社会の仕組みや軋轢が生んだ理想と不条理の相克が風俗歌詞へと投影

 

Ch.12  社会と事件歌

 

 

Ch.12 社会と事件歌 目録 (五十音順) 


厭世の唄 革命歌 瓦版唄 紀元二千六百年 黒船唄 原発反対歌 工事唄 鉱夫

節 故事唄 時局歌謡 事件歌謡 時事歌謡 東雲節 社会戯評歌 自由の歌 

業歌 殖産の唄 女工唄 震災復興歌 人物戯評唄 ストライキ節 政党賛歌 

正激震猛火の新体詩投書唄 ニュース歌謡 機場唄 風俗写生歌 奉祝唄 ほめ唄

魔風恋風の歌 民権唄 民衆唄 労働階級歌 

 

 

厭世の唄 えんせいのうた

 世の中や自分の人生を忌み嫌う姿勢で作られた唄。

 当然、おぞましく暗い曲になりがち。

【例歌】

夢の女の唄          畑耕一詞

♪くろ髪の

 もつれにかけた 誓いごと

 そのひと筋を あてにして

 夢の女は 生くという

♪くちびるの

 明日を知らぬ ばらの色

 そのひと時を 希望(のぞみ)とも

 夢の女は 死ぬという

♪いつまでの 

 命ゆるさぬ 鏡には

 姿うつすも 無駄なこと

 何の頼みの 身ではあろ

♪すべもなく

 涙ながして たゝずめば

 夢の女に 残された

 いばらの囲いは 墓場とも

──流行歌、昭和三年発表

 

YOU TUBE

 

アカシヤ雨が止む時 *西田佐知子

冷たい雨が降っている *吉田拓郎

東京流れ者 *竹越ひろ子

世捨人唄 *吉田拓郎

 

革命歌 かくめいか

近代、社会主義者もしくは右翼らが革命運動を鼓舞啓蒙するために作りうたった歌。全般に詞の内容が高踏的すぎたり難解だったりで、民衆への浸透は今一つである。

 言いえて当を得た主張である

【例歌】

YOU TUBE

嗚呼革命 *土取利行

♪嗚呼 革命は近ずけり

 嗚呼 革命は近ずけり

 起てよ 白屋襤褸の子

 醒めよ 市井の貧窮児

♪見よ 我が自由の楽園を 

 蹂躙したるは何者ぞ

 見よ 我が正義の公道を

 壊敗したるは何奴ぞ

♪圧制 横暴 迫害に

 我等はいつまで屈せんや

 我が脉脉の熱血は

 飽くまで自由を要求す(後略)

──替え歌、『替歌研究』  

YOU TUBE

ワルシャワ労働者の歌 わるしやわろうどうしやのうた 

鹿地亘訳詞

暴虐の雲 光をおおい

敵の嵐は 荒れ狂う

(ひる)まずすすめ われらの友よ

敵の鉄鎖を 打ち砕け

自由の火柱 輝かしく

頭上高く ひらめかん

今や最後の たたかいに

勝利の旗は ひらめかん

起て同胞(はらから)よ 行けたたかいに

聖なる血に まみれよ

砦の上に われらの世界

築き固めよ 勇ましく

──革命歌、昭和二年作、『新版 日本流行歌史』上

[メモ] 「ポーランド革命歌」の曲そのままでうたう。

革命歌 かくめいか         築比地仲助詞

嗚呼(ああ) 革命は近づけり

嗚呼 革命は近づけり

起てよ 白屋(はくおく) 襤褸(らんる)の子

醒めよ 市井の 貧窮児(第一節)

──民衆歌謡、現行、『日本民衆詩集

 

YOU TUBE

 

幸徳秋水を弔う革命歌 *土取利行(唄・演奏)、「ギロチンの唄」とも                 

コンミュニストのマルセイエーズ 

第七旅団の唄 

同志は斃れぬ 

憎しみの坩堝 

晴れた五月 

ベンセレモス *「われらは勝利する」とも

 

瓦版唄 かわらばんうた

江戸時代から明治にかけ流行物の媒体となったものに瓦版がある。なかには時局批判の戯れ歌を詞書(ことばがき)にしたものも少なくない。それらを総称し〈瓦版唄〉といっている。

【例歌】

瓦版節 かわらばんぶし

〽今度サエ あわれな(はなし)がござる 所申さば青山辺に ちよつと粗相で大火と成て (しか)も其日が大吹きあらし 焼ける火の下家数(やかず)も知れず あわれなるかや其夜の騒ぎ しかも諸人の逃げるを見れば 共に手を取袖引連れて……(後略)

──流行唄、弘化三年頃流行、『藤岡屋日記』

三かつ替文句 さんかつかえもんく

此頃はよし(ひさ)さん、何処にすつこんでござるやら、今更かへらぬ事ながら、はしと会津がないならば、三(ばん)さんの加州にめんじ、米も安なる三升百と、国にて売買(うりかひ)ささんしたら、諸国の人の気持もなほり、此騒動もあるまいに、思へば思へこのあひづ、去年(きよねん)の秋のたたかひに、いつそうたれてしまふたら、かうした(いくさ)はあるまいものを、お気に入らぬといひながら、むざと長州がみたゆゑ、橋と板倉がかなはぬと、お側にゐたいと先場(せんぢやう)して、伏見の寄手(よせて)もお気の毒、今の思ひにくらぶれば、七年前のかうえきを、やめる心がつかなんだ、こらへてたべ長州さん、みな此やうに思ふてゐるに、恨みつらみか(つゆ)ほども、三藩長州およぶ御加勢(おかせい)、なほ心まさる憂き思ひ。

──替歌、慶応四年流行、『三かつかへ文句』

[メモ] 元唄は心中事件を扱った唄。これが瓦版特有の時事歌謡に様変わりしている。おそらく借曲詞仕立なのであろう。

一トセぶし ひとつとせぶし

一ツトセイ ひろいせかいは どこまでも

 わざとのこらず まんさくでミナオヨロコ

二ツトセイ ふじの山より まだ高い 米のそうばもやすくなる ミナオヨロヨビ

三ツトセイ みな人ないたる 大いくさ をさまりやすぐさま ごたい平オヨロコビ

四ツトセイ 吉原はじめて しくじくも をきやくでどん〳〵はんぜうする ミナオヨロコビ

五ツトセイ いづくともなく ほうねんで おかみはなを〳〵 ごあんしん ミナオヨロコビ

六ツトセイ むら〳〵しくの 若しゆうが しばいをするやら おどるやら ミナオヨロコビ

七ツトセイ なまけずあすばず かせがんセ しんぼうつゞけば 金のくら ミナオヨロコビ

八ツトセイ やれ〳〵うれしや ほうねんで 人の心も なをり升 ミナオヨロコビ

九ツトセイ くろうしやんすな はまの人 けふより大りようが つゞき升 ミナオヨロコビ

十ヲトセイ どん〳〵はんぜうの なんきんの お米もこれから あいてなし ミナオヨロコビ(中略)

十八トセイ 花のとう京の しまばらも げいしやとおきやくで 大さわぎ ミナオヨロコビ

十九トセイ 国のつうよの さつできて 大名はのこらづ ごないふく ミナオヨロコビ

二十トセイ 日本こくちう いこくまで ゆるがぬしめしは 太政くわん ミナオヨロコビ

──数え歌、明治七年頃流行、『志んぱんおよろこび 一トセぶし』(瓦版唄本)

[メモ] 瓦版数え歌。世直し新政を手放しで喜ぶ俗っぽさが大衆に受けた。

アフツイ節 あふついぶし/ざっさい

アフツイ 三味線の七不思議 天神あれども梅はなし 竿はあれども物干さず 糸はあれども縫針出来ぬ 撥は有れども当りやせぬ 駒はあれども乗れもせぬ 堂はあれども宮はなし 川と川二タ瀬流れて船つかぬ ここに一つの不思議と云ふは 猫の皮でもちん()となる

アフツイ 風の夜に半鐘近く これさ女房やわらじを出しな はんてんに皮羽織 おまいも早く行しやんせ 四十八組 をい〳〵に 御掛り様の下知を受 (このあと「木遣り崩し」が続くが略)

──流行節、明治十五年頃流行、『瓦板のはやり唄』写本

[メモ] 出典は個人が書写した瓦板写本である。往時は屑屋(廃品回収業)のゴミの中からこうした貴重史料が少なからず見つかったという。「アフツイ」とは何を意味するのか正確にはわからないが、『日本近代歌謡史』の著者西沢爽によると大津画のことではないか、と述べている。

 大木実は歌でかわら版唄を紹介〔昭和三十一年、テイチクレコード〕 

 

紀元二千六百年 きげんにせんろっぴゃくねん

昭和十五年が皇紀二千六百年に相当する。

これは神武天皇即位の年、すなわち西暦前六六〇年を皇紀元年とした往時の年号呼称で、太平洋戦争終結時まで続いた。この年、橿原神宮を中心に全国十一万の神社で大祭が行われたほか、全国各地でさまざまな記念行事が催された。

掲出の〈紀元二千六百年〉元歌は同昭和十五年の式典記念歌として公募により制定されたが、国民にとってはいくつかの替歌のほうがより親しみやすいため広く愛唱された。

【例歌】

YOU TUBE

紀元二千六百年 

    一

金鵄(きんし)輝く 日本の

(はえ)ある光 身にうけて

今こそ祝え この(あした)

 紀元は 二千六百年

ああ 一億の胸は鳴る

    二 

歓喜あふるる この土を

 しっかと我等 踏みしめて

 はるかに仰ぐ (おお)御言(みこと)

 紀元は 二千六百年

 ああ (ちよう)(こく)の雲青し(後略)  

──国策唱歌、昭和十五年制定、『日本歌謡史』

紀元二千六百年替え 

「金鵄」上がって十五銭 (はえ)ある「光」三十銭

いよいよあがるこのタバコ(今こそ来たぜ 此値上げ)

紀元は二千六百年

ああ一億の民は泣く

「金鵄」かがやく十五銭 (はえ)ある「光」三十銭

今こそ「(ほう)(よく)」五十銭(それより高い「鵬翼」)

 タバコはほんとに高いな(六十銭になりました)

ああタバコ屋はもうかるな(ああタバコは止めましょう)

──替歌、昭和十九年流行、『時代を生きる替歌・考』

 紀元二千六百年替え 笠木透唄 CD『戦争中の子どものうた』より

 

黒船唄 くろふねうた

幕末、わが国にしきりに来航した黒船すなわち異国船を材にした一連の歌謡をいう。多くは瓦板などで普及・流行した。

 黒船の図〔神奈川県立歴史博物館 蔵〕

【例歌】

すちやらか節 すちやらかぶし

〽毛唐人じやと思うてからに アメリカ小馬鹿にしやんすな ぬしを思へば五千里万里 はるばる日本の浦賀へ渡り 神奈川女郎衆にちよいとはまり 手練手管の軍略戦法 とうとう赤裸で外海(そとうみ)へ 突き出されたるあげくの果ては あとでペルリと舌を出す スチヤラカボン ナンダベコチヤラコチヤラ

──くずし唄、嘉永六年頃流行、ペラ本

[メモ] 阿呆陀羅経くずし。

毛唐人かへ歌 けとうじんかえうた

帆でかよふ ふねがきたいのてつづくり 花のあづまへ ねがひ来て 車つけぶね ぜう気せん

ゐせいかためも いさましさ 米とりかぬる毛とう人 よわり帰はんも はずかしく御世太平で ゆたかなり 陣やひければゆうしらくの 其納りしうきめなし 帰へる涙のひか〳〵異国 まずハ事なし 世のうわさ

──替歌、嘉永六年頃流行、『日本近代歌謡史』上

[メモ] 一枚摺り。二上りで歌う「御所車」の替歌。

やんれ節 やんれぶし

こんとさアヱヽ あめりかがしうこくの ようすをくはしくたづねてみるに 長サ四十里まはりが十里 むらが六十に人家が二百余けん しろが三ケ所によていてござる いちのかろうのなはあはだむす つきの家老をへろりといふて ちゑもきりよふもかねそなはりて ちりや天もんそのまたほかに てつぽだいいちじよずでござる されどへんぴのそのかなしさは 米とおんなにやことかくならひ されはこれからにっほんこくの ふみのもんくのかながハだいに しよじょうしたため舟にとのりて いそぐともなくはやかながハよ をとにきこへし大もりへんに ふねをつないてとうりううちに なまなとうじんなまむきあたり のらり〳〵とそっそりあるき 大しかはらやしな川宿(じゆく)へ のたりあがればおんなにやのろい しょじょねがひもからりとわすれ初会なじみには毛をよまれ うでのなまひも おらんだもじか きせうせいしのこうゑきなさる ひくはじやみせんげつきんばァかり うらにこないでうらがへいくは とぼけしやんすなあめりかさんへ わたしゃおまへにしんからほれぬ うはべばかりじやみな紙ぐそく うそしやごんせん本牧へんへ 三度来たならいちどはあげて にどはいけんでかへしてやるが 鉄砲見世かや三日月長屋 つぼね長屋の戸じまりもなく のろけいたしたあのあめりかを かへすしゆく場の手とりの女郎衆 やんれい

 ──瓦版唄、安政二年頃流行、『やむれぶし 唐人くどき』上

[メモ] 外国船の来航にちなんで、こうした低級な麁本でもよく売れた。当時の日本人の毛唐人攻撃は異国人畏怖に対する裏返し心情そのものを表していた。ただ、この頃すでに「アメリカ合衆国」の語が用いられているのは注目に値する。

 

YOU TUBE

 

黒船祭 *横浜Fマリノスの応援総踊り

 

原発反対歌 げんぱつはんたいか

【例歌】

ズットウソだった      斎藤和義詞

♪この国を歩けば、原発が54

教科書もCMも言ってたよ

「安全です」

俺たちをだまして 言い訳は

「想定外」

懐かしいあの空 くすぐったい黒い雨

ずっとウソだったんだぜ

やっぱ バレてしまったな

ほんと ウソだったんだぜ

「原子力は安全です」

ずっとウソだったんだぜ

ホウレンソウくいてえな

ずっとウソだったんだぜ

気づいてたろ この事態

風に舞う放射能は もう止められない

何人が被曝すれば 気が付いてくれるの?

この国の政府

この街を離れて うまい水みつけたかい?

教えてよ!

やっぱいいや…もう

どこにも逃げ場はない

ずっとクソだったんだぜ

東電も 北電も 中電も 九電も

もう夢ばかりみてないけど

ずっとクソだったんだぜ

それでも続ける気だ

ほんと クソだったんだぜ

何かがしたい この気持ち

ずっとウソだったんだぜ

ほんと クソだったんだぜ

──フォークソング、「ずっと好きだった」替え

 

YOU TUBE

 

おおチェルノブイリ *内田ボブ

原発しぐれ替え 

原発ショー歌 *もうすぐアウトですねぇ(キャンディーズの「春一番」の替え

歌)

原発葬送歌 

原発のいらない子供たち(替歌)

ずっとウソだった 

空が落ちてくる

 京電力 原発賛美歌

東電に入ろう *「倒電に廃炉」の副題

反原発REMIX 

プルトニウムの場合 *「フランシーヌの場合」替え

虚しいよ

メルトダウン *「値上げ」替え

若狭の海 *姫野洋三

 

工事唄 こうじうた

往時、土木工事のさい労働者がうたった作業歌。

大規模な工事現場では人夫相手の物売りや接客醜業が盛んになる。流行唄が成り立つ地盤は十分にあった。巷間にも溶け込み、工事の背景が知れる貴重史料となっているものが多い。

 卑猥な「ヨイトマケの唄」を唱和しながら作業するオバチャン土方。終戦後の風景

【例歌】

YOU TUBE

おいとこ節 おいとこぶし 

おえとこそうだの、紺の暖簾(のれん)に伊勢屋と書いたんの、おんめ女郎は十代伝はり、粉屋の娘だんよ、あの子よい子だあの子と添ふなら三年三(つき)裸体(はだか)薔薇(ばら)背負(しよ)ひましよ、水も汲みましよ、お米も研ぎましよ、なるたけ朝起き、(のぼ)る東海道は五十と三つぎ、粉箱(こなばこ)つこらさと、(かつ)いでほい、歩かにやなるまい、おえとこ其処(そこ)退()けたんの。

──俗謡、天保年間流行、『はやり唄変遷史』

[メモ] 印旛沼(千葉県北部)の開鑿工事で労働者らがうたったはやり唄。現代でも唖蝉坊作詞の「新おいとこ節」が音楽サイトで聞くことができる。

台場小唄 だいばこうた  

死んでしまおか 御台場ゆこか 死ぬにやましだよ 御台場の土こね

お台場の 槌かたげ 先で飯食って 二百と五十 死ぬよか 嬉しいぞよ こいつあまた有難てえ

──俗謡、嘉永六年頃流行、『日本近代歌謡史』上

 [メモ] 死んだほうがまし、というほどの重労働であった台場人足(作業員)の日当が二百五十文であったことが知れる

京の四季替え みやこのしき/かえ

〽ほるは砂、(にな)ひにごんせ東川、人かあわてるよなおりやう、だらだらと老も若きも諸共に、荷ふ足下(あしもと)優しげに、祗園遊女の賑はしく、いそいそかくは嬉しげに、河原に続く遊女達、よいよいよいよいよいやさあ。

──替歌、安政三年頃流行、『明治流行歌史』

[メモ] 天保流行「京の四季」が元唄。安政三年、加茂川の増水に備え川の改修工事が行われた。これには洛中洛外から一軒一人ずつ労役に狩り出され、川筋は人で賑わう。そのおりに出た浚え砂を運んだときうたわれたという。

淀の川瀬替え よどのかわせ

淀の(つつみ)へナア、下知(げち)して筒を引いて放つやら、薩長土に、慶喜会津桑まけいくさ、逃ぐる不兵(ぶへう)がみなうたれたに、ここで台場に筒先揃へて、どつとふじうつ藤堂のとん智、どうしても逃さぬと前後まく、どんどんどんどん、どんどんどんどんどゝどゝんどう

──替歌、慶応四年頃流行、『淀の川瀬かへうた』

[メモ] 囃詞が叙景にうまく調和している。

 

YOU TUBE

 

南部俵積み唄

 

鉱夫節 こうふぶし

鉱夫らが鉱山で働くとき口ずさむ労作歌等。例歌のように一般化した俗謡もある。どの唄も過酷な作業への恨みつらみを表している。

【例歌】

佐渡の金山 さどのかなやま  

佐渡の金山

この世の地獄

いとし殿御は身を沈む

佐渡の金山

この世の地獄

登る梯子(はしご)はつるぎ山

二度と来まいぞ

金山地獄

来れば帰れる当てもない

一に叩かれ

二に縛られて

三に佐渡の山へ水かえに

大工商売

 乞食に劣る

 乞食や夜ねて昼かせぐ

──俗謡、近代成、伝承民衆歌

[メモ] ここでいう「大工商売」とは鉱夫稼業をさす。

 佐渡金山のジオラマ

 

YOU TUBE

 

撰鑛場おけさ

 

故事唄 こじうた

著名な故事来歴を唄に仕立てたもの。

故事は多くの人が知っているような有名なものに限る。物語唄なども含めるとおびただしい数になる。

【例歌】

さんしよえ節 さんしよえぶし  

♪お前死んでもノウヤコロリンシヤン、墓へはやらぬ、サンコロリントサンシヨエ、焼いて粉にしてノウヤコロリンシヤン、ヤレ酒で飲む、サンコロリントサンシヨエ

──俗謡、明治四年頃流行、『明治流行歌史』

[メモ] 江戸初期、京都の豪商灰屋紹益は女房にした吉野太夫が亡くなると、悲嘆のあまり、その骨を粉にし酒とともに飲んだ、という故事にちなんで。

ぞめき 

ぞめきにごんせ島原へ 小野の道風ぢやあるまいし (かわず)に柳を見て帰る。

──騒ぎ唄、幕末流行、『端唄大全』

[メモ] 小野道風が柳に飛びつく蛙を見て努力の大切さを悟り、一念発起してついに三筆の一人になった、という故事に由来。さあ、島原で遊興(ぞめき)なさい、と誘われたものの、懐具合が心配になり、端女郎すら買わず(かわず=蛙との音通)に帰る仕儀を自嘲した小唄である。気の利いた洒落を効かせて妙。

 

YOU TUBE

 

恨みは深し通州城 *奥田英子

祇園物語 *近江俊郎

霧の川中島 *杉良太郎

長崎の鐘 *被爆体験をつづった永井隆博士のベストセラーから生れた歌謡

ニコライの鐘 *東京都千代田区感だ駿河台に建つニコライ堂をモデルに作られた歌 

仁吉男の歌 *美ち奴

身代り警備 *美ち奴

 

時局歌謡 じきょくかよう

不安定な世情において、その時々の世のありさまや局面などをうたった歌謡。戦時下のものが圧倒的に多く、これを〈戦時歌謡〉とも呼んでいる。

当然、〈時事歌謡〉に比べ若干抽象的、社会批判的な内容になりがちである。

【例歌】

俗謡〔雑載〕 ぞくよう

〽藤は虫喰ふおいもは腐る、萩はどうやらかれかゝる。

〽何事もおゝせそむかぬ菊の紋、おしやるとふりさよ〳〵の御代。

〽しぶかろとおもふにあまい公方(くばう)(がき)、甘いとおもふとしぶい御所(ごしよ)(がき)

〽土佐はよい国南をさいて、薩摩嵐がそよ〳〵と。

(ほん)の御太刀はいらないものよ、どうで壌位は出来やせぬ。

──流行唄、文久三年頃流行、『はやり唄変遷史』

[メモ] 幕末の激動する戯れ世情を戯れぎみにうたっている。

流行どど一 りゅうこうどどいつ

(ふく)や文久さがるや相場、末にや諸色(しよしき)のなんとなる。

屋舗(みせ)はつまるし(あきな)ひは(ひま)で、高い地代のあてがない。

〽かわいさうだよ異人に蹴られ、聞けば理屈もないさうだ。

〽武家は半高取らるゝ中に、異人ばかりは普請する。

──落書唄、文久頃流行、『はやり唄変遷史』

松づくしかへうた まつづくしかえうた

譜代旗本大迷惑、一本橋(ぽんばし)は将軍辞退して、日本政事をかへします、三藩さまを憎みまして、四藩らとしめしあひ、御所(ごしよ)(だま)して浪花(なには)へ下る、無理に謀叛(むほん)(たく)みしは、おのれの悪事やその身の(はて)、日の丸の旗を押したて走せ来る軍兵(ぐんぴよう)は、はやりをの、九重みやこ襲はんとて、鳥羽でとりあひ敗軍す、此敵は、ふてきな奴にて、なさけどころか焼きたてて、苦しみ逃げる会津の馬鹿、又いていてる朝敵退治、日の旗、(とき)の声、くもやみに、連中の奴は散り散り逃げて、(ふく)(だい)とくの分捕(ぶんどり)を見ました

──替歌、慶応四年頃流行、『松づくしかへうた』

たのむ節 たのむぶし  

♪梅が枝の 手水鉢 たゝいてお金が出るならば もしやお金が出た時は、そのときや身請を そうれたのむ(元唄)

♪亜米利加のワシントン 戦い起こして勝つならば もしもや勝つたる其時は、其時や独立 そうれたのむ

♪青柳の風の糸 結んで縁になるならば 若しも縁になるならば 其時や 情けを其れ頼む

♪成金の紳士共 芸者(ねこ)娼妓(きつね)に騒がれて 尻毛抜かれ鼻毛まで 眉毛に 唾をば其れ頼む

──歌、明治十一年頃流行『日本近代歌謡史』上

[メモ] 本唄の作者は仮名垣魯文との説もある。

 YOU TUBE

演歌師の添田唖蝉坊ソレたのむ節(替え唄)土取利行が弾き語り 

賛成節 さんせいぶし

♪さつさ、大賛成賛成賛成賛成じや、こりやお坐つき二上り三上り賛成〳〵じや、こりや(かつ)ぽれ端唄にうかれぶし賛成〳〵じや、こりやどんどこどんどこ大陽気賛成〳〵賛成じや、こりや大尽気どりの(さと)遊び賛成〳〵賛成じや、こりやおもしろかろやつて見な、賛成〳〵賛成じや、こりやお金があつたらやつて見よ、賛成〳〵賛成じや。

──俗謡、明治二十三年頃流行、『はやり唄変遷史』

[メモ] 明治二十二年の国会開設および翌年の憲法発布について賛成の態度を表したのかと思いきや、悪乗りにつぐワルノリである。おおらかで面白楽しいい時代であった、明治という時代は。

 

YOU TUBE

 

希望の海 *小畑  

陥したぞシンガポール *霧島 昇

これが日本というものか *榎本 健一

三国一の君じゃもの *二葉あき子

大政翼賛の歌 *公募当選歌

動員令 

隣 組 

なんだ空襲

のぼる朝日に照る月に *松原 操

満州帝国国歌

みんな揃って翼賛だ *霧島昇ほか 

蒙彊節 *赤坂小梅

 

事件歌謡 じけんかよう

際物(きわもの)〉とも。時代の大きな事件を扱った歌謡。近代では高橋お伝物、男三郎物(例歌)、鬼夫婦物などが知られている。

【例歌】

三人娘入水心中〔流行拳替え〕

さても神田の稲荷川岸。

 女の身なげを引て来た。

 見物どろどろ山ほどだ。

 川から上がります。

 だんだん尋ねりゃ三人だ。

 男は番屋ニ縛られて。

 親達アなくなくてこずりてん。

 気違ひでサアきなせ。

〽さつきはじめの。いろ死は。

 そこらひこひこ。みだりニて。

 あそびぬらぬら。

 なまけ男とまいりやしょ。

 なんじゃかじゃかじゃか。わからない。

 とまりあるいてしかられヨウ。

 娘はほうほう。手に手を取。

 身なげとサアきなせ。

──瓦版唄、弘化四年三人娘身投げ事件

[メモ] 事件の内容をお伝えしよう。

『藤岡屋日記』うち「弘化四丁未年五月十日、三人娘身投」の項を現代語訳で披露する。

荻生待ち也編著・おぎぶん工房刊CDブック『大江戸おどろおどろ譚』、第三七話「三人娘が心中の真相、霧の中」より

第三七話  三人娘が心中の真相、霧の中     

──弘化四(1847)年五月十日、第十九より

三人娘心中の一件/検死の調書は左記の通り。

水死 新和泉町南側、又兵衛店、久助の娘 よね 十八歳/水死 神田鍛冶町一丁目家主市右衛門の娘 ひさ 十九歳/水死 同所同町二丁目、喜兵衛店、安兵衛の娘 ちか 十八歳

この三人は五月五日正午ころ行動を共にし、両国から浅草へと足を伸ばしたまま帰宅しません。(*だれが?主語不明)心当たりを調べているうち、昨九日、永代橋際に女子(*三人の)水死体が見つかったとの噂を聞き込み、もしやと思い駆けつけてみたところ、本人たちに違いないと確認されました。

三人は無理心中したもので、腰紐を用いて互いの腕を縛りあい、投身したものと見えます。どの場所で入水したかは不明です。(*その後に判明したところでは)昨夜、霊岸島の向井将監様御番所前の(いかり)(づな)に、この三人の死体が漂着したのを見つけ、(*だれが?主語不明)ただちに柳原岩井町地先の柳原土手、いわゆる稲荷川岸へと(*船で引いて?)移動させたそうでございます。詳細は追って御報告することにいたします。

(原本の挿絵)

  本石町二丁目定吉店、利兵衛方に同居 儀兵衛 二十四歳(三人の娘を手玉に取った情夫(まぶ))

儀兵衛は本町一丁目伊豆蔵の通い番頭・某の忰で、普段から女や娘たちの家に入り浸っていました。新和泉町久助は酒屋、鍛冶町一丁目の市右衛門は八百屋で、両家は親類関係にあります。儀兵衛は幼名を定吉といい、両家に出入りして酒を振舞われたり、娘たちを芝居見物に連れ出すなどして、三夜交替で泊り込むこともたびたびだったといいます。

今月五月五日、儀兵衛はよねひさを連れて両国から浅草へと出かけました。鍛冶町二丁目の安兵衛娘のちかは、向島の町年寄・喜多村彦右衛門隠居方に奉公しています。友達で近くに居ることから、儀兵衛と二人の娘に誘われ、四人で猿若町へ出向いて芝居見物、その夜は宵のうち各人の家に帰りました。

翌六日昼ころ、儀兵衛は鍛冶町の市右衛門宅へ行きますと、ひさは先ほど外へ遊びに出たとのこと。次に新和泉町の久助方を訪れましたがよねも外出で留守。そこへ一人の男が訪れ、手紙を差し出しながら、「じつは私、鍛冶町の市右衛門様を訪れましたところ、(*儀兵衛さんが)こちらにお越しと伺いました。市右衛門様は追いかけてみたら、と申されました。詳しいことはこの手紙に」とのこと。手紙は儀兵衛あてによね・ひさ・ちか三名の連名で出したもので、文面には「亀井戸吾妻森手前の塩橋の茶屋でお待ち申しています。どうかこの方と一緒にお越しください」とあります。儀兵衛はこれを急助にも見せ、「ちょっと遠いですし、あいにく雨も降り出したので、勘弁させててもらいます」と気がのりません。聞いて久助、「私は今日支払いなどに追われ迎えに行けません。あんた、駕籠で行ってくださらんか」といって、駕籠を用意。儀兵衛もやむをえないことと、男と一緒に駕籠に乗って出かけました。

塩橋の茶屋では三人の娘が待ち構えていました。よねひさは向島でちかと合流し、連れ立ってやってきました。それから四人で、飲めや歌えやの騒ぎが始まります。酔いも回ってきて、当夜は茶屋に泊まることに。翌朝、いつまでも居続けられないと、十時ころ茶屋を出て四人こんどは屋形船に乗り込んでの遊興です。七日夕刻には両国に船を着け、船宿で酒食に時を過しました。その晩どこに泊ったかは不明です。

八日夕方には、灘波町の千代本という手打ちそば屋兼料理屋の座敷へ上り、ここでも酒食をしています。ここで儀兵衛、「二、三日続けてだから遊び疲れたろう。もうお開きにして自分の家に帰りなさい。それにしてもいきなりは帰りづらかろう。ここは私がみんなの親御さんを巡り歩いて言い含めておきますから、戻るまで三人でここに居なさい」と伝えます。

そう言い残して儀兵衛、久助と市右衛門宅を訪れ事の次第を話しました。両家では儀兵衛が娘たちを連れて遊び歩くのにもう慣れていましたから、そのまま放っておきました。安兵衛宅では、「ちかが出たまま戻らないので私らは心配し、久助さん、市右衛門さんそれぞれに様子をうかがったところ、もう慣れっこだから、と落ち着いたもの。これは馴れ合いで平静を装っているな、と感じ、私としては訴え出るところだった」とのこと。そこへ儀兵衛が現れたわけで、その場で身柄を拘束されてしまいました。

安兵衛はさっそく難波町のそば屋へ駆けつけましたが、三人の姿が見えません。それから三軒とも大騒ぎになり、親類・長屋・近所の者が動員され手分けして行方を追っていた折もおり、永代橋下の女たちの水死の噂が耳に入った。現地でよね・ちか・ひさの三人に違いないことが確認されます。互いの体を腰紐で結び合わせ、離ればなれにならないようにし、片手を握り合っている。三人は相談のうえでの無理心中と断定されました。検視のさい、互に組んだ手が離れなかったそうで、なんとも不思議なことです。動機については、

一、関係者の推定によると、三人の娘各人が儀兵衛の女房になる心づもりでいたが、誰一人として女房にはなれる義理合いにないことがわかり、相談のうえ入水を図った、などなど。

一、後日、六月上旬の評判では、三人それぞれが強姦されたうえ殺されたのだ、と取沙汰されている。

 後者の説だと、船頭のほかに一二人の男示し合わせて、船に連れ出し輪姦した、としている。そのとき、娘の一人が大声で泣き叫んだため手拭いで口をふさぐと、息を止め気絶してしまった。残る二人も後難をおそれ助けるわけにはいかず、一緒に殺してしまった。解いた帯は値打ちものだったので売り払ったところ、(*どの?)娘の親がこの帯を古着屋で発見し、それを手がかりに犯人一人を逮捕したら白状したので、六人まで捕らえることができ、残る六人は捜索中とのことです。

また、浅草広小路の()(めし)茶屋で酒飲みたちが話していたことに、三人の身投げは女ばかりで、男っ気がなくつまらない、と軽口を叩きました。すると脇から足軽体の男が口を出し、「あれは身投げなんかじゃないぜ」と余計なことを洩らしまいます。傍で聞いていた人が密告し、足軽はただちに捕らえられ、強姦したことを追及されました。この男も連中に加わっていたことを白状したので入牢になったと。ほかにも似たような噂が出ています。

補注

●事件の真相は示されていないが、克明な内容から一件は事実であろう。かわら板などでも報じられたにちがいない。

夜半の追憶 よわのついおく       天竺浪人詞

楽しき春

嗚呼(ああ)世は夢か幻か

獄舎(ごくや)に独り思ひ寝の

夢より覚めて見廻せば

四辺(あたり)静に夜は更けて

月影淡く窓に差す

♪ああこの月の澄む影は

露いと(しげ)き青山に

静に眠る兄君の

その墳墓(おくつき)を照すらん

又世を忍び身を忍び

夜を終夜(よもすがら)泣き明かす

愛しき妻の袂にも

同じき影は宿るらん

ああ夢なりき夢なりき(後略)

──流行唄、明治三十九年頃流行、『明治流行歌史』

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[メモ] 別題「男三郎の歌(塩原秩峰唄、1917年頃の録音)といい当時、武林男三郎という男が犯した殺人事件を扱った有名な唄である。かなり長いので冒頭部を抄出した。

 

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ノルマントン号沈没の歌 *田谷力三

復讐の歌 *土取利行(唄・演奏)

 

時事歌謡 じじかよう

その当時に生じた風俗や事件などを批判的な目で扱った歌謡。時局歌謡とは似て非な内容である。

【例歌】

まろまろ節 まろまろぶし

♪神戸居留地に 髯の異人さんと 日本の別嬪さんと仲もまんまる眺めよい月 憲法発布で 交際しようかね、まろまろ

♪松島廓に 勇みの若い衆と 数多の別嬪さんと 仲もまんまる眺めよい月 憲法発布で 交際しようかね まろまろ

──流行唄、明治二十二年頃流行、『日本近代歌謡史』上

 

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かえり *復員輸送艦をモデルに

東雲節 しののめぶし

別名を〈ストライキ節〉とも。

明治も三十年代に入ると、日清戦争で勝利は得たものの膨大な戦費が国民生活を圧迫、労働者の多くは生活苦にあえいでいた。各地の工場では「同盟罷工」つまりストライキが続発し、重大な社会問題になった。こんな世情から生まれたのが〈東雲節〉である。それにしてもこの歌の詞は、どこか投げやりでスキャンダラスな感じだ。娼妓のストライキという前代未聞の事件また奇なりで、歌は全国的に愛唱され、小学生まで口ずさんだという。

東雲節の起源は二説ある。一つ、名古屋某楼の源氏名を東雲と称した女郎に、教会の外人宣教師がバックアップして廃娼運動を展開、裁判で勝訴した、という説。二つ、熊本は二本木遊廓にある東雲楼で、娼妓らが待遇改善を要求、実際にストを起こした、とする説。いずれにせよ、いったん廃娼し故郷に帰っても、手に職のない娼婦たちはたちまち生活に行き詰まり、またぞろ売笑の身に戻ってしまうケースが多かったそうである。

 うめ吉唄う『東雲節』も収録〔モバイルコロムビアのジャケット〕 

【例歌】

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東雲節 しののめぶし          西川たつ唄

何をくよ〳〵川端柳、コガルヽナントシヨ、水の流れを見てくらす、東雲のストライキ、さりとはつらいねつてなことおつしやいましたね。

蒸気は出てゆく煙は残る、コガルヽ何トシヨ、残る煙が癪の種、東雲のストライキ、さりとはつらいねつてなことおつしやいましたね。

色にそまるももとはと云へば、コガルヽ何トシヨ、浅い心の絵具皿、東雲のストライキ、さりとはつらいねつてなことおつしやいましたね。

口で云はれぬ人目もあれば、ワカレハ何トシヨ、あごで知らせて目で返事、東雲の明鴉、さりとはつらいねつてなことおつしやいましたね。

鐘が辛いか帰るが厭か、コガルヽ何トシヨ、帰る〳〵の声がいや、東雲のストライキ、さりとは辛いねつてなことおつしやいましたね。(以下、やや年代下がり)

主にや苦労を舌切雀、コガルヽ何トシヨ、糊をなめても添ふつもり、東雲のストライキ、さりとはつらいねつてなことおつしやいましたね。

羽織着せかけ袂を控へ、別れが何トシヨ、憎や夜明の鐘がなる、東雲の明鴉、さりとは辛いねつてなことおつしやいましたね。

未練のこして見送る主を、コガルヽ何トシヨ、憎や隠した曲り角、東雲のストライキ、さりとは辛いねつてなこと仰有いましたね

お前一人と定めておいて、コガルヽ何トシヨ、浮気や其の日の出来心、東雲のストライキ、さりとは辛いねつてなことおつしやいましたね。

──東雲節雑載、明治三十三・四年頃流行、『明治年間流行唄』

よかたん節 よかたんぶし

♪何をくよ〳〵川端柳、よかたん、水の流れを見てくらす、ありやよかたん、いはでも知つちよる。

♪時世時節とあきらめしやんせ、よかたん、牡丹もこも着て冬ごもり、ありやよかたん、云はでも知つちよる。

──模倣唄、明治三十三・四年頃『明治年間流行歌』

不実あきれるね節 ふじつあきれるねぶし

♪なにをくよくよ川ばた柳 水のながるを見てくらす 不実だねー あきれるねー

♪オヤに師ふた五本の指を きつてあげますつめばかり 不実だねー あきれるねー

♪をまい一人と定めておいて 浮気其の日の出来心 をのろけねー あきれるねー

♪念を入れては濃くする炭も おちるなみだにうすくなる をのろけかー  あきれるねー

♪生みの親にもいはない胸を 神に明してとるみくじ をのろけかー  あきれるねー

♪いたこ出島の真菰の中に やめさくとはしほらしや 不実だねー あきれるねー

──模倣唄、明治三十三・四年頃作、『新作流行歌』

[メモ] これら模倣唄や類歌が氾濫し、この唄の人気ぶりを物語っている。

 

社会戯評歌 しゃかいぎひょうか

世の中の矛盾や不条理を社会戯評的にとらえ批判した歌謡。

形こそちがえ、いつの世にも不満をぶつける対象として旺盛に作られている。書生節や演歌はこれの宝庫といえよう。

 

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NHKに捧げる歌 *岡林信康

解放節 *土取利行(唄・演奏)

くそくらえ節 *岡林信康

自由への長い旅 *岡林信康・泉谷しげる

昭和ノンキ節 *土取利行(唄・演奏)

新馬鹿の唄 *土取利行(唄・演奏)

チリップチャラップ節 *土取利行(唄・演奏)

バスト占いのうた *借曲オリジナル

豆粕ソング *土取利行(唄・演奏)

 明治時代の風俗は「社会戯評歌」格好の材料になった

【例歌】

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あきらめ節 あきらめぶし        高田渡唄

添田唖蝉坊詞

地主金持ちはわがままで、役人なんぞは威張るもの、こんな浮世へ生れて来たが、我身の不運とあきらめる。

お前この世へ何しに来たか、税や利息を払ふため、こんな浮世へ生まれて来たが、我身の不運とあきらめる。

苦しからうが又つらかろが、義務をはたさにやならぬもの、権利なんぞを欲しがることは、出来ぬものだとあきらめる。

──演歌、明治三十八発表、『明治流行歌史』

[メモ] 次の大正期における厭世思想を予見するような、なんとも捨て鉢な詞である。

すつぱぬき       大阪青年倶楽部詞

分つたりしてすましても、矢張分らぬ事斗り、人はどうして生れ来て、どうして死ぬのが分るまい

鳥と玉子をならべたら、どつちが先だか分るまい、玉子の中から鳥は出た、玉子は鳥から生れ出た

其鳥や卵の中からで、玉子は鶏の生んだ物、その鳥や玉子で其玉子、鳥から出たのじやないかいな

博士の頭を並べても学者の脳味噌絞つても、どつちが先だか分るまい、それでも学者で通るかい

嗚呼驚いた〳〵、ガマ口拾ふて喜んで、駆け出す後からかけ出して、おいこら一寸待て一寸見せろ

其又後から駆出して、こら〳〵一寸待て一寸よこせ、又々後から駆出して、そいつは俺のだこつちよこせ

たつた一つのがま口に、そんなにぞろ〴〵尾て来て、俺だ〳〵と奪ひ合い、といつた本当が分るまい

──演歌、大正三年流行、『社会百面 素破抜(すつぱぬき)

新にこにこ節 しんにこにこぶし

主の遊びはお附合、ネーあなた、悋気せまいと堪えても、どつこい、角が出る、愚痴が出る

お前とならば何処までも、ネーあなた、西比利亜越えて、どつこい、仏蘭西へ、二人連れ

雪も厭はず赤穂義士、ネーあなた、大石良雄がさし図して、どつこい、勇ましやアラ勇ましや

国の為めなら往かしやんせ、ネーあなた、妾しや泣きはせぬ、止めはせぬ、どつこい、祈ります、お手柄を

米が高くも我慢する、ネーあなた、我慢できない(わし)が帯、どつこい、四月(よつき)だよ、流れ月

主をまち〳〵蚊屋の外、一寸とお聞き、十時の時計の鳴るまでも、どつこい、蚊に喰はれ蚊に刺され

別れ惜しさに階子段、一寸と下りて、コヽは角海老鶴尾さん、どつこい、彼の顔で舌を出す

一度は気休め二度は嘘、ネーあなた、三度のよもやに欺されて、どつこい、此苦労、阿呆らしや

(たぶさ)取る手に縋りつき、ネーあなた、打たずに理由(わけ)をば言はしやんせ、どつこい、思ひ出す客の時

物価騰貴と云ひながら、驚いた、七分三分の外米に、どつこい、腹が減る、腹が立つ

──流行節、大正七年頃流行、『最新流行 新ニコ〳〵節』

 

自由の歌 じゆうのうた

自由主義の素晴らしさを謳歌した明治十二年流行の歌曲。

明治十年代に入ると、人々の間に自由民権思想が芽生え、その潮流はたちまち日本全国を席巻するようになる。とくにフランスの急進思想は政治に文化に急速に影響し始めて、是非未消化のまま兄れられた。

 後に衆議院議員になる小室重弘(屈山)作の新体詞「自由の歌」は、時代がめざすべき理想的思想の象徴として国民に歓迎され、節づけされた唱歌は巷間で広く愛唱された。

【例歌】

自由の歌 じゆうのうた         小室屈山詞

天には自由の鬼となり

 自由よ自由やよ自由

天地自然の約束ぞ

此世の有らん限りまで

いかにぞ仇に破るべき

月に村雲花に風

話せば長い事ながら

其人民を自由にし

数多の人のうき苦労

我権勢を張らんとて

企てたりしセーサルは

議員の中に殺されたり

民を奴隷になさんより

我の羅馬を愛するは

羅馬の民の望みなら

捨つる命はいと易し

自由を圧制なさんとて

邪道はいかに正道に

民の怒りは火の如く

岩をも砕く勢ひに

こがねをかざす冠は

あわれ果敢なくなりけるは

地には自由の人たらん

汝と我れが其中は

千代も八千代も末かけて

二人が中の約束を

さは去り乍ら世の中は

まゝにならぬは人の身ぞ

古し羅馬の国と聞く

共和の政治を立てんため

それをも知らで欲のため

再び帝位に昇らんと

其親友の手にかかり

其親友のいふことに

寧ろセサルを殺さばや

親友よりも甚し

我身も茲に諸共に

仏蘭西国のルイス帝

種々に手段を廻せど

打ち勝つことのあるべきぞ

又洪水の溢れ来て

いと畏くも帝王の

断頭機械の上に落ち

誰を怨みん圧制の

自業自得といふべけれ

同じ車の一つ(みち)

 コロンウエルが手に持ちし

天をも回らすばかりにて

自由の基を立てたりき

もと英国の民なれど

自由の人になりたさに

深山荊棘はまた愚か

あを海原を打ち渡り

殖民なせし心根は

然るに猶も英吉利の

暴君汚吏の圧制に

義兵を挙ぐると聞からに

死ぬる覚悟で七年の

遂に敵をば追ひ払ひ

ワシントンの名に負へる

国のほまれや勇ましゝ

自由の為には昔より

亦死に別れするものを

土地にかわりはあるなれど 

人の自由といふものは

つとめよ励め諸人よ

余此文を書きをはる

眠りをさます鐘の音の

英吉利国の革命も

昨日の王は今日の賊

自由の旗の招きには

チヤーレス王を誅殺し

北亜米利加の合衆国

其発端を尋ぬれば

故郷の名残に気を止めず

人のふみてしこともなき 

見も知りもせぬ亜米利加へ

いかにあわれに思ふらめ

ほだしの綱は離られず

詰り詰りて国の為め

我後れじと親も子も

長の日月の攻め守り

目出度立てし独立国

都と友に栄へゆく

嗚呼彼と云ひこれと云ひ

数多の人の生き別れ

我東洋の人じやとて

などか心に変るべき

天然自然の道なるぞ

卑屈の民と云はるゝな

時しも春の夢枕

いともさやかに聞えける

──啓蒙歌謡、明治十二年発表、『明治文化全集』第二巻・自由民権篇

 安藤国之助「自由の歌」の歌詞  川上音二郎が「オッペケペ節」でうたった

 

職業歌 しょくぎょうか

【例歌】

男船乗り          樋口靖雄詞

♪泣いたからとて なんになる

 男船乗りゃ 泣かぬもの

 明日は船出だ おさらばだ

 俺の御宿は 波の上

♪別れ辛けりゃ 泣くがよい

 暗い波止場の 雨の中

 思い直して 身の上を

 語り明かそか しみじみと

♪好きになったら それもよい

 今度また来て 逢う日まで

 男船乗りゃ 朗らかに

 月のマストで 唄うのさ

──流行歌、昭和十四年発表

 

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ああ踏切番 *土取利行(唄・三味線)

俺ら炭鉱夫 *三橋美智也

踊り子の唄 *四家文子

おやじの海 *木村賢吉

俺は船乗り *田端義夫(カバー)

女旅役者の唄 *神楽坂はん子

職業婦人の歌 *土取利行(唄・三味線)

東京のバスガール *コロムビアローズ

僕は特急の機関士で *トリオ合唱

僕は流しの運転手 *青木光一

め組のひと *鈴木雅之

役 者 *ちあきなおみ

漁 歌 *島津亜矢

 

殖産の唄 しょくさんのうた

財産作りの望みを託した唄。

この類はあまり見かけない珍歌に入る。

【例歌】

金のなる木節〔鹿児島県〕 かねのなるきぶし

金のなる木を一本ほしし。植ゑて、ヨイ〳〵、育てて様にあげう。

屋久(やく)御岳(おたけ)をおろかにや思ふな。(かね)の、ヨイ〳〵、蔵より(なほ)(たから)

──本調子端歌、近代に採録、、『俚謡集拾遺』

 

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金々節 土取利行(唄・三味線)

 

女工唄 じょこううた

近代、紡績工場を中心とした女子労働者の過酷な労働に伴う悲哀をつづった唄。

これまで女工哀史などに用いられ、実態が広く知られている。

 女工唄や哀史も生んだ世界遺産の富岡製糸場

【例歌】

女工小唄 じよこうこうた   

♪籠の鳥より監獄よりも

寄宿ずまいはなおつらい

工場は地獄よ主任が鬼で

廻る運転火の車

糸は切れ役わしゃつなぎ役

そばの部長さんにらみ役

♪定則出来なきゃ組長さんの

いやなお顔も見にゃならぬ

和しはいにますあの家さして

いやな煙突あとに見て

偉そうにするなお前もわしも

同じ会社の金もらう

♪世話婦世話婦といばっておれど

本を糺せば柿のたね

此処をぬけ出す翼がほしや

せめてむこうの陸までも

主任部長と威張っておれど

工務の前にゃ頭ない

♪男工串にさして五つが五厘

女工一人が二十五銭

男もつならインヂか丸場

桝目男は金がない

会社男工の寝言を聞けば

はやく勘定来い金がない

♪主と私はリングの糸よ

つなぎやすいが切れやすい

主と私は二十手の糸よ

つなぎやすいが切れやすい

余所(よそ)の会社は仏か神か

ここの会社は鬼か蛇か

♪ここの会社は女郎屋と同じ

顔で飯喰う女郎ばかり

親のない子は泣き泣き育つ

親は草葉の陰でなく

うちさ行きたいあの山越えて

行けば妹もある親もある

♪会社づとめは監獄づとめ

金の鎖が無いばかり

男工なにする機械のかげで

破れたシャツの虱とる

女工々々と軽蔑するな

女工は会社の千両箱

紡績職工が人間なれば

電信柱に花が咲く

──労働歌、大正十四年流行、『日本民衆詩集』

生糸取歌〔長野県〕 きいととりうた

♪糸はとれども気はさむらひよ、みんな皇国の為ぢやもの。

♪諏訪の工場の煙突高い、中の工女の気も高い。

♪心がけさにとどいてをれば、たとへ糸繰る工女でも。

♪心がらかよわが土地棄てゝ、知らぬ他国にこの苦労。

♪わしの口紅湖水におとしや、天竜流れて浜松へ。

♪大和や高木や富部をこえて、歌ようて来ませよ下の諏訪。

♪どうせこの身は天竜の河の、魚の餌食となるわいな。(諏訪郡)

──労働歌、近代に採録、『俚謡集拾遺』

 

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生くる屍(女工哀歌) *土取利行(編曲・唄・演奏)

女工節 *伊波はづき&村吉茜

根室女工節 *高江久美子

 

震災復興歌 しんさいふっこうか

関東大震災のあとに作られた復興の様子を描いた歌謡。大正激震猛火の新体詞〉とは姉妹唄の関係にある。

【例歌】

復興節  ふつこうぶし  土取利行(唄・三味線・太鼓)

詞は複数演歌師の混成作

♪家は焼けても江戸っ子の 意気は消えないす晴らしや アラマ オヤマ

忽ち建ち並んだバラツクに 夜は寝ながら、お月様眺めて、エーゾエーゾ帝都復興、エーゾ

♪かかあが亭主に言うよふは お前さんしつかりしておくれ アラマ オヤマ

 今川焼きさへ復興焼と 改名してるじやないかお前さんもしつかりして エーゾ〳〵 亭主復興 エーゾ〳〵

♪学校へ行くにもお供をつれた お嬢さんがゆであづきを開業し アラマ オヤマ

 はづかし相に差し出せば お客が恐縮してお辞儀をして受け取る エーゾ〳〵

 帝都復興 エーゾ〳〵

♪ツンとすましてゐた事も 夢と消えたる奥様が アラマ オヤマ

 顔の色さへ真つ黒けのけ 配給米(おこめ)がほしさにおしたりおされたり エーゾ〳〵

  成程こいつは エーゾ〳〵

♪焼け出されても、江戸つ子の、赤い(まぐろ)は忘られぬ、アラマ オヤマ

 飛び込むのれんの屋台店 (しやけ)のおすしで、出るには出られず、エーゾエーゾ、

  (すし)の復興も、エーゾ〳〵

♪バラツク住居の面白さ トタンの屋根の面白さ アラマ オヤマ

 雨が降りやガンガラガンパラ〳〵パチ〳〵と 豆をいるのか千軍万馬の往来か

  ほんとに賑かで エーゾ〳〵

♪バラツク住居も 慣れました 裏の小窓に ひらひらと、アラマ オヤマ

 赤くちらつくものは何 アレは奥様が たつた一枚の エーゾエーゾ

  大事な腰巻 エーゾ〳〵

──演歌、大正十三年流行、『日本近代歌謡史』下

 

復興行進曲 ふつこうこうしんきよく  

東京市政調査会依嘱、北原白秋詞

空にそびゆるビルヂング、

風に()り立つ無電塔、

どこに見らりよか、地震雲、

けふの輝く晴を見ろ。

  復興、復興、復興だ、

  復興、復興、復興だ、

  テムポの速いはもちまへだ。

銀と緑のプラタナス、

ひろい舗道の日の光、

どこに見らりよか、地震雲、

鳴れよ、サイレン、時計塔。

  復興、復興、復興だ、

  復興、復興、復興だ、

  テムポの速いはもちまへだ。

靄にひらひら伝書鳩、

暮れりやながるる電光ニュウス、

どこに見らりよか、地震雲、

ラッシュアワーの気のかるさ。

  復興、復興、復興だ、

  復興、復興、復興だ、

  テムポの速いはもちまへだ。

風は新し屋上旗、

空ははてなし、濃むらさき、

どこに見らりよか、地震雲、

霞め、東京の鳥瞰図。

  復興、復興、復興だ、

  復興、復興、復興だ、

  テムポの速いはもちまへだ。

橋は新式、隅田川、

潮は上げ潮、南風、

どこに見らりよか、地震雲、

月はりやんりやとせりあがる。

  復興、復興、復興だ、

  復興、復興、復興だ、

  テムポの速いはもちまへだ。

赤い起重機、かしの蔵、

水にゆらゆら都鳥、

どこに見らりよか、地震雲、

電気(でんき)地形(ぢぎやう)の音のよさ。

  復興、復興、復興だ、

  復興、復興、復興だ、

  テムポの速いはもちまへだ。

──流行歌、昭和五年頃流行、『日本近代歌謡史』下

 

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大正を拾って 復興節 *桜井敏夫

 

人物戯評唄 じんぶつげひょううた

時の有名人等が失敗を仕出かすと、たちまち此類の歌の標的となる。その声が大きいほど悪評も高い、ということになろう。

【例歌】

道楽寺あほだら経 どうらくじあほだらきよう 

♪ヤレ〳〵〳〵〳〵ちょいとちょんがれ 今度此たび京屋の親父が 江戸見物にと 長さんや土さんクヤ〳〵なんぞと出かけた所が 府中か夢中で女郎衆にはまって どうしようこうしよでゐ続けいつまで やってもいられず ゑいやらやっとで 広いお江戸へ着はつひたが 三日や四日じや見物はすまない 宿屋の亭主をへったらやったらむしゆうに追出し はたごもやらずにゑばっていなさる ヤレ〳〵〳〵〳〵

──門付唄、慶応四年頃流行、『随筆辞典』2(朝倉治彦編に所収)

[メモ] 京屋の親仁=有栖(ありす)(がわ)宮、江戸見物=東征軍、長さん=長州軍、土さん=土佐軍、宿屋の亭主=徳川慶喜●あほだら経は、安永頃に某乞食坊主が門付(かどづけ)で広めた俗謡である。時事風刺を込めた(たわむ)れ文句を、あたかも経を読むかのように口誦した。初期のものは「仏説阿呆陀羅経」といったが、次第に願人坊主や僧形芸人の大道芸・門付芸になる。冠称のほうもおどけて「道楽寺」に付け直された。文化頃に(どん)(りゆう)という説教坊主が巧みな芸を披露し、あほだら経の普及に貢献したという●掲出は、幕末の風雲急を告げる時局を批判した主題になっているが、唱芸者は誰かわからない。メモ冒頭に見るように、人物は見立になっていて、世の中をひっかき回す一部の連中の行動を面白おかしくおちゃらけている。彼ら底辺の芸人達は、失うと困るものなど持っていないから強い。大胆に、言いたいことを言えた●一説によると、浪花節もあほだら経から分岐して出来たという。なお、小沢昭一著『日本の放浪芸』では、今もあほだら経を伝える放浪漫才師が紹介されている。

 道楽寺あほだら経

もろい節 もろいぶし

〽会津殿様田楽()きだ、城の丸焼けほんまにほんまに味噌つけた、ヤツコラセー、コイトモロイ。

──戯笑唄、慶応四年頃流行、『明治流行歌史』

[メモ] 慶応四年九月二十二日、会津落城。漢字で書くと「脆い節」となり、会津藩士等の抵抗は脆い武士として嘲笑の対象に。時の人々が白虎隊の壮烈死に涙するのはかなりあとのことになる。

薩摩拳 さつまけん  

今度騒ぎのおやぢさん、学校生徒をもととして、桐野篠原三人大将でまゐりましよ、じやんじやかじやかじやかじやんけんな、官軍にお鹿が()められた、西郷(さいご)ははうはうとてつる拳、狐でさあきなせえ。

──拳唄、明治四年頃流行、『明治流行歌史』

申し上ます もうしあげます

♪申上ます勝五郎様へ、こゝらあたりは山家ゆへ、紅葉のあるのに、雪が降る、さぞや寒かろまゝ〳〵淋しかろ

♪申上ます敦盛さまへ、御亡骸にすがり付き、コリヤ如何したらよかろうと、玉織姫は身を伏して、わたしも死ぬると、まゝ〳〵泣くわいナ

♪申上ます勝頼様へ、お前の姿を絵にかゝし、皆姫御前の果報ぞと、絵像の側に身を伏して、恋れ〳〵てまゝ〳〵泣くわいナ

──流行唄、明治三十三・四年流行、『日本近代歌謡史』下

チヤカホイ節 ちやかほいぶし

何をぴよこぴよこ川端(かはばた)(ぎよく)(しやう)、金の溜まるを見て暮す、チヤカホイ。

箱は担げどマントは着れず、坊主頭で苦労する、チヤカホイ。

──流行節、明治四十年頃流行、『明治流行歌史』

[メモ] 川端玉章は東京美術学校教授の任にあった高名な日本画家。その豪勢な暮らしぶりが生徒間の評判になりとうとう唄にうたわれた。

 

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歴代首相唱歌2012 ~伊藤から野田まで~

歴代総理のアルプス一万尺

 

ストライキ節 すとらいきぶし

〈東雲節〉の別名。ただし呼称や新歌詞発生が一年ほど遅れているので、姉妹歌といったほうがよかろう。

【例歌】

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ストライキ節 すとらいきぶし       津田耕次唄

自由廃業で廓は出たが、ソレカラナントシヨ、行き場無いので屑拾ひ、ウカレメノストライキ、サリトハツライネツテナコトオツシヤイマシタカネ。

高利貸でも金さへあれば、コリヤマタナントシヨ、多額議員で(でか)(つら)、アイドンノーヂスストライキ、サリトハツライネツテナコトオツシヤイマシタカネ。

高次誤魔化しお金を儲け、コリヤマタナントシヨ、芸者悲歌して膝枕、シユーワイノシリワレテ、サリトハツライネツテナコトオツシヤイマシタカネ。

可哀さうだよ(しろ)腹掛(はらがけ)は、ヱヽナントシヨ、聞けばお上の三日(みつか)法度(ほつと)、シノノメノストライキ、サリトハメンダウダネツテナコトオツシヤイマシタカネ。

──流行節、明治三十三年流行、『明治流行歌史』

 

政党賛歌 せいとうさんか

政党による自党賛辞の歌謡。

民権思想が育った明治十年代にいくつか生まれ、例歌の「自由党節」はその代表的なものである。いわば番外歌謡のような存在である。

【例歌】

自由党節 じゆうとうぶし  

♪一つとせ 人の上には人はない 権利に二重はないからこれ同権よ

 二つとせ 二つとはないこのいのち 自由のためには惜しみやせぬ

 三つとせ 民権自由の世の中に まだ目が覚めない馬鹿がある

 四つとせ よせばよいのに狐らが 虎面かぶりて空威張り

 五つとせ いつまで待っても開かねば 腕で押すよりほかはない

 六つとせ むかし思えばアメリカが 独立したるもむしろ旗

 七つとせ 何ぼお前が威張っても 天下は天下の天下なり

八つとせ 大和男児の本領を 発揮するのはこのときぞ

九つとせ ここらで血の雨ふらさねば 自由の土台は固まらぬ

十とせ ところどころに網をはり 民権守るが自由党

──数え歌、明治十四年頃成、『日本近代

 

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自由党行進曲 *楠木繁夫・栗山直子

日本政党の名寄せ歌 *ラジオ体操の歌替え 

 

大正激震猛火の新体詩 たいしょうげきしんもうかのしんたいし

大正十二年九月一日に起きた関東大震災の模様を歌詞にした時事歌謡。山本正夫の作曲付きの長編新体詩スタイルになっている。

情景描写の点で、埋もれた貴重史料にもなろう。

【例歌】

大正激震猛火の新体詩 げきしんもうかのしんたいし              増田乙四郎詞

◇第壱節 激震猛火の勃発

思へ大正 十二年

九月一日 真昼時

ドシン・グワラリと 天地(あめつち)

砕けん計り 大地震

関東諸州に 起りつゝ

続いて処暑に大火災

◇第弐節 地震前の回顧

そも此年は 我国に

取りて如何なる 因縁ぞ

知名の人の 死も多く

夏も一しほ 厳きに

残暑も強く 永びきて

地熱湧くかと 思ふほど

  ◇第参節 地震前の追想

都大路の 並樹にも

枯れしもありし 旱天(ひでりぞら)

 水道も温み 増す思ひ

井戸濁りしも 有りと聞く

(たまさ)か降れる 夕立も

実に焼石の 水の如

  ◇第四節 大地震の当日

水分(しめり)乏しき 初秋や

二百十日は 明日なりと

気遣はれしも のどらかに

風も静けき 日和にて

正午近く なれる時

俄に起る 大地震

  ◇第五節 地揺ぎ一過の跡

容易に()まぬ 地揺ぎに

只事ならぬ 音響き

処々方々に おこりつゝ

家屋は倒れ 塀崩れ

地軸も挫く 事かなと

物凄まじき 極みなり

  ◇第六節 地震前の人心

(いそ)しむ人は 午前(ひるまへ)

(わざ)を終ふるも 暫しにて

軈て午餉(ひるげ)の 食卓に

団欒(まどゐ) 楽しく 語らひて

疲れし精神(こころ) 身体(からだ)をも

休めんものと 思ひしに

  ◇第七節 激震の破壊力

思ひも寄らぬ 激震に

世界壊滅(ゑめつ)か 罪も無く

走る電車も 立往生

電信・電話も (こと)切れて

或は汽車の 転覆や

橋や水道の 破壊など

  ◇第八節 人生の叫愕

天地壊滅 する如く

物音凄き 其中に

()(たた)ましき 声するは

人の驚く 叫び声

救ひを求む 泣き声ぞ

助けを為さん 呼声ぞ

  ◇第九節 人世の修羅場

それ地震よと 騒ぐ中

花の都府(みやこ)は 忽ちに

阿鼻叫喚の 修羅場裡

或は圧死者 怪我人に

脳天砕け 手足折れ

血は迸り 肉は飛ぶ

  ◇第十節 地震の予知難

誰かは今日の 現在(うま)の時

かゝる激震 有りと知る

神ならぬ身の 人の世や

而かも何処(いずこ)と 定め知る

(すべ)もなき世の 憫れさよ

唯鎮まるを 待つ許り

  ◇第十一節 地震に続く大火災

自身に続く 大火災

火の手は諸処に 揚がりつゝ

大廈高楼も 鉄橋も

見る間に焼かれ 陥されつ

電車自動車 汽車までも

数々諸処に 燃え失せぬ

  ◇第十二節 猛火の威勢

燃え立つ火焔(ほのほ)の 勢揃ひ

川も乗り越す 威勢(いきほひ)

河岸に逃げ来し 人群(ひとむれ)

避難の舟も 追ひ詰めて

此処に彼処(かしこ)に 焦げ死や

又は煮え死 溺れ死

  ◇第十三節 火は風を呼ぶ

揚がる火の手は 風を呼び

呼ばれし風は 火を()ほり

事待ち兼ねの 呪ひ火か

時を得たりと 荒ぶれて

火焔(ほのほ)は天を 焦がしつゝ

煙は四方に 漲りぬ

  ◇第十四節 火中の苦死

(いづ)れの方に 逃るべき

西も東も (みんなみ)

北も火焔(ほのほ)に 包まれて

逃ぐる道なき 絶望に

焼死したる人々の

その苦しみや 如何計り

  ◇第十五節 万死の巷

九死一生 逃れしも

逆巻く煙に (いぶ)られて

蒸死(むせじに)したる 人々や

或は池に 泥溝も

埋めて火の雨 浴びつゝも

死したる人の 無念さよ

  ◇第十六節 戒厳令の公布

煮返へる如き (まち)の中

諸所爆発の 音のしぬ

()は何なるか 何人の

仕業なるかと 怪まれ

一騒動も 加はりて

戒厳令ぞ 布かれける

  ◇第十七節 八方火の赴援難

地震に八方 大火災

いでや赴き (すく)ふにも

互いに手許 危きに

水道の水も ()で難み

時を得顔の 大火焔

狂ひ廻るも (ほし)いまゝ

  ◇第十八節 東京の灰燼

諸処(たき)立てゝ 夜に入るも

尚ほ衰へぬ 火の(きほひ)

 実()に物凄き 極みにて

文化の粋を (あつ)めたる

世界屈指の 東京をも

嘲けり顔に 焼きまくる

   ◇第十九節 横浜横須賀の惨況

東洋有数の 横浜は

地割れも沢に 崖崩れ

惨死も多き 焼野原

軍港に名高き 横須賀も

殆んど全滅 同様に

その残骸ぞ惨ましき

  ◇第二十節 鎌倉の悲惨

名所古蹟に 名を負へる

関東一の 鎌倉は

崩潰(つぶれ)も多き 宮寺に

街に聳ゆる 老松に

木々の火傷(やけど)の 面影に

昔偲ぶも 嘆かはし

  ◇第二十一節 激震の強度範囲

実にも烈しき 大地震

安政以来の (おほ)()()

余勢は強く 房総の

国にも及び 静岡に

又埼玉に 山梨の

各県にまで ひびきつゝ

  ◇第二十二節 函嶺方面の被害

流も広き 馬入川 

大鉄橋も 疾く陥ちて

箱根の諸処の 墜道(トンネル)

崩れて汽車も 潰れつゝ

将棋倒しの 屍に

避暑の客も 情なや

  ◇第二十三節 東海道の閉鎖

東海道は 我国の

大動脈の 一にして

復旧治療 捗らず

中仙道の 遠回はり

それも故障に 遅れ勝ち

遠州灘の 船通ひ

  ◇第二十四節 騒ぎ中、乗客の心地

走る車に 乗る船に

逃げ行く人や 帰る人

又見舞ひ来る 人々や

交通機関も 間緩きに

鞭打ちしたき 心地して

急ぐ心や 西東

  ◇第二十五節 神田区等の消失

帝都学生の 巣窟と

学校書肆も 多かりし

神田は又も 大火かな

芝、本郷の 半焼(はんやけ)

下谷、浅草 此処も亦

焼野と続く 憐れさよ

  ◇第二十六節 丸の内の被害

近代家屋の 様式に

甍も高き 丸の内

火災(のが)れし 其中に

化粧煉瓦の 剥落(はげおち)

中途崩れの 石造に

鉄筋捩れし 様()はれ

  ◇第二十七節 京橋、日本橋の焼跡

何れ劣らぬ 建造物

並ぶ京橋、日本橋

大路も小路も 押並べて

焼野の原の 有様に

客引く店の 影もなし

昨日の繁華 今何処(いづこ)

   ◇第二十八節 何処も焼野原

震後 諸処の焼跡を

幾日ともなく 見廻はりて

見廻はる度に 思ふかな

よくも焼けたり ()くまでも

焼けるものかと 人皆の

感想(おもひ)も同じ 焼野原

  ◇第二十九節 本所、深川の避災難

東京十五の 区域内

火の手挙がらぬ 土地なきが

避難の場所に 悩みしは

墨田の川の 東北に

家並・建て込む 本所区

又、深川の 区民かな

  ◇第三十節 被服廠跡の凄惨

聞けよ、本所の 被服廠

跡の広場の 避難所

荒れる火の海 大旋風(おおつむじ)

 トタン板など 舞ひ飛ばし

火柱なども 吹き飛ばし

人も捲き揚げ 飛ばしつゝ

  ◇第三十一節 被服廠の生地獄

幾万人か 焼死にし

被服廠の跡 弔へば

異臭も高く 屍は

見通しつかぬ 果までも

(ふす)ぶる中に (つらな)りて

此世ながらの 生地獄

    ◇第三十二節 向島の惨状

花の名所の 向島

桜も焼けし 下蔭に

馬の死骸も 数多く

自転車などは 重なりて

焼けたるまゝに 死人(しにびと)

脂は川に 流れ浮く

  ◇第三十三節 巨額なる恩賜救恤金

騒ぎの中に 逸早く

飛行機翔けて 伺ひし

陛下は無事に ましまして

日光の離宮 雲深き

中より降る お思召し

恵みの露の (いと)深し

  ◇第三十四節 皇后陛下の御真情

天皇(みかど)を看護 ましませし

皇后(きさき)の宮も 仰せには

此身は一汁 一菜に

するも好き故 此上は

罹災の民を 賑はせと

其の御言葉の畏さよ

  ◇第三十五節 御結婚又も延期

延期に延期 重ねたる

摂政の宮 御結婚

此年儀式も 有れかしと

罹災の民も 願ひしに

(われ)、忍びずと (いな)まれて

又も延期に ならんとは

  ◇第三十六節 皇室の深恩(みなさけ)

尊き繁き 御情に

焼野の跡も (うるほ)ひて

秋津島根の 民草は

萎れし 根をも培いて

(やが)て楽しく 待たれぬる

御代の春方(はるべ)を 飾るらん

  ◇第三十七節 地震火の大損害

我日本に 東洋に

更に世界に (ため)しなき

震後起りし 大火災

区域は三千万坪に

死者十万の 上に出て

焼き家、凡そ 四十万

  ◇第三十八節 貴重品の消滅

焼けたる中に 惜まるゝ

珍品奇什 財宝の

貴き物も 多からん

祖先以来 伝はりて

子孫に残す 家宝まで

無くせし者も 多からめ

  ◇第三十九節 図書館の灰燼

()けても惜しく 思はるは

所蔵も多き 図書館

それも一棟 のみならず

公設・私設 各人の

珍籍富める 文庫など

数々灰 にならんとは

  ◇第四十節 図書の焼亡

総て焼けたる 図書館は

幾千万の 数量か

()にも尊き 図書類や

又と得られぬ 古書など

掛替へならぬ ものにして

値踏みせられぬ 至宝(たから)をば

  ◇第四十一節 御料地に罹災民

十方、火焔に 囲まれて

無難に済みし 宮城の

御前(みまへ)も広き 小松原

又新宿の 御苑など

罹災の民の 収容に

大御心ぞ 有難き

  ◇第四十二節 海外故郷の憂慮

罹災民忠 外国(とつくに)

弟妹朝鮮 台湾の

民もあるなり 遥々と

海渡り来て 此の始末

遠き故郷の 人々は

如何に身の上 案ずらん

  ◇第四十三節 在外邦人の心痛

又海外に 旅行せる

同胞(はらから)は 如何許り

親子に妻に 兄弟に

或は親戚(うから)や 友垣の

身を案ずらん 内地すら

電報にさへも 事欠きて

  ◇第四十四節 誰かは命

凡そ生きとし 生けるもの

誰かは命 惜まざる

生存(ながら)ふからは 誰か亦

見の安けさを 願はざる

者やあるべき ()るを今

あな情なや 地震(なゐ)に火に

  ◇第四十五節 未来ある惨死者

惨死者中に 将来の

大事業家や 発明に

亦、芸術に 秀出(ひい)でし

人もありなん 或は又

徳行高く 学識に

富みたる人も ありけんに

  ◇第四十六節 惨死者中の親子

斃れし人の 其中に

蝶よ花よと 育みて

子等の成人 楽しみし

親もあらんと 思ほえば

其子は無事か 如何にせる

諸共死せし そもあらん

  ◇第四十七節 罹災民の人探し

聖者必滅 会者定離

分れ別れと なりし世や

或は親は 子を尋ね

子は亦 親を探しつゝ

夫は妻を 妻は亦

何処(いづこ)に 夫居ますやと

  ◇第四十八節 罹災者の疲労

親戚(うから)兄弟(はらから) 知辺など

其の他、木の蔭 家の隅

探し廻はるも 中々に

容易(たやす)き事に あらなくに

忍ぶ飢渇に 道遠み

身は草臥れて 疲れ行く

  ◇第四十九節 転た今昔の感〔其一〕

嗚呼三百有余年来

我国政治の 中心地

東洋文化の 花も咲き

皇政維新 以来(このつかた)

 欧米諸国 文明の

見も結びたる 東都は!

  ◇第五十節 転た今昔の感〔其の二〕

大帝都を 筆頭に

開港場の 横浜も

目貫の場所 全滅し

下町一望 焼野原

其他多くの 市町村

見る影もなく なりにけり

  ◇第五十一節 変り果てたる世の様や

一日(ひとひ)も経つか 立たぬ内

変り果てたる 世の様や

熟々(つらつら)思ひ 浮ぶかな

昨日までの世の 浮調子

事ある時の 心せで

栄華の夢路 彷徨(さまよ)ひし

  ◇第五十二節 万物の霊長も低能

如何に人智は 進むとも

(すべ)は巧みを 窮むとも

大の自然に 対しては

霊長殿も 低能児

僅か四寸の 震幅に

周章(あわて)ふためく 様如何

  ◇第五十三節 槿花一朝の夢

常に自然を 制すてふ

人の力や 今如何

地球の一寸 (くさめ)せし

程にも足らぬ 小動(こゆる)ぎに

大帝都さへ 忽ちに

槿花一朝の 夢の跡

  ◇第五十四節 其の夢よりも果敢さ

其の夢よりも 果敢さを

覚らしめたり 能く思へ

先づは帝都に 就いて見よ

之は是れ(なが)の 年月に

幾億となき 人力に

築き上げたる ものなるを

  ◇第五十五節 文化の弊の一掃

そも此度の 地震火は

文化の弊の腐れ気を

焼き払ふべく 浄めんと

誇る者等や 驕る世の

浮薄貪欲 (いまし)むる

為めに下せし 天譴

  ◇第五十六節 何事も健実に修養

()天譴と 心得て

真面目に反り 省みて

正しき道に従ひて

総て物事 健実に

修養積みて 進みなば

地震も火事も (こわ)からじ

  ◇第五十七節 非常時の心得

春夏秋冬 (めぐ)り来て

この世はいつも 春ならず

風雷地震 火事出水(でみず)

 飢饉病没 絶間なし

事ある時の 心得を

常怠るな 世の人よ

  ◇第五十八節 世界の大同情

起てよ帝都の 市民達

奮へ罹災の 市町民

進め日本の 国民(くにたみ)

集ふ世界の 同情の

大いなるにも 酬ゆべく

公益広め 世務開け

  ◇第五十九節 前途の光明

斯くて希望に 満ち満てる

我が日の本の 行末は

輝かしくも 頼もしく

帝都の再興 目覚ましく

其他の都市も 著じろく

以前に増して (さか)えなん

  ◇第六十節 天の大使命

 建国以来 三千年(みちとせ)

(さか)えも(しる)き (すめ)御民(みたみ)

 天の試練の 地震火に

洗礼受けし 好機会

陣容新たに 立直し

果たせや 天の大使命

──時事歌謡、大正十二年発表、『大正激震猛火の新体詩』(実業之日本社刊)

 

投書唄 とうしょうた

近代、新聞・雑誌に読者が自由に投書してきた歌謡。そのうち社に選ばれて掲載されたものを指す。

投書内容はさまざまだが、極端な雅俗二様を対比して見るのも一興であろう。

【例歌】

江戸子守唄くずし えどこもりうたくずし 

♪女ン猫ヨー お転びヨ

今夜の泊まりは何処へ行コ

伊勢山(あたり)りか 神奈川か

()()目的(めあて)で何ン成と

権妻 細君 (しよう)が殖え 

女ン猫ヨー お転びヨ

──俗謡、『仮名読新聞』明治九年二月五日投書

[メモ] 江戸子守唄の詞は「ねんねんヨー オコロリヨー 坊やのお守りは何処へ行たー…、これの替え歌である。詞には猫=芸者、楮ァ幣=紙幣、権妻=妾といった、開化新語がはめ込まれている。これら新語は『安愚楽鍋』(仮名垣魯文作)で魯文みずから流行らせた●魯文は同志を募り明治八年十一月、文明開化の新時代に即応した新聞『仮名読新聞』を横浜で発行。彼は編集責任者となり、自作品を含め、面白おかしく読める紙面づくりにつとめた。読者の共鳴反応はすばやく、掲出のような投書作品が舞い込む●投書反応は紙価を測るバロメーターでもある。魯文も投書子の存在を意識して、彼らの質疑にきちんと対応している。たとえば、こうだ。

 浄瑠璃や端唄の替え唄は、紙(ふた)げで、猫や(ごん)(ちやん)には解るか知らぬが、賢気(かたぎ)な女房、娘や、(わし)のような頑固(かたくな)には解らぬから廃止(やめ)とのお(さし)()、然し当社の新聞は、貴婦(あなた)方御怜悧(りこう)様を導く(など)と申効能はありません…

新聞紙 しんぶんし     山田敦子詞(新聞投稿)

♪ひらけゆく。みよのめぐみに。さきにほふ。ことばの花の。いろも香も。ふでのはやしに。墨のいけ。するかみかずの。いく()ひら。たかきいやしき。へだてなく。なにはのうらの。よしあしを。きのふのうはさ。れふぞきく。ちさとの(ほか)の。ことまでも。居ながらしるゝ報知ぶみ。朝野(てうや)の人のみなめでゝ。てをもはなさぬ読売や。丸ちん女学時事新報。かなよみいろは。いろ〳〵に。かきつらねたる。ふみのうち。わが日の本の。()いりぶみ。げにさま〴〵の。にひぶみに。人の心の。うらおもて。うつるかゞみの。かげならで。四海やしまの。(ほか)までも。その名かゞやく。あさひぶみ。

──琴唄『朝日新聞』明治十九年七月四日投書

[メモ] 各新聞紙を称賛、新聞人らがいささか面映くなるような高尚な内容である。

 

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星の流れに *菊池章子、東京日日新聞への投書がきっかけで生まれた転落女性の唄

 

ニュース歌謡 にゅーすかよう

本来は新聞ダネを基に作られた歌謡で、長編詞であることが多い。これが戦時体制に入ると国策が加味され、時局発表の歌謡となって流されるようになった。

狭義には、NHKで局に作詞・作曲家の代表を待機させ、大きな事件が発生するたびに即刻楽曲を作らせ、ラジオ放送で流したものを指す。そのためニュース歌謡の即応性は評価され、〈ニュース歌謡〉の存在意義をいやがうえにも高めた。

【例歌】

華厳のあらし けごんのあらし       神長瞭月詞

藤村操の歌

♪花の都よいざさらば、名残留めん血の涙、千代に護れよ願はくは。

 我刀自自らはらからを、泣や鳴やの汽車の音に、はやく立でぬ死出の旅。(後略)

──演歌、明治三十六年作、『日本近代歌謡史』下

 [メモ] 有名な華厳の滝投身事件をストーリー化した歌謡。

 藤村操

千葉心中 ちばしんちゆう         淡路美月詞

奇遇の 

1 あゝ春あさき宵なりき、恋に悩める貴人(あでびと)の、真白き指にかゞやける、金剛石(ダイヤ)の指輪憂あり。

2 都に浮名唄はれし、両人(ふたり)の胸に秘めらるゝ、恋の絆のからみ糸、線路(レール)の錆と血を流す。

3 貴人其名かの子とて、六年(むとせ)の昔うら若き、姫は暑さを避けばやと、(えにし)も深き塩屋浜。

  須磨と明石の中程に、緑の松の山負ふて、呼べば応へん淡路島、風景絶佳の塩屋浜

5 夢まきかへす河の色、銀の鈴ふる虫の音、黒髪ながき姫君の、憧がれ心そもいかに。

6 誰か知るべき其頃の、塩谷の浜の漁師子の、(りく)(すけ)と呼ぶ青年(わかもの)と、後に悲劇を生まんとは。

7 あれが明石の灯台よ、敦盛塚や一の谷、月まんまるまる空に照り、波のまにまに浜千鳥。

8 かの子が嘗て電報を、都の母に打つときに、漁師を供に陸助を、郵便局に見たりけり。

9 秋立つ頃に陸助は、都に上り自働車の、学事を修めて直ぐさまに、三井の方に雇はれぬ。

10 あゝ星移り月変り、花川家の養嗣子の、時哉は陸助自邸に呼び、強く目をかけいたはりぬ。

11 六年の昔塩屋浜、姫君としてがひ間見し、かの子に今日はかし附て、使へ使ふる身となりぬ。

密会の巻

12 あゝ結婚の夜の夢も、銀燭揺らぐ金屏風、色移り行く時哉には、深く馴染める芸妓あり。

13 新橋あたりの玉枝とて、クレオパトラも何かはと、美貌と手管兼ね備ふ、女の力おそろしや。

14 新妻ながら空閨の、冷たき涙頬伝ひ、金銀財宝儘なれど、かの子は墓に棲むごとし。

15 あゝ忠実(まめやか)な運転手、都の風にまだ染まぬ、棚橋を見ていつしかに、夫人は情かけにけり。

16 金のメタルはハート型、真紅の宝石ちりばめて、〔知人ぞ知〕の文字を彫り、其を彼にと渡したり。

17 燃ゆる情は君ぞしる、金の時計や桃色の、絹ハンカチにいや増して、深き仔細のあればこそ。

18 両人手とて握り占め、(わたし)どんなに嬉しいか、其れは誠か奥様と、問ふは(しもべ)の運転手。

19 阿漕が浦に曳く網も、度重なれば現はれつ、口はしたなき女中達、いつしか眼ひき袖をひく。

20 夫人を乗せゆく自動車の、いづこの果に砕くらん、星まばらなる星ケ丘、あはれ怪しの影二つ。

21 ほろ酔姿の令夫人、つと棚橋に寄り添へば、心を蕩らす香水の、黒髪揺れてあゝ夢や。(後略)

──ニュース歌謡大正六年作、『悲哀 千葉心中』

鬼夫婦の歌 おにふうふのうた      添田啞蝉坊詞

♪教へのみのり其まゝに 

幼き者をいつくしみ

弱きをめぐむ慣はしの

めでたき世にも忌はしき

まゝ子いぢめは数あれど

身の毛もよだつ人鬼の

類ひまれなる残虐は

憎みても尚あまりあり

♪華の都の浅草に 

住みて松村関蔵と

表札うてる男あり

連添ふ妻はまきと呼び

其全身は此処彼処

あいまひ茶屋の渡り鳥

世の浮れ男をあやなせし 

果てを僅かに覚えたる

♪踊りの師匠いとなみつ

其日〳〵を送るうち

金を添へたる幼子の

金がほしさの鬼夫婦

世間を飾る偽りの

慈悲を飼にして貰ひうけ

「はつ子」と呼びてゐたりしが 

鬼の夫婦の無慈悲なる

♪むごき仕打はやつれゆく

〔はつ子〕の上にあらはれぬ

其日も鬼のまゝ母は

鬼の夫と諸共に

些細の事に咎め立て

鬼の夫をさしおいて

怒りの声を荒らぐる

〔はつ子〕は涙流しつゝ

♪母さまゆるして〳〵と

 おろ〳〵ごえにわびいれるゝ

泣いてわびればわびるほど

ます〳〵つのる残虐や

いかれるまきの眼の色に

いよ〳〵凄みの加はりつ

むごき(しもと)の其果を

脇腹はたと蹴返せば

♪あつと叫びて少女子の

やせ衰へし身はあわれ

ぱたりと其処に打倒れ

それなりけりに息絶えぬ

時は大正十一年 

七月三日の雨の夜に

首と胴とを切り放ち

罪を二つに包み分け

♪二個の人鬼影黒く

己の住家を抜け出でゝ

繁き人目を憚りつ

  を匿せし此処いづこ

黒白も分かぬ闇の川

相生橋の下ぞとは

後にそ思ひ当るなり

嗚呼恐ろしき人鬼や

♪鬼の夫婦が罪悪を

秘めたる河は深くとも

因果はめぐる小車の

いかで洩さん天の網

あゝ未だ十の少女子が

むごたらしくも人鬼に

惨殺されし物語り

伝へ聞くだに憐れなり

♪鬼の夫婦も捕はれて

獄に曳かれし明家(あきいへ)

訪い弔ひの人の数

噂は更に拡がりて

世の同情は惨劇の

跡に注がれ祀られて

おはつ地蔵と名も高く

詣づる人の絶間なし

覚夢童女

生きながら地獄のせめにあひし身も

   地蔵となりてねむる乙女子

──ニュース歌謡、大正十一年流行、『最新流行歌集』

[メモ] 冷酷な夫婦による継子殺し事件を扱ったニュース歌謡。「大正瓦版歌謡」ともいわれた。事件の顛末は『日本近代歌謡史』下・第四十八章に詳しい。

 

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英国東洋艦隊潰滅 *昭和171210

皇軍の戦果輝く *昭和16129

シンガポール陥落の歌 *昭和171

断じて勝つぞ *上掲「英国東洋艦隊潰滅のレコード化

 

機場唄 はたばうた

近代、機織工場等で女工たちがうたった唄。

民謡調のものから労働歌、あるいは女工哀歌など、いくつかタイプがある。

【例歌】

糸つむぎ唄 いとつむぎうた 

ア ドツコイセ

ア 珍らしいこと申すなら

  いたて見やしやんせ水車

ア どの手カラクリはわからせぬ

ア ドンカラカンノカン

ア トンカラカンノクワン

──労作唄、幕末成、『日本メリヤス史』(藤本昌義著)

[メモ] 幕末の薩摩藩紡績産業で歌われていたという。

機場唄〔群馬県〕 

辛抱しなさい辛抱が大事、辛抱する木に金が生る

(ねん)()くのは嬉しゆて悲し、離れにやなるまい主と機

思ひ切るとて晒が五尺、思ひ切れない業ざらし(桐生市)

──地方唄、近代に採録、『日本民謡大観』関東篇

 

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糸紡ぎ唄 *前川鈴代、丹波篠山地方の民謡

 

風俗写生歌 ふうぞくしゃせいか

 歴史上各時代を背景に様々な風俗を活写した歌謡。ほとんどが「詞先」つまり作詞先行で作られる。

 こちらは風俗写生の見本、山本松谷画「兵庫県神戸市福原町遊廓水害に遭うの図」〔「風俗画報」第128号、東陽堂、明治二十九年〕

【例歌】

開化大津絵ぶし かいかおおつえぶし  

♪おひおひにひらけゆく、開化の御代のおそまり、郵便はがきでことたりる、針金便りや、陸蒸気(おかじやうき)、つツぽに靴をはき、乗合馬車に人力ぐるま、はやるは安はどまり、西洋床にたまつきば、おんせんや日の丸ふらふや牛肉や、日曜どんたく煉瓦造り石の橋

──大津絵唄、明治六年頃流行、『明治流行歌史』

ヨカツタネ節 よかつたねぶし      添田啞蝉坊詞

オイ君見たまへステキだね なるほどステキだ春雨に 濡れて色増す青柳の 蔭にチラチラ渋蛇の目

 そいつはほんとに ヨカツタネ

嬶をブンなぐつて追ひ出して 独りになつたら酔ひがさめた それはお前さんがよくないと 易者に意見をされてゐる

 そいつはほんとに ヨカツタネ

腹が空いた空腹(すきつぱら)へ 馬力がひびく朝帰り 牛肉屋の前へチヨイト立つて考へて それかにイモ屋へ飛び込んだ

 そいつはほんとに ヨカツタネ

──演歌、大正七年頃流行、『流行歌明治大正史』

 作詞家 吉丸一昌

赤い屋根青い屋根     佐藤惣之助詞

♪赤い屋根 青い屋根

 遠い波止場に 陽が落ちる

 赤い屋根 青い屋根

 旅のうれいは 心にしみて

 鷗啼くさえ 港はさびし

♪花の唄 愛の唄

 古いベンチに 腰かけて

 花の唄 愛の唄

 思い出しても 口へは出せぬ

 なぜか切ない たそがれ時よ

♪ひかる窓 暗い窓

 青い上着に 霧が降る

 ひかる窓 暗い窓

 夢の出船の 汽笛もかなし

 わたしゃ旅人 別れの影よ

──流行歌、昭和十五年発表

 

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赤い灯・青い灯

雨降る街角 *

あれが空似というものか *

銀杏がえしで *美ち奴

一杯のコーヒーから *霧島昇

いてこう

ガード下の靴磨き *宮城まり子

角兵衛獅子 *美空ひばり・川田晴久

喫茶店の片隅で *松島詩子

霧の夜の広告塔

コーヒーショップで *あべ静江

 幸福(しあわせ)はあの空から *岡晴 夫

下町の青い空 *森 昌子

タバコ屋の娘 *岸井明 平井英子

東京シューシャインボーイ *暁テル子

東京のバスガール *初代コロムビア・ロー 

ネオン川 *バーブ佐竹

のばせばのびる *楠木繁夫

走れコウタロー  *ソルティ・シュガー

街角のブルース *鶴田浩二

街のサンドイッチマン *鶴田浩二

街の宝石 *東海林太郎

若いお巡りさん *曽根史郎

 

奉祝唄 ほうしゅくうた

国家や社会などの祝い事に、つつしんで祝賀の意を表した歌謡。

【例歌】

八千代獅子 やちよじし

園原勾当詞

〽いつまでも、変らぬ御代にあひたけの、世々はいくちよ八千代ふる「雪ぞかゝれるまつのふたばに、ゆきぞかゝれるまつのふたばに。

──本調子手事物、江戸初期作、『新大成糸のしらべ』

福寿草 ふくじゆそう

〽はつ春の。日南(ひなた)へなほす。福寿草「目出たき御代ののどかさや「花の心も移り気な。ツイ。つぼみさへ。ひらきそめ。

──二上り上方唄、江戸後期成、『粋の懐』二篇

都新鳥追 みやこしんとりおい

〽世上やまんぞく、おさまりてまゐりて、()しらけて、よいじやないか、よいじやないか、上から福の神もまゐりて、寺から(さむらひ)の殿さまのおぼしめし、民もよろこびまします、御ついしの御うちを、政事するのは誰たれぞ、右大臣に、左大臣に、総裁職に、議定(ぎぢやう)さまに、参与さまがとりしめ、都の(かた)には、土州さんに、薩摩さんに、萩に広島、名古屋、福井、先づ朝廷のご治世(ぢせい)を、万々歳(ばんばんざい)と祈ります、御代(みよ)も栄えておめでたや

──奉祝唄、慶応四年、『明治流行歌史』

[メモ] これも「ええじやないか」の流れをくむ。出典によると慶応四年(明治元年)正月大政奉還を祝って都で唄われだしたという。

 

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一月一日 *明治268月、官報告示当初の歌い出しは「初日のひかり 明らけく、治まる御代の今朝のそら、」であった

天長節 *1893年に告示制定

奉祝歌 *奉祝記念盤

 

ほめ唄 ほめうた

人物や物事を褒め称える唄。社交儀礼上の歌謡である。

【例歌】

才女 さいじょ  

♪一 かきながせる、筆のあやに、

そめしむらさき、世々(よよ)あせず。

ゆかりのいろ、ことばのはな、

たぐいもあらじ、そのいさお。

 二 まきあげたる、小簾(おす)のひまに、

君のこころも、しら雪や。

蘆山(ろさん)の峯、遺愛のかね、

めにみるごとき、その風情(ふぜい)

──学校唱歌、明治十七年制定、『小学唱歌集』三

嫁ほめ〔神奈川県〕 よめほめ

これ様の御門先には花の様なる嫁ごさま、やどもとでは両親揃うて、松明とぼしてお迎ひに、右には傘ももちそろ。左でなんどへおしきやる。

これさまの嫁さまのご衣裳なぞを見申せば、京染めか、都ぞめか。御座の中が輝く。

馳走ほめ〔神奈川県〕 ちそうぼめ

♪これさまへまゐり申して、いろ〳〵御馳走いただきて、やどもとへかへり申して、三日三夜の物語。

♪これさまへまゐり申して、御座敷中をふみあらし、直りあとへ花がふりそろ。末代長者とおさきあれ。

──里謡、近代に採録、『日本歌謡集成』巻十二

 

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白蓮夫人の歌 *土取利行(唄・エスラジ・太鼓・笛)

 

魔風恋風の歌 まかぜこいかぜのうた

明治三十五年、小杉天外作の新聞小説『魔風恋風』は一世を風靡、その影響は歌謡界にも及んで何曲ものあやかり歌を派生させるほどであった。

 小説「魔風恋風」宣伝画

【例歌】 

魔風恋風の歌 まかぜこいかぜのうた       菊池暁汀詞

一 みどりの虹

春の御神の天降(あも)りして

恵は人の世に満ちぬ

梅や桜は美しの

日和長閑に晴れ渡り

みなみの風ぞあたゝかき

創立十周年(たてしととせ)の記念日と

女子学院の祝賀式

こゝ緑の虹の湧きしかと

おぼゆるばかりうるはしう

建てし大緑門(アーチ)の色ぞこき

日の大旗は朝を今

風に靡びきてひららひら

数しも知れぬ提灯は

紅あざやかに校門の

外うつくしう装飾(よそほ)ひぬ

祝賀(ほぎ)(まとゐ)に畏くも

国母陛下や皇族の

御臨幸(みゆき)ありとて道もせに

群れ居る人の動揺(どよめき)

潮をよせしごとくなる

道路(みち)に並びし女生徒や

(ちかき)(あた)りの小学生

錦の幕を張りしごと

みちせまき迄整列し

謹みなしてまちはべる

(まなこ)かゞやき一様に

視線は彼方に張られたり

今や御臨幸(みゆき)とさゝやきて

背後(うしろ)の人は爪たてぬ

鈴の音高う響かして

(まとゐ)の刻に遅れじと

疾く走り来し花姿

綾の衣をば靡びかして

──叙事歌、明治三十五年流行、『魔風恋風之歌』より冒頭部抄出

[メモ] 全編二百四十ページ余の長編である。

 

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ハイカラ節 *土取利行(唄、エスラジ、ダルシマ、三味線、ドラム)

 

民権唄 みんけんうた

開化思想にいち早く目覚めた土佐で生まれ育ち、全国的に広まった唱歌。

自由民権思想の普及には板垣退助、植木枝盛らが活躍した。例歌は〈民権唄〉の代表的なもの。

【例歌】

民権かぞへ歌 みんけんかぞえうた  

一ツトセー 人の上には人ぞなき 権利にかはりがないからは コノ人じやもの

 二ツトセー 二ツとはない我が命 すてしも自由のためならば コノいとやせぬ

 三ツトセー 民権自由の世の中に まだ目の覚めない人がある コノあはれさよ

 四ツトセー 世の開けゆくそのはやさ 親が子供におしえられ コノかなしさよ

 五ツトセー 五つにわかれし五大州 中にも亜細亜は半開化 コノかなしさよ

 六ツトセー 昔おもへば亜米利加の 独立なしたるむしろ旗 コノいさましや

 七ツトセー 何故お前がかしこくて 私らなんどは馬鹿である コノわかりやせぬ

 八ツトセー 刃で人を殺すより 政事で殺すがにくらしい コノ罪じやぞえ

 九ツトセー こゝらでもう目をさまさねば 朝寝は其の身の為でない コノ起きさんせ

 十トセー 虎の威をかる狐らは しつぽの見えるを知らないか コノ畜生め

 十一トセー 犬も喰はない内喧嘩 やるからけふびがやせ所帯 コノばかなこと

 十二トセー 西と東はひるとよる 文明野蛮のわかちこそ コノくちをしさ

 十三トセー 栄え行く世のそのもとは 民の自由にあるぞいな コノしれたこと

 十四トセー 四民一つのその中に とぼけた華族のかへりざき コノめづらしや

 十五トセー 五大州中の亜米利加は 自由の国のさきがけぞ コノうれしさよ

 十六トセー 牢屋の中のうきかんく 惚れた自由の為めならば コノいとやせぬ

 十七トセー 質にもおかない我が権利 うけだす道理があるものか コノ知れたこと

 十八トセー 鼻の高いに羽がはえ 鞍馬の山アで何をする コノ人しらず

 十九トセー 国にむくゆる心根は 岩より鉄よりまだかたいコノうごきやせぬ

 二十トセー 日本は亜細亜の灯明台 消えては東洋が闇となるコノ照さんせ

──数え歌、明治十二年頃流行、&『明治文化全集』第二巻・自由民権篇

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民権田舎歌 みんけんいなかうた 土取利行(唄・演奏・付曲)     

               植木枝盛詞

♪自由なるぞや人間のからだ

頭も足も備はり

心の霊妙万物に越へ

心と身とが(そな)はるは

天地と云ふもよし

自分一人は一人で立つよ

なにも不足はないぞいの

そこらで人間を自由と申す

自由じや自由じや人間は自由

行くも自由よ止るも自由

食ふも自由に生るも自由

心は思ひ口は言ひ

体は動き足や走る

見たり聞いたり皆自由

自由にするのが我が権利

自由の権利は誰も持つ

権利張れよや国の人

自由は天の賜じや

取らねば吾儕(わがみ)の恥ぞかし

おまへ観んかへ(かご)の鳥

羽があつても飛ぶことならぬ

おまへ観んかへ網の魚

鰭があっても(およ)がれぬ

おまへ観んかへ繋いだ馬を

蹄があっても走られぬ

人に才あり力もあれど

自由の権利がない時は

無用の長物益がない

さらば人間と云ふものは

自由で生きてこそよけれ

自由が無ければ死んだも同じ

おまへ観んかへあの塩を

塩と云ふのは辛いが塩じや

辛くなければ沙である

砂糖と云ふのは甘いが砂糖

甘くなければ土じゃぞへ

人間も自由でこそよけれ

自由がなければ人形よ

卑屈さんすな圧制受けな

人に貧富強弱あれど

天の人間を造るのは

天下万民皆同じ

人の上には人はなく

人の下にも人はない

こゝが人間の同権じや

権利張れよや国の人

政府は民の立てたもの

法度は自由を護る為め

官的や吾儕(おいら)の雇ひもの

権利を張らねば詮がない

古へ今の別ちなく

悪るき政府が世にあると

圧制暴虐やらかして

民の自由を抑へ()

人を殺し家を焼き

金を取つたり宝を奪ひ

議論を禁じ口を閉ぢ

無理非道の事ばかり

なんとこれもよい事か

これは間違ひ大間違ひ

こんな無道の政事では

民の安楽が得られない

権利張れよや自由を伸べよ

民選議員を早く立て

憲法を確に定めうよ

これは今日の急務じゃぞ

やれ〳〵やれ〳〵国の人

立憲自由の政体で

自由の権を張り(のば)

学問修めて智恵磨き

職業務め働いて

文明開化の人となり

三千余万が一致して

国の威光を輝かし

秀で栄えて行かしめよ

──地方唄、明治十八発表『民権自由論』付録

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よしや武士 *土取利行(唄と演奏)

 

民衆唄 みんしゅううた

〈大衆唄〉とも。庶民中心に愛唱される歌。

幅広く適用できるが、くだけた歌詞のものが前提になる。

【例歌】

スチヤラカチヤン 

独楽は源水奥山へ、芝居一幕三幕まく、茶屋を軒々(のきのき)のろけてまゐりましよ、スチヤラカチヤン、じやんじやかじやかじやかでんがくや、としま若衆がうかされて、粂の平内とりもちで、返事でサアきなせ、まゐりましよ、スチヤラカチヤン。

酒は焼酎花ござよ、かうて日よけにむしやかご、日日に売り来るなまけずまゐります、スチヤラカチヤン、簾によし戸をよんで来る、とんと突出すところてん、麦湯でサアきなせ、まゐりましよ、スチヤラカチヤン。

三味は(つめ)()き忍び駒、かんは一筋三筋すじ、ばちは高音(たかね)でまゐりましよ、スチヤラカチヤン、じやんじやかじやかじやかじやんじやらじやん、あさまに端唄をのぞまれた、ふしもはではでとてつるてん、()()でサアきなせ、まゐりましよ、スチヤラカチヤン。

──俗謡、幕末・明治初期流行、『明治歌謡史』

麦搗唄崩し むぎつきうた/くずし

麦は搗き様から、臼はたてようから、嫁は(しうと)習慣(ならひ)から。

麦も搗けたし、()(ごろ)も来たし、あとの親達来ればよい。

麦もつけたし、寝頃も来たし、うちの親たちねろねろと。

寝頃来たので、ねむろとすれば、よその麦搗夢に入る。

──里謡巷唄、明治年頃流行、『明治流行歌史』 

 

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釜ヶ崎人情 

生命線節 *小野 巡・小唄 勝太郎

地底の唄 

電車問題市民と会社 *土取利行(唄・演奏)

東京砂漠 *ちあきなおみ

富の鎖(平民社・社会主義の歌) *土取利行(唄・演奏)

 

労働階級歌 ろうどうかいきゅうか

 社会主義に根差した労働者の団結思想をうたった歌。 

【例歌】

希望のハンドル       久米正雄詞

♪若い身空で 円タク暮し

 と云って軽蔑しちゃ困る

 仰ぐ青空 前途は広い

 抱いた大望は 伊達じゃない

♪流し円タク しがないけれど

 と云って軽蔑しちゃ困る

 今朝の出掛けに あの娘がくれた

 かわいい人形の マスコット

♪街のほこりに まみれちゃ居れど

 と云って軽蔑しちゃ困る

 恋の十字路 ハンドルまかせ

 わたる世間は 腕まかせ

♪その日ぐらしの 円タクなれど

 と云って軽蔑しちゃ困る

 とかく浮世は 流線型よ

 明日は希望の 花が咲く

──流行歌、昭和十年発表

 

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赤旗の唄 *中央合唱団

インターナショナル *中央合唱団

がんばろう *中央合唱団

国際学連の唄 

全世界民主青年歌

メーデー歌