辞世詠301 桑折宗臣 こおりむねしげ 

 

月の入る山のあなたは雲晴れて 心にかかるくまもなきかな

 

●伊予宇和島藩家老で俳人、歌人。貞享三年(1686)三月三日病没、享年五十三。

 

 

辞世詠302 豊蔵坊信海 ほうぞうぼうしんかい 

 

塵の世を出ては箒もすてヽむけり 其後むすぶ蓮華合掌

 

●社僧で、狂歌師・書家。貞享五年(1688)九月十三日病没、享年六十三。

*次の辞世もある。

辞世詠302-二  やがてやがて香りの花のと供せられ扨かのきしにわたりものかも

 

 

辞世詠303 保科正興 ほしなまさおき 

 

ほたる火をしたへは暗きなつの夜の まつ風おちつさすらへのおか

 

●会津藩家老。元禄三年(1690)八月七日病没、享年四十二。

*この辞世各句の沓冠()各句の初音と末音)には「ほしなまさおきのつか」の語句が折り込んである。

 

 

辞世詠304 長崎一見 ながさきいっけん 

 

何事も諸行無常と成りにけり 寂滅為楽さてもかなしや

 

●俳人で狂歌師。元禄三年(1690)十一月十五日病没、享年五十一。

 

 

辞世詠305 浅井了意 あさいりょうい 

 

今は我が心ぞ空に帰りける 残る形は蝉の脱殻

 

●真宗の僧で、仮名草子作者。元禄四年(1691)元日病没、享年未詳。

 

 

辞世詠306 熊沢蕃山 くまざわばんざん 

 

小夜嵐夜半の落葉はうづむとも 分け行く道は知る人ぞ知る

 

●儒学者。元禄四年(1691)八月十七日客死、享年七十三。

 

 

辞世詠307 宗旦〔池田〕 そうたん 

 

世の中はただ瓢箪の大鯰 おさへおさへてにげて往にけり

 

●俳人で、伊丹風の祖。元禄六年(1693)九月十七日病没、享年五十八。

 

 

辞世詠308 松平直矩 まつだいらなおのり 

 

限りあればしらぬ昔にかへるなり 跡は変らぬ世々の月花

 

●陸奥白河藩主。元禄八年(1695)四月十五日病没、享年五十五。

*ほかに一首の辞世、

辞世詠308-二  白河の関守る神の我を待て散る紅葉葉をとめてみすらん

 

 

辞世詠309 捨女〔田〕 すてじょ 

 

秋風の吹来るからに糸柳 こころぼそくも散る夕かな

 

●俳人。元禄十一年(1698)八月十日病没、享年六十六。

*俳句の辞世も残している。

  枯はてて月もやどらぬ柳かな

 

 

辞世詠310 定因〔藤原〕 ていいん 

 

ねがはくは我後の世は鬼となりて 地獄におつる人をたすけむ

 

●大坂の菓子屋で、俳人・狂歌師。元禄十三年(1700)三月二十三日病没、享年七十四。

 

 

辞世詠311 徳川光圀〔水戸黄門〕 とくがわみつくに 

 

ほととぎす誰も一人は淋しきに われを誘へ死出の山路に

 

●水戸藩主。元禄十三年(1700)十二月六日病没、享年七十三。

 

 

辞世詠312 契沖 けいちゅう 

 

人よ人よあら野を走る狐だに 岡にまくらは定むるものを

 

●真言宗の僧で、国学者。元禄十4(1701)一月二十五日病没、享年六十二。

 

 

辞世詠313 浅野長矩 あさのながのり 

 

風さそふ花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん

 

●播磨赤穂藩主。元禄十四年(1701)三月十四日自刃、享年三十五。

*江戸城中で吉良義央を斬りつけ即日切腹に。のち赤穂浪士ら討入りのきっかけとなった。

 

 

辞世詠314 伊地知助右衛門 いちじすけえもん 

 

秋津島花にこころのひかさねば また還りなん故郷の春

 

●薩摩藩士。元禄十五年(1702)九月三日客死、享年四十七。

 

 

辞世詠315 大石良雄 おおいしよしお 

 

あら楽し思ひは晴るる身は捨つる うき世の月にかかる雲なし

 

●赤穂藩家老で、四十七士の頭目。元禄十六年(1703)二月四日自刃、享年四十五。

*吉良邸討入りの責を負い、自身をはじめ四十六人が切腹した。以下に主な連座の士を掲げるが、出典により詠歌内容に異なりがある。

 

 

辞世詠316 間光延 はざまみつのぶ 

 

草枕むすふかりねの夢覚めて 常世にかへる春のあけぼの

 

●赤穂藩勝手方吟味役で、四十七士の一人。享年六十九。

 

 

辞世詠317 吉田兼亮 よしだかねすけ 

 

君か為思ひそつもるしら雪を ちらすは今朝のみねの松風

 

●赤穂藩加東郡代、四十七士の一人。享年六十三。

 

 

辞世詠318 間瀬久太夫 ませきゅうだゆう 

 

思ひきや今朝立春になからへて 末の歩みを猶待たんとは

 

●赤穂藩大目付で、四十七士の一人。享年六十三。

 

 

辞世詠319 村松秀直 むらまつひでなお 

 

命にもかへぬ一つをうしなはば 逃かくれてもここをのかれん

 

●赤穂藩蔵奉行で、四十七士の一人。享年六十二。

 

 

辞世詠320 小野寺十内 おのでらじゅうない 

 

むさし野の雪間も見へつ古郷の いもか垣根の草ももゆらん

 

●赤穂藩京都留守居番で、四十七士の一人。享年六十一。

*もう一首詠んでいて、

辞世詠320-二  まよはしな子とともに行く後の世は心のやみもはるの夜の月

 

 

辞世詠321 原惣右衛門 はらそうえもん 

 

かねてより君と母とに知らせんと 人より急ぐ死出の山路

 

●赤穂藩足軽頭で、四十七士の一人。享年五十六。

 

 

辞世詠322 前原宗房 まえばらむねふさ 

 

ふりつもる雪に見ぬ世の恋しきに 筆墨の跡おもひそめける

 

●赤穂藩金奉行で、四十七士の一人。享年四十。

 

 

辞世詠323 神崎与五郎 かんざきよごろう 

 

人の世の道しわかすは遅くとて 消る雪にもふみまがふべき

 

●赤穂藩横目で、四十七士の一人。享年三十八。

 

 

辞世詠324 茅野常成 かいのつねなり 

 

天地の外はあらじな千種たに もとさく野べにかるると思へは

 

●赤穂藩足横目で、四十七士の一人。享年三十七。

 

 

辞世詠325 横川宗利 よこかわむねとし 

 

待てしばし死出に遅速は有ぬとも 我先かけて路しるべせん

 

●赤穂藩徒士で、四十七士の一人。享年三十七。

 

 

辞世詠326 潮田高教 うしおだたかのり 

 

ものヽふの道とはかりを一とすしに 思ひ立ちぬるしての旅路に

 

●赤穂藩馬廻・国絵図役で、四十七士の一人。享年三十五。

 

 

辞世詠327 冨森助右衛門 とみもりすけえもん 

 

先たちし人も有りけりけふの日を 終の旅路の思ひ出にして

 

●赤穂藩馬廻使番で、四十七士の一人。享年三十四。

*春帆の号で残した辞世句も。

辞世詠327-二  飛びこんで手にも止まらぬ霰かな

 

 

辞世詠328 木村貞行 きむらさだゆき 

 

思ひきや我が武士の道ならて かかる御法(みのり)の淵に逢うとは 

 

●赤穂藩馬廻で、四十七士の一人。享年四十六。

 

 

辞世詠329 堀部弥兵衛 ほりべやへい 

 

忠孝に命をたつは武士の道 やたけ心の名を残してん

 

●赤穂藩士で堀部安兵衛の父、四十七士の一人。享年七十七。

*遺書の末尾に書かれた狂歌三首のうちの一首で、他の二首は、

辞世詠329-二  常にしも言し言葉をたかへとし今此時におもい合せん

辞世詠329-三  品もなくいき過たりと思しに いまかちゑたり老のたのしみ

 

 

辞世詠330 小野寺幸右衛門 おのでらこうえもん 

 

今朝もはやいふ言の葉もなかりけり なにのためとて露むすぶらん

 

●赤穂藩士で十内の養子、四十七士の一人。享年二十八。

 

 

辞世詠331 村松三太夫 むらまつさんだゆう 

 

極楽を断りなしに通らばや 弥陀諸共に四十八人

 

●赤穂藩士で、四十七士の一人。享年二十七。

 

 

辞世詠332 間光興 はざまみつおき 

 

終にそのまつにそ露の玉の緒の 今日絶てゆく死出の山みち

 

●赤穂藩士で光延の子、四十七士の一人。享年二十六。

 

 

辞世詠333 早水藤左衛門 はやみとうざえもん 

 

地水火風空のうちより出でし身の たとらて(かへる)元の住かに

 

●赤穂藩馬廻で、四十七士の一人。享年四十。

 

 

辞世詠334 大石主税 おおいしちから 

 

あふ時はかたりつくすとおもへども わかれとなればのこる言の葉

 

●赤穂藩士で良雄の子、四十七士の一人。享年十六。

 

 

辞世詠335 間光延の妻 はざまみつのぶのつま 

 

おくれしと思ふ浮世に永らへて なき数々に言の葉もなし

 

●夫と子の後を追い自裁。享年未詳。

 

 

辞世詠336 露の五郎兵衛 つゆのごろべい 

 

露とのみ消えし法師が言の葉は 人の耳にもおきみやげかな

 

●軽口・辻説法の口演師。元禄十六年(1703)五月九日病没、享年六十一。

 

 

辞世詠337 小野寺十内の妻 おのでらじゅうないのつま 

 

夫や子の待つらんものをいそがまし 何かこの世に思ひ置くべき

 

●名は丹子。元禄十六年(1703)六月十八日断食自裁、享年未詳。

 

 

辞世詠338 相州隠し坊〔楽阿弥〕 そうしゅうかくしぼう 

 

富士の雪とけて硯の墨衣 かしくは筆のをはりなりけり

 

●吟遊の歌僧。元禄か宝永のころ行路病で没、享年未詳。

 

*一説によると、駿府は春台院の裏門に行き倒れ、懐紙にこの一首をしたため残したという。

 

 

辞世詠339 畠山箕山 はたけやまきざん 

 

かりの世に地水火風をもどすなり これで五輪のさびしきはなし

 

●考証家・文人で、色道の大家。宝永元年(1704)六月二十一日病没、享年七十九。

 

 

辞世詠340 大野九郎兵衛 おおのくろべえ 

 

死する碁は白黒とてもわからねど 彼岸にてはうたん渡り手

 

●赤穂藩城代家老で、晩年や末期の伝は未詳。

 

*討ち入りには加担せず、『仮名手本忠臣蔵』において悪玉に仕立てられている。

 

 

辞世詠341 伊丹道甫 いたみどうほ 

 

あだの世にしばしが程は旅衣 きて帰るこそもとの道なれ

 

●医師で茶人。宝永二年(1705)七月に病没、享年未詳。

 

 

辞世詠342 都の錦 みやこのにしき 

 

捨てにけり今日の命はおしからで なきからになる恥のかなしさ

 

●江戸中期の浮世草子作者。強気の才気が裏目に出て元禄十一年十月10月江戸払に。没年未詳、享年は三十代。

 

 

辞世詠343 戸田茂睡 とだもすい 

 

思ひ残す事こそなけれ有つて憂き 命の果を今日にむかひて

 

●歌人で歌学者。宝永三年(1706)四月十四日病没、享年七十八。

*次の一首も遺詠とされている。

辞世詠343-二  たづねきて誰かはとはむ草の原露の命のありし時だに

 

 

辞世詠344 三千風〔三井または大淀〕 みちかぜ 

 

名聞ののりも継目もやれかこみ 音もあられの庭のちり塚

 

●俳人。宝永四年(1707)一月八日病没、享年六十九。

*俳句の辞世もあり、

 今日ぞ早見ぬ世の旅の衣がへ

 

 

辞世詠345 季吟〔北村〕 きぎん 

 

花も見つほとヽぎすをも待ち出でつ 此の世後の世思ふことなき

 

●俳人で古典学者。宝永七年(1710)六月十五日病没、享年八十二。

 

 

辞世詠346 了然〔武田〕 りょうねん 

 

いける世にすててやく実うからまし 終の薪とおもわざりせば

 

●尼僧で歌人、武田信玄の玄孫。正徳元年(1711)九月十八日病没、享年六十六。

 

 

辞世詠347 貝原益軒 かいばらえきけん 

 

越し方は一夜ばかりの心地して 八十路あまりの夢をみしかな

 

●福岡藩士で、儒学者・本草学者。正徳四年(1714)八月二十七日病没、享年八十五。

 

 

辞世詠348 許六〔森川〕 きょりく 

 

下手ばかり死ぬることぞと思ひしに 上手も死ねばくそ上手なり

 

●彦根藩士で俳人、蕉門十哲の一人。正徳五年(1715)八月二十六日病没、享年六十。

*上記の狂歌風辞世には次の狂詩が添えられている。

 一時打破屎糞壷/芬々臭気供梵天

 

 

辞世詠349 来山〔小西〕 らいざん 

 

来山は生れた咎で死ぬるなり それで恨みも何もかもなし

 

●俳人で、薬種商。享保元年(1716)十月三日病没、享年六十三。

*別に遺句として、

 ほのかなる鶯きヽつ羅生門

 

 

辞世詠350 並河天民 なみかわてんみん 

 

老らくの末はつかなる身にぞ思ふ 今より月の宵々のかげ

 

●儒学者。享保三年(1718)四月八日没、享年四十。

 

 

辞世詠351 甚久法師 じんきゅうほうし 

 

あがきつヽ七十二歳のこまりもの 馬苦労町につながれにけり

 

●筑前小倉の狂歌師。享保六年(1721)三月に病没、享年七十二。

 

 

辞世詠352 八百屋半兵衛 やおやはんべえ 

 

はるばると浜松風にもまれきて 涙にしつむざヽんざの声

 

●大坂油掛町住の元浜松藩士。享保六年(1721)四月五日女房のお千代と心中。享年未詳。

*太田南畝著『俗耳鼓吹』に一件の記述が見える。ちなみに元禄十六年、上方情死人名鑑ともいえる『心中恋の塊』という冊子が板行されていて、そこにも収載。

 

 

辞世詠353 お千代 おちよ 

 

いにしへをすてはや義理も思ふましく ちてもきこえぬ名こそおしけれ

 

●八百屋半兵衛の妻で、夫と心中。享年未詳。

 

 

辞世詠354 青木永弘 あおきながひろ 

 

ふじのねを登りて見れば敷きたへの 枕に結ぶ草だにもなし

 

●神道家で、肥前の諏訪神社宮司。享保九年(1724)一月十日病没、享年未詳。

 

 

辞世詠355 英一蝶 はなぶさいっちょう 

 

まぎらはす浮世の業の色どりも 有りとや月に薄墨の空

 

●風俗絵師で俳人。享保九年(1724)一月十三日病没、享年73

 

 

辞世詠356 近松門左衛門 ちかまつもんざえもん 

 

それぞ辞世去る程に(さて)もその後に のこる桜が花しにほはば

 

●浄瑠璃・歌舞伎・狂言作者。享保九年(1724)十一月二十二日病没、享年七十二。

*他にも辞世が一首あり、

辞世詠356-二  残れとは思ふもおろか埋み火の()ぬ間あだなる朽木書きして

 

 

辞世詠357 塩川仲矩 しおかわなかのり 

 

永かれとおもいし内においぬれば 心の花もちりうせにけり

 

●播磨三日月藩奉行。享保九年(1724)に病没、享年八十六。

 

 

辞世詠358 岡本道女 おかもとみちじょ 

 

藤の花長き短き世の中に ちり行くけふぞ思ひ知らるる

 

●浜田松平家御側女中。享保九年(1724)四月に自害、享年未詳。

*殿中の内紛により死に追い込まれた。

 

 

辞世詠359 松堅〔宮川〕 しょうけん 

 

かり置きし地水風火もかへすなり 何ももたねば残念もなし

 

●歌人で、俳諧点者。享保十一年(1726)二月二十三日病没、享年九十六。

 

 

辞世詠360 藤本由己 ふじもとゆうこ 

 

世に一手人のかたれぬ所あり 無常の風の太刀さきをみよ

 

●医師で儒学者、狂歌作者。享保十一年(1726)三月十一日病没、享年八十。

 

 

辞世詠361 玉菊 たまぎく 

 

薄雲の隔てもつらしうちむかふ 今宵は晴らせ有明の月

 

●江戸吉原の遊女。享保十一年(1726)三月二十九日病没、享年二十五。

 

 

辞世詠362 園女〔斯波〕 そのめ 

 

秋の月春の曙見し空は 夢かうつつか南無阿弥陀仏

 

●俳人で、元禄四俳女の一人。享保十一年(1726)四月二十日病没、享年六十三。

 

 

辞世詠361 玉菊 たまぎく 

 

薄雲の隔てもつらしうちむかふ 今宵は晴らせ有明の月

 

●江戸吉原の遊女。享保十一年(1726)三月二十九日病没、享年二十五。

 曙の空はうつつか南無阿弥陀仏

 

 

辞世詠363 永井静甫〔走帆堂〕 ながいせいほ 

 

夢の世や電光ちよろりなき人は ひかひかひかる仏とやなる

 

●上方の書家で狂歌師。享保十六年(1731)七月二十八日病没、享年七十一。

 

 

辞世詠364 秋田常栄 あきたつねひで 

 

千両の黄金も石に異ならず ただ一心を万金にせよ

 

●佐渡の銀山目付。生没年未詳も江戸中期の人。

*彼は千両箱に石を一個入れこの遺詠を添え残したという。

 

 

辞世詠365 清水如水 しみずじょすい 

 

公事喧嘩地震雷火事晦日 飢饉煩なき国へ行く

 

●江戸の彫金師で狂歌師。享保十三年(1728)一月五日病没、享年七十二。

 

 

辞世詠366 祇空〔稲津〕 ぎくう 

 

この世をばぬらりくらりと死ぬるなり 地獄つぶしの極楽之助

 

●俳人。享保十八年(1733)四月二十二日客死、享年七十一。

 

 

辞世詠367 谷崎勾当 たにざきこうとう 

 

けふまでも渡り来にける世の中を おもへはかなき夢の浮橋

 

●鍼医。享保十八年(1733)五月十一日病没、享年未詳。

 

 

辞世詠368 長谷川千四 はせがわせんし 

 

寂光の都は行きてかへらねば 土産に作る浄瑠璃もなし

 

●浄瑠璃作者。享保十八年(1733)没、享年四十五。

 

 

辞世詠369 油煙斎貞柳 ゆえんさいていりゅう 

 

百にても同じ浮世に同じ花 月はまんまる雪はしろたへ

 

●浪花の狂歌師。享保十九年(1734)八月十五日病没、享年八十一。

 

 

辞世詠370 香川宣阿 かがわせんあ 

 

来しかたに立ちかへるとも何かあらん ただ花紅葉月雪の空

 

●兵法家で歌人。享保二十年(1735)九月二十二日病没、享年九十。

 

 

辞世詠371 瀬川 せがわ 

 

池水に夜な夜な月は映れども 水も濁らず月も汚れず

 

●江戸吉原松葉屋抱えの遊女。没年未詳も享保末年頃の没。享年未詳。

 

 

辞世詠372 非人の八助 ひにんのはちすけ 

 

事足らぬうき世に我は生れ来て けふ事足りて夢ぞ見果ぬ

 

●江戸浅草は車善七配下の非人。享保末に没、享年未詳。

*海寿翁作『歌俳百人伝』に、有終の美を飾った八助の辞世にまつわる佳話が記されている。

 

 

辞世詠373 並河誠所 なみかわせいしょ 

 

露の身の消えなむ跡と結ひ置きて 永き眠りの森の下草

 

●儒学者。元文三年(1738)三月十日病没、享年七十一。

 

 

辞世詠374 井上通女 いのうえつうじょ 

 

われもまた正しきを得てたふれなば 是のみなりと思ふばかりぞ

 

●歌人、文人。元文三年(1738)六月二十三日病没、享年七十九。

 

 

辞世詠375 紀海音 きのかいおん 

 

しるしらぬ人を狂歌に笑はせし その返報にないてたまはれ

 

●上方の浄瑠璃作者で狂歌師。寛保二年(1742)十月四日病没、享年80

 

 

辞世詠376 尾形乾山 おがたけんざん 

 

うきこともうれしき折も過ぎぬれば ただあけくれの夢ばかりなる

 

●陶工で画家。寛保三年(1743)六月二日病没、享年八十一。

 

 

辞世詠377 古梅園道恵 こばいえんどうけい 

 

灯明の油煙はおほしゆきて又 みだの御国のすみつくりせん

 

●奈良の筆墨屋で狂歌師。寛保三年(1743)に病没、享年五十五。

 

 

辞世詠378 三輪執斎 みわしっさい 

 

たらちねにかへす此身をおくつきの しるしとぞ見る杉のふたもと

 

●儒学者。延享元年(1744)五月二十五日病没、享年七十六。

 

 

辞世詠379 紀伊国屋亦右衛門 きのくにやまたえもん 

 

落ちて行く奈落の底を覗き見て いかほど深き欲の穴とぞ

 

●大坂の商人で、後に出家。生没年未詳。

*この辞世に関し次の逸話が残っている。

亦右衛門はある豪商に仕えたとき商才を見込まれ、百両やるから何か商売をし十倍にして持ち帰れ、と命じられた。そして十二年後、千両にして戻った。その千両を今度は十万両にして帰れといわれると、数年のうちにそれを実現。主人は感じ入って、これを七百万両にするのも可能であろうから、そのつもりで与えるという。ここで亦右衛門は人の欲望の際限のなさに目覚め、その金を踏みにじり、出家の道を選び一生俗には戻らなかった、と。

 

 

辞世詠380 上野納右衛門 うえののえもん 

 

悟り得て心の花も開くれば あなうれしやな死出の夕ぐれ

 

●薩摩藩士で薙刀剣士。寛延四年(1751)八月二十七日病没、享年未詳。

 

 

辞世詠381 淡路守宗増 あわじのかみむねます 

 

なくなるもまだ執心は少ばかり 残るみるめは五輪こそあれ

 

●上方の狂歌師。生没年未詳も江戸中期の人。

 

 

辞世詠382 加藤道喜 かとうどうき 

 

碁であらば思案工夫もあるべきが 死ぬる道には手一つもなし

 

●囲碁の棋師で狂歌師。生没年未詳も江戸中期の人。

 

 

辞世詠383 金成木 かねのなるき 

 

今は世につなかぬ糸と白露の わか身をぬける玉のを柳

 

●江戸の狂歌師。生没年未詳も江戸中期の人。

 

 

辞世詠384 河原鬼貫 かわらのおにつら 

 

あくせくと浮世の世話をやきしまひ やかて其身も煙とそなる

 

●江戸の狂歌師。生没年未詳も江戸中期の人。

 

 

辞世詠385 如竹 じょちく 

 

へいほうをつかふ様こそなかりけれ とかくしないでかなはざる身は

 

●江戸の狂歌師か。伝など未詳。

 

 

辞世詠386 白川与布禰 しらかわよふね 

 

死ぬまでは人に御世話をかけまくも それから先は南無あみた仏

 

●江戸の戯作者で狂歌師。生没年未詳も江戸中期の人。

 

 

辞世詠387 宗朋 そうほう 

 

ほっくりと死なば脇より火をつけて 跡はいかいとなして給はれ

 

●伝など未詳も連歌師か。

 

 

辞世詠388 堂伴白主 どうとものしろぬし 

 

つゐに身は世になきものよたれとても 玉子の角のかくてやは経ん

 

●紀伊家家老で狂歌師。生没年未詳も江戸中期の人。

 

 

辞世詠389 芳賀治貞 はがはるさだ 

 

我死なば酒屋の瓶の下に置け 割れてこぼれてもしかかるかに

 

●江戸の狂歌師。生没年未詳も江戸中期の人。

 

 

辞世詠390 揚果亭栗毬 ようかていりつきゅう 

 

閻魔王のおめしは辞儀もなるまいそ したいしたいにはちがまはれば

 

●河内埜野の浄土僧で狂歌師。生没年未詳も江戸中期の人。

 

 

辞世詠391 来示 らいじ 

 

あなきたな今はみなみのひがしれて 西より外ににげ所なし

 

●えどの狂歌師。生没年未詳も江戸中期の人。

 

 

辞世詠392 翠簾網女 すいれんのあみめ 

 

ふしの粉のふしぬる緋りおはぐろの かねてなからん身とはしきりに

 

●江戸の狂歌師。生没年未詳も江戸中期の女性。

 

 

辞世詠393 川合定恒 かわいさだつね 

 

秋風にちるや木の葉の雲消えて 月も心にまかせてそゆく

 

●播磨姫路藩家老。寛延四年(1751)七月十日自刃、享年四十六。

*藩内の改革派と対立、革新家老二名を謀殺の後切腹した。

 

 

辞世詠394 油谷倭文子 ゆやしずこ 

 

人の世に先だつことのなかりせば 桐のひと葉もちらずやあらまし

 

●歌人。宝暦二年(1752)七月十八日病没、享年二十。

*次の一首も辞世とされている。

辞世詠394-二  桐の葉の来よなと人はいふめれどしばしばかりや急ぐなるらん

 

 

辞世詠395 平田靱負 ひらたゆきえ 

 

住みなれし里もいまさら名残りにて 立つぞわずらふ美濃の大巻

 

●薩摩義士の指導者。宝暦五年(1755)五月二十五日自刃、享年五十二。

*幕府は薩摩藩主の島津重年に木曽川改修の命を下した。この工事で西国の雄藩も財政難に陥り、さらに竣工後に工事費の大幅超過に。その責任を負わされ、家老の平田はじめ関係者は集団切腹へと追い込まれた。

 

 

辞世詠396 敬己〔阿波房〕 きょうき 

 

往かうゆかうと思へば何も手につかず 往こやれ西の花のえてなへ

 

●天台宗の僧で俳人。宝暦六年(1756)四月十七日病没、享年未詳。

 

 

辞世詠397 市川団十郎〔二代〕 いちかわだんじゅうろう 

 

終に行く道とはかねて芝海老の はからせたまへ極楽のます

 

●歌舞伎俳優。宝暦八年(1758)九月二十四日病没、享年七十一。

 

 

辞世詠398 津打治兵衛 つうちじへい 

 

玉の緒のありたけ嘘を書き尽し 今ぞ冥途の道つくりなり

 

●歌舞伎台本作者。宝暦十年(1760)一月二十日病没、享年七十八。

 

 

辞世詠399 慶紀逸 けいきいつ 

 

此としではじめてお目にかかるとは 弥陀に向ひて申わけなし

 

●御用鋳物師で俳人。宝暦十一年(1761)五月八日病没、享年六十八。

 

 

辞世詠400 禰津四郎右衛門 ねづしろうえもん 

 

かせげども世渡るかいがまはらいで ぜひなく橋にかかる黒船

 

●大坂の侠客で力士。宝暦十二年(1762)五月二日病没、享年六十八。

*禰津は通称で、本来「黒船」と通称されていた。