辞世詠501 河合寸翁 かわいすんのう 

 

甲斐なくも我ものがほに死ぬるかな 君にゆるせし命なりしを

 

●姫路藩家老。天保十二年(1841)六月二十四日病没、享年七十五。

 

 

辞世詠502 青方繁治 あおかたしげはる 

 

忠孝は今身の上にしられけり 只長命のうちにありとは

 

●肥前福江藩家老。天保十二年(1841)七月二十一日病没、享年七十五。

 

 

辞世詠503 渡辺崋山 わたなべかざん 

 

梓弓矢竹ごころの武夫(もののふ)も 親にひかれて迷ふ死出かな

 

●文人画家で洋学者。天保十二年(1841)十月十二日自刃、享年四十九。

*前年における蛮社の獄で田原藩預かり蟄居を命じられ、前途を絶望し命を絶つ。

 

 

辞世詠504 志賀理斎 しがりさい 

 

是までは有為の都に長居して 今日こそ返れ無為の故郷

 

●幕臣で随筆家。天保十二年(1841)頃に病没、享年未詳。

 

 

辞世詠505 矢部定謙 やべさだのり 

 

うつすべき鏡なければ妻子のみか 我影にさへ別れてしかな

 

●幕府勘定奉行・江戸奉行。天保十三年(1842)七月二十四日断食死、享年四十九。

*改革の志強く幕府に建言を重ねたものの裏目に出て疎んぜられ、配所に拘禁中自ら食を断ち死を選んだ。

 

 

辞世詠506 香川景樹 かがわかげき 

 

ひとすぢに命まつまの春の日は いよいよ長きものにぞありける

 

●歌人で、桂園派の祖。天保十四年(1843)三月二十七日病没、享年七十六。

 

 

辞世詠507 平田篤胤 ひらたあつたね 

 

思ふこと一つも神に努め終へず 今やまかるかあたらこの世を

 

●国学者で国学四大人の一人。天保十四年(1843)九月十一日病没、享年六十八。

 

 

辞世詠508 英一桂 はなぶさいっけい 

 

二三百年生きようとこそ思ひしに 八十五にて不死の若死

 

●風俗絵師。天保十四年(1843)十一月二十一日病没、享年八十五。

 

 

辞世詠509 為永春水〔金竜山人〕 ためながしゅんすい 

 

皆さんへ扨いろいろとお世話さま お先へまいる灰さやうなら

 

●戯作者で人情本作者。天保十四年(1843)十二月二十二日病没、享年五十四。

 

 

辞世詠510 初瀬 はつせ 

 

いまを世の限りとぞ思ふそこいより わきたつものは涙なりけり

 

●長崎丸山遊郭の遊女。天保十四年(1843)に中国人の陳陽達と心中、享年未詳。

 

 

辞世詠511 平山幸造 ひらやまこうぞう 

 

武蔵野の芝生かくれのすみれ草 花の咲くてふ知るや知らずや

 

●幕府の御家人。天保の頃の没。享年未詳。

*勝海舟の父、勝座衛門太郎の知己で、その著『夢酔独言』において平山の人となりなどが語られている。平山は博学の士であったようだ。

 

 

辞世詠512 沢田名垂 さわだなたり 

 

ありやなしやまだみぬよみの別れ路に 名残をしきはこの世なりけり

 

●会津藩の国学者。弘化二年(1845)四月三十日病没、享年七十一。

 

 

辞世詠513 伴信友 ばんのぶとも 

 

今はには何をかいはむよの常に いひし言葉ぞわが心なる

 

●国学者で考証家。弘化三年(1846)十月十四日客死、享年七十四。

 

 

辞世詠514 小山田与清 おやまだともきよ 

 

崩るべき時は来にけり築きなせし 学びの山もふみの高嶺も

 

●国学者で考証家。弘化四年(1847)三月二十五日病没、享年六十五。

 

 

辞世詠515 千金斎春芳 せんぎんさいはるよし 

 

そろばんの九九の数ほど生きのびて 極楽へ行く勘定もなし

 

●狂歌師。弘化四年(1847)四月十一日病没、享年八十一。

 

 

辞世詠516 池田英泉〔渓斎〕 いけだえいせん 

 

限りある命なりせば惜しからで 唯悲しきは別れなりけり

 

●浮世絵師。嘉永元年(1848)七月二十二日病没、享年五十九。

 

 

辞世詠517 寿阿弥曇奝 じゅあみどんちょう 

 

孫彦に別るることのかなしさも また父母にあうぞうれしき

 

●幕府抱えの連歌師。嘉永元年(1848)八月二十九日病没、享年八十。

 

 

辞世詠518 滝沢〔曲亭〕馬琴 たきざわばきん 

 

世の中の厄をのがれて元のまま かへすは(あめ)(つち)の人形

 

●読本作者。嘉永元年(1848)十一月六日病没、享年八十二。

 

 

辞世詠519 井上正鉄 いのうえまさかね 

 

世は変はる浮き世静かに官軍の むかし神代のしるしなりけり

 

(みそぎ)(きょう)の教祖。嘉永二年(1849)二月十八日客死、享年六十。

 

 

辞世詠520 尾上菊五郎〔三代〕 おのえきくごろう 

 

明け暮れに思はぬ罪を造り木や 松は御法のお迎ひの舟

 

●歌舞伎役者。嘉永二年(1849)二月四日客死、享年六十六。

 

 

辞世詠521 桃林亭東玉 とうりんていとうぎょく 

 

人問はば友だちどもが迎へきて 浄土の席をうつと答へよ

 

●軍談師。嘉永二年(1849)八月十九日病没、享年六十四。

 

 

辞世詠522 山田清安 やまだきよやす 

 

ことはりを知らぬ涙の雨なれば 我が身に晴るる時なかりけり

 

●薩摩藩士で国学者。嘉永二年(1849)十二月三日自刃、享年五十六。

 

 

辞世詠523 黒住宗忠 くろずみむねただ 

 

昨日の花今日の夢とは聞きつれど 今の嵐はうらめしきかな

 

●神道家で黒住教の教祖。嘉永三年(1850)二月二十五日病没、享年七十一。

 

 

辞世詠524 吉井七之丞 よしいしちのじょう 

 

暮れてゆく春をかぎりに吹く風の 花とこそ散る我が身なりけれ

 

●薩摩藩士で勤王の志士。嘉永三年(1850)四月に自刃、享年二十五。

 

 

辞世詠525 魚屋北渓 ととやほっけい 

 

あつくなく寒くなくまたうえもせず うきこときかぬ身こそやすけれ

 

●浮世絵師。嘉永三年(1850)四月九日病没、享年七十一。

 

 

辞世詠526 高野長英 たかのちょうえい 

 

嘆かるヽ身よりも嘆く老の身を 嘆きこそすれ嘆かるる身は

 

●蘭学者。嘉永三年(1850)十月一日自刃、享年四十七。

*憂国の筆禍により投獄された。この一首は老母の身を案じての獄中詠で、絶筆となった。

 

 

辞世詠527 水野忠邦 みずのただくに 

 

くみてこそむかしもしのへゆく川の かへらぬ水にうかぶ月かけ

 

●幕府老中。嘉永四年(1851)二月十日病没、享年五十八。

 

 

辞世詠528 都々逸坊扇歌〔初代〕 どどいつぼうせんか 

 

都々一も謡いつくして三味線枕 楽にわたしは寝るわいな

 

●都々逸の元祖。嘉永五年(1852)十月二十五日没、享年五十七か。

*俗謡の都々逸は二六音字の雑体歌で、扇歌はこれを諸国行脚しながら広めた。しかし天保の改革による音曲禁止で、晩年は不遇であった。

 

 

辞世詠529 絵馬屋額輔 えまやがくすけ 

 

麻衣のみで来ませと呼ばれけり 馳走は知らず黄泉の客

 

●狂歌師。安政元年(1854)頃没、享年未詳。

 

 

辞世詠530 千葉葛野 ちばかどの 

 

うつろはで花も七日はすぐる世に またぬは人のいのちなりけり

 

●国学者。安政二年(1855)三月七日病没、享年五十六。

 

 

辞世詠531 加納師平 かのうもろひら 

 

夏の夜は露よりもろく明けにけり 蓮の花散る東雲(しののめ)の雨

 

●国学者で歌人。安政四年(1857)六月二十四日頓死、享年五十二。

*歌会から帰宅したその晩に、今でいう突然死で死去。掲出は遺詠である。

 

 

辞世詠532 横川良助 よこかわりょうすけ 

 

時いたり八十路にあまるゆめはてて 元の住家に帰るうれしさ

 

●南部藩政史家。安政四年(1857)十二月二十三日病没、享年八十四。

 

 

辞世詠533 大原幽学 おおはらゆうがく 

 

花散らば散れうてなはつきて落ちし実の おほれ栄ゆる時こそあるらん

 

●農事指導者で性理学教授。安政五年(1858)三月八日自刃、享年六十二。

*先祖株組合を実現させるなど農村改革に努めたが、幕府の弾圧にあい自刃へと追い込まれた。

 

 

辞世詠534 亀玉堂亀玉 きぎょくどうきぎょく 

 

かの国へ土産といふはほかになし 銭六文に六字名号

 

●狂歌師。安政五年(1858)八月八日病没、享年八十。

 

 

辞世詠535 山元貞一郎 やまもちていいちろう 

 

散ることはかねてならひしものなれば 何か恨みん春の山風

 

●信州松本の郷士で、勤王の志士。安政五年(1858)八月二十九日自裁、享年五十六。

 

 

辞世詠536 梁川星巌 やながわせいがん 

 

老いの身の終るいのちはをしからで 世にいさをしのなきぞかなしき

 

●漢詩人で、尊皇主義者。安政五年(1858)九月二日病没、享年七十。

 

 

辞世詠537 歌川広重〔初代〕 うたがわひろしげ 

 

吾妻路へ筆を残して旅の空 西のみ国の名ところを見ん

 

●浮世絵師。安政五年(1858)九月六日病没、享年六十二。

 

 

辞世詠538 象工庵 しょうこうあん 

 

秋風にきへるわが身は空蝉の おしいおしいといふも迷か

 

●俳諧師で狂句作者。安政五年(1858)秋に病没、享年未詳。

 

 

辞世詠539 一色銀之助 いしきぎんのすけ 

 

ふにおちぬ七ツ屋札にせめられし 守りの銀はいま奪らるなり

 

●江戸の碁会所主人で、狂歌師。安政五年(1858)十月二十九日病没、享年五十八。

 

 

辞世詠540 月照 げっしょう 

 

大君のためにはなにか惜しからむ 薩摩の瀬戸に身は沈むとも

 

●勤皇の歌僧。安政五年(1858)十一月十一日入水、享年四十六。

*言動を幕府ににらまれ逃亡を図るも、万策尽きて西郷隆盛とともに錦江湾に身を投げた。しかし直後に救助された。 

 

 

辞世詠541 信海 しんかい 

 

西の海東の空とかはれども 心はおなじ君が代の為

 

●月照の弟で、勤皇僧。安政六年(1859)三月十八日獄死、享年三十九。

 

 

辞世詠542 桜任蔵 さくらじんぞう 

 

故郷の夢はみ雪に砕かれて 枕に残る松風の音

 

●水戸藩士で、勤皇の志士。安政六年(1859)七月六日病没、享年四十八。

 

 

辞世詠543 安島帯刀 あじまたてわき 

 

玉の緒の絶ゆともよしやわが君の かけの守りとならんと思へば

 

●水戸藩家老で、勤皇の志士。安政六年(1859)八月二十七日自刃、享年四十八。

 

 

辞世詠544 梅田雲浜 うめだうんぴん 

 

君が世を思ふ心の一筋に 我が身ありとも思はざりけり

 

●若狭小浜藩士で、勤皇の志士。安政六年(1859)九月十四日獄死、享年四十五。

*安政の大獄における初期の連座犠牲者である。

 

 

辞世詠545 頼三樹三郎 らいみきさぶろう 

 

まかる身は君が代思ふ真心の 深からざりししるしなりけむ

 

●頼山陽の子息で、勤皇の志士。安政六年(1859)十月七日刑死、享年三十五。

*安政の大獄に連座した犠牲者の一人。

 

 

辞世詠546 吉田松陰 よしだしょういん 

 

身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも 留置まし大和魂

 

●長州藩士で勤皇の志士、松下村塾塾長。安政六年(1859)十月二十七日刑死、享年三十。

*安政の大獄に連座した犠牲者の一人。次の辞世も遺している。

辞世詠546-二 呼出しの声待つほかに今の世にまつべきことのなかりけるかな

 

 

辞世詠547 長野多紀 ながのたき 

 

迷ひ来し浮世の闇をはなれてぞ 心の月のひかりみがかん

 

●歌人、長野主膳の妻。安政六年(1859)の没か、享年未詳。

 

 

辞世詠548 英一川 はなぶさいっせん 

 

我もまた本来空にかへるなり 月にいざなへ彼の岸の舟

 

●風俗絵師。安政七年(1860)一月二十八日病没、享年未詳。

 

 

辞世詠549 花笠文京 はながさぶんきょう 

 

山の端に白雲と見し花は根に 帰りし後の春の古里

 

●戯作者。安政七年(1860)三月二日頓死、享年七十六。

*筆の立つ戯作者であったが、晩年は零落し行き倒れとなり、江戸深川の辻番所で息を引き取った。

 

 

辞世詠550 井伊直弼 いいなおすけ 

 

咲きかけしたけき心のひと房は 散りての後ぞ世に匂ひける

 

●幕府大老。安政七年(1860)三月三日横死、享年四十六。

*桜田門外の変の犠牲者。掲出歌は前日、組屋頭の求めに応じて詠んだが、図らずも遺詠となった。

 

 

辞世詠551 佐野竹之助 さのたけのすけ 

 

桜田に花とかばねはさらすとも なにたゆむべき大和魂

 

●水戸藩士。安政七年(1860)三月三日横死、享年二十一。

*桜田門外の変の中心人物で、大老襲撃のさい斬殺された。

 

 

辞世詠552 斎藤監物 さいとうけんもつ 

 

国のため積る思ひも天津(あまつ)()にとけて嬉しき今朝の淡雪

 

●神道家で、桜田門外の変に参加。安政七年(1860)三月三日横死、享年三十九。

 

 

辞世詠553 有村次左衛門 ありむらじざえもん 

 

岩金もくだけざらめや武士の 国のためにと思ひ切る太刀

 

●薩摩藩士で、桜田門外の変に参加。安政七年(1860)三月三日自刃、享年二十三。

 

 

辞世詠554 高橋多一郎 たかはしたいちろう 

 

鳥が鳴く東健夫(あずまたけを)の真心は 鹿島の里のあなたとぞ知れ

 

●水戸浪士で、桜田門外の変に参加。万延元年(1860)三月二十三日自刃、享年四十七。

 

 

辞世詠555 高橋庄左衛門 たかはししょうざえもん 

 

今更に何をか言はむいはずとも 尽す心は神ぞ知るらむ

 

●多一郎の子息で、桜田門外の変に参加。同日父とともに自刃、享年十九。

 

 

辞世詠556 飯田忠彦 いいだただひこ 

 

ぬば玉のよは五月雨の雨よりも まさりておつる我涙かな

 

●野史研究家。万延元年(1860)五月二十七日自刃、享年六十三。

 

 

辞世詠557 黒沢忠三郎 くろさわちゅうさぶろう 

 

はるばると心こしちの今日こそは 思ひもはれてむすぶゆめかな

 

●水戸浪士で、桜田門外の変に連座。万延元年(1860)七月十一日自刃、享年三十一。

 

 

辞世詠558 詮海 せんかい 

 

いつの年いつの頃ぞと思ひしに 今月のけふ今ぞ往生

 

●融通念仏宗の僧。万延元年(1860)十月一日病没、享年七十五。

 

 

辞世詠559 堀利熙 ほりとしひろ 

 

石の上ふりにし世々のあと訪ひて 昔にかへる我が身なりけり

 

●幕臣で、ペリー来航時の海防掛。万延元年(1860)十一月六日自刃、享年四十三。

 

 

辞世詠560 関鳬翁 せきふおう 

 

わが魂のゆくへはいづく白雲の かからん山の松の下陰

 

●儒学者。万延二年(1861)一月二十二日病没、享年七十六。

 

 

辞世詠561 尽語楼内匠 じんごろうたくみ 

 

夏の日の火宅をのりの車にて 出しは子供にかへりたる身を

 

●狂歌師。文久元年(1861)五月十四日病没、享年八十一。

 

 

辞世詠562 梅辻規清 うめつじのりきよ 

 

かほと顔あはさぬ人にわかる身は 思ふ言葉もとどかざりけり

 

●国学者。文久元年(1861)七月二十一日客死、享年六十四。

 

 

辞世詠563 森山繁之介 もりやましげのすけ 

 

君が為思ひ残さむ武士の なき人数に入るぞうれしき

 

●水戸浪士で、桜田門外の変の刺客。文久元年(1861)七月二十六日刑死、享年二十七。

 

 

辞世詠564 金子孫二郎 かねこまごじろう 

 

いたづらに散る桜ともいひなまし 花の心を人は知らずに

 

●水戸浪士で、桜田門外の変の首魁。文久元年(1861)七月二十六日刑死、享年五十八。

 

 

辞世詠565 杉山弥一郎 すぎやまやいちろう 

 

今更に云ひがひもなき我国の かたぎなりけり異国(からくに)の船

 

●水戸家の鉄砲士で、桜田門外の変に連座。文久元年(1861)七月二十六日刑死、享年三十八。

 

 

辞世詠566 蓮田市五郎 はすだいちごろう 

 

ふるさとの空をし行かばたらちめに 身のあらましをつげよかりがね

 

●水戸浪士で、桜田門外の変に連座。文久元年(1861)七月二十六日刑死、享年二十九。

 

 

辞世詠567 山崎知雄 やまざきともお 

 

六十路あまり住みしこの世の別れかと おもへば濡るるわが袂かな

 

●国学者。文久元年(1861)九月二十三日病没、享年六十四。

 

 

辞世詠568 平出順益 ひらでじゅんえき 

 

糸のごと身は痩せたれどしかすがに おわりみださずうれしかりけり

 

●名古屋の医師。文久元年(1861)十月三日病没、享年五十三。

 

 

辞世詠569 田中謙助 たなかけんすけ 

 

大君の御旗のもとに死してこそ 人と生れし甲斐はありけり

 

●薩摩藩士で、寺田屋事件の首謀者。文久二年(1862)四月二十四日横死、享年三十五。

*文久二年四月二十三日、島津光久の命により、京都伏見の寺田屋に集結していた田中や有馬新七ら尊攘派の士が斬殺(寺田屋事件)された。辞世はこの日あるを覚悟して用意しておいたものであろう。

 

 

辞世詠570 田中河内介 たなかかわちのすけ 

 

ながらへてかはらぬ月を見るよりも 死して払はん世々の浮雲

 

●勤王の志士。文久二年(1862)五月一日横死、享年四十八。

 

 

辞世詠571 関鉄之介 せきてつのすけ 

 

捨てて甲斐あるかなきかはしら雪の つもる思ひの消えぬ身にして

 

●水戸浪士で、寺田屋事件の中心人物。文久二年(1862)五月十一日刑死、享年三十九。

寺田屋事件にかかわり捕らえられ、薩摩へ護送の途中惨殺された。

 

 

辞世詠572 伊藤軍兵衛 いとうぐんべえ 

 

日の本の為めと思ふてきる太刀は なにいとふべき千代のためしに

 

●信州松本藩士で、外国人殺害犯。文久二年(1862)六月一日自刃、享年二十三。

*イギリス公使館襲撃中に、イギリス水兵を死傷させた。

 

 

辞世詠573 長野主膳〔義言〕 ながのしゅぜん 

 

飛鳥川きのふの淵はけふの瀬と かはるならひを我身にぞ見る

 

●国学者。文久二年(1862)八月二十七日刑死、享年四十八。

*井伊大老の懐刀として敏腕を振るったが、安政の大獄の後、政変により斬刑に処された。

 

 

辞世詠574 秋元正一郎 あきもとしょういちろう 

 

絶え絶えの我が玉の緒をかけて思ふ 晴れぬ夜頃の月やいかにと

 

●姫路藩の国学教授。文久二年(1862)八月二十九日没、享年四十。

 

 

辞世詠575 来原良蔵〔盛功〕 くるはらりょうぞう 

 

雲霧を四方にはらひて澄む月を よみ路のそらにはやく見まほし

 

●長州藩の勤皇の志士で、桂小五郎の義弟。文久二年(1862)八月二十九日自刃、享年未詳。

*藩老の長井雅楽を排斥するなどの過激な言動により詰め腹を切らされた。

 

 

辞世詠576 那須重民 なすしげたみ 

 

君ゆえにをしからぬ身をながらへて 今この時に逢ふぞうれしき

 

●土佐藩の勤皇の志士。文久二年(1862)九月二十四日戦死、享年三十五。

*天誅組に参加。鷲家口で彦根海軍と戦い銃弾に倒れた。

 

 

辞世詠577 酒井忠寛 さかいただとも 

 

わが国の境と聞けば草も木も なほ余所ならぬ色にぞありける

 

●出羽庄内藩主。文久二年(1862)に病没、享年二十四。

 

 

辞世詠578 松亭金水 しょうていきんすい 

 

むそぢ余り六とせの今日を命にて 浮き世の夢はさめ果てにけり

 

●合巻作者。文久二年(1862)十二月十日病没、享年六十六。

 

 

辞世詠579 喜遊 きゆう 

 

つゆをだにいとふやまとのおみなへし ふるあめりかにそではぬらさじ

 

●横浜岩亀楼抱えの遊女。文久二年(1862)に自裁、享年未詳。

*この歌の背景となるようなもっともらしい巷説が流布しているが、じつは吉原松葉屋抱えの遊女花園の作、という説もある。

 

 

辞世詠580 伴香竹 ばんこうちく 

 

今までの武平は石に身をかへて 歌もよまれずものもいはれず

 

●水戸藩の国学者。文久二年(1862)没、享年未詳。

*通称を「武平」といった。

 

 

辞世詠581 長井雅楽 ながいうた 

 

君がため捨る命は惜からで 只思はるる国の行くすゑ

 

●長州藩士で、開国論者。文久三年(1863)二月六日自刃、享年四十五。

*辞世に次の一首も詠む。

辞世詠581-二 今更に何をか言ん代々を経し君の恩にむくふ身なれば

*長州藩中央進出の手土産にと航海遠略策を掲げたが、藩内尊攘派の策動により失脚、無念の涙をのんだ。

 

 

辞世詠582 尾形洪庵 おがたこうあん 

 

寄る辺とぞ思ひしものを浪花潟 あしの仮寝となりにけるかな

 

●幕末の蘭医で、適塾の創設者。種痘の普及に尽力した。文久三年(1863)二月ⅷ日病没、享年五十四。

*幕府に招かれ江戸へ赴くとき詠じた遺詠。

 

 

辞世詠583 仙石隆明〔佐多雄〕 せんごくたかあき 

 

よしや身はいづこの浦にしづむとも (たま)はみやこの空にとどめむ

 

●鳥取支藩の鹿奴藩士で、勤皇の志士。文久三年(1863)二月二十七日自刃、享年二十二。

*同志と図って足利尊氏ら木像の首を斬り、幕府から責めを受けて楼上で切腹した。

 

 

辞世詠584 清川八郎 きよかわはちろう 

 

魁てまたさきがけん死出の山 迷ひはせまじすめらぎの道

 

●長州藩の郷士で、勤皇の志士。文久三年(1863)四月十三日横死、享年三十四。

*幕府見廻組の佐々木只三郎らに斬られた。襲われる前、清川の同志高橋兼三郎宅に立ち寄り白扇に書きつけた一首であり、「虫知らせの歌」と話題になった。

 

 

辞世詠585 間崎哲馬〔滄浪〕 まさきてつま 

 

()る人のあるかなきかは白露の おき別れにし撫子の花

 

●土佐藩士で、勤皇の志士。文久三年(1863)六月八日自刃、享年三十。

*藩政改革を訴えたが山内容堂の怒りに触れて投獄の身となり、次の平井らと運命を共にした。

 

 

辞世詠586 平井収二郎〔隈山〕 ひらいしゅうじろう 

 

百千度(ももちたび)いきかへりつヽうらみむと おもふこヽろの絶えにけるかな

 

●土佐藩士で、薩長間の調停役。文久三年(1863)六月八日自刃、享年三十九。

 

 

辞世詠587 宮崎彦助 みやざきひこすけ 

 

とにかくに死におくれぬぞ武士の 誠をつくす道はありける

 

●長州藩士で、奇兵隊幹部。文久三年(1863)八月二十七日自刃、享年五十一。

*下関にて長州藩の先鋒隊士が奇兵隊宿舎を襲撃したことの責任を取らされ切腹した。

 

 

辞世詠588 芹沢鴨 せりざわかも 

 

雪霜に色よく花のさきかけて 散りても後に匂ふ梅の香

 

●水戸浪士で、初期の新撰組局長。文久三年(1863)九月十八日横死、享年未詳。

*新撰組での主導権争いが昂じ妾と同衾中に沖田総司らに襲われた。斃れることを覚悟し、小指をかみ切って書いた血書である。

 

 

辞世詠589 宍戸昌明〔弥四郎〕 ししどまさあき 

 

今はただなにか思はん敵あまた 打ちて死にきと人の語らば

 

●三河刈谷藩士で、天誅組幹部。文久三年(1863)九月二十四日戦死、享年三十一。

*大和高取城を攻めたが隊列が乱れ、幕府側海兵の逆襲にあって鷲家口で敗れた。

 

 

辞世詠590 藤本鉄石 ふじもとてっせき 

 

雲をふみ岩さくみし武士の よろひの袖に紅葉かつちる

 

●岡山藩の郷士で、天誅組の指導者。文久三年(1863)九月二十五日戦死、享年四十八。

*天誅組は中山忠光を主将に、過激派の勤皇志士らで組んだ佐幕派要人の暗殺集団。藤本自身は、京都での政変に伴う天誅組追討令に反抗し、紀伊藩陣営に同市と斬り込みをかけ戦死した。

 

 

辞世詠591 松本奎堂〔謙三郎〕 まつもとけいどう 

 

君がために命死にきと世の人に 語りつぎてよ峰の松風

 

●三河刈谷藩士で、天誅組総裁。文久三年(1863)九月二十五日戦死、享年三十三。

*高取城攻撃のさい負傷し失明、駕籠で本陣へ運ばれるおり人夫が逃げ去り、追手の銃撃に倒れた。

 

 

 

辞世詠592 深瀬繁理 ふかせしげさと 

 

あだし野の露と消え行く武士の 都にのこす大和魂

 

●大和十津川の郷士で、天誅組隊員。文久三年(1863)九月二十五日刑死、享年三十七。

*津藩兵に捕われ白川河原で斬刑に処された。

 

 

辞世詠593 吉村寅太郎 よしむらとらたろう 

 

吉野山風に乱るるもみじ葉は わが打つ太刀の血烟と見よ

 

●土佐の庄屋出身で、天誅組の幹部。文久三年(1863)九月二十七日戦死、享年二十七。

*高取城の夜襲に失敗し、鷲家口に逃れたところを津藩兵に射殺された。

 

 

辞世詠594 河上弥市 かわかみやいち 

 

玉の緒のたとへ絶へなば絶ゆるとも 身は大君の勅をささげん

 

●長州藩士で、奇兵隊総督。文久三年(1863)十月十四日自刃、享年二十一。

*天誅組義挙に呼応し行くので義兵を挙げ妙見山に陣を張ったが、農民らに襲われて同志十二人と共に自決した。

 

 

辞世詠595 守田勘弥〔十一代〕 もりたかんや 

 

月花も見る程は見て世の中に 心残らぬ老いぞのどけき

 

●歌舞伎役者で座元。文久三年(1863)十一月十八日病没、享年六十二。

 

 

辞世詠596 桜木太夫 さくらぎたゆう 

 

年月の忍車のゆきやらで うしとそひとり音にこそきけ

 

●京都島原輪違屋抱えの遊女。生没年未詳も文久頃か。

 

 

辞世詠597 梅屋鶴寿 うめやかくじゅ 

 

つまづくが最後此世の暇乞い ひまゆく駒におくり狼

 

●狂歌師。文久四年(1864)一月十二日病没、享年六十二。

 

 

辞世詠598 伴林光平 ともばやしみつひら 

 

君が代はいはほとともに動かねば 砕けてかへれ沖っ白波

 

●愛国の僧で国学者、天誅組隊員。文久四年(1864)二月十六日刑死、享年五十二。

 

*天誅組連敗の末に京都へ送られ、同志十九名と共に受刑。

 

 

辞世詠599 尾崎健蔵 おざきけんぞう 

 

天津日の影だにささぬひとやにも 春を告げくるうぐひすの声

 

●鳥取藩士で、天誅組隊員。文久四年(1864)二月十六日刑死、享年二十四。

 

 

辞世詠600 渋谷伊予作 しぶたにいよさく 

 

あわれ世の浮き雲おほふ大内山 月の光はいつかあふがむ

 

●下野下館藩士で、天誅組隊員。文久四年(1864)二月十六日刑死、享年二十三。