辞世詠201 おあぜち〔豊臣秀次の側室〕 

 

つま故にわが白川の水出でて 底の水屑(みくづ)となりはてにけり

 

●秋葉殿の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年三十一。

 

 

辞世詠202 おあこ〔豊臣秀次の側室〕 

 

つま故に人のくがをも白糸の あやしやさきとあとに立ちぬる

 

●美濃の日比野下野の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年二十二。

 

 

辞世詠203 お国〔豊臣秀次の側室〕 

 

つま故に涙河原の白川や 思ひの淵に身を沈めけり

 

●尾張の大島新左衛門の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年十六。

 

 

辞世詠204 およめ〔豊臣秀次の側室〕 

 

千よまでを変はらじとこそ思ひしに 君の心の何に変はりて

 

●尾張の堀田二郎左衛門の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年二十六。

 

 

 

辞世詠205 おさな〔豊臣秀次の側室〕 

 

盛りなる花は風にさそはれて 散るや心の奥ぞ悲しき

 

●美濃の武藤長門の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年十六。

 

 

辞世詠206 お菊〔豊臣秀次の側室〕 

 

こずえなる花と思ひしわが身さへ つま故散りてゆくぞ悲しき

 

●摂津の伊丹兵庫頭の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年十六。

 

 

辞世詠207 おまさ〔豊臣秀次の側室〕 

 

つま故に消えかへる身は思はずや 母の嘆きのさこそあらまし

 

●斎藤吉兵衛の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年十六。

 

 

辞世詠208 おあひ〔豊臣秀次の側室〕 

 

つま故に墨染衣身に添へて かけてぞ頼む同じ(はちす)

 

●京衆吉川主膳の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年二十四。

 

 

辞世詠209 お竹〔豊臣秀次の側室〕 

 

夢ほども知らぬ浮世にわたりきて つま故身をば塵となしけり

 

●捨て子の出。文禄四年(1595)八月に刑死、享年未詳。

 

 

辞世詠210 おみや〔豊臣秀次の側室〕 

 

別れゆく身ほどもの憂き事らじ 三瀬河原の白川の水

 

●一の台の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年十三。

*好色な秀次はあろうことか正室一の台の連れ子まで後室に入れている。妻妾らを葬った塚は誰いうとなく「畜生塚」と異名されるようになった。

 

 

辞世詠211 左衛門督〔豊臣秀次の側室〕さえもんのこう 

 

あぢきなや此世ばかりの契りさへ 逢はで過ぎにし身こそつらけれ

 

●河内の岡本彦三郎の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年三十八。

 

 

辞世詠212 右衛門督〔豊臣秀次の側室〕 うえもんのこう

 

とても行く弥陀の浄土へ急げただ 御法の船のさしあはぬ間に

 

●播磨の村善右衛門の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年三十五。

 

 

辞世詠213 おみや〔豊臣秀次の側室〕 

 

さりとては行かでかなはぬことなれば 今はうれしき極楽の道

 

●近江の高橋氏の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年42

 

 

辞世詠214 東殿〔豊臣秀次の乳母?〕 ひがしどの

 

ありがたや弥陀の誓ひはすぐれけり 急ぎて行くや極楽の道

 

●美濃の丸下不心斎の女房。文禄四年(1595)八月に刑死、享年61

 

 

辞世詠215 小少将〔豊臣秀次の侍女〕 こしょうしょう

 

恋しさを何にたとへん唐衣 うつつともなき憂き世なりけり

 

●肥前の北郷主膳妻の姪。文禄四年(1595)八月に刑死、享年二十四。

 

 

辞世詠216 おなあ〔豊臣秀次の側室〕 うえもんのこう

 

あぢきなや生命に代へもなきぞかし 今の別れのなをぞ悲しき

 

●美濃の坪内三衛門の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年十九。

 

 

辞世詠217 お藤〔豊臣秀次の側室〕 おふじ

 

時知らぬ無常の風の恨めしや 親にも会はで逝く涙かな

 

●京の大草三河守の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年二十一。

 

 

辞世詠218 おきい〔豊臣秀次の侍女〕 

 

あさましやいつの世にかは巡り来て 再び会はんことはあらじな

 

●近江の女。文禄四年(1595)八月に刑死、享年三十四。

 

 

辞世詠219 お虎〔豊臣秀次の側室〕 おとら

 

さきの世のいかなる報い巡り来て 今このなりをするぞもの憂き

 

●京上賀茂の岡本美濃守の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年24

 

 

辞世詠220 おこご〔豊臣秀次の側室〕 

 

生まれ来てそふと定まるいのちさへ かほどに惜しき事はあらじな

 

●和泉丹和の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年二十一。

 

 

辞世詠221 おこぼ〔豊臣秀次の側室〕 

 

わが恋は深山の奥のほととぎす 泣き悲しみて身は果てにけり

 

●近江の鯰江才助の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年19

 

 

辞世詠222 少将〔豊臣秀次の侍女〕 しょうしょう 

 

露の身と生まれあふこそはかなけれ 消えては元の姿なりけり

 

●越前の女。文禄四年(1595)八月に刑死、享年未詳。

 

 

辞世詠223 おこちや〔豊臣秀次の側室〕 

 

唐衣着てみてつらきわが姿 三条河原に身をぞ捨てける

 

●最上衆の娘。文禄四年(1595)八月に刑死、享年未詳。

 

 

辞世詠224 白江備後成定の妻 しろえびんごなりさだのつま 

 

心をも染めし衣のつまなれば おなじはちすの上にならばん

 

●夫は主君秀次に殉死。その後を追い文禄四年(1595)七月十五日に自刃、享年未詳。

 

 

辞世詠225 足利義昭 あしかがよしあき 

 

何処(いづく)にも心留らばすみかへる ながらへば又もとの故里

 

●室町幕府第十五代将軍。慶長二年(1597)八月二十八日大阪で客死、享年六十一。辞世はもう一首残されていて、

辞世詠225-二  朝露はきえ残りてもありぬべし誰かこの世に留り果つべき

 

 

辞世詠226 伊賀崎治堅の妻 いがざきはるかたのつま 

 

死出の山したひてぞゆく契り置きし 君が言葉を路の枝折(しお)りに

 

●夫は冷泉元満の臣で、朝鮮役で戦死。夫の後を追い慶長三年(1598)正月に自裁、享年未詳。

 

 

辞世詠227 豊臣秀吉 とよとみひでよし 

 

つゆとおちつゆときへにしわがみかな なにわの事もゆめの又ゆめ

 

●安土桃山時代の武将で、関白太政大臣。慶長三年(1598)八月十八日病没、享年六十三。

 

 

辞世詠228 細川ガラシャ ほそかわがらしゃ 

 

散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ

 

●細川忠興の妻で、明智光秀の娘。キリシタン信者。関白太政大臣。慶長五年(1600)七月十七日横死、享年三十八。

 

 

辞世詠229 蒲生大膳 がもうだいぜん 

 

待てしばし我ぞ渡りて三つ瀬川 浅み深みも君に知らせむ

 

●安土桃山時代の武将で、石田光成の臣。慶長五年(1600)九月十五日戦死、享年未詳。

*関ヶ原の戦いで主君光成と共に西軍に加わり戦死。

 

 

辞世詠230 平塚為広 ひらつかためひろ 

 

君がため捨つる命は惜しからじ つひにしまらぬ浮世と思へば

 

●安土桃山時代の武将で、豊臣家臣。慶長五年(1600)九月十五日戦死、享年未詳。

*関ヶ原の戦いで、西軍の盟将大谷吉継陣あてに書き置いた辞世である。

 

 

辞世詠231 大谷吉継 おおたによしつぐ 

 

契りあらば六つの(ちまた)に待てしばし 遅れ先立つ事はありても

 

●安土桃山時代の武将で、豊臣家臣。慶長五年(1600)九月十五日戦死、享年四十二。

*平塚為広の辞世への返歌である。

 

 

辞世詠232 雄長老〔英甫永雄〕 ゆうちょうろう 

 

死ぬるとてでこせぬ事をしだいたは そもたれ人の所業無常ぞ

 

●臨済宗の僧で、狂歌師の始祖。慶長七年(1602)九月十六日病没、享年五十六。

 

 

辞世詠233 昌叱〔里村〕 しょうしつ 

 

誰も唯世はうきものとしりながら かぎりあるにや任せ来ぬらし

 

●法橋で、連歌師。慶長八年(1603)没、享年六十五。

 

江戸時代 辞世詠234698

 

辞世詠234 黒田孝高〔如水〕 くろだよしたか 

 

思ひをく言の葉なくてつひに行く 道は迷はじなるにまかせて

 

●安土桃山時代の武将で、キリシタン大名。慶長九年(1604)三月二十日病没、享年五十九。

 

 

辞世詠235 応其〔藤原〕 おうご 

 

あだし世をめぐりはてよと行く月の けふの入日の空にまかせん

 

●僧侶で、連歌師。慶長十三年(1608)十月一日病没、享年七十三。

 

 

辞世詠236 曽呂利新左衛門 そろりしんざえもん 

 

ご威光で三千世界手に入らば 極楽浄土我にたまはれ

 

●豊臣秀吉の御伽衆。生没年等未詳。

*主君秀吉が存命中にこの一首を詠じて披露した。いかにも阿りに徹している。

 

 

辞世詠237 本多忠勝 ほんだただかつ 

 

死にともなあら死にともな死にともな 君の御恩の深きを思へば

 

●徳川家康臣下四天王の一人。慶長十五年(1610)十月十八日病没、享年六十三。

 

 

辞世詠238 新納忠元 にいろただもと 

 

誰がための名なれば身より惜しむらむ 果敢(はか)なきものは武士(もののふ)の道

 

●島津義久の臣で、連歌師。慶長十五年(1610)十二月三日病没、享年八十五。

 

 

辞世詠239 島津義久 しまづよしひさ 

 

世の中の米と水とを汲みつくし つくしてのちは天津(あまつ)大空

 

●安土桃山時代の武将で、薩摩藩主。慶長十六年(1611)一月二十一日病没、享年七十九。

 

 

辞世詠240 染川源之丞 そめかわげんのじょう 

 

入相の鐘の響きにさそはれて 夢路をいそぐ明け方の空

 

●島津義久の臣で、同日主君に殉死。享年四十。

 

 

辞世詠241 浜田民部左衛門 はまだみんぶざえもん 

 

二つなき命を君に奉る こころのうちに澄める月かな

 

●島津義久の臣で、同日主君に殉死。享年未詳。

 

 

辞世詠242 村岡豊前 むらおかぶぜん 

 

君がため捨つる命は春の夜の 露散りやすき有明の空

 

●島津義久の臣で、同日主君に殉死。享年四十六。

 

 

辞世詠243 山口対馬守 やまぐちつしまのかみ 

 

道知らすきみの跡をも見返りて 乗りおくれじと急ぎこそすれ

 

●島津義久の臣で、同日主君に殉死。享年未詳。

 

 

辞世詠244 仙朝坊〔林泉中〕 せんちょうぼう 

 

君の花惜しむとすれど春風に 散りてかもとの根に帰るらん

 

●島津義久の臣で、月日未詳も日を置いて殉死。享年三十九。

 

 

辞世詠245 浅野幸長 あさのよしなが 

 

ながらへてこれぞと思ふ事もはや なくてぞ果てんよしそれも夢

 

●安土桃山・江戸初期の武将。慶長十八年(1613)四月七日病没、享年三十八。

 

 

辞世詠246 筒井定次 つついさだつぐ 

 

世の人の口にはかかる露の身の 消えては何の咎もあらじな

 

●安土桃山時代の武将。慶長二十年(1615)三月五日自刃、享年五十四。

*慶長二十年大坂の陣で、豊臣方に通じた罪の責を負った。

 

 

辞世詠247 徳川家康 とくがわいえやす 

 

うれしやと二度さめてまたひとねむり 浮世の夢は暁の空

 

●江戸幕府初代将軍。元和二年(1616)四月病没、享年七十五。

*遺詠とされているものの、家康は短歌をたしまなかった人で、この一首は後世人創作の可能性がある。

 

 

辞世詠248 梶金平 かじきんぺい 

 

死にともなあら死にともな死にともな 御恩になりし君を思へば

 

●旗本の一人。伝未詳も家康側で武功をたてたというから、江戸初期の人であろう。

*根岸鎮衛『耳袋』巻五では梶金平としているが、「237 本多忠勝」詠と同類なため同一人物である可能性も大きい。

 

 

辞世詠249 島津義弘〔惟新〕 しまづよしひろ 

 

春秋の花も紅葉もとどまらず 人も空しき闇路なりけり

 

●安土桃山江戸初期の武将。元和五年(1619)七月二十一日病没、享年八十五。

*義弘の死去に伴い家臣十三名が殉死している。

 

 

辞世詠250 入江仁五左衛門 いりえにござえもん 

 

鳥の声聞く今夜こそかなしけれ 明けなば消えん露の命を

 

●島津義弘の臣で、同日主君に殉死。享年二十八。

 

 

辞世詠251 藤原惺窩 ふじわらのせいか 

 

たがためのよはひをのべて秋かぜや 吹上のきくの色もうらめし

 

●安土桃山江戸初期の儒学者。元和五年(1619)九月十二日病没、享年五十九。

 

 

辞世詠252 本因坊算砂 ほんいんぼうさんさ 

 

碁なりせば劫をもたてて生くべきに 死ぬる道には手もなかりけり

 

●僧侶で、囲碁棋士。元和九年(1623)五月十六日病没、享年六十五。

 

 

辞世詠253 黒田長政 くろだながまさ 

 

此の程は浮世の旅に迷ひ来て 今こそかへれ安楽の空

 

●安土桃山・江戸初期の武将で、福岡藩主。元和九年(1623)八月四日病没、享年五十六。

 

 

辞世詠254 宮本造酒之助 みやもとみきのすけ 

 

竜田山みねの嵐にさそはれて 谷のもみじも今や散りける

 

●剣豪宮本武蔵の縁者。寛永三年(1626)主君本多忠刻に殉死、享年二十三。

 

 

辞世詠255 小野お通 おのおつう 

 

いつまでか散らで盛りの花はあらん 今は浮世を秋のもみぢ葉

 

●浄瑠璃作者の祖といわれる、伝説色の濃い女性。寛永八年(1631)に没か。

 

 

辞世詠256 伊達政宗 だてまさむね 

 

くもりなき心の月をさきたてヽ 浮世のやみを照らしてぞ行く

 

●安土桃山・江戸初期の武将で、仙台藩主。寛永十三年(1636)五月二十四日病没、享年七十。

 

 

辞世詠257 板倉重昌 いたくらしげまさ 

 

新玉の年にさきだち咲く花は 世に名を残すさきがけと知れ

 

●安土桃山・江戸初期の武将で、三河深溝城主。寛永十五年(1638)元日戦死、享年五十一。

*幕府上使として島原の乱で総攻撃をかけたが、力尽きて戦死した。

 

 

辞世詠258 愛甲次右衛門 あいこうじえもん 

 

入相の鐘もかぎりのあるときく なお世にとこそ思はざりけり

 

●江戸初期の武将で、島津家久の臣。寛永十五年(1638)二月二十三日殉死、享年二十八。

*家久の死去に伴い家臣十数名が殉死した。

 

 

辞世詠259 有川休右衛門 ありかわきゅうえもん 

 

去年の今日きつつなれにし唐衣 ぬれぬれしくもまたきたりけり

 

●島津家久の臣。同日殉死、享年四十四。

 

 

辞世詠260 新納久治 にいろひさはる 

 

浅からぬ契ならずや君にしも 後の世かけて仕へぬる身は

 

●島津家久の臣。同日殉死、享年未詳。

 

 

辞世詠261 本田新右衛門 ほんだしんえもん 

 

一方におもひ定むる心こそ 地獄もしらず極楽もなし

 

●島津家久の臣。同日殉死、享年未詳。

 

 

辞世詠262 松前公広 まつまえきんひろ 

 

来し道も帰る道にもただ独り 残る姿は草の葉の露

 

●蝦夷松前藩主。寛永十八年(1641)七月八日病没 、享年四十八。

 

 

辞世詠263 東郷重位 とうごうしげたか 

 

静かなる波にうつろふ月を見て 世をわするるや仏なるらん

 

●剣客で示現流の開祖。寛永二十年(1643)六月二十七日病没 、享年八十三。

 

 

辞世詠264 春日局 かすがのつぼね 

 

西に入る月をいざなひ法をえて けふぞ火宅をのがれけるかな

 

●徳川家光の乳母。寛永二十年(1643)九月十四日病没 、享年六十五。

 

 

辞世詠265 山中源左衛門 やまなかげんざえもん 

 

わんざくれふんばるべいかけふばかり あすはからすがかつかぢるべい

 

●江戸幕臣で旗本奴。正保二年(1645)十一月八日自刃 、享年四十。

(やっこ)(ことば)すなわち六方(ろっぽう)(ことば)による珍しい辞世。「今日かぎり己が人生に見切りをつけて、明日は烏にでも食われるさ」といった意味。

 

 

辞世詠266 久保七兵衛 くぼしちべえ 

 

二つなき命も君のためならば 涼しく軽く捨てよ武士(もののふ)

 

●島津家臣。正保四年(1647)正月に没 、享年六十四か。

*佩刀に慶長五年17歳の詠との銘が刻印されていたという。

 

 

辞世詠267 小堀遠州 こぼりえんしゅう 

 

昨日といひ今日とくらしてなすことも なき身のゆめのさむるあけぼの

 

●江戸初期の大名で造園家・茶人。正保四年(1647)二月六日病没 、享年六十九。

 

 

辞世詠268 長尾勘兵衛 ながおかんべえ 

 

行も夢残るも夢の世の中そ 地水火風は皆犬喰らい

 

●和歌山藩主徳川頼宣の臣。正保四年(1647)十二月病没 、享年未詳。

 

 

辞世詠269 木下長嘯子 きのしたちょうしょうし 

 

つゆの身のきえてもきえぬおき所 くさ葉のほかに又もありけり

 

●若狭小浜城主で、歌人。慶安二年(1649)六月十五日病没 、享年八十一。

 

 

辞世詠270 土屋元高 つちやもとたか 

 

人しれぬ心の中の山さくら 散りなん後そ見るへかりける

 

●尾張藩主徳川義直の臣。慶安三年(1650)五月七日殉死 、享年六十二。

*義直危篤の報に急ぎ江戸へ立ったが、臨終に間に合わず、同行した藩士数名と成田藤右衛門宅で追い腹を切った。

 

 

辞世詠271 阿部重次 あべしげつぐ 

 

惜みても尚惜むべき身なれども 惜しからぬ道に死ぬるものかな

 

●徳川三代将軍家光の臣。慶安四年(1651)四月二十日殉死 、享年五十四。

 

 

辞世詠272 由比正雪 ゆいしょうせつ 

 

秋はただ慣れし世にさへもの憂きに いづこ泊りの門出なるらむ

 

●軍学者で、慶安の変の首謀者。慶安四年(1651)七月二十九日自刃 、享年四十七。

 

 

辞世詠273 丸橋忠弥 まるばしちゅうや 

 

雲水の行くへも西の空なれや 願ふ甲斐ある道しるべせよ

 

●浪人で、剣客。慶安四年(1651)八月十日刑死 、享年未詳。

 

 

辞世詠274 中院道村 なかのいんみちむら 

 

さめにけり五十路の夢よ見し花に 高雄の紅葉みよしのの雪

 

●廷臣・歌人。承応二年(1653)二月二十九日頓死、享年六十六。

*由比正雪の討幕計画に加担したが、資金作りを依頼した豪商田代又右衛門らの密告により江戸で捕らえられ密殺された。

 

 

辞世詠275 貞徳〔松永〕 ていとく 

 

露の命きゆる衣の玉手箱 ふたたびかけぬ御法(みのり)ならなん

 

●俳諧師で貞門の始祖、歌人。承応二年(1653)十一月十五日病没、享年八十三。

*辞世は二首、残る一首は

辞世詠275-二  明日は斯くと昨日おもひし事も今日おほくは替る世のならひかな

 

 

辞世詠276 宇喜多秀家 うきたひでいえ 

 

み菩提の種や植えけんこの寺へ みどりの松のあらん限りは

 

●安土桃山時代の武将で、豊臣家五大老の一人。明暦元年(1655)十一月二十日客死、享年八十四。

*流刑地の八丈島で長寿を全うした。帰還説もあるが根拠薄弱である。

 

 

辞世詠277 賀島成尚 がしまなりひさ 

 

去年(こぞ)の今日思ひながらも過ぎし身の 心のままに夢ぞさめける

 

●対馬藩士で、剣士。事情あって対馬義成没した翌明暦四年(1658)十月に殉死、享年四十七。

 

 

辞世詠278 真田信之 さなだのぶゆき 

 

何事も移ればかわる世の中を 夢なりけりと思ひざりけり

 

●信州松代藩主。万治元年(1658)十月十七日病没、享年九十三。

 

 

辞世詠279 竹田忠種 たけだただたね 

 

君がいかにししでの山路の道芝も おもひきるにはさはらざりけり

 

●加賀藩士。万治元年(1658)十月十九日殉死、享年四十三。

*藩主前田利常の死に殉じた。

 

 

辞世詠280 徳川康姫 とくがわやすひめ 

 

音にのみ聞きしも今日は身の上に 分けや登らん死出の山みち

 

●徳川光圀の正室。万治元年(1658)閏十二月二十三日病没、享年二十一。

 

 

辞世詠281 水野十郎左衛門 みずのじゅうろうざえもん 

 

気の詰まる娑婆になかなか居たくない 地獄の底へ所替せん

 

●旗本奴の頭目。寛文四年(1664)三月二十七日自刃、享年未詳。

*敵対する幡随院長兵衛との大喧嘩で有名。次の奴詞辞世も残している。

辞世詠281-二  落すなら地獄の釜をつんぬいてあほう羅刹に損をさすべい

 

 

辞世詠282 成安〔正法寺〕 せいあん 

 

親もなし子もなし跡に銭もなし からた斗りはからりちん也

 

●和泉堺の革屋で、俳人。寛文四年(1664)閏五月二十六日病没、享年八十余か。

 

 

辞世詠283 江村専斎 えむらせんさい 

 

もヽとせも猶あきたらず行末を おもふこヽろぞ物笑ひなる

 

●儒学者・医師。寛文四年(1664)閏九月二十六日病没、享年百。

*百歳を迎えた元旦においての遺詠。

 

 

辞世詠284 元政〔石井俊平、深草上人とも〕 げんせい 

 

深草の元政法師は死なれけり わが身ながらに哀れなりけり

 

●日蓮宗の学僧、漢詩人。寛文八年(1668)二月十八日病没、享年四十六。

*自分の名を織り込んだ珍しい辞世。次の遺詠も残す。

辞世詠284-二  鷲の山常にすむてふ峰の月かりにあらはれかりに隠れて

 

 

辞世詠285 茨木春朔〔地黄坊樽次〕 いばらきしゅんさく 

 

南無さん宝あまたの樽を飲干して 身は空樽にかへる古里

 

●医師、儒学者。寛文十年(1670)四月七日病没、享年五十八。

*慶安元年、川崎大師河原で池上大蛇丸との大酒戦を交えた話は有名である。「あき樽にかへる」とは、棺に使う空樽に入る自身をさしている。

 

 

辞世詠286 守屋仙庵 もりやせんあん 

 

われしなば酒やの庭の桶の下 われてしずくのもりやせんもし

 

●大師河原の酒戦で樽次軍の副将を務めた通称「醒安」なる人。伝は未詳である。

*まず、根拠にした一文を次に掲げておこう。

醒安(さめやす)いきの(した)より(もうす)やう (なん)(もうす)毛蔵坊(もうぞうぼう) (かの)(たる)あけにさめやすおとるべきにてあらねども 池上(いけがみ)殿(どの)大盞(たいさん)はいなかまでもかくれなし はゞ(ひろ)ふそこふかくものヽ上手(じょうず)()うすにつくつたる大盞(たいさん)にてたゞなかをとほされ なんぼうくるしいとはしらざるや またさめやすにてあればこそ御前(ごぜん)にてかくものは(もう)せと だんだんによはりによはりしが

  (われ)しなば(さか)やの(には)(おけ)(した) われてしずくのもりやせんもし

とはよみけれども 前後(ぜんご)もしらぬふぜいなり

『水鳥記』源司直編、池上文庫版より

*これは有名な酒戦記の一節で、地黄坊樽次軍と池上大蛇(おろち)(まる)殿戦陣において、樽次側の醒安が善戦むなしく酔死する場面である。醒安は自分の姓名である守屋仙庵を巧みに折りこんで辞世とした。『水鳥記』の記述が事実とすると、仙庵の没年は樽次よりも前ということになる。

 

 

辞世詠287 采女 うねめ 

 

名をそれと問はずとも知れさる沢の 影を鏡の池に沈めば

 

●江戸吉原は雁金屋抱えの遊女。寛文末に入水、享年十七。

*采女に惚れて通った若い僧が命を絶ち、連れて彼女も同じ池に身を投げた。東京都台東区出山寺に碑が建っている。

 

 

辞世詠288 京三条橋下の女乞食 きょうさんじょうはししたのおんなこじき 

 

ながらへばありつる程の浮世ぞと おもへば残る言の葉もなし

 

●寛文十二年(1672)四月上旬、橋下に常住の二十歳くらいの女乞食が、上記辞世を残し自害しているのが発見された。

 

 

辞世詠289 保科正之 ほしなまさゆき 

 

万世(よろずよ)をいはひ来にけり会津山 高天原にすみか求めて

 

●会津藩祖の大名で、儒学者・神道家。寛文十二年(1672)十二月十二日病没、享年六十二。

 

 

辞世詠290 貞室〔安原〕 ていしつ 

 

今までは目見へせねども主人公 八八(はっぱ)といひし年もあきけり

 

●紙商で、俳諧師。寛文十三年(1673)二月七日病没、享年六十四。

*「八八といひし年」とは九々にかけた洒落で六十四歳のこと。

 

 

辞世詠291 如儡子 にょらいし 

 

身はかくて死すともこの書見ん人の 知恵の鑑の影は離れし

 

●江戸前期の仮名草子作者。延宝二年(1674)の没、享年未詳。

 

 

辞世詠292 阿部忠秋 あべただあき 

 

立ちのぼる空の煙となりぬとて 君があたりに立ちも離れじ

 

●武蔵忍藩主で、老中。延宝三年(1675)五月三日病没、享年七十四。

 

 

辞世詠293 東福門院和子 とうふくもんいんまさこ 

 

武蔵野の草葉の末にやどりしか みやこの空にかへる月かげ

 

●後水尾天皇の中宮で、徳川秀忠の娘。延宝六年(1678)六月十五日病没、享年七十二。

 

 

辞世詠294 本庄杢左衛門 ほんじょうもくざえもん 

 

身を捨てヽ弘きに帰るわが心 尋ぬる宿もけふばかりなり

 

●福山藩士、治水工事で貢献。延宝四年(1676)病没、享年七十一。

 

 

辞世詠295 後水尾天皇 ごみずのおてんのう 

 

ゆきゆきて思へばかなし末とほく みえしたか根の花のしら雲

 

●第一〇八代の天皇。延宝八年(1678)八月十九日崩御、御年八十五。

 

 

辞世詠296 八百屋お七 やおやおしち 

 

世のあはれ春吹く風に名を残し 遅れ桜の今日散りし身は

 

●天和二年師走に起きた江戸大火の放火犯。天和三年(1683)三月二十九日刑死、享年十六。

*お七に関する伝そのものが根拠曖昧で、この一首も十六歳の娘にしては出来過ぎの感があり、後世人が創作した疑いが大きい。

 

 

辞世詠297 内藤義概〔風虎〕 ないとうよしむね 

 

春秋の詠めもけふはつきはてぬ わが世暮れゆく鐘の響きに

 

●陸奥磐城平藩主。上京二年(1685)九月十九日病没、享年六十七。

 

 

辞世詠298 山鹿素行 やまがそこう 

 

子よ孫よまどゐて花をながむれば 老がひがめの恥もけぬべし

 

●古学主義を唱えた儒学者で、山鹿流兵学の始祖でもある。貞享二年(1685)九月二十六日病没、享年六十四。

*遺詠は何首か残るが、掲出はその代表作。

 

 

辞世詠299 羽生郷右衛門 はにゅうごうえもん 

 

世の中をめぐりめぐりて因幡路に しばらく足を引臼となる

 

●因幡鳥取藩士で、剣客。貞享二年(1678)病没、享年未詳。

 

 

辞世詠300 了慶 りょうけい 

 

なむあむだあヽなむあむだなむあむだ なさけある世へ南無阿弥陀仏

 

●信州出身の遊芸僧。貞享二年(1685)末に武蔵で客死、享年未詳。