辞世詠601 山本誠一郎 やまもとせいいちろう 

 

雨風に散るともよしや桜花 君の為にはなにかいとはむ

 

●長州浪士で、義勇隊隊員。元治元年(1864)二月二十六日自刃、享年三十二。

*「義勇隊」は勤皇志士の結社。山本自身は前年、薩摩商人による外国人との密貿易に義憤を覚え、同志と謀って商人を殺害。藩に累の及ぶことを恐れて、西本願寺別院門前で切腹した。

 

 

辞世詠602 錦小路頼徳 にしきこうじよりのり 

 

はかなくも三十年(みそち)の夢はさめてけり 赤間が関の夏の夜の雲

 

●三条実美の親衛隊長で、勤皇の志士。元治元年(1864)四月二十七日客死、享年三十。

*赤間が関の砲台を巡視中に発病し現地で没した。

 

 

辞世詠603 吉田稔麿 よしだとしまろ 

 

結びてもまた結びても黒髪の 乱れそめにし世を如何にせん

 

●長州浪士で奇兵隊隊員、池田屋事件に連座。元治元年(1864)六月五日横死、享年二十四。

*「池田屋事件」とは、六月五日に長州・土佐・肥後の各藩士二十名が京都賛辞用の宿池田屋で討幕計画を密議中、新撰組隊員に急襲され吉田らが惨殺された事件のこと。

 

 

辞世詠604 佐久間象山 さくましょうざん 

 

時にあはば散るもめでたし山桜 めづるは花の盛りのみかは

 

●思想家で兵学者。元治元年(1864)七月十一日横死、享年五十四。

*幕命を受けて在京中、尊攘派の手により三条木屋町で暗殺された。

 

 

辞世詠605 久坂玄瑞 くさかげんずい 

 

千早振るひとの醜業(しこわざ)かかるかと 思へば我も髪逆立ちぬ

 

●長州浪士で勤王の志士、禁門の変の首魁。元治元年(1864)七月十九日自刃、享年二十五。

*「禁門の変」は「蛤御門の変」とも。七月十九日、長州藩は劣勢を挽回すべく京都に派兵した。ここで禁内守護のための薩摩など諸藩の連合軍と衝突、久坂は銃弾を受け瀕死の状態ながら鷹司邸で切腹した。

 

 

辞世詠606 原道太〔盾雄〕 はらみちた 

 

君が為めすつる命はをしまねど 心にかかるふるさとのこと

 

●久留米藩士で、禁門の変の先鋒を買って出た。元治元年(1864)七月十九日自刃、享年二十七。

*禁門の変に加わり上京、会津藩兵と戦って負傷し、自刃した。

 

 

辞世詠607 乾十郎 いぬいじゅうろう 

 

いましめの縄は血汐にそむるとも 赤き心はなどかはるべき

 

●大和五条の医師で、天誅組隊員。元治元年(1864)七月二十日刑死、享年三十七。

*幕吏の追及を逃れ摂津江口で変名を用い医師になったが、発覚して京都六角獄で斬刑に処された。

 

 

辞世詠608 平野国臣〔次郎〕 ひらのくにおみ 

 

武士の思ひこめにし一筋は 七代かゆともよしたゆむまし

 

●福岡藩士で国学者、勤皇の志士。有職故実家としても高名。元治元年(1864)七月二十日刑死、享年三十七。

*北九州で義挙を企てたが、捕らえられいったんは釈放に。のち生野銀山に挙兵して敗退、京都六角獄で同志らと斬刑に。次の辞世もある。

辞世詠608-二 みよや人嵐の庭の楓葉はいづれ一葉も散らずやはある

 

 

辞世詠609 古東領左衛門 ことうりょうざえもん 

 

君のため八重の汐路を登り来て 今日九重の土になるとは

 

●淡路津井村の庄屋で、天誅組隊員。元治元年(1864)七月二十日刑死、享年四十六。

*禁門の変に連座。辞世に次の一首も詠む。

辞世詠609-二 君のため思ひしことも水の上の泡と消えゆく淡路島人

 

 

辞世詠610 真木和泉〔保臣〕 まきいずみ 

 

大山の峰の岩根に埋めにけり わが年月の大和魂

 

●筑後の神官で、勤皇の志士。元治元年(1864)七月二十一日自裁、享年五十二。

*倒幕運動の指導者で、禁門の変では忠勇隊を結成して上京。しかし敗退に至り、天王山で切腹。自爆死の説もある。

 

 

辞世詠611 清岡治之助 きよおかはるのすけ 

 

砕けてはあたし光もとヽめまし (はちす)に宿る露の白玉

 

●土佐の郷士で、野根山殉難二十三士の一人。元治元年(1864)九月五日刑死、享年三十九。

*「野根山殉難」とは文久三年、清岡道之助(治之助の同族)を中心に土佐藩の藩政改革をもくろむ同志二十三名が野根山に屯集。やがて藩吏らに追われて捕らえられ、奈半利河原で全員が斬首に処された事件を指す。

 

 

辞世詠612 豊永斧馬 とよながおのま 

 

白露と消ゆる我身は惜しからで 惜きは後の名のみなりけり

 

●右に同じく、同日刑死。享年二十七。

 

 

辞世詠613 千屋熊太郎 ちやくまたろう 

 

ますら男の身は朽ちぬともまこヽろは 留めて国の末を護らん

 

●村医で同じく、同日刑死。享年二十一。

 

 

辞世詠614 木下嘉久次 きのしたかくじ 

 

死ぬる身も何か恨みんかはねむす 草に花さく時もあるへし

 

●郷士で同じく、同日刑死。享年二十一。

 

 

辞世詠615 木下慎之助 きのしたしんのすけ 

 

かすならぬ身のなる果ては惜しからす 世の為め君の為めと思へば

 

●嘉久次の弟で同じく、同日刑死。享年十六。

 

 

辞世詠616 近藤治郎太郎 こんどうじろたろう 

 

君か為め尽しヽ事のかひそなき あしたの原の露と消ゆる身

 

●土佐の郷士で、同じく同日刑死。享年二十五。

 

 

辞世詠617 保田信六郎 やすだしんろくろう 

 

弓矢とる神もいまさば武士の かひなき死をや憐みたまへ

 

●近江膳所藩士で、勤王の志士。元治元年(1864)十月二十一日自刃、享年二十八。

*人望の厚い人で若くして中老職に就く。尊攘の志厚く、宿敵藩老のそしりにあって捕らえられ安昌寺で果てた。

 

 

辞世詠618 田中貫治 たなかかんじ 

 

君か代の曇りも晴れて行くならば あとにこヽろはのこさじものを

 

●対馬藩士で、勝井五八郎事件に連座。元治元年(1864)十月二十五日自刃、享年二十。

*勝井五八郎は、政略により対馬藩藩老の座と権勢を得た人物。勝井はさらに佐幕勢力を強化し、元治元年には尊攘派に対して過酷な弾圧を加えたため、多くの藩士が命を奪われた。これを「勝井五八郎事件」という。

 

 

辞世詠619 大浦亨 おおうらとおる 

 

後の世の為思ふ身は草の葉の 露と消ゆとも何をか惜しまん

 

●対馬藩士で、勝井五八郎事件に連座。元治元年(1864)十月二十五日刑死、享年十七。

 

 

辞世詠620 小川幸三 おがわこうぞう 

 

武夫(もののふ)の大和心のひとすじに 身はなきものとかねて思ひき

 

●加賀藩士で医師、勤王の志士。元治元年(1864)十月二十六日刑死、享年二十九。

*加賀藩世子慶寧への意見具申のため無断出国したという科で藩吏につかまり、金沢で斬刑に処された。

 

 

辞世詠621 粟屋亦助 あわやまたすけ 

 

武士に二心はさらになし 君にひたすら尽し散るらん

 

●長州藩士で、禁門の変に連座。元治元年(1864)十一月三日刑死、享年三十。

 

 

辞世詠622 水野主馬〔勝善〕 みずのしゅめ 

 

秋風に身はもみち葉とちりぬとも 赤き心は千代になかさん

 

●結城藩家老で、天狗党筑波軍師。元治元年(1864)十一月九日自刃、享年二十五。

*天狗党士こぞって上京の途上、水野らは離脱し海路で横浜襲撃を企てた。しかし事前に漏れて捕らえられ、水海道の鬼怒川堤で切腹に追い込まれた。

 

 

辞世詠623 益田右衛門介 ますだうえもんのすけ 

 

今更に何あやしまむ空蝉(うつせみ)の よきもあしきも名の替る世に

 

●長州藩家老。元治元年(1864)十一月十二日自刃、享年三十二。

*禁門の変に加わり帰国してみると、藩政は恭順派に牛耳られ、益田は徳山藩預けの身となり、やがて惣持院で切腹させられた。

 

 

辞世詠624 国司信濃 くにししなの 

 

よしやよし世を去るとても我が心 御国のためになほつくさばや

 

●長州藩家老。元治元年(1864)十一月十二日自刃、享年二十三。

*前の益田と同様に、禁門の変への出兵から戻ると、恭順派により幕府への謝罪のためとして詰め腹を切らされた。

 

 

辞世詠625 福原越後 ふくはらえちご 

 

苦しさはたゆる我が身の夕煙 空に立つ名は捨てがてにして

 

●長州藩家老。元治元年(1864)十一月十二日自刃、享年五十。

*前の益田、国司と同様に切腹させられた。

 

 

辞世詠626 宍戸左馬之助 ししどさまのすけ 

 

我ならぬ人の手折りを辿りつつ 高嶺に匂ふ花を見るかな

 

●長州藩士で、勤皇の志士。元治元年(1864)十一月十二日刑死、享年六十一。

*恭順派の手により萩の野山嶽で斬殺された。次の辞世もある。

辞世詠626-二 朝夕に手に慣れしものと別るるや浮世の夢の見果てなるらん

 

 

辞世詠627 竹内正兵衛 たけうちしょうべえ 

 

武夫の露と消えゆく枯野かな 咲くもしぼむも時の秋花

 

●長州藩士で、勤皇の志士。元治元年(1864)十一月十二日刑死、享年四十六。

*恭順派に切腹させられた。

 

 

辞世詠628 佐久間佐兵衛 さくまさへえ 

 

今ははや言の葉草も夜の雪と 消え行く身にはなりにけるかな

 

●長州藩士で、勤皇の志士。元治元年(1864)十一月十二日刑死、享年三十二。

*恭順派に切腹させられた。辞世はもう一首あり、

辞世詠628-二 心あらば梢の紅葉しばし待て哀れ我が身と共に散るらん

 

 

辞世詠629 中山忠光 なかやまただみつ 

 

思ひきや野田の案山子のあづさ弓 引きも放たで朽ちはつるとは

 

●廷臣で、大和天誅組の主将。元治元年(1864)十一月十五日横死、享年二十。

*若いが矯激な性格で、天誅組三十余名を率いる。組が賊軍とみなされるや転戦と逃亡を重ね、長州に逃れたが密殺された。

 

 

辞世詠630 平田観之輔 ひらたかんのすけ 

 

武士の捨る命は惜しからず えみしを討たで死すぞ口惜し

 

●対馬藩士で、勝井五八郎事件に連座。元治元年(1864)十一月二十三日自刃、享年二十三。

 

 

辞世詠631 飯田軍蔵 いいだぐんぞう 

 

紫の根もなき雲にさそはれて 今は笠間の露とこそなれ

 

●常陸下妻の名主で、筑波奇兵隊こと天狗党隊員。元治元年(1864)十一月二十三日獄死、享年三十一。

 

 

辞世詠632 青柳蔀 あおやぎしとみ 

 

書き遺る我手ながらもなつかしや 恋しき人の見ると思へば

 

●対馬藩士で、勝井五八郎事件に連座。元治元年(1864)十一月二十六日自刃、享年二十四。

*竹敷村に幽閉され自刃させられた折の母への遺詠である。

 

 

辞世詠633 大竹捨己 おおたけすてき 

 

親と子の頼みも絶えて今は只 たましひ残る古里の空

 

●対馬藩士で、勝井五八郎事件に連座。元治元年(1864)十一月二十八日自刃、享年二十四。

*大浦村の配所で自刃させられたおり、母への遺詠である。

 

 

辞世詠634 扇五兵衛 おうぎごへい 

 

むら雲に隠れゆきたる月影を 貫きとおす武士の意地

 

●対馬藩士で、勝井五八郎事件に連座。元治元年(1864)十一月二十八日自刃、享年五十一。

 

 

辞世詠635 鈴木蔵太 すずきくらた 

 

すみ渡る月もくもれる世の中に 何をかこちてなく千鳥かな

 

●対馬藩士で、勝井五八郎事件に連座。元治元年(1864)十二月十一日刑死、享年四十七。

 

 

辞世詠636 歌川豊国〔三代〕 うたがわとよくに 

 

一向に弥陀へまかせん気のやすさ 只何事も南無阿弥陀仏

 

●江戸の浮世絵師。元治元年(1864)十二月十五日病没、享年七十九。

 

 

辞世詠637 大和国之助 やまとくにのすけ 

 

君が為め刃にそむる真心は いとどうれしき心地こそすれ

 

●長州藩士で、勤皇の志士。元治元年(1864)十二月十九日刑死、享年三十。

*禁門の変の後、藩内恭順派の手で野山嶽に投ぜられ、同志ら六名とともに斬刑に処された。

 

 

辞世詠638 山田亦介 やまだまたすけ 

 

散るもよし吉野の山の山桜 花にたとへし武士の身は

 

●長州藩士で、勤皇の志士。元治元年(1864)十二月十九日刑死、享年五十五。

 

 

辞世詠639 松島剛蔵 まつしまごうぞう 

 

君がためつくす心のすぐなるは 空行く月やひとりしるらむ

 

●長州藩士で、勤皇の志士。元治元年(1864)十二月十九日刑死、享年四十。

 

 

辞世詠640 渡辺内蔵太 わたなべくらた 

 

はや咲けばはや手折らるヽ梅の花 清き心を君にしらせて

 

●長州藩士で、勤皇の志士。元治元年(1864)十二月十九日刑死、享年二十九。

 

 

辞世詠641 河合総兵衛 かわいそうべえ 

 

ひをむしの身をいかてかは惜むへき たヽをしまるヽ御代の行末

 

●姫路藩士で、勤皇の志士。甲子の獄に連座。元治元年(1864)十二月二十六日自刃、享年四十九。

*元治元年、姫路藩主酒井忠績の意を受けた筆頭家老高須隼人により、同藩の勤王の志士約70名が粛正された。世にこれを「甲子の獄」という。

 

 

辞世詠642 河合伝十郎 かわいでんじゅうろう 

 

此まヽに身は捨るともいき変り ほふりころさむ(しこ)のやつ原

 

●姫路藩士で、総兵衛の養子。甲子の獄に連座。元治元年(1864)十二月二十六日刑死、享年二十四。

 

 

辞世詠643 伊舟城源一郎 いばらきげんいちろう 

 

桜木にあかき心の色みせて ちるをならひのはるの山風

 

●姫路藩士で、勤皇の志士。甲子の獄に連座。元治元年(1864)十二月二十六日自刃、享年三十五。

*次の辞世もある。

辞世詠643-二 露の身のかくし消えても父と子にそひてや世々の君よまもらん

 

 

辞世詠644 松下鉄馬 まつしたてつま 

 

国のため君の御為と祈りつる 神やまことを見そなはすらん

 

●姫路藩士で、甲子の獄に連座。元治元年(1864)十二月二十六日自刃、享年三十。

 

 

辞世詠645 市川豊次 いちかわとよじ 

 

露となり草葉の下に消ぬとも あかきこヽろは世々に残さん

 

●姫路藩士で、甲子の獄に連座。元治元年(1864)十二月二十六日自刃、享年二十四。

 

 

辞世詠646 萩原虎六 はぎわらころく 

 

よしや身は草むす野辺に埋む共 君のなき名を洗てすヽかん

 

●姫路藩士で、甲子の獄に連座。元治元年(1864)十二月二十六日自刃、享年二十四。

*次の一首も遺す。

辞世詠646-二 うたてやな道あるみちに迷ふ身の死出の山路の行くへをぞ思ふ

 

 

辞世詠647 熊生権右衛門 くまおごんえもん 

 

君のため惜しからざりし命なれば 雲晴れねども西へ行くなり

 

●姫路藩士で、甲子の獄に連座。元治元年(1864)十二月二十八日自刃、享年四十。

 

 

辞世詠648 大利鼎吉 おおりていきち 

 

塵よりも軽き身なれど大君の 深き恵みにけふ報ゆなり

 

●土佐藩士で、土佐勤王党隊員。元治二年(1865)一月八日横死、享年二十四。

*禁門の変に加担。のち大坂において新選組に襲われ命を断った。

 

 

辞世詠649 武田耕雲斎 たけだこううんさい 

 

討つもはた撃たるるもはた哀れなり 同じ日本のみためと思へば

 

●水戸藩若年寄で、天狗党の指導者。元治二年(1865)二月四日刑死、享年六十二。

*「天狗党」は、水戸藩の尊皇攘夷過激派で構成された結社。耕雲斎はじめ田丸稲之衛門、藤田小四郎らが指導に当たり、京都で一ツ橋慶喜に直訴するため約八百名が中央縦断の途についた。しかし厳冬の北陸路で加賀藩兵に行く手を阻止され、頼りとする慶喜も一行を逆賊呼ばわりするという展開に。結局、気力も萎え絶望に追い込まれた頭韻は降伏するしか道はなかった。耕雲斎自身も敦賀で党員らとともに、悲劇的な最期を遂げた。

 

 

辞世詠650 藤田小四郎 ふじたこしろう 

 

兼ねてより思ひ染めにし言の葉を 今日大君に告げて嬉しき

 

●水戸藩士で、天狗党隊員。元治二年(1865)二月四日刑死、享年二十四。

 

 

辞世詠651 川上清太郎 かわかみせいたろう 

 

手筒山みね吹きおろす春風に ますらたけをが髪さかだちぬ

 

●水戸藩士で、天狗党隊員。元治二年(1865)二月四日刑死、享年未詳。

*耕雲斎らと敦賀で果てた。

 

 

辞世詠652 武田とき たけだとき 

 

かねて身はなしと思へど山吹の 花に匂ひて散るぞ悲しき

 

●耕雲斎の妻で、上京団に参加。元治二年(1865)三月二十四日刑死、享年四十。

*加賀藩による天狗党への処罰は過酷を極め、党員はじめ随行家族をも含め四百人余りを血祭りに上げた。武田ときもその犠牲者の一人である。

 

 

辞世詠653 岡田以蔵 おかだいぞう 

 

君がため尽す心は水の泡 消にし後は澄み渡る空

 

●土佐の郷士で、土佐勤皇党隊員。慶応元年(1865)五月十一日刑死、享年二十八。

*「人を斬るのが道楽」と豪語し、佐幕派から「人斬り以蔵」と恐れられた人物である。

 

 

辞世詠654 武市瑞山〔半平太〕 たけちずいざん 

 

ふたヽひと返らぬ歳をはかなくも 今は惜しまぬ身となりにけり

 

●土佐藩士で、勤王党の獄に連座。慶応元年(1865)五月十一日刑死、享年三十七。

*岡田以蔵らを動かし、佐幕派要人を暗殺させた陰の人物。山内容堂の勤王党の獄「尊攘派狩り」にあい、同志とともに切腹した。

 

 

辞世詠655 岡本次郎 おかもとじろう 

 

国の為尽す誠のつゆだにも とほらで消る今日ぞ悲しき

 

●土佐藩士で、土佐勤王党隊員。慶応元年(1865)五月十一日刑死、享年三十五。

 

 

辞世詠656 藤田幾 ふじたいく 

 

引きつれて帰らぬ旅にゆく身にも やまと心の道は迷はじ

 

●憂国の娘で、尊攘運動家。慶応元年(1865)九月二十四日断食死、享年四十三。

 

 

辞世詠657 海津幸一 かいづこういち 

 

竹の杖つくともつきし老てなほ うき節しけき世をたとる身は

 

●福岡藩士で、勤皇の志士。慶応元年(1865)十月二十三日自刃、享年六十二。

*長州藩に左袒したかどで、木屋獄において佐幕派から自刃させられた。

 

 

辞世詠658 斎藤五六郎〔定広〕 さいとうごろくろう 

 

あめつちにはづる心は消えてゆく つゆの命のつゆほどもなし

 

●福岡藩士で、勤皇の志士。慶応元年(1865)十月二十五日自刃、享年三十七。

*尊攘思想を高めるために奔走、佐幕派の抵抗にあい博多天福寺で自刃した。

 

 

辞世詠659 平田主水 ひらたもんど 

 

二十あまり八歳の冬の今日迄も君の御為と思いつつ死す

 

●対馬藩士で尽義隊隊長、勝井五八郎事件に連座。慶応元年(1865)十一月十二日自刃、享年二十八。

 

 

辞世詠660 松山飯山 まつやまはんざん 

 

梓弓こヽろのまヽに引きしめて などか一矢のとほらざらめや

 

●肥前大村藩士。慶応三年(1867)一月三日横死、享年二十九。

 

 

辞世詠661 高杉晋作 たかすぎしんさく 

 

おもしろきこともなき世をおもしろく 住みなすものは心なりけり

 

●長州藩士で、奇兵隊の創設者。慶応三年(1867)四月十四日病没、享年二十九。

 

 

辞世詠662 野村助作 のむらすけさく 

 

浮雲はまた晴れやらぬ身なれとも 露もこヽろ世に残さし

 

●福岡藩士で、乙丑の獄に連座。慶応三年(1867)八月十六日獄死、享年二十四。

*事を図ったとがで玄海島配流の途次、脚を患い場内南丸獄舎で死亡した。

 

 

辞世詠663 沢山人 たくさんじん 

 

よみ尽し世を経る筆の命毛もきのふけふかの別れなるらん

 

●狂歌師。慶応三年(1867)十月十六日病没、享年六十七。

 

 

辞世詠664 野村望東尼 のむらもとに 

 

花の浦の松の葉しろく置霜と 消ぬれはあはれ一さかりかな

 

●歌人で、勤皇家。慶応三年(1867)十一月六日客死、享年六十二。

*福岡藩命による流刑地姫島での詠。もう一首詠んでいて、

辞世詠664-二 雲水の流れまとひて花の浦の初雪とわれふりて消ゆなり

 

 

辞世詠665 坂本竜馬 さかもとりょうま 

 

世の中の人はなにとも言はば言へ 我がなすことは我のみぞ知る

 

●土佐の郷士で、海軍操練所塾頭。慶応三年(1867)十一月十五日横死、享年三十三。

*薩長連合を実現させ大政奉還に尽力した功労者。京都の近江屋で中岡慎太郎とともに幕府見廻組の手により暗殺された。掲出は大政奉還前の作で、辞世というよりは遺詠である。

 

 

辞世詠666 中岡慎太郎 なかおかしんたろう 

 

大君の大御心をやすめんと 思ふ心は神ぞ知るらむ

 

●土佐の大庄屋で、陸援隊隊長。慶応三年(1867)十一月十七日横死、享年三十。

 

 

辞世詠667 宮永良蔵 みやながりょうぞう 

 

大君に事へぞまつるそのひかり わが身ありとは思はざりけり

 

●越中砺波の医師で、禁門の変に連座。慶応三年(1867)十二月二十二日獄死、享年三十五。

 

*勤皇運動の謀議会合から帰るところを捕えられ、入牢中の過酷な拷問が原因で死んだ。

 

 

辞世詠668 落合ナハ おちあいなは 

 

おほぎみとみくにのためにすててこそいのちかひあるやまとなでしこ

 

●薩摩藩邸焼討ち事件の犠牲者。慶応三年(1867)十二月二十五日戦死、享年未詳。

 

 

辞世詠669 志賀敬内 しがけいない 

 

よのために心尽しのかひもなく はかなく庭の雪と消えなは

 

●前橋藩士。慶応三年(1867)十二月二十七日自刃、享年五十。

*関東での義挙の目論見が発覚し、捕らえられて切腹に到った。

 

 

辞世詠670 吉田於菟三郎〔璞堂〕 よしだおとさぶろう 

 

秋風を袂にしめてひとりゆく 死出の山路は淋しからまし

 

●水戸藩士で、藤田東湖の甥。慶応三年(1867)に獄死、享年三十七。

*元治元年の天狗党筑波山派兵に連座し、入牢四年で衰弱死。辞世は合わせて三首ある。

辞世詠670-二 千々の秋眺めんといひし月影を今宵一夜にあつめてぞ見る

辞世詠670-三 限りとて今宵一夜に眺むれば月も哀れを照らさざらめや

 

 

辞世詠671 森本茂吉 もりもとしげきち 

 

人心くもりかちなる世の中に 清き心のみちひらきせん

 

●土佐藩士で、堺警衛隊士。堺事件に連座。慶応四年(1868)二月二十三日刑死、享年三十八。

*慶応四年二月十五日、土佐藩の堺警備兵が海岸観測中のフランス兵士を討ち、死者十一人、負傷者五人に達した。この「堺事件」で維新後間もない政府はフランスに対し多額の賠償金を払うと同時に、首謀者の箕浦猪之吉以下二十名を切腹させた。森本はそのうちの一人である。

 

 

辞世詠672 池上弥三吉 いけがみやそきち 

 

皇国の為に我が身を捨ててこそ 茂るむくらの道ひらきすれ

 

●土佐藩士で、堺警衛隊士。堺事件に連座。慶応四年(1868)二月二十三日刑死、享年三十八。

 

 

辞世詠673 大石甚吉 おおいしじんきち 

 

我もまた神の御国の種なれば 猶いさぎよきけふの想い出

 

●土佐藩士で、堺警衛隊士。堺事件に連座。慶応四年(1868)二月二十三日刑死、享年三十八。

 

 

辞世詠674 北代健助 きただいけんすけ 

 

身命はかくなるものとうち捨てて 留めほしきは名のみなりけり

 

●土佐藩士で、堺警衛隊士。堺事件に連座。慶応四年(1868)二月二十三日刑死、享年三十六。

 

 

辞世詠675 杉本広五郎 すぎもとひろごろう 

 

皇国の御為となして身命を 捨てるいまはの胸の涼しさ

 

●土佐藩士で、堺警衛隊士。堺事件に連座。慶応四年(1868)二月二十三日刑死、享年三十四。

 

 

辞世詠676 勝賀瀬三六 しょうがせさんろく 

 

かけまくも君の御為と一すちに 思ひ迷はぬ敷島の道

 

●土佐藩士で、堺警衛隊士。堺事件に連座。慶応四年(1868)二月二十三日刑死、享年二十八。

 

 

辞世詠677 稲田貫之丞〔楯成〕 いなだかんのじょう 

 

時ありて咲き散るとても桜花 何か惜しまん大和魂

 

●土佐藩士で、堺警衛隊士。堺事件に連座。慶応四年(1868)二月二十三日刑死、享年二十七。

 

 

辞世詠678 山本哲助 やまもとてつすけ 

 

塵泥のよしかゝるとも武士の 底の心はくむ人そくむ

 

●土佐藩士で、堺警衛隊士。堺事件に連座。慶応四年(1868)二月二十三日刑死、享年二十八。

 

 

辞世詠679 柳瀬常七 やなせつねしち 

 

魂をこヽに留めて日の本の 猛き心を四方にしめさん

 

●土佐藩士で、堺警衛隊士。堺事件に連座。慶応四年(1868)二月二十三日刑死、享年二十六。

 

 

辞世詠680 西村佐平次 にしむらさへいじ 

 

風に散る露となる身はいとはねど 心にかゝる国の行末

 

●土佐藩士で、堺警衛隊士。堺事件に連座。慶応四年(1868)二月二十三日刑死、享年二十四。

 

 

辞世詠681 川路聖謨 かわじとしあきら 

 

雪に折るヽ松となるともものヽ夫の このて柏のふたおもてすな

 

●旗本で勘定奉行、外交掛。慶応四年(1868)三月十五日自裁、享年六十八。

*隠居中に江戸開城の報に接し、失意の末わが国最初のピストル自決を遂げた。辞世はもう一首あり、

辞世詠681-二 生替り死かはり来て幾度も身をいたさなむ君の御為に

 

 

辞世詠682 尾関隼人 おぜきはやと 

 

時を待つ花の心を知らずして 散りおくれじと思いけるかな

 

●美作鶴田藩家老。慶応四年(1868)四月十九日自刃、享年未詳。

 

*鶴田藩が鳥羽・伏見の戦いに加わったことを謝罪するため京都本圀寺において自刃。

 

 

辞世詠683 渋沢平九郎 しぶさわへいくろう 

 

惜しまるる時散りてこそ世の中は 人も人なり花も花なれ

 

●佐幕の士で、飯能戦争で官軍に抵抗した振武軍参謀。慶応四年(1868)五月二十二日自刃、享年二十二。

 

 

辞世詠684 武川兵部 たけかわひょうぶ 

 

暫し世に赤き心を見すれども 散るにはもろき風の紅葉

 

●会津藩詩で、彰義隊信意隊隊長。慶応四年(1868)五月に刑死、享年二十四。

 

 

辞世詠685 樋口盛秀 ひぐちもりひで 

 

大幹や松の恵の露うけて 下草の木も育ちぬるかな

 

●上総飯野藩年寄で、佐幕の士。慶応四年(1868)六月十二日自刃、享年六十一。

*旧幕府遊撃隊員として藩士らの罪を一身に被った。

 

 

辞世詠686 野矢常方 のやつねかた 

 

弓矢とる身にこそ知らめ時ありて 散るを盛りの山桜花

 

●会津藩士・歌人で、会津戦争に参加。慶応四年(1868)八月二十三日戦死、享年六十八。

*桂林寺町郭門で戦死したが、槍の穂先にこの一首をしたためた短冊が結び付けられていた。

 

 

辞世詠687 沼沢道子 ぬまさわみちこ 

 

もろともに死なむ命も親と子の ただ一筋のまことなりけり

 

●会津戦争での女性闘士。慶応四年(1868)八月二十三日自刃、享年五十二。

 

 

辞世詠688 沼沢貞子 ぬまさわさだこ 

 

武士(もののふ)のかねて覚悟の梓弓 ひきてかへらぬ今日となりぬる

 

●会津藩士沼沢小八郎の祖母。慶応四年(1868)八月二十三日自刃、享年八十六。

*会津鶴ケ岡城落城の日、のどを突いて果てた。

 

 

辞世詠689 沼沢ゆや子 ぬまさわゆやこ 

 

敵の手にかからむよりは勇ましく 死ぬる我が身の花とこそ知れ

 

●会津藩士沼沢小八郎の妹。祖母らと同時に自刃、享年二十六。

 

 

辞世詠690 沼沢すが子 ぬまさわすがこ 

 

うき世には残すおもひはなかりけり かねて覚悟の今日にぞありける

 

●会津藩士沼沢小八郎の娘。曾祖母らと同時に自刃、享年二十三。

 

 

辞世詠691 津川喜代美 つやまきよみ 

 

かねてより親の教へのときは来て 今日の門出ぞ我は嬉しき

 

●会津藩士で、白虎隊十九士の一人。慶応四年(1868)八月二十三日飯森山上で自刃、享年十六。

 

 

辞世詠692 西郷律子 さいごうりつこ 

 

秋霜飛んで金風冷たく 白雲去って月輪高し

 

●会津藩家老西郷頼母の母。慶応四年(1868)八月二十三日自刃、享年八十四。

 

 

辞世詠693 西郷千重子 さいごうちえこ 

 

なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそ聞け

 

●西郷頼母の妻。慶応四年(1868)八月二十三日自刃、享年三十四。

 

 

辞世詠694 西郷由布子 さいごうゆうこ 

 

武士(もののふ)の道と聞きしを頼りにて おもひ立ぬる黄泉の旅かな

 

●西郷頼母の妹。千重子らとともに自刃、享年未詳。

 

 

辞世詠695 西郷眉寿子 さいごうみすこ 

 

しにかへり幾年世には生きるとも ますら武雄となりなんものを

 

●西郷頼母の妹。千重子らとともに自刃、享年未詳。

 

 

辞世詠696 西郷細布子・瀑布子 さいごうちえこ・たえこ 

 

手をとりて共にゆきなば迷はじよ いざたどらまし死出の山みち

 

●二人とも頼母・千重子夫妻の子。上の句は瀑布子(享年十三)が、下の句は細布子(享年十六)が詠じた。

 

 

辞世詠697 中野竹子 なかのたけこ 

 

武士の猛き心にくらぶれば 数にも入らぬわが身ながらも

 

●会津戦争での娘子隊隊長。慶応四年(1868)八月二十五日戦死、享年二十二。

 

 

辞世詠698 堀粂之助 ほりくめのすけ 

 

神かけて誓ひしことのかなはすは ふたヽひ家路思はさりけり

 

●会津藩士。慶応四年(1868)九月四日自刃、享年三十一。

*米沢藩への援軍依頼の君命を全うできなかったことを恥じ、米沢で切腹した。

 

明治・大正 辞世詠699834

 

辞世詠699 平野捨五郎 ひらのすてごろう 

 

わが命君に捧げしものなれば 異域に散るとも悔いは残さじ

 

●長州藩士で、干城隊隊長。明治元年(1868)十月十九日客死、享年三十六。

*北越戦争に出陣したが負傷し越後高田で没した。

 

 

辞世詠700 伊庭八郎 いばはちろう 

 

待てよ君冥土も共と思ひしに 志はしをくるヽ身こそつらけれ

 

●幕臣。明治二年(1869)五月十二日自刃、享年二十七。

*函館戦争で五稜郭落城のさいに負傷、再起不能となり自刃した。