日本の歌謡唱歌のいしずえである古代・中世の唄遺産を集成して紹介

 

Ch.1  古歌謡

 

 

Ch.1  古歌謡 目録(五十音順)

 

東遊歌  あな面白   編笠節  伊勢音頭 今様うた 宴曲 小倉踊り唄 オモロ 神楽歌     

記紀歌謡  琴歌譜 曲舞  幸若舞曲 古戦場の唄 古里謡 催馬楽 猿楽      山家鳥虫歌 白拍子 宗安小歌 草歌 田楽歌謡  風俗歌  平安女の恨み節 

平曲 大和節 ──古歌謡〔落穂ひろい〕

 

 

東遊歌 あずまあそびうた

 

〈東遊歌〉は本来和歌の分野での区分けであるが、ここでは「大和舞」に対応する東国の古歌謡の区分でとらえておく。

奈良時代、都から見て東国の風俗歌(ふぞくうた)(うたい物)を「東歌」といった。うち『万葉集』や『古今集』などの収載歌の一部が、平安時代には求子歌(もとめごのこうた)等の形式に育ち歌謡化された。

集成本の形になったのは江戸時代に入ってからのこと。詞の中にはおりふし東国訛りが挿入され、それとわからせる工夫がなされている。

現代では、宮中で和琴等の楽器を用い春秋の皇霊祭に奏したり、下っては埼玉県の氷川神社例祭などで迎神曲として演奏されたりする例もある。


 紙本墨書東遊歌神楽歌 一巻 佐賀市・鍋島報效会蔵

 【例歌】

 片降 かたおろし 

(おほ)ひれや ()ひれの山は や ()りてこそ 山は()らなれや 遠目(とほめ)はあれど(真名(まな)表記)

──古歌謡、成立年代未詳、日本古典文学大系

[メモ] 「片降」とは調子の上げ下げに関する上代歌謡の技法。「良ら」は東国方言「よろしい」の意味である。

 天岩戸神社が鎮座する宮崎県日向天安河Gigazineサイトより〕 

 

 

編笠節 あみがさぶし

天正から慶長にかけはやった小唄の曲節の一つ。文字どおり、編み笠を冠っての歌舞からついた名である。

ほとんどが短い詞から成り、一節切(ひとよぎり)(尺八の吹奏)に合わせてうたったとの説が有力である。また〈隆達節〉との重複唄も少なくないことから、それの別称であるとの説もある。

 越中五箇山「風の盆踊り」に見る装束。編み笠で顔を隠し踊るのが古風であることの特徴 

【例歌】

編笠節〔雑載〕 あみがさぶし/ざつさい

 〽初夜かと思うた あはや別れの 六つぢやもの。

 〽寝ても覚めても 忘れぬ君を こがれ死なぬは 異なものぢや。

 〽濡れてこそ 帰らう君は 朝露に 我が袂も かわかぬものを。

 〽鳥と鐘とは 思ひのたねよ とは思へども人によりかしこ。

〽見めがよければ 心もふかし 花ににほひの あるもことわり。

 〽君もみるやと 眺むれば うはの空なる 月もなつかし。

 〽ひとりもねけるもの ねられけるもの ならはしよの 身はならはしのものかの。

 〽あすをも知らぬ 露の身を せめて言葉の うらやかに。

──小唄、慶長頃成、『編笠節唱歌』(高野辰之再編)

 

 

伊勢音頭 いせおんど

享保頃から広まりを見せ、発祥地が河崎であるため〈河崎音頭〉ともいう。

 〈伊勢音頭〉はわが国で名だたる古謡であり、関連する文献の数はきわめて多彩である。ちなみに幕末の百科事典『守貞謾稿』巻二十三の説明を要約してみよう。

伊勢音頭は古市の娼妓らが客を接待するのに三味線に合わせた踊唄から生じた。『伊勢参宮名所図会』にも、はじめ間の山伏として唄われたが、哀調が敬遠され川崎音頭へと移り流行した。さらに「いせ音頭」の名に変わって、花街の歌い物になったのである。『紫一本』によると江戸に移入したのは延宝五年頃のこと。深川や須崎辺の遊女中心にはやった。文句の内容や長短もさまざまである。

ざっとこんな内容だが、伊勢音頭は参宮を背景に、明治・大正・昭和にいたっても全国的な俗謡として命脈を保ち続けていることは、いうまでもない。この歌謡そのものも類歌や替歌・くずしなどを含めると相当な分量になる。承前の『守貞謾稿』はさらに、「伊勢音頭の題を載せたる書(*伊勢音頭 二見真砂をさす)に八十七章あり、そのうち、花八島、座敷涼など云ふ物は、一行二十字にて二十五、六行あり」と述べているが、下記の例歌はその『二見真砂』からの引きである。

正調歌詞の特徴を一点だけ挙げるなら、末尾が「え」で終わる詞の多いことである。

 三代豊国画「伊勢音頭恋寝刃」 三重大学浮世絵コレクションより 

【例歌】

桜襖 さくらぶすま

桜花(さくらばな)、誰が()くにも盛りとは、言ひ会はさねど人心(ひとごころ)、移り易さよ世の中の、恋は(つぼみ)の開くまで、ぱつと浮名を流しては、曲水結ぶ谷かげに、散りも初めぬ一木(ひとぎ)には、誰の目をやる幕の内、調子の高い三味線に、座頭は散るを待ち顔に、鶯鳴けばほほゑみて、振袖口にあでやかな、かざり車や御所車(ごしよぐるま)御室(おむろ)あたりの夕暮に、花の顔見る楽みも、かつぎひとへを関の戸に、人目無ければ一枝は、()おる心をいだかれて、縁を結びの短冊に、風一吹きの散り際を、どよむを山の笑ひとも、げにや名にあふ嵐山(あらしやま)、あからめなせそ朝ぼらけ、開け放したるつぎの間は、嵯峨野(さがの)を通ふ人が住む、梢にかかる一条(ひとすぢ)の、霞に筆をかすらせて、空いろうつる大井川、青きは清き水の色、白きは滝の清水(きよみず)や、北野詣(きたのもうで)(くつ)の音、太刀持つ稚児の戯れに、鞍馬の山のふごおろし、遥かこちらに紫の、幕うちはへて(がく)の音、花も聞き入る風情して、一日笠の守をして、ひとり静かに寺の縁、へりとりかりて後手(うしろで)に、つくづく思ひめぐらせば、絵そらごとにも花咲いて、実もある御代のえ。

 ──里謡、江戸中期に発祥、『伊勢音頭 二見真砂』桜

伊勢の陽田 いせのようだ

〽伊勢のよう田の一おどり。二身が浦に住みながら。サヽ。よい〳〵〳〵よいやサ。なぜにそなたは塩釜の。しほがなくともしたゝるい。よい〳〵〳〵〳〵よいやサ。眼元にしられ恋わたる。はしは名どころ。岡崎女郎衆と。もつれ寝よやれ。富士川の。それゑだ川つゝぢ。あすの夜明のきぬ〴〵に。げにおさらばへ。鳥はときしらず。鶏はにくいよ。にくやうたりよか。なんでもいとしうてならぬヱと。いふては背なをひとつうち。いたこ出じまはさていろどころ。御客は立派で気はさつぱ。腰ざしもんばになかよしの。しやれたかほしてよしなされ。(ゆふべ)もこよとてたまはたの。今宵(こよひ)もこよとてたまはたの。おりおりしがない御無心に。さつぱりこまり入やした。塵とり手桶に小べんたご。

 ──三下り流行唄、江戸後期成、『伊勢音頭 二見真砂』伊勢の陽田

[メモ] 「よう田」は伊勢陽田。出典は伊勢音頭系統歌の雑載集である。

 二上り伊勢音頭 にあがりいせおんど

〽アーヨーイトナー、ここは月本(つきもと)(むかふ)(くも)()、アラ六軒茶屋の女中達が、今日はけつこなお天気さん、ごきげんよろしくお静かに、一日二日と日をくつて、あなたのおいでをソーリヤまちかねる。ヤートコセー、ヨーイヤナー、アラリヤ、コレワイセイ、ソリヤー、ヨーイトセー

 〽アーヨーイトナー、此処は松坂、向は追手(おひで)三橋(みはし)の橋とはこれかいな、これはさんけうの橋であるわいな、そのまた橋本、私の手まへでござんする、奥から口まで畳や障子もはりかへて、あなたのおいでをソーリヤーまちかねた、ヤートコセー、ヨーイヤナー、アラリヤ、コレワイセイ、ソリヤー、ヨーイトセー

──二上り流行唄、江戸後期成、『日本歌謡集成』第十二巻 

伊勢音頭雑載 いせおんどざつさい

 〽大坂はなれてはや玉造り、笠をかうなら深江が名所、ヤアトコセー、ヨイヤナ、アリヤリヤ、コリヤリヤ、ソリヤナンデモセー。

 〽伊勢へ七たび熊野へ三度、愛宕(あたご)さまへは月まゐり、ヤアトコセー、云々。

 〽いせは津でもつ、津はいせでもつ、尾張名古屋は城でもつ、云々。

『守貞謾稿』巻二十三ほか

 〽伊勢の豊久野(ぜに)かけ松は、サヽヤアトコセイ、今はなあ、今はかれきでソオヽ、朽ちかゝる、サヽヤアトコセイノヨウイヤサ、ハヽバイセイコレワ

 ──『明治年間流行唄』

 伊勢音頭 いせおんど

豊年斎梅坊主連中

爰元御覧に入れまするは境住吉伊勢音頭始まり左様、

 

アコリヤ伊勢のヨイト〳〵豊入のかねかけ松はエアヨウイ〳〵 松は枯れてもヤンレ名を残すヤトコセヨウイヤナ、アリヤ〳〵コノナンコノナデモセーコリヤコリヤマダ〳〵、「ア奴さん何処へアコリヤ〳〵旦那お迎ひに、さつても揃ひました供揃ひ、雪の降夜も厭やせぬ、オヤお供は酷いな何時も奴さんは高端折りアコリヤサそれではそうかいナ、

 

此の儀お目留りますれば次なる事を御覧に入ます、

──里謡、江戸後期から数次にわたり流行、『美音の栞』(第二四四一号)

 

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正調伊勢音頭

 

 

 今様うた いまよううた

  歌謡用語。〈今様うた〉は一条天皇以降平安末期まで起こった歌謡形式の名で、「現代に即したうた」の意味をもつ。すなわち旧来歌謡にない斬新性を標榜した内容の曲詞を指す。七五調の音韻を基調とし、『梁塵秘抄』                                                  はこれの代表的な集成本である。

今様の研究目的もあって遊女(あそびめ)らを身近にはべらせたという後白河法皇の実例によるまでもなく、今様は(ひさ)ぎ女や(しら)拍子(びようし)のうたい広めに負うところが大きかった。

ここで有名古典から今様と呼べるものをいくつか抄出してみよう。

 後白河法皇像

【例歌】

いづれの仏の いずれのほとけの

〽いづれの仏の願よりも 

千手のちかひぞたのもしき

かれたる草木もたちまちに

はなさきみなるときたれば

 〽薬師の十二の誓願は 

衆病悉除ぞたのもしき 

一経其耳はさておきつ

皆令満足すぐれたり

──今様うた、『古今著聞集』巻六(建長六年)

ませのうちなる 

 〽ませのうちなるしら菊も

うつろふみるこそあはれなれ

我らがかよひてみし人も

かくしつゝこそ(かれ)にしか

──同上、巻八

春は桜の はるはさくらの

〽春は桜の流るれば、吉野川とも名付けたり。秋は紅葉(もみぢ)の流るゝなれば、(たつ)田河(たがは)とも言ひつべし。冬も末になりぬれば、法師も紅葉で流れたり。

──今様うた、『平家物語』巻一(鎌倉初期)

 仏もむかしは ほとけもむかしは

〽ほとけもむかしはぼんぷなり我等も(つい)には仏なり。

いづれも仏性(ぶつしやう)()せる身をへだつるのみこそかなしけれ。

──今様うた、『義経記』巻五(室町初期)

在りのすさみの ありのすさみの

〽在りのすさみのにくきだに在りきの(あと)は恋しきに、飽かで離れし面影を何時(いつ)の世にかは忘るべき。別れの殊に悲しきは親の別れ、子の別れ、勝れてげに悲しきは夫妻の別れなりけり。

同上、巻七

 

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今様 古歌謡 法住寺

 今様浄瑠璃・夜叉姫 *桃山晴衣

 今様、ひょっとこの歌 *平安仁(現代の作)

 越天楽今様  *小学唱歌詞

 吾主は情無や *桃山晴衣+土取利行

 そよや/いよいよ蜻蛉よ 桃山晴衣(梁塵秘抄歌)

 筑前今様 *桃山晴衣

 龍女は仏に成りにけり *桃山晴衣+土取利行

 

 

宴曲 えんきょく

 古くに〈早歌(そうが)〉のほうが通りのよい呼称はあった。

鎌倉時代から室町時代を通して、武士ときには下級貴族間でうたわれた雑謡である。七五調くずしの詞が特徴で、扇で拍子を取り、たいていが尺八の伴奏を伴う。和漢朗詠などの尾を引いてだろう、漢語調が色濃い。

【例歌】

優曇華 うどんげ

〽思へば久し君が代の。ためしに(たぐひ)は。稀に開くる優曇華の。花待ちえても百千度(ももちたび)。改まらざんなる物をな。栄えは端山(はやま)茂山(しげやま)の。茂みの緑しげきに。猶枝さしそふる杉の葉。谷深み(たくみ)に知られねば。遥けきかなや行末。この蜀江の錦と(えん)()(だん)(きん)。崑崙山の玉。娑鞨羅竜女が一顆の玉も。此の砌にや顕れん。

春野遊 はるのやゆう

上陽(しやうやう)の春の野遊(やゆふ)の曲(こう)(きん)(さら)春日(はるひ)かげ。のどけき風にや匂ふらむ。霞に漏るる花の香。花に鳴きては木伝(こづた)ふ鶯は。この誰が家の軒端にか。朱簾(しゆれん)いまだ巻かざるに。夢の枕に音信(おとづれ)で。人来(ひとく)(かく)を呼ぶとかや。台頭(たいとう)に酒有て。(ゑひ)をすゝむる砌に。爐下(ろか)(あつもの)を和するは。野沢(のざは)に求めしゑぐの若菜。折手(をりて)にたまる早蕨(さわらび)土筆(どひつ)と書ける土筆(つくつくし)。長安の(なづな)の青き色。田中の井戸にひく田なぎ。吾子女(あこめ)よいかにとめこかし。互に袖をつらねつゝ。摘み知らせばやとぞ思ふ。移ろふ(なさけ)の色しあらば。花の(もと)に帰らん事をや忘るらむ。遊糸(いうし)繚乱(れうらん)の色々。碧羅(へきら)の天になびくなり。糸を(わげ)ては打解くる。花の下紐(したひも)永日も。あかでぞ暮す山鳥の。尾上の桜咲きしより。一木が本はあやなくて。見きと語らむ都人に。いざうち群れて御芳野(みよしの)や。小泊瀬(をはつせ)志賀の山越。交野(かたの)の御野の桜狩。雉子(なく)()夕煙(ゆうけぶり)。竜田の奥の残霞。霞を分けて誰来栖(くるす)()に宿りとらん。尋ね入野のつをすみれ。摘みてやきなむ今夜(こよひ)寝て。名残の袖はしをるとも。小野の芝生の露分(つゆわけ)(ごろも)。日も夕暮のかへるさ。

──宴曲、永享八年成、『宴曲集』

 宴曲の作曲で第一人者といわれた冷泉為相

 

 

小倉踊り唄 おぐらおどりうた

京都は小倉山付近の里で発祥した踊り唱歌。かなり古い起源の唄で、〈伊勢音頭〉の根本唄とする説もある。

断片的に残る詞の内容から見て、どうやら里人がハレの日の集いで楽しんだらしい。

 小倉山の里〔saru山さんのfc2ブログより〕

【例歌】

さすやうで 

〽さすやうでさん〳〵 ささぬはしのぶ夜の つまとおたまこがれて 秋こがれつつ

──踊り唄、江戸初期流行、卜養(ぼくよう)集』

をぐらの野 おぐらのの

をぐらののへ一もとすすき いつかほに出てみたれあを おたまこがれて 秋こがれつつ

──踊り唄、江戸初期流行、『春台独語』

 

 

オモロ 

沖縄県の古歌謡で、分類上は〈神歌〉。首里王朝時代の琉球宮廷歌謡であったが、一部はしだいに庶民にも伝承され広まっている。さらにはタイやベトナムまで伝播している。

語としての「オモロ」は思い(ウムイ)から転じたもの。神への敬虔な気持ちを飾ることなく述べるのを旨としている。対語や対句を使いこなした特有の「オモロ形式」というスタイルは、琉球史研究にも欠かせない存在になっている。

【例歌】

 やちよこいよやにが節(第十一) やちよこいよやにがぶし

(おに)(きみ)南風(はゑ)

()さい(きよ)

(しな)て 鳴響(とよ)

(おそ)(きみ)南風(はゑ)

弟金(おとかね)()ころ

(のち)()かる()ころ

うちいではいやゝぬづらしが節(第十三) うちいではいややめずらしがぶし

(すへ)沖縄(ゆきなわ)

(しな)(かみ)やれば

()けて (まさ)りよわれ

(きこ)(あん)()(おそ)いや

鳴響(とよ)按司(あぢ)(おそ)いや

(しま)(おそ)いに ちよわちへ 

金福(かなふく)わ げらへて

たりよから ()けば

(きや)(うよ)りや (まさ)

──ともに南島神唄、近世まで伝承、『おもろさうし』上下(外間守善校注、岩波書店刊)

[メモ] 原本は1710年編『おもろさうし』具志川本とのこと。詞の註解等は出典を参照。

 南島神歌の数少ないうたい手古老ら〔TIDAホーム ryuQ特集ページ〕

 

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宮古島神歌古謡 *素唄

 

 

神楽歌 こかぐらうた

神を慰撫し、その降臨を請うためうたい、笑いをささげる古歌謡。宮中伝統の「御神楽」に対し、一般の神事芸能では「里神楽」が伝承されてきた。

発端は記紀歌謡で、天岩屋戸に閉じ籠った天照大神を誘い出すため、天鈿女(あめのうずめの)(みこと)が演じた破天荒な舞に象徴される。宮中での伝統神楽として時代とともに発達するいっぽう、一部は民間へ流れ込んで土俗化をたどり、各地で里神楽や神楽踊り唄へと分岐し卑俗な歌謡すら生んだ。

 成増(東京都板橋区)里神楽保存会HP

【例歌】

神楽踊り唄〔越中五ケ山〕 かぐらおどりうた 

         越中五箇山筑子唄保存会

 

〽思ひと恋と笹舟にのせりや、思ひは沈んで

恋はうく。

〽波のやしまを逃れ来て、薪樵てふ深山辺に、烏帽子狩ぎぬ脱すてて、今は越路の杣がたな。

〽むかひの山に啼く鵯の、鳴てはさがり、鳴きてはあがり、朝草刈の眼をさます。

〽向ひの山をかつごとすれば、荷繩がきれて、かづかれぬ、かづかれぬ。

〽をどりたか踊れ、泣子をおこせ、さゝらは窓のもとにある。

〽向ひの山に光るものなんじや、星や蛍かこがねのむしか、今来る嫁のたいまつならば、さしてあげて燃せやせをとこ。

──神楽踊り唄、『北国奇談巡杖記』(鳥翠台北茎、文化四年)

[メモ] 寛永十二年成『跳記』中に同様の伊勢踊り唄が見える。

神楽歌〔群馬県妙義町〕 かぐらうた

〽宮柱、ふとしくたてん君が代は、君が代はうごかぬ天のしたつ岩根に

〽敷島の大和島根をふみそめし、神代の道ぞいまもまさしき

──神楽唄近代に採録、『日本民謡大観』関東篇

 

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豊栄の舞 *猿田彦神社

 

 

記紀歌謡 ききかよう 

『古事記』ならびに『日本書紀』にはかなりの数の口承歌謡詞が収められており、なべて〈記紀歌謡〉あるいは〈上代歌謡〉(これには風土記・万葉所収歌をも含めることがある)と呼んでいる。

これらの歌詞は、天地自然の神々への祈念を中心に、恋愛・農作・酒宴などを主題に五七調の韻を踏んでいるものが多い。個人の詠のほかに集団で唱和したりする。そのため詞の用語はかなり通俗的で、いかにも遊興歌らしいアクの強さを発揮した作が目立つ。

 記紀歌謡歌碑 犬養孝揮毫、春日大社

【例歌】

神語 かむがたり

(しか)くして、()(きさき)(*須勢理毘売)大御神坏(おほみさかつき)を取り、立ち()り指し挙げて、歌ひて(いは)く、

 八千(やち)(ほこ)の 神の(みこと)や ()大国主(おほくにぬし) ()こそは ()にいませば 打ち()る 島の崎々 掻き()る 磯の崎落ちず 若草の 妻持たせらめ 我はもよ ()にしあれば 汝を()て ()は無し 汝を除て (つま)は無し (あや)(かき)の ふはやが下に (むし)(ぶすま) (にこ)やが下に (たく)(ふすま) (さや)ぐが下に (あわ)(ゆき)の 若やる胸を (たく)(づの)の 白き(ただむき) そ(ただ)き 叩き(まな)がり ()玉手(たまで) 玉手差し()き (もも)長に ()をし()せ (とよ)御酒(みき) (たてまつ)らせし

如斯(かく)歌ひて、即ちうきゆひして、うながけりて、今に至るまで(しず)まり()す。

此を神語(かむかたり)()ふ。

──上代歌謡、『古事記』上巻「大国主命」

[メモ] 二字下げ表記部分が歌詞である。

宴の歌 とよのあかりのうた

十三年の春二月の丁巳(ていし)(つきたち)にして甲子(かふし)武内宿禰(たけうちのすくね)(みことおほ)せて、太子(ひつぎのみこ)従ひて(つぬ)鹿()()(ひの)大神(おほかみ)を拝みまつらしむ。()(いう)に、太子、角鹿よりかへり至りたまふ。是の日に、皇太后(おほきさき)、太子に大殿(おほとの)(とよのあかり)したまふ。皇太后、(みさかづき)を挙げて太子に寿(さかほかひ)したまひ、因りて(みうたよみ)して(のたまは)く、

  此の御酒(みき)は 吾が御酒ならず 神酒(くし)(かみ) 常世(とこよ)(いま)す いはたたす/少御神(すくなみかみ)の (とよ)寿()き 寿き(もと)ほし (かむ)寿()き 寿き狂ほし (まつ)()し/御酒そ あさず()せ ささ 

とのたまふ。武内宿禰、太子の(みため)答歌(かへしうた)して(まをさ)く、

此の御酒を ()みけむ人は その(つづみ) 臼にたてて 歌ひつつ 醸みけめかも 此の御酒の あやに うた楽し ささ

とまをす。

──上代歌謡、『日本書紀』巻十四・雄略天皇

[メモ] 二字下げ表記部分が歌詞である。

 

 

琴歌譜 きんかふ

上代、和琴(わごん)のために作られた譜本。そのうちいくつかに口承歌がつけられ雑歌としてうたわれた。「琴歌譜」については記紀歌謡の分脈として扱うのが一般的である。

【例歌】

盞歌 うきうた

(みず)(そそ)ぐ (おみ)少女(をとめ) 秀罇(ほだり)()り 堅く執れ

 (した)(がた)く ()(がた)く執れ 秀罇執らす子

──古歌謡平安初期成琴歌譜

[メモ] 雄略天皇作と伝えられる元旦の歌。朝廷付の少女に祝酒をなみなみと盛った(たる)を持たせ、こぼさぬようにしっかり持て、と励ましている。

 

 

曲舞 くせまい

 〈舞々〉とも。また〈久世舞〉とも表記。中世芸能の一つで、小歌節の拍子取りに重きをおいた歌謡。謡曲の起源〈蘭曲〉に相当する、という説もある。

叙事的な詞章を鼓に合わせて舞い歌う。白拍子が始めた芸能で、京の祇園会で演じられ広く知られるようになった。 

 祇園会 北沢映月画

【例歌】

松浦物狂 まつらものぐるい

生国は筑紫肥前在所は松浦。わざと名字は申さぬなり。ある人の妻にて候ひしが夫は纔臣の申事により。無実の科を蒙り。都へ上り給ひしが。かつて音信聞かざれば。死生をだにもわきまへず。あまり別れの悲しさに。ある夕暮に我等ただ二人玉島や松浦の浦に立出づる。都の方へ行く舟の。便りを待つべき所に。男一人来りて。我らの舟の船頭なり御姿を。見奉るに。よのつねならぬ人なれば痛はしくおもひ申すなり。とく〳〵ふねに召さるべし。都までは送りとゞけ申さむと。懇に語れば誠ぞと心得て手を合せ礼拝す。急ぎ船に乗りうつる。其の時(すゐ)(しゆ)(かん)取ども。順風に穂を揚げて海路を走り行く程に。ほどなく津の国須磨のうらにつく。なみのせきもる跡なれば。この浦にふねをさしとゞむ。

──曲舞、元禄頃成、『乱曲久世舞要集』

 

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綱 館 *長唄挿入歌謡

 

 

幸若舞曲 こうわかぶきょく

〈曲舞〉の一種。室町後期、桃井直詮(幼名幸若丸)声明(しようみよう)などの曲節を採用して創出した歌舞曲である。

武士の勇壮な物語を軸に、舞を取り入れて立体的な舞台が構成される。織田信長が愛好したことで知られる。  

【例歌】

都あたり みやこあたり

都あたりの里々に、伏見ふか草とばやはた、よどいもあらひ、たけだの里松にはなあるふぢの森、いなりいまぐまの、六はらやさかちやうらくじ、ぎをんなか山北白川、かものりうけん、うんりんじさて船岡せりやうやせの里、くらましづ原さがうづまさ、とうじよつゝかかつらの里こが山ざきやたから寺、その夜のうちに京いりする、面々のともしびたゑまつは、みやこのうちにくまもなし、あはた口より三条までは、すきまなうこそみえにけれ、物によく〳〵たとふれば、よしのたつたの花もみぢのいろめきあへるふぜいかな。

──舞唄、室町後期作、『幸若舞曲歌謡』

 

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幸若舞-敦盛

 

 

古戦場の唄 こせんじょうのうた

 戦国時代以前に戦場となった地を「古戦場」といい、屋島、壇ノ浦、島原、川中島、関ヶ原などが知られている。それらの地での戦をしのび、後世人が作ってうたったのが〈古戦場の唄〉である。

【例歌】

切支丹軍、籠城中の古謡 きりしたんぐん/ろうじょうちゅうのりよう

〽カヽレ〳〵 寄衆(よせしゆ)モツコデカヽレ

寄衆 鉄炮ノ玉ノ 有ン限ハ

〽トントヽ鳴ハ寄衆ノ大筒(おおつつ)、ナラズトモ

ミシラシヨ コチノ小筒テ

〽有カタノ利生ヤ 伴天連(ばてれん)様ノ御影デ

寄衆ノ頸ヲ スント切支丹

──戦闘歌、『島原天草日記』(松平輝綱、寛永十五年筆)

[メモ] キリシタン弾圧で名高い天草・島原の乱は、起こるべくして起きた●幕府の掃討作戦もさることながら、悪藩主の見本のような松倉父子(重政・勝家)を任命したのがそもそも間違いであった。史書にある新領主の虐政ぶりは身の毛のよだつものがある●寛永十四年十月二十五日、島原の代官誅殺に始まった乱は、幕府の派兵強圧によって度合いを強めていく。天草でも徹底抗戦体制をとり、島伝いに島原勢と合流、天草四郎を大将とする三万七千の一揆軍が原城に立て籠った●翌年二月に入る と、城内から太鼓を打ち鳴らす響きが寄手陣に聞こえるようになる。掲出の里謡を大勢で歌う様子も手に取るように伝わる。すわ、油断させておいて攻撃を仕掛ける策略ぞと、寄衆は警戒を強めた●じつは籠城に疲れ果て死ぬ覚悟を決めた一揆勢が、まだ声の出るうちにと唱和したこの世での絶唱であった。「(敵の)頭をズンと斬りしたん」の希望が断たれただけに、軽妙な地口がかえって哀れをさそう。

 島原の乱〔「ヤフー画像集」より〕

 

 

古里謡 こりよう

 ここでいう「古里謡」とは、いわゆる「中古民謡」(里謡)あるいは「新民謡」に対応した区分用語で、江戸時代以前に発祥した民謡を指す総称である。

 例歌の「こきりこ節」は日本最古の里謡(田歌の通称)とされ、「麦屋節」と並んで富山県の古民謡である。

 竹を2本用いて作った伝承の古楽器「こきりこ」 五箇山~小さな世界遺産の村~

 【例歌】

 こきりこ節    

♪こきりこの竹は 七寸五分じゃ 

 長いは袖の かなかいじゃ

 窓のサンサは デデレコデン

 ハレのサンサも デデレコデン

♪向いの山を かづことすれば

 荷縄が切れて かづかれん

 窓のサンサは デデレコデン

 ハレのサンサも デデレコデン

♪向いの山に 鳴く鵯は

 鳴いては下がり 鳴いては上がり

 朝草刈の 眼を覚ます

 朝草刈の 眼を覚ます

♪踊りたか踊れ 泣く子をいくせ 

 サラサは窓の もとにある

 烏帽子 狩衣 ぬぎすてて

 今は越路の 杣刀 ぬぎすてて

 今は越路の 杣刀 

♪向いの山に 光るもん何じゃ

 帆しか蛍か 黄金の虫か

 今来る嫁の 松明ならば

 差し上げて点しゃれ 優男

──富山県五箇山地方の民謡

 

 

催馬楽 さいばら

平安時代の雅楽系楽曲の一つ。

奈良時代に現れた〈風俗(ふぞく)歌〉を、平安時代に入ってから俗謡集として手を加えられ成ったのが〈催馬楽〉である。しかし元をただせば雅楽の系統をくみ、また語源に馬子唄(前張(さいばり))の意味があるように土臭さが残っている。鎌倉時代に現れる組歌の母体でもある。

笛・(しよう)和琴(わごん)などの楽器を伴奏に鳴らしながら唱和する。

【例歌】

陰名 くぼのな

〽陰の名をば (なに)とか言ふ 

陰の名をば 何とか言ふ

つらたり けふくなう たもろ

つらたり けふくなう たもろ

 [メモ] 陰はくぼんでいるところ、女陰をさす。当時の三つの異名(俗称)をあげつらね歌謡詞に仕立てた。一見露骨ではあるが、じつは素朴な呪術歌なのだ。酒宴のほか神事や労働のおりにも歌われた。男たちに混じり女も口ずさんだろうと想像できる。睦み合う前の前戯的役割も果たしたのではなかろうか。

 鷲宮催馬楽神楽  

 脇母古 わぎもこ

我妹子(わぎもこ)にや、一夜(はだ)触れ、あいぞ、あやまちせしより、(とり)も取られず、鳥も取られず。

〽然りともや、我()(きみ)は、あいぞ、五つ取り、六つ取り、七つ八つ取り、ここのよ、十は取り、十は取りけんや。

──いずれも古歌謡、平安時代流行、『催馬楽』

[メモ] いずれも原表記は真名(漢字)

 

 

猿楽 さるがく

 平安から鎌倉時代に流行った雜芸全般を指す。別義に、室町時代に形が整った能・狂言をいうこともある。

 当時の俗語をたっぷり用いた「うたい」が目立つ。

 

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 申楽(猿楽)京都・熊野神社

 

 

山家鳥虫歌 さんかちょうちゅうか 

 和訓でヤマガノトリムシウタともいう。

〈山家鳥虫歌〉は後水尾院の後援のもと、諸国の盆踊古謡を収録したものである。

興味津々の詞が目立ち、後世借辞詞の原歌となっているものが少なくない。とにかく、昔の天皇にはさばけた粋人もましましたようだ。

【例歌】

有名三ふし ゆうめいみふし

〽わしは小池の鯉鮒なれど、なまづ男は(いや)でそろ。(山城国風)

〽恋に焦がれて鳴く(せみ)よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす。(山城国風)

〽山な白雪朝日に溶ける、溶けて流れて 三嶋(みしま)へ落ちて、三嶋女郎衆の化粧水(けせうみづ)。(安房)

鄙の四ふし ひなのよつふし

 〽博打唄しやる大酒飲みやる、わしが布機無駄にして。(伯耆)

 〽様の(いとま)の吸ひつけ烟草、恋が増すやら火がつかぬ。(大和)

 〽おまん股ぐらに釣鐘堂が出来て、けふも暮れぬかと六つの鐘サイヨナア。(肥前)

 早乙女(さをとめ)の股ぐらを 鳩がにらんだとな にらんだも道理かや 股に豆を 挟んだとなよな(伯耆)

──古里謡、年代未詳の雑載、『山家鳥虫歌』

 陰陽師の安倍清明 美女に化けた女狐と安倍保名が契り一子清明をもうけた、と「山家鳥虫歌」は伝えている。

 

 

白拍子 しらびょうし

平安末期に発祥した遊女による今様歌舞の通称。鎌倉時代に入ると年とともに盛りとなり、室町時代まで続いた。七五調が基本音律である。

〈白拍子〉はこれを舞いうたう男装遊女の呼び名でもある。今様の古典『梁塵秘抄』をまとめた後白河法皇は、白拍子の妓王ら名人級を集め侍らせたことで知られている。彼女らは今様や朗詠を口ずさみながら舞を披露し、かつ自らも楽しんだ。

 後白河法皇に仕えた名妓、白拍子の妓王 

【例歌】

 ふるき都 ふるきみやこ       後徳大寺実定詞

 〽ふるき都を、来て見れば、浅茅が原とぞ、なりにける、月の光は、くまなくて、秋風のみぞ、身にはしむ。

 ──今様うた、『源平盛衰記』(宝治元年頃)

白拍子の歌 しらびょうしのうた

 霊山みやまのや、五葉松や、竹葉なりとぞ、人はいふ、われも見たや、竹葉なりとも、折りもてこん、(ねや)のかざしにや、まろさゝん。

 蓬莱山にはや、千とせふるや、万歳千秋、かさなれり、松のえだには、鶴すぐひ、(いはほ)のそばにはや、亀あそぶ。

──今様うた、五節間郢曲(ごせちのかんえいきよく)』(綾小路俊量編、永正十一年)

水猿宴曲 すいえんのえんきよく 

〽水のすぐれて、覚ゆるは、西天竺の白鷺池、しむしやう許由にすみ渡る、昆明池の水の色行末久しく澄むとかや。賢人の釣を垂れしは厳陵瀬の川の水月影ながら漏るなるは、山田の筧の水とかや。芦の下葉を、とづるは、みしま入江のこほりみづ、春立空の、若水は、くむともくむとも。つきもせじ、つきもせじ。

──白拍子、『中古雑唱集』(伴信友編、天保六年)

 

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 白拍子 水猿曲

 

 

宗安小歌 そうあんこうた

宗安小唄集は、沙阿弥宗安なる人物がまとめた安土桃山時代のものと見られる中古歌謡集である。

室町時代以降の作と思われる二百二十一首の短詩形小歌を収載してある。宗安は秀吉の御伽衆であったとの説もあり、かなりの風流人らしく、歌集も風雅に富んだ作の選定が目につく。

豊臣秀吉につかえる側近、曽呂利新座衛門。宗安も似たようなお伽衆の一人。

【例歌】

宗安小歌集より〔冒頭十首〕

〽神そしるらん我中は千世万よとちきり候

 〽かみむつかしくおほすらんかなはぬ恋をいのれは

 〽梅とねうとて鶯かなくきたのゝ神にしかられうとて

〽夢には来ておよれそれにうきなはよもたゝ

〽夢よ〳〵恋しき人なみせそゆめうつゝにあ

 ふ/とみてさむれはもとのひとりね

〽うらみつくれはうらみない中もうらみらるゝ/うらみつけしのうら〳〵みよの

〽あふてたつ名はたつなかなふなきなたつこそ/たつななれ

〽霧か霞歟夕くれかしらぬ山ちか人のまよふ

〽千夜も一夜もかへるあしたはういものを

〽とへは千里もとをからしとはねはしせきも千里よの

──中古小歌、安土桃山時代成、『宗安小歌集』

 

 

草歌 そうか 

〈宴曲〉ともいい、また〈早歌〉とも書く。

 鎌倉・室町時代の雑芸歌で、貴族や武家らが酒宴の席などでうたった。

 多くは七五調くずしであり、『隆達小歌集』にもこれの部立が見える。

 【例歌】

  はる                  隆達詞

 〽目出たや松のした。千代もいくちよ。千世ちよと

〽とてもつらくは。春のうす雪。思ひきえよの。つもらぬさきに

〽よしやそなたの。風ならは。はなにふくとも。つらからし

〽梅は匂ひ。花はくれなひ。柳はみとり。人はこゝろ

〽言葉は花の。さく物を。涙そおもふ。しるへなる

〽いつもみれとも。うつくしのふりや。めむかうふはいか。花のさかりか

〽おもしろの。春雨や。花の。ちらぬほとふれ

〽春の名残は。藤つゝし。人のなさけは。ひとこと

──隆達小歌、慶長五年頃流行、『隆達小唄三百首』草歌

[メモ] 春夏秋冬に恋・雑の六部立のうちから。草歌とあるのは「早歌」のこと。歌謡史研究の先人高野辰之は、出典の解説文で「草歌は早歌と通はせて書いたのであることは歌の比較の上より知られるが」と述べている。

 薬種商人であった高三隆達(15271611)の顕彰碑 大阪府堺市顕本寺

 

 

田楽歌謡 でんがくかよう 

能楽の元となった舞伎とその歌謡。「猿楽」の現代的表現である。

もともと鄙びた遊芸にすぎなかったが、後堀川天皇時代には京で大田楽の見世物が催され、足利幕府下で隆昌を見たが、江戸時代も中期に至り衰微をたどる。

〈田楽歌謡〉は中古日本におけるオペラだ、と評する人もいる。

【例歌】

 春日若宮田楽歌謡 かすがわかみやでんがくかよう

  うち合浦 あいのうら

太夫竜女(りうぢよ)は。「如意の珠を。釈尊に捧げ(へん)成就(じやうじゆ)の法をなし。奈落や奈落の底の畜女なれども。など冥恩の報ぜざらんと。浪騒ぎ汐渦巻きて。うたかたの上に浮上り。これこそ真如の玉の緒の。寿命長遠息災延命の。玉の台も当来までも。二世(じせ)の願望成就なるべし。是迄なれや。おりつる綾の浦は合浦。玉は再び帰る御代の。千秋万歳の宝の玉〳〵の合浦の浪にぞ入りにけり。

──田楽歌謡、鎌倉時代より伝承、『日本歌謡集成』巻五

 [メモ] 奈良市春日野に鎮座する春日若宮の田楽歌謡。生贄(いけにえ)を求める竜女神のたけき心を鎮めるために唄った古歌謡である。「合浦」とは竜女が棲み生贄の若い男と合体する淵を指す架空の地名であるとされている。ちなみに現在、春日野の地にこの地名は見えないので消滅したのであろう。

 春日若宮祭礼絵巻 国立歴史民俗博物館所蔵

 

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板橋の田遊び

御田植神事 *住吉神社

鳳来寺田楽「田うた」 *愛知県観光協会

 

 

風俗歌 ふぞくか

国振(くにぶり)〉あるいは〈古鄙歌(ふるのひなうた)〉とも。

奈良時代から平安時代にかけ、諸国に発祥したはやり唄。すべて短詞で、朝廷での大嘗会(だいしじようえの)節会(せちえ)や民間では神楽歌に用いられた

【例歌】

鳴高(大宮) なりたか/おおみや

〽ナリタカシヤナリタカシ オ□ミヤチカクテ ナリタカシ ハレノナリタカシ

〽ヲトナせソヤミソカナレ ヲ□ミヤチカクテ ナリタカシ アハレノナリタカシ(二段)

〽アナカ□コンドモヤミソカナレ ヲ□ミヤチカクテ ナリタカシ アハレノナリタカシ(三段)

 難波乃都布良江 なばのつぶらえ

 〽ナバノツブラエノ ハルナレバ カ爪ミテミユル ナバノツブラエ

 〽ツブラエノせナヤ ハルナレバ カ爪ミテミユル ナバノツブラエ(二段)

 玉垂 たまたれ

 〽タマタレノ カヌヲ ナカニ爪ヘテ アルジハモヤ サカナモリニ サカナモトメニ

 〽コユルギノ イソニ ワカメカリヤゲテ アルジハモヤ サカナモリニ サカナモトメニ(二段)

 ──いずれも風俗歌、平安初期流行、『風俗譜』より

 

 

平安女の恨み節 へいあんおんなのうらみぶし

♪我を頼めて来ぬ男 (つぬ)三つ生ひたる鬼になれ さて人に(うと)まれよ 霜雪霰降る水田(みづた)の鳥となれ さて足(つめた)かれ 池の(うきくさ)となりねかし と揺りかう揺り揺られ(あり)

──『梁塵秘抄(りようじんひしよう)』後白河法皇撰

情をかけてくれた男が自分の許へ通って来なくなった。女心も知らで、心変わりした冷たい男が恨めしい。いっそ角が三つ生えた鬼になってしまえ、人にも嫌われるがよい…。色事が思い通りに運ばない孤閨の憤懣を、精一杯の怨念を込めて女が唄う。

歌謡好きな後白河法皇が勅撰した『梁塵秘抄』は、平安末期に流行した今様歌の選集である。この集が成立した治承三年ごろは、「保元の乱」や「平治の乱」など源平相争った動乱が一段落ついた時期。庶民は不安と無常感にさいなまれ、せめてもの慰みにいくつもの流行歌を作り、それを口ずさんだ。現存する五百六十詞のほとんどが七五調で、やさしく歌いやすいものである。

ここに掲げた詞が歌われた時代は、冒頭句にもあるように、古代の「通い婚」の名残りが見受けられる。封建制度下で女が束縛されるようになる以前の時代で、制度的に男女平等に近かった。女が男に対して言いたい放題を歌に託せたのである。

 『梁塵秘抄』和田本原本

 

 

平曲 へいきょく

 

 俗に「平家」ともいう。『平家物語』を琵琶の伴奏により語る声楽曲。天台宗が平曲の本山で、その座主である()(ちん)が創始したと伝えられている。吉田兼好の『徒然草』二二六段によると、語り文は信濃前司行長が、曲は生仏という盲目僧が作った。

 主題こそ平家滅亡の物語だが、平曲の狙いは仏教思想の普及にほかならず、もっぱら民間の盲目僧である琵琶法師が弾き語りにより広めた。例示の「祇園精舎」はあまりにも有名な傑作の一つである。

 平家琵琶 彦根城博物館蔵

 

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平曲「祇園精舎」 *荒尾努

敦盛~平家物語より~ *坂田美子ほか

 

 

 大和節 やまとぶし

倭歌(やまとうた)」とも。大和猿楽から出た謡曲色の濃い風俗(ふぞく)歌舞

室町時代の小唄集『閑吟集』中に、世阿弥の作と見られるかなりの数が収められている。

 大和猿楽(田楽)風俗画

 【例歌】

 一休 いつきゆう 

 〽夢かよふ、道さへたえぬ、くれ竹の「ふしみのさとの雪のしたをれと、よみしもふうがのみちぞかし、げに世の中はわりだけの「わりだけのすかがきなれば夢の、うきはしもたへぬべし「せんしうばんぜいの、ゑいぐわはちくのうちのたのしみぞ「あじきなのうき世や、ゆめさへ見はてざりけり。

──本調子地歌、室町後期作、『新大成糸のしらべ』

[メモ] 一休宗純の心境に仮託した唄。いわゆる「十二曲」の第二番歌である。

 

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申楽(猿楽) 京都・新熊野神社

 

 

古歌謡〔落穂ひろい 

早歌はやうた 

〽本方 何れぞも や とどまり

 末方 かの崎越えて

 本方 深山(みやま)小葛(こつ)

 末方 繰れ繰れ小葛

 本方 鷺の頸取ろむと

 末方 いとはた長うて

 本方 あかがり踏むな (しり)なる子

 末方 我も目はり 先なる子

 本方 舎人(とねり)こそう 後こそう

 末方 我もこそう 後こそう

 本方 近衛の御門(みかど)に 巾子(こじ)落つと

 末方 髪の根の なければ(後略)

──神楽歌派生歌、鎌倉中期成立、『宴曲集』

[メモ] 早歌は早口を旨とする問答歌。本

方・末方の口調が進行するにつれ早まっていくのが特徴である。 

わかれのことさら

 〽わかれのことさらかなしきは

親のわかれと子のなげき

ふをふのおもひ今兄弟

いづれを思ふべき

袖にあまれるしのび音を

返してとゞむる関もがな

──今様うた、『曾我物語』巻七(南北朝期成)

我妻 わがつま

人の妻みて、わが妻みれば、見れば、深山(みやま)の奥の、こけ猿めが、雨にしょぼぬれて、ついつくぼうたに、さも似た。

──狂言小唄、江戸中期流行、『はやり唄変遷史』

 

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天津祝詞 創作節付け 初音ミク 

あわのうた まほろば(現代人唱歌)

ひふみ祝詞 新録音

日月神示 種神宝の祝詞歌 初音ミク