辞世詠401 深井志道軒 ふかいしどうけん 

 

東よりぬつと生れた月日さへ 西へとんとん吾もとんとん

 

●講釈師。明和二年(1765)三月七日病没、享年八十四。

*平賀源内が心酔し、彼が書いた伝記『風流志道軒伝』のモデルとなった人物である。

 

 

辞世詠402 中村吉兵衛〔初代〕 なかむらきちべえ 

 

かねてより身はなきものと思ひしが 今はのきはぞさてもくるしや

 

●歌舞伎役者。明和二年(1765)八月十七日病没、享年八十二。

 

 

辞世詠403 鈍永〔芦田〕 どんえい 

 

死とむなと書くが辞世のあり言葉 うそつき仕舞今日の只今

 

●俳人。明和四年(1767)八月九日病没、享年四十五。

 

 

辞世詠404 山県大弐 やまがただいに 

 

曇るとも何か恨みん月こよひ 晴を待つべき身にしあらねば

 

●兵法家で尊皇主義者。明和四年(1767)八月二十二日刑死、享年四十三。

*弟子の密告により討幕計画が発覚、いわゆる明和事件の首謀者として処刑された。

 

 

辞世詠405 白隠慧鶴 はくいんえかく 

 

若い衆や死ぬがいやなら今死にや 一たび死ねばもう死なぬぞや

 

●臨済宗の僧。明和五年(1768)十二月十一日病没、享年八十四。

*これは高齢時作の道歌の一首。「年寄りの冷や水」を地でいったような作品だ。

 

 

辞世詠406 時次郎こと伊藤伊之助 ときじろう/いとういのすけ 

 

一人きて二人つれだつ二世の道 一つ(はちす)にうける露の身

 

●幕府御賄方伊藤伊左衛門の子息。明和六年(1769)七月三日に浦里と心中。享年二十一。

*新内節「明烏夢(あけがらすゆめの)泡雪(あわゆき)」においては二人を主人公に据え実話を脚色している。

 

 

辞世詠407 浦里こと三芳野 うらさと/みよしの 

 

河竹の流るる身をもせきとめて 二世の契りを結ぶうれしさ

 

●江戸吉原蔦屋抱えの遊女。伊藤伊之助と心中。享年二十四。

 

 

辞世詠408 市川団蔵〔三代〕 いちかわだんぞう 

 

けふも夢寝ても起きても夢の夢 ゆめに夢見る夢の世の中

 

●歌舞伎役者。明和九年(1772)六月二十四日病没。享年六十四。

 

 

辞世詠409 栗柯亭木端 りっかていぼくたん 

 

五戒までせんとたもちて生まれ来て 百や二百で死んだらば損

 

●上方の狂歌師。安永二年(1773)七月七日病没。享年六十四。

 

 

辞世詠410 谷川士清 たにがわことすが 

 

何ゆへに砕きし身ぞと人とはば それと応へんやまとだましひ

 

●国学者で神路家。安永五年(1776)十月十日病没。享年六十八。

*自著の国語辞典『倭訓栞(わくんのしおり)』草稿を伊勢の地に埋め、その上に小塚の碑を建ててこの一首を詠んだ。

 

 

辞世詠411 賀川玄悦 かがわげんえつ 

 

天地のめぐみにかなふわが道は つとめて人をすくひ給へや

 

●産科医。安永六年(1777)九月没。享年七十八。

 

 

辞世詠412 洞庭園米都 どうていえんべいと 

 

是や此行くも帰るも寺参り 知るもしらぬもなむあみた仏

 

●俳人で狂歌師。生没年未詳も安永六年(1777)頃の没か。

 

 

辞世詠413 叩々老人 こうこうろうじん 

 

五斗はおき後生も乞はぬ我が腰を をりて今日ははいさようなら

 

●世捨て人らしい。せいほ没年未詳。

 

 

辞世詠414 大菅権兵衛〔中養父〕 おおすがごんべえ 

 

みつくりの中やぶうしが奥つきは いづらと問はば此処と答へよ

 

●彦根藩士で国学者。安永七年(1778)一月四日病没。享年七十。

 

 

辞世詠415 市川海老蔵〔三代〕 いちかわえびぞう 

 

極楽と歌舞の太鼓に明烏 今より西の芝居へぞ行く

 

●歌舞伎役者。安永七年(1778)二月二十五日病没。享年六十八。

 

 

辞世詠416 芥川貞佐 あくたがわていさ 

 

晋でくところはをかし仏護寺の 犬の小便する垣のもと

 

●吟遊狂歌師。安永八年(1779)一月二十一日没。享年八十一。

 

 

辞世詠417 山岡浚明 やまおかまつあき 

 

もヽとせのなかばも何のうつヽかは 思へば蝶の夢さへもなし

 

●幕臣で国学者。安永九年(1780)十月十九日病没。享年六十九。

 

 

辞世詠418 松平峰子 まつだいらみねこ 

 

よしあしを語りしことも難波江の 一夜の夢と今はなりけり

 

●磐城白河藩主松平定邦の娘で歌人。天明元年(1781)十一月十六日病没。享年二十九。

 

 

辞世詠419 苗村介洞の妻 なえむらかいどうのつま 

 

あま小船八十の湊を漕ぎすぎて かのきし近くなるぞうれしき

 

●歌人で「妙雷」と号す。夫は近江八幡の医者。天明元年(1781)に病没。享年八十六。

 

 

辞世詠420 一本亭芙蓉花 いっぽんていふようか 

 

いつまでもきのふは人の身の上と 我身の上は思はざりけり

 

●上方の狂歌師。天明三年(1783)一月二十六日病没。享年六十三。

 

 

辞世詠421 白鯉館〔木室〕卯雲 はくりかんぼううん 

 

食えば減る眠れば覚むる世の中に ちと珍しく死ぬる慰み

 

●幕臣で狂歌師。天明三年(1783)六月二十八日病没。享年七十六。

 

 

辞世詠422 伊勢貞丈 いせさだたけ 

 

高からぬ身には恥づかし人並みに 我なき跡の長き名のりは

 

●幕臣で故実礼法家。天明四年(1784)六月五日病没。享年六十八。

*「長き名のり」とは戒名のこと。

 

 

辞世詠423 田中道麿 たなかみちまろ 

 

けふからも横さま風のおほひては 命惜しけどすべしらましや

 

●歌人で歌学者。天明四年(1784)十月四日病没。享年六十一。

 

 

辞世詠424 百庵〔寺町〕 ひゃくあん 

 

書きおくも(つたな)(みづち)のもしほ草 残らば後の片身とも見ゆ

 

●幕臣で俳人。天明六年(1786)二月二十七日病没。享年二十九。

 

 

辞世詠425 鶴賀若狭掾〔大木戸黒牛〕 つるがわかさのじょう 

 

生きているうちは何かと神仏 聖もいかい世話でござつた

 

●浄瑠璃太夫で鶴賀節の祖、狂歌師。天明六年(1786)三月二十三日病没、享年七十。

*「大木戸黒牛」は狂号。

 

 

辞世詠426 恋川春町〔酒上不埒〕 こいかわはるまち 

 

我もまた身はなきものと思ひしが いまはのきはは淋しかりけり

 

●黄表紙作者で狂歌師。寛政元年(1789)七月七日病没、享年四十六。

*「酒上不埒」は狂号。

 

 

辞世詠427 浜辺黒人 はまべのくろひと 

 

黒人が黄色な人にならんとて 浜辺を捨てて川岸をゆく

 

●江戸の狂歌師。寛政二年(1790)五月十八日病没、享年七十四。

*「黄色な人」とは黄泉(よみ)の住人、つまり死者。「川岸」とは三途の川岸。狂号を巧みに折り込んでの一首である。

 

 

辞世詠428 奈万須盛方 なますのもりかた 

 

かりの旅いとま乞ひして今朝ははや 死出の旅路へ立つ馬喰町

 

●江戸の狂歌師。寛政三年(1791)七月四日病没、享年未詳。

 

 

辞世詠429 良忠 りょうちゅう 

 

今日よりは算用いらず人間の 八苦七十二にて皆済み

 

●和泉堺の狂歌師。寛政頃の没、享年未詳。

 

 

辞世詠430 如棗亭栗洞 じょそうていりつどう 

 

たれとても死ぬるものとはしりながら 猶うらめしき浅黄上下

 

●上方の狂歌師。寛政三年(1791)十月十七日病没、享年七十二。

 

 

辞世詠431 林子平 はやししへい 

 

すくふべき力のかひもなか空の めぐみにもれて死ぬぞくやしき

 

●経世家で兵学者、寛政三奇人の一人。寛政五年(1793)六月二十一日獄死、享年五十六。

*次の一首も残している。

辞世詠431-二 貧しければ贈るものなしこの筆の拙きあとを形見とも見よ

 

 

辞世詠432 高山彦九郎 たかやまひこくろう 

 

我を我としろし召すかやすめらぎの 玉の御声のかゝる嬉しさ

 

●尊皇家で、寛政三奇人の一人。寛政五年(1793)六月二十七日自刃、享年四十七。

*過激な尊王論を唱えて糾弾され、久留米で果てた。

 

 

辞世詠433 宮部義直 みやべよしなお 

 

思ひおくことこそなけれ昔より 心隈なく老ひし身なれば

 

●上野高崎藩士で歌人。寛政六年(1794)四月三日病没、享年三十六。

 

 

辞世詠434 伊達誠子 だてせいこ 

 

露の身にかたみと残す思ひ草 君になげきの

 

猶まさるらし

 

●仙台藩主伊達斎村の妻。寛政八年(1796)四月十六日病没、享年二十二。

*辞世はもう一首詠んでいて、

辞世詠434-二 はかなくもけふを限りの玉の緒はかきおく後の形見ともなれ

 

 

辞世詠435 金井三笑 かないさんしょう 

 

狂言も書きつくしけり今さらに 何惜しからん命毛の事

 

●歌舞伎台本作者。寛政九年(1797)六月十六日病没、享年六十七。

 

 

辞世詠436 朱楽菅江 あけらかんこう 

 

執着の心や娑婆に残るらん 吉野の桜更科の月

 

●江戸の狂歌師。寛政十年(1798)十二月十二日病没、享年六十一。

 

 

辞世詠437 町井友之丞 まちいとものじょう 

 

おそろしき屠所の陸路(くがぢ)のけわしきの 船にまかせる身こそやすけれ

 

●津藩における一揆騒動の首謀者。寛政十年(1798)十二月十九日刑死、享年未詳。

*陰謀の罪を問われ塔世河原で斬首刑に。この一首は居牢内で発見されたものである。

 

 

辞世詠438 平高保〔服部安五郎〕 ひらたかたもつ 

 

我はもよをはりなるべしいざ児ども ちかくよりませよく見て死なむ

 

●国学者で歌人。寛政頃の没、享年未詳。

 

 

辞世詠439 片野紅子 かたのもみこ 

 

わがせ子があさけのすがたあさつゆに ぬれてかへらんことをしぞ思ふ

 

●紀州江戸藩邸奥女中で歌人。寛政頃の没、享年未詳。

*夭折したわが子の後を追った、とも。

 

 

辞世詠440 手車売りの翁 てぐるまうりのおきな 

 

小車のめぐりめぐりて今ここに たてたるそとばこれはおれのぢや

 

●難波で行路死した放浪者である。

 

 

辞世詠441 本居宣長 もとおりのりなが 

 

今よりははかなき世とは嘆かじよ 千代の棲家を求めえつれば

 

●国学者で、国学四大人の一人。享和元年(1801)九月二十九日病没、享年七十二。

 

 

辞世詠442 小沢蘆庵 おざわろあん 

 

入相のかねてをしみし年なれど 今はとくづる声の悲しさ

 

●尾張藩士で歌人。享和三年(1803)七月十二日病没、享年七十九。

*老衰で私塾を閉鎖した際詠んだ遺詠。

 

 

辞世詠443 嵐来芝〔初代〕 あらしらいし 

 

百居てもおなしうき世に月と花 月はまんまる雪はしろたへ

 

●歌舞伎台本作者で座元。享和三年(1803)五月二日病没、享年七十二。

 

 

辞世詠444 鬼薊清吉 おにあざみせいきち 

 

武蔵野に名もはびこりし鬼薊 今日の暑さに枝葉萎るる

 

●白昼強盗団の首領。文化二年(1805)六月二十七日刑死、享年三十。

*江戸中を騒がせた末一味は一網打尽となり、小塚原で獄門にかけられた。後世、河竹黙阿弥の戯曲「小袖曾我(こそでそが)薊色縫(あざみのいろあい)」では所化(しょけ)清心(せいしん)として登場。彼の子分二人も処刑され、それぞれ後出の辞世を詠んでいる。

 

 

辞世詠445 左官粂こと粂次郎 さかんくめ/くめじろう 

 

商売も悪も左官の粂ならば 小手は離れぬ今日の旅立

 

●無宿者で、鬼薊の子分。同時に処刑された。

 

 

辞世詠446 三吉こと吉五郎 さんきち/きちごろう 

 

とこばりの鏡にうつる紙幟 今のうわさも天下一面

 

●無宿者で、鬼薊の子分。同時に処刑された。

 

 

辞世詠447 小野川喜三郎 おのがわきさぶろう 

 

おのれやれ谷風なれば投げもせん 無常の風に手もなかりけり

 

●力士で、第五代横綱。文化三年(1806)三月十六日病没、享年四十九。

*無敵を誇った四代横綱谷風に土をつけさせた力士である。

 

 

辞世詠448 市川団十郎〔五代〕 いちかわだんじゅうろう 

 

暗きより暗き道にもあかん堂 はるかに照らす念仏の声

 

●歌舞伎役者。文化三年(1806)十月二十九日病没、享年六十六。

*俳句の辞世も遺し、

 凩に雨もつ雲の行衛かな

 

 

辞世詠449 川上不白 かわかみふはく 

 

妙々々妙なる法に生れきて 又妙々に行くぞ妙なる

 

●茶人で、不白流の祖。文化四年(1807)没、享年九十。

 

 

辞世詠450 智恵内子 ちえのないし 

 

六十余り見はてぬ夢の覚めるかと 思ふもうつつ暁の空

 

●江戸の狂歌師で、元杢網の妻。文化四年(1807)五月十八日病没、享年六十三。

 

 

辞世詠451 木内石亭〔重暁〕 きのうちせきてい 

 

(あの)耨多羅(くたら)三貘(さんみゃく)(さん)菩提(ぼだい)の仏たち ならしめ給へ金持ちの子に

 

●弄石家。文化五年(1808)三月十一日病没、享年八十五。

 

 

辞世詠452 深沢君山 ふかざわくんざん 

 

きのふけふと思ひ思ひて過し来し 中々ながき月日なりけり

 

●播磨三日月藩家老。文化六年(1809)六月二十六日病没、享年八十五。

 

 

辞世詠453 上田秋成 うえだあきなり 

 

長き夢見果てぬほどにわが(たま)の 古井におちて心さむしも

 

●国学者で歌人、読本作者。文化六年(1809)六月二十七日病没、享年七十六。

 

 

辞世詠454 節松嫁嫁 ふしまつのかか 

 

花ならぬながめもよしや吉野紙 この眼にはるの朧月の夜

 

●江戸の狂歌師で、朱楽菅江の妻。文化七年(1810)一月九日病没、享年六十六。

 

 

辞世詠455 堀越佐源次 ほりこしさげんじ 

 

さらばよと子々孫々の置土産 長生筋と家と借金

 

●加賀藩士で茶人、狂歌師。文化七年(1810)八月十六日病没、享年六十四。

 

 

辞世詠456 芳沢あやめ〔五代〕 よしざわあやめ 

 

魂棚へけふやのぼりて初舞台 膏薬もまたでちりゆく家身かな

 

●歌舞伎役者で、座元。文化七年(1810)八月二十六日病没、享年五十六。

 

 

辞世詠457 元杢網 もとのもくあみ 

 

あな涼し浮世のあかをぬぎすてて 西へ行く身はもとのもくあみ

 

●江戸の狂歌師。文化八年(1811)六月二十八日病没、享年八十八。

 

 

辞世詠458 庭訓舎綾人 ていきんしゃあやんど 

 

とり落すうつはの怪我も即菩提 われからつづる南無阿弥陀仏

 

●江戸の狂歌師で、四方側の判者。文化十年(1813)三月二十三日病没、享年未詳。

 

 

辞世詠459 手柄岡持 てがらのおかもち 

 

死にたうて死ぬにはあらねど御年には 御不足なしと云はば云ふらん

 

●江戸の狂歌師。文化十年(1813)五月二十日病没、享年七十九。

次の狂歌も辞世に詠んだ。

辞世詠459-二 狂歌よむうちは手柄の岡持よよまぬ段には日柄牡丹餅

 

 

辞世詠460 歌川豊春 うたがわとよはる 

 

死んで行く地獄の沙汰はともかくも 跡の始末は金次第かな

 

●江戸の浮世絵師。文化十一年(1814)一月十二日病没、享年八十。

 

 

辞世詠461 山東京伝〔北尾政演〕 さんとうきょうでん 

 

耳をそこね足もくじけてもろともに 世にふる机なれも老いたり

 

●江戸戯作者で浮世絵師。文化十三年(1816)九月七日変死、享年五十六。

 

 

辞世詠462 深励 じんれい 

 

おもはずも迷ひのはてはつきにけり さとりの岸はけふやあすやと

 

●真宗大谷派の学僧。文化十四年(1817)七月八日病没、享年六十九。

 

 

辞世詠463 便々館湖鯉鮒 べんべんかんこりう 

 

三度たく米さへこはし柔かし 思ふままにはならぬ世の中

 

●江戸の狂歌師。文化十五年(1818)四月五日病没、享年七十。

 

 

辞世詠464 司馬江漢 しばこうかん 

 

江漢は年がよつたで死ぬるなり 浮世にのこす浮絵一枚

 

●洋風絵師で蘭学者。文政元年(1818)十月二十一日病没、享年八十一。

 

 

辞世詠465 俵の船積 たわらのふなづみ 

 

まめで居た恩を報ずるはうろくの われも終には元の土くれ

 

●江戸の狂歌師で戯作者。文政三年(1820)十月十八日病没、享年未詳。

 

 

辞世詠466 式亭三馬 しきていさんば 

 

善もせず悪も作らず死ぬる身は 地蔵もほめず閻魔叱らず

 

●滑稽本作者。文政五年(1822)三月十二日病没、享年四十七。

 

 

辞世詠467 上杉治憲〔鷹山〕 うえすぎはるのり 

 

うけつぎて国の司の身となれば 忘れまじきは民の父母

 

●陸奥米沢藩主。文政五年(1822)三月十二日病没、享年七十二。

 

 

辞世詠468 祭の和樽 まつりのわたる 

 

養生も相叶はずと書きかけて そのまま顔へ押し当てて泣く

 

●江戸の狂歌師。文政五年(1822)七月没、享年未詳。

 

 

辞世詠469 松平露子 まつだいらつゆこ 

 

まてしばしなき世の中のいとまごひ むとせのゆめのなごりおしさよ

 

●松平冠山の娘。文政五年(1822)十一月二十七日病没、享年六。

*父親の冠山は鳥取藩若桜の名主。露子は生来聡い子であったが、もかさ(天然痘)にかかり夭折、その遺詠と伝えられている。

 

 

辞世詠470 天野広丸 あまのひろまる 

 

心あらば手向けてくれよ酒と水 銭のある人銭のなき人

 

●江戸の狂歌師。文政六年(1823)三月二十八日病没、享年五十四。

 

 

辞世詠471 大田南畝〔蜀山人〕 おおたなんぽ 

 

生すぎて七十五年食ひつぶし かぎりしられぬ天地(あめつち)の恩

 

●江戸の狂歌師で、文人。文政六年(1823)四月六日病没、享年七十五。

*次の一首も辞世と伝えられている。

辞世詠471-二 時鳥鳴きつるかた身初鰹春と夏との入相の鐘

*さらに、死期近しとみた門人らが辞世を求めたのに応じて、次の二種を連作した。

辞世詠471-三 冥土より今にも迎ひ来りなば九十九まで留守と断れ

辞世詠471-四 留守といはばまたも迎ひに来るならんいつそ嫌じやとことはつてやれ

 

 

辞世詠472 蘆辺田鶴丸 あしべのたづまる 

 

ありがたや底のみくづとなりはせで 身は浮草の岸にこそ寄れ

 

●狂歌師。文政六年(1823)十月六日変死、享年七十八。

*四国へ渡るさい難船にあい、いったんは救助され掲出歌を詠んだものの、間もなく船上でなくなった。

 

 

辞世詠473 窓叢竹〔多田敏包〕 まどのむらたけ 

 

詩も歌も達者な時によみておけ とても辞世の出来ぬ死にぎは

 

●歌人で狂歌師。文政七年(1824)十一月二十二日病没、享年八十二。

 

 

辞世詠474 錦山 きんざん 

 

から衣深き情けの人に別れ 永らへてなどつまを重ねん

 

●長崎丸山遊郭の遊女。文政八年(1825)に中国から渡来の陳仁謝と心中、享年未詳。

 

 

辞世詠475 巴扇堂〔二代〕 はせんどう 

 

極楽の浪人ものとなりぬめり 今日はこの世の(いとま)貰ひて

 

●狂歌師。文政十一年(1828)一月八日没、享年五十二か。

 

 

辞世詠476 松平定信 まつだいらさだのぶ 

 

今はただ何を思はん憂きことも 楽しきことも見果てつる身ぞ

 

●幕府老中で、陸奥白河藩主。文政十二年(1829)五月十三日病没、享年七十二。

 

 

辞世詠477 鹿都部〔狂歌堂〕真顔 しかつべのまがお 

 

うまく食ひ暖かく着て何不足 七十なヽつ南無阿弥陀仏

 

●江戸の狂歌師。文政十二年(1829)六月六日病没、享年七十七。

 

 

辞世詠478 林八右衛門 はやしはちえもん 

 

六十路ふるやぶれ衣をぬぎすてて 本来空へ帰る楽しさ

 

●上野の東善寺村役人。文政十三年(1830)八月五日獄死、享年六十四。

*百姓一揆の指導者と疑われ東国。過酷な拷問の末死に至ったようである。

 

 

辞世詠479 村上織部 むらかみおりべ 

 

独りなき名にあふ水の哀れ知れや 世に仇波は浮き沈む身を

 

●陸前の郷士。文政十三年(1830)十月二十日自刃、享年未詳。

 

 

辞世詠480 良寛 りょうかん 

 

良寛に辞世あるかと人問はば 南無阿弥陀仏といふと答へよ

 

●禅僧で歌人。天保二年(1831)一月六日病没、享年七十四。

*次の一首も辞世である。

辞世詠480-二 いざさらばさきいくいませはほととぎすしば鳴く頃はまたも来て見ん

 

 

辞世詠481 笠原恭雲 かさはらきょううん 

 

山ほどに積みし薪も年れば 消えて跡なき灰とこそなれ

 

●土佐の医師。天保二年(1831)三月十五日病没、享年七十八。

 

 

辞世詠482 十返舎一九 じっぺんしゃいっく 

 

此世をばどりゃおいとまにせん香の (けむ)りとヽもに灰左様なら

 

●黄表紙・洒落本の作者。天保二年(1831)八月七日病没、享年六十七。

 

 

辞世詠483 鞠島 きくじま 

 

隅田川梅の下にて我死なば 春咲く梅の肥やしともなれ

 

●向島は隅田川百花園の主人で、俳人。天保二年(1831)八月二十九日病没、享年七十。

 

 

辞世詠484 文車庵文員 ぶんしゃあんぶんいん 

 

程遠き死出の旅路は諺の かねのわらぢをいかではくべき

 

●江戸の狂歌師。天保三年(1831)五月六日没、享年五十。

 

 

辞世詠485 鼠小僧次郎吉 ねずみこぞうじろきち 

 

天が下古き例はしら浪の 身にぞ鼠と現れにけり

 

●盗賊。天保三年(1831)八月十九日刑死、享年三十六。

*次郎吉にこの詠歌を物するほどの素養があるとは思えず、後世人による創作の疑いが濃い。

 

 

辞世詠486 紫檀楼古木 したんろうふるき 

 

六道の辻駕籠に身は法の道 ねぶつ申して極楽へ行く

 

●狂歌師。天保三年(1831)十月八日没、享年六十六。

 

 

辞世詠487 中島米華 なかじまべいか 

 

三月十五日に逝くべけれ 閻魔も花を見にいたる留守

 

●豊後佐伯藩の藩儒。天保五年(1831)三月十五日病没、享年三十四。

*上句のうちの五七は「はなのつきはなのなかばに」とでも訓ずる謎かけ言葉であろう。すなわち、三月=花の月、十五日=八・七(半ば)と解すべき。あえて字余り句としたところがミソである。

 

 

辞世詠488 革島蓮阿 かわしまれんあ 

 

なつかしと見えつる花も散り行くや ありはてぬ世のためしなるらん

 

●幕臣で歌人。天保六年(1835)三月二十日病没、享年六十八。

 

 

辞世詠489 村山素行 むらやまそこう 

 

春待たで雪ふるさとへかへらまし おもひの外の永居しつれば

 

●歌人。天保六年(1835)十一月十六日病没、享年六十三。

 

 

辞世詠490 中山信名 なかやまのぶな 

 

酒も飲み浮かれ女もみつ文もみつ 家もおこしつ世に恨みなし

 

●幕臣で国学者。天保七年(1836)十一月十日没、享年五十。

 

 

辞世詠491 曰人〔遠藤〕 あつじん 

 

土金や息は絶えても月日あり 行きて逢はむ孔子貫之義之芭蕉

 

●仙台藩士で俳人。天保七年(1836)に病没、享年七十九。

 

 

辞世詠492 生田鎬 いくたこう 

 

手弱女の数ならぬ身もふた筋に 迷ひて入らじ背の山の道

 

●生田万(天保の乱の首魁)の妻。天保八年(1837)六月一日獄死、享年三十四。

*夫は柏崎の陣屋を襲った後敗死。彼女も二人の幼児とともに捕われ、入牢中に子らを道連れに縊死した。

 

 

辞世詠493 長野豊山 ながのほうざん 

 

世の中にわが跡しのぶ人しあれば いにしへぶみの道しるべせん

 

●漢学者。天保八年(1837)八月二十二日没、享年五十五。

 

 

辞世詠494 村田整珉 むらたせいみん 

 

極楽も地獄もままよ死出の旅 ここは追分ちよつと一杯

 

●江戸の鋳金師。天保八年(1837)十一月二十四日病没、享年七十七。

 

 

辞世詠495 宝田寿助 たからだじゅすけ 

 

それ辞世さる程に又是までは むかしの人の口真似をして

 

●江戸の浄瑠璃作者。天保九年(1838)二月十九日病没、享年四十二。

 

 

辞世詠496 中村玉助〔三代歌右衛門〕 なかむらたますけ 

 

ああ名残惜しや此の世の別れ道 妙法連華けふの旅立

 

●歌舞伎俳優。天保九年(1838)七月十三日病没、享年六十一。

 

 

辞世詠497 岸駒 がんく 

 

いやなれど呼びに来たので是非もなし 仏の修復けふはしにゆく

 

●日本画家で、岸派の祖。天保九年(1838)十二月十四日病没、享年八十三。

*岸越前介駒が正しい姓名。東寺仏堂の天井に墨絵の竜を描いたことで知られる。この狂歌辞世はこれにちなんで詠んだもの。

 

 

辞世詠498 藤女 ふじじょ 

 

信濃なる山路の雪ともろともに 春をもまたできゆるけふかな

 

●信濃飯田藩主堀親寚側室付きの女中。天保十一年(1840)十二月二日刑死、享年二十二。

*お家騒動に起因する殺人事件の罪で処刑された。

 

 

辞世詠499 谷文晁 たにぶんちょう 

 

長き世を化けおほせたる古狸 尾さきを見せそ山の端の月

 

●南画家。天保十一年(1840)十二月十四日病没、享年七十八。

 

 

辞世詠500 紀定丸 きのさだまる 

 

狂歌師も今日か明日かとなりにけり 紀の定丸も定めなき世に

 

●江戸の狂歌師。天保十二年(1841)一月十六日病没、享年八十二。