辞世詠101 足利義政 あしかがよしまさ

 

何ごとも夢まぼろしと思ひしる 身にはおれひもよろこびもなし

 

●室町幕府第八代将軍。延徳二年(1490)一月七日病没、生没年・享年五十五。

 

 

辞世詠102 多々良政弘 たたらまさひろ

 

  百句連歌辞世うち「南無不動明王」

 

な が月もかひなき秋の別かな

 

む しの音かれて寒き夕暮

 

ふ く風に尾花も袖やしぼるらむ

 

と ころ定めぬ野辺のかりふし

 

う きものと言ひしぞまこと旅の道

 

み やこに住まばあはれ知らめや

 

や ま水にひとりのをしの声聞きて

 

う すき氷の結ぶ岩が根

 

わ づかなる舟さし下す河風に

 

う き雲まよひあめかかる空

 

●連歌師のようだが、伝未詳の人。明応四年(1495)9月病没、享年未詳。

*死が近いことを悟り、「南無不動明王」はじめ「釈迦牟尼仏」「文殊支利菩薩」など十三仏のなを冠折句とした連歌を詠んでいる。連歌の遺詠・辞世は希少価値がある。

 

 

辞世詠103 蓮如〔慧灯大師〕 れんにょ

 

我死なばいかなる人も皆共に 雑業捨てて弥陀を頼めよ

 

●真宗の僧で、本願寺第八世宗主。明応八年(1499)三月二十五日病没、生没年・享年八十五。

*他に辞世と伝えられている一首に、

辞世詠103-二  八十五(やそいつつ)定業なきは我が身かな明応八年往生ぞすれ

 

 

辞世詠104 白菊丸 しらぎくまる

 

しら菊と忍ぶの里の人問はば 思ひ入江の島とこたへよ

 

●鎌倉相承院の稚児僧。次掲の自休と入水情死したと伝えられている。没年等は未詳。

 

 

辞世詠105 自休 じきゅう

 

白菊の花の情けの深き海に 共に入江の島ぞうれしき

 

●鎌倉建長寺の僧。白菊丸の後を追い入水した。没年等は未詳。

 

 

辞世詠106 宗祇〔飯尾〕 そうぎ

 

はかなしや鶴の林の煙にも 立をくれぬる身こそ恨むれ

 

●連歌師で、「花の本」とも称号される。文亀二年(1502)七月に客死、享年八十二。

*他の辞世に、

辞世詠106-二  うつしおくわかかげながら世のうさを知らぬ翁そうらやまれ  ぬる

 

 

辞世詠107 細川澄之 ほそかわすみゆき

 

梓弓張りて心は強けれど 引手すくなき身とぞなりぬる

 

●管領細川政元の養子。永正四年(1507)自刃、享年十九。

 

 

辞世詠108 兼載〔猪苗代〕 けんさい

 

海士(あま)の子が舟流したる心地して 櫂臚も尽きて古河に果てなん

 

●連歌師。永正七年(1510)六月六日病没(客死説も)、享年五十九。

 

 

辞世詠109 三浦道寸〔義同〕 みうらどうすん

 

討つ者も討たれる者も土器(かはらけ)よ 砕けて後はもとの土くれ

 

●戦国初期の武将で、相模の豪族。永正十三年(1516)七月十一日戦死、享年六十五。

*北条早雲の軍勢に攻めたてられ、居城の新井城と命運を共にした。

 

 

辞世詠110 三浦義意 みうらよしおき

 

君が代は千代に八千代によしやただ (うつつ)のうちの夢のたわむれ

 

●戦国初期の武将で、道寸の子。父とともに自刃して果てた。享年未詳。

 

 

辞世詠111 香川行景 かがわゆきかげ

 

消えぬともその名やよゝにしら真弓 引きて返らぬ道芝の露

 

●戦国初期の武将で、安芸八木城主。永正十四年(1517)戦死、享年三十三。

*毛利元就軍による安芸進攻に武田元繁と組んで守戦に回ったものの敗れた。

 

 

辞世詠112 己斐師道〔宗㟨〕 こいもろみち

 

残る名にかへなば何か惜しむべき 風の木の葉の軽き命を

 

●戦国初期の武将で、安芸国己斐城主。永正十四年(1517)十月二十三日戦死、享年六十一。

*有田城合戦で討死にした。

 

 

辞世詠113 細川高国〔道水〕 ほそかわたかくに

 

なしと言い又有りと言う言の葉や (のり)の真の心なるらん

 

●戦国初期の武将で管領。享禄四年(1531)七月八日自刃、享年四十八。

*摂津中島の合戦で細川晴元と戦い敗走、尼崎で捕えられ切腹させられた。

 

 

辞世詠114 円珠尼 えんじゅに

 

うろむろの境の淵に跡たれて おもかげうつす錦葉の露

 

●尼僧で歌人。生没年未詳も、戦国期の没。

 

 

辞世詠115 森迫親正 もりさこちかまさ

 

命より名こそ惜しけれ武士(もののふ)の 道にかふべき道しなければ

 

●戦国武将で、肥後遠征の大友軍に従軍。天文二十年(1551)八月二十六日戦死、享年十七。

 

 

辞世詠116 大内義隆 おおうちよしたか

 

うつ人もうたるる人ももろ共に 如露亦如電応作如是観(にょろやくにょでんおうさにょぜかん)

 

●戦国武将で、周防など七か国の守護。天文二十年(1551)九月一日自刃、享年四十五。

*義隆は「文人大名」と異名されるほど奢侈な生活にふけり、重臣の陶隆房(後の晴賢)の反逆にあい、避難先の周防大寧寺で詰め腹を切らされた。

 

 

辞世詠117 冷泉隆豊 れいぜいたかとよ

 

見よや立つ雲も烟もなか空に さそひし風の末も残らず

 

●戦国武将で、大内義興・義隆の家臣。義隆と時を同じくして自刃、享年三十九。

*自ら小指をかみ切り、一切経の表紙にこの辞世をしたためた。直後に割腹して臓器をつかみ出すなり天井へ放り出し、喉を掻っさばいて倒れたという。

 

 

辞世詠118 太田隆道 おおたたかみち

 

秋風の至り至らぬ山陰に 残る紅葉も散らずやはある

 

●戦国武将で、大内義隆の家臣。主君に殉死、享年未詳。

 

 

辞世詠119 岡部隆景 おかべたかかげ

 

白露の消えゆく秋の名残とや しばしは残るすえの松風

 

●戦国武将で、大内義隆の家臣。主君に殉死、享年未詳。

 

 

辞世詠120 右田隆次 みぎたたかつぐ

 

末の露もとの雫に知るやいかに 終におくれぬ世の習ひとは

 

●戦国武将で、大内義隆の家臣。主君に殉死、享年未詳。

 

 

辞世詠121 禰宜右信 ねぎみぎのぶ

 

風を荒らみ跡なき露の草の原 散り残る花も幾程の世ぞ

 

●戦国武将で、大内義隆の家臣。主君に殉死、享年未詳。

 

 

辞世詠122 平賀隆保 ひらがたかやす

 

有りといひなしといはんも花紅葉 ただ仮初の言の葉の色

 

●戦国武将で、安芸頭崎城主。天文二十一年(1552)九月二十ⅸ日自刃、享年二十三。

 

 

辞世詠123 昌久〔里村〕 さとむら

 

かからんと思ひし物の身のきえは 夕べのかねに哀もそそふ

 

●連歌師。天文二十一年(1552)十一月五日病没、享年四十三。

 

 

辞世詠124 宗鑑〔山崎〕 そうかん

 

宗鑑は何処へと人の問ふならば ちと用ありてあの世へといへ

 

●連歌師・俳人。天文二十二年(1553)病没、享年八十九。

*癌(古語で「よう」)が原因で亡くなったが、ゆえに用をかけて諧謔している。

 

 

辞世詠125 正念 しょうねん

 

来て見てもきてみても皆同じこと ここらでちょっと死んでみようか

 

●浄土宗の念仏僧。天文二十三年(1554)病没、享年四十二。

 

 

辞世詠126 竜崎宮千代 たつざきみやちよ

 

子を思ふ暗に迷ふな待てしばし 死出の山路をともに越えなん

 

●朝倉教景の小姓。天文二十四年(1555)七月に戦死、享年十六。

*主君の教景は加賀の一向門徒宗を討伐する戦いに加わったが、八十歳の高齢のため陣中で病死した。宮千代は後追い殉死したとの説が有力だ。

 

 

辞世詠127 陶晴賢 すえはるかた

 

なにをしみなにを恨まんもとよりも このありさまに定まれる身に

 

●戦国武将で、周防など七か国の守護。天文二十四年(1555)十月一日自刃、享年三十五。

*毛利元就の謀により晴賢の軍勢は厳島で奇襲を受け壊滅、晴賢も自刃し果てた。

 

 

辞世詠128 伊香賀隆正 いかがたかまさ

 

思ひきや千年をかけし山松の 朽ちぬる時を君にみんとは

 

●陶晴賢の乳母の夫で、家臣。同日主君に殉死、享年未詳。

 

 

辞世詠129 山崎隆方 やまざきたかかた

 

有りときき無きと思ふも迷ひなり 迷ひなければ悟りさへなき

 

●陶晴賢の臣。同日主君に殉死、享年未詳。

 

 

辞世詠130 斎藤道三 さいとうどうさん

 

捨ててだにこの世のほかはなきものを いづくか終のすみかなりけん

 

●戦国武将で、美濃の国主。弘治二年(1556)四月二十日戦死、享年六十。

*いわゆる親子戦争と称される、嫡子義竜との決戦で敗死した。

 

 

辞世詠131 大内義長 おおうちよしなが

 

さそふとて何かうらみん時きては 嵐の外に花もこそあれ

 

●戦国武将で、大友宗麟の実弟。弘治三年(1557)四月三日自刃、享年十八。

 

 

辞世詠132 三好実休〔義賢〕 みよしさねやす

 

草からす霜また今朝の日に消て 因果はここにめぐり来にけり

 

●戦国武将で、和泉岸和田城主。永禄五年(1562)三月五日戦死、享年三十五。

*紀伊の畠山高政率いる根来衆の攻めにあい討たれた。

 

 

辞世詠133 安宅冬康 あたぎふゆやす

 

因果とは遥か車の輪のほかに めぐるも遠き三芳野の原

 

●戦国武将で、三好実休の弟、摂津荒木城主。永禄七年(1564)五月横死、享年未詳。

*松永久秀の策謀が原因で、兄の三好長慶に殺害された。

 

 

辞世詠134 足利義輝 あしかがよしてる

 

五月雨(さみだれ)は露か涙か時鳥(ほととぎす) わが名をあげよ雲の上まで

 

●室町幕府第十三代将軍。永禄八年(1565)五月十九日戦死、享年三十。

*上洛命令に反感を抱いた松永久秀らの襲撃にあい戦死した。

 

 

辞世詠135 大島澄月 おおしますみづき

 

澄む月の暫し雲には隠るとも 己が光はてらさゞらめや

 

●戦国武将で、平戸藩松浦隆信の臣。永禄八年(1565)五月戦死、享年未詳。

 

 

辞世詠136 大島照屋 おおしまてるいえ

 

仮初の雲隠れとは思へども 惜む習ひぞ有明の月

 

●澄月の兄。弟の弔い合戦で戦死、享年未詳。

 

 

辞世詠137 島津忠良〔日進斎入道〕 しまづただよし

 

急ぐなよまた留まるな我が心 定まる風の吹かぬ限りは

 

●戦国武将で、薩摩の人。永禄十一年(1568)十二月十三日病没、享年七十六。

 

 

辞世詠138 奈良弥生 ならやよい

 

思ひ川深き淵瀬は早けれど 誘ふ水には名を流さめや

 

●戦国武将奈良左近義成(伝未詳)の妹。永禄十二年(1569)一月自刃、享年未詳。

 

 

辞世詠139 毛利元就 もうりもとなり

 

をさまれる世にこそしけれ松がえの ちりもつきせじやまとことのは

 

●戦国武将で、西国十か国の領主。元亀二年(1571)六月十四日病没、享年七十五。

 

 

辞世詠140 鳥居与七郎の妻 とりいよしちろうのつま

 

よにふればよしなき雲ぞおほふらむ いざいりてまし山の端の月

 

●夫は戦国武将で、朝倉義景の臣。夫の戦士と共に捕らわれたが、天正元年(1573)八月入水し果てた。享年未詳。

 

 

辞世詠141 小泉藤左衛門 こいずみとうざえもん

 

先だゝぬ悔の八千度かなしきは 流るゝ水の巡り貴なり

 

●越前金津城主の溝江長逸の臣。天正二年(1574)二月十九日自刃、享年未詳。

 

 

辞世詠142 鳥居強右衛門 とりいすねえもん

 

我が君のいのちにかはる玉の緒は 何かいとはんもののふの道

 

●戦国武将で、奥平信昌の臣。天正三年(1575)五月十六日戦死、享年未詳。

*敵の武田勝頼軍に攻められ長篠城から単身脱出、織田信長に援軍を求めたが、城へ戻る途中で捕まり城の前で磔に処された。

 

 

辞世詠143 三村元親 みむらもとちか

 

人という名を借るほどや末の露 消へてぞかへるもとの雫に

 

●戦国武将で、備中松山城主。天正三年(1575)五月自刃、享年未詳。

*元親は信長に内応したため、主筋の毛利輝元に攻め込まれ自滅した。

 

 

辞世詠144 甫一検校 ほいちけんぎょう

 

松山に消えなむものを末の露 落ても水のあはれうき身は

 

瞽師(ごぜ)で、平曲語り。天正三年(1575)五月自刃、享年未詳。

*三村元親に恩顧を受けており、殉死の形をとった。

 

 

辞世詠145 三好長治 みよしながはる

 

三芳野の梢の雪と散る花を 長き春とや人の云ふらん

 

●戦国武将で、阿波勝瑞城主。天正五年(1577)三月二十八日自刃、享年二十五。

*阿波別宮浦において一族共ども果てた。

 

 

辞世詠146 三好康俊 みよしやすとし

 

三芳野の花は数にはあらねども 散るにはもれぬ山桜かな

 

●戦国武将で、長治の臣。主君と同日戦死、享年未詳。

 

 

辞世詠147 山中鹿之助 やまなかしかのすけ

 

憂きことのなほこの上に積もれかし かぎりある身の力ためさん

 

●戦国武将で、尼子十勇士の一人。天正六年(1578)七月刑死、享年三十五。

*播磨上月城において毛利軍の猛攻にあい、奮戦むなしく捕えられ斬刑に処せられた。

 

 

辞世詠148 神西元道の妻 じんざいもとみちのつま

 

後れゆくも道は迷はじかねてより 契る心の花の(うてな)

 

●夫は尼子勝久の臣で十勇士の一人。天正五年夫の後を追い入水、享年未詳。

 

 

辞世詠149 池田和泉 いけだいずみ

 

露の身の消えても心残り行く 何しかならんみどり子の末

 

●戦国武将で、摂津有岡城代。天正七年(1579)十一月二十四日鉄砲で自裁、享年未詳。

*明智光秀軍に攻め込まれ、逃亡した城主荒木村重に代わり応戦したが敗れた。

 

 

辞世詠150 荒木村重の妻 あらきむらしげのつま

 

消ゆる身は惜しむべきにもなきものを 母の思ひぞさはりとはなる

 

●夫は戦国武将で、元伊丹城主。天正七年(1579)十二月十六日刑死、享年未詳。

*村重自身は敵の真田軍包囲の中から脱出、尼崎城へと逃走した。この裏切りに連座し、妻妾らは京都六条河原で斬刑に処された。辞世には次の二首も含まれる。

辞世詠150-二  残し置くそのみどり子の心こそ思ひやられて悲しかりけり

辞世詠150-三  木須よりあだに散りにし桜花さかりもなくて嵐こそ吹け

 

 

辞世詠151 荒木村重の妻の侍女 あらきむらしげのつまのじじょ

 

みがくべき心の月の曇らねば 光とともに西へこそ行く

 

●名はおいち。同日、係累として処刑された。享年未詳。

 

 

辞世詠152 荒木村重の娘 あらきむらしげのむすめ

 

世の中の憂き迷いをばかき捨てて 弥陀の誓ひに会ふぞうれしき

 

●長女で名は未詳。同日、処刑された。享年未詳。

 

 

辞世詠153 荒木村重の娘 あらきむらしげのむすめ

 

露の身の消え残りても何かせん 南無阿弥陀仏に助かりぞする

 

●名はおはて。同日、処刑された。享年未詳。

 

 

辞世詠154 荒木村重の娘 あらきむらしげのむすめ

 

もえいづる花はふたたび咲かめやと 頼みをかけて有明の月

 

●名はぬし。同日、処刑された。享年未詳。

 

 

辞世詠155 荒木与兵衛の妻 あらきよへえのつま

 

嘆くべき弥陀の教への誓ひこそ 光とともに西へとぞいく

 

●夫は村重の臣。連座の罪で処刑された。享年未詳。

 

 

辞世詠156 別所長治 べっしょながはる

 

今はただうらみもあらじ諸人の 命にかはる我が身とおもへば

 

●戦国武将で、播磨三木城主。天正八年(1580)一月十七日自刃、享年二十三。

*羽柴秀吉軍の姦計「三木の干殺し」にあい、自らの命と引き換えに城兵の助命を乞い、長治の願いは聞き届けられた。

 

 

辞世詠157 別所長治の妻 べっしょながはるのつま

 

もろともに消え果つるこそうれしけれ おくれ先立つならひなる世に

 

●夫らと共に同日、自刃。享年未詳。

 

 

辞世詠158 別所友之 べっしょともゆき

 

命をも惜しまざりけり梓弓 末の世までの名を思ふとて

 

●長治の弟。同日、三木上にて兄夫妻、妻と共に自刃。享年二十一。

 

 

辞世詠159 別所友之の妻 べっしょともゆきのつま

 

たのめこし後の世までに翼をも 並ぶ千鳥の契りうれしき

 

●同日、夫らと共に自刃。享年未詳。

 

 

辞世詠160 別所賀相の妻 べっしょよしすけのつま

 

後の世の道も迷はじおもひ子を つれていでぬる行末の空

 

●夫は長治の叔父。同日、連座により自刃。享年未詳。

 

 

辞世詠161 三宅忠治 みやけただはる

 

君なくば憂き身の命何かせん 残りてかいのある世なりとも

 

●長治の乳兄弟で、家臣。同日、連座して自刃。享年未詳。

 

 

辞世詠162 吉川経家 きっかわつねいえ

 

もののふの取伝へたる梓弓 かへるやもとのすみかなるらん

 

●戦国武将で、石見福光城主。天正九年(1581)十月二十五日自刃、享年三十五。

*鳥取状に立て籠り秀吉軍に応戦したが包囲されて孤立無援になり、城兵の助命と引き換えに切腹した。

 

 

辞世詠163 武田勝頼 たけだかつより

 

朧なる月もほのかにくもかすみ 晴れてゆくへの西の山の端

 

●戦国武将で、甲斐国主。天正十年(1582)三月十一日戦死、享年三十八。

*織田信長の武田討伐により、信玄の息子は悲惨な最期を遂げた。それも信頼しきった小山田信茂の裏切りによってである。

 

 

辞世詠164 北条の方〔武田勝頼夫人〕 ほうじょうのかた

 

黒髪の乱れたる世ぞ果てしなき 思ひに消ゆる露の玉の緒

 

●夫が戦死した同日、後を追い自刃。享年十九。

 

 

辞世詠165 武田信勝 たけだのぶかつ

 

あだにみよたれもあらしのさくら花 咲き散るほどは春の世の夢

 

●勝頼の長男。同日、父と共に自刃。享年十六。

 

 

辞世詠166 竹股秀重 たけまたひでしげ

 

阿修羅王にわれ劣らめややがて又 生まれて取らむ勝家が首

 

●戦国武将で、越中魚津城主河田豊前守の臣。天正十年(1582)五月戦死。享年未詳。

 

 

辞世詠167 清水宗治 しみずむねはる

 

浮世をばいまこそ渡れ武士(もののふ)の 名を高松の苔に残して

 

●戦国武将で、備中高松城主。天正十年(1582)六月四日自刃。享年四十五。

*宗治は毛利軍勢の将であった。史上有名な秀吉軍の水攻めに会い高松城は陥落、宗治は兄の月清(病弱のため僧籍)と共に自刃した。

 

 

辞世詠168 月清 げっせい

 

世の中に惜しまるる時散りてこそ 花は花なれ人も人なれ

 

●清水宗治の兄で、僧。天正十年(1582)六月四日自刃。享年未詳。

*弟宗治の死の後を追った。

 

 

辞世詠169 明智光秀の妻 あけちみつひでのつま

 

はかなきを誰か惜しまん朝顔の 盛りを見せし花もひと時

 

●夫戦死の知らせを受け、天正十年(1582)六月十四日自刃(横死説も)。享年未詳。

*光秀係累の最期に関しては諸説が流布されている。

 

 

辞世詠170 明石儀太夫 あかしぎだゆう

 

弓取りの数にいるその身となれば 惜しまざりけり夏の世の月

 

●戦国武将で、明智光秀と共に戦死か。天正十年(1582)六月十四日、近江の小栗栖で果てた。享年未詳。

 

 

辞世詠171 斎藤利三 さいとうとしみつ

 

消えて行く露の命は短夜の 明日をも待たず日の岡の峰

 

●戦国武将で、明智光秀の臣。天正十年(1582)六月十七日戦死。享年未詳。

 

 

辞世詠172 明智三忠 あけちみつただ

 

誰がための名なれば身より惜しむらん 墓なきものは武士(もののふ)の道

 

●戦国武将で、明智光秀の臣。天正十年(1582)六月二十四日戦死、享年四十三。

 

 

辞世詠173 柴田勝家 しばたかついえ

 

夏の夜の夢路はかなきあとの名を 雲井にあげよ山ほととぎす

 

●安土桃山時代の武将で、織田信長の臣。天正十一年(1583)四月二十四日自刃、享年六十二。

*居城である越前北ノ庄を秀吉軍に包囲され、自ら城に火を放ち運命を共にした。

 

 

辞世詠174 お市の方〔柴田勝家の妻〕 おいちのかた

 

さらぬだにうちぬるほども夏の夜の 夢路をさそふほととぎすかな

 

●同日、夫とともに自決、享年三十七。

 

 

辞世詠175 中村文荷斎 なかむらぶんかさい

 

契りあれば涼しき道に仕へ行く のちの世までもきくほととぎす

 

●安土桃山時代の武将で、柴田勝家の臣。主君らと北ノ庄で自刃、享年四十九。

 

 

辞世詠176 柴田勝家の姉 しばたかついえのあね

 

今ここにむそじあまりの日の数を ただひとときにかへしぬるかな

 

●名は末森。勝家らと共に自刃、享年未詳。

 

 

辞世詠177 柴田勝家の姪 しばたかついえのめい

 

思ひきや竹田の里の草のつゆ 母うへともに消えんものとは

 

●末森の娘。連座して自刃、享年未詳。

 

 

辞世詠178 立野弥兵衛の妻 たてのやへいのつま

 

あさましや身をば立野に捨てられて ねみだれ髪かくしのつらさよ

 

●夫は戦国武将。天正前期(1583)奇禍にあい刑死、享年未詳。

*出典である新井白蛾著『牛馬問』によると、彼女は夫の手により、粗暴の悪名を高めた陸奥黒川城主・蘆名盛隆(156184)の人質に取られた。やがて夫の謀反により盛隆の怒りを買い串刺しに処せられたが、その直前詠じた一首とのことである。

 

 

辞世詠179 織田信孝 おだのぶたか

 

昔より主をうつみの野間なれば 報いを待てや羽柴筑前

 

●安土桃山時代の武将で、織田信長の第三子。天正十一年(1583)五月二日自刃、享年二十六。

*信長の死後、羽柴秀吉を排除しようと謀ったが、返り討ちにされた。

 

 

辞世詠180 佐久間盛政 さくまもりまさ

 

世の中をめぐもはてぬ小車は 火宅の門を出づるなりけり

 

●安土桃山時代の武将で、柴田勝家の臣。天正十一年(1583)五月十二日刑死、享年三十。

*賤ヶ岳での戦いに敗れ捕えられたが、腹を切るのは凡者のやることと主張し、首をはねるよう要求して受け入れられた。

 

 

辞世詠181 波羅蜜坊 はらみつぼう

 

西向きて夢想念仏をとなふれば 阿弥陀の声のまこと聞けらし

 

●鎌倉の真言僧。天正十一年(1583)頃に入寂、享年未詳。

 

 

辞世詠182 武田信虎の妻 たけだのぶとらのつま

 

春は花秋は紅葉のいろいろも 日数つもりて散らばそのまま

 

●彼女の晩年については未詳も、。天正十一年(1583)頃の没と伝えられている。

 

 

辞世詠183 高橋紹運〔鎮種〕 たかはしじょううん

 

(かばね)をば岩屋の苔に埋めてぞ 雲井の空に名を止むべき

 

●安土桃山時代の武将で、豊後岩屋城主。天正十四年(1586)七月二十七日自刃、享年三十九。

*島津勢に城を猛攻され、城衆と共に散った。次の遺詠もある。

辞世詠183-二  流れての末の世遠く埋もれぬ名をやいはやの苔の下水

 

 

辞世詠184 三原紹心 みはらじょうしん

 

打太刀のかねの響は久かたの あまつそらにぞきこえあぐべき

 

●安土桃山時代の武将で、高橋紹運の臣。天正十四年(1586)七月二十七日主君と共に自刃、享年未詳。

 

 

辞世詠185 島津歳久〔晴簔〕 しまづとしひさ

 

晴簔(はるみ)めが(たま)のありかを人問はば いざ白雲の空と答へよ

 

●安土桃山時代の武将で、薩摩邥笞院領主。天正十五年(1587)七月十日自刃、享年五十六。

*秀吉の歳久討伐命令により兄義久に攻め込まれ果てた。

 

 

辞世詠186 佐々成政 さっさなりまさ

 

この頃の厄妄想を入れおきし 鉄鉢袋今破るなり

 

●安土桃山時代の武将で、肥後熊本城主。天正十六年(1588)閏五月十四日自刃、享年五十三。

*検地政策の失敗により領民一揆を招いたため、責任を取って自刃した。

 

 

辞世詠187 遠藤雅楽頭の妻 えんどううたのかみのつま

 

後の世も逢隅川に身を投げて 沈むは深き縁なりけり

 

●夫は陸奥二階堂家の重臣。天正十七年(1589)十月二十日入水、享年未詳。

 

 

辞世詠188 心前 しんぜん

 

数ふればあまたの人にをくれこし わが身の消えをなにをもはまし

 

●僧侶で連歌師、里村紹巴の弟子。天正十七年(1589)十一月十六日病没、享年未詳。

 

 

辞世詠189 北条氏政 ほうじょううじまさ

 

吹きとふく風な恨みそ花の春 紅葉も残る秋あらばこそ

 

●安土桃山時代の武将で、相模国小田原城主。天正十八年(1590)七月十一日自刃、享年五十三。

*秀吉に小田原城を攻められ、落城の責をとり自刃し果てた。

 

 

辞世詠190 千利休〔宗易〕 せんのりきゅう

 

(ひつさぐ)るわが()具足(ぐそく)の一つ太刀 今この時ぞ天に(なげう)

 

●茶人で、茶道の創始者。天正十九年(1591)二月二十八日自刃、享年七十。

*秀吉の気まぐれな立腹が原因で切腹を命じられ、京都の自邸で果てた。辞世はもう一首、

辞世詠190-二  利休めはとかくみやうがのものぞかしかんぜうしやうになると思へば

 

 

辞世詠191 北条氏直 ほうじょううじなお

 

結びしに解くる姿は変れども 氷のほかの水はあらめや

 

●安土桃山時代の武将で、相模国小田原城主。天正十九年(1591)十一月四日病没、享年三十。

 

 

辞世詠192 蒲生氏郷 がもううじさと

 

限りあれば吹かねど花は散るものを 心みじかき春のやまかぜ

 

●安土桃山時代の武将で、会津若松城主。文禄四年(1595)二月七日病没、享年四十。

 

 

辞世詠193 熊谷直之 くまがいなおゆき

 

あはれとも訪ふ人ならでとふべきか 嵯峨野踏み分けて奥の古寺

 

●安土桃山時代の武将で、若狭高田氏家臣。文禄四年(1595)七月十四日自刃、享年未詳。

*豊臣秀次事件にかかわった責を問われ、嵯峨二条院で自裁し果てた。

 

 

辞世詠194 一の台〔豊臣秀次の正室〕 いちのだい

 

吹きとふく風な恨みそ花の春 紅葉も残る秋あらばこそ

 

●秀次の正妻で、菊亭の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年三十四。

*以下223項までの辞世は、文禄四年(1595)八月に豊臣秀次事件に連座し、京都三条河原において処刑された秀次の妻妾・子らが詠んだものである。

文禄四年七月十五日、秀次は太閤の命令で幽閉先の高野山青巌寺において切腹した。理由は、伯父の前関白秀吉に謀反を企てたから。実は秀吉に実子秀頼が生れたため、わが子可愛さに疎んじられたのが真相だ。誅殺のさいの太閤は悪鬼そのもので、連座の名目のもと秀次の臣下や女たちをことごとく処刑した。妻妾三十名(蓄妾の一部)は辞世を残しており、これを信長・秀吉に仕えたことのある太田牛一が『大かうさまぐんきのうち』に詳しく記録している。秀次の実際の蓄妾数はもっと多く、彼の女好きを裏付けている。この大勢の女子を死に追いやった秀吉も秀吉だが、道連れの凶運をつくってしまった秀次もだらしがない。女たちにちやほやされた坊ちゃん(なよ)(すけ)だから、助命工作の才覚も浮かばなかった。歌集は、稚拙な詠が目立つものの、迫真の絶唱の集成でもある。「殺生関白」の汚名を冠せられた秀次の魂は永遠に浮かばれることあるまい。

 

 

辞世詠195 お長〔豊臣秀次の側室〕 おちょう

 

盛りなる梢の花は散り果てて 消え残りける世の中ぞ憂き

 

●美濃の竹中与右ヱ門の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年十八。

 

 

辞世詠196 お辰〔豊臣秀次の側室〕 おたつ

 

つま故に盛りの花と思ふ身も 吹かぬ嵐に散るぞ物憂き

 

●尾張の山口少雲の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年十九。

 

 

辞世詠197 おさこ〔豊臣秀次の側室〕 

 

玉手箱二親あとに残しおき (かけ)()の先にたつぞもの憂き

 

●北野松梅院の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年十九。

 

 

辞世詠198 中納言〔豊臣秀次の側室〕 ちゅうなごん

 

時知らぬ無常の風の誘ひ来て 盛りの花の散り手こそ行け

 

●摂津の小浜殿の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年三十四。

 

 

辞世詠199 おつまの方〔豊臣秀次の側室〕 

 

つま故に逢ふ身つらさの鏡山 曇る姿の見えてはづかし

 

●京都の四条殿の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年十十七。

 

 

辞世詠200 おいまの方〔豊臣秀次の側室〕 

 

うつつとも夢とも知らぬ世の中に すまでぞかへる白川の水

 

●陸奥の最上殿の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年十九。