6.「比喩」のテクニック

 

 

「比喩」または「譬え」とは、表現の幅を広げたり、単調な表現に流れるのを防ぐために、キーワードを類似する他の言葉に置き換えて喩える言語操作のことです。

 

この言葉の狙いは、抽象的で理解しにくい事柄を解き明かす場合に、メッセージの受け手が周知している物事を借りてきて、それを連想になぞらえ表現することにあります。

 

この文彩の特徴は、目的に応じたパターンが多彩なことで、ときには高度な間接的表現技術が要求されます。テクニック間の比較差異という点でも難解であるため、それぞれの内容を理解しやすいように、この比喩のテクニックでは「猫を材にした用例」シリーズに仕立てました。

 

 

 6.「比喩」のテクニック                   

 

  6-01 猫を材にした用例①直の喩え             

 

  6-02 猫を材にした用例②暗示の喩え            

 

  6-03 猫を材にした用例③結びつけの喩え          

 

  6-04 猫を材にした用例④類推の喩え            

 

6-05 猫を材にした用例⑤仮託の喩え            

 

6-06 猫を材にした用例⑥活写の喩え            

 

6-07 猫を材にした用例⑦大げさな喩え           

 

6-08 猫を材にした用例⑧乱れの喩え            

 

6-09 猫を材にした用例⑨シンボル             

 

 

6-01 猫を材にした用例①直の喩え

 

 

♥猫のからだはゴム鞠だ♥

 

  高い塀から跳び降りる。

  すいと着地。ひと跳ねして

転がるように去っていく。

  何事もなかったような顔で

  猫のからだはゴム鞠だ

 

猫の柔軟性に富んだ動きをゴム鞠になぞらえた断章です。

 

喩えるものと喩えられるものとを直接結び付けて明示する技法を、文彩で〈直の喩え〉レトリックで〈直喩法〉といいます。一般に「…に似て」「…のように」「まるで…のごとくに」といった修飾語(副詞句)を伴って用いられます。

 

例文中、下線を施した3行それぞれが直の喩え。「転がるように」は猫の動作の喩え、「何事もなかったかのような顔で」は猫の様子の印象、「猫のからだは(まるで)ゴム鞠(のよう)だ」は猫をゴム鞠に喩えた表現で、2箇所( )内の語が省略された形になっています。

 

直の喩えは比喩の技法の基本であり、メッセージを安直に比喩できるためいたるところで使われています。使いすぎると装飾過剰で文意がだらけ、言いたいことの核心がぼやけてしまい

 

ます。そこで構文や文末の変化を工夫し、主題から逸脱しないよう、言葉が独り歩きしないよう、表現に気を付けましょう。

 

 

6-02 猫を材にした用例②暗示の喩え

 

 

♥猫は小判に目がくらまない♥

 

  猫というやつは

  のらりくらりしているようで

  芯はシッカリ者。

  あんな飼い主と違って

  猫は小判に目がくらまない。

 

俗に「猫に小判」といって、取り合わせがチグハグなことを喩えています。この俗諺を転化させ、猫は小判ごときに目もくれない、という真理の暗示に擦り替えました。さらに、この暗示を「あんな飼い主と違って」のフレーズで飼い主が金銭欲に目がくらんだ人物であることをほのめかしています。猫にも劣るとからかった、一種の人物戯評ですね。

 

喩えるもの()および喩えられるもの()との関係において、双方類似している概念に比較を託する技法を〈暗示の喩え〉と称しています。Xという物事を表すのに、それとは一見して関連の薄いYという物事を代用させる比喩です。たとえば「この寒さでアルコールに元気付けられた」といった場合、気力回復とアルコールとは直接結びつきませんが、人々の頭の中に潜むアルコール=酒、という想念の結びつきを借りて、暗示の喩えとして成り立ちます。

 

ここで暗示の喩えは、比喩すべき明確な対象を示していないため、それを比喩として機能させるためには、読み手がXとYとの関連性(類似性の共通した見立て)をしっかり認識できることが前提になります。ということは、書き手の暗示の喩えに対する表現技術の適性が求められるのです。

 

この文彩、相手に通用しないことを「馬の耳に念仏」といったり、うますぎる話を「棚から牡丹餅」に喩えるなど、金言や寸鉄、詩歌などでもてはやされています。

 

 

6-03 猫を材にした用例③結び付けの喩え

 

 

♥猫の首に鈴を付けに行く鼠♥

 

社長のワンマン体制を批判したSさんは

案の定、解雇を申し渡されました。

いきりたったSさんは「こうなったら

直談判しかない」と部屋を出て行く。

その後姿は

猫の首に鈴を付けに行く鼠でした。

 

 

複数の物事同士に共通する性質や現象などに関連付けて互いに結びつき喩えあう技法を、文彩で〈結び付けの喩え〉レトリックで〈提喩法〉といいます。いわばXという物事を言い表すのに、それとは意味の上で重なり合う部分をもつYという物事を代用する比喩です。ここでいう重なり合う部分とは、類をもって種を、あるいは種をもって類を表す対象範囲内での関係を指します。

 

文彩は例文の「猫の首に鈴を付けにいく鼠」が該当します。猫と鼠は食うもの・食われるものという関係にあり、弱肉の鼠が強食の猫に立ち向かっていくという、失敗が目に見えている頼りない状況を説明しています。

 

似たような例を挙げますと、黒めがねに黒いスーツ、鋭い目つきのお兄さんなら「ヤクザ者」、傍目も円満な夫婦なら「おしどりの仲」など、下記のように、ことわざや慣用句にたくさん見つけることができます。→以下は比喩を構成する抽象的な事柄の意味。

 蛙の子は蛙→持って生まれた性

 トンビがタカを生む→常識破りな事柄

 腐っても鯛→身に付いた品格

 サルも木から落ちる→意外な現

 鳥なき里のコウモリ→もてはされる例

 

 

6-04 猫を材にした用例④類推の喩え

 

 

♥猫から見たヒトは四季が恋シーズン♥

 

  猫があざ笑っていますよ

  ヒトは四季がサカリのシーズンだ、

    とね。

 

伝えたい本意()は隠しておき喩え()だけ挙げておいて、その喩えを通じて受け手に本意を悟らせる技法を、文彩で〈類推の喩え〉レトリックで〈転喩法〉といいます。互いに遊離しているXとYとを結びつける拠り所となるのは連想の働きです。

 

上例の場合、主役である猫()は春だけが恋の季節。なのに猫から見た人間ども()は四季を通してサカリが付いている、とあざ笑っているのです。そして読み手を「ヒトは四季が恋の季節」という発想逆転の立場に立たせることで、ユーモラスな擬人化であることを悟ってもらうことになります。

 

 

もう一例を通して、理解を深めましょう。

  古い日記より  (荻生作)

 某月某日 土手ッ淵をあそこ此処とさ迷い歩き、糸をたらしてみたが当たりはほとんどなく、坊主で帰る始末。一昨日の大雨にしてやられた。そのうえ出がけに山の神に逆らったのがいけなかった。

この文章では、釣りに出かけたが釣果はゼロ(坊主)で戻ったこと、出がけに夫婦喧嘩をやらかしたことが書いてあります。文中、「釣り」と「夫婦喧嘩」とは一言も書いてありませんが、文脈に仕掛けた類推の喩えから、読み手は何のことかを理解します。

 

 

6-05 猫を材にした用例⑤仮託の喩え

 

 

♥巴里では猫までおしゃれ♥

 

 猫好きな画家、藤田嗣治はいう

 「巴里では猫までおしゃれだ」

 

 

一文中に気の利いた比喩をそれとなく挿入し、そこから喩えられているものを推測させる技法を、文彩で〈仮託の喩え〉レトリックで〈諷喩法〉といいます。

 

一般に道徳的なこと、宗教や思想の観念、感情の発露などは抽象的で、表現するのに扱いにくいものの右翼です。これらの内容を読み手に理解してもらうには、より具体的で卑近な喩えを提供するに限ります。この文彩テクニックが仮託の喩えです。

 

手法としては、文字通りの意味ならびに比喩上の意味という二面性をそなえています。たとえば上掲「 」内の短文(出典失念も、藤田画伯の随筆からの引用)に接した読者は、「巴里」の2文字を拾っただけで、本来のフランス首都であるパリのほかに、もう一つ、パリは世界的なファッションとおしゃれで代表される街、というイメージを描きます。そしてこれを背景に、ペットに過ぎない猫までこの街ではおしゃれに染まっている、との仮託された想念を心に描くことになるのです。

 

 

6-06 猫を材にした用例⑥活写の喩え

 

 

♥吾輩は猫である。名前はまだ無い。♥

 

吾輩は猫である。名前はまだ無い。

われら猫族に「猫格」を与えてくれ

 漱石先生に感謝しなくては。

 

人格、知性、感情などを持たない生物や物体などをあたかもそれらを持ち合わせているかのように見立てて喩える技法を、文彩で〈活写の喩え〉レトリックで〈活喩法〉といいます。野獣や家畜、ペット、無生物等を人間同様の高等生物に見立てた場合も、このカテゴリーに入ります。

 

慣用句になっている「草木も眠る丑三つ時」「怒り狂う波浪」などもこれに該当し、別に述べた〈擬人化〉の類似テクニックとみなせます。

 

例に挙げた断章中での「 」は夏目漱石『吾輩は猫である』からの引きで、猫に人並みに物を言わせた名篇。実は人が描いた猫世界への思い入れを活写した作品ですが、猫に託しワンクッション置いた作者の思想や主張が描かれている点で、〈仮託の喩え〉ともみなすことができます。

 

 

作詞や童謡の歌詞にもたくさん見える手法です。その代表的な例を1篇掲げます。

     大漁   金子みすゞ

  朝焼小焼だ/大漁(たいりよう)

  大羽(おおば)(いわし)の/大漁だ

  浜は祭りの/やうだけど

  海のなかでは/何万の

  鰮のとむらひ/するだらう。

 

 

6-07 猫を材にした用例⑦大げさな喩え

 

 

♥怪猫は…真っ赤な口を開き♥

 

怪猫は耳まで裂けた真っ赤な口を開き、

呪いの妖気を吐き出した。

「犬公方め、末代まで祟りやるぞえ」

 

 

アンダーライン部分は、講談調の表現を借りた大げさな喩え。

 

文彩にいう〈大げさな喩え〉レトリックの〈張喩法〉は、喩えを例示して物事を大仰に表現する技法です。ただしこの文彩で、誇張とするか常態とするかの見極めは面倒です。書き手の主観的な判断にゆだねるしかありません。上記のアンダーライン部表現についても、慣用上の常套句に過ぎない、という意見もありましょう。

 

結論として、大げさな喩えの目的は、現実の些細さと表現上の誇張との落差をもってインパクトを強めることにあります。どっちみち張ったりと見抜かれるのがオチで、軽薄感は払拭できません。

 

さて、講談じみた誇張はお呼びでないから現代的メッセージ例を、という方に左党から1例を呈します。

 ♥二日酔いをボヤく友への嫌味

 

 なんだ、二日酔くらいでまいってるの?

 俺なんか、浴びるほど飲み明かし、

 三日は持たせるよ。

 

 

6-08 猫を材にした用例⑧乱れの喩え

 

 

♥猫を紙袋に押し込んで…♥

 

 ♪…猫を紙袋(かんぶくろ)に押し込んで

 ポンと蹴りや ニャンと鳴く

それって、動物虐待じゃないですか。

(大の猫好きより)

 

 

引用部分は童謡「山寺」の一節です。作詞者(桂新吾)は、おそらく猫いじめなどという意識はなく、ただ単に節回しの面白さを演出するために創作したのだと思います。それをある猫好きが例に引いて動物虐待だと抗議する、という文面に仕立てみました。いわばどうでもいいような独断的なことを物言いの槍玉に挙げているわけですね。

 

このように、感覚適性を欠いたり論理上の矛盾を抱えた喩えを用いて目立たせる技法を文彩で〈乱れの喩え〉レトリックで〈濫喩法〉といいます。

 

比喩を用いての飛躍した表現の多くは乱れの喩えに属します。これは用例の位置取りや文章の長短など、引例そのものの適切さを欠くと、かえって何を言っているのか読者はわからなくなります。やさしいようでなかなか難しい技法といえます。

 

ついでながら、例示の歌詞は江戸時代の俗謡「ポンニャン節」のうち次の一節が元歌なっています。

 ♪山寺の和尚さんは鞠は蹴りたし鞠はなし

              猫を(ちやん)(ぶくろ)にどし込んで、

              ポンと蹴りやニヤンと鳴く

              ニヤンニヤンと鳴きや山寺の。…

これは江戸時代の俗謡「ポンニャン節」をもとに明治初期、京都の落語家桂新吾が歌詞を改作したもので、新京極の寄席で広めました。ま、落語のネタになる程度の、歌詞自体にあまり意味のないナンセンス歌謡なのです。

 

 

6-09 猫を材にした用例⑨シンボル

 

 

♥「猫イラズ」と名づけた♥

 

         殺鼠剤を「猫イラズ」と名付けため

         昔の猫たちは怒ったものだ。

         今の猫どもはニャンとも言わない。

         過保護とペットフードのせいで

         狩りの本能をなくしてしまったから。

 

 

昔の猫は怒ったかも知れませんが、「猫イラズ」という商品名はまさに殺鼠剤にぴったりのネーミングです。

 

ある物事を代表するような別の物事を主役に扱う比喩の技法を〈シンボル、symbol〉和訳して〈象徴〉といっています。いわば暗示作用を仲介とした別の見立て言葉です。たとえば「天皇は日本国の象徴である」での天皇⇔日本国、「鳩は平和のシンボル」での鳩⇔平和、という関係を指します。

 

例文の場合、「猫イラズ」が殺鼠剤のシンボル。シンボルであることが広く認識されるには、誰もが知っているという要件が必須ですが、応時の猫イラズはあまねく普及していました。ですから薬局へ行ってもたいていの人は「猫イラズください」と注文し、殺鼠剤なんて口にしませんでした。

 

主役が猫から狐へと代わりますが、内田百閒という随筆の名手は『百鬼園日記』の中で、狐の大好物である油揚をそれとなくシンボル化して描いています。

 大正七年八月十二日午後 

 婆やんが、かうして油揚を置いて、後を向いて見ると、

 そのまにもう御狐様が食べて御ざいしやると云つた。