昭和中期

 

 

231 我々は今こそ総懺悔し

──東久迩稔彦の総懺悔演説

前線も銃後も、軍も官も民も、国民(ことごと)く、(しずか)に反省するがなければならない。我々こそ懺悔(ざんげ)し、神前に、一切の邪心を洗い清め、過去って将来の(いまし)めとなし、…

──昭和二十年九月五日、東久迩首相の施政方針演説

東久(ひがしく)()稔彦(なるひこ)(18871990)は戦前の皇族、陸軍大将。戦後初の首相。

八月十五日、終戦の詔勅発せられる。そしてこの施政方針が発表されたとき、国民やマスコミは驚き、あきれ、ついで大騒ぎした。なぜに無辜(むこ)の民まで懺悔しなければならないのか、と。懺悔すべきは、東久迩首相初め戦争行責任を負う軍人等ではないのか。その責任所在をぼかすため、国民にまで責任を転化強制するのは納得できない、というのが民意の本音であろう。

一億総懺悔論は、GHQつまり占領軍最高司令部が発令した民主化指令の基本精神をも逸脱。その結果、終戦で急ごしらえしたこの弱体内閣は、時宜に対応する能力なしと判じられ、わずか二か月で総辞職した。

東久迩という元宮様は、明治四十四年に明治天皇の陪食を断り、皇太子のちの大正天皇と喧嘩別れしている。軍人としても幹部連と揉めごとが絶えなかった。昭和二十二年に皇籍を捨て、やがて「ひがしくに教」なる新興宗教にかつぎだされ教祖に収まる。なかなかのしたたかさを身につけた、皇族中の異端児であった。

 東久迩内閣は国民から「総懺悔内閣」なる不名誉なあだ名を贈られた。

 

232 日本は世界の四等国に転落

──D・マッカーサー

日本は世界の四等国に転落した。

昭和二十年九月十二日、記者会見声明文より

*ダグラス・マッカーサー(18801964)アメリカの軍人で元帥。戦後は日本占領連合軍最高司令官に。

マッカーサーは在任当時、日本のマスコミから「日本国大統領閣下」という皮肉な異称を貰っている。昭和二十一年に昭和天皇と並んで撮った写真が新聞に載ったが、天皇と長身の彼との背丈の差は、現実に権勢の差となって示された。

その閣下が日本に着任直後記者会見した時の発言が、この「四等国声明」である。彼は言外に「お前等日本人は奴隷並みなんだぞ」と申し渡したのである。

 昭和天皇と並んで撮影のマッカーサー。体格の相違はそのまま権力の違いと見て取れるほどであった。

 この屈辱的な発言にも敗戦で打ちひしがれた日本人には抗弁する気力すら失せていた。すべてアメリカさんの言いなり。誇りなんかで腹は満たせない、今日明日の食糧獲得のほうが急務である。

 ただ救いだったのは、マッカーサーは暴言から推すほど暴君ではなかったこと。むしろ一面では、目茶苦茶な混乱状態にあった日本を支援して立ち直らせた功労者といってよいかもしれない。

昭和二十六年四月、解任されたマッカーサーは帰国後の米議会の演説で、「老兵は死なず、ただ消え行くのみ」なる名言を述べて拍手に包まれた。

 

233 駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性

新日本女性に告ぐ

戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。女事務員、年齢十八歳以上二十五歳まで。宿舎、被服、食糧全部当方支給。──東京銀座・特殊慰安施設協会の看板

世情が混乱の極みにあった終戦直後の看板広告文である。敗戦はまた、日本婦人の転落を物語る数々の悲劇を生んだ。戦勝者が敗戦国を占領すると、最初に求める代償が女体であることは史実で明らかだ。GIたちは当然の権利であるかのように、異国の女めがけて突進した。肉欲に飢えた大兵の進入に婦女子は恐れおののいた。

政府は最悪事態に陥ることを憂慮し、餓狼のような連中には「特殊女性」をあてがい、一般婦女子の安全を守るため性の防波堤を築こうということになった。そこで当局と肉体斡旋業者つまり女郎屋の親父らが手を結び、八月下旬「特殊慰安施設協会=RAA」を設立。銀座七丁目の料理屋「行楽」が本部として接収され、九月に入り掲出の看板が掲げられた。

女事務員で釣り、大事業に参加せよ、と呼びかけたのである。つまりは「被服、食糧全部当方支給」の殺し文句が応募者の迷いを吹き飛ばし、女事務員はたちどころに満杯になった。

 目玉は「芸者淑女接客係」という職種。都内に二十五か所あったとされる慰安所付近では、こうした緊急募集看板が掲げられた。

 

234 ナンジ人民飢えて死ね

   詔 書

国体はゴジされたぞ

朕はたらふく食ってるぞ

ナンジ人民飢えて死ね

ギョメイギョジ

──昭和二十一年五月十九日、餓死対策国民大会でのプラカード

 問題のプラカードを掲げデモ行進

 八千万総飢餓に直面した終戦の翌年、別名を「飯米獲得人民大会」「食糧メーデー」「米よこせ集会」あるいは「飢えた胃袋のデモ」などと称された二五万人集会が日比谷公園から皇居前に連なった。このデモ中、掲出の文言を書いたプラカードの工員連(共産党オルグ)の責任者が、召喚され不敬罪に問われている。この事件は、事後も不敬罪の存立成否まで発展、検察側と弁護側で論争を戦わせる騒動に到った。

浮浪者や戦災孤児は市街地のあちこちにたむろし、食い物を奪い合う。都内では野犬が姿を消した。絞め殺して肉を食う人間が増えたからだ。食い物が怨みの殺人事件も少なからず起きている。

当時の「のんき節」の創家石田一松師匠は、世情を次のような演歌に託している。

♪お米の代わりにお芋を食えと/おっしゃる役人は何を食う/お役所仕事は暇を食う/連合軍から小言食う/へへのんきだね

 

235 回虫ワクワクお腹ズキズキ

回虫ブギー

回虫ワクワクお(なか)ズキズキ

銀玉のんで笑つて暮らそよ

──昭和二十一年、虫下し「銀玉」各紙広告

パロディ歌詞の広告。原詞は「東京ブギ」で、その歌い出しは、

♪東京ブギウギ リズムうきうき/心ずきずき わくわく/海をわたりひびくは 東京ブギウギ…

詞は鈴木勝、曲は服部良一、歌は「ブギの女王」といわれた笠置シズ子だ。

回虫とシラミの二代虫害は、敗戦国日本のみじめさに追い討ちをかける副産物であった。都市生活者が空き地に開墾した家庭菜園が元凶だったのである。人体が排泄した黄金肥料と、生育する野菜と、それに付着する回虫卵と、成虫が棲む人間の腹との相互連鎖による検証であった。

回虫がわくと、ただでさえ不足がちな栄養がどんどん吸い取られ、体がだるく元気も失せる。悩みは深刻で、国家レベルで駆除に乗り出している。

紙上にも各社各様の虫下しの広告が賑わう。修辞上の捻りをきかせた次のような珍作も目に止まった。

  東風吹かば回虫(ムシ)を下せよ銀玉で痛まざるとて腹るな(銀玉)

 虫下し「サントニン」の広告

 

236 かかる不逞の輩がわが国民中に

──吉田首相の発言録

然れども私はかかる不逞(ふてい)(やから)(筆注=労働運動者をさす)がわが国民中に多数ありとは信じない…

──首相時の昭和二十二年一月一日、年頭所感を述べるラジオ放送で

*吉田茂=元総理で単独講和の立役者。

●腹が減るなら家で寝てればよい。あんな大声が出るのに、まだ死ぬもんか。

──昭和二十一年五月、第一次吉田内閣組閣のおり、共産党デモ隊が吉田邸を取り巻き「米よこせ」と叫んだのに対して。

●南原東大総長がアメリカで全面講和を叫んだが、これは国際問題を知らぬ曲学阿世の徒で、学者の空論にすぎない。

──昭和二十五年五月三日、自由党両議院秘密会議の席上、全面講和論者の南原東大総長を批判して。

 放言の吉田総理をからかった政治漫画〔西村晃一画〕

●無礼なことを言うな。無礼者!バカヤロ ──昭和二十八年二月、衆議院予算委員会、西村栄一議員との応酬で。

●汚職は新聞が面白半分にデッチ上げたもので、検察庁はそれに乗せられたのだ。

──昭和二十九年一月、吉田二郎山下汽船専務の汚職容疑逮捕に関連した政財界贈収賄事件につき、同年八月十日に出したコメント。

 

237 パン助はノガミで客を喰え込んで

──浅草署警官の談話記事

(のぼ)りさん相手のチャリンコカツアゲですね。(中略)L座のSショウは真裸になって踊るやつですから、ドウカツの活躍舞台ですな──興奮して舞台をみている内、パーが切られているのは一日に何十軒かありますよ。カツアゲの方はお上りさん相手にやるんです。(中略)珍しいのは乞食とパン助が殆んどいない。乞食は田舎廻りのオモライ専門で、旧正月の二月十日前後には全然姿をみせない。パン助は、上野で客を喰えこんで田島町、吾妻橋辺りのドヤにシケコム手が流行っている。

&『性文化』昭和二十二年四月号所収「ストリート=銀座・新宿」

まず隠語の略解から。チャリンコ=少年かっぱらい、おどしもやった。カツアゲ=恐喝。L座=「ロック座」の略。Sショウ=「ストリップショー」の略。ドウカツ=映画館内を稼ぎ場にするスリ。パー=ポケット。パン助=「パンパンガール」の略。オモライ=農家前で施しを強要する乞食。ドヤ=簡易旅館。シケコム=泊まる。

戦後文化はカストリ焼酎と隠語とセックスの三原色で構成されていると思う。なかんずく隠語とセックスは「カストリ雑誌」の看板とするところであった。衣食住のほかに文化生活にも飢えていた大衆は、カストリ雑誌から隠語と性文化を狩り出し、自身の夢に置き換えていた。

 カストリ雑誌の雄『りべらる』はロングセラーを続けた数少ない一誌(昭和二十八年10月号表紙)

掲出談話も主題はセックスを匂わせた風俗描写で、わずか二百五十字ほどの文章に十種類もの隠語が用いられている。こんな肩を揺さぶりながら吐くような隠語も自己主張の一手段であった。六十五年を過ぎつつある今、そのほとんどは死語になっている。

 

238 あの電話はたいへんおいしゅうございました

                                                                                  ──小沢石蕗の談話

たけのこ生活」で電話も売ってしまいました。あの電話は、たいへんおいしゅうございましたよ。

&『最後の連合艦隊司令長官 小沢治三郎の生涯』宇野澄著

小沢(おざわ)()()は、小沢治三郎夫人。

終戦後の食糧難の時、非農家はタンスにしまっておいた衣料品を持ち出しては、農家でなにがしかの食糧と交換した。食っていくために一枚また一枚と衣服を剥いでいくわけで、これを自嘲して「たけのこ生活」と呼んだ。

 超満員の買出し列車(昭和二十一年)

たけのこ生活時代は、毎日毎日が農家相手にあれこれ手を尽くしての戦闘であった。新聞報道も、

農家に(うつた)ふ/飢都市の声/弱んで法外な闇値売り/醸す重大な社会問題(『朝日新聞』昭和二十年十月見出し)

と糾弾、農家による非農家いじめを戒めている。

 元連合艦隊司令長官の小沢邸も例外ではなかったようだ。当時自家用電話のある家庭はまれで、その貴重品も米や芋に化けたわけだ。普通なら暗い語りになるところを、夫人はからっと言ってのけた。電話がおいしかった、というユーモラスな洒落がよい。さぞ内助の功も大きかったろう。それかあらぬか小沢は長寿を全うしている。

 

239 性教育直語本文(資料のみ)

珍宝おもうにコーソコーソあい曳すること公園に、まらをたつること雄大なり。我が陰門よくはいりよくしまり、巾着まきざねどてだか、へそ腹心を一にして、夜々そのつとめをなせるは、これわが肉体の本能にして、愛情のえんげん又ボボに存す。

汝金玉吹かず、洗わず、紙も使わず珍宝に相和し精液を貯え強健、もめどもつぶれず、博愛女に及ぼしエロを修め四十八手を習い以て「よくじよう」を挑発し、握手キツスは求めて行い、進んで処女膜を破り結婚を解消し、常に貞操を軽んじ、ヒニン薬を携へ、一旦関係あれば義理人情をわきまへ以て男女道徳の褌を固くすべし。かくのごときはひとり珍宝が自由解放の恋愛たるのみならず、又以て花よめ芸術、枕草紙を勉強するに足らん、この道は実にわが人生無上の快楽にして、チヤタレー夫人と共に遵守すべき所之を未婚の淑女に公開して憚らず、二号三号と共にケンケンふくようして皆そのたのしみを一にせんことをこいねがう。

芳紀二十三歳 十月出産の日/助平大臣 床長隊長 副書/汚名汚字 

 画像出典は『秘本 四畳半襖の下張』とされているが、定かではない。いうまでもなく『教育勅語』のパロディ版である

240 早いとこお召し自動車へ乗せやがれ

──刈込みにあった夜の女たち

「いやだーっ。あたい今日ワラ(吉原病院)を出てきたばかりだよゥ」「何すンのさ。コンチキショウ。行けばいいんだろ」「違うよ。あたいは違うよ」「馬鹿野郎ッ。オマワリの馬鹿野郎、覚えてやがれ」「やい、早いとこお召し自動車(トラック)へ乗せやがれ」「あたい恥かしくて股が開けないのョ。へへ……」「ちょいとポリさん、良い男だね。二コ(二百円)で遊ばないか。アハ……」「あら、もう一発稼いどくんだった。損しちゃったなァ……」

&『ウインク』昭和二十三年三月号「吉原病院の娘たち」

「刈込み」という風俗用語はもう死語になっているはずだと思いつつ『広辞苑』第五版を引いたら、ちゃんと載っていた。

 ②警察が浮浪者・街娼などを街頭で一斉に検挙して収容すること。

この言葉も、戦後風俗を描くのに欠かせない流行語であった。

 パンパン狩り〔ウエブサイト「灰の中からの脱出」矢島勝昭画〕

 刈込みはトラックを使ってたむろしたところを急襲する。狩られたパンパンたちの行く先は、東京の場合、各警察から吉原病院というルートをたどる。サツで簡単な訊問のあと、検診のため病院へ向かうのだ。そのトラック上での生々しいおしゃべりの断片を集めたものである。

戦後の筆舌に尽しがたい混乱の中で、彼女等は生きていくために身を堕とした。パン嬢らは臨検や刈込みを恐れた。そんな目にあうと何日かは商売にならない。性病がひどい場合には強制入院させられる。「ああああ、誰か夢なき…」という歌の文句が、みじめで絶望的な身の上を歌っていた。

 

241 ばれなければまだやったかも知れません

──小平義雄

女達はみんな物欲しさについて来たのです。日本の食糧事情がそうさせたんですよ。僅かの食糧のため、やがて私に殺されるのも知らず山の中をついてきたんですからね。(中略)二度三度やっているうちに習慣性になってしまいました。だんだん平気な気持ちなってきたのです。ばれなければまだやったかも知れません。(中略)戦争の時はわたしよりむごいことをした連中を知っていますが、平和な時にわたしだけひどいことをした者はないと思います。まったく人間のすることじゃありません。

&『戦後死刑囚列伝』村野薫著

小平(こだいら)義雄(よしお)(190549)は終戦前後の連続強姦殺人犯。

終戦直前の昭和二十年三月から戦後は翌二十一年八月にかけ連続強姦絞殺事件が発生、その犯人小平は二十一年八月に逮捕された。小平は混乱状況に乗じ、食糧の買出しや就職の斡旋にかこつけ、七名の若い女性を毒牙にかけて殺した。

掲出は、二十三年十一月十六日死刑確定のやや前に、精神鑑定人に語った言葉とされている。当時、たいていのことには驚かなくなった焼跡派の人たちも、口をあんぐりさせるような猟奇事件だった。

 ときに本条の関係文献を調べているうち、事件以上にショッキングなものを目にした。二十一年八月某日、港区の芝増上寺境内で発見された、××歳の犠牲者の現場写真がそれだ。なんとハンカチ一枚覆うでなし、局部丸見えの生々しい全裸遺体が写されている。当該写真は昭和史関係の何種類かの文献に載せられているようだ。この冒涜的写真が今なお衆目にさらされていると知ったら、遺族たちはマスコミを呪わずにいられまい。

 目を覆いたくなるような小平の犯行現場

 

242 税金苦の自殺者が出てもやむをえない

──池田大蔵大臣の発言

三月危機中に中小企業の倒産や税金苦の自殺者が出てもやむをえないのであります。

昭和二十五年三月一日、池田大蔵大臣の所信表明

池田(いけだ)勇人(はやと)(18991965)は政治家。各省大臣を歴任後、昭和三十五年首相に。

昭和二十四年十二月に来日したアメリカ金融界の大立者J・М・ドッジは、「日本経済は両足を地につけていない竹馬のようなもの」という趣旨の発言をした。このことばを裏書するかのように、翌年三月、わが国経済は不況にあえぐ「三月危機」を迎えた。

池田は大蔵大臣という要職にありながら、掲出の無責任発言を行った。まさしく常識では考えられないような暴言、怒った国民は「池田をやめさせろ」と叫ぶ。このため衆議院に池田不信任案が上程されたが、結果は否決に終わってしまう。

 池田勇人

 この舌の根も乾かない同年十二月、朝鮮動乱が始まり、経済は活況を見込んでホット一息ついたが、この人次は「麦飯暴言」を放つ。

 私は所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則にそったほうへ持って行きたいというのが、私の念願であります。──国務大臣時に国会答弁で

 

243 貸借法すべて青酸カリ自殺

──山崎晃嗣

四、貸借法すべて青酸カリ自殺 晃嗣、午後十一時四十八分五十五秒呑む、午後十一時四十九分…(このあと五、六字判読不能、一~三項略)

昭和二十四年十一月二十四日、山崎晃嗣の遺書より

山崎晃嗣(やまざきあきつぐ)(192349)は学生実業家、違法の金融会社・光クラブ社長。

 山崎晃嗣

昭和二十三年九月、山崎は東大法学部在学中の身でありながら、東京中野で仲間と闇金融会社「光クラブ」を設立した。法定利息を超える高利の貸金業である。高配当の甘言で出資者を募り、事業は急速に伸びて、事務所を銀座二丁目に進出させた。

 しかし翌二十四年七月、物価統制令ならびに銀行法違反で検挙される。山崎は一時釈放されたものの、出資者間に不安が広まり、さらに債権者が押しかけて会社は解体寸前に追い込まれた。ニッチもサッチもいかなくなった山崎は、社長室で青酸カリ自殺を遂げた。 

掲出は彼が残した遺書の最終事項である。遺書の文言に注目したい。「貸借法すべて青酸…」と駄洒落ている。借りは死をもって清算する、と言い残したのだ。このギャグのため世人は彼を「人を食ったアプレゲール青年の最期」と評した。そういわれては故人も浮かばれまい。食うためには人の半殺しすらいとわない世の中全体だったのだから。

 

244 ジス、イズ、ミスター、トニー谷ざんす

レディース、アンド、ジェントルマン、アンド、おとっつあん、おっかさん。グッド、イブニング、おこんばんは。ジス、イズ、ミスター、トニー谷ざんす。

                          ──昭和二十年代後半、民放ラジオ等の定番自己紹介

*トニー(たに)こと大谷(おおたに)正太郎(しようたろう)(191787)はボードビリアン・司会者。

キザな逆三角形の眼鏡、付けホクロにちょび髭、タキシードを身につけ、マラカスよろしく算盤を打ち振り、日本語との混血児(あいのこ)英語を使って挨拶、日本中を爆笑の渦に巻き込んだ漫談家である

口をついて出る珍妙な英語は「トニーングリッシュ」と愛称され、はてまた「家庭の事情でありつれ」「さいざんす」「…はべれけれ」「バッカじゃなかろか」「お黙り、シャラップ」「ネチョリンコン」など面白日本語を流行させて放送界の寵児となった。

  だが舞台裏のトニー谷は評判がかんばしくない。傲慢無礼で金銭に汚いと、周囲の者や人となりを知る者から嫌われた。

そこへ昭和三十年七月、彼の長男正美ちゃん六歳が誘拐される事件が起きたが、けっきょく無事保護で落着した。禍中で執拗なマスコミ攻勢にあい、そのために彼は徹底したマスコミ嫌いになったという。つまりマスコミは、トニー谷を有名にした反面、奈落の底へ突き落とす役目も演じた。

 

245 パン助だまれ!

*衆議院本会議の席上、自由党の有田議員は、右派社会党の女性議員に向かい、

パン助だまれ!

&『朝日新聞』昭和二十八年八月二日記事

有田(ありた)二郎(じろう)については、人物辞典等に記載なく伝未詳。

昭和二十八年は乱闘問題で国会が信を落とした年だが、その折もおりの有田暴言である。八月一日の議場で、右派社会党の堤ツルヨ議員が「断末魔の自由党」と叫んだのに対して、有田議員が口汚くののしり返した。この瞬間議場は騒然となり、一時は収拾がつかなくなった。結局、有田のしまりのない陳謝で一段落に。

 有田二郎議員

 毎度おなじみのエテ公狂言に慣れっこの国民も、このパン助発言には開いた口がふさがらなかった。こんな手合いが厳正であるべき立法府に存在すること自体、国辱ものである。クビにしないほうがおかしいではないか。

記事を報じた同日付朝日の「天声人語」子も、こう嘆いている。

 幕のかげで議会否認のファッショ精力が出番を待っているような空気が感ぜられる時だけに、国会内の醜体続出は、ただ笑って過ごせないものがある。この一文は杞憂にあらず、今だに生き続けているように思えてならない。

 

246  窃盗科 五寸釘寅吉教授

 (募集学科)

 窃盗科   五寸釘寅吉教授

 掏摸科   仕立屋銀次講師

 強盗科   妻木松吉教授

 強姦科   小平義雄講師

 脱獄科   白鳥由栄教授

(女性専科)

 傷害科   阿部 定先生

&『手錠の重み』佐藤和友著

元東京拘置所看守長の著になる出典中の、塀ノ内大学の見立遊びである。五寸釘寅吉=明治の凶悪窃盗犯。脱獄逃亡のさい、板切れに付いた五寸釘を素足で踏み抜き三里を走り続けた。仕立屋銀次=犯罪史上もっとも有名な()り。妻木松吉=昭和初期「説教強盗」で鳴らした紳士的?強盗。小平義雄=戦後の連続強姦殺人犯(211参照)。白鳥由栄=強盗殺人犯だが十一年間の入所中四度も脱走、「昭和の破獄魔」の異名持ち。阿部定=明治、情夫の料理屋主人を殺害。懐ろに切り取った一物をしのばせ猟奇犯罪の典型犯とされた。

刑務所内にも犯罪内容で格付けがあるそうな。説教強盗やスリのような「人を(あや)めない」囚人が最上位で、小平のような変態性欲犯や幼少児誘拐犯は最低にランク付けられ、所内でも相応の扱いを受けるという。掲出の見立も格のほどを示していて興味深い。「盗人にも三分の理」のことわざが立派に生かされている。

 一般公開された旧長崎刑務所跡

 

247 ソ連爆撃機羽田に

Russian Multi-Jet Bomber Lands at Haneda Airport

&『ジャパン・タイムズ』昭和三十年四月一日

ソ連ジェット爆撃機羽田に着陸──昭和三十年四月一日、ジャパンタイムズ紙の一面にこの大見出し(ヘツドライン)が載った。時に東西冷戦は雪解けしたわけでなく、国民はいつ起るともわからない核戦争の不安におののいていた。折もおり、このショッキングニュースの登場である

これは茶目っ気を通り越しタチの悪い騒乱だ、として他紙がJТ叩きに乗り出した。

 行きすぎた?「四月馬鹿(エープリルフール)」/「ソ廉爆撃機、羽田へ」/日本タイムズ報道/内外読者を驚かす(『朝日新聞』昭和三十年四月一日夕刊の見出し)

 ジャパンタイムスの四月バカ問題記事

 だいたい「四月馬鹿」なる弊習を、やみくもに日本に定着させようとする発想に無理がある。日本人は元来生真面目(テンシヨン)民族で、あちら風のギャグだのユーモアになじみが薄い。心底に儒教精神が根付いているからだ。戦後アメリカ文化礼賛が昂じ「うそつきコンテスト」まで開かれたが、大衆は踊りはしなかった。

 

248 死ぬときは腹上死するつもりだった

──(宮武)外骨

こんな風になるとは思わなかった。わしは死ぬときは腹上死するつもりでいたんだが…

&『評伝 宮武外骨』大本至著

*宮武外骨=再出

並の者が一命旦夕に迫ったとき、こんなキザな独白(セリフ)けたものじゃないが、人中の骨なら少しも不自然に感じない。ただ齢八十八腹上死したかったとはよくもおっしゃったものである

 晩年の宮武外骨翁

 この御仁、明治三十四年に大阪で創刊した『滑稽新聞』を武器に、権力者の悪業を暴露して巷間にその名を知らしめた。その後下半身関係の研究に没頭し猥褻博物学の最高権威になるなど、常人には測り知れない異端者ぶりを発揮する。たとえば「人体鉱物学」なる研究では、

 恥しい所にある骨ゆゑ恥骨と称し、人類以外の他の下等動物にはなく、したがってそれらは(いささか)も羞恥心がない。

と、珍説を開陳している。

世の権柄にアカンベーし続けてきた気骨の明治人だが、死に際はみじめであったらしい。床ずれがひどくて全身が化膿、排泄物も垂れ流し。骸骨のような醜体をさらしつつ、見舞客には大見得を切ったのである。

 

249 俺の芸はお前たちにはわかるめえ

俺の芸はお前たちにはわかるめえ。

──三亀松、高座や放送で、口癖のように吐き捨てたセリフ

柳家三亀松(やなぎやみきまつ)(190168)は三味線漫談家。自分の芸を「粋談」と称した。

東京下町の棟割長屋。ラジオで三亀松が三味線(ペンペン)掻き鳴らすと、向こう三軒両隣いっせいに音量を上げる…。それほど三松の芸は庶民に大モテで、人びとは「ラジオ太鼓持」の異称を奉ったほどである

貫禄のある男っぷり、座敷芸にピッタリの渋みのある美声、そして達者な芸で高座の人気をさらい、女衆にもモテモテだった。放蕩の限りを尽くした芸だから磨きがかかっている。

 惜しむらくは天狗並に鼻を高くしたこと。「日本中どこでも誰でも、わしのことはご存知だろう」と不遜な言葉を吐き、とうとう「ご存知」を手前看板にした逸話の持ち主である。

 語りの口調も聴衆を小馬鹿にしたような、ぞんざいなベランメエ口調を押し通した。高慢チキな態度が鼻もちならない、と敬遠する人たちも少なくない。ご当人は、深川木場の材木商若旦那の出が、河原乞食風情に成り下がったわが身に、コンプレックスを感じていたのではなかろうか。

 CDでも人気の三亀松三味線芸

 

250 天は人の上に人を乗せて人を作る

 

天は人の上に人を乗せて人を作る。

──昭和三十年頃に早稲田大学の男子トイレにあった落書き

&『日本人の笑い』暉峻康隆著

「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」で始まる福沢諭吉『学問ノススメ』のパロディである。慶応義塾創設者の言辞を対抗(ライ)学府(バル)の早稲田の学生が(おとし)めたという点で、なかなか皮肉である

よく知られた歌句詞章は思想や文章のお手本であると同時に、捩りを生み出す母体でもある。パロディには借辞の傑作も少なくない。掲出の落書きも言いえて妙だ。人づくりの発想を百八十度転換させ、下半身行為に擬した点はいささか安易にすぎたが、大人なら捩りの内容がピンときてニヤリとすること請け合い。

トイレは尻をまくってさらけ出す密室という点で、その方面のミニコミ的ウンチクを傾けたケツ作にお目にかかることが多い。荻生もいくつか実地見聞(淫声も含めて)があるが、なかでもグランプリ物は、昭和三十五年頃だったろうか、日本橋詰公衆便所男子用の壁面にあった次の一文句である。

 貞女、モノの大小を知れ!

 屁理屈づくめの落書きは落第もの

 

251 女に騙されてもたかだか一〇〇万円くらい

──佐藤和三郎

女に騙されてもたかだか一〇〇万円くらい。面倒を見るとなると、そっちの方がよほど金がかかるよ。

&『相場師列伝』東洋経済編

佐藤和(さとうわ)三郎(さぶろう)(190280)は相場師。獅子文六の小説『大番』の主人公ギューちゃん。

角栄さんは政治屋、ギューちゃんは株屋、ともに尋常小出の立志伝中の人物である。

 『大番』上、獅子文六著

 獅子文六の兜町小説『大番』で、和三郎は主人公「ギューちゃん」の愛称をもつ仕手戦の怪物として登場した。小説のネタにされたくらいだから、他人が覗いても興味津々の生活を送っていた。女性との交渉の(くだり)も面白いエピソードで飾られている。たとえばった水商売の女がると、目の前に万円(昭和二十年代に)の札束を置いて脱がさせてしまう。そのやり方がドライでケレンがないから、逆に女にモテる。いや、金離れの魅力でモテさせたのだ。

女は囲うよりも一発のほうが安上がり、という発想も、相場師らしい即物主義に徹している。相場師は俗物の塊りのようなものだから、えてして女好きが多い。和三郎も面倒を見た女は十三人に及んだとか。場当り同衾や一夜妻まで含めると大変な数だろう。色事の仕手にかけても凄腕であった。

 

252 赤穂へ来たら大石神社の前に土下座させる

吉良と赤穂と、どっちが良いかということは、すでに歴史上明白になっている。それをいまだに上野介を名君だと尊敬している吉良町の青年を赤穂へ呼んで交歓会などやる必要はない。もし赤穂へ来たならば、大石神社の社前に土下座させ、浅野公始め四十七義士に悪うございました、と謝らせてやる。

──昭和三十三年五月十一日付赤穂市地元紙の記事で、大石神社神官の発言。

&『大石内蔵助の素顔』飯尾精著

世にあまねく喧伝されている忠臣蔵のせいで、兵庫県赤穂市と愛知県吉良町は二百数十年ものあいだ仇敵関係にある。しかしこういう対立関係は時代の流れに沿わないとして、両市町の青年有志が訪問交歓会を催し、過去のことは水に流そうと話し合った。

昭和三十三年五月、吉良町の青年団一行が赤穂市を訪問。その模様を『神戸新聞』も報道、「反目を水に流して/吉良町青年団員/赤穂で楽しく交歓」とエールを送った。

ところが仲直り寸前、この快挙に水を差すヘソ曲がりがしゃしゃり出た。大石神社の飯尾宮司(出典著者とは別人)とやらが掲出の問題発言をやらかしたのである。後日になるが、地元某紙の記事はこう結んでいる。

 交歓会は失敗に終わった。彼らは再び赤穂へくるまい。(中略)吉良町の青年は赤穂へ来て屈辱感を抱いて帰っていった。しかもこれによって赤穂市は、その狭量と、その頑迷さで天下に恥をさらしたのである。

 碑文〔平成六年に建立のもの〕抑えた献辞の行間に吉良町の人たちのほとばしる無念がかがえる

 

253 茹でたらうまそうな赤ン坊

茹でたらうまそうな赤ン坊だよ  

──昭和三十三年、十四代川柳作

&『川柳総合辞典』尾藤三柳編

*十四代川柳こと根岸(ねぎし)(えい)(りゆう)(18881977)は川柳作者。昭和二十三年に十四代を継ぐ。

見て不快。これは川柳でなく狂気の断章である。猟奇的(ブラック)戯言(ユーモア)ともいえまい

一つ、発想と視点が正気でない。本人は赤ん坊の可愛らしさを強調したつもりなのだろうが、「茹でたら」というサディスティックな禁句と結びついて、読者の嫌悪感を助長するだけだ。

二つ、定形律の妙をぶち壊している。五七五のリズムを無視したものは川柳とはいえない。我流の趣くまま定形を破った時点で、川柳を逸脱した文章のカケラに成りさがった。

以上の二点で、この文字列(と、あえていう)は奇を(てら)いすぎた低次元醜作に堕ちてしまったのである。

 初代川柳の肖像と『柳多留』二四編元本

作者は昭和二十三年に十四代川柳に就いた。六十歳頃から定形を破りだしたと伝にある。他作は知らないが、それ以前の作も推して知るべしだ。柳祖の柄井(からい)川柳の道統をしっかりと守らなくてはならない立場にあるが、自らの手で川柳を冒涜してしまった。その意味で十四代は、弁解の余地のない、川柳一統恥さらしであった。

 

254 二号を女優にしたまでだ

──大蔵貢の発言

女優を二号にしたのではない、二号を女優にしたまでだ。

昭和三十四年?新東宝の大蔵社長、看板女優とのスキャンダル発覚の弁

大蔵(おおくら) (みつぎ)(18991978)は映画企業家。実質的に新東宝のオーナー社長。

大蔵は巨額の赤字を抱えた新東宝の社長に就任後、文芸路線から大衆娯楽路線へと戦略を切り替え、同社の経営を安定させた。そのワンマンぶりは伝説にもなり、何人かの女優にも手を出している。

作品中、天皇を主役に据えるという横紙破りな映画「明治天皇と日露大戦争」は大ヒットを飛ばし、新東宝をまたもや潤させた。そのときの主演女優が高倉みゆき(1934)である。娘の年ほどの美人女優が妾とわかってマスコミが騒いだとき、大蔵は掲出の迷言を吐きそれがいっそう喧伝された。

 米国大統領のケースとはちがい、映画界のスキャンダルなど銀幕を飾る仇花のようなものだ。俳優連中は落ち目になると派手に浮気をやらかし、マスコミや芸能雀に書きたててもらう。逆宣伝だろうが何だろうが人気が回復できれば満足なのだ。

その高倉に戻るが昭和三十四年、新東宝『貞操の嵐』に出演、ヒロインを演じた。なんとも人を食った話だ。

 高倉みゆき

 

255 可愛や男に植ゑられて

──瞽女唄

 瞽女(ごぜ)とは、かつて三味線を弾きながら俗謡を歌い銭を乞うた盲目の女をさす。

瞽女の発祥は中世にさかのぼる。江戸時代に盛んになり、新潟や九州など地方によっては近代まで存続した。

彼女らの身の上は、「語るも涙」そのものの悲劇であった。諸国流れの女の一人旅のこと、まして目が不自由。強姦や輪姦の被害は日常茶飯事で、瞽女の多くは身を持ち崩し、あげくに道中淫売に堕ちた。

♪可愛や男に植ゑられて、こやしくれ〳〵そだてられ、やうやくせいじんしたなれば、くはやまんのにおこされて、ごり〳〵とおんもまれ、みかいの中にとあげられて、まないたそーぞにのせられて、うすばや庖丁手にかかる。なべの中にとりいれられて、上からぴんとふたをされ、下から、どん〳〵火をたかし、可愛や、おたまにすくはれて、あかわん舟にといれられて、白はしりやうどにはさまれて、口の中にといれられて。べろの車にのせられて。奥ばの茶屋へとこしよかけて、のどの三寸くぐるとき、つらいや、かなしや。

北葛飾のごぜ唄〔武蔵国北葛飾郡〕、&『俚謡集拾遺』

 女体を食い物に託した唄なのはわかるが、きわどくも官能的な詞である。うらふ

れた女芸人が唄うだけに同情を禁じ得ないやりきれなさが残る。

 

 

新潟・出湯温泉街を流し行く瞽女(昭和三五年)〔「瞽女唄のこと」萱森直子さんのホームページより〕

 

256 (欲望づくりの金科玉条)

もっと使用させろ。/二、捨てさせろ。/三、ムダ使いさせろ。/四、季節を忘れさせろ。/五、贈りものにさせろ。/六、コンビナートで使わせろ。/七、キッカケを投じろ。/八、流行遅れにさせろ。/九、気安く買わせろ。/十、混乱をつくりだせ。

──電通の社内則「戦略十訓」

広告会社最大手の電通には、銀座本社時代、吉田元社長が垂れたという「戦略十訓」なる金科玉条が残されている。

いわば電通の憲法のようなもので、マーケティングの専門家林周二教授の「欲望づくりの戦略10則」をベースに昭和三十年代の制定なった。ただし、さすがに露骨すぎて面映ゆいのだろう、同社の最新社史からは外されている。

これは広告業界の舞台裏をさらけ出したような社内則である。経済成長期をトントン拍子に登りつつあったわが国では、この頃消費者パワーが底力を示し始めていた。広告界は「消費者は王様」とか言って持ち上げておき、より欲しいものを一つでも多く買わせるための、浪費促進戦略を打ち出していた。その結果、こんな状況が創出されている。

 団地の《競争病》を巡って/「隣が買えば…」の心理/画一化に不安と反省の声(『朝日新聞』昭和四十年六月)

明らかに見栄と欲望に踊らされた不健全社会の病状だ。広告を創る側も調子良すぎる広告を作って、得トクとしていた。往時は筆生、その孫請け会社の端クレ社員であったことに恥ずかしい気もする。

 「生意気の吹き溜まり」との陰口も聞かれる電通本社ビル

 

257 乗用車を乗り回す連中の車を盗むどこが悪い

──車両盗取犯の手帳メモより

飯が食えない連中がいるのに、乗用車を乗り回している奴がいるのはどういうわけだ。そんな連中の車を盗んだところで、何が悪い。

&『昭和ドロボー世相史』奥田博昭著

昭和三十六年元日、住所不定、無職、前科一犯の三十五歳の男が、東京都港区に駐車中の乗用車からカメラを盗もうとして、パトロール中の警官に現行犯で逮捕された。署で取り調べたところ、犯人のポケットから「泥棒哲学」ともいえるメモを記したノートが出てきた。掲出はその一部である。

当時は現在のように自動車飽和時代とちがい、マイカーにはそれなりの資産価値があって、乗用車ドロも跋扈(ばつこ)していた。マイカー所有者は、経済的に余裕のある証拠で、まだまだ地位象徴(ステータスシンボル)の具であった。田舎道でき上げながら走っているのを見ると、「田吾作めが生意気に車なんか乗りやがって」とボヤいたりした

この泥棒の場合、富める者への反発が主動機だ。普通なら自分を抑えられるのに、この男はブレーキが効かなくなり、手が車へとアクセルしてしまう。盗人にも三分の理、「何が悪い」に不公平社会への開き直りが感じられる。

 車泥棒のイラスト〔PIXTAより〕

 

258 ドライクリーニング屋だからドライ

──大関若羽黒

家がドライクリーニング屋だからドライなのさ。

&『相撲風雲児列伝』石井代蔵著

(わか)羽黒(はぐろ)()(あき)(193469)は立浪部屋の力士で元大関。向こう見ずな言動で不評をかった。

稽古嫌い。派手なアロハシャツ姿で闊歩する。付合い酒を飲まない。魚のチャンコが大嫌いでビフテキが好物。取的(ふんどしかつぎ)を引き連れては温泉でドンチャン騒ぎに打ち興じる。自分のことをワシではなくボクという……。

こんなうちはまだよかった。同じ立浪の弟弟子で同年齢の安念山が親方に可愛がられると、ままよと部屋を飛び出し、面倒見のよい鳴門親方に身を寄せ、気分しだいでまた自分の部屋に戻るといった羽目の外しよう。立浪親方もとうにサジを投げていた。年寄衆も「ドライ坊や」と仇名を付け、無視することが多くなる。

 賜杯を手にする若羽黒

 しかし、とにかく強い。ろくに稽古もしないのに、若乃花・栃錦(ともに横綱)以外の者には傑出した成績を残している。前近代性・保守性を尊ぶ角界にとって、彼のアプレゲールぶりは鼻持ちならなかったのだ。一ファンから見ると、大衆ファンに嬉々と溶け込もうとする彼の姿勢は、むしろ好ましく映ったものだが…。

 

259 一四ヒマツオシス…インカンジ サンノコト

──昭和三十七年九月十四日、刑死者藤本松夫の家族宛に福岡刑務所から発信電文

一四ヒマツオシス 一五ヒ一二ジ マデ オイデ コウ キデ ンサシツカエノトキワ タノシンゾ クノカタニテモヨロシイ インカンジ サンノコト フクオカケイムシヨ

&『戦後死刑囚列伝』村野薫著

確定死刑囚藤本松夫(四〇)と死刑執行(九月十四日)の経緯については、出典を参照していただきたい。

問題にしたいのは、この電文にみる死刑囚家族への、あまりにも事務的かつ無機的な一片の通知である。現世に鬼というものが存在するなら、まさにその申し送り状のような気さえする。

一人の人間が死刑に処せられた。遺体の引取りを通知する。このさい懲罰とか人道云々論はさておこう。が、残された家族に罪はないのだし、悲しみと肩身の狭い思いに打ちひしがれていよう。そこで、温かな思いやりの心づかい、たとえば担当職員が遺族宅を訪問し、お悔やみかたがた事後手続きを知らせるのが礼儀ではないか。

 公開された死刑囚の食事〔東京拘置所〕

 こういう気配りが法務省の役人には欠如していた。亡くなったのは死刑囚という罪人、通知も簡略を旨とする電文だから致し方ない、などの言い訳は通用しない。なにが法治国家だ。死刑廃止是非論とは別次元の問題、今の世こうした法権力の酷薄がまかり通っている。恐ろしいことだ。

 

260 役人ごときに等級をつけられてたまるか

──宮島清次郎の大見得

男の仕事を役人ごときに等級をつけられてたまるか

どうしてそんなに勲章が嫌いなのかとある人に尋ねられて&『言いわけ読本』

*宮島清次郎(18791963)実業家、国策パルプ社長。

人件費やブリキ加工代が馬鹿にならない。勲章授与とか叙勲なんて制度自体が差別であり、しかも血税使い込みだ。こんなシロモノをやり取りするのは猿芝居。人を食い物にするサルどもが国民を勝手に評価し格付けする「猿の惑星」での仕草。なにが差別のない民主国家だ、笑わせるな。

愚察するに、見識において自分を超える役人など居ようはずがないと見た宮島は、受賞を三度も辞退している。頭書も義憤にかられて口にした言葉だろう。

この人ならずとも、心ある者は受賞などに関心をもたない。名誉欲に凝り固まった自分(なかみ)のない連中と一緒くたにされては迷惑だからだ。世に落第宰相といわれた福田赳夫や鈴木善幸ですら、デッカイ勲章をケツまくって断っている。人間としての良識まで失っていない証拠である

 胸のオモチャが見えねえかッ。

 不肖、金ピカ賞をもらえる器ではないが、同志が少なからずいるのは心強い。こうした愚民量産の悪弊は文明国の恥さらしであることを、役人どもは肝に銘じるべきだ。そうすれば毎年文化の日に行われる文化勲章の授章式など、馬鹿馬鹿しくてできなくなるはずである。

 

261 読売新聞を生かそうと殺そうとおれの勝手

──正力松太郎

読売新聞はおれがつくったもので、おれのものだ。それを生かそうと殺そうとおれの勝手だ。誰の干渉も許さん。

&『巨怪伝──正力松太郎と影武者たちの一世紀』佐野真一著

正力(しようりき)松太郎(まつたろう)(18851969)は警察畑出身で読売新聞社社長。

読売新聞は警視庁出身の正力を社長に迎えると、全国紙への夢を抱き、販売網拡張へ向けナリフリかまわない進攻を始めた。昭和三十九年当時、読売にはまだ名古屋と九州に支社がなかった。正力は九州進出を主張したが、片腕の取締役(のち会長)()(たい)光雄は、名古屋設置を譲らない。そのさい正力は掲出のようなバクダンを落としたのである

正力のワンマンぶりはすさまじいの一語に尽きる。彼の意にそぐわない社員や記者はどんどんクビになり、集金の不正着服をした社員を司直の手に渡し、徹底的に罪を暴いた。そのため自殺者まで出ている。近時、エゲツないことで悪評のかの定期購読者拡張戦法も、大半が正力の考え出したものである。

正力時代の読売は、「社会の木鐸(ぼくたく)である新聞」という姿勢を欠いていた。巨人軍が勝った時のお祭騒ぎは狂気じみていた。野球に関心のない読者は大損をさせられた気分になり、読売離れした家庭も少なくない。

業界紙がブラックリストに載せた不良拡張員。これとて新聞各社本家の工作があり、胡散臭さプンプンだ。