あなたも辞世を作ってみませんか

 

 

辞世は死を意識した自己表明だ

辞世とは、何であろうか。

辞世は、人が自分の死を意識したときの感慨を端的に述べた、歌俳あるいは偈頌(げじゅ)を指す。別に「臨死のうた」「辞世の頌」あるいは「絶命の詩」とも呼んでいる。今風に「終活の美学」と呼べないこともない。

人は「自分の死」という決定的瞬間を客観的に見ることはできない。そこで辞世の形で、そうありたいという願望を込め、「臨死の美学」を詩歌に託すのである。名の知れた人も無名の人も、自分の言の葉にくるんだ意趣を没後の世にまで残しておきたい、という思い入れが辞世を成り立たせている。

中国の古典『論語』泰伯第八に、次の一説が見える。

 鳥の将に死なんとするや、其声悲し

 人の将に死なんとするや、其言葉善し

と、臨死言を賛じている。

とくに日本人にとって、辞世は死への美意識が生んだ古きよき慣習の一つだ。しかし、辞世をテーマにした関連書では、辞世への視点あるいは見解が一様ではない。たとえば、辞世とは

●この世に別れを告げるための通過儀礼である。

●自己の死に様を投影させた鏡のような存在である。

●末代まで自身の存在をアピールしうる見栄である。

●死への恐怖と対決するための自己鼓舞である。

●仏教思想を背景とした悟りと諦観の産物である。

など、解釈の異なる見解がとられている。これらの事例は、とりもなおさず辞世そのものの奥行きの深さを示してはいないだろうか。

 関連用語の使い分けにも留意が必要になってくる。普通、広義に「辞世」という場合は、死に際に口にする臨死言、さらには遺言の断章なども含まれる。それと区別する必要から、狭義の辞世の場合は、和歌系(短歌、狂歌、長歌、異体歌)ならば「辞世詠」または「遺詠」、俳句系(俳諧、俳句、狂句、川柳、雑俳)ならば「辞世句」または「遺句」、詩や断章では「遺偈」または「遺頌」といった使い分けをしている。

 

人はなぜ辞世を遺すのか

 人の一生には、それまで生きてきた生活相や思い出がたくさん詰まっている。その多くは個人の映像として、脳死する間際まで記憶に刻み込まれている。しかも他人と同じ情報は一つとしてなく、個性という想念の引出しに納められている。これが一生を終える頃、その引き出しを開けて中身の一部を引っ張り出したくなる衝動に駆られる。

 つまり、自分はこの時代に存在し生きたのだという証明を残しておきたい、というのが人情だ。生涯を締めくくるセンチメンタリズムなわけだが、そんな感傷も辞世でなら表明できるのである。辞世を書いて遺すということは、じつは墓標を建てて自分が生存したことを後世に伝えたいとする心理の延長線上にあり、いわば一種の精神的贅沢なのである。

 本編「719 新門辰五郎」といえば、最後の将軍徳川慶喜の用心棒部隊を率いた鳶の親分で、泣く子も黙らせる侠名を鳴らした人である。その辞世、

思ひおく鮪の刺身(ふぐと)(じる) ふっくりぼぼにどぶろくの味   

は、人生の修羅場をさんざんかいくぐってきた極道者の哀感を誘う佳作である。自分の思うところを正直に告白した点で、後世の人々が温かい目で読むであろう一例だと思う。

 坊さん方からお叱り覚悟で物言うが、位牌や墓石に戒名を残すくらいなら、辞世のほうを遺すようお勧めする。今は戒名の良し悪しどころか、その存在意義すらわからない人たちが増えている。意義を理解してもらえない戒名一行にン十万円も払って拝金坊主を太らせる時代ではない。

 辞世なら出費要らず、故人の意趣を格好良く伝えられ、やがてはご先祖としての、あなたの株も上がろうというものである。

 

辞世にはこんな特徴がある

 ここで辞世にはどんな特徴があるのか、思いつくまま列挙してみよう。

一、    日本独特の文化習慣である

 外国には辞世を詠み残すという発想も慣習もない。強いてあげるなら、中国の禅僧に遺偈頌の慣行が見られる程度。

二、    心の準備による生前意思の伝達

 死に臨んで、辞世は確たる心の用意のもとに文字で書き表される。何の用意もなく突如口にする臨終言とはまったく別のものである。

三、作る時期は最期とは限らない

 これについては追って詳述する。これも臨終言のような、切羽詰ったものである必要はない。

四、特権階級だけのものではない

 身分や階級などの高低、貧富の別、プロとアマチュアの別などすべての垣根を越えて、誰もが自由に創作し残せる。

五、巧拙よりも中身で評価される

 辞世は芸術作品などとは違い極度に私的な表明だ。自らの死を本人がどう捉えているか、感動的かどうかが決め手になる。

六、子孫との対話も可能に

芸術・文学作品を残せない人たちにとって、辞世は後裔とのコミュニケーションを残しうる手段になりうる。

七、死を美化演出する効果

 辞世は死出の旅路のつれづれになってくれる。自画自賛のシナリオにのってみるのも、死への恐怖を軽くする効果がある。

 

辞世は江戸時代、文化人の死に花であった

  本編に目を通すとわかるように、辞世に関しては、江戸時代の作が質・量ともに圧巻である。辞世こそ、江戸時代には納涼花火と並んで、大輪を咲かせる花であった。この時代に生きた歌人・狂歌師・俳人はもとより盗賊に至まで、競って辞世を詠んでいる。

  辞世の発祥は、収載した冒頭数首からも察せられるように、古くは『古事記』『万葉集』にそれらしきものが見られる。もっとも辞世といえる体裁が整ったのは、死生観のよりどころとなる仏教が普及した平安末期から鎌倉初期にかけて、と見るのが妥当である。加えて、度重なる戦乱という背景が厭世思想につながる辞世の定着を促した。たとえば「77 楠木正行」が四条畷へ出陣するときに詠んだ、

  かへらじとかねておもへばあづさ弓 なき数にいる名をぞとどむる

などは、即席辞世としてはよい手本となる作に仕上がっている。

 出陣と云えば、戦時や内乱時には必ずといってよいほど辞世が流行してきた。

なぜだろうか。戦士・刑死予定者・不治の病に侵された人たちは、自分の意思

に反し死に迫られている。これら共生された死に直面し、せめて自分の最後の

思いのたけを遺しておきたいという心理が辞世を作らせるのである。

 辞世草創期の鎌倉時代は別として、戦国時代と幕末・維新期から日新・日露

戦争時にも辞世ブームが到来。近時は太平洋戦争時末期に決死の将兵間で辞世

(ほとんどが短歌)が流行り、それらの集だけで何冊もの本が刊行されているほ

どである。

 さて現代はというと、辞世を遺す人はまれになった。歌俳に心得のある一部

の人が創る程度である。しかしながら、高齢化社会に加えレトロブームが盛り

上がっている。こうしたきっかけで辞世の再隆盛がいつ訪れても不思議はない

のである。

 

辞世は21世紀に蘇るかも

 世紀代わりして以来、懐古趣向が芸術・文学から骨董にいたる分野で、静かに進行している。その一環として、辞世のリバイバル化が見直されている。西に東に高齢者が目立つ時代だけに、辞世の創作価値も高まっていると思うが、いかがだろうか。いや、高齢者だけに限らない。人がこの世に生を受けた証を洒落た形で子孫に伝えたいという想いは、若い世代とて同様であろう。

 霊園関係者の話だと、生前に、それもミドルエイジのうちから自分の墓を用意しておく人が増えているという。この用意周到な現象も、じつは高齢化社会の現実を反映しているのだ。つまり経済的に余裕のある働き盛りのうちに、いずれは泉下の住民となる終の住家となる墓を用意しておき、長い老後生活の負担を軽くしたい、という考え。誰しも死期が近づいてからあわてて墓の心配などしたくない。

 自分の墓地や墓石を手当てする以上、同じ霊園に建ち並ぶ他家の墓とは差をつけたいもの。でも、見てくれの立派さだけが差ではないはず。そんなことは金満家なら誰にもできる。そうではなくて、一人の人間として生きた「知性の証明」で差をつけたい。

 これこそ辞世の眼目とするところなのである。

 墓碑にあなた自作の辞世を彫刻し、生来墓参に来る縁者や子孫に「往時、この人あり」を偲んでもらう……なんと見事な格差付けではないか。隣近所の墓という墓が個性的な辞世で埋め尽くされたら、墓参りが楽しくさえなるに違いない。

 

辞世は誰にでも作れる

 自分はまだピンピンしているのに、抹香臭い辞世などお呼びでない、と顔をしかめる方もおられよう。が、人は死を避けられはしない。ならば元気なうちに、お気に入りの辞世を作っておくのも一つの知恵ではあるまいか。

 また、短歌や俳句に縁がなく、だから辞世は作れない、と思い込んでいる人もいよう。そんなことはない、辞世はその気になれば誰にでも作ることができるのである。短歌や俳句とは縁のなかった人が、病床にあって思考錯誤を重ねながら、褒められる出来の辞世句を作った例はいくつもある。一夜漬けの勉強で、上手とはいえないまでも、人の心を打つ辞世を吟じた例も少なからずある。

 要するに、辞世はプロの歌俳作者や俳人が作る文学作品とは次元の違う存在なのだ。出来の上手下手よりも、作者の心情の発露のほうが評価の対象になる。もちろん歌俳の勉強をするにこしたことはないが、見よう見まねであっても辞世なら通用する場合が多い。ともあれ、何点か習作を試みることである。

 辞世にはこのジャンル、この形式でなくてはならない、といった決まりはない。俳句や短歌をはじめ川柳、都都逸、詩あるいは断章であってもよろしい。ただ、次のことは知っておいて損にならない。

 過去に作られた辞世の割合を大雑把に顧みると、和歌系五に対し俳句系は三、その他は二となっている。すなわち辞世作りには和歌系が最適で、俳句は次に位置する。理由は、三十一文字の短歌なら思うところをかなり具体的に表現でき、リズム感に富んでいて、体裁も整えられるからである。

 

辞世は和歌系か、俳句系か

 右の五対三対二という比率の根拠は、大正五(1916)年に実業之世界社より刊行された飯田一畝著『古今辞世集』から割り出したもの。じつはこの本、辞世集成の古典入りをなしている珍書で、あらゆる文芸分野の辞世を六〇〇作ほど収載してある。

 ときに現代では、漢文による遺偈頌を作る人、鑑賞しうる人はめったにいないので、辞世の対象になるのは実質上和歌系と俳句系に限られる。この両者のどちらで辞世を作るかは、まったくその人の好み次第である。ただ選択の目安だけは付けておきたい。

 和歌は、五七五七七の三十一文字に自身の感情を外向けに託して詠むのが普通で、内容はかなり写実的かつ具体的となる。表現の許容という点でも幅があるため、万人向きといえよう。

 一方俳句は、五七五の十七文字、心象描写の短詩といわれているほどで、表現も凝縮した形をとり、内容も観念的かつ抽象的になりがちである。同じ俳句系でもよりポピュラーで平易に作りたいならば、季語や切字の束縛のない新川柳を選ぶとよい。特に入門者には、俳句よりも無難に作れる新川柳をお勧めしたい。

 辞世の大原則は、読んで鑑賞してくれる人がいることを前提にして作る。非公開の日記や遺言などとはわけが違うのだ。それだけに作者の独りよがりであったり、一方通行的内容であってはならない。鑑賞してくれる人々の理解の度合いも配慮して作る必要がある。となると、文学作品でない辞世が志向すべき道は、自ずと見えてくる。

 

辞世作りは心身ともに元気なうちに

 文政の頃(181830)江戸の歌人・狂歌師として活躍した窓叢竹〔多田敏包〕という人は、

  詩も歌も達者なときによみておけとても辞世の出来ぬ死にぎは

と、辞世作りの要諦をズバリ表現している。死期が近づいてから押っ取り刀で歌だ句だと騒いでも出来のよいものは期待できない。次のような理由からであろう。

●人は死期が近づくと恐怖や雑念に惑わされ、健常な発想や意思表示が損なわれてしまう。

●老衰は人の心を消極へと向かわせる。結果、辞世に暗い翳りを落としやすくなる。

●病弱時の辞世はいわゆる「嘆き節」になりがち。

●ボケ症状が始まると健常時に比べ知的能力は半減してしまう。当然辞世作りにも悪い影響を及ぼす。

●戦陣や処刑前といった異常な状況下での即席吟詠は、心理的葛藤のため紋切り型の駄作に陥りやすい。

というわけで、自分がすでに老境に達していても、まだボケの兆候のないうち

に仕上げておくべきだ。

 辞世というものは、なにも死没直前に作らなくともよろしい。たとえ平均余命まで先に何十年残っていようが、時期の点は辞世作りのマイナスにならない。ただ若い時よりも老境に入って作ったほうが、辞世そのものに磨きがかかることは確かである。こと辞世の場合、「亀の甲より年の功」のことわざか生きるのである。

 

辞世作り八つのポイント

 これまでの説明で、辞世のあらましを理解していただけたと思う。あとは習作しながら思考錯誤を重ねて、納得のいく作品を生み出そう。そのさい次の要領を心得てほしい。

   自分の気持ちを偽らずに。辞世作りでは、死に対する所感を正直に表明するのが基本。重要なことなので、後に改めて説明しよう。

②修辞の技巧にとらわれないこと。歌俳に手馴れないうち技巧を弄すると、作品を逆に壊してしまう恐れがある。心で吟詠するように気をつければ、作品は自ずと輝きを増すはず。

③事件関連、出陣関連など異常時に勇み足で作らない。常套句の濫用は個性をなくし、訴求力をも弱める。

④何作もと欲張らず珠玉の一作を残そう。当初に何作か用意し、最終的に一作だけに絞り込むもよし。

⑤辞世には一世一句、あなたの名誉がかかっていることを忘れずに。時間をたっぷりかけ、入念に推敲を重ねよう。

⑥たとえ秀作であっても、他人の作品はあまり意識しないこと。パンチの効いた、あなたならではの個性作を生み出そう。

⑦歌俳では韻律美も評価ポイントとなり、定形を守ることでリズミカルに口ずさんでもらえる。奇をてらった自由律作品は辞世向きでない。

⑧個人的に事情あり訳ありの辞世はさけよう。この条に関しては、いささか説明を加える必要があるので、追って説明することにする。

 なお、絶句および遺句(定義は「編集要領」参照)について一言補足しておこう。

 本コンテンツでいう辞世とは、本来の辞世のほかに絶詠、遺詠、病床遺詠という態様上のカテゴリーを総称したものである。これら「辞世」と明記したもの以外の作品は、臨死を意識して作ったわけではない。したがって、辞世らしくないものもたくさん混在している。「遺詠」とは、辞世とは離れた状況下で作られていることを再認識しておく必要がある。

 以上のことから、自身で辞世作りに参照する場合は、「辞世」と明記のある作品のみを対象にしていただきたい。

 

心をこめて、やさしく、が本当の辞世句

本コンテンツでは古今一千首もの辞世詠・遺詠を集めたが、辞世句として総括評価し秀句といえる作品は残念ながら多くはない。ことに右の「辞世作り八つのポイント」に照らし合わせ、①より⑧すべての条項をクリアーしている作品は数えるほどしかないのである。

この『辞世千人一首』を編んでみて私が深く感銘を受けた一首がある。それは「438 平高保」の詠で、

 我はもよをはりなるべしいざども ちかくよりませよく見て死なむ  

は、辞世として傑出した秀歌であると自分なりに評価している(「児ども」にはまだ合わない子孫も含まれる、と私は拡大解釈している)

 この句、心の趣を気取ることなく告げている。表現が易しく、リズミカルで、歌体がしっかり整っている。そして何よりも残し逝く子らへの慈愛があふれんばかりに感じ取れるのだ。

 ちなみに平高保という人は、出典である『(ささなみ)筆話』によると、(あがた)()翁こと加茂真淵の門人だとか。ならば本居宣長・加藤千蔭・村田春海らそうそうたる国学者の仲間であるから、物事に対する見識も高かったであろうと想像する。

 じつはこの平高保が、当時の辞世の在り方を痛烈に批判している模様が同出典に述べてある。その内容を要約すると、「近頃の辞世は心に何も悟っていない連中まで、いかにも禅家よろしく悟りきったかの詠を作って体裁を取り繕っている。自分の命が旦夕に迫っているとき、心にもない辞世を詠むなど心の浅さを見るようで残念でならない」と慨嘆している。つまりこの人は、辞世に一家言を持っていたわけ。だてに傑作をものにしているわけではないのである。

 彼の作品以外にも辞世の参考になる作品がいくつもあるので、ご自分で探し出し研究していただきたい。

 

辞世のきれいごとは空虚(むな)しい

 辞世を作るうえで、「自戒」ということも課題になる。

 前出の平高保の辞世表にも見えるように、本人が思いもしないきれいごとで取り繕った辞世など接するほどむなしくなる。きれいごとは即、体裁や見栄であり、本心は隠されたままうかがい知ることはできない。虚飾であることが見え透いていて、観賞する人の感動も共感も得られない。

 ときに、生涯ホラを吹きまくったいい加減な人でも、死に際の一言だけは正直に真実を告げるものだ、という話を聞くことがある。そう、どんなに罪深い人でもあの世へと旅立つときぐらいは、清らかな気持ちで逝きたいに違いない。しかし残念なことに、辞世に関しては、壮大なるきれいごと表現が当然であるかのようにまかり通ってきた。今は亡き人たちに礼を失することになるので具体例を引くのは控えるが、出陣詠のごときは、おおむね勇ましい言辞で「右へならえ」なのだ。

 辞世詠はなぜ、こうした悪習に染まってしまったのだろうか。大きな原因は二つあると考える。

 一つは、古くから美徳として受け継がれてきた忠君滅私奉公の思想が背景に広がっていたこと。しかしながら皇道に殉ずることは個人を超越した面が多分にあったため、斟酌も必要であろう。

 二つは、詠者が辞世を必要以上に意識し過ぎ、肩に力が入ってしまうこと。自分は間もなく逝くことになる、死に態ぐらいは格好をつけたいものだ、という願望が裏目に出てしまうと思う。

 こうしたことは辞世を詠む人たちにとって大きな誤りである。辞世は肩肘張らずに、自然体で詠むのがふさわしい。

 

狂歌や川柳での辞世またよし

 本集をに目を通すと、多くの三十一文字辞世のうち狂歌辞世も少なくないのに気づく。なかには「436 朱楽管江」や「460 歌川豊春」らの詠のように、時代を経ても読み手の共感を呼ぶ傑作も見られる。

 もともと歌俳から生じた草創期の狂歌は、正統派歌人から異端視された存在にすぎなかった。それが天命期の江戸で、唐衣橘洲とか太田南畝ら名だたる狂歌師の活躍により、庶民に大モテの文芸へと発展した。脂ののった当時の狂歌辞世は、和歌辞世に比べなんら遜色がない。いや、見方によっては、毒にも薬にもならない月並みな和歌辞世よりも、狂歌辞世のほうが人生体験豊かな苦労人の作が多いだけに、はるかに手ごたえを感じられるほどである。

 川柳はというと、狂歌と違い現代猶全国的に流団結社が賑わい隆盛である。川柳の辞世、またよろしいであろう。ただし川柳は「穿ち」が生命である。

穿ちとは良い意味でのアラ探しである。世相などを材料に十七音字で表現する。そのためよくて批判、悪くすると世相や他人への悪口につながる恐れがある。こうした誤りは辞世にとって命取りになりかねないので、心して作句する必要がある。

 ここで、柳聖といわれた柄井川柳の名辞世句を紹介しておくと、

  木枯や跡で芽をふけ川柳(かはやなぎ)

 

個人的事情は避けて作ろう

 結論からいうと、背景説明を必要とする個人的事情をもつ辞世は問題あり、である。たとえば「472 蘆辺田鶴丸」が詠んだ

ありがたや底のみくずとなりはせで 身は浮草の岸にこそ寄れ

で、この作者が難船により溺れかけたという事情を知らないと、たいていの読み手に取って何を言いたいのか見当がつきかねる作である。

 俳句や川柳の辞世では文字数がもっと少ないため、意味不明の度合いはより高まってしまう。柳亭燕枝(1900年没、享年六十二)という明治時代の落語家は、

  動くもの終わりはありて(こぶ)(やなぎ) 

の句を辞世に残した。この句で、作者が柳亭を号することから「柳」が縁語の洒落であるまではわかるものの、瘤の意味が不明だ。じつはこの人、動脈瘤が死因という事情を知って、読者は初めて洒落のめしの句意が伝わるわけだ。訳知らずの人にとっては不可解、死んだも同然の句なのである。

 要するに、個人的事情などというものは、本人や親族友人など一部の人にしか知られていない事柄である。それも本人サイドから離れた他人や、時代がかけ離れた後裔になるほど事情は遊離していく。こうした自己本位の、閉鎖性の強い辞世は最初から作らないほうがましである。作者としての尊厳が傷つき、無視されてしまうのがオチだから。

 故人事情がほとんど閉ざされたままの一般の人は、特にこの点に気をつけるべきだ。第三者や子孫から「立派な辞世」「誇れるご先祖」と評価してもらうためにも、個人的事情は努めて排除し、客観性に立脚した辞世を世に送り出して欲しい。

 蛇足であるが、個人的事情にかかわることを書き残しておきたいなら、遺言書あるいは遺書を利用しよう。

 

類句になっていないか調べよう

 歌道や作句法の常識だが、出来た作品がいかに優れていても、過去に同様のものが存在したと判明すると類似作・剽窃作とみなされ、赤恥をかくことになりかねない。

 問題は、本人が意図して真似たわけではないのに、たまたまそうした結果が生じる点だ。理由ははっきりしている。人間共通の発想が似通っているうえ俳句系の場合は十七音字という枠内での創作、宿命的なリスクを秘めているわけだ。

 辞世とて例外ではない。むしろ死に臨んでの想念を言葉で表すわけであるから、一般俳句以上に類句の生じる可能性は大きい。

 ただ救いなのは、辞世は全体数に限りがあるため、比較照合しやすいこと。巻末の索引(本稿では省略)はその便宜のために設けたもので、作品を公表する前にチェックするなど、ぜひ活用していただきたい。

 

主題の選定

 辞世を作りたいがどんな内容で作ったらよいのかわからない、という方もおられよう。そこで、辞世にふさわしいと思える荻生流の主題をいくつか提示するので、目安に利用されたい。

 例歌は必ずしもすぐれた作とは限らない。むしろ主題に沿った歌、というのが選定の基準である。

数字は詠歌番号である。

 

 人世の回顧    228457

 往生の道     18311

 生涯の果て    7-2343

 自然への回帰   109693

 清終の美     19234

 入寂淡々     80338

 在るがままに   558744

 没後の希求    48-2773

 無常の絶唱    38695

 運命の諦め    165836

 哀惜の情     27740

 未練こもごも   496756

 無念尽きず    166586

 わが名を残す   44303

 浪漫の感傷    36967

 戯笑中の悟り   264392

 漂泊の末期    42557

 散華の頌     372893

 武士意気地    83634

 信仰の光明    300813

 自決の決意    325811

 臨刑の心境    546753

 病臥して     124984

 仙老の哀歓    71779

 茶化しの達意   416805

 皮肉の置土産   435,807

 言の葉残し    16250

 微苦笑辞世    28253