ステップ5 狂詠テクニック「狂歌の遊び」

 

 

狂歌は「言葉遊び」ならびに「文彩技法」の宝庫です。この双方のテクニックを用いてない狂歌などありえません。

すなわち狂歌は、自体が遊びに徹した文芸なのです。

だから「狂歌の遊び」とするのは和菓子屋で「(あん)の入った饅頭をくれ」というようなもの。しかも狂歌という名の餡は、庶民好みのコッテリ甘い粒餡でして。俳諧歌のようにお品の良い、だがどこか物足りない漉餡にあらず。遊びの中身がチト違うのです。

安物の饅頭を食い散らし番茶をがぶ飲みする。狂歌も即興で読みちらし、詠んではポイポイと捨て去る。これが天明(1781~1789)頃までの狂歌作りでした。ことに安物の饅頭、でない狂歌なら、屑籠へ放り込んでも惜しくはありません。こうしたことを承知のうえで、あえて「狂歌の遊び」という見出しをつけました。とにかく花酒爺、狂歌には「言葉遊びの終着文芸なり」との思い入れを抱いているため、他とは別して独立ステップとしたしだいです。

以下、言葉遊びの展開法を軸に用例を主題ごとに整理してみました。ちなみにステップ4までに掲げた見出し詠は、注意して見ると、至る所に狂詠テクニックが披露されているのにお気づきになるはずです。

だからといって、新狂歌において、言葉遊びをとくに意識して取り入れる必要はありません。言葉遊びの知識や技術は習作を重ねていくうち自然と身につくもので、技法を知っていれば有利、というだけのこと。それよりも入門時は素直に作ることを第一に心がけてください。

*このステップでは見出し詠を省きます。ちなみに作品集「記念日漫遊狂歌」において、さまざまなテクニックを実作に反映させてありますので、折に触れ参照してください。

 

折句 おりく

和歌、狂歌、俳句等の各(かんむり)((かしら))ほか特定の箇所に配置された音をつづり合わせると、それだけで意味のある語句となるものを〈折句〉といいます。

折句にはいくつか形態がありますが、単詠の狂歌で用いられるのは毎句冠折句、毎句(くつ)(かんむり)折句の二つが主流です。

●毎句冠折句

 折り込む語句(隠句(いんく)」という)を五七五七七の各句頭に冠したものを〈毎句冠折句〉といいます。

いくよもち                

           藤本(ゆう)( )

かい事はるゝ物じやい風味のもいはずにぎり〳〵(万載狂歌集・雑体、傍線は荻生)

「五行の漢字」入り

                          星屋光(ほしやのみつ)(つ )

のなるのおふるもたぬ身はに入に入てかせかん(同右・巻十五、傍線は荻生) 

*この一首、毎句冠折句では変則的で、(ものの)名歌(なうた)あるいは名寄歌とみなすこともできる。

●毎句沓折句

 折り込む語句(隠句) を五七五七七の各句(くつ)(())に配したものを〈毎句沓折句〉といいます。句尾という目立たない箇所に置かれているため、毎句冠折句に比べ暗号性が高いのが特徴です。

かきつばた               

籬島

尋ねし花のむらさ今はさめその跡見れみな麦のは(出典失念、傍線は荻生) 

*作者が三河国八橋を訪れたとき、業平の古跡「から衣ききつつ馴れにしつましあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ」の毎句冠折句をしのんで詠じた狂歌。

「庭の石」踏む五種(いつくさ)を 

荻生作

 言の葉履かすとたまげたかつこつくめはだしわら

 *傍点は「にはのいし」の沓折句、傍線はそれを踏む五種の折込み。わらし=童子・草鞋。掛詞(かけことば)と縁語を照応させ、さらに秀句(洒落言葉)で結んだ。このような場合、読みは旧新「にはのいし」「にわのいし」どちらであっても許容範囲にある。

●毎句沓冠折句

 折り込む語句(隠句)を五七五七七各句の冠()および沓()に置いたものを〈毎句沓冠折句〉といいます。

 三十一音中十音が定置の制約を受けるため、毎句冠折句に比べ創作難度の高いのが特徴で、そのため通信の暗号性は一段と増します。

貞徳と長嘯子(ちようしようし)の沓冠やり取り

 *松永貞徳(15711653)は歌人、俳人、連歌師。木下長嘯子(15691649)は小浜城主から歌詠みに転向した異才。二人とも細川幽斎の高弟同士であり、親交も厚かった。某日、貞徳は長嘯子に(ちまき)5把を贈り、案内かたがた次の一首を添えた。

()かきや()()がはぬすま()()きなが()()ととひもせ()()るぞすぐ(10)(算用数字は荻生)

  と、沓冠で「ちまき()()まいらする」を告げた。贈り物に長嘯子答えて、

 ()()()たなほあか()()きたき()()れや初音()()つほととぎ(10)(算用数字は荻生)

と、「ちまき五把もてはやす」の返礼をしている。

(ともに長嘯子家集『挙白集』巻五)

 月思往事 木下長嘯子 『集外三十六歌仙』

  世々の人の月はながめしかたみぞとおもへばおもへぬるゝ袖かな

 

折込 おりこみ

固有名詞または一般名詞を歌俳中にそのままの形で折り込み意味の通る歌体にする技法を〈折込〉といいます。

折込は言語遊戯中でも最も単純な形態に属するだけに、普通は縁語関係にある複数の語句を織り込むとか、畳語仕立にするなど、技巧を高度化して用います。

●古典より折込二首

  弁慶石                                 盤斎法師

やせ法師弁慶石にせいひくしみこし入道くらべさせばや(万載狂歌集・巻十四) 

*傍線は荻生、折込詞の縁語。

  淡雪豆腐                                 足曳山町

俤はなら茶にのこるあは雪の豆腐も口に消やすくして(狂言鴬蛙集・巻十六) 

*この程度の詞崩しは許容範囲内である。

●詞の分割折込

ハローワーク

荻生作

日は高し仕事あぶれの吹き溜りハローばかりでワーク聞かれず

 

借辞狂歌 しゃくじきょうか

詞章中によく知られた文言、字句を取り込んで意味を整える技術を広く「借辞」といっています。普通は地の文にそれとなく挿入し、別に〈文句取り〉ともいっています。

借辞はもともと修辞用語であるが、今ではかなり一般化し、系統別用例もおびただしく多いのです。これの生かし方一つで面白い作品に仕上がります。

狂歌も和歌同様に、借辞では本歌取りが軸になり、用例はおびただしく多く存在します。

●漢詩句「春宵一刻値千金」より                                       一之(いつし) 

春の日のくれかねるこそ道理なれ月しろものゝあたへ千金(万載狂歌集・巻二) 俗称「真乳山歓喜天」より

あけら菅江

わに口をならせはまつち山彦にこたへてひゝくくはん〳〵き天(万載狂歌集・巻十六)

 *歓喜天は江戸浅草観音北の聖天宮をさし、夫婦和合のご本尊。

 唐来参和(とうらいさんな) 『吾妻曲狂歌文庫』

  ない袖のふられぬ身にハゆるせかし七夕つめの物きぼしでも *第一・第二句は里諺「無い袖は触れぬ」からの借辞。

 

人名狂歌 ひとのなきょうか/じんめいきょうか

単独または複数の人名を織り込んで詠む技法を人名歌といいます。

おもに人物批評の手段として古くから用いられ、狂歌では〈人名狂歌〉と称して、落首にきわだって多くみられます。

●古典狂歌より

  豊臣「秀頼」                       よみ人しらず

せめて世に命のあらば又も見ん秀頼様の花のかほばせ(大坂物語・上)

  団十郎に                                つぶり光

我等代々団十郎ひいきにて生国は花の江戸のまん中(狂歌才蔵集・巻十三) 

*歌舞伎役者の五代目市川団十郎は狂号を「花道(はなみちの)つらね」と称した狂歌師仲間でもあり、その名にちなんだ一首に詠みあげている。

和泉式部                                樋口関月

無遠慮に男はどうもゆかれまじ和泉式部のお開帳には(万載狂歌集・巻十五) 

*京都市中京区の誠心院は和泉式部の菩提寺で、同寺保存の秘物などを拝観させる恒例があった。「お開帳」は怪しからぬことに通じる洒落。

●落首より 

信長はいまみてあらや飯羽間城を明智とつげのくし原(甲陽軍鑑・五一)

田沼れて薬を盛るが馬鹿林たつた三日でさじのかきあげ(田沼狂書)

仕置立せずとも御代は松平ここに伊豆とも死出の供せよ(落首類纂)

 

人名寄 ひとのなよせ

「名寄」は、人名をはじめ鳥名、魚名などほとんど名詞でつづる句や文章のこと。人名や物事尽しを一段と物名化、固有名詞化した遊びです。名寄の短句としてよく知られているものに、

酒さめたら来い

があります。このなかに鮭、鮫、鱈、鯉の四種の魚名が入り、、他に一字たりとも付け足しがありません。長文の場合は、語呂や綾の点で多少の許容が認められています。

〈人名名寄〉はもちろん人名に限定した名寄です。

●伝説古名の折込

すみだ川こきゆく舟の名をとはゞ梅若丸といふべかりけり (万載狂歌集巻十四)

 *謡曲「隅田川」より伝わる伝説。比叡山の稚児梅若丸が東国へ下り隅田川へ入水するまでの悲運が謡われる。この伝えを踏まえ主人公の名を織り込んだ一首である。

●吉原遊女名の折込

〔江戸町一丁目左側玉屋山三郎内〕           鸖堂(かくかくどう)(がく)(すい )

     太夫 花紫

常盤なる松に契りて咲ふしの花むらさきやよににほふらん

     格子 尾上

うつすともえこそおよはめ香に匂ふおのへの梅の花のゑまひは

     格子 たち花

空高く匂ひをこめて霞たつ花は桜のよもにかくれぬ(以上『吉原評判 交代(はん)栄記(えいき)) 

*右掲は宝暦(1751~1764)頃の江戸吉原評判(見聞)記で、一三三名もの遊女名入り歌文で品定めされているものの内より抄出。

 八朔之図 歌川豊国画 元禄頃の吉原風俗

 

物名狂歌 もののなきょうか

 物名歌は和歌詠法の一つであり、動植物名、食品名、地名などで同類の呼称を複数折り込む技法です。物名はたいてい隠し詠みすることから、平安末期には「(かくし)(だい)」とも呼ばれていました。

 折り込む物(隠句)はあらかじめ指定され、それをいかに巧みに陰詠するかで技量の優劣が判定されます。しかも歌体がしっかり整っていなければならないから容易ではありません。

 物名歌は折句から派生したもの。両者の違いは、折句が各歌または各句の(かんむり)(くつ)に隠句を散し込みするのに対し、物名歌では名称そのものを詠み込みます。

独り和歌にとどまらず、狂歌においても物名は格好の詠材になっています。しょせん和歌の亜流にすぎませんが、遊びに徹することのできる強味がある分だけ〈物名狂歌〉は愉しめる部分が大きいといえましょう。

●単名の物名狂歌

  棚上牡丹餅                               (すずめの)酒盛(さかもり )

 牡丹もちを棚にあげはの蝶もこんかけしきなこは菜の花の色(徳和歌後万載集・巻十)

  はなをすり                             はし高身寄

かきごしに梅が香かほる春風ははなをすりてや吹かよふらん(同右・巻十三)

●複数名の物名狂歌

木の名六ツによせて恋のこころ

 蒲箔

君待つとよし告げずとも来る身ならはや飛べかしな更けすぎぬ間に(狂歌若葉集・下) 

*松、柘植、胡桃、楢、樫、杉の構成。

山手白人

こいしさはいかにますかとふくかぜのなさけきゝたいいなのさゝはら(徳和歌後万載集・巻十三) 

*鯉、鯖、烏賊、蟹、鱒、河豚、鮭、鯛、イナ、サワラの構成。

      (安政大地震の落首)

ゆりやんでついにはよしときくとてもつたなきとこにしばしねむらん

(江戸瓦版など) 

*百合、藺、葭、菊、藻、蔦、菜、芝、合歓、蘭の構成。

 山手白人(やまてのしろひと) 『吾妻曲狂歌文庫』

  中々になきたまならばとばかりにかけはたらるゝ盆のくりこと

 

掛詞 かけことば

 日本語がもつ同音異義の特性を生かし、一語に二以上の意味を含ませて語句を飾る技法を〈掛詞〉といいます。平安時代、和歌の文彩(修辞)にともない、異質な複数言葉の統辞を目的に創案されたものです。

 掛詞の手法を駆使すると、和歌や狂歌のある一語に複数の意味をもたせられるので、詠歌をより複雑に、かつ優美に仕上げることができます。たとえば四方赤良の作、

   くれ竹の世の人なみに松たてゝやふれ障子をは来にけり(万載狂歌集・巻一)

では傍線(荻生)の二箇所が掛詞になっていて、くれ竹は「暮の破れ障子の竹」と「新年の飾り松」に、は障子を「張る」にも言い掛けてあります。この二重の掛け合いによって言葉遊びとしての掛詞の妙味が十二分に発揮されています。

●古典狂歌の掛詞

元木あみ

芋をくひひるならぬよるの旅雲間の月をすかしてそみる(万載狂歌集・巻五) 

*傍線は荻生、互いに掛詞関係にある。

へつゝ東作 

そしてまたおまへいつきなさるの尻あかつきばかりうき物はなし(同右・巻十一) 

 飛塵馬蹄(とぶちりのばてい) 『吾妻曲狂歌文庫』

  をしなべてやまやまそむる紅葉々の朱にまじハれば赤松もあり *第四句で掛けられた赤松。赤松=吉原遊女「松の位」にも又掛け。「赤松」は遊女と交わるための男の道具をも意味する。

●平成狂歌の掛詞

  祖父を偲んで                                                             荻生作

おれの祖父(じい)さしみ芸者をつまとせり半端にゃ食えぬこの道楽は

 *刺身芸者は若くて生きのいい辰巳芸者をさす異称。私事の暴露も、この時代、坪内逍遥や山田美妙らも花柳の女を妻に迎えているように、粋筋請けは一種の流行現象であった。傍線の三語はそれぞれが同音異義をもつ掛詞であるとともに、次に述べる縁語同士の関係にもある。一見腰折れ歌風だが、上句と下句が倒置してあるため腰折れになっていない。

 

縁語付 えんごづけ

和歌など詞章の中で、掛詞等ある単語の仕掛けに照応して意味のつながりを強め、表現上の効果を高めるべく用いる語を〈縁語〉といいます。

 縁語は本来、和歌の文彩(修辞)法の一として、一首の歌をその主題から離すための技法に使われてきました。たとえば次の一首、

(おおし)河内躬(こうちのみ)(つね)

  梓弓はるたちしより年月の射るがごとくも思ほゆるかな(古今和歌集・巻一)

において、主題は早く過ぎ去る年月です。この場合、「はる(春・張る)」を際立たせるため「梓弓」という枕詞(まくらことば)を用い、さらに「梓弓張る」につながる「射るがごとくも」を比喩に照応させています。以上の「 」内の詞はいわゆる縁語の系を構成し、別の〔たちしより〕〔年月の〕〔思ほゆる〕の語群とは掛詞と被掛詞との関係を生じ、互いに言い掛けあっています。掛詞と縁語は、まさに縦糸と横糸のような密着関係で語同士が織り結ばれているのです。

 歌学用語であった縁語ですが、姉妹語の掛詞が「秀句」へと呼び名が移行したように、いつしか散文や曲詞などにも盛んに用いられるようになりました。つれて語義のほうも曖昧なものへと拡散し、拡大解釈されるようになったのです。

そして狂歌においては、掛詞と縁語とをわざとらしく結びつけ、おかしみを強調する〈縁語付〉という技法が定着しました。言葉を変えると、俳諧歌を一段と卑属化し狂歌仕立に装ううえで、縁語付は非常に重要な技法となったわけ。その証拠に、古典狂歌で縁語付は多用され、狂詠の必須文彩になっています。

●古典狂歌の縁語付

                       唐衣橘洲

下駄の音かんらからかさ玉ほこのみちがへ日和さすがはづかし(万載狂歌集・巻十四) 

*傍線は掛詞の系、傍点は縁語の系。ともに荻生が付す。                                    もとの木網

山姥がやまふところにそひふしそだつ一よふたよに竹の子(狂歌若葉集・上) 

*傍線部(荻生)は隠し言葉抱きの掛詞→縁語系で、それぞれ山姥→乳母、やまふところ→乳母のふところ、臥し→節、一夜→一節、二夜→二節といった複雑な言い掛け構成をなしている。

●新狂歌の縁語付

荻生作     

     禅寺で一発〔地口落入り〕

禅師様いっちょ揉もうか屁理問答けつかくさしで逃げるなよ、喝!

     お目出度いやらご愁傷やら

彼岸だのこの世あの世の通い道春は南無阿弥秋に御陀仏 

 

 

地口落狂歌 じぐちおちきょうか

地口落そのものは落語の落のうちひとつです。落語には十二種類ほどのオチがありますが、なかでも地口落が一番多く、人気の中心になっています。この地口落を狂歌に応用した遊びが〈地口落狂歌〉です。

●古典狂歌の地口落

藤本由己

夜目遠目けふりの中にみえさんすむかしはふかま今あさま山(万載狂歌集・巻十一)

あけら菅江

水はなのたれかはせきをせかさらん関はもとよりつよき谷風 (万載狂歌集・巻十五) 

*「谷風」は四代横綱の谷風梶之助にも掛ける。

辺越方人(へこしのかたうど) 『吾妻曲狂歌文庫』

  棹姫のお入とミえてむらさきの霞の幕をはるの山々 *第五句でオチ付け。

加保茶元成

なみならぬ用事のたんとよせくれば釣にいくまもあら忙しや(徳和歌後万載集・巻十)

*「あら忙しや」で結んだ茶利入り詠でもある。

 酒月米人(さかづきのこめんど) 『吾妻曲狂歌文庫』

  鶯の羽風もいとふばかりなりあんじすぎ田の梅の盛ハ

 

駄洒落狂歌 だじゃれきょうか

よく知られた語句を対象に、音の似通った別の言葉を当てて滑稽化する手法を「語呂合わせ」または「駄洒落」といっています。たとえば、

 焼いた魚になぜつま付けぬ←咲いた桜になぜ駒つなぐ(元句)

のような古典慣用句で、音の似通いを表したものがそれ。

〈駄洒落歌〉はこの語呂合わせを狂歌に用いたものをいいます。安易に使えることもあって、この手の狂歌は非常に多いのです。ただ、それだけでは妙味が薄いので、たいてい他の技法と抱き合わせて作ります。

語呂合わせは今も日常の言語生活に密着して用いられているので、少し突っ込んで述べてみましょう。

語呂合わせは(もじ)りとよく似ています。こちらは一字、一語の音通うんぬんよりも、全体的な文句の流れ具合(語呂)から元句が想起できることが条件付けられます。

大田南畝(四方赤良)も『仮名世説』上巻で「天明の頃、地口変じて語呂といふものなれり。語呂とは、ことばつゞきによりて、さもなき言のそれときこゆるなり」と、地口=語呂説を唱えています。しかし現時点で厳密にいうと、地口と語呂は微妙な点で異なります。

狭義の洒落である地口は、同音異義語を伴う弄辞を建前とします。これに対し語呂合わせのほうは類音異義語でも可とし、その分だけ通用範囲が広いわけ。このわずかな違いは、語呂合わせの背景となる時代のズレで生じました。

南畝の時代はまだ地口が盛んに通用し、語呂に世代交代したわけではありません。すなわち語呂は、地口から枝分かれした派生語にすぎなかった。これが近代から現代へと時代が下がるにつれて地口は死語化の道をたどり、語呂合わせだけが生き残る。こうなると、洒落た言葉の拠り所を求めて語呂合わせ自体の意義が膨らんでいきます。これは自然の成り行きですね。今日、俗に言う「駄洒落」つまり語呂合わせの用法範囲はきわめて広範にわたっているのがその証拠です。

ともあれ、語呂合わせは江戸弁、東京語がそなえる語勢の強さと歯切れの良さを生かすにはピッタリの用法。ために現代では語呂合わせラッシュの気味があり、言葉遊びの代表格になっています。

●古典狂歌に見る駄洒落

鵜柄仙口(うからのせんこう )

 なら漬はならに限らずいづくでも粕があるからなら漬といふ(徳和歌後万歳集・巻十)

*狂歌というよりは面白味に欠ける家庭歌といったところ。数ある中にはこのようなかすのような凡作もあるということである。 

                      世入道へまうし

又六が(かど)ごくらく聞くからにさかむにのいやたうとけれ(同右・巻十四) 

「サカ無二」は釈迦牟尼に酒無二の意のひっかけ。一休詠からの本歌取り。

                         (さか)(づきの)米人(こめんど)

 つねは口をたゝき大工もはつ恋はいひ出んことのこっぱづかしき(万載狂歌集・巻十一)

●新狂歌に見る駄洒落

                   ともに荻生作

    弊政の政界

金蠅も真っ青なりや金権にバッジくたかる族のウジ虫

    妻いじめ激増中とか

カカアしか殴れぬ腰抜け亭主ども敷かれて呵呵(かか)の俺を見習え

 

茶化酒狂歌 ちゃかしゅきょうか

 

〈茶化酒狂歌〉などという言葉遊び用語はなく、荻生の創作語です。酒や酒飲みを主題に語呂合わせを使って茶化した内容の狂歌、とでも定義しておきましょう。この詠には調子に乗りすぎ、という咎はありませんから、自由闊達に作ってください。

●茶化酒狂歌           

一休宗純

一覧し二覧で見れば三覧し四覧顔して五覧あそばせ(一休咄)

 *一休が盗み酒をしたおりに詠んだ一首と伝えられている。

                          唐衣橘洲

 

とかく世はよろこび(からす)酒のんで夜があけたかァ日がくれたかァ(狂歌若葉

集・)                                                  大田南畝

もゝとせも千よ万よも酒に酔ひ茶にうかされて過ん世中(巴人集)

洗々更

 女房をうまくだましてともかくも秋の夜長を陶然と酔ふ(般若湯・二部)

(たちばな)(あけ)()

 とくとくとたりくる酒の(なり)ひさご嬉しき音をさするものかな(志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集・巻二)

 橘曙覧 『千人万首』所収 慶応四年に越智通兄写す

●茶化酒落首

天野酒振りさけ見れば粕かある三蓋(みかさ)ものまややがてつきなん(きのふはけふの物語・下)

親鸞は淫乱ゆえに妻ももち酒や肴にいつも法然(我衣・巻一・下)

 

擬音洒落 ぎおんしゃれ

 かっこカラコロ、あんじょう着流しのなァ、東都の(あん)さんェ、シャレシャラリと、ようおいでやす。けどなァ、うち、祇園茶屋でのうて、ホンニホンニ、堪忍おすえ…。

〈祇園洒落〉は荻生の創作語、男のユートピアならぬ、オノマトピアの遊びです。

 擬音(オノマトピア)(擬態・犠声を含む総称)は文彩(修辞)の主要技法の一つですが、これも度を超えると遊びになってしまいます。

●古典狂歌にみる擬音

烏丸光広

まつたけの笠さしかけて極楽へそろりそろりとわれもまいらん(策伝和尚送答控)

 烏丸光広 法雲院蔵 

*歌人、能書家で公家の光広が右のような卑賤な歌を詠んだかどうか、はなはだ疑問に思える。編者である策伝のいたずらではなかろうか。

竹斎

 あふときはまづうなづきし野辺の草ぐなりぐなりとふうにまかせて(杉楊枝)

唐衣橘洲

百薬の長どうけたる(くすり)(ざけ)のんでゆら〳〵ゆらぐ玉の()(万歳狂歌集・巻十四)

                          (どう)(ともの)(しろ)(ぬし)

  しらなみのたつもよろ〳〵生酔の顔はあかしのうら千鳥足(徳和歌後万載集・巻十)

 

捩り狂歌 もじりきょうか

 ことわざや詞章などの一部または全部を寓意的に同音異義語で差し替え、滑稽を表現する技法が捩りです。語義は「捩る=ねじ曲げる」という動詞連用形が名詞化したもの。〈捩り狂歌〉は有名和歌の音をなぞりつつ、内容のまったく異なる狂歌に仕立てる遊び。普通は原作に比べ軽妙に諧謔させて作ります。元歌の内容を意識的に(おとし)めることで、その落差のおかしみを誘発するのがポイントです。

 捩り狂歌は本歌取りに似ているため混同されやすいのですが、まったく別のもの。本歌取りが一句ないし二句を本歌からそっくり借辞するのに対し、捩りのほうは音をなぞるだけで借辞はありません。

 テクニックとはいえませんが、以上を総括して一首、

荻生作

  猿真似もさる三十一(みそひと)のすべりならエテの(わざ)よとお誉めましらん

●捩り古典狂歌

                          四方赤良

みほとけに産湯(うぶゆ)かけたほとゝきす天井天下たつたひと(狂歌才蔵集・巻三) 

*釈迦が生誕時に口にしたとの言葉「天上天下唯我独尊」の捩り。これを借辞歌とみなすこともできる。

朱楽菅江

目の前で手づからさくやこのはなに匂ふうなぎの梅がかばやき(万載狂歌集・巻一) 

*「難波津に咲くや()の花冬ごもり今は春べと咲くや木の花」 (『古今集』仮名序に所収)の捩り。

                              小川町住(おがわのまちずみ )

 おもかげのかはりて年もつもる身は名のみやりてのはなをとる婆々(徳和歌後万載集・巻十) 

*「おもかげのかわらで年のつもれかしたとへ命は限りあるとも」(伝小野小町作)の捩り。

●いろは歌捩り

よみ人しらず

いろはにほへとの字の(あひ)でしくぢつて私やこの家をちりぬるをわか(下女の屁)

よみ人しらず

かなでかくいろはにほへと聞えたかそれではすまねば我ゑひもせす(百露草・巻十)

●「君が代」捩り

朱楽菅江

君が代は天つ乙女が撫でへらす巌もさざれ石となるまで(我衣・巻八) 

 

百人一首捩り ひゃくにんいっしゅもじり

和歌の捩り狂詠で目につくのは、いうところの「百人一首捩り」です。全体に冗長になる嫌いはありますが、そこそこに見栄えのする集を期待して、古今、挑戦者が絶えません。

歌体はもはや和歌とはいえず、明らかに狂歌のものとなるわけ。

新狂歌の作品では、荻生待也類題狂詠「《エロもじり百人一首》」を参照してください。

●「犬百人一首」より

 寛文九(1669)年夏、左心子賀(さしこが)(きん)(豊蔵坊信海?)という伝未詳の人物が『犬百人一首』を著しています。小倉百人一首の捩り版で、もちろん狂歌仕立です。

 捩り百人一首は他にもかなりの書冊が出ていますが、この書は比較的よくまとまっていると思います。冒頭五首を抜書きしてみましょう。

鈍智てんほう

あきれたのかれこれ囲碁の友をあつめ我だまし手は終にしれつゝ

←秋の田のかりほの(いほ)(とま)をあらみわが衣手(ころもで)は露にぬれつつ/天地天皇

女郎てんじん

はり過ぎてなくれにけらし白ふくに衣着るてふ尼のなりさま

←春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山/持統天皇

(かき)(うりの)(ひと)ぬき

あしき木のもきとりの此すたり物ながながら柿ひとつつかはなむ

←あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む/柿本人麻呂

山辺(やまべの)商人(あきひと )

(たきぎ)うりに打出てみればしらうとのへる高値ははりつゝ

田子(たご)の浦にうちいでて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ/山部赤人

(さる)(わか)太夫(たゆ )

奥様に拍子(ひやうし)ふみ分け一曲の声きける時ぞ(ぜに)やかねじき

←奥山にもみぢふみわけなく鹿の声聞く時ぞ秋はかなしき/猿丸太夫

 

澄むと濁る すむとにごる

日本語では仮名に濁点、半濁点を付けて音の濁音化を表す独特の表記法がありますね。そこで、濁点(まれに半濁点)を付けたり外したり操作して、元の語句の意味を別のものへと変化させる遊びを〈澄むと濁る〉といっています。

江戸時代までの表記はこれといった規範が定められておらず、先人の慣行に従い書き表すにすぎませんでした。ことに和歌では清音表記が徹底して励行されてきたのです。しかし無濁点表記だと音表の正確さが損なわれるのはもとより、意味の取り違いもしばしば起きてしまいます。

狂歌師はこの点に着眼、面白おかしく揶揄。たとえば、

世の中は澄むと濁るの違いにて刷毛に毛が有り禿に毛が無し(伝承歌、単純適用例)

世の中は澄むと濁るの違いにて有り河豚無し(伝承歌、二重適用例)

 世の中は澄むと濁るの違いにてを飲みをのむ(伝承歌、交差反転適用例)

このような清濁から生じる意味の取り違い遊びは、元の語句との意義対立にするのが決まりで、これにより面白味が一段と引き立てられます。

なお、澄むと濁るの技法は捩りの一種とみなすことができます。

●短歌のすむと濁る

                   三条右大臣

名にし負はば逢坂山のさねかずら人に知られくるよしもがな

*傍線は筆者。知られ=「知られずに」で主部を打ち消す。知られ=「知られてしまった」という事実を述べ、歌意を一変させている。

 三条右大臣(藤原定方) 光琳カルタ

 

一字違いで大違い いちじちがいでおおちがい

語句を一字だけ換えて全体の意味を大きく変えてしまう遊びを〈一字違いで大違い〉と称することにします。前出「澄むと濁る」に似たもので、捩りの系統に属します。

●古典狂歌より         

細川幽斎

 君か代は千代にや千代にさされ石のいはほと成てこけのむすま(醒睡笑) 

*傍線は筆者。

                                 手柄岡持

桜花散りか引くもれおいらんの来むといふなる道まがふかに(出典失念)

桜花散りか引くもれおいらくの来むといふなる道まがふかに/伝承の古歌

 手柄(てがらの)岡持(おかもち) 『吾妻曲狂歌文庫』

  とし波のよするひたひのしハみよりくるゝハいたくをしまれにけり

●一字違い新狂歌                          荻生作

介抱は人を助ける美徳だに人を殺すの武器は大砲

*一首内での語句の一字違い。

 

鸚鵡返し おうむがえし

他人から詠み掛けられた歌俳の一字か二字を換え、全体の意味を一転させて返す技法を〈鸚鵡返し〉といいます。言語遊戯上は高等技術に入り、古来、才知を示威する手法の一つとして注目されてきました。

和歌や俳句だと何例か作品を紹介できるのですが、狂歌ではどういうわけかめったに出くわさない。狂歌らしきものの例でお茶を濁すとしましょう。

昭和初期のこと、某酒屋の貼り紙に

貸しますと返しませんので困ります現金ならば安く売ります

とある。ところが翌日、文面の一部が書き換えられていました。いたずらいわく、

  借りますと貰つたやうに思ひます現金ならば余所で買ひます

 この例、一字か二字どころかかなりの文字を改変してありますから、純粋な鸚鵡返しとはいえません。が、捩り返しの応酬の面白さは買ってやるべきでしょうね。

 

吃音歌 きつおんか

音重ねの手法を用い、頭字吃音を何度か繰り返す戯笑歌を〈吃音歌〉といいます。たいていのものは歌意が考え物となっていますが、こじつけの無理が出てしまい感心できません。

吃音歌は早くも類題集古歌に現れていて、戯れ句の人気筋てした。

●古典吃音歌   

              田部忌寸擽子(たべのいちいこ)

 夢にのみききききききとききききとききききききと抱くとぞ見し(古今和歌六帖・巻四)

 

見立 みたて

単独または複数の抽象的内容の事柄を、一般によく知られた共通の特性をもつ事物に譬えてわかりやすく伝える技法を〈見立〉といいます。これは暗喩表現の一つで、和歌をはじめ俳諧、戯作、舞台詞章など文芸全般にわたって用いられ、それらのほとんどが言語遊戯化されています。

和歌、狂歌の見立の場合は、とくに〈譬え歌〉で総括するならわし。また見立には「吹寄せ」「ない交ぜ」「へんちき」などいくつか分類法があるが、言葉遊びなのですから、そこまでこだわる必要もないでしょう。

●見立狂歌

 (はら)(からの)秋人(あきうど) 『吾妻曲狂歌文庫』

  春きてハ野も青土佐のはつかすみひとはけひくや山のこし張 

*発芽墨が山のふもとにかかっている春景色の様子を土佐名産の和紙「青土佐」に見立て詠んでいる。

 

擬人化 ぎじんか

人以外の事物をあたかも人事であるかのように仮託し、表現上の摩擦を膨らます技法を〈擬人化〉といいます。(もどき)の一種で、人格付与に伴う非現実性がおかしみを誘います。

●擬人化の古典狂歌

                 ()寿()(ねの)兼満(かねみつ)

 ただのりを短冊(たんざく)なりに焼かれしはむかしながらの山ざくら炭(徳和歌後万載集・巻十一) 

*平忠度の詠「さざなみや志賀の都はあれにしを昔ながらの山桜かな」の本歌取り、同時に浅草海苔を詠者に擬人化している。

                          (へその)(あな)(ぬし)

 商売もおのが業とてうれしげに朝からかさをはる雨のころ(万載狂歌集・巻二)

 

擬物化 ぎぶつか

人事をあたかも事物であるかのように仮託し、表現上の摩擦を膨らます技法を〈擬物化〉といいます。(もどき)の一種で、脱人格に伴う非現実性がおかしみを誘います。

和歌、狂歌の場合、詞書(ことばがき)が「○○恋」「寄○○恋」の類に多く見られます。

●擬物化の古典狂歌

  寄稲妻恋                                朱楽菅江

しばらくも夜床に尻をすえざるはわが妻ならぬいな妻ぞかし(徳和歌後万載集・巻九)

  寄鍋恋                                (しのぶ)(がおか)(きよ)路里(ろり)

 よし君がうそをつくまの鍋ならば我とぢ蓋となりてあはなん(同右・巻九)

 

取り合わせ とりあわせ

単独のままでは取柄がなくとも、他の物事と組み合わせると鮮烈な連想イメージが開花する場合がありますね。このような組み合わせに基づいて、言葉の綾を取る遊びを〈取り合わせ〉といっています。

巷間によく知られた「梅に鶯」「竹に雀」などの句は、双方を結び付けることで絵になる言葉になっています。

取り合わせも一対だけでなく、同系のものを二対、三対と増やすほど妙味が出ましょう。

●古典狂歌より

唐衣橘洲

いづれまけしづれかつをと郭公ともにはつねの高うきこゆる(狂歌若葉集・上)

*五月の象徴であるかつをとかっこう鳥の取り合わせ。

                           山手白人

夢になりと知ろしめしたかけふふじに旅をするがへ門出(かどで)なすのを(徳和歌後万載集・巻五) 

*ことわざの「一富士二鷹三茄子」を取って折り込む。

 門限(もんげん)面倒(めんどう) 『吾妻曲狂歌文庫』

  色香にハあらハれねともなま鯛のちとござつたとミゆる目のうち 

*鯛と腐りかけた鯛の目、他意と他人の目とを掛け合わせている。

 

定義付 ていぎづけ

 「──とは?」という問いかけに対し、定義解釈風の滑稽な短文を作る遊びを〈定義付〉といっています。

定義付は新狂歌にも応用できますが、理屈っぽく言葉そのものの説明歌にならないよう気をつける必要があります。

●定義付の新狂歌

ともに荻生作

     大嫌い語に寄せて

「識者」とは小利口者かゴマスリか学者お馬鹿かわからん仁か

     禅悟道

「悟り」とは股間にすがり居り(そうろ)たぬが奴にてぬこと

 

物尽くし ものづくし

人名、国名、事物名などを列挙して全体にまとまりのある詞章を形成する技法を〈物尽くし〉といいます。連想のもと音韻洒落を絡ませ、絵になる情景を繰り広げていく面白さがポイントです。

●もの尽くしの狂歌

なうてのもの

                               よみ人しらず

人は武士柱は檜(うを)は鯛(ぎぬ)は紅梅花はみ吉野(私可多咄・巻二)

仲悪いもの

よみ人しらず

犬と猿嫁と姑に石屋と医者隠居当住さては同役(三英随筆)

     相反するもの             

よみ人しらず

(たが)うたり天地昼夜下戸上五雪墨鈍智ひとの貧福(醒睡笑・巻六)

 

 

ものは付 ものはづけ

言葉遊びでいう〈ものは付〉は、江戸時代に流行の「考え物」に準じた雑俳遊戯です。点者の「……のものは」という課題に対し、吟者が答句を付けます。設問が抽象的であるのに対し答えは具体的なものが条件付けられ、その上奇想天外なものほど秀逸とされました。

これまた謎なぞなどと同様に、秀句と喩詞とを軸にした遊びでした。

狂歌の場合は作品数が少ないのが残念です。

●古典狂歌のものは付

 酒上不埒 『吾妻曲狂歌文庫』

  もろともにふりぬるものハ書出しとくれ行としと我身なりけり 

*この人が戯作者恋川春町とわかれば歌意がよくわかる。

桃ひゝな丸

沢山について嬉しきものふたつたもとの手毬袖の梅がゝ(狂歌東来集)

                        よみ人しらず

屈むもの魚の釣針三日の月蝦の背骨に膝の節々(伝承歌)

 

早口詰め歌 はやくちつづめうた

早口言葉のうち文句から一部の音を捨て去り、短く詰めたつづり言葉をもって元句を推察復元させる遊びを「詰め」といっています。詰は言語遊戯というよりは略語による考え物で、むしろ暗号に近い存在です。

 これの狂歌仕立を〈詰め歌〉または〈早口詰め歌〉と呼んでいます。

万葉戯笑歌に擬した作品が何点か作られ、舌足らずな表現を特色としています。ただし江戸狂壇では邪道扱いで、作例がほとんど見られません。

●古典より

                         千種(ちぐさ)有功(ありこと)

ふにあむとしみよがそしりしくちおさにたいこぼいかりばしよでかたれた→不似合婿と針妙が謗りし口惜しさに太公望怒り番所で語れた(家集『ちくさ』)

式亭三馬

だごでがくくててたたけばすぽがでるとえざのしたのれこめぶだ→団子田楽食て手叩けば鼈が出る東叡山の下の蓮根名物だ(日本一癡鑑) 

*三馬は狂歌師ではなく戯作者、また弄辞家としても第一人者であった。

 式亭三馬 国文学名家肖像集

 

畳語狂歌 じょうごきょうか

 一首中に同音や同音語句をいくつも重ね詠みした狂歌を〈畳語歌〉といいます。

 狂歌の遊戯色に畳語が加味されることで、作風に与太の度が倍加され、クセの強い作品に仕上がります。

●古典の畳語狂歌        

細川幽斎

日ノ本の肥後の火川の火うち石日々に一二(ひとふた)   

       拾ろ人々(衆妙集)                                   栗柯亭木端

やよ水鶏(くいな)来てなな鳴きそ鳴くなべに戸やなるならんと夜な夜な起きぬ(狂歌続真寸鏡)

                        四方赤良

おめでたく又おめでたくおめでたくかへすがへすもめでたかりけり(めでた百首夷歌)

                                             宿屋飯盛

ふた股のふとき大根をふろふきに煮るすみ釜のふたもふくふく(六樹園家集)

                           馬場金埒

富士の()のふもとはふみのふの字にてミほはミの字とミゆる雁がね(滄洲楼家集)

 

りん付 りんづけ

 〈りん付〉は、狂歌の句頭と句尾に「りん」を畳語に出来るだけ多く折り込んだ遊びです。

 伝えられるところによると、浪花狂歌壇の長老、鯛屋貞柳が門下生に「りん」の字の付く言葉を列挙させ、それを狂歌に仕立てさせたのが始まりとか。

 似たものに「さん付」「ちや付」といった亜流も現れています。

●古典より     

よみ人しらず

りんりんとりんと咲いたる山桜嵐が吹けば花がちりりん(伝承歌)

武士の子(仮託)

りん〳〵と小ぞりにそった小なぎなた一ふりふればてきはおぢりん     百姓の子(仮託)

りん〳〵と小ぞりにそった赤いはし七疋くべばはらはぼてりん(ともに『諸国落首咄』)

新狂歌より                                      荻生作

りんりんやりんと鳴いたる鈴虫がりんりんやまばいのちちりりん

 

回文狂歌 かいぶんきょうか

 頭から読んでも尻から読んでも同じ音で無理なく意味が通じる語句、詞章を「回文」、これを狂歌に取り入れたものを〈回文狂歌〉といいます。

 回文の歴史は長く、和歌は平安期、藤原基俊の著した仮託形式の歌論書『悦目抄』に二首が収められています。

 ただ回文は語句が長くなるほど難度が増し、不自然さが拭いきれないという宿命を負っています。三十一文字分の音をつづらねばならぬ和歌、狂歌の回文作品で、残念ながら荻生はこれまで、感嘆するほどの秀歌にはただの一作も出会っていません。歌体に崩れが見られず完成度の高い作品となると、今後もおそらく出ないでしょう。

新狂歌では対象外の扱いです。

●回文の古典狂歌       

石田未得

また飛びぬ()()とあはれ主知らじ死ぬれ

 

ば跡をとめぬ人魂(吾吟我集)                                 紀 定丸

宿屋どもたまにも()ひぬばくち打食はぬ日ともにまたもどやとや(狂歌才蔵集・巻十四)

                                            錦宇楼笑寿

ながめむに老の身の楽またしばし手枕の身も庵に梅かな(家集『回文歌百首』)

●回文和歌傑作「乙田回文歌」

*以下、いずれも乙田東洋司氏(ページ)作品である。作者の乙田さんは、大阪の鬼笑会本院会長の任にある言語遊戯研究家。ことに回文はじめ無同字歌、網目襷といった言葉遊びの最高ランクにある作品を手がけ、数多くの傑作を残している。同氏のご好意で寄稿いただいた。

勢揃い七福神「回異文宝船」  

みな(うた)う (たた)(さいわ)い (はつ)()富士(ふじ) (みなと)まいれば ()(はる)(なみ) ←

(みな)()るは (はつ)()(いま)と (なみ)()(ふね) ()(いわ)()え 多々(たた)うたう(なみ)

※さか様に読めば一首が二首となる。

迎春回異文歌         

白雪(しらゆき)や (さけ)()()(もと) (つも)()に (こと)()(うま)し (さや)けきや(まつ) ←

 (つま)()け (やさ)()()(とこ)(はる) もつとも(ゆめ)今朝(けさ)()ゆらし

※さか様に読めば一首が二首となる。

丑歳称賛回文歌        

神式(しんしき)で (きみ)(みのる)は ()(とし)(うし)」 常春(とこはる)(みや)神酒(みき)()(しん)

※ただいま読みしこの短歌、さか様から読み上げてもおなじこと。世の中如何に転じても「丑歳」脈々と成り立ちぬ。

新春ローマ字回文       

おだやかに あけぼの野辺か 田舎宿

(ODAYAKA NI  AKEBONO NOBE  KAINAKA-YADO)                冗皇 

 

字歌 たくじうた

漢字を覚えやすいように偏旁冠脚に解きほどいて歌や文句に仕立てる遊びを〈坼字〉といいます。

坼字は古代中国の占卜から発し、和文化に取り込まれてからは謎掛けとの結び付きで仕立てられたものが多く、日本では古来〈()(わり)〉と呼び慣わしてきました。

●短歌仕立

「叡」の字ほどき                                                     加藤曳尾庵

片仮名のトの字(べき)の字一の谷口を目にしてつくり又なり

「炭」の字ほどき                                                             よみ人しらず

寒ければ山より下を飛ぶ雁にものうちになう人ぞ恋しき

 

 

数取り頓知短歌 かずとりとんちたんか 

〈数取り頓知短歌〉は、語呂合せの機知を働かせて作った短歌を解読する遊びです。

既成作品の判読のほかに、課題作成の楽しみもあります。

●万葉戯笑歌より

                  よみ人しらず

言云者三三二田八酢四小九毛心中二我念羽奈九二

→ことにいへばみみにたやすしすくなくもこころのうちにわがおもはなくに(万葉集・巻十一)

●信州碓氷(うすい)峠の伝説歌二首

                  よみ人しらず

八万三千八 三六三三四四 一八二 四五十二四六 百四億四百

→やまみちは さむくさみしし ひとつ家に 夜毎に白く もも夜おくしも(牛馬問)

渡辺主石丸筆

四八八三十 一十八五二十百 万三三千二五十四六一十八 三千百万四八四

→世は闇と人は言ふとも正道にいそしむ人は道も迷はじ(同峠バス停前の碑文)

●江戸期の狂歌二首

一九二八千万四四八 十四三九二 八万十九二二四 四九九二八七四

→人国はちよろづよしや豊御国大和国にししく国はなし(楫取魚彦集)

                                                 坂東三津五郎

五二七九 二八二三九百 七九三三四 九六三三四八 八七十三千四百

→いつになく庭に咲く桃慰さみし心淋しやはなとみちしも (出典失念)

 

類題狂歌 るいだいきょうか

  ある定められた主題に沿った内容を詠む一連の狂歌を〈類題狂歌〉といい、それらをまとめて詠むことを「題詠」といっています。題詠で気をつけなければならないのは、主題の説明内容になってはならないこと。かといって、主題を無視したような詠み方もいけません。主題から付かず離れずのポジションをとって詠むのが望ましい。慣れるにしたがって身についてくるテクニックです。

  具体的には後出の「荻生待也類題狂詠作品集」をご覧ください。