邦楽歌謡の王道をゆく古典的作品群を中世から現代まで一堂に結集

 

Ch.2  邦楽>歌謡

 

 

Ch.2  邦楽>歌謡 目録(五十音順) 

一中節  いろは折込唄  謡物 うた沢 歌浄瑠璃 江戸長唄 大薩摩節 荻江節 

奥浄瑠璃 阿国歌舞伎歌 語りもの 河東節 歌舞伎歌謡 上方歌 上方調 義太夫節 清元節 金平節 元禄風花見踊り 古今節 琴歌 小舞歌 地歌 地歌舞 

繁太夫物 柴垣節 三味線唄 浄瑠璃くずし 新内節 心中くどき 鼓唄 常磐津 

富本節 長唄 長歌物 春雨 半太夫節 一節切節 琵琶語り 豊後節 道行 宮薗節 めりやす 謡曲の重ネ 

 

一中節 いっちゅうぶし

〈一仲節〉は正徳年間に活躍した都太夫一中を祖とする京浄瑠璃の一派で、男芸者として座敷浄瑠璃を演じたが、しだいに衰微をたどる。これを天明年間、五世一中が〈河東節〉や〈富本節〉などをも交え、在来の曲節を改良したうえで江戸吉原中心に新曲を次々と伝えた。しかし流行の変転はげしい遊里で生き抜くことかなわず、近代にいたり往時の残喘を残すのみとなった。

 ねっちりとした撥遣いが特徴で、例歌はそのサワリの抄出である。

 一中節宗家、十二世都一中(向かって右)による演奏〔ブログ「三番町ヒロ通信」〕

【例歌】

一中節 いつちゆうぶし 

けふはいかなる吉日(きちにち)よ「めぐりあふたるうれしさに「飛びたつ様に思へども。人目ある故まゝならぬ「しんきのしんくの苦の世界。

今朝のわかれに。袖とめて「かわく間もなき 「土手のつゆ 「四つ手のたれをおろしても。またもなきゆく明がらす。「ゑりに風しむゑもんざか。

わしが思ふやうに。世がならば「すいた男と只二人「金のなる木を庭にうへさかなばやしや。酒のいけ「世けんちよつともしらずにくらしたい。

──上方端歌、『粋の懐』初篇(文久二年)

 

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一中節「石橋」

都一中 一中節

 

いろは折込唄 いろはおりこみうた

歌詞の中にいろは四十八文字(を含む)を取り込んで文飾する歌謡を〈いろは折込唄〉という。

大きく分けて二つの手法がある。一つは、いろはの連続した七文字または七五文字を組み込む方法。もう一つは、歌詞各句の冠に一文字ずつ散らして折句の体裁をとるもの。これら双方を例示してみよう。

【例歌】

はるのかな         吉村検校詞

〽はなのまぎれにかりそめの「いろはにほへどちりぬるを、うきなもらすなゆふがすみ、わがよたれぞつねならん、こゝろのしりをつゆふかき「うゐのおくやまけふこえて、まよふならいのおもひねに、あさきゆめみしゑひもせず「けふこゝのへにとへもゝへ、ちよもまんよもつきせじ。

──二上り端唄、『新大成糸のしらべ』(享和元年)

[メモ] いろは七五句と創作七五句を交互に織り込んでの構成。上例のようにひらがな書きでこそ味の出る詞態で、これを漢字混じりに改変した文献もあるが、それは邪道というものである。

世なおしいろは歌      佐田介石詞

♪い 古への錦きる身が今は早や牛売る店の鍋の火をたく

 ろ 論よりも証拠は国の衰へよ何の町見てもつゞく売り家

 は 流行とはいへどあんまり情なし舶来物にこふ迷ふとは

 に 人情も義理もかまはぬ世になつた兄弟中に虚の出し合

 ほ 骨折て会社勝者を結ぶのは多くの人を倒す近道

 へ ぺろ〳〵と夷国語で経済を論じて我身立てかぬる人

 と 土地気候替る国柄わきまへず舶来(うえ)()裁え枯す人(後略)

──流行唄、『横浜開港見聞誌』(玉蘭斎貞秀編、文久二年)

[メモ] 冠折句の例で、百人一首の節付で詠ずるのだろう

 式亭三馬『小野愚嘘字尽(おののばかむらうそじづくし)

 

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いろは歌(伊呂波歌)

和楽・いろは唄

 

謡物 うたいもの

邦楽用語の「謡物」には、曲節を重視する歌謡、という名目ではあるが、意味が拡散しすぎてとらえどころのない部分がある。

ここでいう〈謡物〉においては、謡曲の詞の一部を歌謡風に仕立て直したり、詞章をそのまま借りて俗曲中に折り込む〈うた沢〉や〈小唄〉等に分類指標が置かれている。

【例歌】

山姥 やまんば

言葉 かやうに候者は、都さる方に仕へ申すものにて候、又是に渡り候かたは、隠れなき遊君にて御渡り候、山姥の山(めぐ)りするといふ名誉の(くせ)(まひ)を、御舞ひ候により、京(わらんべ)の申せしは、百万(ひやくま)山姥(やまんば)と申しならはせ候、また此の度は信濃の国善光寺へ、詣りたき由申し候程に、只今善光寺へと急ぎ候、是ははや越中越後の境川に着きて候、暫らく御休み候て、渡舟をも御待ち候へ、又見え渡りたる山々皆名所にて候、お尋ね候へ、教え申すべく候。

これから見ればあら面白や、()ゆる煙の空に消え、果なく高き峰々は、如何なる名所なるらん。あれこそは信濃なる浅間の(だけ)よ、遠近人(をちこちびと)の見やは咎めねど、業平も詠ぜしは、仄かに見ゆる山々の、中にも高く聳えしは、富士山(みね)よ、扨てその末に続きたる葉山繁山桜川、嵐に続く花(ゆき)、袖打ち払うに笠買うてたもれ、宇都宮笠を、木曾の桟橋(かけはし)丸木橋、ふみも通はぬ恋の歌枕、今宵は宿をかり衣、日も夕暮れに成りにけり。

──上方唄、『落葉集』巻一(宝永元年 

[メモ]  元曲は世阿弥作の五番目物、謡い出し部分を謡物にしている。曲詞部分を原作と比較してみると、うたいやすいように改変されているのがわかる。

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隅田川 すみだがわ

我も又いざこと問ん都鳥、〳〵、わが思ひ子は東路(あづまぢ)に、ありやなしやと、とへ共〳〵答へぬはうたて都鳥、(ひな)の鳥とやいひてまじ、()にや船競、ほり江の河のみなぎはに、来ゐつゝ(なく)は都鳥、それは(なに)()()是はまた隅田川の、(あづま)まで、思へばかきりなく、遠くもきぬる物かな、(さり)とてわたし(もり)(ふね)、こそりてせはくとも、のせさせ給へわたし守さりとてはのせてたびたまへ

──謡曲、明治時代に録音『美音の栞』第四七六〇九号

 隅田川〔月岡耕漁著『能楽図絵』より〕

 

うた沢 うたざわ

 江戸後期端唄の歌唱上の分類用語で、「歌が沢の水のように寄せ集まって流れる」が語の由来としている。

 当初、旗本隠居の笹丸(二世歌沢虎右衛門)、遊び人の御家人柴田金吉、火消しの辻音らが連中となって広めた。

 明治には中興期を迎え、さらに大正期に花柳界にも浸透して全盛期を迎えた。そうした背景から、花柳の巷に材を求めた脆嫋とした内容のものが目立つ。

♪色気ない

・色気ないとて苦にせまいもの (しづ)(ふせ)()に月もさす 見やれ(ばら)にも花が咲く。 

・田植戻りに袖褄ひかれ 今宵逢うとの目遣いに 招ぐ合図の小室(こむろ)(ぶし)。 

(すすき)に残る露の玉 かしくと読んだが無理かいな。

『歌沢大全』(江戸端唄、万延元年)

[メモ] ポット出の田舎娘が江戸生活での偽りない真情をうたう。第三節の色情の締めが効いてほんわかとさせられる。 

 

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梅は咲いたか 

 

歌浄瑠璃 うたじょうるり

  次の二系統がある。 

①浄瑠璃系のうち、宴席などにおいて本来の語り物から唄中心に移っているもの。〈河東節〉〈一中節〉はじめ〈富本〉〈常磐津〉〈清元〉などがこれに該当する(義太夫を除く)

 ②浄瑠璃の影響を多分に受けた本調子中心

の長唄。物語要素が大きく、詞も長くなる。

 唄浄瑠璃狂言「綾描恋糸染」

【例歌】

枕問答(第八段) まくらもんどう

上るりは聞し召、雲にかけはし霞にちどりとばかりなり。御曹司聞し召、雲にかけはし霞に千鳥とのたまふは、及ぬ恋にとの詞かや、人間が人間をこふるをば ね及ばぬ恋とはあるまじき。一樹のかげ一河の流を汲む事も、是みな五百生の縁と聞く。なびかせ給へやいかに姫、うろじよりむろじにかへる釈迦だにも、やしゆたら女と契りをこめ、御子にらごらそんじやをもふけ給ふ。神にさへむすぶの神、仏に愛染明王とて、男体女体おはします。御身はほんぶの其身として、過去現在未来三世ふかとくのきゑんをそむかせ給ふ事、五百ざいのとがぞかし。しよほうじつそうときく時は、谷の朽木も仏なり。一さいしゆぜうへだてなし。へだつる君のはかなさよ。なびけや君と仰せける。上るり聞し召、此冠者はつはものかな、おどすにもおどされずかすにもすかされず、仏法にもくらからず、諸事につけてもあきらか也。明なば長者にもれ聞え、母のふきやうはかふむるとも、今夜ひと夜はなびかばやと思し召、みぎりの雪とうちとけて浦山ふく風とぞなびかれける。此人〳〵のこゝろのうち嬉しきとも中々申ばかりはなかりけり。

──歌浄瑠璃、享保年間成『十二段草子』

[メモ] 別題「浄瑠璃姫物語」のうち一段(⑴の例)。筋にケレンがなく、普遍性のある物語として庶民に人気があった。

隈取安宅松 くまどりあたかのまつ

旅の心は篠懸(すずかけ)の、〳〵、露けき袖やしをるらん、都の外の旅の空日もはる〴〵の越路の末思ひやるこそ遥かなれ「東雲(しののめ)早く明け行けば、浅茅色づく有乳山(あらちやま)気比(けひ)の海、宮居久しき神垣や、松の木の芽山、なほ行先に見えたるは、(そま)(やま)人の板取、川瀬の水の浅生津(あさうづ)や、末は三国の湊なる、芦の篠原(しのはら)波寄せて、靡く嵐の(はげ)しきは、花の安宅に着きにけり、落葉掻くなる里の(わらべ)の、野辺の(あそび)も余念なく、こりや()が目づき、ちつちや子持ちや桂の葉、ちんがちが〳〵ちんがらこ、走り〳〵走り着いて先へ行くのは酒屋のおてこ、(あと)退(さが)るはおほかみ狐、尼が紅付けて(とと)(かか)に言はうよ、言ふたら大事かそつてくれよ、坊主坊主大坊主「裏のなア、裏の背戸やの今年(ことし)(だけ)、笛にせうもの草笛に、笛になりたや忍ぶ夜の、笛は思を口移し、アヽしよんがいな〳〵「忍ぶ、忍ぶその身は安宅の松よ、雪の夜毎の汐風に、揉まれ〳〵て立尽し、ありして、これしてしよんがいな、面白や絶えずや、絶えずや子宝一に千石米蔵、常陸の国の(つの)岡に黄金の花が咲いたよさ、につこり、はつこりホヽヽヽ〳〵、お笑ひ召したは悉皆(しつかい)在所の、庄屋殿(どの)だんべい、いつかいいつかい、いつかい俵に酒樽千倍万倍、万倍万々倍打つて置けしやん〳〵「神の鈴はしやんぐ〳〵と、さつても揃うた子宝、一度に問へば(おと)よ、けさよ、辰松ゆる松だんだらいなごにかいつくばう、ひつゝくばう、かいつくひつつく、しやん〳〵扇に馴染む風の子や、風の木の葉の散々(ちりぢり)に、里をさしてぞ、ゆめ〳〵疑ひ荒磯の、(いさご)を飛ばす土煙、梢木の葉もはら〳〵〳〵、俄に吹き来るはやち風、天地も一度に鳴動して、岩石古木ゆさゆさ〳〵、どろ〳〵どつと山(おろし)の、風かあらぬかその姿、見失ひてぞ、立ちにける。

──長唄明和六年市村座初演隈取安宅松より

[メモ] ⑵の例。

 

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傾城阿波の鳴門 順礼歌の段

傾城阿波鳴門 阿波十郎部兵衛屋敷

 

江戸長唄 えどながうた

往時、〈坐唄〉ともいった。

長唄は三味線音楽の一つで、おもに歌舞伎舞踊の伴奏を経て普及した。もともと上方の地歌のうち長詞歌を源とし、江戸初期までは京長唄・大坂長唄および江戸長唄の区別があった。それが享保(17161736)あたりから、長唄は江戸音曲の中心として発達し、それにつれて単に「長唄」と云う場合は、江戸長唄をさすようになった。

同様に上方では、江戸長唄をさして〈江戸唄〉と称し、江戸風の賑やかな囃子鳴物がもてはやされ、その稽古にたずさわる者は揶揄をこめて「チリカラ連」と呼ばれた。本来伴奏用の長唄だが、江戸後期には観賞用のお座敷長唄まで現れ、曲詞に技巧が凝らされるようになった。後々もその命脈はゆるぎないものとなり、現代なお江戸を伝える三弦音曲の中心的存在になっている。

さて、三味線鳴物に囃子とくれば、あとは推して知るべし、色酒である。それかあらぬか、長唄の詞章から酒席で歌われるような文句を見つけるのはたやすく、また興趣深い作品が少なくない。色香ただよう長唄の女師匠が演劇・小説等を賑わすのも、これと深いかかわりがあってのことである。

 猫の師匠 歌川国芳画 

【例歌】

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七福神 しちふくじん 

本調子「それ伊弉諾(いざなぎ)伊弉冊(いざなみ)夫婦寄合ひ、漫漫たるわだつみに天の逆鉾下させ給ひ、引上げ給ふその(したたり)凝固(こりかた)まつて一つの島を、月読(つきよみ)日読(ひよみ)蛭子(ひるこ)素盞鳴(そさのを)儲け給ふ、蛭子と申すは恵比寿の事よ、骨なし皮なしやくたいなし、三(とせ)足立ち給はねば、手()りくるくる船に乗せ奉れば、青海原に流し給へば、海を(ゆずり)に受取り給ふ、西の宮の恵比寿三郎、いとも賢き釣針(おろ)し、(よろづ)の魚を釣り釣つた、姿はいよさてしをらしや 二上り「引けや引け〳〵、引く物品品、様はきはずみ琵琶や(こと)胡弓三味線東雲(しののめ)横雲其処ひけ小車子供達は御座れ宝引(ほうびき)しよ、宝引しよと、帆綱引つ掛け宝船引いて来たいざや若い衆綱引くまいか、おきの鴎がぱつと〳〵立つたは三人(ばり)強弓、よつ()き絞りひようふつと射落(いおと)せばサ浮きつ沈みつ浪に揺られて沖の方へ引くと、水無月(みなつき)(なかば)祇園どのの祭で、山鉾飾つて(わたり)拍子で引いて来た、拍子揃へ打つや太鼓の音のよさ、鳴るか鳴らぬか山田の鳴子、山田の鳴子、引けばからころからりころり、からりころりからころ〳〵〳〵や、(くつばみ)揃へて神の神馬(じんめ)を引連れ〳〵、勇み勇むや千代の()神楽、「神は利生を黄楊(つげ)の櫛引き、〳〵、注連縄(しめなは)の長き(えにし)を。

──江戸長唄、年代未詳、『新編 江戸長唄集』

[メモ] 市村座の脇狂言として序開きに演奏された。

花角力里盃 はなずもうさとさかずき

()れる綱には曳かるゝ曳船、安芸の宮島よさんや廻れば七里浦はよさんや七浦七(ななうら)恵比寿(ななえびす) 「いつそ初手から勤めが()しぢや、嫌な禿の憂き勤め嫌な酒をも無理呑みに、笑うて呑むも(さと)の癖酒に数多の 「奇特が御座る、霜夜の酒の暖かに、(はつ)の人 「にも馴るゝは酒の威徳なりとかくやとかく憂き世は呑めや唄へや諸共に、しげれ松山ざざんざ〳〵浜松の音はざざんざ浜の真砂は尽くるとも、よき尽きじ〳〵、夫婦妹背の縁は異なものよ

──江戸長唄、明和八年江戸中村座で公演、『新編 江戸長唄集』

 

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虫の合方 *演奏のみ

 

大薩摩節 おおさつまぶし

古浄瑠璃の一系。

歌舞伎において、役者が高台に片足をかけ、三味線に合わせてうたう演出を「大薩摩」というが、そのときの唄を〈大薩摩節〉という。文政の頃、江戸浄瑠璃の一派の大薩摩主膳太夫が創出、やがて長唄唄方に組み込んでうたわれるようになった。

大薩摩の名の通り、曲節は豪放である。

 初代豊国画「二代目大栢莚團十郎」大薩摩節にゆかりがある

【例歌】

大薩摩節          桜田治助作

〽謹上再拝〳〵 (ふいご)は陰陽和合を(かたど)

 五行 五体をかための槌 文の直ぐ焼武の乱れ 文武二道は二柱

〽尽きぬ(うら)みの心の錆や 怨念力の(はり)(ゆみ)に 射て落とされん連理の枝 

〽魔道に沈んで浮かむ瀬もなき我が眷属(けんぞく) 長き(やつこ)とせんものと また引立つれば恐ろしや(以上、浄瑠璃詞章のみ)

──長唄、天明元年江戸中村座初演、『蜘蛛の拍子舞』

[メモ] 葛城山の主である女郎蜘蛛が白拍子妻の白菊に化身して源頼光に取り憑く。しかし頼光は、名刀膝切丸を手にし相手の正体を暴いてしまう。

 

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大薩摩

 

荻江節 おぎえぶし

 明和の頃、初世荻江露友が創始した長唄の一派。

 江戸下町の深川を地盤とし、いなせな心意気をこめ、囃子抜きで三味線は軽め。唄が中心という風流が受け、遊里での座敷舞い唄として人気があった。

 深川の雪 喜多川歌麿画

 

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荻江節『深川八景』

荻江 八島

 

奥浄瑠璃 おくじょうるり

〈仙台浄瑠璃〉〈お国浄瑠璃〉とも。

古浄瑠璃が天正頃から仙台藩にそのまま残って伝承されたための呼称である。盲目の法師が扇拍子や三味線に合わせて語るのを伝統としている。

「古浄瑠璃の中でも最も古い浄瑠璃」という存在から、近代に至っても研究者が絶えない。

 仙台浄瑠璃「菅原伝授手習鑑」 

 【例歌】

 奥浄瑠璃〔福島県〕 おくじようるり

〽おとくら様のかしのきを、もらひおろして舟とはぎ、百千だんのほばしらに、あやとにしきのほをあげて、此や家かたにくるトみーた。オカ〳〵アー。(伊達郡)

──古里謡、年代未詳、『日本歌謡集成』第十二巻

[メモ] 奥浄瑠璃の多くは変転化が多く散逸も見られるが、この例は当地に近代までとどまり(さと)(うた)()けした名残であろう。

 

阿国歌舞伎歌 おくにかぶきうた

慶長の初め、出雲(いずもの)阿国(おくに)という大社巫女出身の芸能者が創始した歌舞伎を「阿国歌舞伎」といい、それに伴う歌曲を〈阿国歌舞伎歌〉と呼んでいる。

この一座は見目良い女揃いで、みな男装して演じたため評判が高まった。初期の歌舞は神仏信心に関する内容の多いのが目立つ。

 出雲阿国像〔Wikipediaより〕

【例歌】

御国歌舞伎 おくにかぶき

 〽千早ぶる神の(やしろ)はわが身にて、出る入る息 は外宮内宮。

 〽ばさらだとばんぢの水の清きをば、結びて肩にあびらうんけん。

 ──歌舞伎歌謡、江戸初期流行、『歌舞伎事始

 歌舞伎踊 かぶきおどり

 〽あただ浮世は 生木に(なた)ぢやとなう 思ひまはせば きの毒やなう。

 〽あただ阿国は ()の木に猫ぢやとなう 思ひまはせば きの薬。

 〽淀の川瀬の水車 誰を待つやらくる〳〵と。

 〽茶屋のおかかに 末代添はば 伊勢へ七度 熊野へ十三度 愛宕様へは 月参り。

 〽茶屋のおかかに 七つの恋慕(れんぼ)よなう 一つ二つは痴話にも めされよなう 残り五つ皆 恋慕ぢや。

〽風も吹かぬに 早戸をさいたなう ささばさすとて とくにもおしやらいで あただつれなの 君様やなう そなた思へば 門に立つ 寒き嵐も 身にしまぬ。(浄瑠璃もどき)

──歌舞伎歌謡、江戸初期流行、『阿国歌舞伎歌』

 

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出雲の阿国 諏訪神社(部分)芸子踊り

 

語り物 かたりもの

〈歌い物〉に対応した邦楽区分用語で、文字通り音曲よりも声楽表現に重きを置いたもの。平家・義太夫・能の謡・琵琶語りなどが代表的だが、浄瑠璃のように曲目や演奏部分により音曲表現を重視したものもある。

 

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豊竹山城少掾 文楽座引退興行

 

河東節 かとうぶし

江戸浄瑠璃の主流派。

享保の頃、江戸半太夫の高弟十寸見(ますみ)河東が創流したことから名づけられた。その人物伝は『守貞謾稿』巻二十三にくわしい。

〈加東節〉は、一時は遊里などで淡雅清楚、江戸音曲の生粋と粋人らに評価されたほどだったが、豊後節系の清元や富本に押され八世ほど続いてから衰微した。今では助六の歌舞伎狂言などでそのイナセぶりがわずかにうかがえるにすぎない。家伝書に『鳰鳥』『夜半楽』などがある。

 旦那芸には河東節系の「助六」が人気に。例歌の出典は高野辰之が明治時代に再編しなおした集からの引用である。

 

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助六所縁江戸桜 歌川豊国画

 

【例歌】

松の内 まつのうち 

〽あらたまの。空あをみたる曙は。つねきく(とり)も。若々と。わか水。はやきくるま井のめぐる。くる〳〵年の朝。こぞのまゝなるみだれがみ。こぼれかゝれるさし櫛はたれむすべとか。しどけなや。しどけなりふり。しなさだめ。しつけぞ残る恋衣。どの袖ひかんうつりがの。峯に一はけ夕霞。二日は茶屋にゐの日にて。手まづさへぎるはご板に。軒よりつたふ。つくばねの。笹にからまりもすそへ。まりが〳〵袖くぐる手どりに一つ袂へ二つ。「さゝにからまり。もすそへまりが〳〵そでくぐるてどりにひとつたもとへふたつ。「恋ぞつもりて。いつのまに。ちよつと百ついた。まりの数。「とんと落なば名はたゝん。どの女郎衆の下紐を。結ぶの神の下心。かねてしりたし。とはまほし。「三日は客のきそ始だいてねの日と一焚の。かほりほのめくおくざしき。君かちびきの丑の日やうしとはいはん。我思ひ。「いつかやみなんこりずも通ふ。どてに明たる身ぞつらき。「おいそのかねは。七つなゝもどり。とらにあをとてすそは露小づまはあらし松風。「げにきみが代のはん栄は。虎も住なん千本の竹。うめはづ。。。かしき。ゑりのかにまだ。「青陽のくれさむくかりぎの袂ちはやぶる。かみも。おもひのあればにやいつしかけふは。「きぬ〴〵の。沅湘日夜ひんがしは。雨戸もはやくあくる日の。しめてねなゝんなゝくさは。ごぎやうたびらこ仏の座。すゞなすゞしろせりなづな。きみがためとて若なつむちたねのいろこそひさしけれ。

──江戸浄瑠璃享保頃作、『十寸見声曲集

[メモ] この浄瑠璃は享保二年、江戸芝居に初めて顔見世した河東が市村座で語ったものである。

 

歌舞伎歌謡 かぶきかよう

歌舞伎において劇構成の一部としてうたわれる唄。長唄などの三味線音楽が中心になる。

〈歌舞伎歌謡〉については諸本にくわしいので、ここでは解説を割愛する。

【例歌】

歌舞伎小唄〔雑載〕 かぶきこうた 

(ふみ)がやりたや室町筋へ、とりやちがへて他の人にやるな、花のふみ様の手に渡せ。(室町)

〽花は折りたし梢は高し、高し、離れがたなの木の下や。(木下)

〽おなつかしやといはんとすれど、鹿の子かたびらで御目(おめ)しげれば、目許ならではあらはれぬ。(鹿子 

〽田舎なれども駿河は名所、田子に打ち出でしほごりとるを、きみを三島と伏し拝まう。

(三島)

〽先ず文をやりて見て、来たらばだいても寐うずもの、小褄あはせの片褄打ち布いて、恨み〳〵も寐うずもの。(片褄) 

〽水を結べば月手に宿る、花折れば(にほひ)(ごろも)にうつるならひの候もの、袖を引くに引かれぬは、あらつら憎いやの。(香の衣)

──芝居唄、慶長より延宝に至る間の作、『はやり唄変遷史』

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まかしょ(演奏のみ)      長唄連中

まかしょ〳〵、まいてくりょ。まっか諸方の門門(かどかど)に、無用の(ふだ)も何んのその、構い馴染(なじみ)のご祈祷坊主。「昔かたぎは天満宮、今の浮世は色で持つ、野暮な地口絵、げばこから、引き出してくる酒の(よい)妙見(みようけん)さんの七つ梅、不動のお手に剣菱の、ぴんと白菊、(はな)(いかだ)

──三下り長唄、文政三年江戸中村座初演、『月雪花名残文台(七変化)

[メモ] 坂東三津五郎演ずる大切(おおぎり)所作事。七変化の第二幕、「寒行雪の姿見」をまかしょと通称していて、掲出はその冒頭かかりの部分。

 長唄「まかしょ」 藤間文園HP

 

上方歌 かみがたうた

京坂中心に生まれ流行した歌で、東国からみなした呼び名。京坂においては〈地歌〉と称している。

近世上方の流行唄の多くは、江戸の場合と同様に、まず色里から広まった。上方は都文化の歴程が長いだけに、この分野でも層が厚く、また種類も多い。

 目立ったものでは明暦・万治(1650年代)に京都島原で発祥した「投節」、あるいはのちに大坂新町で歌われた「籬節」などがある。秀松軒が編んだ『松の葉』はわが国最初の三味線歌謡集だが、これまた江戸初期における上方唄の流行を促すのに貢献した。

 【例歌】

東山 ひがしやま                  朝妻検校作詞

〽見渡せば東山の春の景色や、祇園囃(ぎおむばやし)に吹く嵐は、山市の晴嵐(せいらん)とうたがはれ、河原(おもて)真砂(まさご)の色は、江天の暮雪もかくやあらむ、面白の花の都や、地主(ぢしゆ)の桜に()くはなし、賀茂川の流の末に行く舟は、遠浦の帰帆か、冴え渡る清水(きよみず)寺の鐘の声 「遠寺の晩鐘の響、それ白河の洲崎に(つばさ)の散乱すは、平沙の落雁とも(いひ)つべし、さて霊山(れうせむ)の月影は、洞庭の秋の野のこれにはよも(まさ)らじ、さてまた漁村の夕照(せきせう)は、釣り垂れて総角(あげまき)に遊ぶものを。

──上方唄、『松の葉』第二巻(元禄十六年)

[メモ] 京都東山辺の景観を中国湖南省は瀟湘(しようしよう)八景にぞらえた古典美文調の詞。同様の借景歌が有名な「近江八景」である。

 

上方唄 かみがたうた

〽太郎冠者がはやしものをするさうな、傘をさすなら春日山人が、傘をさすならわれも傘をささう、よやよがるもさうよの。

──流行唄、天保二年頃流行、『はやり唄変遷史』

[メモ] 大坂から江戸入りし流行した唄の典型的な例。「傘をさす」と「よがる」の二語で、何を意味しているかがわかる。

《参考》

上方唄             喜田川守貞筆

上方ト云ハ他国ヨリ京坂ヲ指テ云也、京坂ニテハ地唄ト云、江戸ナドニテハ上方唄ト云也、是ヲ京坂不易ノ唄物トス、三弦ハ素ヨリ琴ニモ能ク合フ、江戸唄ハ三弦、鼓、太鼓、笛ニハ能合ヒ、琴ニハ合難シ、故ニ江戸ニテモ、琴ニハ上方唄ヲ合スルコト専ラ也、江戸長唄モ更ニ琴ヲ用ヒザルニハアラ 

──『守貞漫稿』巻二十三

 

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朝妻船(類歌)

上方唄「文月

京都・舞妓

 

上方調 かみがたちょう

曲や詞に上方独特の気色が濃く現れている歌謡。

「江戸調」に対応する言葉で、区分けは感覚的な判断による。詞をもって例を示してみよう。

【例歌】

のつちりふぐじるぶし

〽親はのつちりふぐじる 子はのつちりふぐじる〳〵 親はのつちりふぐじる 子はのつちりふぐじる あほな子なふぐじる のつちりふぐじる〳〵 のんほふぐじる〳〵 豆腐がよいか酢がよいちん〳〵ばかすてゝん 摺つたり()けたり禿げたり〳〵 そりや扨てな善い汁めされたそりや扨てよい 是新町のほうしゆんかりこ者がおもはくぢや いさみての長市坊長市お聞きやれおかたも聞きやれ 是の姫がマア気がそれた長市坊 なるもならぬも目もとで知れる 今のめもとはまあなる目もと てうしこい。

──上方唄、『淋敷座之慰』(延宝四年)

[メモ] 「のほほんぶし」「あびせぶし」「長市坊ぶし」それぞれでうたえと指示してある組歌もどき。上方特有のねちっこい表現が特徴だ。

 

浮世小路 うきよしようじ

浮世小路に。うき世をのぞく。浮世の(ほか)の世たいして。()()(まま)喰うてにしき出の茶わん「はしがみは旦那さま。のし。乙子(おとご)(つい)(たち)は。小倉野。茄子(なすび)はおもやから。あくおけが。エヽ〳〵〳〵。らしや気にかゝる。アヽ〳〵アヽ。浮世じやわいな。〳〵。氏はのうても玉のこし。

──三下り上方唄、『粋の懐』八篇(文久二年)

 各所に「浮世小路」があるのも上方風情だ

なんぞとぶし

何をくよ〳〵かわばたやなぎ。水の。なんぞと。水の流れを見てくらす。なんぞとようまア。そんなこといはれたもんだヨ。

──上方唄、『粋の懐』七篇(文久二年)

 

さくらえ節 さくらえぶし

♪さくらえ桜、きりしま山茶花(さざんくわ)難波(なんば)のつつじか、今宮(いまみや)か、菖蒲(あやめ)杜若(かきつばた)女郎花(おみなへし)(はぎ)桔梗(ききやう)さんな(きく)大源寺(だいげんじ)蒲公(たんぽぽ)さけ〳〵、(にほ)ひが好きなら サツサ、牡丹紅梅美人草かへ。蓮華(れんげ)(はな)咲けさけ。

──上方唄、明治二十年代流行、『明治流行歌史』

[メモ] 別に「上方調宮津節」と副題が付いている例である。

 

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せかれ *toyoshibakimi弾き唄い

 

義太夫節 ぎだゆうぶし

浄瑠璃の流派名。

貞享元年、流祖竹本義太夫が大坂道頓堀の竹本座を開設し語ったのを始めとする。

以来人形芝居と歩調をあわせ大いに発展。そのいかにも艶麗繊細な語り口により音曲中の音曲とまでいわれ、明治時代には娘義太夫が全盛期を迎えるなど人気が続いた。現在なお好事家により伝承が支えられている。

 義太夫節「姥山桜」明治時代の錦絵

【例歌】

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義経千本桜 鮓屋の段

よしつねせんぼんざくら/すしやのだん 

           語り 竹本大隈太夫

父も聞へず母様も、夢にも知して下さつたら、仮令(たとへ)(こがれ)思て死ぬればとて、雲井に近き御 方へ、鮓屋の娘が惚られうか、一生連添ふ殿御じやと、思込で居る者を二世の固めは叶はぬ、親ヘの義理に契つたとは、情無いおなさけに(あづか)りましたと、どうと伏、身を慄し

──遮音機平円盤『美音の栞』(第二八七四号A)

 

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伊勢音頭恋寝刃 *ヤマ場の語り

義太夫 *「一ノ谷ふたば軍記」より

女流義太夫「新版歌祭文」

 

清元節 きよもとぶし

浄瑠璃の一種目名。元文年間に豊後節が分岐し、紆余屈曲を経て文化十一年、清元延寿太夫が樹立した流派である。

彼の美声と狂言役者と連携した軽妙洒脱な語り口はたちまち江戸っ子の人気をとらえ、時の狂歌で「都座にすぎたるものが二つあり延寿太夫に鶴屋南北」ともてはやされた。

例歌「梅の春」は清元の代表曲。 

 清元五世延寿大夫の「隅田川」原盤

【例歌】

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青海波 せいかいは          永井素岳作

♪神代より光り輝く日の本や 干珠(かんじゆ)満珠(まんじゆ)の世がたりを 今に伝へて陸奥(みちのく)の 千賀(ちが)の塩がま(けぶり)たつ 霞に明し松嶋の 眺めは尽きぬ春の日の 汐の干潟を(ひき)(そで)に 移す(かをり)(なつかし)き 梅の花貝さくらがひ みるめ(いそ)のあかねなる 花の跡踏む夏山の 筑波が覗く船の中

♪あふせの浦の私語(ささめごと) いつか浮名もたつ浪の うちこんでゐる真心に 待とは恋の謎〳〵も 解た素顔の夏の富士 清見の沖や三保(みほ)が崎 まつに本意なき(あお)東風(ごち)に 憎やあし辺の(かた)男波(をなみ) その通路(かよひじ)星合(ほしあひ)の なかゝけ渡す(かささぎ)の 天の橋立きれ戸とは 裏表なる播磨潟 潮くむ(あま)のしるしとて みどりの秋を残したる 恋はむかしのうたひもの  

──清元節、『青海波』(加藤忠兵衛・明治三十年)

神田祭 かんだまつり      語り 清元弥生太夫

森の小がらす我は又、おはをからすの羽ねさへも、なぞとあいつかゑてものの、こゝが木やりの家のかぶやアやんれひけ〳〵よい声かけて、ゑんやらさ、奴と抱しめ床の中から小よきふとんをなぐりかけ、なんでもこつちを向しやんせ、よい〳〵よんやナ、よいなかどうしのこいさかいなら、ちわとくぜつはなんでもかんでもこんやもせい、東雲(しののめ)の明の鐘、ごんとなるので中なおりすんました、よい〳〵よんやナ、そふよが〆かけ中綱、ゑんやあれやこれはあれはさのへ

──清元節近代に録音美音の栞第二一五九号

 

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神田祭  *清本梅吉

 

金平節 きんぴらぶし

古浄瑠璃の一種「金平浄瑠璃」から発生した邦楽ではあるが、実質は俗謡といえるようだ。

金平浄瑠璃は明暦頃、和泉太夫こと桜井丹波少掾が語りだしたもので、坂田の金時の息、金平を主人公とした一連の物語を披露をしたことからこの名がついた。

内容は荒っぽくて子供だまし級の低俗なもの。その金平浄瑠璃本にあやかり書きおこした俗謡が世にいう〈金平節〉である。

 金平節「菅原親王行状記」 天理図書館蔵

【例歌】

金平したりや節 きんぴらしたりやぶし 

蜈蚣(むかで)がほんの金平ならば、俵藤太の矢先にかゝつて、射らるゝ筈はなけれども、藤太が矢先でいられるからは、藤太がほんの金平金平 

とゝがほんの金平ならば、(かか)に叱られ飯焚く筈はなけれども、嬶に叱られうろたへ廻つて飯焚くからは、嬶がほんの金平金平。

──俗謡、幕政改革盛んな享保頃流行、『はやり唄変遷史』

 

元禄風花見踊り げんろくふうはなみおどり

西南戦争後、殺伐とした空気を和らげるかのように、華やかに躍り出た明治の長唄。杵屋正治郎の節付けで、明治十一年六月、新富座の再建開場記念に初演された。ただし、これの踊唄そのものの発祥は中世にさかのぼる。 

【例歌】

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元禄風花見踊り       竹柴瓢助詞

吾妻(あづま)()を (みやこ)の春に志賀山(しがやま)の 花見小袖の(ぬひ)(はく)も はでをかまはぬ伊達(だて)(ぞめ)や よきこと菊の判事(はんじ)もの 思ひ〳〵の出立(でたち)ばへ

 輪舞遊洛図『洛中洛外図屏風歴博本』所収、中世〕元禄風花見踊りの源とされている

連れて着つれて(ゆく)そでも たんだふれ〳〵六尺袖の しかも鹿の子の 岡崎女郎衆 裾に八ツ橋染ても見たが ヤンレホンホニさうかいな そさまむらさき色もこい ヤンレそんれはそふじやイナ 手先揃(てさきそろ)へてざゞんざの 音は浜松よんやさ

花と月とはどれが都の(なが)めやら かつぎまぶかに北嵯峨おむろ 二条通りの百足屋(むかでや)が 辛気こらした真紅(しんく)の紐を そでへ通して 繋げやさくら ひんだ鹿の子の小袖幕 目にも綾ある 小袖の主の 顔を見たなら (なほ)よかろ ヤンレそんれはへ

花見するとて 熊ケ谷笠よ (のむ)熊谷(くまがや) 武蔵野でござれ 月にうさぎは和田酒盛の 黒イ(さかづき)闇でも嬉し 腰にひよふたん ()巾着(ぎんちやく) 酔ふて踊るが ヨイ〳〵 よいやさ

武蔵名物月のよい晩は おかた鉢巻蝙蝠羽織 無ぞり角鍔(かくつば)かく内つれて とゝは手細(てぼそ)(ふせ)あみ笠で おどれ〳〵や 布搗く杵も 小町踊の 伊達道具 ヨイ〳〵〳〵〳〵〳〵 よいやさ おもしろ 

(いり)()る ゐりくるさくら時 (ゑい)当東(とうとう)ゑい人の山 (いや)が上野の花盛り 皆清水(きよみづ)の新舞たい (にぎ)はしかりけるしだいなり

──踊り唄、明治十一年初演、『元禄風花見おどり』(早稲田大学演劇博物館蔵)

 

古今節 こきんぶし

ココンブシとも発する(出典により分かれている)。元禄年間、古今新左衛門という芝居役者が京坂の小屋でうたいはじめた端歌。

楽器を用いない独特な素うたい曲が多く、謎かけ唄ややつし(口合・地口)操りの道化を得意とした。

彼の作品が登場する『はやり歌古今集』『落葉集』は、言葉遊びの研究上、貴重資史料になっている。

【例歌】

蝉ぶし せみぶし        古今新左衛門詞

深草の庭。荻萩。(すすき)。かたうづらー白い蘭こそ。秘蔵の。石台。虫の声々。松虫鈴虫轡虫ー。常に鳴かぬは。たるら虫―。

いとゞ秋は淋しきに。蝉(きやう)読むわいのー蝉が「経読みや。みみみ。蝉経読むわいの。

──雑謡、『はやり歌古今集』(元禄十二年)

小栗 おぐり         古今新左衛門詞

いかに鬼かげよくきけよ、牛は大日如来(によらい)なり、むまきばとうくわんおんなり、けげん化生(けしやう)のものなれど、あまた有ける其中に、なんぢことさら人まぐさをはむゆへに、ち句しやうの中の鬼ぞかし、こまもしやうあるものならば、みゝふりたてゝよくきけよ、口にぶつみやうとのうれば、いきながらほとけになるぞ鬼かげよ、によぜちくしやうほつぼだいしんときく時は、汝もたしかにちやうもんせよ、そのとき鬼かげは、畜生はいゝながら恋の(あはれ)を聞わけて、もろひざおりていたりしは、人間ものはしらぬなり。

──本調子地歌、『落葉集』六巻(元禄十七年)

 

琴歌 ことうた

琴の弾法を三味線音楽化した下座音楽。

三味線が普及する以前は、京都の公家らがうたった朗詠や今様を〈琴歌〉といった。それが江戸幕府成立時、九州の僧で法水という者が東上、八橋検校にその筝曲を伝えた。さらにこれを八橋検校が琴歌に体裁を整え新曲となした、と伝えられている。

そして琴歌も、やがて今様はやり唄や俗謡歌への道をたどる。

たとえば著名な「さくらさくら」を古里謡とするのは誤りで、江戸時代初期に琴の手習い用に唄い出された琴歌なのである。また芝居の場合、たいていが歌入りの合方として時代物の幕開きや女方(つぼね)の出入りのさい琴歌が用いられる。したがって長いものはなく、すべて断章、しかも〈古句取り〉が目立つ。

   なお琴歌といっても、「筝曲」とは別の歌謡系統のものなので注意したい。

 八橋検校像

 【例歌】

琴うた ことうた

 あさがほに。つるべとられてもらひみづ。

 たまだれの。うちやゆかしき御所ぐるま。

 すみだはら。われもむかしはいとすゝき。

 世の中に。たへてさくらのないことならば。

──二上り琴唄、『粋の懐』巻四(文久二年)

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臼の声 うすのこえ       三代 山登松齢詞

♪〔春〕おぼろ夜の。「影は霞の。薄ものに。こぼれて匂ふ。梅が香の。日数(ひかず)にうつる。春くれて。〔夏〕夏たつけふの。薄衣(うすころも)。「うす紫の。あふちかげ。「涼しき風に。秋のたつ。〔秋〕薄霧なびく。初尾花。「ほのかにうすく。暮そめて。「きゝうす高き。山風に。「月すむ秋の。琴のこゑ。「夜寒の(かり)も。()そへて。「外面(そとも)の木々の。薄紅葉(もみぢ)。〔冬〕急ぐ時雨(しぐれ)の。朝戸出に。庭のうす雪。めづらしな。〔恋〕なげの(なさけ)の。筆のあと。「墨うすからぬ。玉づさに。「契りは何か。うすからん。〔雑〕うすきへだての。(しづ)()に。「稲つく臼の。つちのうた。「拍子も風に。通ひきて。「うたふこゑごゑ。おもしろや。

──山田流筝曲、明治四十五年発表、『山登琴曲集 

 

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さくらさくら

さくら変奏曲(演奏のみ)

 

小舞歌 こまいうた

江戸初期に発祥した歌舞伎で、舞の調子をとる手本として付けられた十六番の歌の総称である。

【例歌】

春霞〔第一番〕 はるがすみ

春は春霞、立ち出で見ればみ山辺の、雲かと見れば、八重一重、桜(かさ)ねの薄葉(うすえふ)に、書きたる歌は、いつの霞に紛れたぞ。

二人の君〔第九番〕 ふたりのきみ 

二人の君は持たねども、月の夜にさへ来ぬ人が、まして今宵は風も烈しくて、村雨がさらりさら〳〵と降れば、涙か、まことの殿はよも越さじ、妻戸しきよやれ、きり〳〵はつたりしよ、

──踊り唄、『落葉集』巻二(元禄十六年)

 

地歌 じうた

〈法師歌〉とも。上方に限定した三味線歌謡の呼称。江戸唄に対応した呼名で、の字を用いて江戸唄と区別するのが慣わしだ。

法師歌とは、江戸初期に京都の検校・峰崎勾当が作曲し演奏したことから法師歌と名付けられた。筝曲と合体し、三味線の組歌として発達したものを本流とするが、いまでは〈地歌〉としての呼称範囲がきわめて広くなっている。

【例歌】

里の名残 さとのなごり

ひとりゆく、去年(こぞ)は港に身を寄せて、今は見られぬ(みつ)(どもゑ)、離れ〴〵の軒の露、なんの昔のわしならば、今のこの苦はせまいもの、泉流れてまた(しじみ)(がは)、慣れし(くるわ)を秋の風、見送る禿(かむろ)の姿さへ、(かこ)ち顔なる憂き涙、馴染(なじ)まぬ里の苦界(くがい)も辛き、中に楽しむ血筋と血筋、思ひ尽きせぬ(うた)起請(ぎしやう)

──歌、江戸中期作、『日本歌謡類聚』

[メモ] 作詞者未詳の二上り端唄。容色が衰え廓から岡場所へと堕ちていく遊女の哀れを歌っている。

よいとのご

(ここ)島原(しまばら)出口の柳、招く禿(かむろ)が合図の手管(てくだ)、忍び逢ふ夜の其かね(ごと)は、千代の契りは因幡の松よ、青葉栄えて(とも)白髪(しらが)まで、君の思ひはこれなんめり、さあさゝよい〳〵〳〵、よいとのご。

──流行唄、安政元年流行、『小唄の衢 

[メモ] 京都島原遊廓「出口の柳」は江戸吉原の「見返り柳」に対応する名所として広く知られている。

 

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「残月」勾当作曲の法師唄

 地歌「すりばち」

 地歌「山姥」

 七福神

 新青柳勾当作曲の法師唄

 

地歌舞 じうたまい

上方舞踊のうち、音曲に地歌を用いるもの。

三味線弾きを伴奏に主として端歌で舞う。

 しっとりと落ち着きのある語り調子が持ち前である。

 上方舞 ブログ「山村流 山村若女」より

【例歌】

忘れ唱歌 わすれしようが

こんど長崎で。かわつた唱歌をなろうた。あとさきはおぼえなんだが。中のしやう歌をわすれた。さこそあるべきと。書て戻つたが。それさへ出口でなくした。首尾も諸わけも。そのとふり。ハテ面白ない。世にこゝに。しゆどの(きち)()が里通ひ。宵の口説におもやせて。あなたのかたへおさらばへ。こなたの方へおさらばへ。のとさまエヽ。猪牙(ちよき)にも駕にもエ(のら)いで。色あみ笠を買ひ込んだ。土手のくぼたまりに。けつまづいて。膝頭(ひざがしら)をすりむいた。あいたしこなんとした。おたゝんのたんせつぶ。ちんば引け〳〵(きん)竜山(りうざん)へ。米々(よねよね)まんぢうは(うらなひ)か。(ぜに)やある。おんじやれもふしや。あるよさ。とかく浮世はおもしろや。

──本調子端歌、江戸中期作、『粋の懐』五篇

[メモ] 元江戸の流行小唄(騒ぎ唄)であったのを合体化し地唄舞に編曲しなおしてある。

 

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地歌舞 *古澤流

 

繁太夫物 しげたゆうもの

寛文の頃、豊後節から分派した上方浄瑠璃が〈繁太夫節〉である。

豊後節系浄瑠璃そのものは半ば消滅しかけていたが、曲詞のうちいくつかは現代なお地歌として命脈を保っており、これを〈繁太夫物〉と通称している。

【例歌】

おなつ           玉川九八詞

〽おきなか川はたえぬとも、君に語らふ言の

 葉に、ひとかたならぬ二人づれ、故郷をあとにうかれいで、遠山おろし磯千鳥、けふのうき身にものすごく、心はりまぢ立出でゝ、なにはをあてによしあしの、うらみねたみの春秋を、おもひ重ねて、おなつは今をたびはじめ、霜ふみしめわすらぞうり「ひきさきがみのあとぐゝり「笑ひのたねのわらんづや、うきが中にも清十郎、しよんぼりとした旅すがた、うづのからげのかひしよなき、そんななりでも五里十里、ゆかるゝものかとあどなきあんじも、たがひに力つけあうて、しのぶときにはじやまになる、ふりそでかくす人目のせきぢ、見つけられじとそなたなる、こかげにしばらくやすらへば、ときしめす、仏のちかひあとたえず、さむきよみぢに修行者の、はでなねぶつのこゑ〴〵に、声明してぞ通りける、今のうき身にしみじみと無常をしめすかねのこえ、言葉清十郎なみだぐみ、なつが手をとりかほうちながめ、あゆみ習わぬたびの空、ようついてきて下さりましたおなじ恋とは、いひながらおしうのむすめをつれてのくこれより上のつみもなし、朋輩ぢうのそしりをうけ、おやごさまのお恨みを、思へばむねが苦しいと、なみだにくれてたゝずめばおなつもそばによりそひて、おしうとは何事ぞ、おまへはかりの手代ぶん、もつたいながら人めがあれば、清十郎どうしやかうしやと、心でをがんでいうてゐた、まだその様に言葉のへだて、とゝさまやかゝさまの、おもへばわしから死なねばならぬ、そこをふりすてかうしたうきめを、くにならぬのはどうしたことぞ、おいしや様でも神さまでも、ほれたやまひはなほりやせぬ、いつものやうにむつまじう、ことばをかけて下さんせとすがりなげゝば心とけ、たがひに手に手をとりかはし、たゞ何事も思ひのあまりいざ、いそがんとみちばかも、ゆきゝのとがめこりずまの、うらなつかしき冬景色、名所々々も「心なく、せめて一夜の、そひぶしに、おもひあかしもほどすぎて、あるいはかくれ或は走りしぐれ、しぐるゝ袖の海、山、又山のはてまでも、はなれじ、ものとゆきくれて兵庫のまちにぞつきにけり。 

──本調子浄瑠璃、『新大成糸のしらべ』(享和元年)

[メモ] 歌謡というよりは、語り物としての特性が勝っている作品である。

 

柴垣節 しばがきぶし

明暦頃に流行の小唄で、貞享に亡んでいる。 

元は北陸の米搗唄だったものを流浪の比丘尼あたりが江戸にもたらしたものらしい。

【例歌】

柴垣節

柴がき〳〵しば垣ごしに、雪のふり袖ちらと見た、ふり袖へ雪のふり袖ちらと見た。──江戸小唄、明暦頃流行、『守貞謾稿』巻二十三

 

三味線唄 しゃみせんうた

三味線を伴奏とした庶民唄の総称である。

 三味線そのものについては諸書に詳述され、また『守貞謾稿』巻二十三にも詳しい。

 【例歌】

 三つの調べ みつのしらべ

琴笛の、中に上なき調べあり、名こそ(あづま)と落ちくだれども、それは六つの緒、これまた人の国より伝へ来て、いま世に広く、三筋の調べ(たぐひ)なき、幾その人の幾そ度び、汲む盃の折り折りや、手ずさみなせば身の憂さを、忘るゝ草の種として、千代に八千代に(よはひ)延ばへん。

──本調子端歌、江戸中期作、『日本歌謡類聚』

[メモ] 三味線がいかに優れた楽器であるか、自体を賛じた三味線唄である。

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かんちろりん     山崎豊子唄

♪下に居ろ〳〵と、あの行列はサ、大阪でサ、カンチロリン、大阪でサ大坂でサ、木村長門守がナ、上使々々。

下に居ろ〳〵と、あの行列はサ、お江戸でサ、カンチロリン、お江戸でサお江戸でサ、大久保彦左衛門がナ、上使々々。

──三味線唄、明治初期流行、『上方演芸辞典』

 

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アメリカでの津軽三味線演奏

外国人三味線見事

 

浄瑠璃くずし じょうるりくずし

 元は浄瑠璃の詞章を地歌に改作した歌謡。

語り部分の内容を温存しつつ、詞を音曲風に改めることで、よりうたいやすく整えたものである。

改作しやすさも手伝ってか、近松作品が目立つ。 

【例歌】

夕霧文章 ゆうぎりぶんしよう               近松門左衛門原詞

何九年苦界(くがい)十年(はな)(ごろも) 気儘に遊ぶ鶯の 梅に廓の恋風や その扇屋の金山(かなやま)と 名に立ちのぼる全盛は 松に(しがら)む藤葛 馴れ初めし濃い紫の 明けの烏のそれなりに 鐘も憎まぬ 寝乱れ髪の結ぼほれ 好いた同士の仲さへも 仇に別れて丸一年 二年(ふたとせ)ごしに音ずれを 泣いて明して(かこ)ち言 恨みを誰に夕霧が 二世と掛軸(かけじ)をつく〴〵と (もた)れかゝりし床柱(とこばしら) 思ひに沈む恋か浮世を なんじやぞいな達磨(だるま)さん 情けを知らぬ殿達は 玉の盃底がない お前の裾も本来は 減つてないのでありそなものを せう事なしの恋しらず。

──本調子端歌、江戸後期作、『日本歌謡類聚』に所収

 

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夕霧伊左衛門廓文章 *劇中歌

 

新内節 しんないぶし

〈新内節〉は浄瑠璃系義太夫の一流派名で、初世 鶴賀新内・鶴賀若狭掾(わかさのじよう)の両名を新内の祖とする。

安永頃に最盛した江戸物心中道行きの語りで人気を集めた。いわゆるクドキが嫋婉(じょうえん)と続くことから「泣節」との俗称もあり、近代でも「新内流し」のかもす哀切な情緒が人気を呼んで、下町の三業地では今なお贔屓筋の支持を得ている。

 柳暗花明の巷でこそ絵になる新内流し 

 【例歌】

 あけがらす〔下〕 あけがらす  

初世 鶴賀若狭掾詞

〽内には亭主浦里を。庭の古木にくゝりつけ。折ふしふりくる雪ふゞき。箒木(ほうき)おつとり(うつ)音に。禿(かむろ)みどりが取付いて。旦那さんモウ御かんにんなされませと。なげくかむろを共にしばり。浦里なみだの顔ふり上。(わたし)が身は是非もなし。みどりに何のとがあつて。アノ子はゆるして下さんせと。いへば亭主も不便(ふびん)さと。思へどわざとこゑあらく。ヤイうらざと。客をせく事客のため。女郎大切しんだいも大事。アノ客も未だ若き人。余りしげ〳〵(かよは)れては。親がゝりなら勘当うけ主持ならば親かたの。手まへ。仕ぞこなふはしれた事。このほど年切(ねんきり)かへしも。あの客衆じやとある。此えへは。心中か。かけ落か。行末までが不便さ故。たとへ敵のすへにてもせよ。我(かかへ)となりし女郎。ことに禿のうちより。器量は人に勝れたれば。外の子供と違ひ。心を付て育てし物。なんのにくひ事があろ。こゝをよう聞きわけて。おもひなをして奉公せよ。度々いけんを加へても。それをそれとも聞入ぬ。そのくるしみも心から。おのれがつみおのれをせめる。みどりめも。おのれがつかふかむろなれば。外の者への見せしめ。おもひきる心なら。今でもなはをゆるしてくれん。コリヤ男ども。きを付けいといゝ捨て。奥の一間に入にける。「うらざしあとをうちながめ。涙にくれていたりしが。エヽなさけあるおことばなれど。これ斗りは。どふも忘られぬ。おゆるしなされて下さんせ。まだ此うへにどのやうな。かなしい苦しいせめくでも。わしやいとやせぬ。どふなつても。おもひきられぬ。いつそ添れぬ物なれば。一所にしにたい時次郎さん。ころして下んせ死にたいわいのふ。「きのふのはなはけふの夢。今はわがみにつまされて。義理といふ字はぜひもなや。つとめする身のまゝならず。わかれとならば今さらに。いなせともなき放れぎは。エヽ「このくるしみに引かへて。アノ二階の三味線は。いつぞや主の居つゞけに。寝まきのまゝに引よせて。たがゐに語る楽しみの。今宵(こよい)は引かへ今頃は。どこにどふしていさんすやら。とにか(そは)れぬ二人が身の上。ハヽアあぢきなき浮世じやナア。「すいた男にわしや命でも。なんのおしかろ露の身の。きへば(うらみ)もなきものを。下略。

──新内節、『粋の懐』九篇(文久二年)

[メモ] 江戸の新内節では最も有名な曲で、本題名「明烏夢(あけがらすゆめの)泡雪(あわゆき)」。吉原の退廃的な舞台を背景に、浦里(三芳野)と時次郎(伊之助)の心中情話を描く。あまりにも評判が高くなり、ほかに清元・常磐津・富本・江戸端唄などの音曲でももてはやされた。

 新内節「明烏夢泡雪」の浦里と時次郎

 らんてう らんちょう  

 〽四つ谷ではじめてあふたとき。すいたらしいとおもふたが。いんぐわなゑんの糸ぐるま。めぐるもん日びやつねの日も。しんぞ禿にねだられて。よんだ(きやく)(しゆ)の目をしのび。手くだのとがめくりがへも。二所(ふたところ)三所(みところ)ながれゆく。つとめする身もしろうとも。なじみかさねたおんなぎは。じつにかはりはないわいな。すいもぶすいも恋ぢには。苦労をするがならいぞと。いふが中にもわたしほど。世にあじきなきものはなし。親にそひ寝のゆめにさへ。見もしりもせぬ人中へ。うられくるはのうきつとめ。かむろのうちのきぐろうは。ねむり火かげをおいおこされて。文のつかいや返事さへ。ながいろうかのゆきかよい。間夫(まぶ)の手引や合図の手れん。きをもみうらの色にでて。やり手につめられたゝかれる。それくをぬけてやう〳〵と。店へいづもの神さんも。かたびいきなるゑんむすび。すかん客しゅにいびられて。ないて明かさぬ夜はとてもなし。それが中にもたのしみは。たま〳〵あへばあくる日は。姉女郎やほうばいに。あてこといはれ身じまひも。おそい〳〵とせがまれて。涙をつつむふりそでの。とむればもはやとしまやく。伊達もいきじもまけまいと。きばればむねのしやくつかへ。おもへば〳〵男ほど。我まゝらしいものはない。むりな首尾してよんだ夜も。ちらからおんにきせるより。つまらぬ事をいゝつのり。くぜつはあすのかへされぬ。しかたとしれどこちも又。とかで苦をやむうれしさが。かうじて今のみのつまり。けふかあすかといふ内に。よいきならしいあてことは。きこへぬおかたとすがりつき。うらみなみだぞ道りなり。

──新内節、『粋の懐』三篇(文久二年)

[メモ] 「らんてう」は、蘭蝶なる芸名で廓入りした座敷芸人実は幕府密偵が遊女此糸を斬り捨てるまでの道行きを語ったもの。したがって遊里を中心に座敷歌で普及した。さすがに豊後節の系統だけあって、語りはねちっこく扇情的である。

弥次喜多 やじきた                      富士松加賀太夫詞

♪この弥次さんはなぜ遅い、草履が切れたか川留かと、後先見やりつ伸び上り、眉毛を濡す後よりも、弥次郎兵衛は喜多八が、予ての臆病知つたる故、脅してやらんと木隠れし、思ひ付いたる狐の面、手拭の端引結び、顔にスッポリコと引被り、差足抜足うしろより「コーン」と一声「アヽヽ御免なさい〳〵、悪い狐と申たんではござんせぬ結構なおこん(さん)、お稲荷様ノお白狐様と申たんで御座い升、御免々々〳〵」、と云ふ声も、歯の根も合はず、膝かた〳〵、〳〵、〳〵弥次郎兵衛俄に作り声

──新内節、明治四十四年発売、『写声機平円盤 美音の栞』天賞堂・コロムビアレコード編

[メモ] 同じ新内でも、前出の「明烏」の憂いがかりとは好対照の「弥次喜多」のサラッとした道化ぶりを対比してみるのも一興であろう。

 

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蜘蛛の糸 

新内流し  富士松延治太夫の語り

 

心中くどき しんじゅうくどき

男女の心中などもののあわれを主題とした〈口説節〉の一分野。

【例歌】

さんかつ〔中の巻〕 

〽あとはふたりがさしむかひたがひにかたるむつごとや、まことにひよつといひかはし一日あはねば百日に、かつたかやもほろぶとやこの頃たえてふみもこず、うちのしのゆびなどわるいかとあけくれあんじくど〳〵と、思ひ重ねしこのつかへこれ見さんせとてをとれば、そこにじよさいがあるものかそなたがあんじていやるより、苦になるおれが身になつてたもるがよい、これさいはいとたまござけ、さいつさゝれつさかづきのおくそこもなきゑひ心おもにもおりてどつかりと、はなしのうちにたかいびきゆすれど、おこせどわかちなくさんかつはめもあはずくつたくざけにむねいたみ、くすりのまんとかみいれをあけて見たればこはいかに、こよいかぎりのかきおきあり、さんかつはつとなみだぐみもはやこれがいとまごひ、新でふたたびたちかへりものいうたためしはない、さりとてはのふ半七さんあのしら〴〵しいかほはいな、かくしてしぬるがしんぢうかどんなことでもかくすまい、しらせませうといひかはしせいもんたてしをわすれはせぬ「かくしてしぬればわしが身もいまゝでいきてはゐぬかくご、りんゑにまよふはたれゆゑぞあのぎりしらずうそつきと、うらむもなくも露の身の置き所なき白玉のあはれ消えなん所存なり。

──口説節、『新大成糸のしらべ』(享和元年)

[メモ] 「さんかつ」とは、元禄七年大坂千日前で起きた、俗にいう「三勝半七心中事件」のこと。

湖水の嵐 こすいのあらし        渋谷白涙詞

歓楽尽きて抱き合ひ

与謝の海底果てしなく

手を取り合ふて死出の旅

消えて湖水の波の間に

漂浪ふ恋の二人連

あはれ何処に夢結ぶ

流れて移る琵琶の水

日毎夜毎に変れども

二人の恋は何時までも

雨にぬれたる唐崎 

松の操の永久に

変わりもやらぬ恋語り

あゝ春闌けし宵なりき

家も優しき花野家に

暫し浮寝の仮まく 

深く誓ひしその人は

其名も寺沢良夫とて

帝大文科の二年生

父は帝大工科長

教へを()れる博士ゆへ

通ふせ共に睦まじく

蛍の光窓の雪

文読む月日重ねしが

恋には弱き人の身の

いつしか迷ふ恋の闇

契りし花は白山の

名も三河家の吉子(きちこ)とて

去年の春も暮れ方に

ふと逢ひ初めししが縁の糸

いかなる神の結びかや

初めて逢ふたるその日より

まだうら若き青春 

胸に情の火は燃へて

おさゆる術も嵐し吹く

三室の山の紅葉の

いよ〳〵深くなる計り

今日も良夫は久し振り

訪ねてみれば思ひきや

吉子は涙の露宿し

いつに似げなく打ち沈む

不思議のさまといぶかれば

とはれていまは耐りかね

こらへ〳〵しため涙

ワツと許りに泣き伏しつ

うるめる声にねえ貴方

たとへ野の末山の奥

虎狼の住家でも

せめて一日も女夫ぢやと

人に云はれて死にたいと

誓ひし事も今は仇(後略)

──口説節、『琵琶湖心中 湖水の嵐』(大正十年)

[メモ] 「曽根崎心中の節で」という但書のある借曲詞。琵琶湖入水の心中事件を扱った長編詞である。

 大正期の詩唄集 「湖水の嵐 琵琶湖心中」 

 

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三勝道行 *花柳衛彦

 

鼓唄 つづみう 

江戸長唄中に組み込まれた(たて)(うた)の一つ。立唄とは、長唄連中で指導的立場にある唄方をさす。〈鼓唄〉は文字通り、三味線を用いずに鼓の拍子だけでうたわれる唄である。

【例歌】

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吉原雀 よしわらすずめ        祇園初太郎唄

〽その手で深みへ浜千鳥、通い馴れたる土手八町、口八町に乗せられて、沖の鴎の二挺だち三挺だち、素見(すけん)ぞめきは椋鳥の、群れつゝ啄木鳥(きつつき)格子先、叩く水鶏(くいな)の口まめ鳥に、孔雀ぞめきで目白押し、店清掻(すががき)のてんとつとん、さつさ押せ〳〵 

──二上り鼓唄、明和頃流行、『教草吉原雀』

[メモ] 「吉原雀」とは葭切(ヨシキリ)の異名であるが、転じて吉原の冷やかし客をさす。

 

常磐津 ときわず

〈常磐津節〉とも。京都から江戸に下った常磐津文字太夫が創始した浄瑠璃の一流派。元文四年にそれまでの豊後節が幕府の禁令にあった経過を経て、〈常磐津〉へと改称した。

全体に地味な演奏を伝承、三味線も重みのある演奏を旨とする。

【例歌】

家名所妹背笠紐〔おなつ清十郎〕 いえめいしょいもせのかさひも/おなつせいじゅうろう          常磐津文字太夫直伝

三下り長崎ブシ「恋といふ字を。金糸で縫せ。「すそに清十郎と寐た所。「覚ても元の夢の世や。我名はまだき糸桜。「夜半には。「おしやひるならで。人はそれともしらすげの。いたゞく笠は軽けれど。おもきは父のかたみぞと。長地「笠に浮名のもる香は「花のさかりのもろ姿「袖にふくめる恋風は。中地「濡のはじめの梅の雨露も外へはもらさじと隠す「仮家を教ゆるも「恋故くらき迷ひのやみも。てらす手しよくを案内(あない)にてざしき伝ひに忍び路や此所出「恋の白波深かかれと。長地カカリ「いだきもつるゝ柳がみ。濡れてもねんとかね。言のいひかはしたる妻ならでおもきがうへのさよ更けて「声もつゝむと。「するがなる。中地「狩場の仮屋此軒も。立ならびたるはじめぞや。(後略、ここから清十郎のセリフに入る) 

──常磐津、宝暦五年一月・江戸中村座で初演、『常磐種』

[メモ] 上演は、姫路で起きた心中事件の巷説を脚色した有名な歌舞伎である。掲出はその語り出し部分で、節符は略してある。

 浮世絵「お夏清十郎」

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戻橋 もどりばし          常磐津小文字太夫直伝 古川(河竹) 阿弥詞

(それ)普天(ふてん)(した)率土(そつと)(ひん) 王土にあらぬ所なきに 何国(いづく)に妖魔の住けるか 睦月(むつき)の頃より洛中へ 悪鬼顕はれ人をとり 夜るは往来(ゆきき)の人もなし

♪去れば内裡(だいり)の警衛に 都へ登りし(みなもと)の 頼光(よりみつ)朝臣(あそん)はいとまなく 去る頃深くかたらひし (これ)(なか)(きやう)の姫君へ 便りもなさでおはせしが 

♪けふしも渡辺源次綱(げんじつな) 使(つかひ)に立し帰り道 「卯の花咲きてしろ〴〵と 月照り渡る堀川の 早瀬の(ながれ)(おち)合ふて 水音すごき戻橋 

──常磐津、明治二十三年作、『常磐津全集』第一巻より冒頭曲詞(大さつまかゝり)のみ抄出

 

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常磐津「お夏狂乱」の馬子

 

富本節 とみもとぶし

 常盤津から分派した浄瑠璃の一派。

 初世常盤津文字大夫の弟子、小文字太夫が宝暦二年に独立し富本節の名乗りをあげた。

 曲詞の流麗さが受けて江戸大奥女中はじめ武士や町人旦那衆の贔屓を受けたが、後発の常盤津分派である清元節に押され、今では昔日の勢いはない。

 

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 六玉川 *清元國惠太夫×清元延美雪(富本

 の流れをくむ清元)

 

長唄 ながうた 

〈江戸長唄〉とも。長唄は三味線音楽の一つで、おもに歌舞伎舞踊の伴奏を経て普及した。もともと上方の地歌のうち長詞歌〈長歌〉を源とし、江戸初期までは京長歌・大坂長歌および江戸長唄の区別があった。

それが享保あたりから、長唄は江戸音曲の中心として発達し、それにつれて単に〈長唄〉という場合は、江戸長唄をさすようになる。

 

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江戸長唄の会 公演風景 

 同様に上方では、江戸長唄をさして「江戸唄」と称し、江戸風の賑やかな囃子鳴物がもてはやされ、その稽古にたずさわる者は揶揄をこめて「チリカラ連」と呼ばれた。

 本来は伴奏用の長唄だが、江戸後期には観賞用のお座敷長唄まで現れ、曲詞に技巧が凝らされるようになる。

ときに、三味線鳴物に囃子とくれば、あとは推して知るべし、色酒である。それかあらぬか、長唄の詞章から酒席で歌われるような文句を見つけるのはたやすく、また興趣深いものがある。ここに収載した詞章のすべては、からの抜粋、題下(  )は芝居の初演。

【例歌】

おとぎもみぢ早物語 おとぎもみじはやものがたり

() 団十郎▲さてこれよりもあばれ酒三味線の音色も変つてこれや〳〵〳〵油断は致さぬ〳〵 久蔵▲これや〳〵油断は致さぬ〳〵 ▲さてこれから段々酒に長じ赤い物は白い物は()次第(しだい)に問かけまする出次第に答へまする ▲こいつは面白いわえ参ろ〳〵の格だな ▲さうとも〳〵くれや〳〵 ▲白い物は ▲雪降りの幽霊 ▲赤い物は 紅屋(べにや)の看板 ▲四角な物は 衆道(しゆだう)口説(くぜつ) (こは)い物は ▲強い物は 皆々▲強い物は〳〵〳〵〳〵 ▲三両一分 皆々▲やんやア 

▲めでたい〳〵松と竹とに鶴と亀とが舞遊ぶ、千年(ちとせ)を祝ふ土器(かはらけ)に、(つち)盲目(めくら)の我等迄、道狭から四つ門、千秋満(ぜい)万々万、早物語と語つて候、さてこれから御前(ごぜん)ゐようか戻らうか生姜(しやうが)酒にしようか玉子酒にしようかいや〳〵拍子にかゝつて我が住む里へ帰らうよ

──長唄、明和六年九月、中村座初演

 

『新編江戸長唄集』(『日本歌謡集成』巻九所)

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吾妻八景 あずまはつけい 

()にゆたかなる日の本の橋の袂の初がすみ、江戸紫のあけぼの染や、水上(みなかみ)白き雪の富士、雲の袖なる花のなみ、眼元美し御所桜、御殿山なす一むれの、香りに酔し園の蝶、花のかざしを垣間(かひま)見た、(あを)()の小舟うたふ小唄の声高輪に遥かあなたの(ほととぎす)、初音かけたか羽衣の、松は天女の戯れを、三保にたとへて駿河の名ある台のよせいの弥や高く、見おろす岸の筏もり、日を背負ふたる阿弥陀笠、法のかたへの宮戸川、流れわたりにいろ〳〵の、花の錦の浅草や、み寺を外に浮れ男は、いつちへそれし矢大臣、紋日にあたる辻占の松葉かんざし二筋の道のいしぶみ露ふみわけて、

 ふくむ矢立の隅田川、眼につく秋の七草に拍子かよはす紙砧、しのぶ文字摺みたるゝ雁の玉ずさに、便り聞かん封しめをきりの渡しに棹さす船も、いつ越ゑたやら衣紋坂、見世すがゝきに引き寄せられて、つひ居続けの朝の雪、つもり〳〵て情けの深み、恋の関所も忍ぶが岡の蓮によれる糸竹の調べかなしき浮島の潟なすもとにこもりせば、楽の音共に東叡よりも風がならする花もみぢ、手に手あはせてきせんのちかひ、弁財天の御かげもろ、池のほとりの尊くもめぐりてや見ん、八つの名どころ、

──長唄、江戸中期作、『近世日本世相史』

 

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勧進帳 長唄三味線

秋色種(あきいろくさ)より虫の合方

風流船揃

都風流 *之弥会

 

長歌物 ながうたもの

 上方で行われた合の手入りの長い詞をもつ歌曲を指す。ただし、単に〈長歌〉と称することも少なくないが、呼称上の混乱を招く恐れがある。というのも、江戸邦楽の中心的存在である〈長唄〉との混同から区別するため、上方でのものを便宜的に〈長歌物〉といい慣わす習慣があるからである。 

【例歌】

 小笹 おざさ           生田検校詞

 〽しなへやしなへ、小笹も風に、そなた忍べば人がしる、あゝ余所には咎もないものを見しよりもあこがるゝ、及ばぬ恋にいとゞ思ひはいや増して、「こぼる涙の(あけ)(くれ)に、乾く間もなき〳〵わが袂、「文玉づさの数をつくせど、つれなき君に見せたきものは、風に靡けるしほ屋の煙、をぎ萩すゝきまだもござるよ、えいおみなへし、引くに靡かぬ草木もないに、見せたや庭の柳の糸の柳のいとの、えい風に靡くをの、かなはぬ浮世雲にかけはし、及ばぬ恋に思ひみだれて、えい何をしよぞの、とかく浮世はきまゝがよいぞの、勿論さうなそりやさうさ。

──地歌(長歌)『松の葉』(元禄十六年)

 [メモ] 靡くものの〈物寄せの唄〉で、女の恋心を歌っている。

 さよの中山長歌 さよのなかやまながうた 

我等が以前若い時、さよの中山通るとて、孕みし女臈に行逢うて、一夜なびけと手を引けば、一夜靡くはやすけれど、我等も二世で夫持ちて、からかほがほのにくしみに、刀試しに仕り、刀の刃から子が生れ、そこへ和尚様立寄りて、さよの清水でとり上げて、衣の裾へかいくるみ、門前人に預け置く、門前人のやさしきは、あそこや爰のもらひ乳で、十三迄も育て置き、明くる十四の春の比、生れぬ前の父ぢややら、枕神にもお立ちある、親の敵が取りたくば、京で一番とぎや様、一年とぎして二年目に、どこのいづくの人ぢややら、刀とげとてもて御座る、刃はよいが中欠けた、何をためして中かけた、皆も御存じ御座らうが、我等が以前若い折、さよの中山通るとて、孕みし女臈に行逢うて、一夜なびけと手を取れば、一夜なびくは易けれど我も二世に夫持ちで、からかほがほのにくしみに、刀試しに仕り、そのとき刀の中欠けた、といで下されとぎや様、といでおましよは安けれど、五月三日に出来ましよか、五月三日によも出来じ、三十日(サジフニチ)過ぎて取り御ざれ、三十日過ぎて取りに来て、我等が以前()た事を耳に能々聞付けて、親の敵とある程に、三寸やるまいのがすまい、思ふ存分(ぞんぶ)に敵とり、親の()墓へ参りては、香をもりては花を立て、是で浮みやれ親様よいよゑい。

──義太夫節、『小夜中山』(文化九年)

[メモ] ややもすると饒舌で説明過剰、つまり上方特有のねっとり絡みつくような詞で、江戸者にとってはこんな表現は苦手であったろう。

 東海道五十三次うち 日坂・小夜中山 歌川広重画

 

春雨 はるさめ

〈春の雨〉とも。名だたる江戸端唄の曲名で、替歌やくずしなど派生唄が多い。

元唄は春雨に事寄せて、廓の女が自身を鶯に、惚れた男を梅にたとえて、夫婦となる夢をさらりとうたいあげている。

 【例歌】

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            柴田花守詞

春雨に しつぽり濡るる鶯の 羽風に匂う梅が香や 花に戯れしおらしや 小鳥でさえも()と筋に (ねぐら)定むる木は一つ (わたし)や鶯主は梅 やがて 見儘(みまま)気儘(きまま)になるならば サア (おう)宿(しゆく)(ばい)ぢやないかいな サアサ 何でもよいわいな。

──二上り端唄、幕末作、『端唄大全』

 

半太夫節 はんだゆうぶし 

〈江戸節〉とも。江戸浄瑠璃の一派で、元禄から安永頃までは盛んであったが、河東節が現れるに及んで取って代わられ衰微した。

【例歌】

 うつぼ舟 うつぼぶね

 (あした)の嵐夕べの雨、松帆の裏のうつぼ舟、身を憂き物と思ひ絶え、命もがなと、慕ふ誠も大ぬさの、かず〳〵よゝの偽りに、習へる人の心にも、つい慣れなじむ手枕(たまくら)に、ちゞの社の木綿(ゆふ)(だすき)、かけて(もつ)れしさゝめにも、どうで女房に持ちやさんすまい、わしは勤めの儘ならぬ、宵々ごとの乱れ髪、そら恐ろしや気にそまぬ、殿に添寝の枕には、鐘も厭はじ鳥も鳴け、嬉し東雲(しののめ)朝酒に、憂きを忘れるゝその風情(ふぜい)(こは)い夢みる心なり、かうした辛い月日にも、指折り〳〵つゝかた様に、逢ふが嬉しゆてうか〳〵と、どうした事の縁ぢややら、忘るゝ暇はないわいな、深き情の床の海、波は越すとも末の松、変らぬ色を頼むによ、君と結びし下紐を、一人は解かじ玉の緒の、絶ゆる歎きはありとても、思ひ沈める有様に、二人の袖やしぼるらん。

 ──半太夫節、江戸初期作、『若みどり』

[メモ] ここでいう「うつぼ舟」とは、乗り手が誰も居らず波間を漂う舟を指す。

 

一節切節 ひとよぎりぶし

「一節切」は和楽器の尺八をさす。したがって〈一節切節〉とは、尺八吹奏を演奏するための邦楽分類呼称。一節切節は文禄から宝永にかけて流行、ときには三味線とも合奏した。今ではこの名を聞くことがほとんどない。

【例歌】

一よぎり ひとよぎり

〽吉野の山を雪かと見れば、雪ではあらで、これの花の吹雪よの、これの 

〽なれ〳〵茄子(なすび)背戸(せど)やの茄子、ならねば嫁の、これの嫁の名の立つに、これの。

君があそばす尺八を、其の名は誰かつけつらん、一節切と恨めしや、千代万代のよをこめて、心のたけはかはるなよ、ふし〴〵なれば、名の立つに〳〵。 

──流行節、江戸初期流行、『小歌総まくり』

 

琵琶語り びわがたり

 琵琶法師らによる琵琶演奏での語り物を指す。琵琶楽は琵琶伴奏をともなう長編の語り物歌曲、ということになる。

 現代、琵琶語りは『平家物語』を材とする「平家」と並んで薩摩琵琶法師による「盲僧琵琶」が中心になる。他に「近代琵琶」を継承した演奏活動も見られるが、古典琵琶楽とともに衰退の道は避けられない。

 平曲からは〈薩摩琵琶〉〈筑前琵琶〉などの流派が分れ成っている。

 職人尽歌合(七十一番職人歌合)琵琶法師

 石童丸(薩摩琵琶)      平 豊彦演

 〽石童は泣く泣く山を降つゝ母に告げんと来

  て見れば哀なる哉母君は石童丸を待兼て麓

 の野辺に枯れ残る草葉の露と消え給ふ嗚呼

 父上に生き別れ又母上に死別れ天にも地に

 も便なく外に便は姉一人逢て此由語らんと

 帰りて見れば姉も又此世を捨て影もなく。

──写声機平円盤「美音の栞」(第二七〇三号) 

白虎隊(筑前琵琶)    髙島屋君団子演

時維(ときこ)れ慶応戊辰の秋、八月二十三日の暁や、

 明けて惜しき戸の口に、()せ着く甲斐も汀

 漕ぐ、敵の兵船湖を渡りて跡し白浪と、は

 や分け登る笹山路、雲か霞か将た山か眼に

 も余れる大軍を、(むか)へ伐たんと少年の、人

 数も僅か三十七、忠義の二字に身を固め、

 危急の難に気を励み、(めい)を鴻毛の軽きに置

 き、節を九鼎重きに比べ、忠勇武烈の武者

 振は、人の花てふ稚児桜、此一段ぞ名にし

 おふ、群羊をかる白虎隊、暫し奮戦防ぎし

 も、衆寡敵せず蟷螂の、斧の(たとへ)に琴ならず、

 無残や遂に…

──写声機平円盤「美音の栞」(第四七六三四)

 

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びかむ「敦盛 ~平家物語より~」

 

豊後節 ぶんごぶし

〈宮古路節〉〈国太夫節〉とも。世話物を主とした浄瑠璃の一派。

宮古路国太夫が創設し江戸で全盛期を迎えたが、軽薄隠微にすぎ心中事件を続発させたとして元文四年に奉行所の命令で禁止された。そのあと常磐津節・清元節・富本節などが覇を競う展開となる。 

例歌は最も有名な小品として知られる。

 【例歌】

 五千石取ろか ごせんごくとろか      三浦肥後詞

〽君と寝ようか五千石取ろか、何の五千石君と寝る。

──本調子端歌、宝暦頃流行『はやり唄変遷史』

[メモ] 作詞者と伝えられているのは五千石取りの元旗本とのこと。しかし幕政下ではかなり思い切った物言いの詞で、御家取り潰しにつながりかねない。

 

道行 みちゆき

〈道行〉は、相愛の男女などが旅をして目的地に着くまでの道程をいくつもの修辞を駆使しながらつづる、華麗な七五調詞章をいう。 

道行は、古くは記紀歌謡などにも見られるように、文学を柱にしている。これが中世、舞楽や能狂言あるいは民俗芸能まで広い分野に根を下ろした。

江戸時代、近松門左衛門が世話浄瑠璃で道行を開拓すると、その旅情を誘う独特の詞章が人々を魅了した。たとえば『曽根崎心中』を皮切りに、男女の駆落ちから心中までの過程が道行で語られるようになり、哀婉切々たる詞が、あたかも道行きの代名詞であるかのような強烈な印象を与えている。

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 人形浄瑠璃曽根崎心中での道行 

 【例歌】

 貴船〔歌舞伎「貴船道行」〕 きふね

小谷立静詞

蜘蛛の()に、荒れたる駒は繋ぐも、二道(ふたみち)かくるその人を、いかで頼まん仇し野の、仇し好みの儘にはならぬ、月日程経て昔のわけを、思ふも濡るゝ我が袖の、港に耐えぬ仇波の、夜々(よるよる)ごとに立ち立ちでゝ、振りさけ見れば大原や、御室(おむろ)に近き小塩山(をしほやま)(ただす)の森の木の間分け、通ひ車の黄昏(たそがれ)見れば、車の〳〵黄昏見れば、包む(つら)さの袂に余る、わけを友禅(ゆうぜん)左の(かひな)、股にすけさま命と彫りし、その睦言もいつしかに、変る淵瀬と歎いた、海女(あま)の捨舟われ一人、こがれ〳〵て行く水の、影さへ清き加茂川や「やつれ果てたよ我が顔かたち、かくは見捨ててそよしなやな、三尺袖も年が寄りなば、何振らうぞしやうがいな「振れや振れ〳〵古妻いとし、我れ古妻はあとに御菩薩(みぞろ)が池波に、ひよ〳〵〳〵と、なくは(ひよどり)、小池に住むは鴛鴦(おしどり)「浜千鳥が、ちりゝんな〳〵、ちりゝや〳〵りゝとして、さてまたゑりくりゑんじよの、岩間岩間を伝ふ、足や千鳥足、西は田の(あぜ)あぶない〳〵〳〵、あぶのてならぬえ、細道畦道を、くゞりくゞつて、松の風に颯々(さつさつ)と、(みなぎ)り落つる鞍馬川「恋の淵瀬と身は辿(たど)れども、なほも思ひは丑の時、つき出す鐘ともろともに、貴船の社に着き給ふ。(地歌、本調子長唄)

──三下り・二上り端唄、『琴線和歌の糸』(寛延四年)

時雨の松  しぐれのまつ       さんし詞

暮れてゆく、あやめも分かぬ五月(さつき)(やみ)、今宵一夜(いちや)千年(ちとせ)とも、本の夫婦と思ひ川、渡りかねたる川竹の、身は儘ならぬ身なれども、死ぬる覚悟で遠近(をちこち)の、道の案内(あない)は知らねども、あと見返らぬ死出の旅、果てし長町裏伝ひ、心細道ゆく野辺に、月も見えねば恋の闇、互に手に手を取り交はし、歩み習はぬ二人が所体(しよてい)(とり)(なり)どけ泣く〳〵も、つひ(かか)へ帯引き締めて、水も洩らさぬ鴛鴦(をしどり)の、(つが)ひ離れぬ憂き思ひ、あれ〳〵向ふに今宮の、広田の森と眺めやる、身にしみ〴〵と小夜嵐、浮名所と名も高く、世字も歌ひし藻塩草、女の袖の縫紋も、もとゝいふ字を三文字(みつもんじ)(やつ)れ姿のほら〳〵と、男も同じ振袖の、年も相生(あひおひ)鶴と亀、松竹縫ひの上着の模様、契りは千年(ちとせ)百年(ももとせ)に、変り果てたる身の上と、互に寄り添ひ抱き付き、人の見ぬ間の私語(ささめごと)、涙のあやや五月雨(さみだれ)に、袖打ち(おほ)ひ「急ぎ行く、心も足も飛田の墓、(ひと)(ふた)村打ち過ぎて、此方(こなた)を見れば大江の岸、岸の姫松幾代かも、忍び逢うたる恋草の、結ぶ(えにし)勝間(こつま)の里、早や思はずも天下茶屋、東雲(しののめ)近くなる鐘は、げに住吉や浅沢(あさざは)の、(たつと)き寺と聞くからに、浅沢ならぬ親々の深き恵も水の泡、死んだらさぞや悲しかろ、許してたべと口説き泣く、(かはず)の声も哀れ添ふ、思ひは尽きぬ(くや)(ごと)、空に横雲、空に横雲ほの〴〵と、見交はせば、顔は涙に目も腫れて、飽かぬこの世の別れ鳥、声せい〳〵と聞こえけり、最早この世の見納めに、成らうも知れぬ憂き命、仇な契りと(ゆふ)(からす)、かはい〳〵と告げてゆく、安立(あんりふ)(まち)をぶら〳〵と、身の憂き事の数々が、積もり積もりて大和橋、渡る川瀬は(みつ)瀬川(せがわ)、夢か(うつつ)で北野橋、この世あの世の堺町、夜はしら〴〵とぞ開けにけり。

──本調子端歌、『新大成糸のしらべ』(享和元年)

[メモ] 心中行の亀松・おもと(ともに十九歳)は明和二年五月、住吉辺で見咎められ未遂におおせた。

 

宮薗節 みやぞのぶし 

〈薗八節〉とも。浄瑠璃の一派で、享保末年に都小路薗八が興し二世薗八が大成させた。

特徴としては道行物が中心で嫋々としたクドキが強調され、宮薗節ならではの風情を演出している。

 現在でも流派の演奏が有志の人たちによって温存されている。

 タテ浄瑠璃:宮薗千碌 芸能花伝舎HP

【例歌】

芥川 あくたがわ             平呉詞

はでにたゝず、里に名のたつあくた川、つみもむくひもきさんじな許由のもちし楽しみを、やかましがつてすてられし、それは瓢たんこれはしやうたん、ぶらり〳〵とぼうはなにチョイトかけたるもつかうの、ゑいか〳〵と口ぐせに、あいもおさへもひとりして、きげん上戸のべら〳〵と、のめや歌へや一寸先は闇の夜、あぶないがてんじやあぶない〳〵ギヨツプひよろり〳〵〳〵ひよヒヨロ〳〵〳〵ヒヨツヒヨひよろりと千鳥あし、目もとちら〳〵ちり〳〵〳〵やちり〳〵ちり〳〵アノオトハイノ塵もつもれば山川へ。

──宮節、江戸中期流行、『宮薗新曲集』

[メモ] 大蔵流・和泉流狂言に「芥川」があり、当作品は詞の表現から見て浄瑠璃というより狂言色が濃い。  

いかのぼり           薗好詞

 花ににくき、風にうかれてうはの空 アノ雁がねをそのまゝに、えにしをのべの結びぶみ、いくつつないで一筋のいとしまばゆの袖扇、持そへる手を持そへられて、見ぬふりで見る顔とかほ、のぼりさんすやらのぼすやらカヘル〳〵フンドンドン のぼりつめたらつとめの意気で、ひかさぬわしがいかのぼり。

──薗八節、江戸中期成、『宮薗新曲集』

[メモ] 遊女が馴染み客への募る思いを、いかのぼり() になぞらえて唄っている。

 

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歌の中山

宮薗節/夕霧

 

めりやす 

〈女里家寿〉とも当てる。暗影・天明頃に頂点にあった歌舞伎音楽の一つで、長唄とは別に、三下りの比較的短い曲をさす。

「江戸っ子の邦楽」とも異称されているように、洒落た四畳半趣味の音曲が粋人らに好まれてきた。この道では藤田楓江・鳥羽屋三右衛門・荻江露友らが達人であった。

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 【例歌】

両国隅田川名所づくし りようごくすみだがわめいしよづくし 

〽さても。駿河の名所を言はば「三国。一の。富士の峰「和歌に(つら)ねし雲の上「大宮人も「知るぞかし「いづれ名所は様々にあるが中にも(あづま)の遊び「三国一の。散茶舟「流るゝ水は。隅田川「打ち出で見れば。待乳山向に。三囲(みめぐり)(しら)(ひげ)は。寿命めでたき「御社(みやしろ)や「それにも。同じ三保の明神。羽衣の松「武蔵に久しき多田の薬師は「(みや)()の松。「駿河に安倍川武蔵に。深川「清見が関。霞が関は江戸見坂。所変れば川の名も。変る川々。面白や「御裳(みも)(すそ)川や。千本の松「かたそぎの宮川や「(ながれ)も清き。八十(やそ)瀬川「峰の雪解(ゆきげ)の富士川や。水(せき)()めよ。掬取ろもの桜川心の塵の。芥川恋の重荷の。浮名立つ「それも色なら。まゝのかは。吉野は。花を流すらん。今宵立つなら。飛鳥(あすか)川に(めぐ)れや廻れ。水(ぐるま)。淀の。川瀬の水澄みて。底にも見ゆる。石川や浜の真砂は。尽くるとも。尽きせぬ和歌の。道広し「言うた〳〵よう言うた。そんれもさうぢやかえ。拍子にかゝつて。参ろの。鳥は「孔雀。鳳凰。鷹。小鷹「君と。我とは。(たがひ)。ちん〳〵。(ちがひ)の。比翼。鴛鴦(をしどり)。思ふが仲に。小(がら)(がら)。呼子鳥。空に一声姿隠して。時鳥(ほととぎす)。あちり。こちり。すじり。もじりて。ちら。〳〵。柳に(つばくろ)の風「風吹かば如何(いか)にせん。花に宿る鶯「行暮れて。花を今宵の。(あるじ)とは。いとし桜の。花の(もと)花鳥風月は。よい仲同志。それえ〳〵。それ何故(なぜ)に花の梢に。夜々(よるよる)宿る。塒嬉しき。花の色「愛し桜の。花の(もと)。花鳥風月は。よい仲同志。それえ〳〵。それ何故に花の梢に夜夜宿る。塒嬉しき。花の色(かおり)(ゆか)しき。花の宴恋は曲者(まよひ)の。淵よ。とんとはまらば。「楊貴妃桜悋気。しや「滝桜。緋桜「浅黄桜濃いは(いや)よ。濃くも墨染。あだな草。ほんにえ「迷の淵よ。とんと。はまらば千本(ちもと)の桜。悋気。しや。手毬塩釜「薄い桜濃いは嫌よ八重九重ぞ。吉野草ほんにえ。しをらしや。「歌いうつ。舞うつ君が代を。仰ぐもおろか。颯々(さつさつ)の。五日(ごじつ)一度(ひとたび)風吹きて「雨は十日(じてじつ)。民豊か〳〵治る御代の。鎌倉山万歳楽とぞ奏でける。

──めりやす、『女里弥寿豊年蔵』(明和七年)

[メモ] 内容は尽くし物の寄せ集め、といったところ。

身は一つ みはひとつ        大田蜀山人詞

〽身は一つ 思ひは二つ みつまたの ながれによどむうたかたの とけて結んでむすんでとけて 寝るもあだなるかりまくら 上着を脱いで下締の あかつき頃の雲の帯 なくかなかずのほととぎす。 

──江戸小唄、天明七年作、『俗耳鼓吹』

思ふこと おもうこと

思ふことかなはねばこそ浮世とは、よくあきらめた無理なこと、神や仏が嘘つくならば、惚れた証拠をどう書こかいな、無理な言い訳けする墨の、馬鹿らしい程いとしうてならぬ。

──江戸小唄、江戸中期作、船頭新語

 

謡曲の重ネ ようきょくのかさね 

謡曲の詞章の表現方法に〈重ネ〉という〈畳句〉の典型がある。〈掛詞〉を連綿と続けたうえ洗練された韻律の、つづれ折のような文体をなす言語操作である。たとえば世阿弥元清作『養老』では、「君は舟、臣は水。」で始まる地謡(じうたい)の詞を受けて、「…返す返すも、よき御代なれや、よき御代なれや。」と、重ネ重ネで謡い継ぐ。この重ネは畳句の態をとり、詞自体の強調という目的とあわせ、流麗ときには夢幻の情景を詞章により演出するのである。

ともあれ謡曲詞をじっくり読むと、到るところ、修辞を駆使した美文になっていることに気づく。そのはず、後世の浄瑠璃や歌舞伎の台本は、この謡曲詞を手本とするところ大であったのだから。

【例歌】

謎の翁ども             (はたの)(うじ)(やす)作(観世)

「およそせんねんの鶴は、万歳(まんざい)(らく)と謡ふたり。また万代(ばんだい)の池の亀は、甲に三極を備へたり。(なぎさ)(いさご)、さくさくとして(あした)の日の色を朗じ、滝の水、れいれいとして夜の月あざやかに浮かんだり。天下泰平国土安穏(あんのん)。今日の御祈祷なり。ありはらや、なぞの、翁ども。「あれはなぞの翁ども。そやいづくの翁とうとう。脇能物『翁』より

()(ふで)の名こそ(たえ)なれや           世阿弥元清作(宝生)

地「名をとめし(あるじ)は花の(かげ)(すゑ)の、主は花の景季の、末の世かけて生田川(いくたがわ)の、身を捨ててこそ名は久しけれ武士(もののふ)の、やたけ心の花にひく、()(ふで)の名こそ妙なれや弓筆の名こそ妙なれ 

修羅物『(えびら)』より 

よも尽きじ、万代までの       作者未詳(金春)

   名ノリ笛

ワキ「これは唐土(もろこし)金山(きんざん)(ふもと)楊子(やうず)の里に、高風(かうふう)と申す民にて候。われ親に孝あるしるしにや、ある夜不思議の夢を見る、楊子の市に出でて酒を作りて売るならば、富貴(ふツき)の家となるべしと、教への告になす(わざ)の、「時去り来りけるにや、次第次第に富貴の身とまかりなりて候 「またここに不思議なる事の候。童子のごとくなる者一人(いちにん)来り、それがしが酒を買ひ取り飲み候ふが、(さかづき)(めぐ)れども(めん)(しよく)変る事もなし、あまりに不審に思ひ名を尋ねて候へば、海中に住む猩々と名のり、壺を抱き海中に入りて候ふほどに、(しん)(やう)の江に立ち出で、酒を(たた)へ、かの猩々を相待たばやと存じ候 ワキ上歌「潯陽の江のほとりにて、潯陽の江のほとりにて、菊を湛へて夜もすがら、月の前にも友待つや、またかたむくる盃の、影を湛へて待ちゐたり、影を湛へて待ちゐたり。

   下り端

地謡「老いせぬや、老いせぬや、薬の名をも菊の水、盃も浮かミ出でて、友にあふぞうれしき また友に逢ふぞうれしき シテ三寸(みき)と聞く 地謡「三寸と聞く、名も(ことわり)や秋風の シテ「吹けども吹けども 地謡「さらに身には寒からじ シテ「理や白菊の 地謡「理や白菊(しらぎく)の、着せ綿を暖めて、酒をいざや酌まうよ シテ稀人(まれびと)も御覧ずらん 地謡「月星は(くま)もなし シテ「所は潯陽の 地謡(ゑひ)の内の酒盛 シテ「猩々舞を舞はうよ 地謡(あし)の葉の笛を吹き、波の鼓どうど打ち シテ「声澄みわたる浦風の 地謡「秋の調(しらメ)や残るらん。

   中ノ舞 

シテ「ありがたや御身(おんみ)心すなほなるにより、この壺に泉を湛へ 地謡「ただいま返し、授くるなり シテ「よも尽きじ 地謡「よも尽きじ、万代(よろづよ)までの、竹の葉の酒、汲めども尽きず、飲めども変らぬ、秋の世の盃、影もかたムく、入江に枯れ立つ、足もとはよろよろと、弱り臥したる、枕の夢の、覚むると思へば、泉はそのまま、尽きせぬ宿こそ、めでたけれ。&切能 『猩々(しやうじやう)』より

*寛正七年二月演能と「飯尾御成記」に。有名作なので全詞を紹介。ワキ=高風、シテ=猩々。

《参考》

小野小町                    藤原清輔

  秋風の打ふくごとにあなめ〳〵をのとはいはじ(すすき)生ひけり

人夢ニ野途に目より薄生ひたる人有。小野小町ト称ス。此詠歌。夢覚て尋見、髑髏(どくろ)一つ有。目より薄出たり。其髑髏取閑所ヘ置、云々。小野(しかばね)ト知、云々。『袋草紙』上巻

 年老いた小野小町「卒塔婆の月」〔月岡芳年『月百姿』〕

 [メモ]小野小町(生没年未詳)、平安前期の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人で、恋歌に傑出。原文の一部は漢文、読み下しに改変●有名な謡曲「通小町(かよいこまち)」は、清輔のこの小町伝説をもとに観阿弥が改作したものである。深草の四位少将の霊が小町の死後も彼女の成仏を邪魔する物語●市原野の薄原から小町作の掲出歌が怨めしげに聞こえ、彼女の菩提(ぼだい)(とむら)うため某僧が訪ねる。そこで野ざらしの小町の髑髏の目穴から薄が生え出ているのを見てとる。いわば亡霊怪談だ。●平安末期の歌人清輔が著した『袋草紙』は、奥の深い歌学書として定評がある。ことに上巻は、歌会の次第、和歌の故実・書誌、希代和歌などの構成。希代和歌には神仏や亡霊に関する珍しい歌が何首も集められ、掲出もその一首である。●巷説の伝でゆくと、小町はよくよく穴に縁の深い(ひと)だ。いや話は逆で、『袋草紙』の髑髏の目穴が後世の「穴無し小町」という尾ひれを付けさせたのかもしれない。●江戸の古川柳集『柳多留』にも、

  百夜目は何をかくさう穴がなし

  野晒しで見れば小町も穴だらけ

 

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厳島神社御神能「敦盛」

 曲 隅田川

 

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