色事に酒と唄は付きもの、たまには裾まくりの道草道楽も又おつなもの

 

 

Ch.17  花柳唄

 

 

Ch.17 花柳唄 目録 (五十音順) 

 

朝帰り 意味深の唄 浮川竹 浮世詞 大津絵節〔遊里唄〕 艶歌 岡崎五万石 岡崎節 荻絵節 オコロリ お座敷唄 お座敷長唄 片撥 花柳唄 後朝の唄 後朝の別れ 廓 廓唄 おち ゲイシャ・ソング 玄様 瞽女 芸者踊り歌 源助節 こちやえ節 座敷踊り唄 座敷余興唄 座持小唄 騒ぎ唄 山谷源五兵衛節 

娼婦哀歌 新地 ぞめき唄 太鼓持唄 継節 唐人お吉の唄 土手節 投節 ぬめり唄 濡れ唄 風流唄 籬節 向島狐 遊客 遊女の情歌 遊里唄 湯女唄 吉原小唄 吉原風俗唄 ラシャメン 

 

 

朝帰り あさがえ

男が遊里など泊りがけで遊興し、翌朝家に帰る行状をいう。

朝帰り野郎の思いはテレで一杯なのである。だらしのない自分や他人の姿を描いた滑稽歌等に多く見られ、また狂歌や川柳でも人気筋の主題である。

木戸くぐっての朝帰り〔『江戸名所之内』より「新吉原春曙之図」、歌川広重画、神奈川県立歴史博物館蔵〕 角町から桜並木を横目に朝帰り客の姿がチラホラ。後ろめたい体裁を繕い、たいていの遊客は被り物を着けている。

【例歌】

三谷がへり 

世にこくに哀れらしきは、さんちやがへりのふと吉三、宵の酒宴に思はれて、あ

  なたの方へさらばえ、此方(こなた)の方へ能登(のと)(さば)、はんや馬にも舟にも得乗らいで、手編笠

  をさしかざし、土手の窪みでけつまづいて、膝がしらをすりむいた、何とした、

  あたたのた、

 アヒノテ(ちんば)びこひき金竜山の米饅頭はおり

 ないか、ぜによないない〳〵のない兎角恋には身がふとる。

*三谷=山谷、江戸吉原の大火で火宅新設された新吉原の在来地名。

朝帰り

今朝の別れの鳥の音つらや、ほんにつらや、

 つらや乱るゝ、乱るゝ、さりとは乱るゝ、

 ねん〳〵寝乱れ、乱れ乱るゝ黒髪の、ゆふ

 かひなしや、心誓文(いく)千度(ちたび)『若緑』巻三(端歌、宝永三年)

落胆節 らくたんぶし

嬉しく逢ふ夜は短ふ空けて、長い思ひの種となる、長い思ひの種となる、是じや帰すじやなかつたに、落胆々々眼パチパチ、

蒸気や出て行く煙が残る、残る煙が癪の種、アヽアヽつらいつらい、これじや帰すじやなかったに、落胆々々眼パチパチ、

加賀の千代女がフト目を覚し、彼方向いても蚊帳の中、此方向いても蚊帳のうち、是なら仕様もあつたもの、落胆々々眼パチパチ、

手に手を取つて欠落したが、彼方向ひても旅の空、此方向いても旅の空、是なら走るじやなかつたに、落胆々々眼パチパチ、

♪真の夜中にタ目を覚し、彼方(あちら)向いても夜着の袖此方(こちら)向いても夜着の袖、是なら(いな)すぢや無かつたに、落胆〳〵眼パチ〳〵、『明治年間流行唄』ほか

──流行節、明治二十八年頃流行

[メモ] この唄、必ずしも全節通しで朝帰りの感傷をうたっているわけではない。こうした傾向は雑載物の宿命である。

 

意味深の唄 いみしんのうた

あえて遠回しな表現を弄し、言いたい本音を相手にそれとわからせる文彩技法を「婉曲法」といっている。〈意味深の唄〉はそんな技法による遠回しな表現をあえて用いた歌謡である。歌詞の意味を理解するには推察力が必要だ。

【例歌】

あだなゑがほ あだなえがお

〽あだな笑顔につい惚れこんで。つまこう雉子(きじ)のほろゝにも「千尋(ちひろ)の海の(かり)がねに。ことづてかへすつばめのたより「うそならほんにかほどり見ても。羽がへのはだにいだきしめ。そのまゝそこへとまり山。うれしい中ぢや。エヽ〳〵ないかいな。

──三下り端唄、『粋の懐』初篇(文久二年)

[メモ] 思う願いがかなった女の心情を遠回しに歌っている。「雉子のほろゝ」は、雉の雌が雄を誘うときに羽を震わせる仕草を示したもの。

あふた夜は あうたよは

〽あふた夜は「(つい)ておくれなあけのかね「たまのごげんじやにナアしんきらし。

──本調子小唄、『粋の懐』二篇(文久二年)

[メモ] どこが意味深なのか、知る人ぞ知る詞である。

おたがいに 

おたがいに知れぬが花よ世間の人に、知れりやたがいの身のつまり、あくまでお前に情たてて惚れたが無理かえしよんがいな、迷ふたが無理かえ、藤八五文でこりや奇妙

──江戸端唄、幕末期流行、『江戸小唄の話』

[メモ] 「おたがいに」共通する秘密が、言外に隠されている。つまり、世間に憚る女房持ち・亭主持ちのしんねこ関係だ●詞の「藤八五文」とは一粒五文で売られた万病薬をいう●全体に「縁は異なもの」の人間関係を卒なく描いている。

 

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小指の想い出 *伊東ゆかり

恋慕小路 久富吉晴

私なんだか変テコリン *神楽坂浮子

 

浮川竹 うきかわたけ

娼妓の境遇を暗示した喩え。憂き浮きが掛詞となって、根無し浮き草のような身の上の苦労を表現している。

川竹

(がは)(たけ)の、うき名を流すとりさへも、(つが)ひはなれぬおし鳥の、中たつ月すごすごと、別れのつらさに袖ぬらし、ほんにしん気なことじやいな

菜畑(なばたけ)の菜畑の、ふきなを流す(せり)さへも、くわいはなれぬ口取(くちとり)の、中にはすすきすごすごわかめのつらさに袖しぼる、じつにひじきな事じやいな 『明治流行歌史』(本調子端歌、江戸後期作)

*第一節の「川竹」、第二節の「菜畑」それぞれの掛詞のもと、連想物名の縁語を配して主題に洒落のひねりを効かせ風情をたたえた佳作である。

 

浮世詞 うきよことば

遊里(さと)(ことば)にほぼ同じ。

江戸時代に遊里界隈で自然発生的に流行した特有の言葉である。これを吉原では「ありんす言葉」といった。

♪浮世言葉        古今新左衛門詞

うき代ことばによそへてとふて、とかくうき代じや恋のみち、うらがきまゝなるならほんに、とはおもへども人の口、有事ない事おつしやります事聞は、松はこふじとねたといふ、こふじはまつとねぬといふ、あのうそはいの、ねたりやこそあれな、やれひつたりと、そのよな事はな、けもない事よ、きけばうれしや思ひくさ、たゝうつゝなや、人にはいはれぬわがなみた、それとはしらでおもひねの、かわくまもなきわかなみた、誰れうのたもとをも、ひかはなどかきれざらん。『落葉集』巻六(元禄年間)

 

大津絵節〔遊里唄〕 おおつえぶし

元禄あたりから大正頃まで超長期の人気に支えられてきた俗曲の通名。

大津絵は地元絵師が描いた戯画で、古くから魔除けのまじない絵として人気があった。これにかかわる俗信神事にちなみ、近江大津地方の遊女らがうたいだした「大津おひわけ絵踊り」が大津絵節の始まりである。江戸後期に黒船寄港や安政大地震などのおりに材を取った大津絵節がたちまち人気になり、時勢にそった類歌や替歌も続出した。

あるいは尽し唄など言葉遊びの系統、ときには遊里流行艶歌も登場するなど、内容は多彩である。江戸時代の作詞は詞集『粋の懐』などで多数紹介されている。

♪おゆきさんは。うつくしい。色が白ふてしほらしひ。やさ姿。みるにつけ。(えん)をうち明松がへに。お前の気性もしれました。風になびいて落ちなさる。あたまからなられるとは覚悟なれど。つもり〳〵しそのあとはうちとけて。ながれの身とはしりながら。そのまゝきえてすがたもみせぬとはほんにみづくさい。(二篇)

♪花やかに。さきそろう。さくらの宮のはるげしき。うきつれた。()かたぶね。(べに)ずり(てう)ちん赤襦(あかじゆ)ばん。きくもようきなばかばやし。障子ほそ目につめ(びき)は。あだな茶ぶねのさしむかい。堤は舞やらおどるやら。端手(はで)くらべ。しやうことなしのしみたれは。風りうめかして矢立(やたて)短冊(たんざく)うろ〳〵そこらをひつつきさがします。(三篇)

 

艶歌 えんか

定義づけはあいまいだが、近代の〈演歌〉が時代が下がるとともに〈民権唄〉としての性格を失う。やがて軟派化をたどり大道演芸化したもの、としておこう。

別に、「演歌」は東京で、「艶歌」は大坂ではやった歌のこと、と主張する本もあるが、この説はうがち過ぎではなかろうか。交通の発達した近代以降、こうしたご当地発祥説は当てにならない。いずれにせよ、〈演歌〉と〈艶歌〉とを仕分ける線引きも実際には曖昧である。単なる字面の違いというだけのことで、内容は艶歌としての特徴の出ている例歌を見て理解していただこう。

【例歌】

やつこらやのや                 添田啞蝉坊詞

♪先に木のないヤツコラヤノヤ

三笠の山にネーアナター

登りつめたら恥かしい恥かしい

ヤツコラヤノヤ ヤツコラヤノヤ

♪心中止めにしてヤツコラヤノヤ

饅頭でも食わうかネーアナター

それも止めにして水呑うか水呑うか

ヤツコラヤノヤ ヤツコラヤノヤ

♪つとめる身はヤツコラヤノヤ

田毎の月よネーアナター

どれがまことの月じややら月じややら

ヤツコラヤノヤ ヤツコラヤノヤ

♪お前百迄ヤツコラヤノヤ

わしや二百迄ネーアナター

残る百年浮気する浮気する

ヤツコラヤノヤ ヤツコラヤノヤ

──演歌、大正十四年頃流行、『新はやり唄全集』

こんりやこりや節 こんりやこりやぶし

蒸気や出て行く、士官も会計もかへる〳〵、けいしちやならねと芸者が袖振る泣き出す花魁止めだすなかいに、残る烟がアタ……癪の種、オーサンコリヤコリヤ。

儘にならぬなら、貸した金返せ戻せ、朝から晩まで田の中じやぶ〳〵、牛のけつしつ貯めた金オーサンコリヤコリヤ。

お母が、忍泣きして意見をすれば、忰は横向いて舌を出す、親父がんがん、いがいあきれ、金太の田地を質置てすちやんどん〳〵花魁買いのおべらぼのどら息子向見ずには仕方がねいコンリヤコリヤ。

あの花は意気な花だが、ちと木が高い、とても我等が手にや折れぬ、きびす、しびれ、きれる、いたい、金側竜頭の時計さげて筑前博多の帯しめて、すきあん手枕吸付烟草の程のよさ、時の流行で仕方がなへ阿房らしいでおまへんか、オーサンコリヤコリヤ。

──お座敷演歌、大正後期に流行、『美音の栞』第四七七八九号

[メモ] 演歌師が芸者に化け、バイオリンが三味線に変わった大正後期の酒席唄。残すはわずかに演歌特有の自由奔放な演奏ぶりだけである。

 

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うつけもの *土取利行(唄・演奏)

芸者ワルツ *神楽坂はん子 

こんなベッピン見たことない *神楽坂はん

盛り場演歌メドレー 

 

岡崎五万石 おかざきごまんごく

〈五万石〉でも通る。東海道五十三次、岡崎宿駅近辺の民謡。

岡崎は徳川家康の生誕地で、幕府は家康家臣の本多家を五万石でこの地に封じたことから付けられた。囃子が他の俗謡等と深くかかわりあっている点を特筆したい。今も花街などでお座敷歌として歌われている。

 東海道五十三次 岡崎〔歌川広重画〕

【例歌】

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岡崎五万石 おかざきごまんごく        喜久丸唄

〽五万石でも岡崎さまは

アーヨイコノサンセ

城下(しろした)まで 船が着く

ションガイナ

アーヤレコノ船が着く

お城下まで 船が着く

ションガイナ

アーヨーイ ヨーイ

ヨイコノサンセ

まだまだ はやそ(後略)

──民謡、近代採録、『日本民謡大観』中部篇

 

岡崎節 おかざきぶし

三河の獅子踊り「岡崎踊り」に唱和する唄。

この系統や〈五万石〉の詞章が遊里などに散逸した形で今日も伝えられている。

【例歌】

岡崎節 雑謡 

♪岡崎女郎衆、〳〵、岡崎女郎衆はよい女郎衆。

♪吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振袖で。

♪糸ひき女を女房に持てば、切れる〳〵で気がもめる。

♪船の船頭衆は何してくらす、苫を枕に水の上。

〽五万石でも岡崎様は、城の下まで舟がつく。

──里謡、近代に採録、『里謡集拾遺』

 岡崎五万石踊り〔現代〕

 

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岡崎音頭 泰平おどり 岡崎音頭

 

荻江節 おぎえぶし

長唄系の古曲。

明和五年、長唄の唄い手荻江露友は芝居出演をやめて新吉原の廓内で唄うようになった。その間、節に位取りする座敷向きの優雅な曲風を樹立し、地歌色を強めるなどして、これが〈荻江節〉として広まった。

天保年間、廓では蚊帳売藤治なる太鼓持がこれの名手として名を知られ、通人向きの音曲との箔がついた。現代も保存会がレコード盤を出すなど、愛好者が絶えない。

【例歌】

爪音幸紋づくし つまおとさいわいもんづくし

〽千代の春。花に移ろふ蝶百千鳥しをらしや打()で見れば白妙の。富士の高嶺の薄霞。裾の葉露のぴか〳〵と。朝日輝く御威勢君を始め奉り「皐月(さつき)下旬は我々も。憚りながら桜かげ陣屋〳〵に打つ幕も「染色々の紋尽し釘貫松皮黄叢濃(むらご)。三蓋松にしやんと手綱も繋ぎ馬白一文字黒一文字割菱輪違(わりびしわちがひ)花空穂。花の色香も名にし負ふ(いほり)木瓜(もつかう)抱茗荷。抱沢瀉(だきおもだか)とはなあゝ。人が三つ鱗でも。まことは(たて)烏帽子。その折烏帽子忍ぶ夜の手筈矢筈にいやましは。月に星。笠を召したが三本(からかさ)。差す手引く手に二つ引三つ瓶子(へいじ)四つ目(ゆひ)。網の手焼いたら貝。清き(ながれ)(みづ)(ぐるま)。くる〳〵〳〵と二つ巴や三つ巴。打つや太鼓の拍子とり〴〵。開く扇の舞鶴は。大一大万大吉日と馬の乗()め弓始め。上覧(じやうらん)ありて各も(ほまれ)を残す富士の(まき)(がり)

十寸鏡 ますかがみ

〽住む世なりせば浮世とは。わしや言はなくに今の身は。比べこしたる身に(よそ)へ。ほんにたがいうた無理ぢやわいナ。その憂き事も増鏡。同じ流を陸奥(みちのく)の。関の下紐打付けに解けて乱れて元結の末長かれと結びてし「二人が中の恋(ぐさ)は重きが上の露ならで。濡れて墨散る延紙の。白地(あからさま)には岩橋の耐えぬ思は命毛に任せ候べく「候かしく。

──ともに三下り長唄、江戸後期演奏、『荻江節正本』

[メモ] 以上の二作を対比すると、前者がしろうと向けの遊び唄、後者が通人好みの粋な詞であることがわかる。

 

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荻江節「深川八景」 荻江節

 

オコロリ 

明治語で、転び芸者」の異名。

幼児を寝かしつけるときに親や子守が歌う歌の一節「ねんねんおころりよ」から出たもの。

オコロリにちなんで、当時いくつか替え歌が作られている。その一つに、次。

【例歌】

♪女ン猫ヨー お転びヨ

今夜の泊まりは何処へ行コ

伊勢山(あたり)りか 神奈川か

()()目的(めあて)で何ン成と

権妻 細君 (しよう)が殖え 

女ン猫ヨー お転びヨ

 『仮名読新聞』明治九年二月五日、投書

*江戸子守唄の詞は「ねんねんヨー オコロリヨー 坊やのお守りは何処へ行たー…、これの替え歌である。詞には猫=芸者、楮ァ幣=紙幣、権妻=妾といった、開化新語がはめ込まれている。これら新語は『安愚楽鍋』等の作品で仮名垣魯文が流行らせた。

 

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俗謡・づぼらん 土取利行(唄・三味線)

  

お座敷唄 おざしきうた  

酒宴など座敷でうたわれる唄。〈お座敷小唄〉とも。

当然、艶っぽい歌謡が中心になり、往時は〈さのさ節〉や〈都々逸〉が王座を占めていた。類歌の追加追加で、昭和に入ると歌謡のレパートリーも増え、流行歌の替歌など現代風なものがもてはやされるなど大きく様変わりしている。

 【例歌】

じやんじやかとてつるけん

酒はけん酒いろ(ひな)は、(かへる)ひとひよこ三ひよこひよこ、蛇ぬらぬら、なめくじでまゐりましよ、じやんじやかじやかじやかじやんけんな、()(さま)和藤内(わとうない)がしかられた、虎がはうはう、とてつるてん 狐でさアきなせえ、スチヤラカチヤン

酒は剣菱(けんびし)いろよしで、かはり一猪口(ちよこ)三猪口ちよこ、お(しやく)はぶらぶらなまけでまゐります、じやんるとてつるてん、三丁目でサアきなせえ、まいりましよ、チヨンチヨンがヨンヤサ

独楽(こま)源水(げんすい)奥山へ、芝居一幕三幕、茶屋を軒々(のきのき)のろけてまゐりましよ、スチヤラカチヤン、じやんじやかじやかじやかでんがくや、としま若衆(わかしゆ)がうかされて、(くめ)(へい)(ない)とりもちで、返事でサアきなせ、まゐりましよ、スチヤラカチヤン(後略)

──二上り拳唄、文政十二年頃流行、『じやんじやかとてつるけん』

[メモ] 早口もじり、お座敷唄。この拳唄は大流行し、路上で遊ぶ子どもまで真似して歌ったという。

ノツペラボウぶし

♪亭主取られて、泣く奴野暮だ、ノツペラボ意気地なし、其所で以つて亭主取り徳ソレ取られ損といナア

♪女郎に()られて怒るやつ野暮だ、ノツペラボウの意気地なし、其所で以つて女郎は()り徳ソレ()られ損といナア

♪ト一とられて、泣く奴野暮だ、ノツペラボ意気地なし、其所で以つてト一取りどくソレ取られ損といナア

♪芸者遊びを、する奴野暮だ、ノツペラボウの性根なし、其所で以つて芸者呼び損ソレあそび損といナア

♪芸者遊びを、せぬ奴野暮だ、ノツペラボウの意気地なし、其所で以つて芸者呼び得ソレ遊び得といナア

──座敷唄、明治二十年頃流行『ノツペラボウぶし』

 

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 お座敷小唄 和田弘とマヒナスターズと松尾和子

温泉芸者 五月みどり

三味線ワルツ *市丸

三味でダンスを 二宮ゆき子

ステテコシャンシャン *二宮ゆき子

だから今夜は酔わせてね *神楽坂はん子

まつの木小唄 二宮ゆき子

野球けん *青木はるみ

行こか戻ろか 豆千代

湯の町椿 *神楽坂はん子

ロケット音頭 *五月みどり他

 

お座敷長唄 おざしきながうた

()の長唄〉とも。歌舞伎の伴奏音楽から離れ、舞踊を伴わない歌唱観賞用の長唄仕立となっている。

文政年間あたりから、大名屋敷などへの出張(でば)り出演奏されるようになり独自の境地を拓く。曲目も謡寄りに限定されるのはやむをえないことであろう。

【例歌】

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  おいまつ      常磐津文字太夫直伝

抑松のめでたきこと万木(ばんぼく)にすぐれ十八公のよそほひ千秋のみどりをなして古今の色をみす。「秦の始皇の()狩のとき天俄にかきくもり大雨しきりにふりしかば。(みかど)雨を凌がんと小松の蔭に寄り給ふ此の松。たちまち。大木(たいぼく)となり。枝をたれ葉を重ね木の間すき間をふさぎて。其雨をもらさゞりしかば帝太夫といふ爵を。おくり下し給ひてより松を太夫と申すとかや。かやうに目出度き松が枝に。巣をくふ田鶴の齢をば。君にさゝげて御子孫は亀の万ごうふる川の流れたへせぬ金銀珠玉どう〳〵。どう。と御蔵(みくら)のうちにおさまる家こそめでたけれ。

──常磐津、『常磐種』

[メモ] 能「老松」に材を取り、地歌でもうたわれる。

 

片撥 かたばち

寛永頃、遊里に発祥したはやり唄。

〈片撥〉本来の意味は、三味の撥使いをさすもので、七七調(四三―四三)が基調になる。その捌きを歌謡に取り入れた〈片撥かわり節〉の略称であるという。いっぽう、〈弄斎節〉の転化したもの、という説も有力である。

なお、地歌の組歌(破手組)曲名にも「片撥」がある。

【例歌】

片撥 かたばち

〽吉野──もろきは露と ()がいひそめた 我が身も草に 置かねばかりよ。

〽唐崎──思ひねの床ぞ 一方ならぬ 夢にも絞る 袖のしら露。

〽高尾──錦の床も 一人はいやよ むぐらの宿に 袖をしきても。

──流行唄、『ぬれぼとけ』(寛文十一年)

[メモ] 各曲頭書は土地名ではなく江戸吉原の遊女の源氏名である。このあとも柏木・白玉・難波・石州・常世・若狭などと続く。

 

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雪月花 *長唄   

藤 娘 *長唄

 

花柳唄 かりゅううた

花柳街や三業地で流行の唄。

〈廓唄〉を含めての総称で、華やかさが売りである。

【例歌】

獅子 しし

獅子はセツホンカイナ、獅子は食はねど獅子くひくひと、雨や霰や寒晒(かんざら)し、ゾロリヤゾロリヤゾンゾロリ、目出度いな目出度いな。橋のセツホンカイナ、橋の欄干(らんか)に腰打ち掛けて、向ふ遥かに見渡せば、弁天、松坂、小松島、キュッキュッと立ったはありゃ何だ。アレカイナアレカイナ、昔々、その昔、ずっと昔の大昔、九郎判官義経さまは、静御前を連れて逃げ、夜も昼も抱いて寝る、よんぼりよんぼりよゝんぼり、烏帽子(えぼし)狩衣立烏帽子、ゾロリヤゾロリヤゾンゾロリ、目出度いな目出度いな。

──流行唄、幕末・明治流行、上方芸能辞典

[メモ] 大阪で流行、東京でも「せつほんかいな」の題名ではやった。元唄は阿波民謡「()季候(きぞろ)」である。

たしイか節 たしいかぶし

♪向に見ゆるウは、あれは何ぢやいな、朝日の御旗を(ひるが)へし、たしイか東郷さんの艦隊。

♪向に見ゆるウは、あれは何ぢやいな、砂の煙を蹴り立てし、たしイか騎兵の進軍。

──流行、明治三十八年頃流行『明治流行歌史』

[メモ] 「たしイか」は芸者言葉で「たしかに」のこと。

さあやれ節 さあやれぶし

意気なエヽヽ、粋な蛇の目が、柳を(くぐ)る、下を、下を、燕が、サアヤレ、また潜る。

上げたエヽヽ、上げた心地も、優しき指に、(もろ)く、脆く、折らるゝ、サアヤレ、(はつ)(わらび)

──流行節、大正中期流行、『上方演芸辞典』

 

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下町育ち *笹みどり

三味線かっぽれ *市丸

花街ぐらし *藤 純子

明治一代女 *森 昌子

 

後朝の唄 きぬぎぬのうた  

遊里や茶屋街などで一夜を共に過した男女が迎えた朝、互いに別れを惜しみあう情緒を「後朝」という。この後朝を主題にした歌謡が少なくない。

【例歌】

奥座敷 おくざしき          泰阿弥詞

〽ほの〴〵と、雀(さへづ)る奥座敷、灯火(ともしび)()す男共、屏風一重(ひとへ)のそなたには、まだ睦言(むつごと)の聞ゆなり、我は見足らぬ夢を裂き、さらば〳〵の、声もしどろに引き結ぶ、帯隠さるゝ(たはぶ)れも、憎うはあらぬ移り香の、また盃の数ふれて、三の切れたる三味線(さみせん)も、ひかるゝ種は引きみん、仇し心の(あだ)(まくら)、交わさぬさきもあるものを、()なば去なんせよしやたゞ、独り憂き身を数へんと、ほんの涙の色香にも、我が(たま)ながら魂なくて、投節死なざ()むまい我が思ひ。

──本調子端唄、『琴線和歌の糸』三(寛延四年)

[メモ] 廓の奥座敷で後朝(きぬぎぬ)の別れを迎える心情をうたう。投節の〆が趣を添えている。

見返り柳 みかえりやなぎ     四世・荻江露友詞

(つつみ)になびく青柳の 結んで解けし縁の糸 ()もとめられて見返りの 思わせぶりな捨言葉 エエそうぢやいな (じつ)ほんにえ。

──江戸小唄、幕末の作、『端唄大全』

[メモ] 「見返り柳」は日本堤から吉原大門(おおもん)へ下る衣紋坂に立つ枝垂柳。この柳そのものが後朝の象徴で、江戸の軟派文学にも登場。

柴小舟 しばおぶね          千原寒山詞

筒井(つつゐ)つの、生まれ変りて初桜、来る年々を指で折れば、嘘と誠を(あらは)(ぎぬ)の、馴れし(ふすま)の、夢を貫く(かんざし)、送る素足の氷のくさび、朝明(あさけ)木暗(こぐれ)の雪と()かりし事も、最早迎ひの(かご)待つ別れ、里のすがりの柴小舟、焚かぬさきより先づこがるらん、(むな)つぼらしい名残を胸で、胸で(ほど)いて心で捨てて、あゝなんとしよ忘れ(じも)

──本調子端歌、幕末の作、『日本歌謡類聚』

[メモ] 「柴小舟」は薫物(たきもの)の一つ。

 

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後 朝 *綾華

の忍び傘 高田浩吉

 

後朝の別れ きぬぎぬのわかれ

吉原等で、遊女が一夜枕を交わした情夫(まぶ)や客と翌朝に名残惜しむ別れ。

(ころも)(ころも)を別々に身に着けることから名付けられた雅語である。その時の辛さが身に染みる思いを(あした)(わび)と味わい深く表現した。

客は吉原の場合、明け六ツ(午前六時)には大門(おおもん)を出なくてはならない仕来りであった。何戦か交えた後のこと、酒か飯で腹ごしらえしたい気分に。大門に通じる日本堤界隈の湯屋や飯屋は、そうした朝帰り客で賑わった。朝帰り            泰阿弥詞

〽ほの〴〵と、雀(さへづ)る奥座敷、灯火(ともしび)()す男共、

 屏風一重(ひとへ)のそなたには、まだ睦言(むつごと)の聞ゆなり、我は見足らぬ夢を裂き、さらば〳〵の、声もしどろに引き結ぶ、帯隠さるゝ(たはぶ)れも、憎うはあらぬ移り香の、また盃の数ふれて、三の切れたる三味線(さみせん)も、ひかるゝ種は引きみん、仇し心の(あだ)(まくら)、交わさぬさきもあるものを、()なば去なんせよしやたゞ、独り憂き身を数へんと、ほんの涙の色香にも、我が(たま)ながら魂なくて、投節死なざ()むまい我が思ひ。 

──端唄、『琴線和歌の糸』三(本調子、寛延四年)

*廓の奥座敷で後朝(きぬぎぬ)の別れを迎える心情をうたう。投節(廓流行の唄)の〆が趣を添えている。

  

 くるわ

近世・近代語で、遊女屋が密集した街区。狭義には、幕府公認の遊女の屋外街をさす。

遊廓と同義だが、廓のほうが古くに出来た言葉である。『色道大鏡』に、「くるわ 曲郭とも、曲輪とも書く。廓の一字をもくるわとよむ。郭ともかく、城郭(じやうくはく)の心也。いづくにても、傾城(けいせい)(まち)の一かまへをくるはといふなり」とある。要するに廓は、一般社会から隔離された特殊地域で、その内部で独自の風紀と治安の管理、統制支配等が維持された。往時、廓通いは男の飲む・打つ・買うのうち最高の道楽とされた。

【例歌】

大尽舞 

そも〳〵(くる)()の始りは。ゆげの道鏡勅をう

 け。はじめてくるわをたてらるゝ。くるとはお客が来るゆへに。わはやはらぐる心にて。くるわと名づけ()めにけり。ホウそれ。大じん舞をみさいな。その次の大尽は。そも〳〵お客のはじまりは。高麗(こま)もろこしにはあらねども。今日(いまひ)の本に隠れなき。紀の国文三でとゞめけり。ホウそれ。大じん舞を見さいな。今はくるわとなりふりも。粋でまるめた恋の山。出ぐちに柳をうゑたるは。これぞいはれのある中に。お客をまねく合ことば。諸事は柳にやり羽子の正月しよ斎は客のはれ紋日ひがらをうけこんで六条三すぢのあげ屋町こゝにうつせし来歴は通ひなれにし深草の少将さまにはあらねども小まちつゞきとおもてぶせ顔は朱雀(しゆじやか)ののうかなや出口にかけし端の名は衣もんばしとは申すなりいり来る客のよそほひにかたちつくろう所とて衣もん橋とは(なづ)けたり今の世迄も人ごとにえもんばしと申すなり送つてもらふお客たち名ごりをおしむさらばがきなさけをつくる君たちに松の位と名づけしはオヽ秦の始皇の御狩(みかり)の場で雨をしのがせ給ひしに松の木かげのやどりとて太夫とくらゐを給ひしに余風を今に色里の江口神崎室の津や浅妻船の浅からぬ。契りは千歳いろかへず。島原と世によばれ。たのしみうたふ一すぢに。おもしろや。

──『粋の懐』八篇(二上り座敷唄、享保年間)

*大尽舞とは、享保年間に江戸の歌舞伎役者中村吉兵衛が作ったとされる引継ぎ連鎖唄。すなわち酒席で列席者が、即興の、あるいは知っている唄を次から次へと歌いついで行く、今風にいうならリレー歌である。喜多川守貞は著『守貞謾稿』巻二十三において、「吉原に古き小唄の今世に至り存するもの、たただこの大尽舞のみとなり」とまで言い切っている。同書など掲出の例を見る限り、たしかに充実してコクのある内容だ。

 廓内での夜桜見物〔新吉原、『江戸名所花暦』より、岡山鳥著・長谷川雪旦画、文政十年〕 吉原での花見は、生きた花々の観賞にもうってつけであった。

 

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廓流し *砂川捨次・荒川歌江

 

廓唄 くるわうた

廓内でうたわれた唄の総称。遊女の情歌がかなり多いので、例歌には別の小唄傾向の作を拾ってみた。

【例歌】

廓唄の雑載

 ・君にうたゝね()()(おこ)されて、あやめあかぬに(じつ)短夜(みじかよ)は、名残惜くもかへる月。(四季)

 ・松と竹との(よわひ)(かど)に、かざる、いよ宝船。(十二月行事)

 ・祇園祭に(すずみ)をかねて、つもる思ひを夕顔の花。(祇園祭)

 ・忍ぶ恋路に粟津(あわづ)と聞けば、わしは一しほ身にしむあらし。(近江八景)

 ・恋の湊に思ひの(いかり)、君が情けよいよ泊り船。(恋づくし)

──廓唄、江戸前期流行『三廓盛衰記』

別世界      油屋茂作・近松播磨詞

ふうりんのをあしもとつて時のよう、花もうし月もよしなし、たゞひとりのいてちやうじやにならぬがまこと「いたゞいてあきのない、大事の〳〵をとこのなにも「いれぼくろにはさまつけず、うでにしみこむあいあがりいまおくさまといはれていたらこへであらうものこれのふやいの、とゝとかゝとでくらすがましよ、勝山ほどきはらげがみながわげやめてぼつとせに、なりは気さんじ気はたかうすゐのとまりの別世界。

──本調子端歌、享和元年、『新大成糸のしらべ』

*遊興のすえ廓に残した捨唄であろう。

♪新吉原節

・晩に二人が互の固めをば、名を入墨がきれずみと、世間の手前切れねばならぬとは、苦労は初手からズイトコリヤ承知でも。

・わづか三巾(みはば)の布団の其中で、死ぬる生くるの痴話喧嘩、(はた)で見てゐる仲居はたまりやせぬ、色は思案のズイトコリヤ(ほか)ぢやもの

──遊里唄、明治三十九年頃流行『明治流行歌史』

枕代

♪これは世界の女の値段付、高いも安いも色の道、密夫は七両二分、花魁三歩で女郎衆は一歩に二朱、ごろ寝は四百、きり見世で鉄砲放すが百文で、もちつとお安いところが御用なら、おんばさんと子守は先から借り次第、生娘と地色と手切金は相場きまりなし、夜たかの勤めは二十四文、まことに現金掛け値なし (大津絵節の伝承、文久頃に流行)

 

おち くるわおち

吉原や島原などの高級遊女だった身から地方の色里や岡場所へ流れ堕ちること。

遊女勤めの身はさまざまな事情で廓おちするが、十年年季は明けたものの、容色が衰え廓では生きて生けなくなった例が最も多い。

【例歌】

里の名残

ひとりゆく、去年(こぞ)は港に身を寄せて、今は

 見られぬ(みつ)(どもゑ)、離れ〴〵の軒の露、なんの

 昔のわしならば、今のこの苦はせまいもの、

 泉流れてまた(しじみ)(がは)、慣れし(くるわ)を秋の風、

 見送る禿(かむろ)の姿さへ、(かこ)ち顔なる憂き涙、

 馴染(なじ)まぬ里の苦界(くがい)も辛き、中に楽しむ血筋

 と血筋、思ひ尽きせぬ(うた)起請(ぎしやう) 

──地歌、江戸中期作『日本歌謡類聚』

*作詞者未詳の二上り端唄。容色が衰え廓(新川か) 

 から鄙里へと堕ちていく遊女の哀れを歌っている。

 

ゲイシャ・ソング

【例歌】

芸者のうた(きしゃポッポ替え)

               作詞者未詳

♪げいしゃげいしゃ しゅぽしゅぽ

 しゅぽしゅぽ しゅぽぽ

 ぼくらをのせて

 しゅぽしゅぽ しゅぽぽ

 はやいぞ はやいぞ 穴の中

 つばきもとぶとぶ しおもとぶ

 はしれ はしれ はしれ

 絶頂だ 絶頂だ 楽しいな

──お座敷唄、ご愛嬌版

 

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銀杏がえしで *美ち奴

勝太郎くずし *小唄勝太郎

芸者の唄 *市 丸

芸者ワルツ *神楽坂はん子

こんなベッピン見たことない *神楽坂はん

こんな私じゃなかったに 神楽坂はん子

三味線流し 神楽坂はん子

泣くなんて馬鹿よ *豆千代

見ないで頂戴お月様 *神楽坂はん子

 

玄様 げんさま

遊里(さと)(ことば)で、医者に化けた僧侶のこと。

坊主の女遊びが御法度だった江戸時代、隠れ蓑に診察医者に成りすまし登楼する者が絶えなかった。「玄白」とは医者の通称、そんな坊主を見て例歌のようなからかい唄が流行った。

♪坊さま

 (くる)()通ひの坊さまの、医者の真似して小脇差さしかけ、それえそれえそれ〳〵、羽織着せてやれ、伽羅で(しきみ)の香を隠す、といふたが無理かい、(もつとも)じや〳〵。

──俗謡、文政年間流行『はやり唄変遷史』

 

瞽女 ごぜ 

かつて三味線を弾きながら俗謡を歌い銭を乞うた盲目の女。

瞽女の発祥は中世にさかのぼる。江戸時代に盛んになり、新潟や九州など地方によっては近代まで存続した。

彼女らの身の上は、「語るも涙」そのものの悲劇であった。諸国流れの女の一人旅のこと、まして目が不自由。強姦や輪姦の被害は日常茶飯事で、瞽女の多くは身を持ち崩し、あげくに道中淫売に堕ちた。

 新潟・出湯温泉街を流し行く瞽女(昭和三十五年)〔「瞽女唄のこと」萱森直子さんのホームページより〕

【例歌】

♪可愛や男に植ゑられて、こやしくれ〳〵そだてられ、やうやくせいじんしたなれば、くはやまんのにおこされて、ごり〳〵とおんもまれ、みかいの中にとあげられて、まないたそーぞにのせられて、うすばや庖丁手にかかる。なべの中にとりいれられて、上からぴんとふたをされ、下から、どん〳〵火をたかし、可愛や、おたまにすくはれて、あかわん舟にといれられて、白はしりやうどにはさまれて、口の中にといれられて。べろの車にのせられて。奥ばの茶屋へとこしよかけて、のどの三寸くぐるとき、つらいや、かなしや。

──北葛飾のごぜ唄〔武蔵国北葛飾郡〕、『俚謡集拾遺』

*女体を食い物に託した唄なのはわかるが、きわどくも官能的な詞だ。みすぼらしい女芸人が唄うだけにやりきれなさが残る。

 

芸者踊り歌 げいしゃおどりうた

 花柳街ごとに芸者衆が披露する舞踊・歌謡の総称である。

京都祇園の『都をどり』および東京新橋連

中の『東をどり』のように伝統的なものもあり、ときには地場の大劇場等で披露される。

 新橋演舞場第九十一回東をどりチケット

【例歌】

ヨイトヨイトヤツトセ節 よいとよいとやつとせぶし

♪御代は目出度きたん宝の船に、つむや金銀瑠璃(るり)蝦蛄(しやこ)瑪瑙(めのう)富貴(ふつき)絶えせぬ楽しみは、ヨイトヨイト、ヨイトヨイト、ヤツトセ。

花を見よとてつん連れ立ち来れば、花は見もせで見られた花嫁子、花も及ばぬ色盛り、ヨイトヨイト、ヨイトヨイト、ヤツトセ。

──踊り唄、明治二十八年公演、『明治流行歌史』

 

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上七軒歌舞練場「北野をどり」

芸者お座敷踊り(浅草)

新橋芸者東をどり「銀座柳まつり

 

源助節 げんすけぶし  

明治後期から大正にかけ京阪流行の座敷唄。

呼称の由来は諸説があり定かではないが、「源助」には役立たずの意味がある。

長らく粋筋で人気になっただけに、詞に脂粉の香が染み付いている。歌詞を見る限り、芸者に演歌をうならせたらこうなる、という見本のようだ。

【例歌】

源助節

間夫やお客の内幕聞けば、実に気違ひ多いもの、しげしげ通はにや実がなく、通へば馬鹿にされるかと、我が銭持つて遊ぶにも、苦労の絶るもので無し、夫に何ぞや苦労人は俳優(やくしや)や芸人間夫にして、無心に取つたペラ札も、紋日に取つた御祝儀も、皆な其者に入れあげて、実が薄いの不実じやの、ヨウマア言へた義理である、いけないヨ、モウ止めた、ヤアツト源助々々。

儘になるなら水道の水で、腐敗な奴らを流したい、水道の施けたは結構だが、水屋の爺さんあがつたり、湯屋が(たこう)なる理髪床、女将さんソンナにかい出しちや水道の税に堪らない、行水するなら、雨水を大きな盥へ取つて置、天から税金かからない、お遣りなさい、真実(ほんと)だよ、ヤアツト源助々々。

人の心の恩底見れば、実に恃になりはせぬ、親切らしいが(そう)じやない、己が勝手にしやうとて、算盤づくの誤親切、勝手になる時や追従して、然でない時や知らぬ顔、遊びにお出と口かけて、往て見りや変な顔をするサツパリ見当が解らない、いつそ絶交していれば、無沙汰な奴じやと腹立る、ホントニ然かと思ふて居りやあ、其場の場合じや遁言葉、ヤアツト源助々々。

──座敷唄、明治三十二年『源助ぶし』

 

こちやえ節 こちゃえぶし

〈こちやぶし〉〈こちややれぶし〉〈こちやえいぶし〉〈こちやのばきぶし〉あるいは〈はねだぶし〉などなど、呼称も賑やかだ。

「こちゃえ」の語源は宿場女郎らが通行人に「こちらへどうぞ」の意味で呼び込んだこと、とする説がある。明治初年、爆発的人気を獲得したはやり唄(替歌) で、それまでにも何度か同題別歌が派生するなど抜きん出た人気筋であった。 

〈こちやえ節〉の多くは駅次唄でもあり、各宿駅がらみの洒落も売りである。しかしながら類歌濫造の結果、歌詞もどれが正統なのか判別が困難だ。現代も広く知られる俗謡「お江戸日本橋」もそのうちの抄出改変作の一つである。

こちゃえ節の歌い出しにもなった江戸時代の日本橋〔歌川広重画〕

【例歌】

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はねだ節 はねだぶし

〽おまへまち〳〵蚊屋の外、蚊に食はれ、七つの鐘のなるまでも、コチヤカマヤセヌ、〳〵。〔本唄〈はねだ節〉天保二年〕

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こちやえ節 こちやえぶし 

お江戸日本橋七つ立ち、初上り、行列揃へてあれはいさのさ、こちや高輪夜明けの提灯消す、こちやえ〳〵。

♪恋の品川女郎衆に袖ひかれ、乗掛(のりかけ)お馬の鈴ケ森、こちや大森細工の松茸を、こちやえこちやえ。

♪六郷渡りて川崎の万年屋、鶴と亀との(よね)饅頭(まんじう)、こちや神奈川急いで程ヶ谷へ、こちやえ〳〵。

♪痴話で口舌(くぜつ)は信濃坂戸塚前、藤沢寺の門前で、こちや止めし車は綱でひく、こちやえこちやえ。

馬入(ばにふ)渉りて平塚の女郎衆は、大磯小磯の客を引く、こちや小田原評議であつくなる、こちやえ〳〵。

♪登る箱根のお関所で鳥渡(ちよと)まくり、若衆のものでは受け取らぬ、こちや新造ぢやないかと鳥渡三島、こちやえ〳〵。

♪酒は沼津に腹鼓吉原で、富士の山川白酒を、こちや姉さんだしかけ蒲原へ、こちやえこちやえ。

♪愚痴を由比(ゆひ)出す薩陲坂(さつたざか)馬鹿らしや、(から)んだ口舌も興津(おきつ)川、こちや念じて恋名坂、こちやえ〳〵。

♪江尻まで来て気は府中、それからは、泊りの宿も此処ときめ、こちや岡部で笑はゞ笑はんせ、こちやえ〳〵。

藤枝(ふぢえだ)娘のしほらしや投島田、大井川へと抱きしめて、こちやいやでもおうでも金谷(かねや)せぬ、こちやえ〳〵。

小夜(さよ)の中山夜泣石、日阪(につさか)の、名物蕨の餅を焼く、こちやだまして喰して掛川へ、こちやえ〳〵。

♪袋井通りて見附られ、浜松の、木陰で舞坂まくりあげ、こちや渡しに乗るのは新井宿、こちやえ〳〵。

御前(おまへ)白須賀(しらすか)二川(ふたかは)の、吉田屋の、二階の隅で(はつ)小袖、こちや互にお顔を赤阪藤川へ、こちやえ〳〵。

♪岡崎女郎集のちん地鯉鮒(ちりふ)、よくお手の、鳴海染着て宮の浜、こちや焼蛤ぢやと鳥渡桑名、こちやえ〳〵。

♪四日市には石薬師願をかけ、庄野(しようの)悪さを直さんと、こちや亀山薬師をふし拝む、こちやえ〳〵。

♪互に手をとり急ぐ旅、こゝろ関、坂の下から見あぐれば、こちや土山躑躅で日を暮らす、こちやえこちやえ〳〵。

水口(みなくち)びるに紅をつけ玉揃ひ、どんな石部のお方でも、こちやたあぼに迷うでぐにや〳〵と、こちやえ〳〵。

♪お前と私は草津縁ばちや〳〵と、夜の間に搗いたる(うば)が餅、こちや矢走(やばせ)大津で都入り、こちやえ〳〵。

♪お前をまち〳〵夕暮れに、格子先、十時の時計の鳴る迄も、こちや辛いこと、待ちどほな、こちやえ〳〵。

♪曇らば曇れ箱根山、晴れたとて、お江戸が見えるぢやあるまいし、こちやお江戸が見ゆるぢやあるまいし、こちやえ〳〵。

♪お前はどんであんどんで、若いしゆに、かきたてられてとぼされて、こちやかきたてられてとぼされた、こちやえ〳〵。

 

──駅次唄(替歌)、明治四年流行、『明治年間流行唄』

 

こちやえ節替え こちやえぶし/かえ

♪お前は浜のお奉公(ほうこ)さん、潮風に吹かれてお色が真黒(まつくろ)け、コチヤ構やせぬコチヤエコチヤエ。

♪ゆうべ舞子と添寝して、夜を明石(あかし)、けさの別れの悲しさに、アレ大久保駅に後を見る、コチヤエコチヤエ。

──駅次唄(替歌)、明治二十七年頃流行、『明治流行歌史』

 

座敷踊り唄 ざしきおどりうた

〈遊興唄〉とも。手踊りを伴うお座敷唄。

内容・形式ともにさまざまであるが、たいていが〈騒ぎ唄〉の類。

【例歌】

紀伊の国 きのくに

紀伊の国は(おと)(なし)川の水上に、立たせ給ふは(せん)玉山(ぎよくざん)、舟玉十二社大明神、さて東国にいたりては、玉姫稲荷が三囲(みめぐり)へ、狐の嫁入りお荷物を、かつぐは「強力(がうりき)「稲荷様「頼めば田町の袖すりが「さしづめ今宵は待女郎「仲人は真つ先真つ黒な、黒助稲荷につまゝれて「子までなしたる信田妻

──座敷踊り唄、江戸後期流行、『歌沢節』二(伊勢屋卯之助板)

[メモ]  当時、浅草界隈にあったいくつかの稲荷が読み込まれている。

桑名の殿様 くわなのとのさま

〽桑名の殿様ヤンレー、ヤットコセー、ヨーイヤナ、桑名の殿さん、時雨で茶々漬ヨーイトナー、アーレワ、アリヤリヤンリヤン、ヨイトコヨイトコナー

──座敷踊り唄、幕末から明治に流行、『上方芸能辞典』

[メモ] 二上りの俗曲。お座敷・酒席でさまざまな変形を見ながら歌い継がれた人気筋である。

 

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淺草芸者衆 *くみ踊り

お座敷おどり 東京新潟県人会

おばば 岐阜の座敷唄

花をどり *霧島昇・小唄勝太郎

吉原木遣り・さわぎ

 

座敷余興唄 ざしきよきよううた

宴席などで、客が太鼓や芸者の手助けを得ながら余興に披露する唄。

旦那のど自慢派、戯れ唄派に二分されているようだ。

 奇術じみた座敷芸を集めた絵 〔葛飾北斎画『北斎漫画』〕

【例歌】

いよさ

〽今の芸者衆は薄化粧、島田に金糸をかけて、松葉一本さいてめかしてずつと行く、いよさのずいしよで気はざんざ。

──小歌、天保三年頃流行、『小唄の衢』

ドンガラガン節 どんがらがんぶし

♪客の喧嘩を肴において、ドンガラガン、屁とも思はぬいも酒屋、ドンガラガン。

♪橋の欄干に袖うちかけて、ドンガラガン、月を眺めてソレソレソレそつと出しやドンガラガン。

──流行節、明治十八年頃流行、『明治流行歌史』

ドンガラ節 どんがらぶし

鐘も聞こへぬこの山中にドンガラガン主ト二人で寝て見たいそうじやそうじやそこつきやドンガラガン

今のドン国に背は何処からはやるドンガラガン洲崎吉原芸者衆がそうじやそうじやそこつきやドンガラガン

──流行節、明治十八年流行、『日本近代歌謡史』上

ほうほうホホぶし ほうほほぶし

♪西と東にたてわけられて、逢わにやわからぬ(ふすま)()、一日さんりが七りき七りきしやつぽんけ、うんてんばつてん、たあふくりんりんけん、たあふくりんけんたい、そんなことぬかす奴等、庖丁切りこみたいたい庖丁ほうほうホホ。

──流行節、明治二十一年頃流行、『明治流行歌史』

隅田川節 すみだがわぶし

隅田川にはお舟が三艘流るゝ、先へ流るゝお舟はチヨキ舟中から流るゝお舟はもちろん屋根舟、いつちの後から流るゝお舟のおもしやることにや、子供出て見よ釣漁をするのかだぼはぜか。

青楼(ちやや)の二階で芸者の三けんまけたら、先へまけたら猪口で呑まされ、次にまけたら大きなもちろん杯洗、いつちの後から負けたら裸体で踊らされました、舞妓出て見よ仇討つのか姉はんの。

写真うつせば函入三枚くれる、先へ写した写真は横向きで中から写した写真はもちろん半身、いつちの後から写した写真のおもざし見たら、鼻が低ふてでぽちんで、ふくれ面。

質屋の倉より着物が三枚流るゝ、先へ流るゝ着物はより上布、中から流るゝ着物はもちろん平おめし、いつちの後から流るゝ着物のおつしやることにや、結城出て見よ唐さんに、めいせんも。

──座敷唄明治三十五年から四十年に流行『日本近代歌謡史』下

[メモ]この唄は明らかに〈騒ぎ唄〉である。

 

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こんぴら *京都舞子倶楽部 

そんなお方があったなら 赤坂 小梅

そんなの嫌い *美ち奴

夕 暮 小唄勝太郎

 

座持小唄 ざもちこうた

遊興の座で興趣を添えるためにうたう小唄。

たいてい姐さん芸者が座をとりもち、旦那芸用に比較的やさしくうたえる曲を選んで爪弾きされる。

【例歌】

しな物の歌 しなもののうた

〽夕べの〳〵 しな物は 今宵はどこが お泊りぢや 播磨の国の 書写むしや 寺のおつきやが お泊りぢや。

やよやぶし

〽昔は松の葉にさへ 四五百人も寝たが 今は御簡略で〳〵 やよやうゝ只ひとり。

はやり物の歌 はやりもののうた

〽はやり物は何々ぞ 弘徽殿十二段 あふ〳〵新田鑓鉋箆棒〳〵。

──小唄、『淋敷座之慰』(延宝四年)

 

騒ぎ唄 さわぎうた

元禄年中遊里を中心に、酒席で三味線や名のものに載せて歌う〈騒ぎ唄〉が爆発的に流行した。いらい今日まで、お座敷のどんちゃん騒ぎで口ずさむ戯れ歌をも含め、数知れぬほどこの種の歌が歌われてきた。

酒宴の雰囲気からいっても当然、お色気満艦飾の詞がもてて、高吟三昧の無礼講を普及させている。酒席を賑わす歌謡の大半は俗謡か民謡だ。雰囲気にピッタリの音曲であるし、詞のほうもいささか与太り気味で、高吟放歌向き。飲むほどに歌うほどに、座は渾然と同化し、対人関係の垣根が取り払われていく。

近代まで、お座敷唄と云うと、小唄・都都逸あるいは破礼(バレ)唄に人気が集中していた。ときには芸妓の三味線爪弾きに乗ったり乗せられたりで、一見渋いノドを披露する旦那芸がはやった。今なら、スナックバーでマイク片手にカラオケといったところだろう。

 

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さわぎ唄 会津若松の東山芸妓・まり若

三下り騒ぎ *名古屋 江川ふじ子

獅子は食わねど 新橋 妻吉

新土佐節 *玉枝・君葉・ぽん子

ツーレロ節 美ち奴

 ブログ「アイラブ・桐生」より

【例歌】

鼠のさわぎ ねずみのさわぎ

〽嬉し〳〵、側いこ〳〵、しんぞ〳〵〳〵、けんぼ〳〵〳〵、さすは盃君様へ、恋け恋慕きやしやふる花、よい〳〵、側にそつと、寝よか〳〵、替らぬ思はゞいざまゐろかの、うきにうきたつ、ひよんきり瓢箪、恋風がぱつとふいて来て、あなたへはからころり、こなたへはからころり、からころ〳〵からころり、つときそいのうかれ姿のおもしろや。年の始に春駒を祝ふた。お厄落しに厄払、節分豆蒔年男、やんさこんさ、てんかおてんか、屏風の桟敷大分込んだと南無奇妙長久、治めて置て頼朝のお前でひよつと望出いた、法楽々々の舞じや程に、いざ舞ふよ。拍子を揃へて、獅子乱曲を舞うよ。おどるまいと思へどきよひよん、おどるまいと思へどきよひよん、伊達な姿を三河の沢のお沢の騒ぎに、三界をはしり〳〵〳〵〳〵の八橋に、八つ拍子を揃へて、きよひよん、もすそ小づま揃へて、まつぴら〳〵〳〵ひらり〳〵ひらりしやらりと、うきようかれめ。

──座敷唄、『後は昔物語』(手柄岡持、享和三年)

[メモ] 早口でうたう類であろう。

開帳拳 かいちようけん

さてもこんどのお開帳、利益(りえき)も深川成田さん、づどんと鉄砲で大当たり、しぶいお顔も、にこにこと、仁王(にわう)さん、こつちもお賽銭、しこたま沢山、芝山の、花の佐くらの宗吾どん、名主がお役でお世話やき、三体揃ってまふけこみ、めでたく、いはふて、おさかもり、ここらで(しめ)ましよ、チヨチヨンがヨイヤサ。

ところ賑はう浅草で、大黒さんのお開帳、ちよつと参詣いたしやしやう、これから波之利(はしり)だし、ほどなく来かかる両国で、まるくおさまる大師さま、(むかう)をはるかに見わたせば、成田のさんけいぐんじゆなし、利益(りやく)は深川、こいつあまたありがてい、チヨチヨンがヨイヤサ。

──拳唄、明治八・九年頃流行、『明治流行歌史』

[メモ] この曲詞は拳唄というよりは騒ぎ唄であろう。

 

山谷源五兵衛節 さんやげんごべえぶし

吉原の〈土手節〉から分脈した俗謡で、〈源五兵衛節〉からの派生唄。吉原以外の江戸の遊里でももてはやされた。

【例歌】

山谷源五兵衛節 

〽源五兵衛どこへ行く さかひ町のまちへ 高い桟敷から 楽屋を見れば 役者かはいや 骨折ぢやゑ源五兵衛。

〽源五兵衛どこ行く さんやの町へ 高い土手から 田圃を見れば 多い買手が 打連れ立ちて 布引いてゑ源五兵衛。

〽源五兵衛弟は さんちやの町へ 高い二階から かしばた見れば けんどんかはいや 身をさらすえ源五兵衛。

──流行唄、『淋座敷之慰』(延宝四年)

替り源五兵衛節 かわり/げんごべえぶし

〽新造どこへ行く東の方へ、高屋山(たかをざん)から吉野山見れば、()やま勝山かく(やま)唐崎(からさき)志賀(しが)の夕ぎり〳〵。

〽まれにくるよのさしある宵は、つらき思ひは(たび)かさなれど、誰も人目のしげ〳〵なれば、ふくるつらさを神ぞ底からわするゝ〳〵。

〽春は吉野ににほひは花野、さわへすゝしき八橋(やつはし)かほる、高尾外山(とやま)に薄雲見れば、雪のはだへにとむるは初音、対馬の伽羅(きやら)の香、袖の香。

〽ふけてもどりにかへてのお手ひくは、名残の別れの辻に、さらば又やと頼みはおけど、袖の(なみだ)がはら〳〵おくられ、けさのきぬ〳〵。

〽袖の泪のかこつけ松よ、雪の(はだえ)にそひ寝のつゝじ、帰るあしたの名残のかりがね、しみてあふよの風をもいとふ、引合の屏風〳〵。

──唄、『淋座敷之慰』(延宝四年)

 

娼婦哀歌 しょうふあいか

売春制度が存在した時代の娼婦にまつわる哀歌。

とはいえ、ほとんどが買春側つまり男が作ったもので、ひやかし精神が垣間見える。

 遊女の張見世〔遊廓地は不明〕

【例歌】

エーゼ節〔雑載〕 えーぜぶし  

♪胸に焚く火は、流す涙だの雨めで消し、戻り待間の針仕事、夫れを察して下さんせ、実かなしい妾しの身は、エーゼ

♪口にいはれぬ、義理にせまつたかなしい思ひ、人に問はれてかくしかね、夫れをあかせば聞くのも、涙こぼして貰ひ泣、エーゼ

♪嘘もまことも、同じ勤めの身にあるもの、其所は男の腕次第、売ると買ふとの中に在る、買ふて下さんせ()しの実、エーゼ

♪客を寝かして、寝がほを見れば、ホンニケタイな、いやな顔、これでも添寝はせにやならん、ホンニ勤めはつらいもの、エーゼ

♪厭であろうが、思ひ込んだが此身の因果、若しも沿はれぬ其時は生きて居る身じやない物と、チトさつして下だしやんせ、エーゼ

──流行唄、明治三十二年頃流行、『流行新歌あだ文句』(ペラ本)

女郎花 じよろうばな/おみなえし        添田啞蝉坊詞

おぢさん隠して下さいな、私しや死んでも()にませぬ、木綿の(はた)も絹機も、どんな機でも知つてます。

塩でお粥を啜つても、私しや織子でゆきまする、鬼みたやうな継母(をかさん)と、畜生のやうな兄ゆゑに、

売られてちようど(まる)二年、紅白粉と綾絹で、涙と嘆き押しかくし、氏も素性も気心も、

知れない人に夜をこめて、くやし情を慰まれ、昼は無慈悲な人々の、機嫌気褄をとり〴〵に、

心砕いた其の上に、姉とも頼む人の恩わすれぬ情の達引や、新造の目色顔の色、

通ふ廊下の草履にも、怖いやりての叫び声、流す湯殿の小桶にも、さがない番衆(をとこ)の口の端に、

かゝらぬ胸の働きや、思ふて見れば思ふほど、はづかし厭なうき勤め、もし両親が居られたら、

女子(おなご)番頭で今ごろは、五十の機の昼夜鳴る、織場で帯や錦織る、女の衆にたてられて、

暮らして居やうに浅ましや、思ふて見れば思ふほど、はづかし厭な憂きつとめ、深山の奥で雪を分け

炭の俵を運ばうが、浪は磯打つ島の夜を、網をばすいて更かさうが、りちぎな人につれ添ふて、(後略)

──流行唄、大正八年頃流行、『現代流行歌集』

[メモ] ここでひとつ、近代の公娼制度下で、娼妓らがどんな地位にあったか、引証により解き明かしてみよう。

      娼 況

こゝ(もと)米価非常の騰貴に影響を及ぼし各地とも随分に品物は出回るべき娼況なれど彼の三ケ年期に抱へ主非常の弱気を含み従来大(まがき)にて五百円以上踏込んで買出せし程の代物も昨今は三百円どまり位となり随って小格子マバラ連も同様前借金出し惜みの姿にて二百円止り百二三十円内外の駆引なり(もつと)も売物は上物相変らず払底にて中物下物は大坂紀州西京岐阜等に沢山在荷(ありに)は見ゆれど何分前借金の折合纏まらず一寸こゝ許ねまち模様にて手放し()ね双方白眼合(にらみあひ)の娼況なるが追々米価低落の勢ひに連れ此の先いかに変動を現はすやも知れず

──『東京朝日新聞』明治二十三年七月二十二日

「娼況」とはうがった言葉だが、昭和三十二年四月一日売春防止法が施行になるまで新聞・雑誌に散見できた。今ではもちろん死語になっている●米や小豆などではない。生身の娼妓の抱え相場を商況に仮託して情報提供するという、見事なまでの野次馬根性に恐れ入るばかりである。文面からわかるように、娼妓の人格はまったく無視され、単なるブツとして扱われている。チト口滑らし程度のことで目くじらたてる現今女権拡張派のご婦人連には、見るも汚らわしい記事であろう●ときに明治二十二年二月の憲法発布の頃から、廃娼への世論が高まった。消極的姿勢の東京府よりも、神奈川県や群馬県などの地方議会で娼妓存廃が熱心に討議された。廃娼とはいえ今日的な人権擁護の観点からでなく、楼主に家畜並みに扱われる娼婦の悲惨さが社会同情を促したのである。しかしその後六十年余り、娼売が潰されることはなかった。

 

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暗夜の心中立て *石川さゆり

には娼婦のように *黒沢年雄

 

新地 しんち

近世近代、新開地に出来た花柳街。

有名所では江戸なら深川新地、大阪なら曽根崎新地がよく知られている。

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雨の北新地       ユリ&ヨッシ唄

つづきさわぎ佃よしこの

・送りましよかおくられましよか、せめてしん地のはなまでも。

・さみだれの、軒にからみしわしや根なし草、

 菖蒲(しやうぶ)(がたな)できれはせぬ。

──佃節くずし、明治二年流行『明治流行歌史』

 

ぞめき唄 ぞめきうた

〈ぞめきの小唄〉とも。江戸小唄のうち騒ぎ歌に属するもの。

賑やかな唄いぶりに騒々しい爪弾きを合わせる。現代なお花柳界でもてはやされている。

【例歌】

はいよ節 はいよぶし

背戸がはたけか畠がせどかへ、かぼちやとる手もうはのそら、つらにけつまづいてなこきよとした、はれはいよ〳〵〳〵。

──小歌、文政十年頃流行、『守貞謾稿』巻二十三

とてつるてん 

♪さても浅草観音様へ、開帳まゐりが諸国から、大勢ぶらぶらならんで参ります、じやんじやかじやかじやか念仏堂、()(さま)は子供をひきつれて、こむからはうはうとてつるてん、おつれもサアきなせ、まゐりましよ、チヨチヨンがヨンヤサ。

♪花の盛りは向島、帰りはひよこひよこ夜桜で、ついぶらぶらと浮れてまゐりましよ、なんだかんだの中の町、かむろにお客は見つけられ、あたまをかきかきとてつるてん、あがつてサアきなせ、まゐりましよ、チヨチヨンがヨンヤサ。

♪金がかたきで強欲は、呼ぶとおいおい三声ほど、小提灯(こぢやうちん)ぶらぶらお先へまゐりましよ、トツチントツチンツンチリトツヽチン、ざんざらざんざらやぶれ傘、(さだ)九郎に与一兵衛がゑぐられた、(しし)ははうはうとてつるてん、鉄砲でサアきなせ、二つ玉でめいりやしよ、チヨチヨンがヨンヤサ。

♪酒はかんなべ色ありは、ちろり一調子三調子のむ、徳利(とくり)ふらふらくだ巻いてまゐりましよ、トツチントツチンツンチリトツヽチン、大皿に皿はしんなづけで桶に杓子は仲のよさ、水はぴちやぴちやおてつるべ、茶碗サアきなせ、かさねてめいりやしよ、チヨチヨンがヨンヤサ。

──俗謡、明治二十年頃流行、『明治流行歌史』

[メモ] 拳唄もかねている。

並木駒形 なみきこまがた

並木 駒形 (はな)川戸(かわど) 山谷(さんや)(ぼり)からちよいと上り 長い土手をば通わんせ 花魁(おいらん)がお待ちかね お客だよあいあい。

──本調子端歌、明治中期作、『松のみどり』(明治の小唄本)

[メモ] 元歌は芝居長唄『(なれ)(そめ)船の内』。ぞめき詞「お客だよあいあい」は明治になってから加えられた。

 

太鼓持唄 たいこもちうた

〈幇間唄〉とも。吉原などの遊廓で太鼓持が踊りうたったひょうきんな座敷唄。

常連の誘客が歌舞に加わることもある。 

【例歌】

吉原太鼓持唄 よしわらたいこもちうた 

余り淋しさに 五丁町を見たれば 折しも(まがき)々にわけや口舌(くぜつ)の高笑ひ あなたの方では三味線をヒツピイテモ かんなくせんだば いよこの誠に 何より以ておもしろせうかの しましよかの これ〳〵是しましよかの 繻子や純子(どんす)や 幅広のまへ帯あれや さて見たる(かは)(つづら) せめて名をきこ あれや()ぞ 高尾に薄雲に 柴崎つし馬 八つ橋 唐崎 高尾 よし野見て来て こちの女房見れば あのや鈴木町の化物よ 着せてくはせて遊ばかいておいてから よし野まさりの ぢよろだんべもの さても〳〵 めいよふしぎのおこにであふた キヤ ゑりくり出いた 名とり達のわけよし 油虫のからさわぎ なま酔の真似をして 万事に邪魔をいれては テンテレツ テン 

──廓唄、寛文頃作、『異本 洞房語園』

現代の太鼓持唄 げんだいのたいこもちうた 

富士の高嶺に降る雪も 吉原の真ン中に降る雪も つとめする身もしろうとも 解けて流れりやみな同じ

──替歌、現行、『たいこもち』

 太鼓持唄〔漫画家・安藤なつ作〕

 

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幇間・お座敷芸 悠玄亭玉八

 

継節 つぎぶし 

元禄年間、江戸吉原ではやった流行節。『澪標(みおつくし)』という上方の古書に、京島原の投節、大坂新町の(まがき)節、江戸吉原の継節を総じて「音曲三名物」とする、との記述が見える。

【例歌】

つぎぶし

〽ゆふべ色里ではやる小節をならふた。(あと)さきはおぼえなんだが中の小節を忘れた。さこかあるべいとて書てもらふたを。土手へすとんと(おと)イた。義理も諸分(しよわけ)も此通り面目(めんぼく)ない。一口茄子(なすび)(くひ)さしに。(べに)のついたを落イた。どこへ。船宿へおいて来た。でぐぼどうが智恵だせ分別せいあのやつこ。

──遊里唄、元禄期流行、『用捨箱』中

 

唐人お吉の唄 とうじんおきちのうた

 本名を斉藤きち(184191)といった幕末期の洋妾。「唐人お吉」の異名で知られている。

 愛知県知多町出身の吉は、伊豆下田で板頭を張る、今ならナンバーワン芸者であった。おりしもアメリカ総領事タウンゼント・ハリスが体調を崩したとき、外交命令により看護の任に当たったのが吉である。

 密室で男と女二人だけになる機会が多ければ、事の成り行きは決まっている。〈唐人お吉〉と後ろ指を指された彼女は、五十一歳で入水して果てた。

 なお「唐人」とは、近代に「毛唐」に変ることになる西欧人への蔑称である。ついでながら、この頃はまだラシャメン(後出)なる言葉は使われていなかった。

 

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お吉物語 *石川さゆり

唐人お吉小唄 藤本二三吉

 

土手節 どてぶし

〈冷やかし節〉とも。江戸吉原通いの遊客が日本堤(吉原土手)で口ずさんだという小唄節。

作品の多くは如水斎老人の作という。懐旧の念に駆られたか、それとも回春剤代わりに作ったか。 

【例歌】

土手ふし どてぶし        尾高如水斎詞

〽にたる山谷の草深けれど、君がすみかと思へばよしや、玉の台もおろかでござる、余所の見る目もいとはぬわしじやとお笑ひやるな、名のみたつを

──本調子小唄、寛文頃流行、『洞房語園異本考

さんやどてぶし

〽恋の。関守。たがすゑおきた。おもふ敵には。あはでぞ帰る。つらき人目や。かの業平の。歌の心に。いかなる君も。あはゞおゆる。しやれ名も立たじ。

〽ゆめの。うき世に。さゝのうで。遊べあすはこひしき。きのふの。むかし。たれかちとせの。月日をおくる。今宵かぎりと。いよでたをのこ。強き。お酌にいかなる下戸もつがばおのまさんせのも酒を。

〽歌の。一ふし。垂れぞときけば。籬ながらも。かくれはあらじ。君の。お庭の。草葉となりと。強き。ゆふべの。風ともなりし。吹かば靡か。さんせ名もたゝじ。

──本調子小唄、寛文末期流行、『当世小歌揃』

 

投節 なげぶし

古名を〈(なぎ)(ぶし)〉といった。貞享・元禄頃、京都に発し大坂や江戸に広まった小歌で、弄斎節から枝分かれしたもの。

詞形は三四・四三・三四・五という今様都々逸風である。一説によると島原の遊女河内がうたい始めたという。

【例歌】

当世なげぶし とうせなげぶし

〽なさけまつをの。浦風ならば。なびけもしほ。の夕。けぶり。

〽人めわからぬや。おもひのすがた。みだれ心。のうつゝ。なや。

〽のべに(かとづ)の。泣く声きけば。ありし其のよ。がおも。はるる。

〽花もさくらの。また花さかば。われはときは。の松。かげに。

〽あひは近きに。かたりはせいで。ちかの塩が。ま身を。こがす。

──三味線唄、元禄期流行、『当世なげ節』はやりしやうが口伝本のうつし

なげぶし品々〔くずし〕 なげぶししなじな

こんど御座らば 持てきてたもれ 伊豆のお山の (なぎ)の葉を お山のないづの 伊豆のお山の なぎのはを。

染めてくやしき にせ紫や 本の白地が ましぢやもの しら地がなもとの 本の白地が ましぢやもの。

声はすれども 姿は見えぬ 君は深野の きり〴〵す 深野のな君は 君は深野の きり〴〵す。

♪あはれなる哉 梅若丸は しらぬ東に 隅田川 東になしらぬ しらぬ東に 角田川。

──三味線歌、『淋敷座之慰』(延宝四年)

 現代演歌にアレンジした投げ節お銀森まどか

 

ぬめり唄 ぬめりうた

(ぬめり)〉とも。万治の頃、遊里ではやった見世冷やかしの小唄。

廓通いの遊び人らが歌ったもので、物の本によると〈清掻〉との関連性もあるという。また藤沢衛彦が「弄斎形」「七七形」「隆達形」「柴垣形」と、いくつかの形態に分類しているように、定形のものではない。

江戸後期には歌舞伎芝居の出端の歌い物をも〈ぬめり唄〉というようになった。

【例歌】

かはりぬめり歌 かわりぬめりうた

〽君が来ぬにて 枕な投げそ 投げそ枕に (とが)もなや。

〽狩場の鹿は 明日をも知らぬ たはぶれ遊べ 夢のうき世に。

〽ちはやふる 神の前での鈴の音 神楽(かぐら)少女(をとめ)の さつ〳〵の声。

〽衣紋つくろひ 通へども 相見る事は 程を経て 逢ふは優曇華(うどんげ) 嬉しやな。

〽見ぬまでも 夢うつつとも 思ひしに 今見こがるゝ そもじ故かな。

〽たれ始めし 恋の道いかなる人も 踏み迷ふ 秋の夜もはや明けやすや 独りぬる夜の 長の夏の夜や。

〽名にも似ず 白波たてるすみだ川 見ても見飽かぬ 吉野桜。

──流行小歌、江戸初期作、『小歌総まくり』

 

濡れ唄 ぬれうた

遊廓やお座敷などでうたわれる、濡れ事を主題とした歌。

この分野では江戸初期になった投節が典型的な体裁をそなえている。

【例歌】

投節〔雑載〕

・思ひ出して。寝られぬこよひ。枕なりと。も伽。となれ。

・恋のふちせに。身はなげぶしの。思ひ沈む。は我れ。独り。

・こひはせまじな。姿はやつれ。人の見る目。も恥づ。 かしや。

・恋で死んだら。焼かずに棄てよ。しんはこがれ。てゆく。ものを。

・いつもなれども。こよひの夜程。君の恋し。

 き夜さ。もなや。

──三味線歌、元禄期に流行『当世なげ節』

♪どんどこ節

早く帰せばためにもならふが、どんどこどんといふて、未練で、やんぎりもんぎり、しやんぎりこんぎり、()へされぬ、すつちやんなんじやい、やつちりめんじやい、さんじやい、さんじや、もつともじやじや。

──流行節、元治頃流行『はやり唄変遷史』

♪おばさん

男よいとてねをんなが惚れよかねえおばさん、情知らなきや惚れやせぬよねえおばさん。

──流行唄、慶応頃流行『はやり唄変遷史』

[メモ] 紅灯花柳の巷は嘘と方便で固めたような世界だが、芸者や遊女ら従業員がチラと本音を覗かせることもないではない。そんな時、客は彼女等の中に人間性を垣間見る。

大津絵節「お客の本音」

♪芸妓呼ぶのもナカ〳〵気苦労な、金を費ふ

 て嬲られて我が物喰ひながら、気兼して、

 洒落にも悪口言れても怒れば野暮じや箱屋

 じやと親にや勘当受け、嬶には恨まれて、

 夫れでも情夫になりたけりや、酒も侑めず

 無理言はず、折節にや芝居行き合点、揚も

 承知と肩巻買ふて遣る、其処等でじいわり

 合乗幌布被け、紙幣を握らしや頷くだらう

 が、其処迄義務はない。

大津絵節「芸妓の本音」

♪芸妓商売はつらいもの、野暮な御客の無理

 聴いて、三味線弾け唄へとせめられて、急腹(むかばら)

 立てば場が不興(しら)け、二回の座を待つ情けな

 さ、(いぬ)にや(いな)れず娑婆地獄、中にも俄分限

 者は、気障で無粋で花街(いろまち)(わけ)知らず、夫れ

 でも嫌じやと言わりやせぬ、暑い寒いのし

 ん抱して、僅な線香で雑魚寝をしられて、

 夜通しいぢられ

 

風流唄 ふうりゅううた

風雅で粋な物事を主題にした唄。

廓通いを美化した風潮を指す場合が多い。

【例歌】

しのぶうり

〽いつしかに。君をまづちのやま〳〵こえて通ふ五十崎(いほざき)こまがたや「ちどりかもめにこゝろがあらば。しらひげ。さんへ。しんじつしんから願かけて。 「ちよつとお顔をみめぐりならば。うれしの森であろぞひな「それ〳〵それもそうかいな。

──二上がり端歌、『粋の懐』二篇(文久二年)

よいぢやないか節 よいじやないかぶし

〽よいぢやないかへ(あの)隅田川、花にも月にも雪見にも。

〽よいぢやないかへ腹立てず、共にはなせば、互にわかる胸。

──江戸小唄、安政年間流行、『小唄の衢』

納涼の夕         江上脩治郎詞

 「ヤアレ踊ろよ 今里音頭

  新地景気はヱ よおいよおい

  ヨオイトサ

♪揃うた そろたよ 花咲きそろた

  ヤットセヤットセ

 花が物言ふ 今里に

 連れて来つれて 踊らんせ 踊らんせ

 色の今里 恋どころ

 シンシン新地は花どころ

  ヤットヨイヨイ ヨイトコサ

  アラヨイヨイ ヨオイトサ

   (以下、二~六番まで省略)

──花柳音頭、昭和十五年年発表、『今里新十年史』

 

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うたう小倉百人一首のかわら版

二人きりなら 美ち奴

見返り柳(類歌) *高田浩吉

宵の風鈴 *浅草〆香

 

籬節 まがきぶし

寛文年間に流行の遊里歌曲名。

大坂新町遊廓のまがきという遊女が歌い始めた。あるいは、そこの妓楼の結界内で歌われたから。との二説が伝えられている。しかし程なく消滅し、山東京山らの作になる替歌を除いて歌詞は現存しないようだ。

 廓において見世との結界を示す「籬」 

 

向島狐 むこうじまきつね

花柳語で、客をたぶらかしたり煙に巻くのが巧みな芸者。

現東京都墨田区向島一帯は、昔は雑木林が多く狐狸が多く出没した。当地出身の芸妓は町芸者や羽織芸者らから「川向うの向島狐」とからかわれ、肩身のせまい思いをしたという。

別に〈椋鳥芸者〉ともいった。

【例歌】

こりや〳〵ぶし

♪をばなのさかりは向島。コリヤ〳〵。さゝのきげんで土手をば見めぐり。お茶や

 の姉さん狐で来なさい。かへりは夜桜おいら

 ながめて。格子でのろけます。コリヤ〳〵コリヤ。

──流行唄、文久二年『粋の懐』二篇

 尻尾を出さない化け狐〔妖狐、『嫁入桐長持』より、歌川豊国画、寛政七年〕 野狐が美女に変身したところを同時画像で描いている。

 

遊客 ゆうきゃく

芸妓を揚げて遊ぶ客。

士農工商様々な客が色里の女体に群がった。

【例歌】

客尽し 

一番目にはいきな客、二番目にはにくい客、

 三番目には騒ぎ客、四番目には酔うた客、

 五ついつものいやな客、六つむしやうに騒

 ぎ客、七番目にはひつツこい客、八番目に

 ははでな客、九つ小言(こごと)のたえぬ客、十で床

 せくやぼな客。

──尽し唄、幕末より明治二年前後流行『明治流行歌史』

*尽し唄とは、同類の呼称や文句を並べ立ててつづる歌詞の唄。

 

遊女の情歌 ゆうじのじょうか

遊女をめぐり、自分で、あるいは他人がうたう恋歌。

【例歌】

うらわかみ

〽自体我等は信濃の国の、雪の下草うら若みをば、不慮(ふりよ)に悪所に身を買ひ取られ、営み多き流れの身とて、浅ましうござる、厭な人にも逢はにや、そりやならぬ、諸分(しよわけ)よいにはかうした事で気の毒、つらいは〳〵憂き勤め、勿論かなや、さりとては、少しは憐れみくれよかし、はかなの此の身を。

──端歌、『若緑』巻三(宝永三年)

まんぎく         佐野川万菊詞

〽よいはまちわびわくせきと、ふけて見れどもまださゝごとの、あひああひそのものよとおもや、むりもいうたりいひわけしたり、ほんにこゝ路のやる瀬が名うて寝てもまるねはひとへがよひにふたへ、みへおびとくにもしんきこひといふじはことばのいとで、むすんで「そのしたごゝろ「くれにこいとはれんぼとかへす、ことばは「かりにもいやよ、とてもこの身はまゝならぬ。

──三下り端歌、『新大成糸のしらべ』(享和元年)

[メモ] 作詞者は遊女自身と見られる。

あやきぬ 

鶯もみやこのはるにあひたけと、きは淀川へのぼりぶね「さゝえられたる北風に身はまゝならぬまるたぶね「きしの柳にひきとめられて、あゆみならはぬ、りくちをものぼりつもどりいくたびかひと夜をあかすはちけんや「ざこねをおこすあみじまの、つぐるからすかかんざんじ、つきぬはなしの、たねとなりけん。

──三下り端唄、『新大成糸のしらべ』(享和元年)

[メモ]  洛外の遊女が綾絹に着飾り京へ昇りたい夢見心を唄う。

ゑそらごと 

かりの世に、かしにゆく身のくをぬけて、人だちおほき春の野に、しのぶがほなるいつまでも、かはらぬいろはときはぎの「えだにたとへてちかひしことも「ねやのあふぎのゑそらごとかやおもひのますわいな「ほんにかはればまた川たけの、しづ心をひきたつる、さけは、うきみのわすれぐさ。

──二上り端唄、『新大成糸のしらべ』(享和元年)

[メモ] 遊女が客の契り言は「絵空事」のようだと嘆いている。

ぬしさんと

〽ぬしさんと里の浮名も立ちやすく、風の噂さやうたてやつらや、流れの身こそよを花と、比翼連理の二挺だち、ともして雪の肌とはだ、恋のならひの心太く、切るといふ字はならやせぬ 

──本調子小唄、幕末作、『江戸小唄の話』

 

遊里唄 ゆうりうた

往時、遊里ではやった唄。

〈廓唄〉にほぼ同じも、〈遊里唄〉のほうは色里全体に対象範囲が広がる。

 吉原遊廓 明治五年

【例歌】

朝顔 あさがお 

〽恋をつがねし花壇の枕、勿論々々、あけて朝顔らんの顔よき、花の露捨てぬはばんかい大門おほ門をかし、(をのこ)のはまりの色もゑんが、替える梯子にたるき、目元(めもと)殺しや花のあみ。

──廓唄、『若緑』巻三(宝永三年) 

げいしや衆が げいしやしゆが 

〽げいしや(しゆ)三味(さみ)をひく、あこぎがうらでは平治があミをひく、月よかげそでをひく、わかいしゆががらを見てきやくをひく、ヱヽためし、ふくやかミかぜげにしんこくの、じこうたかハず五こくもミのり、きくもめでたきたい平くどき、ヤンレへ

──流行唄、弘化三年頃、『日本近代歌謡史』上

[メモ] 文化年間に発生した「だんのう節」の支脈とされている。

サラサラサ さらさらさ  

♪青山の、鉄山屋敷の奥庭で、井筒の中からお菊の幽霊サヽ出るえエ、一枚二枚三枚四枚五枚六枚七枚八枚九枚、サラサラサ

(わたし)()に、色が出来れば煮豆に花よ、焼いた肴が泳ぎ出す、サヽ出るねエー、床に掛けたよねえ、達磨さんに足が生えて飛脚する、サノサ

♪汽車が着く、車掌が戸を開け芸者が降りる、車掌さんに見惚(みと)れて川へ(をつこ)つた、出えるエー、オヤオヤ大変だア、後の始末は誰がする、駅長助役

──俗謡、『都新聞』明治三十二年十二月・第二十号の付録「都の華」

[メモ] 色里内での流し唄である。

 

湯女唄 ゆなうた

昔、湯屋や温泉宿で湯女がうたった歌。

多分に里謡色が濃い。

【例歌】

伊香保節 いかほぶし 

〽花になりたや、ほん、ほとんど、どつこいしよ、よし〳〵〳〵〳〵、吉野の花に、いよしも、ほとんどえ、咲いて乱れて、ほん、ほとんど、どつこいしよ、露々(つゆつゆ)桜の下露落ちて、いよしも、ほとんどえ。

夏は垣根のほんほの〴〵あやなしや、卯の花しら〳〵明けても、如何(いか)()ひ来ぬ杜宇(ほととぎす)、片日夕立つあと涼しき小村雨(こむらさめ)、梢に(ひぐらし)、蝉の音、いづれ(ゆうべ)はたゞならぬ。

──湯女唄、江戸中期流行、流行、『はやり唄変遷史』

吉原

♪清少納言がよまれたる 春曙とハ面白やなん〳〵たるすががきに かん〳〵たる買い手衆が花を飾りて 初買いによせくる廓ハ どんどめく いづれどんどやさぎのくび 襟を長くしてぞめくにぞ 太夫格子も繁昌に さん茶うむ茶も賑やかに もん〳〵〳〵と呼ぶ子供(筆注=禿(かむろ)) たつきもしらぬ山口三浦の大釣壺 手つつこむちろりのかんばやし 夫ハ角町の名物 ハヽホヽ 大尽舞を見さいなア その次の大じ(筆注=ここで客側別人の詞に代わる)

──俗謡、『守貞漫稿(もりさだまんこう)』巻二十三、喜田川守貞著

 

吉原小唄 よしわらこうた

〈さかな端唄〉とも。吉原遊女の心情などをうたった小唄。 

【例歌】

さかな端唄づくし さかなはうたづくし

(なさけ)の花は逢ふ時ばかり、別れになれば(しほ)れ萎るゝ。

〽人買船が恨めしや、(とて)も売らるゝ身じや程に、(しづか)にこぎやれもんたどの。

〽昔も今も恋する人は、身につまされていとしう御ざるよの。

──江戸小唄、江戸中期流行、『吉原小唄総まくり』

 よしわらしよくりしよぶし品々 よしわらしよくりしよぶし/しなじな

とてもかなはぬ浮世としらば とてもえならぬ恋路としらば 軽くおこもの恋の道 しよくりしよ所々(しよしよ)くのしよあいよの。

くさの(いほり)のむぐらの宿に 〳〵 いつかおてきと手枕(たまくら)なして 思ふ言の葉語りたや しよくりしよ所々(しよしよ)くのしよあいよの。

生薑畑に茗荷を植ゑて ことしや子をとるをのことる しよくりしよ所々(しよしよ)くのしよあいよの。

逢うは別れとかねては知れど あふはわかれの初めとしれど 忍ぶ泪は袖しぼる しよくりしよ所々(しよしよ)くのしよあいよの。

神や仏に祈るはおきやれ 〳〵 過去の因果は是非もなや しよくりしよ所々(しよしよ)くのしよあいよの。

──江戸小唄、延宝頃流行、『淋敷座之慰』

[メモ] 〈土手節〉くずしの形態である。

 

吉原風俗唄 よしわらふうぞくうた

吉原遊廓の諸風俗を主題にした歌。

【例歌】

吉原雀 よしわらすずめ         桜田治助作

セリフ「凡そ生けるを放つ事人皇四十四代の(みかど)

光正(くわうしやう)天皇の御宇かとよ。養老四年の末の秋。宇佐八幡の託宣にて。諸国に始まる。放生会(ほうじやうゑ) 本調子半太夫「浮寝の鳥にあらねども、今も恋しき一人住み、小夜の枕に片思ひ可愛(かは)い心と汲みもせで(なん)ぢややら憎らしい 鼓唄「その手で深みへ浜千鳥、通ひ馴れたる土手八町、口八丁に乗せられて、沖の鷗の。二(ちやう)(だち)。三(ちやう)(だち) 伊勢音頭素見(すけん)ぞめきは椋鳥(むくどり)(むれ)つゝ啄木鳥(きつつき)格子先。叩く水鶏(くひな)の口まめ鳥に「孔雀騒ぎで。目白押し。見世清掻(すががき)のてんてつとん、さつさ押せ〳〵え 大津投節「馴れし廓の。袖の香に、見ぬ様で見る様で、客は扇の垣根より、初心可愛(かはゆ)く前渡り。さあ来た又来た(さはり)ぢやないか、又お障か。お腰の物も合点か。「それ編笠も其処(そこ)に置け、二階座敷は右か左か奥座敷で御座りやす、早や盃持つて来た、とこへ静に、お(いで)なさんしたかえと言ふ声にぞつとした、しんぞ貴様は寝ても覚めても忘られぬ「笑止気の毒又かけさんす。「(なに)な。掛けるもんだえ 三下り「さうした黄菊と白菊の、同じ勤めのその中に、(ほか)の客衆は捨小舟(ながれ)も敢え紅葉(もみぢば)の。「目立つ芙蓉の分け隔て、ただ撫子と神かけて、何時(いつ)か廓を離れて紫苑(しをん)、さうした心の「鬼百合と思へばおもうと気も石竹(せきちく)になるわいな。「末は姥百合男郎花その楽しみも薄紅葉、さりとはつれない胴欲と垣根に(まと)ふ朝顔の、離れ(がた)なき風情なり「東雲(しののめ)かごとが過ぎし口説(くぜつ)の仲直り 鼓唄「一(たき)(くゆ)る仲人のその。接木こそ縁の端。そつちの(しやう)が憎い故隣座敷の三味線に、(あは)する悪洒落まさな事 二上り「女郎の誠と玉子の四角、あれば晦日に月が出る、しよんがいな。一焚はお客かえ。「君の寝姿窓から見れば、牡丹芍薬百合の花、しよんがいな、芍薬よほゝいほいゝいゝよほゝいほい〳〵よほゝいほ、芍薬牡丹牡丹芍薬百合の花しよんがいな「附差は濃茶かえ「腹が立つやら憎いやら、どうせうかうせう憎む鶏鐘。暁の明星が西へちろり東へちろり、ちろり〳〵とするときは「内の首尾は不首尾となつて、親爺は渋面(しぶめん)(かか)は五面「十面五面に睨み付けられ往なうよ「戻らうよと言うて小腰に取付いて。ならぬぞ「往なしやせぬこの頃のしなし(ぶり)(につ)くいおさんがあるわいな 三下り「文の便りになあ「今宵ごんすとその噂、何日(いつ)の紋日も主さんの、野暮な事じやが比翼紋「離れぬ仲じやとしよんがえ「今宵ごんすとその噂何時(いつ)の紋日も主さんの野暮なことぢやが比翼紋はなれぬ仲ぢやとしよんがえ「染まる(えにし)の面白や「実に花ならば初桜、月ならば十三夜、(いづれ)劣らぬ(すゐ)同志の、彼方(かなた)へ言い抜け此方(こなた)伊達(だて)(てづれ)丸かれ候かしく。

──江戸長唄(拍子舞)、明和五年江戸市村座初演、『教草吉原雀』(『新編江戸長唄集』に所収)

 囃子・長唄 吉原雀 

仲の町夕けしき なかのちようゆうげしき

中の町夕けしき、軒をならべし茶屋の数、惣まがき交じり見世、そのほか数多の遊女みせ、内証でがらがら鈴の音、見世すがゞき地廻りそゝり節、芸者がじやらじやら鳴物入れてみみを引く、長唄一中河東ぶし、六七八(りうちへはま)払つてございの、かいわり辻占とういんもみ療治、火の用心さつしやりましやう、もう引けすぎとお客が眼をさまして時を数へカチカチ。

──江戸小唄、江戸後期流行、『明治流行歌史』

平和節替え        

♪吉原は日本一の遊廓で

 夜も昼なる五丁町(ごちょうまち) 

 粋と無粋の仲の町(なかのちょ)

 春が来りゃ毎年花が咲く

 昔ながらの花は咲くが

 見返り柳も芽を吹くが

 生きた弁天さんは拝まれぬ

  ジンスケサンヤケチンポハ

  パイノパイノパイ

  ボルダケボッテオイテ

  フレ フレ フレ

──替歌、昭和前期に流行

 

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吉原木遣りさわぎ 

吉原雀(類歌) *清元

 

ラシャメン〔和製語〕

「羅紗緬」と漢字で当てる。明治元年(1868)に出来た俗語、西洋人の妾になった日本婦人をさす蔑称。

語源は、外国船に緬羊を積み込み、船員の慰撫用に獣姦させる慣わしがあった。いかに洋娼とはいえ、彼女らを緬羊に見立てて出来たひどい言葉である。

下記の図説を参照していただきたい。

【例歌】

♪さしみなア 今朝も料理は横浜で

オヤ サックリ

豚のうしろに小鍋だて

大将どんたくすりゃ

南京おけしがやってくる

ラシャメンおいどに毛が無いか

 オヤ サックリサックリ        (明治四年流行)

 ラシャメンの由来〔『横浜売物図絵』より、二代・広重画、万延元年〕 洋妾の初成りは、万延元年七月にオランダ領事某の思われ者となった、横浜本町の文吉の娘ちょうとされている。下田の「唐人お吉」は先輩洋妾だったが、彼女の頃はラシャメンの呼び名がまだなかった。明治になり開港場の横浜に外国人が居留するようになると、ラシャメンの数も自然に増えていく。右のサックリ節の詞は、番外者を徹底的にいびろうとする下種(げす)根性がむき出しだ。往時、日本人の排他思想は、外国人を温かく見る目を持たなかった。洋妾も美人であるほど反感が強く、何かにつけ市民から目の敵にされた。この「ラシャメン」という開化用語は、昭和も終戦頃まで用いられ、「毛唐」と並んで死語になるまで長くかかっている。

西洋の客と契りてラシャメンは行衛も知らぬ恋の道かな(道百詠)