「言葉狩り」は泥棒行為。無視しょう。

 ──花酒爺の意見帳──

 

 

人が生きていくのに差別だらけの国で

罪のない言葉たちが、いま逆に

「差別」の汚名を着せられ

半殺しの目にあっている。

 

わからずやどもは知らない。

言葉の世界にも清濁の摂理があり

そして、桃源郷があることを。

 

おぎぶん工房へとお運びくださいまして、ありがとうございます。

工房の主、荻生待也の作品をお目にかけるうえで、じつはある障害を乗り越えなくてはなりません。それは「言葉狩り」という、有害にして野暮な邪魔者です。

世の中には、物事すべて白か黒か杓子定規に格好を付けないと気のすまない人種がいます。かと思うと、無辜の市民同士なのに、寄ってたかっていじめを愉しんでいる奴等がいます。この双方が合体し徒党を組んで事を起こすと、始末に終えない面倒なことになるのです。

今日日(きようび)、差別用語の撤廃とやらを旗印にしている連中がその好い見本。実態をざっと分析してみましょう。

●戦後の民主主義はすべて庶民の味方であると妄信している蒙昧なやからが結託し、

●社会制度上差別だらけの現実社会を忘れ、口先だけの人権擁護や差別反対に付和雷同し、

●表現の自由という大原則を忘れ、 

 ●一部の言葉を差別用語であると勝手に決めつけ、目の敵にして、

 ●マスコミ等に便乗し、よい格好振りを示威して反対運動の展開にのりだし、

 ●気に入らない言葉の刈り込みに狂奔している。

といったところです。

 この一件、騒ぐのはあんたらの勝手だからご自由に、と無関心を装うわけにいかないのです。たとえば言葉のどんちゃん騒ぎが好きだった作家の故青島幸男さんの一連の小説等作品は、差別的表現が目立つという理由で公共図書館から締め出されています。言葉狩りの不条理に泣き寝入りすることなく、敢然と擱筆の道を選んだ作家も何人かいます。

 言葉の刈り込みで迷惑を被る側の言い分をぜひ聞いてもらいましょう。

言葉というものは本来、長い民族の歴程の中で、先人が後世に残した民族共有の文化遺産であります。言葉は時代時代において意思伝達の手段として重宝に使われてきましたし、ある物事はある言葉でしか表現できない適性を備えています。「ボンクラ」はあくまでボンクラですし、「助平」はスケベでしかありえないのです。

言葉を観念産物(イメージ)へと短絡的に結びつけ善悪を決め込んでしまうのは愚かなことです。

一例として「強姦」の語があります。これの語カンがよろしくないというので、マスコミから一時姿を消したことがあります。ジャーナリストは代わるべき言葉として「暴行」「婦女暴行」または「乱暴」などを使ってみましたが、今ひとつしっくりこない。そのはずです、これらは事を表すのに意味が拡散しすぎて的確な表現ではないから。その結果、再び「強姦」に表現が戻ってしまいました。「強姦」は強姦でしかありえない言葉なのです。

さらに言葉とは、本来、現実社会同様に清濁併存の宿命にあります。まして、表現のきめ細かさでは世界に名だたる日本語においては。たとえ現代社会にふさわしくない不適切語があっても、それはやがて自然淘汰され、死語化するに違いありません。

かつてわが国が軍国主義一色で統合されていた時代、官憲当局による言論統制は、筆舌に尽くしがたいものがありました。国策上不都合な言葉は、非国民語・敵性語の名のもとに刈り込みが行われ、会話一つ交わすにも周りを気にするなど神経を使いました。

それが今はどうでしょう。権力体制側でもなんでもない一般市民が徒党を組み、人権擁護の名のもとに自らの手で言葉狩りに熱を上げています。こうした傾向は、人民による人民いじめの発想であり、低俗極まる末世現象である、としか言いようがありません。

国民資産である言葉を短兵急に人為的かつ強制的に刈り込もうとするのは、思い上がりもはなはだしい文化破壊行為だと思うのですが、いかがでしょうか。マス・スケールでの言語忌避は、行き過ぎると歯止めがかからなくなり、文化破壊が始まる。こんな仕儀がまかり通る世の中、悪くなっている証拠に思います。

ときに、フランス語の発音は音楽そのものだ、とか。ならば日本語ことに、やまと言葉は綾なす表現において、まさに「読み、書き、しゃべる宝石」といえましょう。日本人は、磨くほど輝く国語をもっと誇りに思わなくてはいけません。人為による淘汰など、とんでもないことです。

最近、マスコミも神経過敏症にかかり、対応が及び腰です。

新聞雑誌に見る日本語が貧相になり、生彩を失いかけています。文学作品にしても、味わいのある、諧謔精神に満ちた作品がめっきり少なくなりました。ジャーナリストも作家も、リンガル・ファッショどもの吊るし上げが怖いからでしょう。

実際問題として、言葉狩り族の顔色をいちいち気にしていたら文筆活動などできるものではありません。まして狂歌・川柳は昔から卑俗語を存分に使って成り立っています。連中のブラックリストにある言葉を外した戯作や言葉遊び作品など、煮ても焼いても食えたものじゃない。卑近な例で恐縮ですが、「尻取り」がお上品方にとって不快語だからといって、「おいど取り」に代えるわけにはいきますまい。言葉狩り族にも言い分はあるにしろ、表現の自由は侵されてはならない聖域のはずです。

花酒爺はここに、言葉狩りに対し徹底無視を宣言するしだいです。

 

■追記

  不評 人名漢字外します/批判集中の数十字/ワースト5 糞・屍・呪・癌・姦/見直し案を法務省修正

  名前に使える人名用漢字を578字増やす見直し案を法務省が6月に公表したところ、市民から1千通以上の意見が寄せられ、その6割以上が「一部の漢字は名前にふさわしくない」と懸念を示していることがわかった。8日現在、反対意見が多かった漢字のワースト5は、「糞」「屍」「呪」「癌」「姦」。法務省は、市民の意見を尊重し、批判が集中した数十の漢字を削る方針だ。(*本文後略)  

&『朝日新聞』2004年七月九日

右掲記事の抜粋を読んで、「市民」の皆様はいかがお考えでしょうか。

じつは不肖(おぎゆう)、あいた口がふさがらない思いであります。

法相の諮問機関である「法制審議会」とやらが提案した内容だそうで。ナントカ審議会のメンバーなんて「識者」(この語自体が差別用語だ)ぶってはいても、なんとも常識にかからない形式主義者揃い。手厚いお手当目当ての、日本語をいじくり回すだけのヒマ人揃いと聞いてはいたが、これほどの無能集団とは思わなかった…。

右記事の内容は作為にもとづく一種の言語操作ですな。それ以上に、常識に照らし合わせてみて「かすがいのおっぱずれ」ではないかと、誰だって思います。

万葉時代の、忌詞に代えわざと嫌悪言葉を使った時代と今はわけが違います。こんな漢字の名前を付けられたら、当人にとってそれこそ人権無視でしょう。いい加減な三文文士ですら呆れ返る兵衛にされました。ちなみに右掲本文は、

 「漢字を制限すること自体、やめるべきだ」などの意見も見られた。で結んであります。まったく同感です。

法制のみならず「国語審議会」またしかり。審議会だなんて偉ぶっていても、無駄飯食いの政府御用機関、無能にして非常識な偉いさんの吹き溜まりです。それは百も承知二百も合点だからこそ、

 国民の税金を遊び半分のために無駄遣いしている

という事実が堪忍なら三郎。まさか二、三人の小人数がボランティアでやっているわけではありますまい。

 ねえ、不快語だ、やれ差別用語だと目くじら立てる方たち。そんな上っ面なことよりも、この一件のような不始末を正すのが先決だと思うのですが。国民のためにならない無為有害な官公組織こそイの一番にぶっ潰すべき対象ではありませんか。

 言葉の淘汰は世の中の成り行きに任せましょうよ。