程がある ホントにお前はわからない

──壮士節、明治二十四・五年頃流行、『日本近代歌謡史』上

壮士欣舞節〔再〕 そうしきんぶぶし

♪婀娜に結びし投島田、生地を隠せし厚化粧、含む口紅媚めきて、虫も殺さぬ優すがた、紅裏付けし肩衣に、礼義正しく金紋の、見台扣へて徐ろに、迦陵頻伽が谷の戸出る。黄鳥徒跣の美音にて、語る御殿場野村崎、酒屋梅忠二十四孝、泣きつ笑ひつ(うつばり)の、塵を落るは何のその、聴者は一切無我夢中、涎ながすと見て取りて、鼻下長らしき奴へ向け、変な目つきで秋波を送り、目尻の下がつた連中を、待合二階へ生捕りて生血吸ふのも多けれど、迷はす者に罪はなし、迷ふ人こそデレ助なるぞ、家財金銀幾何でも、這入る笑窪に(はま)らない、様に犢尾褌引き占めて、真面目に浄瑠璃聞くならば、真に慶賀の至り、欣舞々々々々、愉快々々

──壮士節、明治三十五年年頃流行、『遊芸の隊長粋の大愉快』

 

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足尾銅山ラッパ節 土取利行(弾き唄い)

お国節 *土取利行(唄・演奏)

壮士演歌・議員 *土取利行(弾き唄い)

壮士演歌・ヤッツケロ節 *土取利行(弾き唄い) 

どんどん節 *土取利行(唄・演奏)

成行ぶし * 土取利行(唄・演奏) 

やなぎ節 *土取利行(唄・演奏)

 

増税節 ぞうぜいぶし

〈ゼーゼー節〉とも。明治政府の増税政策を批判し、酷税に喘ぐ庶民の苦渋を訴えた内容の演歌。人気も高かった。 

【例歌】

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増税節 ぞうぜいぶし      土取利行(弾き唄い)      添田唖蝉坊詞

襖もる風、寒けりや、ごんせノーヤ/見せてやりたい、ナンギナモンダネ/トツアツセー、火の車/マシタカ、ゼーゼー

背には子を負い、太鼓腹かかえノーヤ/それで車の ナンギダモンダネ/トツアツセー、あと押す/マシタカ、ゼーゼー

家も田地も、人手にわたしノーヤ/今じや毎日 エンヤラヤノヤ/トツアツセー、日雇(ひよう)稼ぎ/マシタカ、ゼーゼー

手間はさがるし、物価はあがるノーヤ/それで文句も ナンギダモンダネ/トツアツセー、言はせない/マシタカ、ゼーゼー

鳥や虫にも、巣があるものをノーヤ/私や人間、ナンギナモンダネ/トツアツセー、家がない/マシタカ、ゼーゼー

ふざけしやんする、百姓などとノーヤ/生命つなぐは、ナンギナモンダネ/トツアツセー、誰のため/マシタカ、ゼーゼー

──演歌、明治四十年頃流行、『日本近代歌謡史』下ほか

[メモ] 囃子の「トツアツセー、マシタカ、ゼーゼー」とは〔咄、圧制、増したか税々〕の意味。

 日露戦争での増税に苦しむ国民 マンガ誌『東京パック』所収

 

ダイナマイトどん 

〈ダイナマイト節〉とも。背景となる事件により呼称が異なる。明治十九年前後にはやった二作の〈壮士節〉が元唄である。

【例歌】

ダイナマイトどん だいなまいとどん  

国利(こくり)(みん)(ぶく)増進して民力休養し、もしもならなやき(ママ)、ダイナマイトドン。

──壮士節、明治十七年頃流行、『明治年間流行唄』

 [メモ] 明治十七年九月に起きた自由党員が立てこもった加波山襲撃事件を背景に出来た。自由民権思想の先導者大井憲太郎の作詞と伝えられる。この歯切れのよい歌をもって壮士節第一号とする説もある。

ダイナマイト節 だいなまいとぶし

♪民権論者の涙の雨で、みがき上げたる大和(やまと)(だま)、国利民福増進して、民力休養せ、若し成らなきやダイナマイトドン。

♪四千余万の同胞の為にや、赤い囚衣も苦にやならぬ、コクリミンプクゾウシンシテ、ミンリヨクキユウヨウセ、若し成らなきやダイナマイトドン。

♪悔やむまいぞや、苦は楽の種、やがて自由の花が咲く、コクリミンプクゾウシンシテ、ミンリヨクキユウヨウセ、若し成らなきやダイナマイトドン。

♪治外法権撤去の夢を、見るも嬉しいホルトガル、コクリミンプクゾウシンシテ、ミンリヨクキユウヨウセ、若し成らなきやダイナマイトドン。

──壮士節、明治二十年頃流行、『明治流行歌史』

[メモ] 第二弾は初出の再生加筆物。連日のように仮装舞踏会などを開いて歓楽に明け暮れる政府要人に対し、悲憤慷慨下壮士らが、こうした歌で意気を吐いた。自由民権論の高まりに乗じたこのあたりから〈自由演歌〉という呼称が誕生する。

ダイナマイト節〔久田〕 だいなまいとぶし  久田鬼石詞

♪テコデモ動かぬわたしの節操。いつしか貫徹図に置くべきか。コクリミンフク。ゾウシンシテ。ミンリョクキュウヨウセ。モシナラナキヤ。ダイナマイト。ドンコツ〳〵

 明けの烏が呼び起こすのに。なぜか覚めない長の夢。コクリミンフク。ゾウシンシテ。ミンリョクキュウヨウセ。モシナラナキヤ。ダイナマイト。ドンコツ〳〵

──壮士節、明治二十年頃流行、『ダイナマイト節』(青年倶楽部刊のビラ本)

[メモ] 先発歌のくずし。 

 

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ダイナマイト節 土取利行(弾き唄い)

 

ちやくらい節 ちゃくらいぶし

日本における自由民権思想の片手落ちな実情を半ば茶化した書生節。

 着来節・擲雷節といった当て字もあるが、内容から見て「茶食らい節=茶化し節」なのではないか。

【例歌】

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チヤクライ節 ちやくらいぶし 土取利行(弾き唄い)

♪自由民権チヤンカンポン、両手に持てれん、ポンポン。

♪主と栄耀(ええう)がチヤクライシユ、ちよいとしてみたい、ボロボロボン。

──流行節、明治二十五年頃流行、『明治流行歌史』

 書生らによるバイオリン演歌弾きうたい

着来節 ちやくらいぶし

♪見せてやりたひチヤンカンポン 見せてやりたひチヤンカンポン 世界の人にレンポンポン 敷島男児のチヤクライシユー 敷島男児のチヤクライシユー チヨイチはらわたをガラガラガン。

♪ふたつなき身をチヤンカンポン ふたつなき身をチヤンカンポン わしやいきにゑにレンポンポン 君のためなりやチヤクライシユー チヨイト国のためガラガラガン。

♪よしておくれよチヤンカンポン よしておくれよチヤンカンポン いんじゆんこそくレンポンポン いまや進化のチヤクライシユー 十九世紀ガラガラガン。

──流行節、明治二十七年頃流行、『日本近代歌謡史』上

 

土取節 三味線演歌 つちとりぶし/しゃみせんえんか

 多才な音楽家、「現代の添田唖蝉坊」とし知られる土取利行が手掛ける歌謡。ここでは特に彼ならではの古典演歌弾き歌いに的を絞り紹介することにした。えらく器用な人、じっくりとお楽しみあれ。

 土取利行近影、ウィキペディアより

 

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あきらめ節 *土取利行(弾き唄い)

足尾銅山鉱毒悲歌 *土取利行(唄・演奏)

アパッシュの唄 *土取利行

ヴェニスの舟唄 土取利行(弾き唄い)

小川少尉の歌 *土取利行(唄・演奏)

思い出した *土取利行(弾き唄い)

解放節 *土取利行(唄・演奏)

かた糸・ああ無情 *土取利行(編曲・唄・演奏)

拳骨武士 *土取利行(唄・演奏)

コノサイソング *土取利行(唄・演奏)

四季の歌 *土取利行(唄・三味線・太鼓)

続・社会党ラッパ節 *土取利行(唄・演奏)

知らないうちに娘は *土取利行(唄・演奏)

新ドンドン節 *土取利行(唄・演奏)

新馬鹿の唄 *土取利行

生活戦線異状あり *土取利行(弾き唄い)

添田唖蝉坊・ノンキ節  *土取利行(弾き唄い)

退去どんどん *土取利行(唄・演奏)

ニコニコ節 *土取利行(唄・三味線、エスラジ)

ベラボーの唄 *土取利行(唄・演奏)

ミラクルソング  *土取利行(唄・演奏)

わからない節(類歌)  土取利行(弾き唄い)

 

のんき節 のんきぶし

啞蝉坊らしい皮肉の思い入れが出た演歌。

各節に「そんなにのんきに構えていいのかね」という反意がダメ押ししてある。

【例歌】

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のんき節    石田一松唄

添田啞蝉坊詞

     一

学校の先生は(えら)いもんじゃそうな

豪いから何でも教えるそうな

教えりゃ生徒は無邪気なもので

それもそうかと思うげな ア ノンキだね

    二

貧乏でこそあれ日本人はエライ

それに第一辛抱強い

天井知らずに物価は(あが)っても

湯なり粥なりすすって生きている ア ノンキだね

    三

南京米を食って南京虫に食われ

豚小屋みたいな家に住み

選挙権さえ持たないくせに

日本国民だと威張ってる ア ノンキだね

     四

議員変なもの二千円もろうて

昼は日比谷でガヤガヤと

わけのわからぬ寝言をならべ

夜はコソコソ烏森 ア ノンキだね

──演歌、大正七年流行、『新版 日本流行歌史』上

 

バイオリン演歌 ばいおりんえんか

バイオリンで弾き語りする演歌。というよりは、演歌師にとってバイオリンは商売道具なので、〈演歌〉だけで十分に通用する。

もっとも演歌にバイオリンが導入されたのは明治四十年ごろのことで、その嚆矢は神長瞭月とされている。したがって、それまでは楽器無しの素歌いが中心であった。

【例歌】

月岡花子〔曲は春らんまん〕 つきおかはなこ           長尾吟月詞

♪向うを通る女学生、三人づれのその中で、フアーストビユーテイで目に立つは、色はホワイト背が高く、目元涼しく鼻通り、口元しまりて紅の、滴るばかりの愛嬌を、双の笑くぼにフールサン、髪は流行マーガレツト

──演歌、明治四十年頃流行、『月岡花子』

《参考》                          添田啞蝉坊筆

公園を徘徊する、唄うたひ。彼等は最早唄うたひではない。バタコーである。/カフエの前で、ヴアイオリンを一寸ひきこする。それで、いきなりカフエの中へ突進するのだ。客の前へ、唄本を突きつけて、買ふまで執念(しつつこ)くくつついてゐやうといふのである。彼等は唄をうたはない。いや、うたへないのだ。/ヴアイオリンを弾くといふことは、たゞ唄うたひが来たことを知らせる道具にとゞまると、彼等自身がいふ。そして、カフエにいきなり突入することは、客なり、女給なりに唄本を突きつけられない為めの防備をする余裕を与へない手段だとある。

──随筆、昭和六年・倉持書館、『浅草底流記』浅草朝から夜中まで

 バイオリン演歌師の栗原良雄 昭和七年

 

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カンカラ三味線 *岡 大介

山 河 島津亜矢

大正演歌 *福岡詩二

満州娘 *服部富子

 

ハイカラ節 はいからぶし

明治後期から大正にかけ出現した一連の「ハイカラ」主題になる俗謡・演歌の総称。なかでも明治四十年の〈ハイカラ節〉は大当たりを取った。

「ハイカラ」とは、歌謡史において、西洋かぶれの突っ走り連中をさす蔑称としてロングランを続けた近代流行語である。

 この語を用いた歌で侮蔑的でないものを探すのに難儀するほどである。

【例歌】

ハイカラ節 はいからぶし                     神長瞭月詞

ちりりん〳〵と出て来るは、自転車乗りの時間借り、曲乗上手と生意気に、両手放した洒落男、あつちへ行つちやあぶないよ、こつちへ行つちやあぶないよ、あゝあぶないと言つてゐる間にそれ落つこちた。(元唄、以下は雑載)

潮風寒き桟橋に、一人浪子は悄然と、男波女波を漕ぎ分けて、急ぐ短艇(ボート)(うち)(まも)り、(かぢ)になりたや()の舟の、そして思ひを語りたや、血を吐く思ひの不如帰。

ゴールド目鏡のハイカラは、都の西の目白台、ガールユニヴアーシテイーのスクールガール、片手にバイロン、ゲーテの詩、口には唱へる自然主義、早稲田の稲穂がさらさら、魔風恋風そよ〳〵と。

しな〳〵〴〵と出て来るは、都に名高き御茶の水、高等女学校のスチユーデント、腰にはバンドの輝きて、右手に持つはテキストブック、左手(ゆんで)にシルクアンブレラー、髪にはバツターフライスホワイトリボン。

リリー()高きドーターは、花の本郷竜岡町、日本女学校のスチューデント、髪のなでしこ色添ひて、ほゝゑむかんばせの愛らしさ、春の女神の人の世に、下りて来しかや花衣。

菫とまがふ御姿は、其名も猛き虎の門、高等女学校のスチューデント、髪にも春の風情して、霞なびける外濠(そとぼり)の、松のみどりに譬ふなる、清き操のしたはしや。

天女の如くさゝやくは、青葉がくれの上野山、音楽学校の女学生、片手に提げたるバイオリン、必ず曲は春の夢、離れ小島が須磨の曲、五尺男の子の袖しぼる。

露に紐解く野辺の花、風にそよ〳〵青柳、髪のなでしこ色添うて、掛けしリボンはひーらひら、海老茶袴はさーらさら、春の胡蝶の戯れは、桜に優るスクールガール。

ぶらり〳〵と出で来るは、質屋通ひのごろ書生、大きな包を引提て、又も暖簾をくぐるとこ、これでも未来は大臣(おとど)にも、公侯宰相何のその、さても呆れた囈言ぞ。

玉の(はだへ)に鬢の毛を、撫突けながらさら〳〵と、粋な姿や洗い髪、三筋で渡る川竹の、流を嘘で暮せども、真実語る人もある、是が苦界の憂さ晴らし。

磯の鮑のかたおもひ、日頃の恋の遂げたさに、積る思ひをペンの先、嬉しい便りのあれかしと、心を籠めるポスト口、今か〳〵と待ちぬれど、影さへ見せぬほとゝぎす。

魔風恋風そよ〳〵と、他所の軒端に咲匂ふ、主あるフラワーと知りながら、不図した事から深い中、今さら済まぬと思へども、試案の外とて是非もなく、忍び込んだる恋の闇。

胸にチエリーの金釦、洋服姿のベイ〳〵は、鉄管ビールの検査役、毎日市中をぶーらぶーら、共用栓を見廻りて、長屋のかゝあの洗濯を、無暗に怒鳴る面憎くさ。

(以下、漢詩入り)

文金島田のビューチーが、花見帰りの夕風に、脛も露はにひら〳〵と、見るも燃え立つ緋縮緬、

  流水無声非恨浅 落花如影情太

 雪を欺く其顔は、梅か桜か百合の花、そろ〳〵渡る枕橋。

日はうらゝかに風邪軽き、弥生なかばの飛鳥山、咲くや万朶の花のかげ、花の(フエース)に月の眉、

  妬殺花間双蝶夢 窃移羞影上春林

 挿したリボンはひら〳〵と、脛はあらはにふら〳〵と、酔うて浮かるゝドクター連。

洋服姿のバンカラは、造兵通ひの職工か、破れ靴やら薩摩下駄、二食の弁当腰にして、

  粉骨砕身酒心血 纔得単一片麺麭

 朝は五時からがら〳〵、夜は十時にころ〳〵、夢に見るのは女郎買い。 

柳腰をこき交ぜし、都の空を見渡せば、春の錦に色ぞ添ふ、薔薇とすみれの二人連

  情緒纏綿如乱糸

 吹くや日比谷の夕凪に、袖をつらねて嬉しげに、語るは例の自然主義。

──流行唄、明治四十一年前後流行、『明治年間流行唄』

 ハイカラの先端を行った女学生のスタイル

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バイオリン演歌ハイカラ節(神長瞭月) 

ハイカラおやおや節 はいからおやおやぶし

(ひさし)(がみ)海老茶(えびちや)(ばかま)に靴穿()いて、ブツク片手に女学生、おぼこ娘は表向、下に締めたる岩田帯、おやおやおや。

真夜中に、みしりみしりと屋根の音、さてはジゴマか五右衛門か、びくびくながら出て見れば、上ぢや三毛めが痴話(ちわ)狂い、おやおやおや。

──流行唄、明治四十三年頃流行、『明治流行歌史』

ハイカラのーえ節 はいからのーえぶし

あゝ、女学生女学生、オヤ髪はハイカラ、ゴールド眼鏡で、日比谷の(はアらア)、木の(かアげ)ノーエ、自然主義かアよ、オヤ青葉がくれの、魔風(まかぜ)恋風(こいかぜ)、そよそよとノーエ。

あゝ、ただただただたアだ、オヤにくたい金銭(おあし)、うはきやアようきで、出来た仲ぢやアなアいノーエ、私の理想(りさうオ)の、オヤ真実まことにイ、かわい人とノーエ。

あゝ、つぶし島田(しまだア)で、オヤ仇な姿(すがたア)で、雪駄(せつた)をチヤラチヤラ、柳腰(やなぎごウし)でノーエ、みなりはよいけれエど、オヤ仮名がなくては、新聞雑誌も、すぐによめないイ、無教育でノーエ。

あゝ、やつれし浪子(なみこウ)が、オヤいとし恋しい、武雄の手を取り、つもる話も、あとやさアきイほんウにノーエ、ネーもしあなたアよ、オヤはやく帰つて頂戴よウと、なくね血を吐くウ、ほととぎすとノーエ。

あゝ、いとしや武雄(たけおウ)は、オヤ浪子の石碑(はか)まで、忍ばしやんしてノーエ、(なみだウ)をさえエて、オヤこれさ浪さん、私を見すててえ、なアぜ死んだとノーエ。

ああ、粋な姿(すがたア)は、オヤ新橋よし町、柳橋あかさか、新吉原(しんよしはアら)芸者ノーエ、行先やおなじイみ、オヤ唐紙そつと開けエ、オヤ今晩ありイとノーエ。

──流行唄、明治四十三年頃流行、『明治流行歌史』

現代節 げんだいぶし

新案特許品 よく〳〵見れば 小さく出願中 書いてある アラほんとに 現代的だわね

新しい女と 言ふてる内に いつの間にやら 親になる アラほんとに 現代的だわね

(おやじ)は田舎で真黒けで田を作る 忰は都で子を作る オヤほんとに現代的だね

リボンヒラ〳〵花に戯るお嬢さん 心ぢや恋が燃えてゐる オヤホント現代的ネ

君と住まうか弗檀と寝ようか 今じや君より金がよい オヤホントに 現代的だね

ポント背中たゝひて今夜又来ておくれやす といふて帰れば舌を出す オヤホントニ 現代的よね

蛇の目かたげたいきな島田の二人連 何ちらが雨やら柳やら オヤホントニ現代的よね

流連三日して家に帰つてちよとのぞきや 女房は男と痴話ぐるい オヤホントニ現代的よね

──流行唄、大正四年頃流行、『新版 日本流行歌史』上

[メモ] 「ハイカラ」の語こそ用いてないが、意味するところは「現代的」すなわちハイカラそのものである。

 

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座の洒落男 *二村定一

とこイットだね *二村定一

ハイカラ節 *齋藤松聲

 

パイノパイノパイ

大正初期の大当たり演歌。

演歌師の長尾吟月が創始(平和節)したとも、唖蝉坊子息の添田知道がうたい始めた(東京節)とも言われている俗謡。いずれにせよ、奇天烈珍妙な囃子で世に大受けした。

 長尾吟月()と添田知道(左)〔浅草木馬館、昭和二十八年〕

【例歌】

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平和節〔パイノパイノパイ〕 へいわぶし 土取利行(弾き唄い)         長尾吟月詞

東京は日本のキャピタルで、丸の内に諸官省が並んでる、日比谷に浅草芝上野、鮪に鰹に海苔に蕎麦、火事火事喧嘩騒ぎ、ベランメコン畜生にヤツツケロ五月(さつき)の鯉の吹流し、ラメチヤンタラギツチヨン〳〵でパイノパイノパイ パリコトバナヽでフライフライフライ。

京都で名所は宮と寺織物染物紅白粉、鴨川育ちの女やさし、松茸筍ソードスヘ、桜紅葉嵐山雪見も月見も東山、布着てシツポリ千鳥聞く。

大阪名物ナンダスエお城の石垣天王寺の塔、材木屋に石屋に船に橋、雀ずし稲荷ずし岩おこし、芝居芝居道頓堀、十日戎にエライヤツチヤナ堂島米相場日本一。

──演歌、大正五年頃流行、『平和節 一名パイノパイぶし』(大阪・榎本書店)

パイノパイ 

東京で繁華な浅草は

雷門、仲見世、浅草寺

鳩ポッポ豆売るお婆さん

活動十二階、花やしき

すし、おこし、牛、天ぷら

よんだとたん畜生でお廻りさん

ラメチヤンタラギツチヨンチヨンデ パイノパイノパイ

パリコトバナヽデ フライ フライ フライ

──演歌、大正初期作、『浅草底流記』(添田唖蝉坊著)

[メモ] この詞は唖蝉坊自身の作である。

 

まつくろ節 まっくろぶし

大正初めに大ヒットし、その後も長く歌い継がれたはやり節。「マックロケ節」とも。

真っ黒なものの連想が詞に仕立てられていて、世人の度肝を抜いた。

【例歌】

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マツクロ節  まつくろぶし  ゥ市助 ミ若種唄

添田啞蝉坊・後藤紫雲詞

箱根山 昔ゃ背で越す駕籠で越す

今じゃ夢の間 汽車で越す

煙でトンネルは マックロケノケ

桜島 薩摩の国の桜島

煙吐いて火を噴いて 破裂(おこりだ)

十里四方が マックロケノケ

米で鳴る 陸奥に生れて食えぬとは

嘘のようだが 来て見やれ

いり藁松葉餅 マックロケノケ

雨が漏る 雨が漏る〳〵美術館 

汚点(しみ)が画になる その汚点が

職工の涙よ マックロケノケ

金ほしや お金ほしやの空想の

果てを足尾の 銅山に

カネを掘る掘る マックロケノケ

進み行く 文明の光かガス電灯

夜を昼にする工夫さん

お前はいつでも マックロケノケ

──はやり節、大正二・三年流行、『新版 日本流行歌史』上

新まつくろけ節 しんまつくろけぶし                長尾吟月詞

山崎の街道とぼ〳〵与一兵衛 あとから出て来る定九郎に 提灯切られて マツクロケノケ

鎌倉でおつうすました師直の 姿は一寸立派だが 心のうちは マツクロケノケ

本蔵の主君を諌めん其の為に 赤き心をうちあけて 丁と切ったる松の枝 マツクロケノケ

判官がこらへかねたる刃傷に そりやこそ抜いたとはせつける 人で忽ち マツクロケノケ

山崎の街道を与一兵衛が あゆむあとから定九郎 爺さんまつたと マツクロケノケ

七段目忠臣蔵の茶屋場では お軽は二階でのべかゞみ 九太夫は縁の下で マツクロケノケ

世の中に何故に此の様にまゝならぬ お金の無い人程がよく お金の有る人 マツクロケノケ

おやじさん茶瓶頭に毛が三本 それにつけたる白髪染め 禿げたとこまで マツクロケノケ

お役人洋服帽子に靴はいて ステツキ片手に鼻の下 八字の髯は マツクロケノケ

お妾は見越の松に粋な家 女中一人に猫だいて 裏の高塀は マツクロケノケ

──演歌、大正三年頃流行、『新まつくろけ節』(秀美堂版赤本)

マツクロ節替え まつくろぶし/かえ 

遊廓の離れ座敷の四畳半

客と芸者の差し向かい

電気消したら マックロケノケ

お姉さん お前の年は幾つかね

問われて○○○に手をやれば

年にも似合わず マックロケノケ

オヤオヤ マックロケノケ

お父さん 私 お嫁に行きたいわ

お前 十六 また早い

それじゃ見せましょ マックロケノケ

お母さん 私 お嫁に行きたいわ

お前 十八 もう行ける

それでも行けない マッシロケノケ

──演歌、大正三・四年頃流行、『替歌・戯歌研究』

 

松の声 まつのこえ

演歌師神長瞭月作の長編演歌。

堕落女学生を主題にした作品で、『松の声』本歌本(模倣類歌が多い)は足掛け七年間に二十七版を重ねるほどの大ヒットを放った。人々の覗き見的好奇心をあおったのである。

ただしこの作品は著作権保護対象期間内なので、引用は冒頭数行の紹介にとどめる。

【例歌】

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松の声                             神長瞭月唄

アア夢の世や夢の世や、

時も弥生の中の頃

十有余年がその間、

春は花咲き夏茂り、

冬は雪降る故郷の、

月さへ宿る清水に、

父母は涙のうるみ声、

──演歌、大正五年初版、『大阪・榎本書店版』

 

豆粕の唄 まめかすのうた

当時の米騒動を踏まえての歌で、名演歌師啞蝉坊が恨めしい世の中を精一杯おちょくっている。

 豆粕とは大豆油の搾りかす

【例歌】

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豆粕の唄 まめかすのうた          土取利行(弾き唄い)添田啞蝉坊詞

高い日本米はおいらにや食へぬ

おいらそんなもの食はずとも、よ

どんな変なもの食はされたとても

生きて居られりやそれでよい

粕だ、粕、粕、おいら米や食へぬ、

食へりや此の世が嘘ぢやもの、よ

何はともあれおメデたい御代ぢや

生きてゐられりやありがたい

──演歌、大正七年流行『日本近代歌謡史』下

 

漫遊歌 まんゆうか

明治の自由民権意識の高まりと憲法発布は、にわかに世人の眼を世界へ向けて開かせる結果になった。漫遊歌もそんな現れの一つである。

【例歌】

漫遊愈快節  まんゆうゆかいぶし

(へん)(しう)に棹して瓢然漫遊すれば、(けむり)は迷ふ亜剌比亜(アラビア)海、雲は(とざ)阿弗利加(アフリカ)州、九万の鵬程(ほうてい)遥々(えうえう)と、難なく埃及(エジプト)に上陸し、世界で一のピラミッド、登りて彼方を見渡せば、サワラの砂漠は渺茫(べうばう)と、(しう)(うん)漠々(ばくばく)、悲風惨胆、羅馬(ローマ)の古蹟で感慨し、ジブラルタルの海峡も、いつしか過ぎて行先は、これぞ世界に名も高き、倫敦巴里(ロンドンパリ)の花と月、アムステルダム伯林(ベルリン)や、セントピータースブルグの、数百の都を後にして、再び棹す大西洋、桑港(サンフランシスコ)紐育(ニユーヨーク)華盛頓(ワシントン)へと来て見れば、流石(さすが)に自由の風吹きて、いとも豊かに見ゆるぞや、(あまね)く諸邦を漫遊し、帰るは元の日本国、故国の山水一層に、秀でて見ゆるぞ愉快なれ、芙蓉の峯は空高く、琵琶の湖水は底深し、海内無双の絶勝を、衛れや守れ国のため、護りて其名を海外に、輝すのは国人の、重き(つとめ)と覚悟せよ、愉快ぢや、愉快ぢや。

──演歌、明治二十五年頃作、『明治流行歌史』

 明治時代日本の文明レベル

 

都の四季〔欣舞節〕 みやこのしき

先行して大当たりした〈京の四季〉に便乗し、数年後には東京でも〈都の四季〉と銘打った欣舞節の一つが作られた。

この歌、明治の東京が四季折々のパノラマとなって展望できるのがよい。

【例歌】

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都の四季  龍佳会                      鉄石浪士詞                    

花は桜木人は武士

散りて馨りし彰義隊

砲烟弾雨の修羅場も

今は上野の公園地

春は香雲爛漫と

花に人呼ぶ声なくも

浮かれ集まる都人

雲を凌げる十二階

失殿高欄荘厳の

間に交はる花の雲

こゝは浅草大悲閣

花のあづまの吾妻橋

渡る向ふは向島

花の中行く墨田堤

竹屋渡りて今戸から

日本堤を打ち過ぎて

こゝは色香も吉原の

婀娜な眺めの夜桜よ

添へし解語の花籬

迷ふ心も仇なれや

花も若葉と移り行き

無常かこつか時鳥

掘切村の花菖蒲

亀戸の藤や大久保の

躑躅の盛りを打ち過ぎて

夏の涼みは芝浜や

安房も上総も庭の中

滝は王子か十二壮

都はなれて鄙びたる

爰は目黒の不動滝

浮名残れる比翼塚

露の命の朝顔も

色に人呼ぶ入谷町

不忍池の蓮の花

散れば程なく萩桔梗

咲くや七草秋の色

或ひは萩寺百花園

往来賑はふ束の間に

待てば程なく待宵の

月の光りも隅田川

道灌山に雅び男が

霧に咽びて泣く虫を

聞くも昨日と思ひしが

いつか月日の忽ちに

花の便りを菊の園

菊の名所は団子坂

染井広尾の賑はひも

過ぎて身に染む風寒み

霜に染めなす紅葉は

秋葉の森か滝の川

水の流れと人の末

定めなき世に人の欲

黄金白金一攫み

などゝ縁喜を酉の市

過ぎて程なく年の市

冬の雪見は待乳山

上野九段の銀世界

寒さいや増す窮陰も

いつか一陽来復の

春は都にめぐり来て

いつか綻ろぶ花の兄

開く南枝に鶯の

声に浮かるゝ人心

訪ふは亀戸臥竜梅

欣舞、々々、々々、愉快、々々、

──壮士節、明治三十一・二年頃流行、『江戸と東京』創刊号 

 

都節 みやこぶし

近代、発展いちじるしく流行の先端を切る東京の風俗演歌である。東京で添田啞蝉坊が広めた。

【例歌】

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都節 みやこぶし       土取利行(弾き唄い)       添田啞蝉坊詞

親ぢや〳〵と親風吹かせ 威張りなさるな

 チヨイト〳〵 親は子供の ヤレソレ ぬけがらぢや ソレヨさうぢやないか ネーあなた チヨイト〳〵

馬鹿か利口かお客の心 乗せて計れば チヨイト〳〵 すぐに知れます ヤレソレ 口車 ソレヨさうぢやないか ネーあなた チヨイト〳〵

──演歌、大正三年頃流行、『流行歌明治大正史』

 楊州周延画の錦絵 『梅園唱歌図』部分、明治二十年、ボストン美術館蔵

みやこ節 みやこぶし

今の女学生は何故あの様に 無暗矢太良にチヨイト〳〵 無暗矢太良に子を生むだらう それも其筈ネーあなた チヨイト〳〵 女学んでヤレソレ生むと書く 然もホンマじやないかネーあなた チヨイト〳〵

朧月夜と互の仲は 晴れぬ其間が チヨイト〳〵 晴れぬ其間がヤレソレお楽しみ それもそうぢやないかネーあなた チヨイト〳〵 

富士は婿殿筑波は嫁御 焼いて浅間が チヨイト〳〵 焼いて浅間がヤレソレ黒煙  然も渦巻いてネーあなた チヨイト〳〵 

雪と仲よく寝て居る笹を 憎や雀が チヨイト〳〵 憎や雀がチヨコ〳〵ゆり起す 然もそうぢやないかネーあなた チヨイト〳〵 

石の上にも三年と云ふが 私の貧乏は チヨイト〳〵 私の貧乏はヤレソレ五十年 然もそうぢやないかネーあなた チヨイト〳〵 

──演歌、大正三年頃流行、『日本近代歌謡史』下

 [メモ] 「みやこ節」のほうは大阪で作られはやった模倣唄の雑載である。

 

やつつけろ節 やっつけろぶし

明治演歌の一つ。

〈オツペケペー節〉に続く新傾向の読売はやり唄をめざして作られた。曲詞ともオツペケペーの踏襲であるが、この唄自体は自由党壮士らが普及を買って出て、かなり人気を得たようである。その証拠に模倣・亜流唄が続出している。

【例歌】

やつつけろ 

♪文明開化も泥濘だらけ、とかく開化はうはすべり、アレエソレエ、ヤツトヤツツケロ。

──壮士唄、明治十七・八年頃流行、『明治年間流行唄』

 読売はやり唄の一例 

やつつけろ節 やつつけろぶし  

♪見せてやりたい世界の人に、敷島(しきしま)男子(だんじ)(てつ)(ちやう)を、コラサノサ、二千五百有余年、固め鍛へし鉄石(てつせき)(しん)、イツカナ動かぬ大丈夫(きすらを)の、心は千々に砕くとも、(かばね)は野辺に晒すとも、君の恩為国の為、捨つるはこの身の本分と、一歩も譲らず進み行き、鉄壁たりとも何のその、日本刀の切れ味で、片つ端から、ヤツツケロー。

♪此頃はやりの(しら)拍子(びやうし)、粋なつくりの格子戸に、ぶらりとさげた御神灯(ごしんとう)、きり火の音をあとにうけ、づつとすましてお座敷へ、おし出す姿は立派だが、チヤンチヤンチヤンのおざしきで、御祝儀もらへば用はない、芸のおのぞみやまつぴらだ、でれたお客と見てとれば、得意の手術(しゆじゆつ)でまるめ込み、ぽつぽのお金を吸ひ取つて、ひいきの役者につぎ込んで、それでも足らずに高利かり、アイスクリームにせめられて、首もまはらず青くなる、これが芸者の本分か、そんなやからはわれわれが、自由のげんこでヤツツケロー。

──壮士唄、明治二十三年頃再流行、『明治流行歌史』

ヤツツケロ節 やつつけろぶし

♪見玉え 廃娼論者の運動を キリスト教の提灯を 持つてゆくのはよいけれど、目先もチラチラぼんやりと 一寸先は真っ暗で 道かたんぼかわからない 口に道徳説きながら 奇麗に衛生説きながら 提灯持ちがドブに落ち 汚れた衣をつけながら 徳義問題生意気な 国家問答よしてくれ たとえ娼妓を廃しても ないしょで壮者の鼻がおち 独りホクホク喜ぶは 梅毒専門医者ばかり いくらだネ もらった賄賂はいくらだネ コラサノサ およしよおよし廃娼論 よさなきゃその時ヤッツケロー

♪廃娼の論に賛成やや多く 一府十三県 募りに応じて二千余の 壮士が運動するそうな 私とお前の中島もこれから縁をキリストの 教えを奉ずる身なれども やつぱり目に付く島田マゲ 赤いしかけをぬがせても 黒いおこないどうするえ 十人十色の人ごころ 法律なんぞの力にて なかなか改良はできぬぞえ 汝が報ずるキリストや ゴツドのちからも及ぶまい 証拠はロンドンメリケンや パリーの都みてあれば うわべは大層立派だが うちわの地獄も大層だ クリスチャインの人々よ 神を愛する(まなこ)にて 日本国をば見ておくれ ゴッドを敬う心にて トッサン大事におもわんせ つまらぬ尽力およしなネ 新奇をよろこぶ人ごころ 幸いおまえの論がかち 一時廃娼したとても 雨ふり天気じゃなけれども かさとかさとで鼻をつき ついにはどうしよう公娼と 後悔するのはしれたこと コラサノサ およしよおよし廃娼論 よさなきゃその時ヤッツケロー 

──壮士唄、明治二十年半ば頃再流行、『日本近代歌謡史』上

やつゝけた節 やつつけたぶし

隣のね、お嬶とね、内の嬶とが喧嘩して、おのが手で引き摺り込んで、門口へとおつぶせた、いやだよ、内儀さんどちらにも、幸ひに怪我がなきやア、宜いじやないかと立ち別れ

車夫とね、巡航船とね、巡航船と車夫と喧嘩して、おのが手で蒸気船を打ち破り、暗い豕箱(はこ)へとおつぶせた、チヨイね、巡査さん、時ごろは十二時すぎだよ、寝酒一ぱい頂戴な

(さか)にね、くるまをね、逆に車を押すとても、否なら否と云はしやんせ、相談ねへ、づくならねへ、切れも仕やうし別れもせう時世時節なら是非がない、切れても愛想は尽しやせぬ

三言ね、四言ね、三言四言の串戯(じようだん)が、引くに引かれぬ中となり、今じやねへ、互のねへ、今じや互の身のつまり、時ごろは貧乏世帯じや、と云ふて切れては恥の恥

平家ね、名高いね、平家で名高い景清も、おのが手で強力(ちから)に任して阿古屋に逢たさ牢破り、ましてね、妾しはねへ、切ない苦い思ひした、時ごろの思ひが叶ふて、眉毛落て新世帯

──壮士唄、明治四十年頃再々流行、『日本近代歌謡史』下

 

愉快節 ゆかいぶし

明治憲法の発布や国会開設に焦点を合わせた社会性の高い書生節。

内容とは別に、末尾に付く「愉快ぢや、愉快ぢや」の囃子が題名になっている。のちの〈欣舞節〉の土台唄でもある。

【例歌】

愉快節 ゆかいぶし  

♪文明の国に実りし自由の権利、堅く蕾し我国の、野蛮頑固も何時(いつ)しかに、解けて(やは)らぐ御代(みよ)となり、明治六年の頃とかや、板垣後藤の旧参議、始めて蒔きし民選の、議院政治の花の種、年月経るに従ひて、開化の風や文明の、恩に浴して生育し、人の自由や民の知恵、(ひと)しく天の性を受け、此世に生れし人類が、などか他人の圧抑に、抑圧せられてあるべきぞ、抑へば揚る噴水器、国会開設請願の、声は四方に鳴り渡り、賢き(あた)りに聞えけん、欽定憲法発布され、開かせ賜ふ代議政、立憲制度の劈頭(へきとう)に、立ちし明治の臣民は、後世孫子に誇るべし、愉快ぢや、愉快ぢや。

♪東洋に屹然(きつぜん)立つたる日本の国に、昔嘉永の頃なりき、相州浦賀へ亜米利加の、軍艦数艘入り来り、徳川政府を脅迫し、勝手気儘に条約を、締結したる其時に、尊王攘夷を唱へにし、梅田橋本頼三樹が、心の中を推すれば、大老掃部(たいろうかもん)を恨みつゝ、悲憤の涙に暮れつらん、されば程なく万延の、春三月の頃とかや、霏々(ひひ)と降り積む雪の中、大老登城を待ち受けて、桜田門外に刺し殺し、凱歌を上げし其後は、勤王有志の(ともがら)も、蜂起なさざる処なく、大和近江の間には、中山卿が将となり、天忠組を起しつゝ、常野二州の間には、武田、藤田が旗を挙げ、各々(おのおの)大義を唱へける、土崩瓦解の大乱も、将軍大政返上と、共に維新と改まり、豊かな明治の大御代に、万世動かぬ憲法も、()けて開けし代議制、皇国(みくに)の前途ぞ愉快なる、愉快ぢや、愉快ぢや。

──書生節、明治二十三年前後流行、『明治流行歌史』

愉快節 ゆかいぶし                       横江鉄石詞

社会観

♪住める大厦(たいか)の建築の、妙技を尽し美を極め、纏へる(ぎぬ)(あや)(にしき)、乗りたる馬車は亜剌比亜(アラビヤ)の、逞ましげなる二頭立、車中の(ぬし)は傲然と、馬尼垃(マニラ)の葉巻口にして、得ならぬ(かほり)紫の、(けむり)吹きつゝ行先(ゆくさき)は、紅葉館や花月楼、到る処に(うた)吹雪(ふぶき)、酒池肉林の歓楽は、いかなる月日に生まれしと、人の羨む華長者、高官紳士豪商よ、栄華に酔へる()が眼には、浅草(まち)の春の雨、此町照らす秋の月、如何に見ゆらん映ずらん、軒に掲げし行燈(あんどん)の、光りも暗き家の内、終日業(ひねもすげふ)に疲れたる、足を伸ぶれば隣なる、人の肌に触れやせん、大の身体(からだ)をくの字形、一夜幾らの屋根代は、煎餅布団に柏餅(かしはもち)、結ぶ夢こそ(はか)なけれ、飢ゆれば潜る縄暖簾(なはのれん)、椅子に代へたる醤油樽、(どんぶり)(めし)に濁り酒、鰯や鱈も鱈腹は、食へぬ不景気如何せん、日々の労働玉の汗、(から)く其日を送れども、若しも雨降り風吹けば、食事の料に差支へ、甘藷(さつまいも)さへ食ひ兼ねる、聞くも涙の種ぞかし、嗚呼(ああ)生存の競争は、日々に(はげ)しくなりまさる、二十世紀の前途(ゆくすゑ)を、思ひ回せば外国の、共産党や社会党、(いん)(かん)(けだ)し遠からず、静かに社会問題を、思ひ来たれば慄然と、(はだへ)に粟して肝胆寒し、欣舞欣舞、愉快愉快。

──書生節、明治三十一年頃再流行、『明治流行歌史』

 流行ゆうかいぶし りゆうこうゆうかいぶし

♪ことし二十一、けんさとし

ふたをやさまに いきわかれ

かわいにようぼの いんをきり 

なれしこきようを あとにして

なれぬとうきよい ゆくわいな

てつぽうかついで ひをくらす

わたしのゆくさきや やみだから

わたしをおもうて くれるなら

かみしんじんでも してをくれ

わたしのねんじる かみさまは

しもをさごほりの ふどうさま

これをねんじて くれたなら

わたしもしなへと のりこんで

しびよく 三ねんつとめあげ

かむりしぼうしは きんのすじ

むねにはくんしよう いただいて

かへるすがたは こきようへにしき

 勝利〳〵 大勝利

むこうのかわべお みわたせば

十六しちの こむすめが 

たけのこかついて ないておる

なにおなくかと とうたれば

そこでむすめの こくいるに

もうそうたけにも けがはへた

ばら〳〵こけにも けがはへた 

わたしやほんねん 十九さい

まだけははへねと、ないておる

 ゆうかい〳〵

──地方唄、明治三十七年頃流行、『日本近代歌謡史』下

[メモ] 出典の奥付紹介によると、「明治三十七年二月十一日、北埼玉郡手子林村百二十五、原田助次郎、ビラ本、和製洋紙四ツ折、木板二銭」とある。明治三十一年頃に東京ではやった「愉快節」の模倣唄。識字率の低い地方でも通用するようにと、ひらがな書きになっている。

 

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おめでたそんぐ  *土取利行(弾き唄い)

新わからない節 *土取利行(弾き唄い)

壇の浦(愉快節) *土取利行(弾き唄い)

チリップチャラップ節 土取利行(弾き唄い)

 

補遺

士気の歌 しきのうた                       作詞者未詳

国の為には命惜まぬ神州男児、いつも(いくさ)は大勝利、それを無にせぬ善後策、ちよいと頼むは外交官。

つらもいろいろ、かつら馬面大づら小面、赤面髯面(ひげづら)ふくれ面、つらつら()(すけ)の面見れば、チヨイト泣き面間抜け面。

けの字さまざま、三毛(みけ)に眉毛に色けに食ひけ、たわけ呑ぬけ桶に酒、露助は戦に負け続け、チヨイト腰ぬけ大まぬけ。

ぼうもいろいろ、むぼうらんぼう泥棒ごぼう、武蔵坊やら朝寝坊、天びん棒やらけちん坊、チヨイト露助は大べらぼう。

──演歌、明治三十七年頃流行、『明治流行歌史』

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ブラブラ節 ぶらぶらぶし      添田啞蝉坊詞  土取利行(三弦弾き唄い)         

今年こそほんとにうんと働くぞ

「そして」「ああして」「こうもする」

うその行きどまりの大晦日

なったなったなった 大晦日がお正月に

なってまたおめでたく ブーラブラ

物価がさがったかと町へ出てみれば

くらしが苦しくてやり切れぬ

「困る」「困る」のグチばかり

なったなったなった 失業者が多数にな

ってどうしてまたどうなるもんか ブーラブラ

寒い寒いよ今年は寒い

外国米や豆粕なんか食ったために

こんなに寒さが身にしみるのか

なったなったなった 人間が栄養不良に

なってまた薄着で ブールブル

ベランメ日本人だ貧乏していても

なんて飢死(うえじに)なんかするもんかと

腹はへってもへらず口

なったなったなった 骨と皮ばかりに

なってもまだ生きている ヒョーロヒョ

東京へんなとこへんな奴ばかり

三百万人ただうようよと

米も作らずにくらしている

なったなったなった 田吾作が江戸っ子

になってまた一緒に ブーラブラ

衣服(きもの)はボロになるボロは紙になる

紙はまた金になるその金が

資本になる貧乏人が泣かされる

なったなったなった 工女の涙がダイヤ

になってまた(めかけ)の頭で ピーカピカ

親はお前に銃剣もたせ

人を殺せと教えたか

二十一まで育てたか

なったなったなった 兵隊さんが片輪に

なってまた見らりょか ブーラブラ

鳥は自由に空飛びまわり

虫さえ青葉に巣をくうに

おれたちゃ人間 (うち)がない

なったなったなた うんとこさと宿なし

になってまたあっちこっち ブーラブラ

──演歌、大正七年流行、『日本民衆詩集』

[メモ] この種の歌謡は詞でおどけている分、余計に哀切感が迫ってくる。

 

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あゝわからない *土取利行(三弦弾き唄い)

新おいとこ節 *土取利行(弾き唄い)

新わからない節 *土取利行(弾き唄い)

たもと *桃山晴衣

東京節 *桜井敏雄

バイオリン演歌を楽しむ左から森本厚吉、有島武郎、森 廣〔北海道大学資料室蔵〕