大和時代 辞世詠19

 

 

辞世詠1 日本武尊 やまとたけるのみこと

 

をとめの 床の辺に 我が置きし 剣の太刀 その太刀はや

 

●景行天皇(記紀第十二代)の皇子で、古代伝説上の英雄。『古事記』に見える5世紀の人物。*命は東征の途中、伊勢の能褒(のぼ)()で客死している。その不幸だった一生を暗示する絶唱で、我が国初見の辞世とみなしてよかろう。

 

 

辞世詠2 弟橘媛 おとたちばなひめ

 

さねさし 相模(さがむ)の小野に 燃ゆる火の ほ中にたちて とひし君はも

 

●日本武尊の妻で、古代伝説上の人物。

*夫である命の威勢に妬心し猛り狂った海神を鎮めるため、走水の沖に入水した。

 

 

辞世詠3 忍熊王 おしくまのみこと

 

いざ吾君(あぎ) 振熊が 痛手負はずば(にほ)(とり)の (あふ)()の海に (かづ)きせなわ

 

●応神天皇(記紀第十五代)の異腹の兄。『古事記』に見える伝説上の人物。

*継母の神功皇后と結託した弟の応神天皇に謀反を企てたが成らず、追い詰められ琵琶湖に投身した。

 

 

辞世詠4 木梨軽皇子 きなしのかるのみこ

 

(あま)飛ぶ 鳥も使ひぞ 田鶴(たづ)が音の 聞こえん時は 我が名問はさね

 

●允恭天皇(記紀第十九代)の第一皇子。

*異母妹の軽大郎女(かるのおおいらつめ)との兄妹相姦が発覚し、(あな)(ほの)皇子(みこ)(のちの安康天皇)の兵に追い詰められ二人とも自裁した。

 

 

辞世詠5 大葉子 おおばこ

 

から国の城の()に立ちて大葉子は 領布(ひれ)を振らすも日本(やまと)へ向きて

 

●欽明天皇二十三年 (592)に遠征先の朝鮮で刑死、生年は未詳。

新羅(しらぎ)討伐に夫と共に従軍した女傑だが、彼地で捕えられ処刑される直前に詠んだ。

 

 

辞世詠6 有間皇子 ありまのみこ

 

磐代(いはしろ)の浜松が枝を引き結び まさきくあらばまた還り見む

 

●孝徳天皇(記紀第三十六代)の皇子。斉明四年(658)に刑死、享年十九。

*朝廷に謀反したかどで紀伊の藤白坂で処刑されたが、じつは中大兄皇子の企みによる冤罪であった。

 

 

辞世詠7 柿本人麻呂 かきのもとのひとまろ

 

鴫山の岩根し枕けるわれをかも 知らにと妹が待ちつつあるらむ

 

●万葉歌人、生没年未詳。

*他の遺詠に、

辞世詠7-二  石見のや高角山の木の間より うき世の月を見はてつるかな

 

 

辞世詠8 有間皇子 ありまのみこ

 

ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴫を 今日のみ見てや雲隠りなむ

 

●天武天皇(40)の皇子。朱鳥元年(686)十月三十日に刑死、享年二十四。

*敵対する持統天皇派に謀反の名目で処刑された。

 

 

辞世詠9 柿本躬都良麿 かきのもとのみづらまろ

 

あふことも身はいたつきに沖の島 さらばと告げよわたる雁がね

 

●歌人・廷臣で、人麻呂の子。朱鳥三年(688)ごろ隠岐で流人中に客死、享年二十一。

*謀反の容疑を受けた大津皇子の関係者として連座の罪に服し、隠岐島へ流された。

 

奈良時代 辞世詠1015

 

辞世詠10 大伴旅人 おおとものたびと

 

はしきやし栄えし君のいましせば 昨日も今日も()を召さましを

 

●歌人・廷臣(大納言)。天平三年(731)に病没、享年六十一。

*『万葉集』にも七十四首を残した歌人で、死を意識した秋七月、掲出歌と次の四首、計五首を辞世に詠じた。

辞世詠10-二 かくのみにありけるものを萩の花咲きてありやと問ひし君はも

辞世詠10-三 君に恋ひいたもすべなみ(あし)()()()のみし泣かゆ朝夕(あさよひ)にして

辞世詠10-四 (とほ)(なが)(つか)へむものと思へりし君しまさねば心度(こころと)もなし

辞世詠10-五 若子(みどりこ)の這ひたもとほり朝夕(あさよひ)音のみそ()が泣く君なしにして

 

 

辞世詠11 山上憶良 やまのうえのおくら

 

(をのこ)やも空しくあるべき万代(よろづよ)に 語りつぐべき名は立てずして

 

●万葉歌人。天平五年(733)ごろ病没、享年七十四か。

 

 

辞世詠12 雪連宅満 ゆきのむらじやかまろ

 

天皇(すめろき)の (とほ)朝廷(みかど)と 韓国(からくに)に 渡るわが背は 家人(いへひと)の (いは)ひ待たねか 正身(ただみ)かも 過ちしけむ 秋さらば 帰りまさむと たらちねの 母に申して 時も過ぎ 月も経ぬれば 今日か来む 明日かも来むと 家人は 待ち恋ふらむに 遠の国 いまだも着かず 大和をも 遠く(さか)りて 岩が根の 荒き島根に 宿りする君

 

       反歌

 

(いは)()()に宿りする君家人の いづらと我を問はばいかに言はむ 

 

●伝未詳の人物だが、8世紀前半に渡来した人であろう。

*『万葉集』巻十五の詞書には「壱岐島に到りて、雪連宅満のたちまちに奇病にあひて死去せし時に作る歌一首併せて短歌」とあり、次の反歌も見える。

辞世詠12-二 世の中は常かくのみと別れぬる君にやもとな()が恋ひゆかむ

 

 

辞世詠13 石上乙麻呂 いそのかみのおとまろ

 

父君に 我は愛子(まなご)ぞ 母刀(ははと)()に 我は愛子ぞ 参上る 八十(やそ)氏人(うじひと)の 手向(たむけ)する (かしこ)の坂に 幣奉(ぬさまつ)り 我はぞ追ふ 遠き土佐路を

 

       反歌

 

大崎の神の小浜(おばま)はせばけども (もも)船人(ふなびと)も過ぐといはなくに

 

●歌人、廷臣。天平勝宝二年(750)に病没、享年未詳も六十代か。

*藤原宇合(うまかい)の未亡人である久米連若売(くめのむらじのわかひめ)との密通が発覚し、藤原一族の反感を買って土佐へと流された。そのおり詠んだ長歌三首と反歌一首(万葉巻六)である。一読して哀傷歌ではあるが、のちに赦免されてからの詠歌が見当たらず、実質上の遺詠とみてよかろう。

 

 

辞世詠14 安倍仲麻呂 あべのなかまろ

 

天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出し月かも

 

●廷臣で文学者。宝亀元年(770)に当で客死、享年七十。

*遣唐使として留学中、長安で亡くなった。これは遺詠となった望郷歌で、『小倉百人一首』にも収められ有名である。

 

 

辞世詠15 菟名日処女 うないおとめ

 

住みわびぬ我が身なけてむ津の国の 生田の河は名にこそありけれ

 

●烈女の鑑として伝説化された女性。奈良町末に入水したが、生没年は未詳。

*二人の男に言い寄られ、懊悩の末「二夫にまみえず」と投身。男たちも彼女を救おうと身を投げたが、ともに溺死した。

 

平安時代 辞世詠1650

 

辞世詠16 檀林皇后〔橘嘉智子〕 だんりんこうごう

 

我死なば焼くな埋むな野に捨てて 痩せたる犬の腹を肥やせよ

 

●嵯峨天皇(第五十二代)の皇后。嘉祥三年(850)五月四日病没、享年六十五。

 

 

辞世詠17 円仁〔慈覚大師〕 えんにん

 

おほかたにすぐる月日を眺めしは わが身に歳の積るなりけり

 

●天台宗山門派の開祖。貞観六年(864)一月十四日病没、享年七十八。

 

 

辞世詠18 在原業平 ありわらのなりひら

 

つひに行く道とはかねて聞しかど 昨日今日とは思はざりしを

 

●歌人で六歌仙の一人。元慶四年(880)病没、享年五十六。

 

 

辞世詠19 菅原道真 すがわらのみちざね

 

海ならずただよふ水の底までも 清き心は月ぞ照らさむ

 

●学者、政治家。延喜三年(903)二月二十五日病没、享年五十九。

*配流された大宰府における時世である。

 

 

辞世詠20 在原滋春 ありわらのしげはる

 

かりそめの行き交ひ路とぞ思ひこし 今は限りの門出なりけり

 

●歌人で、在原業平の第二子。生没年未詳も、延喜五年(905)までに没。

 

 

辞世詠21 大江千里 おおえのちさと

 

もみぢ葉を風にまかせてみるよりも はかなきものは命なりけり

 

●歌人、学者で、中古六歌仙の一人。生没年は未詳。

 

 

辞世詠22 紀貫之 きのつらゆき

 

手に結ぶ水に宿れる月影の あるかなきかの世にこそありけれ

 

●歌人、歌学者。天慶八年(945)ごろ病没。享年未詳。

 

 

辞世詠23 藤原惟幹 ふじわらのこれもと

 

露をなどあだなるものと思ひけむ わが身も草に置かぬばかりを

 

●廷臣、歌人。10世紀中期の人か。

 

 

辞世詠24 空也 くうや

 

極楽は遥けきほどと聞きしかど つとめて至る所なりけり

 

●僧侶、空也念仏の始祖。天禄三年(972)九月十一日没。享年七十。

 

 

辞世詠25 藤原義孝 ふじわらのよしたか

 

しかばかり契りしものを渡り川 かへる程には忘るべくはや

 

●廷臣、歌人で中古三十六歌仙の一人。天延二年(974)九月十六日病没、享年二十一。

 

 

辞世詠26 藤原実方 ふじわらのさねかた

 

うたたねのこの世の夢のはかなきに さめぬやがての命ともがな

 

●歌人で中古三十六歌仙の一人。長徳四年(998)に客死、享年三十九。

 

 

辞世詠27 藤原定子 ふじわらのていし

 

夜もすがら契りしことを忘れずは 恋いん涙の色ぞゆかしき

 

●一条天皇(第六十六代)の皇后。長保二年(1000)十二月十六日病没、享年二十五。

 

 

辞世詠28 増賀 ぞうが

 

みづはさす八十路あまりの老いの波 くらげの骨にあふぞうれしき

 

●天台宗の僧。長保五年(1003)六月九日病没、享年八十七。

 

 

辞世詠29 一条天皇 いちじょうてんのう

 

露のみのかりの宿りに君をきて 家を出でぬることぞかなしき

 

●第六十六代の天皇。寛弘八年(1011)六月二十二日崩御御年三十二。

 

 

辞世詠30 大江匡衡 おおえのまさひら

 

夜もすがら昔のことを見つるかな 語るやうつつありし世や夢

 

●廷臣、学者。寛弘九年(1012)七月十六日病没。享年六十一。

 

 

辞世詠31 紫式部 むらさきしきぶ

 

誰か世にながらへて見る書きとめし 跡は消えせぬ形見なれども

 

●女房、歌人で中古三十六歌仙の一人。長和三年(1014)ごろの没か、享年四十五くらい。

 

 

辞世詠32 選子内親王 せんしないしんのう

 

あみだぶととなふる声に夢さめて 西にながるる月をこそ見れ

 

●斎院、村上天皇(第六十二代)の第一皇女。重元八年(1035)六月二十二日没、享年七十二。

 

 

辞世詠33 和泉式部 いずみしきぶ

 

生くべくも思ほえぬるかな別れにし 人の心ぞ命なりける

 

●歌人で中古三十六歌仙の一人。長元九年(1036)ごろ病没か、享年未詳。

辞世詠33-二 くらきよりくらき道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の葉の月

辞世詠33-三 あらざらんこの世のほかの思ひ出に今ひとたびのあふこともがな

 

 

辞世詠34 良暹法師 りょうせんほうし

 

おぼつかなまだみぬ道を死出の山 雪かきわけて越えむとするらん

 

●歌僧。康平七年(1064)ごろ病没か、享年未詳。

 

 

辞世詠35 成尋阿闍梨の母 じょうじんあじゃりのはは

 

朝日待つ露の罪なく消え果てば 夕べの月は誘はざらめや

 

●入宋した天台宗の僧、成尋の母。承保二年(1075)ごろ没か、享年未詳。

*自分を捨てるようにして宋へ行った息子、成尋への想いを込めた歌日記『成尋阿闍梨母集』最後の一首である。

 

 

辞世詠36 大江匡房 おおえのまさふさ

 

惜しめども紅葉も散りぬ日もくれぬ 帰らじものを夜の錦は

 

●漢学者、歌人。天永二年(1111)十一月五日病没、享年七十一。

*次の一首も遺詠である。

辞世詠36-二 百年(ももとせ)は花にやどりてすぐしてきこの世は(てふ)の夢にざりける

 

 

辞世詠37 行尊 ぎょうそん

 

この世にはまたもあふまじ梅の花 ちりぢりならむことぞかなしき

 

●平等院大僧正で、歌人。長承四年(1135)二月五日病没、享年七十九。

 

 

辞世詠38 袈裟御前 けさごぜん

 

露ふかきあさぢが原に迷ふ身の いとど闇路に入るぞかなしき

 

●源(わたる)の妻。生没年未詳も、保延三年(1137)ごろ没か。

*遠藤盛遠こと文覚から懸想され、夫の身代わりに殺されたといわれる悲劇の女性。

 

 

辞世詠39 鳥羽天皇 とばてんのう

 

つねよりもむつまじきかなほととぎす 死出の山路の友と思へば

 

●第七十四代の天皇。保元元年(1156)ⅶ月二日崩御、御年五十四。

*皇位継承をめぐる騒乱を予想した院の努力が実を結ばないうちに崩じた。

 

 

辞世詠40 春子内侍 はるこないし

 

はかなしや波の下にも入ぬべし 月の都の人やみるとて

 

●厳島神社の内侍と伝えられている。永暦(1160)ごろ住吉沖に入水、年十七とか。

*公卿で歌人の徳大寺実定との恋に破れ、身を海に投じた。

 

 

辞世詠41 源頼政〔源三位入道〕 みなもとのよりまさ

 

埋もれ木の花咲くこともなかりしに 身のなるはてぞかなしかりける

 

●武将で、歌人。治承四年(1180)五月二十六日自刃、享年七十七。

以仁(ももひと)王を擁し奈良へ向かう途中、宇治において平家の大軍に追討され敗死した。

 

 

辞世詠42 平忠度 たいらのただのり

 

行きくれて木の下かげを宿とせば 花やこよひの主ならまし

 

●武将で、歌人(清盛の弟)。寿永三年(1184)二月七日戦死、享年四十一。

*文化人武将と称された人だが、一の谷合戦で敗れ、都落ちの途中で亡くなった。

 

 

辞世詠43 平維盛 たいらのこれもり

 

かへるべき梢はあれどいかにせん 風をいのちの身にしあらねば

 

●武将で、重盛の子。寿永三年(1184)三月二十八日入水、享年二十八。

*一の谷合戦において敗走、戦列を離れて独り熊野灘へ身を投じた。

 

 

辞世詠44 佐藤継信 さとうつぐのぶ

 

惜しむとも世はいつまでもながらへむ 身を捨ててこそ名をば継信

 

●源義経の臣下四天王の一人。文治元年(1185)二月十九日戦死、享年二十八。

 

 

辞世詠45 平時子 たいらのときこ

 

いまぞ知るみもすそ川のながれには 波の下にも都ありとは

 

●清盛の妻。文治元年(1185)三月二十四日入水、享年六十。

*羊蹄安徳天皇(八歳)を抱いて壇ノ浦に沈んだ。

 

 

辞世詠46 平重衡 たいらのしげひら

 

思ふこと語りあはさむ時鳥(ほととぎす) よろこばしくも西へゆくかな

 

●武将で、清盛の子。文治元年(1185)六月二十三日刑死、享年三十。

 

 

辞世詠47 静御前 しずかごぜん

 

しづやしづしづのをだまきくり返し 昔を今になすよしもがな

 

●源義経の愛妾。没年未詳も文治三年(1187)ごろか。

 

 

辞世詠48 西行法師 さいぎょうほうし

 

願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ

 

●吟遊の歌僧。建久元年(1190)二月十六日病没、享年七十三。

*他に次の遺詠が伝えられている。

辞世詠48-二 仏には桜の花を奉れわが後の世を人とぶらはば

 

 

辞世詠49 後白河院 ごしらかわいん

 

露の命消えなましかばかくばかり ふる白雪をながめましやは

 

●第77代の天皇。建久三年(1192)三月十三日崩御、御年六十五。

 

 

辞世詠50 藤原師長 ふじわらのもろなが

 

教へ置くその言の葉を忘るなよ 身は青海の波と沈むと

 

●頼長の子で、廷臣。建久三年(1192)七月十九日病没、享年五十五。

*保元の乱に連座し、保元元年土佐へ流罪に。琵琶の名手で、旅立ちの日に子の源惟盛に秘曲「青海波」を伝授、譜面の隅にこの一首を添え残した。事実上の辞世といえよう。

 

鎌倉時代 辞世詠5175

 

辞世詠51 顕真 けんしん

 

ながき世にねぶりはさめていかなれば この世をゆめと思ひなるらん

 

●天台宗の僧で座主。建久三年(1192)十一月十四日病没、享年六十二。

 

 

辞世詠52 曾我時致〔五郎〕 そがときむね

 

秩父山見おろす嵐の(はげ)しきに 枝散り果てて後いかにせん

 

●鎌倉武士。建久四年(1193)五月三十日刑死、享年二十。

*兄の十郎祐成とともに父の敵の工藤祐経を闇討ちにしたが、余勢を駆って将軍頼朝をも討ち果たそうとして失敗、斬首に処された。

 

 

辞世詠53 阿古 あこ

 

死ぬばかり誠になげく道ならば 命とともにのびよとぞ思ふ

 

●尾張の国の傀儡で遊君。鎌倉初期の没、享年未詳。

*伝説色の濃い女性で、平景清の愛妾との説もある。

 

 

辞世詠54 式子内親王〔大炊御門斎院〕 しょくしないしんのう

 

生きてよもあすまで人はつらからじ この夕暮れを訪はば訪へかし

 

●後白河天皇(第七十七代)の皇女。建仁元年(1201)没。

 

 

辞世詠55 藤原俊成 ふじわらのしゅんぜい

 

ねがひおきし花の下にてをはりけり はちすの上もたがはざるらん

 

●廷臣・歌人。元久元年(1204)十一月三十日病没、享年九十一。

 

 

辞世詠56 源実朝 みなもとのさねとも

 

出でて去なば主なき宿となりぬとも 軒端の梅よ春を忘るな

 

●鎌倉幕府第三代将軍・歌人。承久元年(1219)一月二十七日横死、享年二十八。

*鎌倉鶴岡八幡宮で右大臣拝賀の式典を終えた夜、自称「阿闍梨公卿」を名乗る曲者に暗殺された。

 

 

辞世詠57 明恵高弁 みょうえこうべん

 

こぎゆかむ波ぢの末をおもひやれば うき世のほかの岸にぞありける

 

●学僧で、華厳宗中興の祖。貞永元年(1232)一月十九日病没、享年六十。

 

 

辞世詠58 藤原家隆 ふじわらのいえたか

 

契あれば難波の里に宿りきて 波の入日を拝みつるかな

 

●歌人で新三十六歌仙の一人。嘉禎三年(1237)四月九日客死、享年八十。

*旅先の難波津で病に倒れた。

 

 

辞世詠59 後鳥羽上皇 ごとばじょうこう

 

ふるさとは入りぬる磯の草よただ 夕しほみちて見らくすくなき

 

●第八十二代の天皇。延応元年(1239)二月二十二日崩御、御年六十。

*都に還幸することなく、配流先の隠岐で客死した。

 

 

辞世詠60 北条泰時 ほうじょうやすとき

 

事しげき世のならひこそものうけれ 花の散るらん春もしられず

 

●鎌倉幕府の執権。仁治三年(1242)六月十五日病没、享年六十。

 

 

辞世詠61 順徳上皇〔佐渡院〕 じゅんとくじょうこう

 

おもひきや雲の上をばよそにみて 真野の入江に朽ち果てんとは

 

●第八十四代の天皇。仁治三年(1242)九月十二日崩御、御年四十六。

*配流先の佐渡で客死した。

 

 

辞世詠62 梅若丸 うめわかまる

 

尋ね来て問はば答へよ都鳥 隅田河原の露と消えぬと

 

●中世伝説上の人物で、謡曲「隅田川」に登場。同河畔で病死したという。

 

 

辞世詠63 親鸞〔見真大師〕 しんらん

 

恋しくば南無阿弥陀仏を唱ふべし 我も六字の中にこそあれ

 

●浄土真宗の開祖。弘長二年(1262)十一月二十八日病没、享年九十一。

*入寂するかなり前の遺詠である。

 

 

辞世詠64 宗尊親王 むねたかしんのう

 

なほたのむ北野の雪の朝ぼらけ 跡なきことに埋もるゝ身は

 

●後嵯峨天皇の皇子で、鎌倉幕府第六代将軍。文永十一年(1274)病没、享年三十三。

*和歌にも通じ「中書王」の異名も。この作は遺詠である。

 

 

辞世詠65 阿仏尼 あぶつに

 

人知れずねこそなかるれ空蝉の 身をなきものと思ひなせども

 

●歌人。弘安六年(1283)九月に客死、享年七十五か。

*有名な『十六夜日記』の作者である。

 

 

辞世詠66 暁月〔冷泉為守〕 ぎょうげつ

 

六十路あまり四歳の冬の長き夜に 浮き世の夢を見果てつるかな

 

●廷臣・歌人。嘉暦三年(1328)十一月八日病没、享年六十四。

*古典狂歌の創始者でもあり、横紙破りな公卿として知られる。

 

 

辞世詠67 左衛門佐局 さえもんのすけのつぼね

 

書きおきし君がたまずさ身にそへて 後の世までもかたみとやせむ

 

●後醍醐天皇の中宮の女房。現行の初め(133132)京都嵐山の大堰川に入水、享年未詳。

*藤原藤房に思われ一夜の契りを結んだあと、藤房は髪少しを添えて「黒髪の乱れん世まで永らへばこれをいまはのかたみとも見よ」の一首を局に残し、天皇に陪従して都から落ちた。局は悲嘆にくれ、大堰川に身を投げた。

 

 

辞世詠68 佐介貞俊の妻 さすけさだとしのつま

 

誰見よとかたみを人の留めけむ たへてあるべき命ならぬに

 

●夫は北条臣下の武将で刑死に。元弘の乱(1332)の直後、彼女も自刃して果てた。享年未詳。

*貞俊の軍勢は元弘の乱で金剛山を攻めたが、乱が終息するや捕えられ死刑に。死に際に辞世(内容未詳)と佩刀を妻に残した。彼女は世をはかなみ夫の後を追った。

 

 

辞世詠69 藤原師賢 ふじわらのもろかた

 

別るとも何かなげかむ君まさで 憂き古里となれる都を

 

●廷臣・歌人。元弘二年(1332)五月に配流先で没、享年三十二。

 

 

辞世詠70 北畠具行 きたばたけともゆき

 

消へかかる露の命のはては見つ さても東の末ぞゆかしき

 

●南北朝時代の武将。元弘二年(1332)六月十九日刑死、享年四十四。

 

 

辞世詠71 人見恩阿 ひとみおんあ

 

花咲かぬ老木の桜朽ちぬとも その名は苔の下にかくれじ

 

●南北朝時代の武将。正慶二年(1333)二月二日戦死、享年七十三。

 

 

辞世詠72 本間資忠 ほんますけただ

 

待て暫し子を思ふ闇に迷ふらん (むつ)(ちまた)の道しるべせむ

 

●南北朝時代の武将。正慶二年(1333)二月二日戦死、享年十八。

 

 

辞世詠73 菊池武時 きくちたけとき

 

もののふの上矢のかぶら一筋に 思ふ心は神ぞ知るらむ

 

●南北朝時代の武将。正慶二年(1333)二月二日戦死、享年四十二。

 

 

辞世詠74 菊池武時の妻 きくちたけときのつま

 

古里も今宵ばかりの命ぞと 知りてや君がわれを待つらむ

 

●正慶二年(1333)三月十三日以降に自刃、享年未詳。

*夫の戦死に追死した。

 

 

辞世詠75 諏訪頼重 すわよりしげ

 

おのづからかれはてにけり草の葉の 主あらばこそまたもむすばめ

 

●南北朝時代の武将。建武二年(1335)自刃、享年二十七。

 

室町時代 辞世詠76233

 

辞世詠76 祐覚 ゆうかく

 

大方の年の暮とぞ思ひしに 我が身の果ても今夜なりけり

 

●延暦寺山徒の首領。建武三年(1336)十二月二十九日刑死、享年未詳。

 

 

辞世詠77 楠木正行〔小楠公〕 くすのきまさつら

 

かへらじとかねておもへばあづさ弓 なき数にいる名をぞとどむる

 

●南北朝時代の武将で、正成の長子。貞和四年(1348)一月五日戦死、享年二十二。

*河内四条畷での戦いに敗れ、弟の正時と刺し違えた。

 

 

辞世詠78 兼好法師 けんこうほうし

 

かへり来ぬ別れをさてもなげくかな 西にとかつは祈るものかは

 

●歌人・随筆家。生没年未詳も文和元年(1352)以降の没。

 

 

辞世詠79 宣政門院 せんせいもんいん

 

すみぞめの袖の涙のたまたまも 思ひ出づるはうきむかしかな

 

●光厳院(北朝第一代の天皇)の後宮。康安二年(1362)五月七日病没、享年未詳。

 

 

辞世詠80 弘智 こうち

 

岩坂のあるじは誰そと人問はば 墨絵に描きし松風の音

 

●真言僧で、即身仏となった行者。貞治二年(1363)十二月二十九日没、享年未詳。

*「即身仏」とは、現身(うつしみ)のまま断食行に入り、そのまま入寂して仏身化を目指すこと。

 

 

辞世詠81 存覚 ぞんかく

 

今ははやひとよの夢となりにけり ゆききあまたのかりのやどやど

 

●真宗本願寺の僧。応安六年(1373)二月二十八日病没、享年八十四。

 

 

辞世詠82 宗良親王〔尊澄法親王〕 むねながしんのう

 

君がため世のため何か惜からむ 捨て甲斐ある命なりせば

 

●後醍醐天皇(第九十六代)の皇子で、天台座主。晩年の伝未詳も永徳(138184)頃の没か。

 

 

辞世詠83 山名氏清 やまなうじきよ

 

とり得ずば消えぬと思へ梓弓 ひきてかへらぬ道芝の露

 

●南北朝時代の武将で、守護大名。明徳二年(1391)十二月三十日戦死、享年四十九。

*明徳の乱で敗北し斬られた。

 

 

辞世詠84 足利持仲 あしかがもちなか

 

咲く時は花の数には入らねども 散るにはもれぬ山桜かな

 

●室町時代の武将。応永二十四年(1417)一月十日自刃、享年未詳。

 

 

辞世詠85 竹田信満 たけだのぶみつ

 

梓弓ひきそめし身のそのままに 五十余りの夢やさまさん

 

●室町時代の武将で、甲斐国の守護。応永二十四年(1417)二月六日自刃、享年未詳。

 

 

辞世詠86 上杉氏憲の妻 うえすぎうじのりのつま

 

さなきだに五つのさはりありときく おやさへむくふ罪はいかにせん

 

●竹田信満の娘。応永二十四年(1417)二月に自裁、享年未詳。

 

 

辞世詠87 楠光正 くすのきみつまさ

 

夢のうちに都の秋の果は見つ 心は西へありあけの月

 

●室町時代の武将。永享元年(1429)九月二十四日刑死、享年未詳。

 

 

辞世詠88 栄助法親王 えいじょほうしんのう

 

つひにげに限りあるべき命ぞと 思ひしことの今になりけり

 

●後光厳天皇(北朝第四代)の皇子で、真言僧。永享九年(1437)二月十日病没、享年76

 

 

辞世詠89 足利春王丸 あしかがしゅんのうまる

 

よろこびの世にあふ身ともなりもせで 青野ヶ原の露と消えまし

 

●鎌倉管領持氏の三男。嘉吉元年(1441)四月十六日刑死、享年十一。

*結城合戦で結城城に籠ったが、幕府軍に攻め落とされ、安王丸・春王丸の兄弟は捕えられた。京都への護送中、美濃の垂井で揃って斬首された。

 

 

辞世詠90 足利安王丸 あしかがあんのうまる

 

相川や裾をひたしてゆく袖に 垂井の露と消えも果てなん

 

●春王丸の兄。弟と共に処刑された。享年十三。

 

 

辞世詠91 赤松義雅 あかまつよしまさ

 

思ひきや四十路余りの春秋を 花や紅葉と散り果てんとは

 

●守護大名満祐の弟。嘉吉元年(1441)九月二十四日自刃、享年四十五。

*兄満祐は足利義教を謀殺。この嘉吉の乱に連座し義雅も詰め腹を切らされた。

 

 

辞世詠92 竜門寺某 りゅうもんじなにがし

 

幻の浮身のほどを頼りてし うつつやけふの夢となるらん

 

●赤松満祐の臣か。嘉吉元年(1441)九月に自刃、享年未詳。

 

 

辞世詠93 蜷川親当 にながわちかまさ

 

生れたるその暁に死しぬれば 今日のゆふべは秋風ぞ吹く

 

●足利幕臣・歌人。文安五年(1448)五月十二日病没、享年未詳。

*伝では一休の弟子で、洒脱な狂歌作品等を残している。

 

 

辞世詠94 中納言房 ちゅうなごんふさ

 

見るもうし夢になり行く草の原 うつろに残る人のおもかげ

 

●下総国金剛授寺に寄宿の貴人。康正元年(1455)八月に自裁、享年未詳。

 

 

辞世詠95 一休宗純の母 いっきゅうそうじゅんのはは

 

これとてもかりそめならぬ分かれては かたみともみよ水茎のあと

 

●南朝遺臣、花山院某の娘。伝未詳も没年は寛正(146066)頃。

*一休への遺詠である。

 

 

辞世詠96 一休宗純 いっきゅうそうじゅん

 

極楽は十万億土とはるかなり とても行かれぬわらじ一足

 

●京都酬恩庵主の禅僧。後小松天皇の皇子と伝えられ、数々の逸話を残す。文明十三年(1481)十一月二十一日病没、享年八十八。

 

 

辞世詠97 福井小次郎 ふくいこじろう

 

生れ来し親子のちかいいかなれば 同じ世にだに別へだつらん

 

●備前富岡城主浦上則国の臣。文明十五年(1483)十二月十三日戦死、享年未詳。

*母親あての遺詠である。彼は山名軍との攻防戦で勇猛に戦い、全身に二十六か所も傷を負って逝ったと『豪勇言行録』にある。

 

 

辞世詠98 一路 いちろ

 

手取りめよ己は口がさし出たぞ 雑炊煮えたと人に語るな

 

●禅宗の僧で、一休と親交があった。康正元年(1455)八月に自裁、生没年・享年未詳。

 

 

辞世詠99 太田道灌 おおたどうかん

 

かゝる時さこそ命のをしからめ かねてなき身と思ひしらずば

 

●戦国武将・歌人。文明十八年(1486)七月二十八日横死、享年五十五。

*江戸城を築城した功績で知られる。

 

 

辞世詠100 足利義尚 あしかがよしひさ

 

手を折りて過ぎ来し代々を数ふれば むなしき床の夢にぞありける

 

●室町幕府第九代将軍。長享三年(1489)三月二十四日病没、享年二十五。